はてなキーワード: 動物病院とは
世の中にはこんなに飼い主に愛情をたっぷり注がれているインコもいるのだなと軽いカルチャーショックを覚えた。
私の家で飼っていたインコも、ああいう飼い主の家で飼われていたらもっと幸せだったのかもしれない。ごめんね。
飼っていた9年間、動物病院に連れて行ったこともなかったし、爪切りしてあげたこともなかった。
顔まわりを指で撫でると喜ぶということすら知らなかったよ。
ケージの交換も止まり木の交換もオモチャの交換も一度だってしてあげなかった。ヒーターだって付けてあげたことがなかった。
エサの殻をフーフー飛ばしたりはしてたけど、水の交換が面倒で何日も変えないこともザラ。水の容器がぬるぬるしてるのを洗うのも面倒だった。
小松菜をあげたときはいつも喜んでたね。テンション上がると首振りダンスをしたりよく喋ってたりしたね。
放鳥して一緒に遊ぶのだけはよくしてた。懐いてたと思う。
でも買われたのかうちじゃなかっならもっと快適に幸せに過ごせてたのかもしれない。私の誕生日に買ってもらったのにロクに世話もできない飼い主で本当にごめんね。天国で幸せに暮らしてるかな。
二日前から家の周りに猫が居つくようになった。
白黒ぶちでしっぽは半分。完全な成猫ではなく若干幼さが残っている。
非常に人懐っこい。こんなおっさんにもすり寄ってくる。しかし首輪はしていない。しかも去勢されていない(タマタマが付いている)
最初は迷子かなとも思ったが、この年齢まで手術をしていないような飼い主である。
放し飼いであれば家に帰るのだろうが、早朝から夕方過ぎまで家の周りにいる。
捨てたのだろうか。ここは住宅街である。せめて誰かに拾われてくれ、とでも猫に言って。
非常に腹立たしい。
週末、娘とその友達が放っとけないようで抱っこしたり撫でたりしていた。
今日は月曜日。娘が学校に行く前に家の周囲を回ると、猫の鳴き声がした。
そのまま一緒に学校まで着いていったのかもしれない。
そこで誰かに拾われ飼われればそれでいい。
しかしもしまた家に帰ってきたら、餌を食べさせなければならない。
家に入れるための準備もしなければならない。
非常に腹立たしい。
(追記)
交番に遺失物として届け出を出す。万が一、飼い猫である可能性があるので。
その際、飼い主が現れるまで自分が預かること、現れなかったらそのまま自分が飼うことを伝えるつもりだが、預かっている間に去勢手術をしてもいいのだろうか。3か月も待てないので。
手術以前に獣医に連れていって必要な予防接種もしなければならないが問題ないのだろうか。
誰か教えて欲しい。
(追記2)
帰りしなに娘にLINEすると、猫はまだいるとのこと。少なくともこの猫に行く当てがないのは間違いない。
とりあえず猫の餌を買って帰り、猫に食べさせた。
その後動物病院に連れていき、診断した結果、超健康優良児であるとのこと。
ノミもいない、寄生虫もいない、エイズでも白血病でもない、栄養も十分足りている。
獣医師さんの見立てでは、昨年の4月か5月頃に生まれたのではないかとのこと。
家の中で飼われてはいなさそうで、例えば工場とかに住み着いてて餌付けされていて、そこを縄張り争いに負けて追い出されたのではないか、と。
ワクチン接種は落ち着いてからまた。その後に去勢手術になるとのことだった。
動物病院の帰りにとりあえずの猫用品を買い揃え、ペット用ウェットティッシュみたいなので全身を拭いてから家に上げた。その位、汚れは無かった。
追加で餌をやり、最初はうろうろしていたが11時頃には落ち着いてソファで横になった。
トイレが心配だったのでことあるごとにトイレの場所を確認させ、昨夜は自分も一緒にソファで寝て、結果朝方に無事トイレに成功してひと安心。
交番に届けるのはやめとこうと思ってる。
早く名前を決めなければならない。
2週間ほどあまりにも忙しく、もう数日続きそうだからこの土日は休出せずにみんなガッツリ休もうってことになって帰宅した深夜1時。気まぐれなヤツなんで様子見だなと思って家を出た今朝と同じ姿で、ハリネズミはベタッと四つん這いになっていた。カリカリに口をつけた様子はない。抱えあげてもたいして体を動かそうとせず、ペットシーツにどす黒い下血の跡を見つけた。特段痛がっている様子はないけれど息の仕方が明らかに弱々しく、朝イチで病院に行こうなって話しかけて寝ることにした。起きたら何事もなかったかのようにフガフガ言いながらカリカリを食べていそうで、でももしかしたらといろいろ想像ばかりして寝付けない。
少し酒を飲んでふと目が覚めたら8時。そうだ、アイツの具合はどうか、慌てて覗くと、背中が上下に動いていない。呼吸をしていないのがわかった。抱き上げると足が少しだけ垂れるだけ、何より暖かくなかった。どうにかなるわけでもないがとにかく病院に連れて行こうと思うものの、病院が開くまでまだ1時間あった。どう過ごしたか覚えていないが割と冷静だった。
ヤツを車に置いて動物病院の受付で「鼻炎はその後どうですか?」と言われ、小さな声で「それが亡くなったっぽいんです」と伝えるとすぐに連れてきてほしいと囁かれた。ヤツを預けた数分後初めて呼ばれる別室に通される。「残念ですが」と切り出された途端にこみ上げてきたものを大きく息を吸いこんで止めた。「お亡くなりになりました」という言葉をはっきり聞き取った瞬間にこらえる間もなく涙が溢れ出した。頭ではわかっていても獣医さんに、いや自分以外の誰でもいい、「死んだんだよ」と言ってもらうことで、ありもしない僅かな可能性がやはり全く無いことを納得したかったんだと思った。やっぱり死んだんだ、それ以外の事実がないことを飲み込んで、溢れる涙と引き換えに少し安堵した。
年末にエコー検査までして異常がなかったので、開腹しても死因が分かる可能性は低いという。この歳ですから天寿を全うしたとお考えになるのがいいですよと言われた。もちろんヤツのお腹に刃を入れるなんて考えられなかった。
いい歳した男が、なにかしゃべると言葉のかわりにまた涙が出てきそうになるのを必死にこらえながら、何とかお礼を伝えた。
受付で診察料はかからないと言われた。そういうものなのか。こういう時はどうお弔いするのがいいのかと訊くと、人に寄りますが、と受付台の裏からペット霊園併設のお寺のパンフレットを出してきてくれた。
小さなキャリーケースを助手席に乗せて、土曜日の空いた目黒通りを、やつの名前を大声で叫びながら家路に走らせた。運転席で一人になったときから止めどなく出てくる涙を拭きもせず、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくった。TOKYO-FMから流れる曲の初めて聴く歌声が妙に心地よく、その野太いハスキーな声を聴きながら、もうこらえずに泣けるだけ泣こうと思った。
病気一つしないヤツだった。それが年末に鼻をプープー鳴らしだし、その鼻ピーがまたかわいくて、その動画を見せては何人もを笑顔にした。結局はただの鼻炎で薬ですぐ治ったのだが、当院でもあまり例がないくらいの長寿ですよと言われたときは、次の冬も迎えられるかな、としか考えなかった。
帰宅してお尻にこびりついた汚物や滲み出した体液をウェットティッシュで恐る恐る拭き取ってあげた。こんなことしたら嫌がって針を立てていたのに、四つん這いの姿勢のまま、もう体は硬くなり始めていた。暖かさのないヤツの体を触るのは少し怖く、でももうすぐ触れなくなるのは寂しく、ごめんなごめんなと言いながらウェットティッシュを何度も撫でつけた。お腹側はモフモフで、でもその奥のふにゃふにゃだった肉に柔らかさはなかった。針の方も毛並みに沿って目一杯撫でてあげた。
呆然としているとすぐに時間が過ぎた。まだやるべきことが残っていると我に返った。何を買ったときのものだろうか、ちょうどよい大きさの青い化粧箱を見つけた。いつものペットシーツを折りたたんで敷き、少し背中の針が当たるけどそっと蓋をかぶせた。小さな紙箱を助手席に乗せ、お寺で線香をあげ、一週間後の火葬を予約した。自宅では冷蔵庫に入れなくてはならないのが忍びなく、お寺の霊安室で預かってもらうことにした。仕切りの隣には大きな犬の背中に手を当てて「もうキリがないからいこうか」と言いながら立ち上がる様子のない老夫婦がいた。
日が暮れてヤツの気配のない家が耐えられなくて、ヤツを思い出す以外の時間が少しでも欲しくて、何かいつも通りのことをしようと映画館に出かけた。楽しみにしていた「ファーストマン」を観たが何も入ってこなかったし、疲れていたのか少し寝た。
心配だからと車を出してくれた友人と、近所の飲み屋で小さな骨壷をテーブルにのせて献杯した。
たまにしかあげなかった、ヤツの大好物だったセブンイレブンのゆで卵をまるごとひとつ火葬の引出しに一緒に入れたのだが、殻を剥き忘れたせいで大爆発して骨と殻がごちゃまぜの骨上げだった。アイツ最後の最後にビックリしただろなーと大笑いした。
そして悲しいけど、悲しいというより「ありがとう」だなと話した。今は寂しくて辛いけど、でも4年半一緒にいてくれた幸せのほうが勝る。ヤツがいなかった人生よりも、いてくれた人生のあれやこれやのほうが確実に良かった。俺の人生に現れてくれて、ありがとうしかないなと。
FMの曲は「T字路s」という二人組だと後で知った。あの日聴いた曲は配信に見当たらず、数年ぶりにCDを買った。
人から聞いてはいたもののペットロスがこんなにも大変なものかという数週間があって、人から聞いていた通り時間がなんとなくそれなりに癒やしてくれた。春になって、それでもヤツの寝床も、ヤツのカリカリのストックも、ヤツのキャリーも、そのままの場所にあった。
夏になってやっぱ二代目を迎えるか、みたいな話になって、秋になってやっぱ猫にするかって話が出てきて、冬になって猫が来た。
いずれまた辛い思いをするのはわかっているけれど、いてくれている時間の幸せのほうがそれに勝るのもまた、知っているから。
そろそろ命日が近い。
ヤツのカリカリは捨てた。
当たり前にそこにあったから気にならなかったヤツのキャリーと寝床も捨てようと思う。
骨壷の紐の先がほどけていた。猫の仕業だ。
猫を振り返ってまた少し笑う。
怒ったときや嬉しいときに「プップップッ」と鳴くぷっぷちゃん。
最近寒くなってから体が冷えるのか、お腹の調子が断続的に崩れがちになっていた。
うずくまって丸くなったり歯ぎしりしたりで、先日には救急医療センターのお世話になったり。
この時のお腹のガスが抜けきらなかったみたい。
しばらくチモシーだけの食事をあげてくださいと言われた。ペレットはガスが溜まってしまうらしい。
体力も削られていたようで、痩せて骨が浮き出ているぷっぷちゃんはかわいそうに思えてきていた。
そしてとうとう運命の日。
前日には一緒のベッドで寝てあげた。
夜中少し苦しそうだったけど、丸いうんちやお水も少し飲んでくれて少し安心していた。
しかし今思い返せば様態は思ったほど楽観視できない状態だった。
リュックにカイロをたくさん貼って出発したけど、病院に連れて行く途中でクタッと倒れてしまった。
ぺちぺちしても次第に動きがなくなり、脚をばたばたさせたり最終的に頭を支えられなくなったのか完全にぐったりとなってしまった。
寒い中長い間連れ出しちゃってごめんね。最近うんちょも出て水も少し飲んでいたから、ここまで体力が急激に奪われるなんて思ってなかったんだ。
もしあと5分早く帰ってバスに乗って最寄り駅まで連れて行けていたら。
もし途中クタッとなったところで上手くタクシーを拾えていたら。
そんな可能性の話をしてもしょうがないけれど、最後は手の中で看取れてよかったと思う。
下手に動物病院にあずけていたら、様態が急変して看取れなかったかもしれない。
その点で、死に目に一緒に居られてぷっぷちゃんも嬉しかったかな。
駅では喚き散らして通行人に変な目で見られたり、病院では大声で泣いちゃったりしたけど、ママも頑張ったんだよ。
病院では心臓マッサージもしてもらったけど、5分以上蘇生することなく逝っちゃったね。
正直ペットショップではとても元気で跳ね回っていてどの子よりもパワフルだったから、あっけない最後には茫然とすることもあったよ。
も〜、最後まで温かくて生き返ると思ったじゃん!
ほんとにギリギリまで生きてくれてありがとう。一緒に居られて幸せだったよ。
ぷっぷちゃんも同じこと思ってくれてるといいな。
深夜2時59分にはぷっぷちゃんが夢に出てきた。丑三つ時の滑り込みセーフかよ。
最後に看取るときも抱きしめてたから、うっすらまだ手のひらにぷっぷちゃんの匂いも残ってるよ。
たまにコードをかんでダメにしたとき、お尻を叩いてごめんね。痛かったよね。
うさぎじゃないみたいで、むしろねずみみたいな色と顔でとても可愛かった。
大人になるまで育ててあげられなくてごめんなさい。ぷっぷちゃんが大人になるところは少しだけ見たかったです。
いっぱい寝たら、お化けになって戻ってきてくれると嬉しいな。
次もし新しい子を迎え入れるとしても、ぷっぷちゃんがお化けとして見守ってくれたら安心だから。
もう死んじゃったから、生きてる子に縄張り譲って仲良くしてくれるよね笑
ぷっぷちゃん以上の子が見つかるとは思ってないけど、ピンとくる子がいたら迎え入れるね。
ずっと大好きだよ。
かねてより体調がすぐれていなかったため、5日前に動物病院へ連れて行き、ビタミン剤を処方されたばかりだったのだが、今度は目を痒そうにしていたので再度診てもらうことにしたのだ。
田舎に住んでいるので、動物病院へは30分ほど車を飛ばさなくてはならない。
通る道はでこぼこで、予想外に揺れた。
それが悪かったのだと思う。
点滴を入れてもらうことになったのだが、苦しそうに嫌がっているのに看護師さんに押さえられ、細い針を刺し込まれるハムスターは本当に可哀想だった。
帰りの車の中でふとハムスターに手をやると、体が冷たくなっていたので慌てて手の上に乗せた。
息はあったのだが、それもか細く、目は虚ろで死にかけという状態だった。
もう死んでしまうのだと悟った。
できるだけ体温を下げないようにと両手で包んだ。
何とか家に帰る時まで生きてくれたのだが、間もなく死んでしまった。
私は酷く後悔している。
動物病院に連れて行かなければ、もっと安らかに最期を迎えられたのではないかと思うと、やるせない。
家で静かに看取ってあげればよかったと思う。
私は今まで「病院に連れて行って治らなかったとしても、飼い主としてやれるだけのことはやったのだからきっと後悔しないはずだ」と考えていたのだが、今回のことでそうではないのだと思うようになった。
ハムスターが最期に見せた苦しそうな姿を思い出すと胸が苦しくなる。
本当に取り返しのつかないことをしてしまった。
この子は命日が決まってるんだな。
安楽死を決めた時、私はそう思った。
疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。
「猫なら手がかからないよ」
あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。
結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。
いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネットを検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。
買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。
残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。
メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。
ベスト体重は6.4kgの、男の子にしては小さなメインクーンになった。
ただ、私の猫はとても朗らかだった。
と積極的に会いに来てくれる人もいた。
7歳の時にアレルギーが改善したのは幸いだったと思う。アレルゲンの除去療法に成功したのだと思うけれど、詳細は医学系の情報をあたっていただきたい。
10年生きればいい、と言われた猫は、13歳になった。免疫力が落ちてきたのか、鼻炎で鼻水を垂らすようになったけれど、月に一回の通院で点鼻治療を続けた。獣医が言うには加齢によるものだから、対症療法しかないとのことだった。
13歳になったある夜のこと、帰宅すると猫が倒れていた。体温が下がり、呼吸は荒く、今にもしんでしまいそうな様子だった。
近所のかかりつけ医に連れて行くか、救急病院に連れて行くか、それとも家でこのまま看取るか、悩んだのは10分くらいのことだった。
私は猫をキャリーバッグに詰め込んで、タクシーに飛び乗っていた。
朝まで元気だった。食事を少し残したことが気になったけれど、それだけだ。わけもわからず失いたくなかった。
向かったのは、夜間診療もしている以前のかかりつけ医だった。引っ越しして何年も経つが、カルテが残っていた。
タクシーの中から電話をしたので、急患として即座に処置を行ってくれた。電話を聞いて急いでくれたタクシーの運転手さんにも、病院スタッフの皆さんにも、その間待ってくださった他の患畜の皆さんにも、感謝している。
原因はわからないが肺に水が溜まっている、無気肺を起こしている、心臓が肥大している、明日はないかもしれない、そのようなことを言われた。
今夜が峠ですってやつだな、と頭のどこかで考えていた。原因がわからない以上、治療のしようもなく、とにかく今晩頼んで帰宅した。
妹猫が、不安そうに待っていた。抱きしめて泣いた。
ほとんど眠ることができず、翌朝病院が開くのと同時に向かった。酸素ハウスの中で猫は、ぐったりと寝ていた。声をかけて触ると、目だけでこちらを見た。
猫は三日間何も口にせず、病院に許可を取って自宅からフードを持参した。四日目の朝だ。朝ごはんを完食したとうれしそうに看護師さんが教えてくれた。猫は酸素ハウスの中で座って、帰りたいと鳴いた。
どこかで見た記憶を頼りに、ペット用の酸素ハウスをレンタルして、自宅で看取ると連れて帰った。猫はなかなか酸素ハウスに入ってくれなかったけれど、その間は酸素マスクをそばに置いた。明日にもしぬかもしれない猫を、無理矢理ハウスに入れるつもりはなかった。
毎日好きなものを食べさせた。後にいうちゅ~る食べ放題まつりだ。
内服薬だけはと飲ませながら、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。酸素ハウスを返却した。猫は普通に歩いていた。
猫の中で何がおこっているんだろうと、もう一度病院へ連れて行った。色々と再検査をし、二回目のCTを撮った。前回の入院で右の肺は半分ほど潰れてしまっており、心臓が肥大していた。
「あのあと他の先生たちにも聞いてみたんです。猫ちゃんは重症喘息による無気肺です。あの時は肺炎が合併してああなったんでしょう。また繰り返す可能性はあります」
うちの猫が喘息だったなんて、全く気づかなかった。鼻水を垂らしてくしゃみをしている、と思ったのは咳だった。それと知ってから注意して見ると、くしゃみをする時と、咳をする時があった。喘息の治療をすべきだったのに放置していたことを、深く後悔した。
近所のかかりつけ医は信用できないと、遠くの病院まで月に一回ほど通うことになった。そんな生活を7ヶ月ほど続けた。
ある時、帰りのタクシーの中で猫が粗相をしてしまった。ペットシーツのおかげで大事には至らなかったが、粗相するほど我慢させたことが申し訳なくて、近所に開院した別の病院に連れて行った。
その頃猫はまた鼻水を垂らすようになっていた。それから右目だけ瞬膜が出るようになっていた。年を取ると瞬膜が出っぱなしになりやすいというが、右目だけ? と少し気になっていた。
これまでの経過を聞いた先生も、それが気になると言っていた。ひとまず二週間分の喘息の薬をもらって、信頼できそうな先生だと安心した。
二週間後、先生が言った。
「顔の右側が腫れてきている。鼻の悪性リンパ腫の可能性があります」
そうか、と思った。ショックもあったが、もしかしたら、と思っていたからだ。
「すごく腫れます。ぼこぉって変形してくると思います。最後は悪液質で亡くなることになります」
私の猫は片肺の13歳だ。抗がん剤の治療には耐えられないと判断して、ステロイドによる治療を選択した。
けれど腫瘍を抑えることはできなかった。ステロイドを増やしても、どんどん腫れるばかりだった。
25mg/日を10日間内服させて、それでも腫れが進行していた。鼻血と浸出液で、可愛かった顔は汚れるばかり。けれど拭かせてくれなかった。
ステロイド25mgは5錠になる。朝3錠、夜2錠。追加して抗生剤が半錠ずつ。
苦しみながら飲む猫に、私は治療の中止を選択した。自己満足にしか思えなかった。
薬剤性の高血糖で血糖測定やインスリンもしていたが、全てやめた。
ごはんを食べて、寝る。そんな穏やかな生活は、5日しか続かなかった。
鼻からは鼻血、口からはよだれが大量に出るようになり、ペットシーツが欠かせなくなった。それでも気を抜けば部屋のどこかが血だらけになっていた。
カリカリを食べなくなった。ウェットなら食べてくれたのも2日ほどだった。それからはちゅ~るしか受け付けなくなり、ちゅ~るさえ食べない日もあった。
視神経が圧迫されたのか、目が見えなくなった。突然の全盲であちこちぶつかりながら、恐恐歩くのが可哀想でベッドの上を区切ったらそこで眠るようになった。
トイレにいけなくなった。連れて行くとおしっこはするときもあったが、どんなに踏ん張ってもうんちは出せないようだった。
2週間が経った。
ちゅ~るも食べなくなった。食べられなくなった。
最初は食べようとしたけれど、ひどくむせて鼻からも口からも出血する。鼻と口が繋がってしまったようだった。そのうち猫は食べることを諦めた。
当然水も受け付けない。脱水がひどくなり、あれほど出ていた鼻血も浸出液もピタリと止まった。
このまま家で見ていても、数日で亡くなるだろうと思った。
けれど、体の置き場がないとフラフラになりながら寝返りする姿や、一箇所でぐるぐると回る姿、とうとうベッドの上でおもらしして自分でショックを受けている姿を見て、安楽死を考えるようになった。
別れたくない。悲しい。寂しい。
それと同じくらい、楽にしてあげたい。
戻れないことはわかっていた。朗らかで、やんちゃで、甘えて鳴いてばかりのあの子はもう戻ってこない。
自分だったらどうだろう。ガンの痛みに苛まれて、目が見えなくなって、鼻からも口からも色々な体液が出て、お腹が空いても食べることができなくて、そして今は脱水症状に苦しんでいる。
動物病院に状況を報告した。安楽死も選択のひとつだと思うと先生は言った。
苦しみの合間、眠っている猫を見て思った。
この子は命日が決まってるんだな。
苦しんで鳴く猫を撫でて、体をトントンして、そうすると猫は15分くらい寝る。それからまた起きて苦しむ。
愛しさと諦めが交互にやってきた。
行きたくないと言って泣いた。ずっと一緒にいたい。家で最期まで看取りたい。
猫は眠る時間が少し長くなったように思った。昏睡に近かったのだと思う。
やっぱりやめようか、と言ったのは予約時間5分前だ。
猫は起きて、苦しそうに叫んだ。
看取りたいというのは自分のエゴだと思った。泣きながら猫をキャリーに入れて、病院へ連れて行った。
病院は昼休みだった。着いたときから先生も看護師さんも泣いていた。おとなしい猫のことを、かわいいかわいいと言って撫でてくれた人たち。
点滴の針を刺す。処置室へ移動する。気が済むまで二人で、と先生たちは出て行った。たくさん話しかけてあげて、と。
けれど、声を出したら号泣してしまいそうで、やっぱりやめると言ってしまいそうで、囁くように「いいこ」「ありがとう」とくり返していた。
猫はぐったり寝ていたけれど、起きて、また鳴いた。苦しい、と。
顔を出した先生に、私は言った。
「お願いします」
病院がきらいな子ではなかったけれど、一番好きなのは家に決まっている。
最初に繋がれたのは麻酔薬だった。プロポフォールだと思う。しみる薬剤だから、薬が入る時、猫は苦しそうに泣いた。前投薬をお願いしなかった私のミスだ。
数十秒で猫は眠って、呼吸が浅くなった。
そのあとに二種類入ったけれど、そちらが何だったのかはわからない。猫は呼吸が止まり、心拍が止まった。
二人とも号泣しながら、とりとめもなく話をした。
先生は、前は安楽死に反対していたけれど、自分の猫の時に限界まで頑張らせてしまって、後悔してからは賛成していると言っていた。
「やさしい選択をなさいましたね。いいおねえちゃんでよかったね」
先生は私も、猫も褒めてくれた。
帰ったらお風呂に入れてあげるといいと言われて、本当はもう何も本人の嫌なことはしたくなかったけれど、少し悩んで体を洗った。
たっぷりとシャンプー、リンスを使って、血の塊やこびりついていたおしっこを全部洗い流した。
体を拭いて一番涼しい部屋に連れて行くと、留守番していた妹猫が不安そうにしていた。
帰ってきた兄猫、もう呼吸の止まっている兄猫、私を見て、鳴いた。
「どうして」
体を乾かして、耳や口に脱脂綿を詰める姿を妹猫はじっと見ていた。
すべての処置が終わって、ダンボールに入った兄猫のところにもう一度行って、悲しそうに見ていた。
猫が"死"を理解しているのかはわからないけれど、どんどん具合が悪くなる兄猫が妹猫の相手をしなくなって、苦しそうにしている姿をずっと見ていた。
「もう大丈夫だよ」
妹猫を撫でて、一緒に寝た。兄猫のように朝まで一緒にはいてくれなかった。
猫が生きている間に葬儀社を見繕ったり、アイスノンの用意をしたり、体が収まるサイズのダンボール箱を用意したりするのはつらかった。
でも、しておいてよかったと思う。きちんと見送ってあげることができたから。
鼻血や浸出液の塊を洗い落とした猫の顔は、やっぱり私にとって世界一かわいかったけれど、同時に諦めがつくほどに哀れだった。
大きくなった腫瘍が鼻の穴を塞ぎ、裂いて、口の中まで入り込んでいた。
処置をしなくてもあと2~3日だっただろう。
けれど、その2~3日あとには更に腫瘍が広がっていただろう。
どれほど頑張ってくれたのかわかって、うれしかったし、ありがたかった。
姉が言った。
「いっぱい愛してもらったね」
そう。猫に愛されていたのは、私だった。
安楽死を悩んだ時、はてな匿名ダイアリーの記事がとても参考になった。
自分のペットに対して安楽死を選択したことは、あまり口にできないことだと思う。
それから、鼻腔内腫瘍、鼻の悪性リンパ腫の転機についても可能な限り詳細に記した。
目に見える病気はつらい。これからどうなるんだろう、最後はどうなるんだろう。調べてもわからなかった。
もちろん、早期から悪液質になり、眠るように息を引き取る子もいるとは思う。
ただ、私にはそういう例が見つけられなかった。
ペットロスに関しても、亡くなる前の方がキツかった。
対処法を調べても亡くなったあとのことばかりで、毎日毎分生きてるか不安に思いながら涙する感情に対処する方法は見つからなかった。
結論から言うと、どうにもならない。だからどこにも書いていないのかもしれない。
とりあえずいつでも仕事をやめられるように貯蓄に励むといいと思う。かけられる人は不労保険とかもかけたらいいんじゃないかな。
自分に関して言えば、家で付き添うようになってからの方が不安は少なかった。
4日間の入院で15万円ほどかかった。
薬代が月に1.5万円~3.5万円。
CTが4万円。
もっともこれはミニマムな治療だった。良心的な動物病院だった。
抗がん剤を使っていたら、入院が長期に渡っていたら、考えるとキリがない。
これはもう、べきとか、なるべくとかではなく、事実として。
最低賃金上がればいいのに。
いつかどこかの誰かと猫の、役に立ちますように。
「twitterで感想を見かけたよ」と友達が教えてくれたので、検索して全部読んだ。
自己満足と、もし検索に引っかかればって気持ちで書いた乱文に、たくさんの言葉をありがとう。とてもうれしかった。
今でも歩いている時に何の前触れもなく涙が出たりするけれど、愛の量だと思ってる。
安心してるんだ。もう苦しんでいないって。
でも、私の帰りを待っていることはないって、それがどうしようもなく悲しいんだ。
話が複雑になるので詳細は省いたけれど、妹猫の話を少ししようと思う。
今回記事に書いたメインクーンが超絶寂しがり屋で、一頭飼いしてたら精神的におかしくなってしまったので、保護猫だった年上の女の子に来てもらったのが最初(便宜上姉猫)。
姉猫は10歳で先立ってしまった。その時も色々あったけれど、今回は触れない。
姉猫が亡くなってしばらくはメインクーン一頭飼いだったけど、やっぱり寂しかったみたいで、妹猫に来てもらった。
飼いたくてメインクーンを選んだけれど、飼ってみたらあんまりに愛しくて、猫のことを色々調べるようになって、保護猫問題やペットショップの不適切販売を知ったんだよね。
私は安易に猫を飼いはじめてしまったけれど、だからこそ2匹目は保護猫って決めてた。
妹猫は兄としてメインクーンを慕ってくれて、本当に仲が良くて、その姿は癒やしだった。
その時に弟猫だったメインクーンは、兄猫になったんだ。
妹猫は寂しそうだし、悲しそうにしてる。人間と同じように、悲しみを抱いて生きてくんだと思う。
「別れがつらいから二度と飼えない」って人に伝えたいことがあるんだ。
姉猫が逝った時、もういいかなって私も思った。兄猫が寂しがらなかったら、妹猫は来てなかった。
それは、亡くなったあとも、思い出が増えていくってこと。
妹猫を見て、姉猫はああだったな、こうだったな、って思い出すことが増えた。
最初はちょっとつらかったり、姉猫と妹猫を比べるようで申し訳なくなったりしたんだけど、すぐに違うなって気付いた。
妹猫を通じて、姉猫の思い出がどんどんやさしいものに変わっていった。当たり前だった記憶のひとつひとつが、キラキラ色づくようだった。
亡くなったあとも姉猫を愛しく思う気持ちはずっと続いていた。
兄猫がさみしがらなければ、妹猫が来てくれなければ、知らなかったこと。
きっとこれは、新しい子を迎えるつもりはなかったのに迎えることになったから気付けたことだったので、共有しとく。
別れはつらいけれど、悲しいし寂しいけれど、次の出会いを恐れる必要はないと思うよ。
いつかあなたが、愛し愛される家族とまた暮らすことができますように。
世界一をひとつしか持っちゃいけないって誰が決めたんだ。少なくとも私の辞書にはないな。
生きててくれるだけでよかった。逝ってしまっても愛してる。
あとな、創作って言ってた人な。
創作だったらいいな。
そしたらきっと今頃、どの子もうちで伸び伸び寝てて、パソコンに向かってる私のところに兄猫あたりが飛び込んでくる。
ずっとずっと愛してるよ。
ところでなんで増田なのか(あとでぐぐっとく)
気持ちの整理を付けたいので、書く。
私が昨日猫を殺した話だ。先に書いておくけれど、この話は100%フィクションだから、現実味は薄い。
私の足では、学校への最寄り駅から教室まで、だいたい15分くらいかかる。その15分の中のだいたい半分ぐらいまで、私はいつもと変わらずドラマCDを聞きながら歩いていた。長い下り坂が続く道で、その下り坂というのも緩急がついているから、ある程度まで歩くと下の方の道路が微妙に見切れて見える。そこに、なにかがじたばたしているのが見えた。いや、私は猫を飼っているから、学校の近くには地域猫がたくさんいるから、それがなんだか分かっている。猫だ。猫が、なぜだか道路でじたばたと暴れているのだった。
どきっとした。怖かった。だが、私は目を逸らさずに近づいた。近づくと、やはり猫がじたばたしていた。
私は最初、発情期の猫かなにかかと思っていた。狭い道路の真ん中にいるのでは危ないから、どけてやろうと思っていた。だが、違った。道路には血が落ちていて、猫が轢かれたのだとは容易に分かった。
そこにいたのは私だけではなかった。同じ学校の生徒も、近くの中学の生徒も歩いていた。だが、誰一人として、目を向けても、近づかなかった。触りもしなかった。私も同じだった。どうしたらいいのか分からなくて、怖くなって、その場にいるしかなかった。
この時、私は、誰か別の行動できる人が来て、誰かが助けてくれることを期待していたのだ。自分が動けばよかったのに、何をしたらいいのか分からない、助けたとして後から困るのは嫌だ、あるいは面倒くさい、そういう気持ちが、私の足を止めていたのだ。
そこに、過去同じクラスだった人達が来た。彼女らの名前は覚えていなかったが、誰かが来たことで私は安心していた。責任が私だけのものでは無くなったからだ。
近くの家の人にダンボールを貰ってその猫を入れた。もうぴくりともしなくなったその猫を抱き上げると、地面に付いていた側の身体は血でびっしゃりと濡れていた。結局、誰か脈を取れる人にとってもらい、それから対応を考えようということになり、生物の先生を呼んだ。
分かっていたのだが、やはり猫は死んでいた。呼吸をしていなかったし、心臓も動いていなかった。私はそれを確認していたが、最後の望みにかけた。
分かっていた。多分、その猫はほぼ即死だったのだと。動けたうちにどうにかしたとしても、もうほぼ助からなかっただろうと。それでもやはり思ってしまう。私が立ちすくんでいた数分間、その間になにか出来たのではないか。タクシーを拾って近くの動物病院に行って、そこにいる人に頼めばどうにかできたのではないか。いや、何かできたはずだ。それを私は、怠慢で、一つの命を見殺しにしたのだ。
気持ちはとても分かる
私が今2代目の猫を飼っているのは、猫と暮らしたい気持ちが悲しみの思い出を上回ったからで
ある意味、未来の自分を犠牲にして今の自分を楽にしてやった、と言えるかもしれない
猫に対してどうだかは計り知れないが、少なくとも未来の自分に対しては不誠実な行為だろう
それはそうと、昔、家族で初代の猫を迎え入れたとき、私が嬉し泣きするほど喜ぶのを見て
「こんなに喜んでいると、猫が死ぬ時のことが心配だ」と母が言っていたのを思い出した
初代猫は中々に長生きをして、看取る時には私は一人になっていた
もちろんその時はとても悲しくて、何度も動物病院に行ったり心配したりした辛さも覚えているし
猫が亡くなった日の夕飯に食べたものも覚えている
それでも、あの辛さを味わわないために初代猫と出会わないなんていう人生は、絶対に送りたくなかった
だからもし時間をさかのぼってメッセージが送れるなら、あの時の母に「それは気にしなくて良い」と伝えたい
そらね、よそ様の患者さんだとしてもさ、犬が具合悪いなら診ますよ。仕事だし、犬がかわいそうだし。
でもさ、慢性疾患持ちで高齢で具合悪いくせにさ、ろくに検査もさせないならやれることには限度があるんだよ。
俺が必要だって言った検査を全てはやらないって言っておきながら、夜に急変したらどうしたらいいんですか、とか知らんがな。だったら検査しろよ。
っていうかさ、お前がかかってる動物病院の院長はいつも無礼なんだよ。知り合いでもなんでもない。
どこだって休診日あるんだから、その辺は根回しして持ちつ持たれつやるもんなんだよ。休診日の対応も含めたかかりつけとしての機能を果たしていないその動物病院を信頼してるなら、俺にぐちぐち言ってないでそこに言えよ。
あんたが俺たちを信頼してくれて、しっかり金も払うなら一見さんお断りなんてことはしないよ。全力を尽くすよ。
既に先住猫(メス・避妊済み)を飼っているのだが、最近、ウチに出入りするようになった野良猫(メス・6か月くらい?)を保護しようと考えている。
それなりに関係性も築けて、敵意剥き出しであった先住猫も「まぁ仕方ないか」的な感じになりつつあるので、
そろそろ家族として迎え入れたいと思い、動物病院に捕獲機を借りに行った。
懸念点は、先住猫への病気感染の予防と、今回保護する猫の妊娠の可能性(ここ数日、乳首が肥大化していた)だった。
野良に子供が宿っていた場合はウチでは保護すること自体が難しい。とりあえず捕獲してから検査しようかなという心積もりだった。
しかし、獣医師が言うには、感染検査もエコー検査も容易ではなく、(妊娠していて)保護する場合
「産ませるか」「避妊手術とともに赤ちゃんも殺すか」が合理的な二択で、或いは保護自体しないかの選択肢を含めての三択であるという話(大意)だった。
実務的にどういう処理をするのかを詳しく聞いた。話自体はゴモットモで納得したが、想定外だったので混乱した。
現実的に人間が対処できない繁殖能力。それに伴う人間社会への害悪。野良の過酷で短い生を避ける為の完全室内飼い。
完全室内飼故に繁殖できないまま発情し続ける猫の心身の負担。そして人間への負担。分かる。その通りだ。だから現に先住猫は手術済み。
しかし、彼女のお腹を(毎日)見る度に少し胸が痛くなるのも事実。
生き物を飼うということは素朴に共存することではなく、「身体改造した=ペット化した」生き物を飼うことだと思った。
「共存するには現にその方法=避妊しか有り得ない」現実を以って「避妊は猫の為でもある」とは言えない。
人間の女性は、婦人病を忌避する為に乳房や子宮を摘出するなんてことはしない。
室外で生きていたら事故の可能性があるからと言って、妊婦の腹の中の子供を殺して子宮を取り外すことなんてしない。
たぶん、私は、数日内に野良の子を捕獲保護できた場合は、病院に連れて行くことになるだろう。
妊娠していた場合は、お腹の子供には死んでもらうことになると思う。それ以外に選択肢がないので
(避妊手術の末に野良に戻ってもらう選択肢も有り得るが、そもそも保護したいわけなので)。
しかし、私に関わらなければ、彼女は、野良として生は短く過酷な生き様であったとしても、子供を産んで育む生き方ができていたのかもしれない。
自分が選択することになる選択肢の意味が理解できておらず、何を選択してもそれぞれに後悔が伴う気がしている。
何について悩んでいるのかも分からない。ある種の生命倫理の分野に属する事柄だったとして、具体的な解決案が見つからない。
つらい。
4歳5kgの雄猫でそろそろおっさんなのに、毎晩俺の腹に抱かれてフミフミナメナメしないと気が済まない。季節に関係なく、俺の寝床=ぬっこの寝床。くそかわいい。5kgがベスト体重のでかいぬっこだ。
俺の理由で先月から仕事が忙しくなってきた為、普段より多めの餌を出していたのだが、ぬっこは馬鹿なのか半日分を一気食いしやがる。その後は吐くか、消化不良のくっさい下痢気味ウンコが残っている。
一度の餌の回数を減らしたらウンコも元気になり、消化不良も改善されたのだが、今度は空腹で吐く。
休日は俺と同じ時間に飯を食っているからいいが、夜遅くに帰ってきてゲロが待っていると気が重い。
2年前に同じような状況から自動給餌器も試してみたのだが、3日で破壊してしまったので買い替えも気が進まない。
とにかく食い意地が凄まじく、自動給餌器はぶっ倒して壊すわ、戸棚の隙間から手を差し込んで餌の袋に穴を開けて零すわ、帰宅したら戸棚が開けられて5kgのカリカリに頭突っ込んで食ってた時は写真撮ったりもした。
とにかく1日中くっついていたいらしく、オナニーも満足にできない。布団でエロ本を読んでいると耳や顔を舐めてくるのだけは本当に勘弁してくれ…。
無事にオナってそのまま寝ようとするタイミングでえづく音。フルチンのまま走って行って抱きかかえてフローリングに下ろして軽く背中を叩いたりすると綺麗な黄色のゲロを吐く。その後はケロッとしてる。最初は胃酸的なものを心配して水を飲ませていたのだが、最近は自分で口直しができるようになってくれた。寧ろ、吐いたあとに少し腹に入れるのが落ち着くようにも見える。
俺も割と胃腸弱くて吐きやすいから、気持ちはわからなくもない。だから、胃や食道や口内の負担が心配でもある。
遊ぶ時間が少ないのだろうか……多頭飼育も考えたが、保険・検診・いつかの葬式代・給料も考えると、俺か納得できる対応ができるのはおっさんぬっこだけだ。多頭飼育に興味がないわけではないが…
餌の量を少なくしたら、ぬっこが腹の減るタイミングが約2時間くらいのようで、その度に起こされている。(ドカ食いの過食ではとも不安になる)
動物病院からは食物繊維が多いとかいうクソ高い餌を進められたんだが、それはそれで物足りないのか催促がひどい。
ケージを買っても、俺が見えてると絶対暴れるだろうな…でかいし邪魔だし引越し準備中だし。
知人に「手放せば?」って言われたけど、そんなんじゃねえんだよ、俺はぬっこと暮らしたいんだ。
だけど、餌寄こせゲロとか、餌足りなかったゲロの片付けをして溜息吐いて、オナニーの時は邪険にしてしまうような俺が一緒で、ぬっこは幸せなんだろうか……
ぬっこは俺のトイレや風呂の時間が長いと、救出しようと扉をガリガリやるので束縛は激しいタイプだ
あちこちぶっ壊すが、俺の枕元にチュールを置いてくれたことが1回だけあったくらい、根はいいぬっこなんだ
それなのに、最近の俺にはなかなかきつい日が多い。
猫伝染生腹膜炎は詳細がわかっていない頃についた日本語名で、実際には伝染性はありません。
通常は無症状かあっても下痢程度の症状のコロナウィルスが猫の体内で何らかの原因により強毒株に変異することで発症すると考えられています。
子猫などの若齢での発症がほとんどですが、高齢猫でも罹患することがあります。
ただ、病態としては血管炎であり、その炎症を抑えるためにステロイド剤などの抗炎症薬を使用することで一時的に状態が改善します。
それもいずれ効かなくなりますが、一時的にでも症状が改善して元気な時間を持てるのは、猫にとっても飼い主さまにとっても有意義な時間になると信じて我々獣医師は治療薬を処方します。
その年齢まで大事にしてきた猫が具合が悪くなって、動物病院に連れて行って治療を継続しているあなたは間違いなく良い飼い主で、この子が幸せであることに間違いありません。
延命のためのみに生きるのが辛い状態をいたずらに引き延ばすのは良くないと思います。
しかし、例え完治しなくても、一時的だとしても良い状態を作ってあげられるのであれば対症治療にも意味があると思います。
ペットはもし長生きしても飼い主よりも先になくなります。一生を全てみとってあげられるということもペットを飼育する素晴らしさのひとつだと思います。