はてなキーワード: タイプムーンとは
まあ気持ちはわかるよ。
俺もサービス開始当初に遊んで「きのこはこんなのが作りたかったのか?」ってかなり絶望した。
暫くして心境の変化があって第一部までを全部遊んだ結果、少なくともこのゲームを「最高!」って言ってる人の気持ちはわかるようになった。俺には合わなかったけど。
FGOプレイヤーの課金のおかげでUBWとHFは素晴らしい出来でアニメになり、魔法使いの夜も映像化される。
もうタイプムーンから離れてしまった我々古参プレイヤーにとって、FGOプレイヤーは働きアリのような存在として、これからも過去作の供給を続けてくれることだろう。
感謝しよう。
ところでガールズワークってどうなった?
○ご飯
朝:なし。昼:なし。夜:マクド。間食:チョコ。ハッピーターン
○調子
むきゅーはややー。13連休9日目。
・前提
僕はタイプムーン作品やインタビューなどを網羅的、横断的に追うことはしておらず、本作品以外の情報は仕入れていないので何か過不足があった場合それは悪意ではなく無知なので、ご指摘していただければと思います。
・はじめに
奈須きのこの未発表小説として度々インタビューなどで言及されていた作品を元にしたノベルゲーム。
1980年代後半、町の発展が進む三咲町を舞台に、そこを魔術的な意味で管理する蒼崎青子と久遠寺有珠が、山から降りてきた純朴な静希草十郎と出会うことから始まる、公称ジャンルはジュブナイルストーリー。
ノベルゲームながら静ではなく動を意識したルックがめちゃくちゃすごかった。
ストーリーも伝奇物のバトルシーンの痛快さに、衒学趣味たっぷりの小難しいパートと言ったエンタメらしい部分と、山から降りてきた少年目線で見た都会の息苦しさとそこに住む市井の人々の魅力を情緒たっぷりに読めて非常に面白かった。
群衆劇めいた部分が強くあるわけでもないのに、町そのものが主人公のように思えるのも印象深い。
そして、タイプムーン作品として横断的な言及が必要となる第五魔法を巡るエピソードも、この作品を点だけ見ても面白いと、どこを切っても面白いしかないすごく大好きな作品だ。
・凝られたルック
まず目を引くのが真正面以外の立ち絵と背景を利用した多角的なビジュアル。
ビジュアルノベルという立ち絵と背景で構成されたゲームながら、様々な表現でそのときそのときのシーンに応じた絵作りをしている。
大量のスチル絵を用意しているのではなく、背景と立ち絵の組み合わせでカットごとの構成を魅せる作りは圧巻。
細かい動きがあるシーンも多く、常に動き続けるアニメよりもむしろメリハリが効いて効果的とまで思える。
ヒロイン達がおでんを食べる何気ないシーンですら、たっぷり工数がかかっている手の凝り様で、終始飽きずに楽しめた。
・伝奇物らしいバトルシーンの魅力
そんな絵作りが特に生きるのが、伝奇物をベースにした魔術バトル。
魔力を打ち出す蒼崎青子、童話の怪物を具現化する久遠寺有珠などの、特徴的な戦闘描写がスチル絵一枚だけでなく、それぞれのパーツが効果的に動きの演出で魅せてくれるのが楽しい。
特に久遠寺の童話の怪物にまつわるエピソードは非常に魔法使いの夜らしい映像映えするシーンの連続で、バトル面での活躍では大好きなキャラクタになった。
ビジュアル面だけでなく、作中の魔術が一定のルールを持ったものであり、それを打ち崩すために知恵も使う展開があるのもとても良い。
最初の山場である久遠寺率いるフラットスナークの居場所にまつわる幾つかのシーケンスは、ビジュアルノベルらしさが光るシーンで、ここで一気に伝奇バトルパートも好きになれた。
そのように魔術バトルはルックだけでなく、テキストでもたっぷり楽しめるのだけど、伝奇物らしく衒学趣味らしい解説パートも沢山楽しめる。
ここはタイプムーン作品として色々な作品と繋がりがある部分らしく、新参者としては全てを理解できなかったのが惜しい。
しかし、そんな小難しいパートは、主人公の静希草十郎は田舎から出来てきた魔術を何も知らない青年であるため、彼の目線でわからないものはわからないとしてストーリーを楽しめたのも良く、入門にはピッタリだったかもしれない。
作中で何度もわかるところだけわかればいいと繰り返されているので、ある程度はそういうものとしてフワッとした理解のまま読み進めれた。
とはいえ、要してしまうと、その様な設定の妙を直接的に理解することよりも、それらの設定が魔法使いの夜の視点人物の一人静希草十郎の理解を進めるための要素になっているのが面白さの重要な点だった。
電話すら知らないという導入だが、本当に何一つ知らないらしく、貨幣の概念に関心するぐらい常識から外れた人間。
彼の目線で物語は進むのだけど、この点は情緒たっぷりで読んでいてひたすらに面白くて、一番好きな部分だ。
街に馴染めず田舎を恋しく思うのだけど、それでも街を理解しようと試行錯誤色々と模索していく様が面白い。
アルバイトを頑張ったり学生生活を頑張ったりといった日常的なパートと、魔術を使った伝奇バトルなパートが、同価値の未知さで描かれている彼の特異さあってこそなのが面白い。
ここがとても楽しくのめり込める。
作中の世界では魔術は秘匿するもので、魔術師と呼ばれる特異な人たち以外はその存在を知らない。
また魔術師達は独自の価値観で生きており、一般人とは生死の考え方からして大きく異なっている。
そのため、蒼崎青子はまだ日が浅いながら自身を魔術師として律して一般人とは異なる価値観であることを強く主張する。
しかし、山育ちの草十郎にとってみれば、町に住む大勢の人間とそもそも価値観が合わないのだから、当然魔術師とも合わない。
これが皮肉の効いた良い情緒的な描写になっていて、たまらなく面白かった。
自身を特別視するキャラにそうでないよと悟らせるような読み方もできるのだけど、そうではなく、近代化していく町と同じように人の思想や価値観も移り変わって行き、変化することは当たり前で、青子が魔術師になるような大きな変化は確かに希少だけれど、大なり小なりあるものだと思わせられる丁寧な描写が続く。
この丁寧さは本当にしっかりしていて大好き。
発展して近代化する町を、何も知らない山から降りてきた純朴な少年の目で描写する。
そこに伝奇物としても作者独自の設定を、同じように未知のものとして紛れさせる。
そうすることで、ヒロインの特異な価値観すらも並列に扱え、二人のジュブナイルが瑞々しい読感になるのが素敵だった。
そんな価値観を相互理解しようと、様々なエピソードが尽くされており、コメディありバトルあり衒学趣味あり情緒的なただの日常ありと、一貫してこの点に着目した文量が費やされているのも好きだ。
・魅力的なキャラクタ
主人公以外にもメーンヒロイン二人蒼崎青子と久遠寺有珠を筆頭に沢山の魅力的なキャラが登場する。
個人的に気に入ったのは、青子の姉であえう蒼崎橙子とその姉弟子の周瀬律架の二人。
絡みのあるシーンはワンシーケンスのみだが、印象深くもっとこの二人の絡みが読みたかった。
なお周瀬律架が本格ミステリを好んでいる設定も面白く、番外編での推理をしたがりゴネるパートの可愛さは一押し。
・三咲町
キャラクタにばかり着目したが、本作の真の主人公は町そのものだった。
群衆劇ではありがちな感想になるが、本作は主な視点人物は二人の三人称視点なので、色々な登場人物がいるから街が主役だと感じるのではない。
相互理解が必要な多様な価値観が生まれるには、生きていくだけでない余暇が生まれる町があってこそだからだ。
田舎の自給自足でも物々交換でもない、町の資本主義の貨幣経済が発展することで、はじめて彼らが自身の独自の価値観を持つことが出来、伝奇物らしい魔術師という独自の価値観さえもその一種にすぎない。
だから、草十郎と青子の二人が相互理解を深め、それでもまだ理解し合えない魔法使いの夜の主役は町なんだと思った。
・謎を残す蒼崎の魔法
彼女が使う蒼崎の魔法は全容が明らかにならないまま終わっている。
消化不良なわけではなく、草十郎よろしくわからないものはわからないまま理解をしたので、作品として不満があるわけではない。
ただ、作品を通うじて、価値観の相違と理解、それが生まれる土台には住む町の文明化が進むことが不可欠である主張などから、人の関係値をエネルギーに変換するみたいなことかなあと思いました。
・おわりに
ビジュアルノベルとしてルックもテキストの両面が優れており、ジャンルを代表するような世間一般の評価も納得だった。
ストーリーも発展が進み近代化していく町で、それについていこう理解していこうと草十郎が試行錯誤するパートがよかった。
彼にとって、伝奇パートにおける魔術も、日常パートにおける電化製品も乗り物も同じぐらい未知の物なのが、よくできた設定で面白く読めた。
昭和末期の生まれで、エヴァ世代のちょっと後。そこそこのオタクとして生きてきた。
好きなアニメはカウボーイビバップ、宇宙世紀ガンダム、攻殻機動隊。
映画ならタランティーノやロバート・ロドリゲス。それとガイ・リッチーにマイケル・マン。
いわゆる硬派なオタクで、当時表に出始めていた美少女アニメやゲームは合わなかった。
シスプリだの、サクラ大戦だの、リーフだのキーだのタイプムーンだの。
萌え絵もだけど、ハイトーンボイスで、媚びるような猫撫で声の声優も合わなかった。
そんな硬派なオタクでも、アウトドアな陽キャ連中から見ればオタクはオタク。
美少女アニメ好きのいわゆる「萌え豚」(当時の呼び方なら「二次オタ」?)と扱いは一緒くたで、
なんだかんだ界隈が近いこともあって「二次オタ」連中との付き合いも割と多かった。
「二次オタ」の連中、たしかにキモい奴も多かったけど、悪い奴らでもなかったよ。
だからさ、本当は、趣味の話で言えばさ、萌えアニメが減って攻殻みたいなアニメが増えてくれれば嬉しいよ。
萌え絵嫌いの元アニメーターが言ってる多様性もわかるし、大筋で賛成だよ。
でも、今の「萌え絵は害悪」「排除しろ!」みたいな論調は、あまりにも見てられない。
何より、俺の好きなものがこんな風に叩かれて排除されたら、と思ったら、黙ってられないわ。
それこそ、性的表現規制が行き過ぎれば、暴力表現・ゴア表現だって同じように規制されないとも限らない。
とにかく、「声を上げる」と言えばお行儀がいいけど、「ケチをつけたもん勝ち」みたいな世の中にはなってほしくない。
公共における表現が見直されるにしても、炎上の圧力ではなく、丁寧な議論で進めていってほしい。
そして、「萌え豚はキモい性犯罪者」「萌え絵はゴキブリ」みたいな、単に感情に基づく暴言は、
明確なヘイトだということを今一度批判側にも自覚してもらいたい。
長文失礼。
たとえば、凛とした誇り高き少女騎士であったアルトリアというヒロインは、下着姿を衆目にさらすキャラクターに変えられてしまったり。
これはしゃあなくねえか?
新シリーズに切り替えずに大昔からの旧キャラクター全部出そうとしてるだけでも頑張ってるのに
また、そういうのはだいたい今の目で見ると微妙(懐古老害はそう思わないかもしれないが)だからリファインも必要になる。
だいたいFGOって露出度の高い女の子がウジャウジャ出てくるじゃん。
ナイチンゲールなんかコンドームぶら下げたコスチュームでなんとか礼装って言われててなんの礼装やねんと。
そういうトンチキなゲームを楽しんでるんだから、旧作の凛としたキャラが下着出したぐらいでピィピィ言うなや。
それはお前がずるいし懐古方面に偏ってるよ。
タイプムーンのギャグは、年々、パロディと身内ネタばかりの寒いものとなっており、笑えるコメディアンのポジションにすらなれないのが現状だ。
アレを楽しめた奴が今更「寒い」とか言うな。ずるいわそれは。
fateを初期からやってて旧キャラに関する知識や思い入れが豊富なんて奴は
100パーうるさいだけの厄介ファンであって
FGOの興隆はそういう奴等じゃなく新規ファンの流入によるのだろう?しらんけどたぶん。
そりゃお前らの扱いは一等客席ではないわな。
なんでもそういうもんだよ。
先ほどから怒りで手が震えている。
ふざけるなFGO。ふざけるな、タイプムーン。ふざけるな、DW。
これ以上、エリザをハロウィンという呪いに縛り付けるのはやめてくれ。
順をおって説明しよう。
Fate/GrandOrderというソーシャルゲームがある。
元々のFateブランドの効果もあり、ジワジワと人気が出て、現在大人気のソシャゲである。
このFGOというゲーム、確かに人気はあるのだが、一部の過去作のファンの反感を買っているという一面もある。
タイプムーンというチームが制作しているFateシリーズは、シナリオライターの奈須きのこ氏による魅力的なキャラクターと少年漫画のような熱い展開、ゾクゾクするようなニヒルなテイスト(ヲタク用語では厨二系と呼ばれる)が好評で人気を博していた。
だが、そのタイプムーンオールスターのような扱いのFGOで、奈須きのこ氏は過去の作品の登場人物をないがしろにし始めており、それが反感を買っている。
たとえば、凛とした誇り高き少女騎士であったアルトリアというヒロインは、下着姿を衆目にさらすキャラクターに変えられてしまったり。
過去の作品でラスボスであったキャラクターが、FGOから登場したキャラクターに倒されてしまったり。
FGOのヒットに酔っているのか、奈須きのこ氏は、過去の作品の設定が邪魔だといわんばかりに「過去の設定資料集は焚書」という言葉を発し、ファンを幻滅させたこともある。
そして、FGO以降顕著な傾向が、キャラクターの見当違いな方向性の贔屓だ。
もともとFateは良い出番が与えられるキャラクターと、ぞんざいな扱いをされるキャラクターで、贔屓の差が激しいことは指摘されていた。
原作者たちのお気に入りのキャラクターは、出番がどんどん増え、そうでないキャラクターは踏み台にされるといった、ファンからしたらたまったものではない現象が起きており、それが年々ひどくなっているのである。
踏み台にされたキャラクターのファンが可哀想であることは言うまでもない。
だが、ゴリ押しされたキャラクターおよび、そのファンが幸福かと問われればそうでもない。
贔屓されて出番が増えるたびに、キャラクターの底の浅さが露呈し、そのキャラクターの持っていたカッコよさ、可愛らしさが潰されて、魅力がすり減っていくのだ。
笑える3枚目ポジションに収まるならまだいい。
タイプムーンのギャグは、年々、パロディと身内ネタばかりの寒いものとなっており、笑えるコメディアンのポジションにすらなれないのが現状だ。
そして、隠すつもりもない贔屓は反感を買い、ゴリ押しされたことによってキャラクターはどんどん嫌われていく……。
そして、現在、そのゴリ押しによって最も被害を被っているのがFate/EXTRA-CCCから登場した悪役のエリザベート・バートリーだ。
Fate/EXTRA-CCCで登場したときのエリザは、ワダアルコ氏の耽美な絵柄に西洋人形のようなキャラデザと、殺人鬼としてのパーソナリティが相まって、悪役として可愛さとカッコよさを両立させた素晴らしいキャラクターだった。
演じた大久保瑠美さんの演技も最高だった。
Fate/EXTRA-CCCというゲームは、PSP後期のゲームなので、微妙にマイナーであったが、その完成度の高さからプレイしたファンからは口々に絶賛される名作だった。
その名作であるCCCにおいて、悪役として完璧な立ち振る舞いをしたエリザというキャラクターも、プレイヤーからは支持されていたのだ。
殺人鬼として悪役として魅力的だった彼女を、愛玩具に変えるために、カーミラというエリザの分身が作られ、エリザの邪悪性はカーミラに全て押しつけられた。
エリザは殺人鬼というアイデンティティを失い、カーミラはエリザの関連キャラという側面が付きまとうという双方にとって美味しくない采配をされたのである。
だが、これはまだいいほうだった。
カーミラというキャラクターが、不気味さとカッコよさを兼ね備えていて魅力的だったからである。
それぞれの季節のイベントに担当となるキャラクターが割り当てられ、誰が担当となるかは毎年、変わっていく。
ハロウィンだけは、年が変わっても毎回、変わらず、エリザが主役なのである。
原作者である奈須きのこ氏がエリザ役の大久保瑠美さんを気に入ってしまった、などの憶測は様々に飛び交うが、どうして頑ななまでにエリザにハロウィンを担当させるかがファンには全く分からない。
そうではないから困る。
コメディイベントであるため、エリザの魅力がハロウィンではまったく伝わらないのだ。
ただただ、エリザの間抜けな面が強調されて、カッコ良さが擦り減っていくのみだ。
もっと言ってしまえば、エリザベートはFate/EXTRA-CCCで十分な掘り下げをされているのだから、ハロウィンで主役を続ける意味がないのである。
そんな意味のない采配も今年で終わるか、と思われた。
ハロウィンを前にした、マチアソビというイベントで、今年のハロウィンはエリザが主役ではないよと発表されたのだ。
そのイベントでは、ゲストがエリザ役の大久保瑠美さんだったので、彼女の前で「今年でハロウィンは降板ね」と宣告するのは残酷であったかもしれない。
だが、ようやくエリザがハロウィンの呪縛から解き放たれるのだとファンには朗報であった。
だが、これはぬか喜びであった。
蓋を開けてみれば、今年のハロウィンもエリザが黒幕だったのである。
しかも、黄金を身にまとい、エリザはでっぷりとした短足のオッサンの格好をさせられて、さらに間抜けな役回りをされてしまったのだ。
何度でもいうが、CCCのエリザはすらりとしたモデルのような美脚をもち、シャープな殺人鬼の側面を持つ、かっこいい悪役であった。
それが何度もハロウィンにしばりつけられていくうちに間抜けな姿で醜態をさらす羽目になってしまったのである。
奈須きのこ氏に問い詰めたい。
今のタイプムーンは、聞く耳を持たないかもしれないが、今の彼らがしていることは、エリザにゲロをぶっかけ、腐臭を放つ姿の彼女を市中引き回しにしているに等しいと感じる。
先日、スマホゲームfate/grand order(fgo)で復刻版空の境界のイベントが開催された。その際、空の境界のキャラクター浅上藤乃がサーヴァントとして実装された。
私は友達から借りた月姫からタイプムーンにハマり、初めて劇場で見た空の境界が痛覚残留のエピソードだった。それもあって彼女の実装は嬉しく、ガチャも引いた(宝具レベルが3になった、ハッピー)。
しかし、ツイッターを見ていると不満の声も散見されているようだった。
どうやら、不満の元はfgoの主人公と、実装された浅上藤乃や、復刻の2人の式(説明したいがここでは割愛)が仲良くする事や、これに関する創作にナーバスになっている人がいるのだ。(今の所そのような創作はほぼ見ないが)
そもそもの話、この「fgo主人公が他の媒体で出たキャラと仲良くする事、またそういった創作」を好ましく思わない層がいる、というのは今に始まった事ではない。
他の例を挙げると、fate/EXTRAで登場したキャラクター達。ほんの数年前は赤セイバー、キャス狐と呼ばれ親しまれたキャラクター達だが、彼女等がfgo主人公と仲良くしている事や、それを描いた創作を毛嫌いする人も一部にいる。
要は「他媒体でカップリング対象になるキャラがいるのに、別キャラ(この場合fgo主人公)とくっつける事が許せない。」という事なのだ。所謂カップリング論争の一つである。
古くからある、FE、スレイヤーズ、その他ビアンカorフローラ、ティファorエリス、などという他のゲームや漫画のカプ論争ならいざ知らず。
今回のこの話の違和感、それは他媒体でカップリング対象がいるという、影響力の高い「教典」がある事だ。
これは、別のカップリングを目にしただけで、自分の愛する者を陵辱されているが如く感じる程のものなのだ。
(すごい。そこまでその作品に傾倒できるなんて、すごい。そういう人と比べると中学生の頃学校を休んで月箱を買いに行った私の作品への愛などは足元にも及ばないのかもしれない。)
彼等にとっては、fgoなぞ教典にとって邪魔なもの。教典を汚す大罪品、見える情報の汚物だろう。(その教典と同じ作家が設定やボイスを考えてたりするのだが)
懐が深いのと節操がないのは違う。
カップリング論争なんかで毎日フラストレーションを溜めているような人に、懐が深い人間になれとは言わないし思わない。今の時代便利なものでブロックやミュートなんて機能もある事だし。
ただ、きょうびそういった教典に縋り、熱い信仰を持っている人がいるジャンルというのも珍しい。そういう人達がいるならしばらくそのジャンルは安泰だろう。
東方やひぐらしが大流行した時代にタイムスリップして、型月が今一番のブランドだぜ、一月に何億も稼いでるんだぜ。と言っても誰も信じまい。
こんな毒にも薬にもならないカップリング論争で揉めているのを見ると、そンな風に改めて実感する自分が、昔の自分の片割れを見ているようで微笑ましく思うのだった。
「fateは神ノベルゲーと言われて、ファンに崇められていた物なんです(きのこ氏は神ライターと呼ばれて型月ファン達から崇められきたものなんです)。その新作がスマホゲーであれば、見方次第ではみんなが楽しめます」「きのこが遊んでいる間に神にでもなったというのか?ふざけるんじゃない!」
「今のfateを否定する必要なんてどこにも無いんですよ」「それがあるんだよ!何も変わらない、ただサーヴァントをガチャの売り物していくだけの光景に耐えられなくなったファン共がEXTRA過激派を呼び覚ましたんだ、坊や」
「そんなことありません!」「だったら!なぜツイッターの検索欄に「マシュ 嫌い」と出始めたのだ?なぜ新イベントアガルタを大半のプレイヤーは拒んだのだ!」
「なぜ…」「今までのタイプムーンは間違っていたのだ。古参勢はstay/nightの興奮を忘れることなどできはしない!だから、この月姫リメイクで全てを固定して新しい型月の時代を始める!」
「さがれ腐女子!お前らの出る幕ではない!」「さっきの自分語りといい、グチグチ言うだけで感受性の下手な懐古厨!あたし(腐女子)が盛り上げてあげるよ!」「(あなたの居るべき場所は)有明でしょ!」
「腐女子・・・・fate再建のためにzeroから今日まで育てて来た新たな層が・・・よくもほざいたなぁ!」「なんだい、出来るんじゃないかい(初代のランサー×アーチャー、士郎×エミヤを見て)」
レスポンチバトル加速
『な、なんだぁ!兄弟!』『ほ、他のゲームのファンを(対立煽りで)呼ぶんじゃない!』
「なんだよこいつ、HF劇場版は後回しじゃないか…きのこと、社長って奴は・・・」
「ええい、需要不足に陥ったか(賛否両論じゃ)引くも押すも出来ない!初代ファン! 援護しろ!!」apoから入ってきた人「おうよ!!」
「あいつは!(メンドクサイノキター!)」《おちんちんランド゙開園!》
「この初代厨が!その固定概念から抜け出せねえと…また閉じコンになるぞぉおおお!!!!その股座に我が麗しき父への叛逆!」「fate/Grand orderだって・・・世代を切り開ける筈だ!!」
「劇場版PVの中で、ファンは己の中にstay/night初見時の衝撃をよみがえらせる…」「それがfateと言うのだろうが、シリーズは人類史のように歴史を重ねているのだぞ…」
「それでいい!我らのfateファンの本能に赴くままに厨の意見をぶつけ合えば、よりよい作品が生まれるかもしれんぞ!」
『戦う(レスポンチバトルする)と元気になるなぁ、ローラ!ぐだ男やザビ男の選択肢の寒さを意識するから、士郎の素晴らしさが実感できる!」
「その先にあるものがコンテンツの衰退だから派生作品は増えていきました」
「違う!fateはstay/nightだけでもノベルゲー史に十分に名を残していた」『自分勝手な解釈をするなぁっ!』
「貴様は(愚痴スレに)書き込んでいるぞ」「ストレスを吐き出したいからでしょ!」
「fateはバトルロイヤルだぞ、キャラゲーにする訳にはいかん」「某ゲームのような歴史は、繰り返させません」
「もう一度封じられるか?あの桜井を!」
「次の水着鯖は...」「解析の方は?」「こちらもネタバレを阻止できない!」「全期!腐女子のエネルギー」「甘く見るんじゃないぞ」
「ガセネタの拡散だけはさせませんよ!」「ホモ野郎はそこで止まれ!(アストルフォ以外の男水着を作らせるな)」「サーバーは落ちてもよい」「ふせったーを放出」「ガセネタの拡散を少しでも食い止めよ」「はい、できなくてもともと」
「アナタがfateを見続けて来れたのはstay/nightが一番だという誇りがあったからでしょう!」「その誇りをくれたのがfateなら、奪ったのもfateなのだ!初代の面影ひとつ無く萌え豚共に媚びたんだよ!」
「そんな豚のために作るfgoにstay/nightは超せん!」「倒す、倒します!」
「(HF劇場版の完結が)遅いっ!」
「純粋にきのこ100%の作品こそ!」「古い価値観を捨てて新しきを受け入れる者には!」
オノーーーーーーーーーレ!!!
昨日にFGO関連のホッテントリがあって議論が盛り上がってたので、ついFGOに手を出してしまって
思うところがあって書いている
いままでFGOはソシャゲでなんか違うなと敬遠してやっていなかったのだが、やってみて
やらなきゃよかったと少し後悔している。
Fate系の外伝はあまりやっておらず、主要な作品とそのアニメ化をフォローしていた感じ。
本編の雰囲気や世界観が好きで、その後日談となる軽いノリの作品も好きだが、過度に本編から外れているものはあまり受け付けなかった。
プリズマイリヤとか。 タイガー道場とか教えて知得留先生みたいなノリも好きなんだけど、本編がそのノリしかないものは違う感じ。
独特の緊張感のある雰囲気というか、奈須きのこの文体のPCゲームの雰囲気が好きなんだと思う。
そんな俺がFGOを始めて、その世界観がソシャゲに毒されたんだなぁと感じてしまった。
歴史上の有名人物を片っ端からサーヴァントになってしまっている。一人ひとり細かく設定があり、それが相互作用を起こしてストーリーが進んでいくのが良かったのに、
アサシンなんてハサン・サッバーハのうちからしか選ばれない設定だったのに、アホほどいる。
別にソシャゲが嫌いなわけではなく、色々とプレイしたが、FGOはやるべきでなかった。
そりゃゲームは良く出来てるよ。アニメーションもヌルヌル、ケレン味ある動きするし、ビジュアルノベル時代と比べ物にならない。
けど違うんだ。
俺自身は、昔からのファンでることでマウントしたり、老害になりたくないと思っていた。
だが今の時代、Fateや型月といえばFGOであり、昔からの型月厨と大きな隔たりができてくるのではないかと。
そのうちマジョリティのFateファンはFGO新規プレイヤーになり、話が合わなくなっていきそうだ。
FGOから入って、過去作品のどれからプレイ、視聴すればいいかという相談がよくあるが、
FGOから入った時点でFate stay nightのサーヴァントの真名というネタバレをされている状態だ。
特にアーチャー周りはひどいと思う。(だからディーン版アニメはFateルートなのにあっさりアーチャーネタバレするから嫌いなんだが)
Type-MoonがFGOで稼いで生き残ってくれるのはとてもよいことだし、ファンが公式の出したものに文句を言ってもしょうがないと思っている。
それでも俺が望んでいるのは、月姫2と魔法使いの夜の第二部など、洗練された世界観のPCゲームであって、ダラダラやり続けるソシャゲではない。
type-moon wikiを見て、各作品の共通する設定を眺めてるだけで楽しいはずだったのに、
俺は人間をやめようと思う。
進歩しようと思う。ということだ。
一般的に人間の限界と呼ばれる垣根を飛び越えていこうと思っている。
その為に何をすべきだろうか、と色々考えてみているんだが、とりあえずそのやるべきことを羅列していこうと思う。
・哲学書を読み、理解する。
・語学にも親しみ、有名な洋書を読めるようになり、またその洋書にも親しむ。
・遅くても午後十時には寝て、できれば午前五時くらいには起きる。
・小食。
・毎日三十分以上は歩行する、あるいはそれと同等の運動をする。
・たまにはゼェゼェと息を乱すくらいの運動をする。
・内臓の機能を保つ、つまりは健康を保つ。(上記の運動行為は必ずしも健康を保持するためだけのものではないことを明記)
・人と"良く"会話する。
・たまには誰かと勝負する。
・有名なインストルゥメンタルを聞く(クラシックやジャズなど)。
・苦痛を愛する。
タイプムーンのキャラクター・マテリアルを読んでたら人間をやめたくなったんだ
俺は別の何かになるべくすることにする。