はてなキーワード: チンドン屋とは
ブサイクだけど肌だけはまあまあ綺麗だったのであまり気を遣ったことはなかったんだけど、年を取るにつれてしみも増えて肌もアカンようになってきたのでメイクとやらをするようになった。
成人式のときにチンドン屋みたいなメイクをされて以来、チークやらリップやらを塗ると「ブサイクは何やっても無駄!無理!お前は滑稽なブサイクにしかなれない!諦めろ!」と脳内の自分が罵倒してきて泣いてしまうので、怖くて色は乗せられないし、厚塗りも無理。
せめて電車で隣に座ってしまった人が「ウワッキモッ」て思わないような顔にしたくて試行錯誤している。
メイクし始めてわかったんだけど、ベースメイクと眉毛だけだと顔が真っ白というかのっぺらぼうになるんだね。
ちょっとだけでもチーク乗せて目の周りにもなんか色付けないとダメなんだなあ。
それにしたって成人式のときにチンドン屋みたいな塗り方したあのオバチャンはどうかと思うけど。
いや、こっちの素体が悪すぎてどうやってもチンドン屋になってしまったのかもしれない、ブサイクな私が悪い。
この間初めてクッションファンデというものを知って試してみたらすごく良くてビックリした。
これ付けて上からおしろいパウダーというのを付ければ良さげになるのでは。
フィットネスバイク(エアロバイク?)、室内でチャリ漕ぐやつ。
購入してから3週間ほど経つが、脚・お尻・腰まわりが引き締まる、背筋が伸びるなど早くも身体に変化が訪れた。
増田はリモートでほぼ家にいるのだが、最近顕著に身体の衰えを感じていた上、集中力・持続力の低下など仕事の生産性にも影響が出始めていたので、これはいよいよ何とかせんといかんと行動をおこした次第。
ちなみに、これまでウォーキングやランニング、筋トレなど、何度かワークアウトの実践を試みたが、その度に三日坊主で終了していた。
なので今回、フィットネスバイクを購入するのは正直かなりためらった。
使わなくなれば、お金は無駄だし処分も大変そうだから。(ちょっと前に不用品処分はジモティーが良いとのエントリーを見たが)
しかしだ。
これは久々に買ってよかったもの上位に入るかもしれない。
Amazon タイムセールで2万くらいだったものだが、必要最低限のスペックは満たしている気がする。
(変なものは買いたくなかったのでざっと見で調べたところ、アルインコというメーカーが良さげだったのでそれにした)
何が良いか。それは動画を見ながらワークアウトを実践できること。
「何だそんなこと」と思うかもしれない。
しかし、これは最近気付いたことだが、動画を見る(報酬)とワークアウト(苦行)が直結してる故、ワークアウトを始めるに至る「最初の心理的ハードルが極めて低くなること」は、予想の範疇を超えてかなり良かった。
これまで散々挫折してきた経緯を振り返ると、「家を出るのがダルい」「着替えるのが面倒」「しんどいことシタクナイ」など、ワークアウトを開始するまでに幾多のハードルをまず乗り越える必要があることが、挫折要因として最も大きいと感じた。
さらに、やっとやる気が出てきても雨だったりすると中止 → そのまま運動習慣を作ろうとしていたことすら忘れるという始末。
ところが現在は、そのままの格好で「さてー動画見れるぞー」という心持ちから運動をスタートできる、つまり最初の心理的ハードルがほぼ皆無になるのである。
さらにここに身体の変化が起こってると、それも新たなモチベーション(報酬)となり、回を重ねるごとにハードルは下がり、むしろ報酬が上がるという、これまで経験したことのない正のスパイラルが発動する。
これを1ヶ月も満たない期間で得られるのは、ちょっと他には無いんでないか。
最近は上半身が手持ち無沙汰なので、ラバー製のエキスパンダーをビヨンビヨンさせながらペダルを漕ぐというチンドン屋さんのような様相で他人には見られたくない光景だが、もはやワークアウト(動画タイム)が待ち遠しい有り様で、それどころかちょっと休息日が必要なのではというレベルでつ。
さらにこれまでは、(あまり言いたくないが)面倒でシャワーを浴びない日があったが、現在は30分動画を見れば汗ボッタボタになるので、そのままシャワーへ直行と、以前よりも清潔でつ。
季節・天候の影響を受けず、ジムのように毎月課金の必要もなく、ウェアを揃える必要もなく、2万買い切りでこのリターンはお得だったよ、というお話でした。
「生きてるだけでみんな偉い」みたいなみつをだかみつるの亜流みたいな投稿をバズ狙いで繰り返す者が居り、それにいちいち信者みたいなフォロワーが「首がモゲるほど」同意を表明するみたいな予定調和的なかったるいやりとりはよく見るし、唾棄したくなる。いちいち水を差さないのは水をさすべきでないからではなく関わっても仕方ないからというだけだ。リアル知り合いがその手の拡散リツイートしてた時には何やってんのお前とは言ったことがある。
ところでしかしやす子は100%の本気でそういう説教臭いバズツイートするタイプではない。実はアレでけっこう尖ったセンス系芸人なのだ。半分素のまま・半分シャレでステレオタイプな純真・善人キャラに沿った行動してたら留保無しにそういうキャラ消費されるようになって売れたので、それもまた面白いかと自分からステレオタイプに合わせに行ってるフシがある。
気持ち悪い共感の押し売り系ツイートに対する本気の唾棄の部分と、やす子があえてやってる部分も理解した上での身も蓋もないツッコミを合わせたものとして、フワちゃんのアレは別に意外性はない。
でもすぐにあっこれはダメだと思っただろう。「いい人がいいことを言ったら、悪い人が気に食わなくて罵倒した」という平板な文脈でしか受け取られないと。
DT浜田が大物タレント相手に「死ねばいいのに」といった身も蓋もない暴言ツッコミを発するときは、それが字面通りの本気の自殺教唆ではないんですよという事前の地均しがある。そういうわかりやすい説明を省いてしまったという意味での「これはダメだ」である。
浜田のそれも字面だけで本気の自殺教唆だと受け取る、あるいは受け取りたがる人が少なくない昨今である。
空気を読めないのは正義!みたいな連中こそ異論の存在すら認めない同調圧力でギチギチなんだけどな。
まあ世間的にはフワちゃんは単なる悪者で、アレは裏アカの切り替えミスだという平板極まりない話としてのみ受け取られるのだろう。
消えるのかな。フワちゃんが消えるのは別にどうとも思わないが、そうなると一番損をするのは単なる善人で被害者という役柄を着せられるやす子である。
今後は一層、面白くもなんともない善人キャラとして消費され、やす子も早晩消えていくだろう。
タイマン森本とか見てみるといい。面白いし単なる善人じゃないから。
とりあえず純真天然バカキャラみたいなオファーに応じて足場を築いておいてそこから本当のいかれた味を出していく、ゆりやんみたいな感じで行けたらいいんだけどな。
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「いい子だし腐った芸能界に流されない気骨の人」みたいな勝手な思い入れで持ち上げる、こういうの↓に潰されるんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240806022152
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自分がなりゆきを案じるのはやす子の方だけでフワちゃんがどういう扱い受けても別に…というのは既述の通りだが
フワちゃんを全力非難する側はふだんあの程度の悪罵はあたりまえにやってたり攻撃的発言用に裏アカ持ってたりするタイプも多いんだろうなとは思う。
フワちゃんはなんかポリコレづいたイメージもあったからざまあみろって思うやつもおおいだろうしな
(ちょっと前にはフワちゃんが「気骨の人」キャラで持ち上げられてたのである。正義の人たちは飽きっぽい)
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「『きれいごとを言うのはつまらない、人前で死ねとかホンネをぶちまけるのがセンスいい』と言い張る、頭の古い人たちがいるんだよね!」みたいな単純な捉え方をしてる人はフワちゃんを許さないだろう。
でもそんな主張は元々ない。何のひねりもないただ単なる罵倒やいじめがかつては商売になったというのはフィクションだ。そしてそういう悪しきお笑いに対抗する「人を傷つけないお笑い」という光の勢力が台頭してるというのもフィクションである。そんなものを目指してる芸人はいない。
お笑いというのはバカにはわからないものだ。エンタの五味プロデューサーの非凡さは「全部わからなくてもいい、ふんいきで誰でも楽しくなれるのがいい」と、チンドン屋みたいなプリミティブな芸能の要素を復活させて見せたところにある。
その一方でお笑いはより精緻化している。M1なんか「ながら見」では何一つ面白さがわからない。
そして「善悪」というのは人間にとってもっとも原始的な大ナタである。
「やす子は正しいから好き」という解像度で世界が見えている野蛮人に、千万言かけても何かを伝えられる気がしない。
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「バカにはわからない」とかに反応したらしく「自分だけがわかってるというのか!」と反感を剥き出しにする人はいるが、そのなかに反論として見るべきものは皆無。「だったら〜〜するはずだろ!」←いまおんもでバタバタしてもロクなことないくらいの状況判断できないわけないだろ
「お笑いはイジメの商業化! でも◯◯さんだけは人を傷つけない笑い!」みたいなヒステリックなの、どうやったらブレーキかかるんだろうな
「丙午年生まれの女性は、気性が荒く激しくなり、夫の命を縮めてしまう」という迷信があって、実際に前回の1966年(昭和41年)の出生率は前年比で約25%も下がっています。
昭和40年出生数182万 → 昭和41年出生数137万 → 昭和42年出生数194万という推移で、特に田舎の農村部で妊娠中絶が繰り返されました。
2026年においても、この迷信を信じて妊娠を避けようと考える者が出てくることがすでに懸念されており、少子化にさらに拍車をかける年になると思われています。
これだけ科学が発達した現代においても、オカルトや占いの類いの人気は衰えることを知らず、むしろ不安を煽るものはSNSのせいで拡散されやすくなってしまった時代だと思います。
そこで、この馬鹿馬鹿しい迷信を逆に利用することで、出生率を前年比より上げることを目指したムーブメントを、今のうちから作りましょうという提案をします。
ムーブメントの中心はSNSから、フェミニストの方たちに率先して動いてもらいたいと考えています。
丙午の迷信はつまるところ、「男性支配に縛られることのない、強い女性が誕生しやすい年」であると言い換えることができます。
これからやってくる女性の時代の幕開けに向けて、相応しい女性の誕生を望める年だとして、潜在的に占い等を信じてしまいがちな人たちの背中を押してあげることで出生率のブーストを図ります。
しかし、これだけでは迷信に迷信をぶつけるだけになってしまうので、あえてこういう意図でやっていますということを同時に大っぴらに説明していきます。
科学的ではない迷信に囚われることの愚かさを同時に語ることで、カウンターとしてのこの運動に意義を持たせ、本来オカルトを嫌う理知的な人たちをも巻き込んでいきます。
そうすることで、逆にあえて2026年の丙午の年に子供を産むこと=オカルトを信じない科学的思考のできる人間、であることを内外にアピールできる絶好の機会として、SNSで大々的にキャンペーンを打ち出します。
ただし、これだけでは出生率の降下を止められないでしょう。
なので、さらなるブーストのために、丙午の迷信を利用し尽くします。
まず、その迷信にあえて乗っかり、男児ではなく女児を産むことを暗黙の目標として掲げます。
べつに男児でも当然良いのですが、これをあえてすることで、韓国系のラディカルフェミニストというチンドン屋を引き寄せることができ、爆発的にSNSでキャンペーンを拡散させることを狙います。
過激な発言も増えることは必至ですが、悪名は無名に勝るという清濁併せ呑む考えの基、国内のフェミニストもここは大いに議論を盛り上げていくべきです。
議論の内容はともかく、重要なのは、これからやってくる女性の時代の始まり、そのファーストイヤーとなる2026年に子供を産むことをトライする、という意識をSNSを通じて潜在的に人々に植え付けていくという目的です。
まず、男性よりも女性の方が占い系のオカルトに興味を寄せやすいという傾向は、事実はともかくとして、大体の人がある程度そう思われがちであることに納得するところだと思います。
これは逆に言えば、男性はあまりそういうのを信じる傾向にない、という意識を作りやすい状況にあると考えることができます。事実は置いておいて、です。
そこで、2026年にあえて子供を作ることは、迷信に惑わされない冷静で理知的な男性である、というイメージを作っていきます。
これを達成するのは容易ではありませんが、昨今の状況においては、とある属性を利用することで、これを比較的簡単に達成できる状況にあると言えるでしょう。
2026年に子供を作らない男性=子供を作る相手がいない男性⇒迷信に囚われた古い価値観のダサい男性、という文脈を根付かせることにより、独身や弱者男性と呼ばれる属性の人たちの意識をこちらに向けさせます。
当然、謂われのないレッテルを貼られるわけですから、反論してきますし、大いにネット上で吠えてくれることでしょう。これは上記の韓国系ラディフェミと同じく、キャンペーンの宣伝材料として機能します。
たとえ男性側の主張が正しくとも、必死でそれを訴える様は女性からの嫌悪を誘うであろうことは容易に想像できるため、それは逆説的にさらに2026年妊娠出産の意識を強く根付かせていく結果となるでしょう。
事実はどうであれ、2026年に妊娠と出産をして丙午年生まれの女児を授かった方が、迷信の真偽に関係なく、単純に勝ち馬に乗れることになるという潜在意識を強く強く植え付けさせることが、なによりも重要となります。
ここまでやって、ようやく出生率を上向けることができると思います。
そこからさらにその後も続けていく必要はありますが、まずは一年目、その切っ掛けとなる千載一遇のチャンスが2026年に訪れます。
その年になってから急にそんなことを言われても、すぐに妊娠出産ができるわけはなく、ゆえに今から大急ぎでこのムーブメントを起こす下地を整えていく必要があります。
大切なのは、2026年に妊娠出産をすることで強い女性が生まれる、という考えの基でムーブメントを起こすのではなく、丙午の迷信に対するカウンターとして、あえて2026年に妊娠出差を目指す、という形にすることです。
その過程で様々な議論が巻き起こるでしょうが、それらはすべて気にする必要はなく、むしろ薪をどんどんとくべて火を大きくしてさえくれれば、その中で生まれるであろう犠牲も、それだけで必要な役割を果たしてくれていると言えます。
あれこれ理由をつけてこの火に水をかけようとしてくる輩には、どんどんと丙午の世迷い言を信じる馬鹿者扱いをしていくことで、2026年妊娠出産を掲げる側こそが理知的で科学的で先進的であるというイメージを強くしていきましょう。
そして、こうして私がこの場ですべての考えを大っぴらに公開しているように、このムーブメントにおいて二次的に生まれる中傷等の被害については、すべて意図的で意味のある行為だと初めから説明をしておくのです。
すべては日本の少子化解消に向けての第一歩、そのための運動であるということを隠すことなくす伝えることによって、何も分からずにただ殴られるだけという状況を回避する手段を用意し、運動を支える側に回った方が得であると認識させていきましょう。
2024年もすでに折り返し地点で、2026年まであとわずか18ヶ月しかありません。
私はここに、具体的な手段として日本の出生率を一時的に上げる方法を上げました。
子供のころによく履いてたブランドで、あのASICSのストライプは俺にとってスポーツスニーカーの象徴だった。
そのイメージもあって、大人が日常的に履くのはちょっと……って何となく敬遠してた。
でも、今は自分の中で再燃しつつある。
オニツカタイガーに負けてないデザインのものもあるし、履き心地や機能性に優れたものもあるし。
スニーカーブランドとしては今でもトップ争いしている印象だけど、個人的に履き心地いいと思ったことはない。
どっちかっていうとスタンスミスとかのローテクが強いブランドって印象。
そのスタンスミスにしたって、近年は本革仕様を復刻させて、いま2万近くで売ってる。
「2024年までにリサイクルポリエステルのみの使用に切り替える」とか宣ってたくせに。
ローテクスニーカーといえばって感じで、履き心地のために選ぶブランドではない。
でも値段はリーズナブルで、ブランドとしての一貫性を感じるしで、好感は持ってる。
好感は持ってる、んだけど。
厚底スニーカーならここを思い浮かべる。
履き心地そこそこ、値段もそこそこ。
FILAよりも安い厚底スニーカーはたくさんあるけど、当たり外れが多くて履けたもんじゃない。
そういえば、厚底スニーカーは「ダッドスニーカー」なんていわれることもあるね。
けど、粗悪な厚底スニーカーをダッドが履いたら死ぬよ(下半身が)。
履き心地はトップクラスだと思う、個人的にはニューバランスより好き。
如何にもスポーツスニーカーって感じのデザインばかりなのが玉に瑕。
一番好きなブランドかと聞かれればそんなことないけど、最近よく履いてるのはこれって感じ。
リカバリーサンダルならウーフォスやテリックも好きだけど、あれらはデザインが野暮ったいというか素っ気ないというか。
スニーカーってイメージがあまりなかったんだけど、割とがんばってるみたいね。
実際、履いてみたら予想以上で感心した。
日常使いしやすい革靴ライクなものもあったり、デザインも力入れてる。
でも、それなりの値段がするのもあって、あの価格帯なら他のブランド優先しちゃうなあ。
日本でも妙に人気があるけど、俺としてはあの「N」の文字がどうにも野暮ったいと感じてしまう。
だからロゴが目立たないモデルとか買うんだけど大抵ローテクだから、ニューバランスの履き心地の良さを堪能できないっていう。
俺がありがたがるようなブランドじゃないなあ、って先入観が未だに拭いきれない。
スニーカーブランドのトップだけど、個人的にはそこまで思い入れがない。
エアフォース履いてる人多いなあ、くらいの印象。
エアフォースって履き心地はハイテクに勝てないし、パッと見でエアフォースってわかるデザインなんだよな。
わざわざ1万以上だして、履き心地が普通の、他人とカブりやすいスニーカー履きたいって価値観が俺にはない。
じゃあハイテクスニーカーはどうなんだって感じなんだけど、チンドン屋みたいなデザインばっかりでなあ。
履き心地だけならトップクラスだと思うけど、あの特徴的なソールは人を選ぶ。
値段も結構するしね。
高い金払って、あんなデッコボッコなソールの履くのは勇気いるよ。
子供のころ、アシックスの次くらいによく履いてたブランドのはずなんだけど。
なぜかほとんど印象に残ってない。
俺にとっては「数あるスポーツスニーカーのひとつ」としか言いようがない。
最近、自分のファッションスタイルに丁度いいブランドだと思ってて。
合わせやすくて、ブランドの主張が強くないモデルがあって、かつカブりにくい。
最近だとクラブシーのセレクトショップ限定モデルが、個人的にドンピシャだった。
今日はパントマイム風ストーキングとも呼ぶべきアンカリングについて語ります。
全然知らない私に向かって、何か仕草でサインのような事をするのだが、無言でするので、頭のおかしい人に見えるしアンカリングに力を入れすぎて色使い配色の服装がチンドン屋のようなのに、オシャレ感を漂わせてさっそうと登場し、このパフォーマンスをはじめる、馬鹿丸出しの男が2日連続で現れ、最近文章にしたアンカリングの方法以外のアンカリングをこれ見よがしに見せに来た。
笑わせてくれるが白と黒の手袋の話を書いた次の日に赤と黒のシューズを左右で履いてくる馬鹿が出てきた。
それはいいが、気取っているのが情けない。
しかしこれも時系列で昨日その内容の記事を書いて次の日にこのようなスタイルで現れる。
今日この者の話と写真を撮ったしても、昨日の布石があってのこのアンカリングという事を注目してほしい。
昨日白黒の手袋に対して、赤黒の靴だよね。
目ん玉えぐり抜くにたいしてタイヤのネジ緩める。
こういう時系列で集ストは日夜なされていることを、写真や動画で懐疑的に成らずに背景を見て5~6次元位で考えないとよく表現出来ないのが集ストだ。
誰か集ストのモロのアニメショーン作らないでしょうか?
1~2割程度?
いや夫、カメ公など数アカウント(復活再生疑い含む)。フェミ系含む(目立つのは1ぐらい)。単発立て逃げも多い印象。
電波系か、若作り高齢者しかいない。決定的に嫌われているのは「挑発を含めたアジ演説しかしない」「ダマのコメント削除を頻繁にする」「都合が悪くなると消す」「連投しまくる」あたり。
コメントへのイイネ数を見る限り相当少ない。これはつまりROM専ふくめて来訪が少ないんだとおもう。同時に他派来訪者の同意を全く得られていない。連帯組だとフェミ系は多少いるのかなという印象。また「自陣から一歩も出てこない」。まあ周りが敵か下等生物しかいないと信じていればそうなるわなあ・・・
ガチ狂人演説家の山ちゃんはここにも含まれるが「コメントを消さないだけマシ」というのが唯一の評価。もっともあいつは纏めたらそのまま放置してるだけだと思うが。
2~3割程度。ただし右というよりは反左といったところで、極右(民族浄化推進)まではいない感じ。政治傾向としては多数派か。
政治傾向ではマスを抑えているので、自陣の外(バス系、左系)にも討って出る印象。これは逆説的に世間では少数派なので教宣がしたいという欲と、ホーム感があるせいか。たまにバズ系とかで芯を食ってないコメントしてウザがられている感じ。
3割ぐらいかなぁ。”業者”っぽい感じもあるが、趣味系との境目は宇宙と大気圏の如くあいまい。承認欲求か、ジャーナリスティックな何かなのか。同じお題で2つ並立させるとかやめろ。あと、しれっと3日後に同じネタを使うなヴォケ。
含む俺(クソザコナメクジ)。
大手だとあへへ、映画見てみた、とか。末は1000ビューすら集まらんぞ。
数アカウント(内いくつかはサブ疑い)いるが、よしきくん見てるかー?!wwwwww
お前らははてなのゴミを外に持ち出すな、中でけじめつけろクソザコナメクジ。ヤフー知恵遅れより低能やぞ、とっとと巣に変えれシッシッ
数%ぐらいかなぁ・・・。定着率は低く、割にすぐ飽きる感じ。左派兼”集団ストーカー被害者”がわりに長いか(たまに見るたびにまだ福祉につながってないんだ
な、と安心する)。
オタクがけしからんって思う人が世の中のたくさんいるのはそれはそうだと思うし別に糾弾する文章を書くのは良いとは思うんだけど
「チンドン屋」扱いってのはなんかどうしても違和感があるんだよな、チンドン屋さんに失礼って方向で。
確かに例の文章はそもそもチンドン屋についても批判するような文献を引いた上で言っているから、
世の中の凡百のチンドン屋扱い暴言に比べたらマシではあるんだろうけど、
でも当該文章における「オタク」のけしからんと扱われているレベルは社会に対する悪とかいうそういうレベルであって、
チンドン屋さんの広告屋さんとしてどうしても発生してしまうしかたない部分のようなものと同列視したらそれは尚「チンドン屋さんに失礼」とおもってしまうんよ。
勿論自分のチンドン屋さんへの理解や読解力が不足しているがゆえにこういうことを言ってしまう可能性は高いと思うけど、
すくなくとも自分にはあの文章で書かれている内容ではそこまでチンドン屋さんが「悪い」とは思えなかった。
よく政治的な敵を「ヒトラー扱い」することは多いわけだけどあれが許され得るのはヒトラーはヒトラーに失礼とか考えなくて良い「絶対悪」だからなわけで。
バックラッシュ(フェミニズムへの反動)じゃない。そこにあるのは苛立ちです。
実は人文学には序列があります。既存の人文学のトップは歴史です。理系で言えば物理学に当たる。
人文で一番偉いのは哲学だと思ってる人がいるかもしれませんが哲学は一種不思議ちゃん。理系では数学。そういうあたりから考えていくと、根幹にあるのは既存の人文(の大学教員枠)が学問モドキに食い荒らされてる、という苛立ちだとわかります。
学問モドキって何か?
実はいま文学者とか歴史学者と見せかけても、既存の人文学のどっかに取りついてマイノリティーの視点を差し込むことで論文を量産するカルチュラルスタディーズ(略してカルスタ)だって例は多いんです。これは既存の人文学とは全然違うものです。カルスタは要は既存の人文学から見ればハメ技の学問モドキなんですよ。それが、大学院重点化と独法化と競争的資金化の流れにマッチして大流行したのがこの20年です。
このなりたちを捉えてないと完全に見誤る。
そのときに使われる「マイノリティーの視点」の最たるものがジェンダーだってのはわかりますよね。アメリカだと人種も大きいですが、日本だとジェンダーばかり出てきます。アイデンティティーが焚き付けやすいからですね。
自滅してる人文学者がそういう既存人文学だってことに注目しましょう。
歴史学者は「社会学(これは厳密にはカルスタです)みたいな賑やかしのチンドン屋・猿回しは失せろ」と思ってるのに、どういうわけかそのチンドン屋がのさばりでかい顔をしつづける。イラつきますよね。
歴史学者はでも、イラついても言えない。言ってしまうとあまりにも特権意識があからさますぎてしまう。それでも不満は消えないから、ジェンダーなんて本当の人文学じゃない、という意識から余計なことを書いてしまう。それで、みんなただのジェンダー問題、バックラッシュだと思ってしまうんだけど、実は全然違う。