はてなキーワード: ニコニコ動画とは
まずはこれを見て欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=mLW35YMzELE&list=PL4fGSI1pDJn4-UIb6RKHdxam-oAUULIGB
YouTubeの人気曲トップ100だが、気づいたことがあるだろうか。
Creepy NutsやAdo、tuki.など、今流行りのアーティストのMVが並んでいるが、どれも歌詞、リリックがMVの中に効果的に配置されている。
あぁ、確かに見るよね。それがどうした?と思われるかもしれない。
しかし、我が国日本の音楽、J-POP最盛期と言われる90年代のMV(当時はPV)ではこのようなリリックが入ったものは見当たらなかった、少なくとも主流ではなかった。
これは、90年代に青春を過ごしたアラフォー以上の方には賛同いただける意見かと思う。
では、いつ頃からこのリリックビデオが日本で生まれ、普及したのだろうか。
インターネットの浅い海をざっと泳いでみると、ニコニコ動画のボカロ動画が起源であるとの意見が散見される。
たしかに、一般に普及したという意味ではそうかもしれない。しかし、「起源」という点において、私の感覚は違う。
ここで、ニコニコ動画やYouTubeが生まれる前、野良の動画クリエイター達は自分の作品をインターネットのどこで、どのように発表していたのか。
当時、日本のインターネット上でダントツで隆盛を誇っていたのが、ひろゆき率いる2ちゃんねる。
2002年、2chの数ある掲示板の中で、新たに出来たのが「FLASH・動画板」である。そう、「FLASH」だ。
当時の動画クリエイター達は自らのサイトでFLASH動画を作成し、2chの「FLASH・動画板」で互いに腕を競い合った。
https://dic.nicovideo.jp/a/flash%E9%BB%84%E9%87%91%E6%99%82%E4%BB%A3
FLASHは一大ムーブメントを迎えたが、2004年頃に急速に終焉を迎え、クリエイター達はニコニコ動画やYouTubeへと移っていった。
日本のインターネットにおける動画作成文化の起源はFLASHにあるといっても過言ではない。
ようやく本題に入ろう。勘のいい方は、もう気づいただろう。
2002年、「FLASH・動画板」の設立間もない頃、ある政治問題が話題となった。
北海道出身、御年76歳の現役国会議員、鈴木宗男が起こした汚職問題である。
詳細は以下のWikiを参照いただくとして、その中で大変キャッチーなワードが話題となった。
鈴木宗男が北方領土に建設した「ムネオハウス(日本人とロシア人の友好の家)」だ。
このワードにお祭り大好きな2ch住民が飛びつき、鈴木「ムネオ」と「ハウス」ミュージックを掛け合わせた「ムネオハウス」として様々な動画を作成した。
このムーブメントは当時アングラだったインターネットを飛び出し、一般社会にまで浸透する程、話題となった。
https://www.youtube.com/watch?v=rjZE6U9Ni0E
ムネオハウス関連動画は、主に鈴木や彼の秘書、ムルアカ氏の発言をサンプリングしPV風に作成されている。
そのため、(ネット回線の乏しさもあり)音質は悪く聞き取りにくいため、テロップを付ける必要がある。
動画はハウスミュージックをベースとしているので、テロップも自然と楽曲に乗せてリズムよく、時に演出として効果的に配置する流れが生まれた。
それまで、FLASHでNHK「みんなのうた」のように歌詞を単純に載せる動画は散見されたが、
リリックが演出として組み込まれ、インターネット上に広く浸透したのはムネオハウス関連動画の影響が大きい。
https://www.youtube.com/watch?v=ZKy-lTRvXhU
https://www.youtube.com/watch?v=gG4CdB0U7bc
https://www.nicovideo.jp/watch/sm4630571(9分9秒頃)
その後、FLASH動画板では、BUMP OF CHIKENの楽曲「K」や「ダンデライオン」など一般楽曲にリリックを演出的に載せた動画などが広く浸透していく。
そして、FLASHが廃れた後は、ニコニコ動画、YouTubeにその影響は受け継がれ、米津玄師やYOASOBIなどを輩出したボカロ楽曲において、
オタクになりたい!
オタクになりたいなと思う。ツイッターを見てても思うし、友達と話してる時でも。
まあ確かに、自分はオタクだとは思う。なぜなら二次元キャラを好きだしアイドルが好きな頃もあった。二次創作もしてるし...
何より、仕事とか恋愛とかそういう”普通の人”ができること、どんなものより志向が向いているものに対して、自分は全く向いていないから。
でも、しかし、中学生頃に抱えた気持ちがいまだに全く薄れず、二十近くなった今でもまだ私はオタクになりたいと思っている。
田舎の子供だった。小学校入学と同時に違う地域から引っ越してきて、保育園からそのまま持ち上がりのような形で小学に上がってきた同級生達にうっすら疎外感を感じたまま遊んだ。運よく虐められるとか小学校六年間ぼっちで終了とかはなかったけど、みんなのノリに無理やり合わせていたとかが正しい表現かもしれない。でかい道路沿いの、都会と田舎の中間のどちらかと言えば田舎寄りで、遊ぶところも大して無く、親は仕事で周りともノリが合わない。そんな(まあ、普通にぼっちだね)子供だったので、案の定インターネットにはまり込んだ。ちっさい白色のノーパソで初音ミクの消失を聴きまくった。本当に幼少期の記憶はYouTube、3DS、着せ替えゲーム、あとマジックキャッスル(ドットの方ね。懐かし!)とかしか思い出せない。で、順当に行けば普通にオタクになる。ゆっくり実況、音楽はボカロしか聞かない、パソコンのタイピングがなぜか比較的早い、絵を描くのが好きではあったので、コピックも買ってもらった。小学校高学年から中学にかけての私は、その趣味に、...
その自分に、オタクであることについて、誇りを持っていた。インターネットだけが居場所だったしアイデンティティだった。めちゃくちゃ孤立してたわけでもないのになんでだろうとも思うが、めちゃくちゃ孤立してたわけでもなかったから気づけなかったんだろうなとも思う。
で、オタクっていうのは、固まる。中学美術部女子が教室の奥の方で腐オタトークをするように、私にもオタクの友達ができた。そこら辺からか、だんだん気付き始める。
というのも、私は全くと言っていいほど、アニメも漫画も見ないのである。
幼少期からのめり込んだのはYouTube、唯一読んだことがあるのは日常とドラゴンボール、それだけだった。
アニメを観まくり、商業BLを読み漁り、これこそオタク、女オタクの教科書みたいなオタク友達と、趣味が合わなかった。シンプルに言うとただそれだけなんだけども、
私は自分がオタクではないという烙印を押されたような気分になった。今でもそう思っている。
だってオタクが観るのはYouTubeじゃなくてニコニコ動画で、深夜アニメは録画して全部観て、たくさんの漫画を読んでいてその話で他のオタクと盛り上がれる、それをオタクと言うんだから。(今はちょっと違うだろうと思う。自分のトラウマの話をしています)私はオタクじゃなかった。
それと同時にオタクのことも少しずつ嫌いになり始めた。私個人の僻みもあるだろうけど、私が好きなもののことを他のオタク友達に話すと酷いことを言われたり、(例えば私が昔から好きなボカロpの話をしたら「まだ好きなの?」って言われたり)同じグループを推してる友達に私の好きなアイドルを「でもダンス下手だよね」って言われたりした。(トラウマすぎて涙出てきたw)こんなことみんなは言われ慣れてるのかもしれないけど、私は自分の好きなものを面と向かって小馬鹿にされたのがかなりショックで、しかもそれをパンピーじゃなく、仲間だと思っていた同じオタクに言われたもんだから、裏切られたとかではなく、ああ、私オタクじゃないんだ、って思った。逆に全然オタクじゃない、パンピーの友達の方がひどいことも言わずによく聞いてくれたと思う。
そんな感じだったので、元々早口オタクの話を聞く側の人だった私は、ますます自分の好きなものの話を他人にするのが怖くなった。もう否定されたくなかった。自分自身のことを否定されるより自分が好きなもののことを否定される方がきつかった。
で、今。私は女オタクという括りになるんだろうけど、そういうオタクへの憧れは女オタクへの憧れに変わっていった。正直満足に女オタクできてるわけじゃない。というかできてない。
誰かとぬいを持ち寄って写真撮ったり、ヌン活したり、アクスタと飯を撮る、新調したネイルの画像をあげる。私は現代のオタクに必要な『グッズが欲しい』という欲さえ持ち合わせていない。貢ぎたい欲もない、タイムライン上で名前を呼び合ったり、一生誰かとスペースしてたり。私はそのどれもクリアできていない。オタクになれない、オタクできてない、オタクとして失格。私は、オタクとして、女オタクとしてのノルマを、何一つとしてクリア出来なかった。私は女オタクにもなれずに、当然パンピーにもなれない。
じゃあ私は何の人なんだろう。私は何に属している人なんだろう。私は誰の話もわからない。誰にも私の話をわかってもらえない。私もみんなみたいに、誰かと好きなものを分かち合ってみたかった。結局何かのコミュニティに属してみたかっただけ。私はずっとひとりぼっちで...
もう30歳になるのだが、女性声優に対してのガチ恋 (疑似恋愛) がやめられない。
最後に自分の周りにいる人を好きになったのが中学のときで、声優へのガチ恋が始まったのが高校時代なので、人生の半分近くまともな恋愛ができていないことになる。
なんとなくその恋愛遍歴 (?) を書きたくなったので書く。キモいな~と思いながら読んでもらえれば。
中学時代、ニコニコ動画の影響で少しずつオタク向けアニメを見るようになったのだが、高校に入ってからより一層のめり込むようになった。
高校ではあまり周りの女子と話す機会がなく、恋愛感情を抱くこともなかった。
かわりに、高校2年の頃に、自分の好きなアニメに出演していた声優Aさんのことを好きになった。初めてのガチ恋である。
Aさんは自分より7歳年上で、正直なところそんなに美人ではないのだが、声・歌声が異常なくらい可愛かった。正直今でもそう思う。
ただ、当時はアニメのイベントに参加できるような環境にはなく、ラジオを聞くような習慣もなかったため、そこまでドハマリするわけではなく、1年も経たないうちにこのガチ恋は終わった。
高2の終わり頃から高3の初め頃に自分の好きなアニメに出演しまくっていたBさんのことを好きになった。
若いのだが超演技派で、顔もそれなりに可愛かった。
また、当時もまだ声優ラジオを聞く習慣などはなかったのだが、Twitterなどでその本人の情報は入ってきており、どうやらオタク気質らしいということで性格面でも推せる、となった。
大学進学で上京し、イベントに参加できるようになったというのも大きいだろう。
金銭的な問題もあり、全てのイベントに参加できるというわけではなかったが、興味のあるイベントにときどき参加するようになった。
親元を離れて自由に生活できるようになり、よりのめり込んでいくことになる……と思ったのだが、あるとき、Cさんが現れた。
Bさんへの恋心が若干薄れてきていた大学2年生の頃、Bさんが出演するイベントにCさんがいた。
Cさんは同い年の声優で、そのイベントで美貌と圧倒的なトーク力を発揮していた。その姿に一目惚れしてしまったのだ。
Cさんはラジオ声優として人気があったこともあり、イベントで興味を持って声優ラジオを聴き始め、Cさんにどっぷりのめり込んで行くことになった。
また、当時自分の好きな作品に何本も出演していたというのもガチ恋を後押しすることになった。
これまでガチ恋相手がコロコロ変わっていたのでCさんへの想いも数年で終わるのだろうと考えていたのだが、気がつくとコロナがやってくる2020年頃までガチ恋し続けることになっていた。
一目惚れのきっかけになったイベントが2013年だったので、7年近くCさんへガチ恋していたことになる。
自分の興味のないコンテンツにCさんが積極的に関わるようになったことや、コロナでイベントがなくなったことが影響したのか、2020年頃にCさんへの興味が薄れていった。
代わりに2020年の終わり頃に自分の熱中していた作品に出演していたDさんにガチ恋した。
当時、Dさんはその作品の宣伝番組やライブに積極的に出演していて、その切り抜きなどを見るたびにその容姿や人柄に惹かれていった。
Dさんはアーティスト活動も積極的に行っており、ライブではかっこいいパフォーマンスを披露する一方で、MCでは可愛らしさや自身の弱さを見せてくれる。ズルじゃんそんなの。
しかしながら、この歳でガチ恋を拗らせるのはかなりキツく (年の差もあるし)、また、Dさん自身の活動に関しても色々思うところがあり、いい加減ガチ恋なんてやめてしまいたいと思っているのだが、まったくうまくいかない。
ラジオは聞くのをやめたし、参加するイベントも最小限に抑えている。
となると、マッチングアプリなどに手を出してみるべきだと思ったりもするが、別にDさん以外のそこら辺にいる女性と恋愛がしたいわけではないし、結婚願望もないのでなかなか気が進まない。
ワイはニコニコ動画見てないやで。
便利にするしようとするけど利益も追求しなきゃいけないからドンドン機能が劣化するよな
吉業重工が去年アトレakibaでイベントしてたなと思ったけど
Twitterから検索できなくてGoogleとかで"サイバーパンク 電脳 女性 ファッション"とか最初に入れて
そしてサイバーパンクのファッション記事さがしてブランド名と人の名前いれてやっと見つけだした
Googleが検索に対して対象企業に金払えば良いのかも知れんがそれは稼ぎ頭つぶしから無理そうだな
Instagramは検索が貧弱というかCMが多く見られるようなアルゴリズムになってしまってタダの日記帳に成り下がってるし
検索でいいなあと思えるのがニコニコ動画だったなと思ったのは俺が年寄りだからだな
機能の劣化が稼ぎに影響するってのは広告ビジネスの限界かも知れんがそんなにお金をポンポン出せないからなあ
ArchiveBoxを自前で用意してブックマークするように保存していかないと無理かな
アレを読んで、一番はじめに出てきた感想は「キショ〜」だったけれど、よく考えたら全然自分も同じだったので自戒の念を込めてここに。
推しになにか物申したくなった未来の自分、頼むから一旦これ読んでくれ。
彼は自分だ……と思った一番の要因は、推しに見えるところでやいやい言ってしまうところ、そしてそれが正しく、推しのためになると思っているところだ。
とあるニコ生主が好きだった。配信内の身内ノリが凄く楽しい人で、大百科には生配信でよく使われる語録が載っているような人だった。その身内ノリが面白くて、配信を毎日のように見るようになった。長時間配信もぶっ続けで見た。深夜3時に突発的に始まって朝7時に終わるような配信もリアタイした。コメントを沢山した。コメントもよく読む人だったから、読まれた。嬉しかった。
ある時期から、推しと少し知名度の高い配信者との絡みが増えた。同接は見始めた頃の10倍くらいになっていて、これからもっと人気になるんだろうなと思っていた。
ある日の配信で、推しが「語録」に新たな言葉を追加しようとしていた。そのとき、「これからきっと新規が増えていくのに、ただでさえ多い語録がさらに増えると新規が振り落とされるのでは?」と思ってしまった。その旨をコメントした。結局語録が増えて、次の配信で不満をコメントした。Twitterでも同じような内容をツイートした。
当時の自分はとにかく、その人にもっともっと人気になってほしかった。こんなに面白い人はいないと思っていたし、実際、今でも凄く面白い人だと思う。だから、新規獲得のチャンスを失ってほしくなかったのだ。
私はその身内ノリがきっかけでその人が好きになった。それなのに、そんなことはもうすっかり忘れて、「こんな身内ノリばかりの配信者は人気になれない」「自分のアドバイスを聞き入れないのは愚かだ」と思った。「だから人気になれないんだよ」と思った。
暫くは文句を言い続けていたけれど、最終的には特に大きな出来事や理由があったわけでもなく、なんとなくフェードアウトした。一方的にプロデューサー面したくせに、無責任な奴である。
恐ろしいのは、当時の自分はキショかったし愚かだと思うのに、未だに「この人もっとこうした方が伸びるのに」などと考えてしまうことである。
それを本人に伝えなくなったことは成長、と思いたいけれど、これは多くの配信者の活動の場がニコニコ動画からYouTubeやTwitchなどの別の媒体に移ったことに起因する匿名性の低下によって、伝える場がなくなっただけなのでは?とも思う。実際、匿名感の強いマシュマロなんかには厄介なメッセージを送りそうになることが割とある。勢いのままに書いた文章を送る寸前に見返して、なんでこんなの送ろうとしてるんだ……となって消す、みたいな。
そもそも、別に配信者に詳しいわけでも、伸びそうな人を見つける能力に長けているわけでもない自分が好きになる配信者は、自分が知った時点で十分有名な人たちなのだ。それなのに、何者でもない、なにも持っていない自分のような人間が、伸びるためのアドバイスをしている。まずこの構図がおかしい。既に伸びている人に伸びるにはこうした方が良い、と言っているのもおかしい。別にもっと有名になりたいと言っているわけでもない人に求められていないアドバイスをするのもおかしい。狂っている、全て。
自分はプロデューサーではない。コンサルでもない。ただのキショいオタクで、何者でもなくて、配信以外に生きる楽しみのないような人間で、ほとんど生ゴミ同然のくだらない、矮小な存在だ。それを自覚したい。自覚してほしい。
彼のnoteに、面白くないと思ったのは自分だけなのかと不安になった、というような記載があったけれど、これにも心当たりしかなかった。
様々な界隈で疎まれているであろう掲示板がある。その人が好きか嫌いか投票して、その理由を書き込める掲示板だ。
なにか思うことがあったとき、そこを見に行ってしまう癖がある。同じ意見の人を見つけたら、なんとなく安心してしまう。良いと思わなかった、好きじゃなかった、なんて一人で思っていればいいだけなのに、どうしてか、他の人もそう思ったよね?と確認したくなる。その掲示板は好きか嫌いか投票しないと閲覧できないので、申し訳程度に好きに投票して、目当ての悪口を探している。
不健全だと思う。誰の同意も得られなくたって構わないはずなのに。自分だけだったとしても、困ることなんてないのに。
どうしてこんなことをしてしまうのかと考えた結果、友達がいないから、という結論に辿り着いた。
友達がいない。誇張なく、本当にいない。ネット上にもいない。完全に0人だ。
友達がいないので分からないけれど、友達がいる人は、推しに対して感じた違和感や不満、愚痴を友達と話しているのではないだろうか。そして自分には友達がいないので、友達の代わりに、掃き溜めのような掲示板を見ているのではないか。
友達がいないので、趣味のことを母親に話している。ゲームになんて一切興味がない母親に、新作ゲームがどうだとか、あの人の実況が面白かったとか、このゲームがアニメになるんだとか、そんな話をしている。母親は当然興味も知識もないけれど、一人も友達がいないことを知っているので、「ふーん」とか「すごいね」とか言ってくれる。でも、母親からは同意が得られない。だから、掲示板を見ている。
言葉にすると気持ち悪すぎる、なんなんだこの怪物。因みに彼と違って自分は20を超えている。彼のように魅力的な文章も書けない。彼にはなんだかんだX上にお友達がいたようだけれど、それもいない。マジで救いようがない。凄い。当たり前のように見た目もゴミチー牛だし。
とにかく、すぐ同意見の人を見つけようとするのは絶対にやめた方が良い。特にネガティブな話の場合は。
そういえば、昔アイドルのオタクをしていたとき、めちゃくちゃ現場に通っていたけれど誰とも話したことがなかった中、珍しく話しかけてくれた綺麗なお姉さま方がいた。その方々がイベントの楽しい思い出を話しているとき、「でも〇〇が微妙でしたよね〜この前も〇〇だったし、事務所どうにかしてほしいです」と言って場を凍らせたことがある。こういう空気の読めない発言やノンデリ発言で定期的にやらかす。シンプルに性格が終わっているというのもあるけれど、「会話」というマルチタスクができないのも原因だと思っている。
会話は、①自分が話すことを考える、②自分で話す、③相手の話を聞く、④相手の話にリアクションする、のマルチタスクだが、これができない。特に③や④の状態から突然②になったときに①が間に合わず失敗するケースが多い気がする。これ、普通の人たちはどうやってるんだろう。今後も出来るようになる気配がないので、日常生活全てに台本が欲しい、そしたら頑張って覚えるので。
■ お前はゴミ
嫁と子どもを連れて実家に帰るのだが、うちの子どもは(私の)兄の部屋によく行く。漫画が目当てだ。
兄は実家暮らしであり、子ども時代から同じ部屋を使い続けている。部屋には漫画がたくさんある。
子がどんな漫画を読んでいるかはわからなかったが、正月にそれを確かめることになった。
うちの子ども(小学校の中学年)が兄の部屋から、ストーブのある居間へと漫画を持ち帰って読んでいたのだ。
『聖闘士星矢』だった。よりにもよって。
当方、暴力的なコンテンツが嫌いである。単純にグロ耐性がないのもあるが、今の時代は暴力的なコンテンツを子どもに見せたくないのもある。子どもに買い与える漫画やアニメも選んできたつもりだ。
ニチアサだと、プリキュアは見せているが、仮面ライダーは見せていない。仮面ライダーの時間はニュース番組に切り替える。
いま子どもが読んでるのは、わりと序盤の方だった。自分が小学生の頃、二~三巻のあたりだったか、けっこうバトルが盛り上がっている中、戦闘シーンがいっぱいあって、その中で……ウルフの那智が鳳凰幻魔拳で五体バラバラになってしまうシーンとか、内臓や首の切断面などの絵に、「うぇっ…」となって吐いてしまった。
今、うちの子どもが読んでる本は、まさに当時、小学生の頃の自分が手に取っていた巻だった。
その場ですぐ、子に伝えたよ。「その巻を読んだら終わりにしなさい。その漫画はね、将来のあなたにとって毒になるんだよ。後悔するよ」って。
子はブスッとした様子だったけど、「もう二度とここに来ないよ」と伝えると、しぶしぶな様子だった。聞いたところ、兄がこの本を勧めたようだった。しかも、もう全巻の半分以上を読んでいるらしい。
その場(居間)にいた兄をにらみつけると、目が泳いでいた。今の時代、(80年代の)聖闘士星矢が有害なコンテンツであることをわかっているみたいだった。「兄さん。一応は社会福祉の仕事をしてるんだろ。こんな暴力的なものを子供に推奨して、それでいいと思ってるの」って、夜にあった飲みの場で、オブラートに包まないで伝えたよ。
妻の方は、特にコメントはないようだった。私の味方をするわけでもなく、兄の味方をするわけでもない。当たり障りのないことをずっと言っていた。「漫画くらい自由に……」とはいうが、これは教育上の重大な問題である。
それで思い出した。以前、うちの子と同じ小学校の子が遊びに来てる時、子がこんなことを叫んでいた。
「ガキどもよ。お前たちに今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」
みたいな寸劇をやってるのを思い出した。当時は「そんな漫画が流行ってるのかな……」と思っていたが、今思えば、あれは間違いなく、おとめ座(ヴァルゴ)のシャカの必殺技だった。
いや、悪い描写ばかりじゃないのはわかってる。星矢にはギャグもバトルも熱血もあって、当時は割と楽しく読んでたかな。うろ覚えだけど。
でも、小学生の頃の自分はたしか、10巻のあたりでギブアップしたんだった。みずがめ座(アクエリアス)のカミュと、キグナス氷河が師弟で決着をつけるシーンがあった。心が繋がった師弟同士で殺し合いをして、最後は両方とも相打ちで死んでしまうんだよな。その直後に読むのをやめた。
当時の俺は泣いた。なんでこんなことになるんだって。作者は鬼ではないかと感じた。展開があまりに鬼畜すぎる。それ以来、聖闘士星矢は読んでいない。本屋とかインターネットでチラッと見ることはあったが、それくらいだった。
今の時代って、昔に比べれば人権が尊重される時代だろう。だったら、これからの時代に適合できるように、子どもにはそういう書籍を読ませたい。人生の奴に立つ必読本を読んでもらいたい。
具体的には、子が中学生~高校生くらいになったら、「二コマコス倫理学」「論語」「完全なる経営」「道は開ける」「現代政治の思想と行動」「百年の孤独」「わたしを離さないで」「枯木灘」といった名著を読ませたい。
漫画だったら、「火の鳥」とか「プラネテス」とか「家栽の人」などを推奨する。現在進行形だったら、「君たちはどう生きるか」を読ませてる。
あと、これは少し前なのだが、息子が私のパソコンで、ニコニコ動画で高橋邦子のゲーム作品を見ているのを確かめた後は、ブラウザの接続設定をいじってログインできないようにした。高橋邦子の作品群は、基本的に反人権である。現代社会に生きる子どもに見せたくない。
そりゃあさ、あれらは高橋邦子が中学生~高校生くらいの時に作った作品だから、アンチヒューマニズム的な作風になるのはしょうがないかもしれないが、あの人はもう50代が近いわけだろう。きっと今では、ヒューマニズムに溢れた作品を創造してるよ。あの人なら。たぶん。
時代にあった漫画作品というのがあると思う。聖闘士星矢は、自分が生まれる前の作品である。
あの時代だと、世間の往来では暴力を行使するのが当たり前だったという。口汚い言葉はもちろんだし、性風俗も今よりヤバかったと聞く。そんな殺伐とした時代なら、ああいう作品が流行るのもわかる。
しかし、今は人権と多様性の時代である。暴力的なコンテンツは流行らない。存在自体が許されなくなる時代もやってくるだろう。コンビニエンスストアに、エロ漫画とか反社系の雑誌が置けなくなっているみたいに。
しかし、悩むところではある。世の中には、今でも暴力性のある行為をする連中がいる。そんな連中への耐性がゼロなのはまずい。
一つ目だが、子どもがまだ小学校に入る前に、南武線か中央線のどちらかに乗っていた。その車両では、3人の半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていたのだ。お酒も飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車である。
あまりにうるさかった。自分達のほかに乗っていた乗客も彼らを気にしている様子だった。そしてある時だった、半グレどもの1人が、「やってやる、あいつは○す!」と大声を出したところで、車両を移ろうかと思った。が、必然的に半グレ達の前を通ることになる。
迷っていると、付近に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、別の車両の方に歩いて行った。その人は、私やほかの乗客に視線で合図を送っていた。「この車両は離れた方がいい」というメッセージだった。そして、多くの人は別の車両に移っていったのだが……。
いつの間にか、半グレ風の男の1人と、スーツ姿の男性がにらみ合いになっていた。視線をバチバチとやりあっていたが、やがて半グレは元の席に帰って行った。だが、そいつは、スーツ姿の男性が座っていた席に向かって痰唾を吐き出したのだ。何度も。
私は勇気ある彼のところを通り過ぎる時、「ありがとうございました」と伝えた。子どもは何もわかってない様子だったが、それでも会釈をさせた。
二つ目だが、私がまだ学生の頃、新宿で一番大きいクラブ(踊る方)で学生仲間と楽しんでいると、ガラの悪そうな人たちが来て、仲間の1人を無理やりにステージ付近まで連れていったのだ。一体、何が起きているかわからなかった。その人たちは、ステージの上まで仲間を引きずっていくと……クラブの客が見ている前で、堂々とリンチを始めた。殴ったり蹴ったりしていた。
「やばい!」と思って、クラブにいたスタッフに声をかけたが、見て見ぬふりだった。入口付近にいた馴染みの警備スタッフに声をかけて助けを求めると、こんなことを言ってた。
「あの連中は、やめとけ。お前らの父ちゃんが言っても聞かねえぞ。慶應のボンボン学生にはいい勉強だったな。わからないけど、悪いことしたんだろ?」
といった返答で、とにかく助ける気がないのはわかった。
※その学生仲間は、女癖が確かに悪かった。相当悪かったよ。でも、ここまですることはないだろうと思った。あの時、私にもっと勇気があれば、外に出て警察を呼べたのかもしれない。
東京都内ですらこういうことがあるのだから、ある程度は暴力性にも慣れさせた方がいいのかもしれない。だがしかし、漫画やアニメに影響されて、人権感覚を無くしてもらっては困る。難しいところだ。
いやぁ?それもオタクなんじゃねぇの?って思う。
とりあえず論点が2箇所あったので分けてみるけど。
これは正直10年前からその論調はあって、その先鋒はそういったライトオタクを毛嫌いするヤマカンだった気がする。
とにかく、この論調は見覚えがあって、そんなコア層10%も居ないんじゃないかって思える。
で、別にオタクであってもコンテンツを楽しめなくなるもアレばグッズに執着を持っていたけど突如失うなんて普通にあるだろって感じ。
ハルヒ辺りのニコニコ動画から入った自分を含めたライト層なんてもういい歳なのよ。
手当たり次第にグッズを集めていた学生も今やそれなりな役職につける年齢で賢くなってる訳で。
そうなると声優なら結婚で下火になるようなブームの終わり、ゲームならサ終、続編のでないアニメとかも経験する。
すると金を持って賢くなったオタクは希少価値の高い=値付けが出来るようなモノを集めるようになるのも理解できる。
ほんで、恐らくそれってレトロゲームマニアとかもそんな感じじゃなかったっけ?と思ったりする。
ちなみにこれはアニメゲーム声優オタクだけでなくて、恐らくそれ以上に知識や経験がモノを言うような
鉄道や虫なんかの非二次元コンテンツ系オタクのかなりディープな友人が居るが彼もまたヤフオクで買ったりしていて
模型なんかは収集家が鬼籍に入られてここで落とされなければゴミとして捨てられるものをまとめて買ったり…
とにかく価値を見出して売買する事を厭わない。むしろ、彼こそが本当のオタクではと思ったりもする。
当然、逆にスペースがなくなり売ったりして手放しているので…話を戻すとそんな彼がオタクでなければなんなのだ…
という具合にもなる。