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はてなキーワード: 家康とは

2024-04-19

家康殿は私の右手を握りながら此度の合戦勝利貴殿のおかげと喜んでおられました。」

「……。では、そのときお前の左手はなにをしておったのじゃ?」

さあ、お答えください。

2024-04-18

へー 創作だったんか

家康の遺訓として「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過たるよりまされり」という言葉が広く知られているが、これは偽作である明治時代に元500石取りの幕臣池田松之介が徳川光圀の遺訓と言われる『人のいましめ』を元に、家康63歳の自筆花押文書に似せて偽造したものである。これを高橋泥舟らが日光東照宮など各地の東照宮に収めた[201]。

猿楽ってズンバと似てるな

家康公が舞を嫌って猿楽を好んだといわれても意味不明だったが、動画理解できた

ズンバぽいんだな

https://www.youtube.com/watch?v=aV4cIihlJKg

2024-04-16

anond:20240415174914

大体の駄作には耐えてきたけど「どうする家康」は苦痛すぎて無理だったわ

2024-03-05

戦国武将幸せな死に方をしたのは誰?

ただの暇つぶしにお前らすぐレポートだのアンケートだのうっさいからもうChatGPTに聞くわ。

 

戦国時代日本の歴史上で最も激動した時期の一つで、多くの武将戦闘裏切り病気などで悲惨最期を遂げました。しかし、幸せというのは個人価値観や状況によって大きく異なるため、「幸せな死に方」と定義するのは難しいです。それにもかかわらず、比較平和な時期に自然死を迎えたり、自身の志を成し遂げた後に亡くなった武将もいました。

例えば、以下のような人物が挙げられます

1. 徳川家康 - 戦国時代の最終局面を制し、江戸幕府を開いた家康は、1616年に75歳で自然死しました。彼の死により、彼が築いた体制さらに固まり、260年以上続く平和時代が始まりました。彼の生涯と成就を考えると、彼が満足する形でこの世を去ったと考えることもできます

2. 豊臣秀吉 - 秀吉は、天下統一をほぼ成し遂げた後、1598年に病死しました。彼の死は自然死であり、彼自身が築き上げた豊臣政権の頂点にいた時でした。しかし、彼の死後、彼の築いた体制は徐々に崩れ、関ヶ原の戦いによって最終的には滅びました。

これらの武将が「幸せ」な死に方をしたかどうかは、彼らの遺した言葉や行動、後世の評価などから推測することしかできません。また、歴史的文脈や個々の価値観によっても見解は変わり得るため、一概には言い切れません。

 

うーん、いまいち孫市。

茶器と爆死はわりと幸せな気がするな。(諸説あります

2024-03-02

15分拡大で放送された最終話・第48回「神の君へ」では、家康にとって最後の戦いとなった「大坂の陣」の顛末、そしてついに乱世に終止符を打った家康の哀しくも美しい最期が描かれた。茶々北川景子)や息子・秀頼(HiHi Jets作間龍斗)らが炎上する大坂城で迎えた壮絶な死にざま、北川と作間の迫真の演技が注目を浴びた前半から一転、後半では家康が死に向かう中で最も幸福だったであろう日の思い出が描かれた。

 後半のエピソードは、これまで随所に伏線が張られてきた家康の息子・信康と信長の娘・五徳の祝言の日に起きた鯉を巡るハプニング酒井忠次大森南朋)、石川数正松重豊)、本多忠勝山田裕貴)、榊原康政杉野遥亮)、鳥居忠吉イッセー尾形)、夏目広次(甲本雅裕)、本多忠真(波岡一喜)ら初期のメンバーも含む家臣団をはじめ、妻・瀬名有村架純)、母・於大の方松嶋菜々子)ら家康が愛した人たちが集結する大団円SNSでは大盛り上がり。「みんないる~(涙)」「初期メン勢ぞろい」「総出演ありがたい!」「まさかオールスター」など沸いたが、さら視聴者を驚かせたのがラストシーンだった。

 幼い信康と五徳の祝言えびすくいで盛り上げる家臣たちを見ながら幸せそうな家康瀬名。「なんと良き光景でしょう……。こんな良き日は二度ありましょうや」と目を細める瀬名に、家康が「わしがなしたいのは今日この日のような世かもしれんな」と未来に思いを馳せる。二人から遠ざかったカメラがとらえたのは高層ビルやタワーが立ち並ぶ光景。初めは「見間違いかと思った」という声も多くみられたが、戦国時代未来現代をつなぐ平和への祈りを表すかのような演出SNSでは「凄い」「技あり」「粋な演出」「印象的なラストカット」「面白い」「殿が平和な世を作ってくれたからこそ今がある」など、驚きやさまざまな解釈で盛り上がっている。

2024-02-19

もし今川義元桶狭間で死ななかったら

確定事項

起こりそうなこと

よくわからないこと

このシナリオエンディング

2024-02-12

再掲

2018年に書いたトップXの代名詞案に解説を足したよ

頂点--
双璧--
御三家家康の子のうち格別に家格が高かった三藩主徳川義直・頼宣・頼房
四天王仏法において帝釈天に仕える守護神四天持国天増長天広目天多聞天
五大老豊臣政権末期の政務にあたった五大名徳川家康前田利家毛利輝元宇喜多秀家小早川隆景
六卿西周王朝行政組織における六名の最高官職冢宰・司徒・宗伯・司寇・司馬・司空
七賢人古代ギリシアの優れた七人の統治者クレオブロス・ペリアンドロス・ピッタコスビアスタレスキロン・ソロ
八部衆仏法守護する八尊の護法善神天衆・龍衆・夜叉衆・乾闥婆衆・
阿修羅衆・迦楼羅衆・緊那羅衆・摩睺羅伽
偉人中世ヨーロッパ騎士道体現した九人の英雄ヘクトール/アレクサンドロス大王/カエサル/ヨシュア/ダビデ/
ユダ・マカバイ/アーサー王/シャルルマーニュ/ゴドフロワ・ド・ブイヨン
十傑史実元ネタなし(強いて言うと維新の十傑?)-

 

フィクションのは挙げてないけど有名っぽい代替案は、六神将(テイルズ オブ ジ アビス)、七英雄(ロマンシングサガ2)、十天衆(グランブルーファンタジー)あたりかな。

3に関して、頭に数字をつける縛りなら、三羽烏または単に三傑とも呼ばれるね。十傑と被るから避けたいけど。

5に関しては、五大老しわしわすぎて合わない場合は、五賢帝汎用性高そうだね。古代ローマの。うん、その方が文明コンプ感高まっていいと思う。仏法はまだ被ってるけど。

2024-02-09

自殺した原因における自己投影バイアス

「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家スコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流だった。

「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になった。

早稲田映画を専攻し、学生時代映画脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうだ。

自身作品映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていた。

「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現からそのまま映像にすると不自然になってしまう」

脚本は書けば書くほど上手くなると言われる。三年間毎週、映画を見て課題を書いていれば、とりあえずプロにはなれるというと言う通説がある。

死者に鞭打つわけではないが、原作者は、映像化について正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。

その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っている。

 

ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまたか自殺した」

という見方が大半だが、私はそれが原因だとは思わない。

冷静に考えてほしい。実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。

しろ自分の大切な原作を、自身脚本台無しにしてしまった自責の念

と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまたことに対する責任

の方が強かったのではないかと思う。

から攻撃する意図はなかったとわざわざ書いたのだろう。

自分大事作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん」

ただそう弁明したかっただけなのだと思う。

それを勝手拡大解釈した実写化憎しの人たちが、騒動を大きくし、この悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。

もちろん、本人にしかからないし、本人にもわからいかもしれないが。

ただ私もクリエイターの端くれとして、

もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供回復をしようと頑張るが、

もし周りを巻き込んだ挙句自分自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。

そんなふうに思ったからだ。

ご冥福をお祈りします

2024-02-05

お前らは脚本家のことを舐めすぎだと思います

普段脚本すら読んだことないであろう人たちが、脚本家を攻撃していて困惑している。

よく言われていることだけど、脚本とは映像のための設計図です。

漫画小説とは全くもって、似て非なるものです。

ここをほとんどの人は勘違いしているように見受けられます

脚本は何度も何度もプロデューサーに訂正され、さら現場では監督役者セリフも直されます

例えば何をやっても上手くいかない主人公が、恋人に振られたうえに雨に降られてずぶ濡れになるとします。

漫画では、雨に打たれるシーンはスクリーントーンと線を引けばいいのです。

小説では、雨が主人公の肩を濡らした。とか書けばいいのです。

しか映像作品では一回雨を降らすのに200万です。雨のシーンが続けばあっという間に予算オーバーです。

自身オリジナル作品で何度も映画化したことがある大物脚本家ですら、雨のシーンが実現されたことはないとボヤいていました。

そういった時に雨を降らさないでも、どうしたら雨が降っているような感情を伝えられるか?

そういったことを考えるのがプロデューサーの意を汲んだ脚本家です。

「ここちょっと予算的に雨降らせられないからなんかないかなぁ」

「じゃぁ、散水している工事現場の水がかかったことにしますか」

よくドラマとかで見るアレです。

これは原作にない脚色かもしれませんが、恋人に振られた主人公が惨めな気分であることを表現できで観客に伝わればいいのです。

さら帰宅してすぐにあったまろうと風呂に入ったことで、仕事上の大事電話に出られなかったって繋げればさらに惨めさが際立ちますね。

そうやって脚本では話を「コロガシ」て話を繋いで行きます

小説のようにいきなり章を分けたりするとドラマでは不自然さが強調されるからです。

仁義なき戦い」で有名な東映ヤクザ映画時代からあるコロガシという脚本用語です。

まり何が言いたいかというと原作脚本では本当に違う技術必要とされているのです。

そしてゼロからイチであろうがイチからヒャクであろうが、どちらも技術を磨くという点において努力の賜物なのです。

 

「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家スコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流でした。

「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になりました。

早稲田映画を専攻し、学生時代映画脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうです。

自身作品映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていました。

「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現からそのまま映像にすると不自然になってしまう」

死者に鞭打つわけではないが、原作者も映像化については正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。

その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っています

 

ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまたか自殺した」

という見方が大半だが、私はそれだけだとは思わない。

冷静に考えてほしい。

実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。

しろ自分の大切な原作を、自身脚本台無しにしてしまった自責の念

と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまたことに対する責任

の方が強かったのではないかと思う。

から攻撃する意図はなかったとわざわざ書いたのだろう。

自分大事作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん。」

ただそう弁明したかっただけなのだと思う。

それを勝手拡大解釈したテレビ局憎しの人たちが、騒動を大きくしこの悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。

もちろん、本人にしかからないし、本人にもわからいかもしれないが。

ただ私もクリエイターの端くれとして、

もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供回復をしようと頑張るが、

もし周りを巻き込んだ挙句自分自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。

そんなふうに思ったからだ。

ご冥福をお祈りします

2024-01-27

今回の大河ドラマ無理かもしれない…

大河ドラマは、一人暮らしをはじめた私と母を繋ぐ共通話題の一つだった。

父とはアニメ趣味が近く、わりと共通で観ている作品が多かったのだが、母とはあまり娯楽の趣味が合わなかったため、ようやくテレビの話で盛り上がれて母も嬉しそうだった。

といっても「青天を衝け」と「どうする家康しか見てなくて、本作が三本目なんだけど。


特にどうする家康は、地元静岡で、一人暮らし岡崎でしている私たち親子にとっては、初めて大河ドラマ館を制覇したり、聖地巡礼したり、一年でたくさんの親子の思い出をつくってくれたとても楽しく思い出深い作品だった。


そして今作。私は正直一話目から「無理かも…」となり、三話の今、「母と共通話題」「苦手な平安時代の大量の藤原氏の見分けをつけられるチャンス」「おなごの衣装かわいい」という3点がなければ今すぐにでも脱落しそうだ。

反面母は、「韓国ドラマみたいで面白い!最高!」ってなっており、「今回は辞めておこうかなあ…」とも言い出しにくい。


こういうときアンチ意見を見て心を落ち着かせようと#反省会検索してみたものの、全然活用されていなかった… あんなに楽しかったどうする家康は毎週のようにアンチ湧いてたのに…


なんかこう、性的な話が多かったり、女官の噂話みたいな人間の生々しく汚い感じが前面に出ていてつらい… でもようやく一緒に見れる番組がある!って嬉しそうな母を思うとなんとなくやめるとも言いづらいし、私自身母と番組を介したコミュニケーションを取る時間は好きだったので頑張りたいがしんどいな…

時代的に側室とかしょうがない部分はあるけど、わりと今まで見てきた大河ドラマは「史実が許す限りなるべく正妻love」「極力同時期に複数の妻が出てこない」みたいなできる限り汚さを感じさせない配慮を感じたけど、今回ゴリゴリ悲しい女の人とか気の多い男の人出てくる…しょうがないことだけどファンタジーで生々しさとか性的ものとか醜さみたくない…

2024-01-26

2023年度アニメ界のエルフ四天王

筆頭はもちろん『葬送のフリーレン』のフリーレン、小学館日テレの全力バックアップ子供向け雑誌やお昼のワイドショーにまで手を伸ばしてやがる。

おそらく最強で最高年齢、身長はこの中では一番低いかな?フェルンは可愛い

二番目は『江戸前エルフからエルダことエルダリエ・イルマ・ファノメネル。621歳で徳川家康を「家康くん」呼びする。聖霊使役できたりするが多分最弱かな?猫背だがかなりの高身長で多分180近くは最低でもあるんじゃないかな?

1936年から10年くらいどうだったのか気になります!小糸は可愛い

三番目は『ダンジョン飯』のマルシルことマルシル・ドナトー。フリーレンよりは劣りそうだがかなりの実力の魔法使い身長フリーレンよりは高そうだけどエルダよりは低い感じかな?

表情と表現多様性では頭一つ抜けてるかもしれないが、まだ50歳、あと実はハーフエルフライオスキモい

4人目は誰だろ?

2024-01-20

どうする家康ってなんで視聴率低かったのん

後半から演技もよくなったって聞いたけどダメだったんか

まあ家臣団ふくめキャスト違和感あったのは事実

2024-01-07

anond:20240105203713

関東平野って本当に平野なんだなあ、と感心したのはいつのときだったか

まだグーグルマップもなかった子供の頃、信長の野望リアル日本マップとして採用したときだったっけ?

うわー、こんなに平地だらけで田んぼばっかり作れるのはチートやろと思ったときだったか

よくもまあ、こんな土地徳川家康みたいな外様にくれてやったもんだよな、みたいな感情もあったような気がする。

豊臣秀吉政治感覚京都を中心とした地域西日本方面に向かいすぎていて、

関東というのは辺境である、という感覚が濃かったのかもしれない。

それは秀吉信長の部下として西へ西へと進出していったことがひとつの要因かもしれない。

尾張を起点として、

信長の勃興期に奮闘し、

近江領地をもらい、

毛利攻略を命じられ、

筑前守は九州制覇ををその任務とさせられる官位だ。

きっとその先、というもの身体感覚としてすでに持ち合わせていたのだろう。

高度な文明を持つ東アジア大陸文明へと近づいていくことの指向性をもっていたのだろう。

まり秀吉にとって文化文明とは常に西に向かっていくことで獲得していくものだったのだ。

そのような感性の持ち主に関東というのは甚だしく辺境に感じられ、

日本国というものを正しく治めるためには最重要地域とはいえ魅力を感じなかったのだろう。

辺境伯、というもの欧州にはあったらしいが、きっと秀吉家康辺境伯にでも任じた気持ちだったのだろうか?

しかし、辺境伯というものはやがて力をつけて中央政権を取るもの相場は決まっている。

そのことを秀吉が知らなかったのは致し方ないことだが。

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