はてなキーワード: かばとは
https://store.steampowered.com/app/1622910/Still_Wakes_the_Deep/
このゲーム
「下におっときにクルーリフトのヒューズばちゃちゃっと直してくるっね?」
「黙れっつっとるやろうが!わいらのごた 連中がおいの経営にいちいち文句ば言うとのせからしゅうてたまらんのじゃ」
「リグ全体ば見ろ ガラクタん山さ 掘り始めたばっかとに崩るっと カダルんクズにレニックんクズは手抜きばっかさ」
「おんシェフとはお友達でもなここば経営しとっとはアレじゃなくておいぞ」
「いったい何のあったとや?!」
「避難する段じゃなかやろ?北海の底におるままやったらあいつから持ち場に戻さるっだけぞ」
なんかすごい訛ってる
スコットランドが舞台でやや訛りのある英語なのでそこを日本語で再現しようという試みらしいが、英語は訛ってても言葉自体は同じ
文にすれば大体同じ
でもこの翻訳は標準語とは書き言葉からして違っていてプレイヤーを無駄に混乱させる
Reimond
@Reimond1997
「"Still Wakes The Deep"が何で九州弁・博多弁なんだ?」という投稿等が多数ありますが、簡単に言うと私が長崎県出身で、方言でローカライズする事にずっと憧れていたからです。その訛りに馴染みのない方々は、これから長崎含めた方言を知るきっかけになって頂ければと思います。
https://x.com/Reimond1997/status/1803272741606584545
人種や性別をはじめとした様々な多様性が認められてきているなら方言の多様性だって認められていいと思うの。
https://x.com/Reimond1997/status/1803273049099345995
現在世界全体でのレビューが「非常に好評」の作品であるが、日本語レビューではBADがつきまくっている
これが物欲だったらと考えてみよう。
『何かが欲しい』それが物欲だ。
一方で、大半の人間は物欲の全てを満たせるほどお金があるわけではないというのはその通りだ。
では、『○○が欲しいけれど買うお金がない』という時に人はどうするか。
『万引きする、盗む、力や詐欺によって奪う』それは物欲だけを見たら一つの解ではある。言うまでもなく犯罪であるが。
通常、人はその手段を取らない。その理由は大きく分けて三種類ある。
『1.そもそも善人で、万引きするという発想自体が思い浮かばない』『2.発覚した時の制裁(刑罰などの法的制裁と、職を失う・友人知人から軽蔑されるなどの社会的制裁両方を含む)を考えて止める』『3.相手のことを考えて止める』の3つだ。
ここで2と3のケースでは、『欲しい』という物欲そのものを理性でコントロールしているわけではない。『欲しい物を犯罪という手段で手に入れる』という行動を理性でコントロールしているだけだ。
同様に、男は性欲をコントロールできない。それはその通りだ。特定の異性(※マジョリティの場合)に欲情することはある。そこで恋愛関係になって性行為をするのは合理的解決だ。
一方で、欲情した時に性犯罪に走らず、合法な風俗やAVやエロ漫画で解決する人もいる。それは問題ない行いである。(『AVは全女性の尊厳を傷つけている』『エロ漫画は性的搾取だ』という意見はここでは取り上げない。)
ただしそれは、『性欲を性犯罪によって解決しようとすること』を理性でコントロールしているだけであって、性欲そのものを理性でコントロールしているわけではない。
それを完全に無視して、性欲そのものが理性でコントロールできないならば強制的に薬で抑えろという主張は、「『性的なことを考える』という内心の自由そのものを奪え」と主張しているのと同じであり断じて認められない。
こういう犯罪が頻繁にあるのに(そしておそらく報道されていないところで同様の犯罪は数多くある)
反発するならお前らが同僚女性の代わりに犯人の尿や精液を飲んでやれよ
奈良の学習塾で同僚女性の水筒などに唾や尿を入れた疑いなどで講師だった大学生を逮捕
https://news.yahoo.co.jp/articles/30a8b4763f2975700b7d71e41852d8a0ba3b668e
奈良市内の学習塾で、同僚の女性の水筒などに唾液や尿を入れた疑いなどで
控室に置いていたペットボトルや水筒などを何らかの方法で持ち出し、
同僚女性が控室に置いていたかばんを触られた形跡があったため、
小型のカメラを設置していたところ、
撮影されていたはずのデータが消去されていたことから警察に相談。
撮影データを消去した器物損壊の疑いで、2024年4月に逮捕しました。
唾液や尿を水筒などに入れる様子や
同僚女性がそれらを飲んでいる様子を撮影した動画が残っていたということです。
支払われた際の通帳も見せているので、ちゃんとGETしてるはず
グループスという新興ソシャゲ会社にいた際に、先輩の谷さんが「新しい会社グラニを作るから俺についてこい」とチームを丸ごと引き抜いて暇空もついていく
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お金がないので給料もまともに支払われない状態、契約関係もぐちゃぐちゃ
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グラニについていったら役員にしてくれるという話だったのに谷さんはそれを反故にし続けていたので暇空が抗議
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役員にしてもらえたがその2ヶ月後に解雇され、社内で誰もかばわず引き止めてもくれず、裏切りを見抜けなかったことを悔やんだ暇空が「認知プロファイリング」の才能に目覚める
↓
グラニのソシャゲ『神獄のヴァルハラゲート』が大ヒットし谷さんは億万長者に
↓
暇空、ヴァルハラの制作の8割に自分が貢献した、年収なら2千万相当だと主張し不払いの給料を求めて谷さんを訴えるが部分敗訴、「8割の貢献は認められない、年収は4百万相当ぐらいだろう、払ってない分は払ったら?」という結果
↓
谷さんは一重まぶたで暇空はそれが可愛いと思っていたのに裁判で久しぶりに会ったらアイプチしててショックを受ける
↓
現在のグラニの収益は当初の暇空の出資のおかげだから収益の配分をせよと谷さんを訴えて勝利、6億弱を得る
自転車通勤をしていて、工事中のため片側交互一車線になっている道を毎朝通っている。
先週まではあちら側とこちら側に誘導の高齢男性がひとりずつ立っていて、車や自転車を交互に通していたのだが
「?」と思ってよく見てみると、重機の陰の目立たない所に痩せた小さな高齢の女性が立っていた。ヘルメットがやけに大きい。
見た目ではかなりの高齢で、伸び放題の白髪がボサボサ、とても失礼な言い方になってしまうがショッピングバッグレディー的にも見える。
彼女が立っていたのは相方の誘導の人が見えない場所で、それでは全然役に立たない。
幹線道路ではないが、交通量はそこそこあり、事故が起きる可能性は充分ある。
しかしその現場ではその女性にお願いしなければならないほど人がいないのだろう。
派遣会社に任せていたら、想定と違う人が来ちゃった感がありありである。
それでもそこに人がいなければ工事が出来ない。切迫感はいかばかりか。
真夏に比べれば涼しいが、あの小柄な女性が、日影のない路上で一日中外に立っているのを考えるといたたまれない。
もしかしたら見た目に反してまだ若いのかもしれないし、身なりに気を遣わない性分なのかもしれないし、単に仕事をサボりたい人なのかもしれない。
もしかしたら高齢であまり健康ではないのに経済的理由で働かなければならないのかもしれない。
もしくは働く事に誇りとこだわりを持っている方なのかもしれない。
でも、そうした表現をする人らは、しばしばガチの上級国民であり、そこまでいかずとも、労働や真の理不尽とは無縁の生活だったおぼっちゃまやおじょうさまが多い
一方で、どんな出自であれ、多少でも労働や真の理不尽を実体験で知る人らは、言葉選びや歌唱(演技)が軽いことが多い。なんだったら軽薄だったりもする
理不尽を乗り越えてきた人、または常に理不尽が隣り合わせの人の頭の中には、
『なんとかなるだろう』とか『ならなかった時はならなかった時』とか『Shikata ga nai』(サンノゼの日本人街にある石碑にも刻まれている) があるからなんだろうな
これはたぶん無視できない要素だ
あとは表現の深掘りや練度の問題だが、これも労働や理不尽に人生の大半を取られたらそれらにまともに取り組めない
取り組む時間やお金を持てたとしても、ある一定以上の質を求められる場では、才能の話にもなるのだろう
まぁ、とにかく、労働や理不尽さとは無縁の人々以外の表現は、一般的に軽いことが多い
本来であれば、その逆が望ましいのが、もしそうだったら、理不尽が常に傍らにいる側の人らは生きてはいけないのだろうな
つか、タイトルにあげた詞や歌の話とは違うが、理不尽を扱いつつも、それに圧倒されず、かといって軽薄にならず、ユーモラスで人間性を尊重し誇り高い描写をしている作品は、
昔の日本映画やケン・ローチ、アキ・カウリスマキの作品しかパッとは思い浮かばない
(なお、『東京物語』は少し受け止めきれない。それに敬意を表するジュゼッペ・トルナトーレの『みんな元気』はマイベスト映画だが、やはり受け止めきれない)
ーー・・・前置きが長くなったけど、タイトルの話、 "命に付く名前を「心」と呼ぶ" って受けとめときれる?
セルフボースティングで、思うがまま生きるぜ!成り上がるぜ!とかなら、チンピラでも陽キャでもないけどage↑↑↑になるし、
みんな仲良くしようねだったら、そうだねラブ&ピース🕊️だねってなるけど、
これ、
だぞ、ヒョエエエエエエってなるやろ
しかも、
だもんな、かざせだからな。『もうお前は照らすもの持ってるだろ』(前提)だからな
表現能力が高いからただ書けるだけで、犬の話みたいに深刻なやつじゃないのかなぁ、深刻に受けとめていて、果たして生きていけるものなのか?
(とか言いつつ、本人もカバーも聴いてるけど)
書いてる途中で思い出したけど、重たいテーマ扱ってるけど深刻じゃなくてユーモラスなのあったわ、怖いって意見もそこそこあるけど、
旅行に行きたい気分あるし
有給が20日あるから少し使わなきゃいけないんだが(病院はフレックスで対応できる
候補が思いつかない
でもどこかにいきたい。
昼は観光して、安いドミトリーに泊まって、その辺のラーメン食べて
買える前に地元の温泉か銭湯にでもよって、最終日だけ少し豪勢なものたべて
・関東:ここ住まい。茨城県ぐらいしか残ってないがここ行く料金で大阪行けるんだよね…
・関西:前回奈良、大阪に行ったけど、まだまだ目的地は設定はできそう。兵庫は神戸しかいってない
・中国:こっから行く難易度が少しあがる。強いて言うならしまなみ海道
・九州:福岡だけいった。飛行機必須の領域になるが行ってみたいところは多いが、車必須なので少し考える
・海外:前回は台湾(3回目)。さすがに避けたいので候補として安いので有力。
タイ、カンボジア、マレーシア、中国(3回)、トルコ、ドバイは行った。
全部楽しかったが露のプー太郎さまのおかげでサーチャージが跳ね上がっておいそれといけない。
あとサクラダファミリアを完成前に見に行くか、完成後に見に行くかで悩み中
というか金のこと考えないなら世界を見てみたいな。
なんかMrs. GREEN APPLEの新曲である「コロンブス」のMVの内容が問題だとされている件で
歴史について無知な人達が作ったからあんなMVが出来たなんて意見がよく出るけど
なぜなら自分にはあのMVはどれも思いつかないもんばかりだったからだ
(ナポレオンが一緒にいてピラミッドに行ってるシーンとか思い浮かばんよ…)
というか楽しい交流をしてる筈の猿に人力車引かせてすげえ辛そうにさせるのとか歴史云々の問題じゃないよな?
だから歴史について無知な人達は皆コロンブスについて色々言ってみた方がいいと思う
歴史無知について意見を言うのなら無知と主張したい人達が本当に歴史を知らないのか、
歴史や社会についての研究の重要さを主張する人なら当然わかるよね?
(まさかあのMVが本当に無知が原因で作られたのかきちんと調べないで主張するつもりは無いよね?)
それはそれとして仮に無知な自分が「コロンブス」MVを作るならどんなストーリーになるか考えてみる
まずはコロンブスの卵だ
これは彼が自分の国で卵を立てるのに苦労した?みたいな印象がある
だからMVの前半はずっと卵を立てようと苦労するシーンで占められる
よって卵を立てる事に成功したら意気揚々と船にのってずっと海の上で苦労してるシーンが後半のメインになる
とりあえず嵐で死にそうになったりゲロ吐いたりそういうシーンが盛り込まれる
最後に大陸なのか島なのか分からんものを発見するシーンでエンドだ
無知な自分はまず植民地だの現地の住民への行いだのそんな物に全く辿り着かず
他のシーンを盛り込む必要があったら他の船員と一緒に船で踊ったり歌ったりするシーンや
するんだったら言ってくれ
先日の土曜、友人と飲んだ。
友人はフリーランスとして働いており、稼ぎは少ないものの好きな時間に寝て起きられることを自慢していた。
だが稼ぎは俺の方が多い。
久しぶりの飲みだったので酒が進み、酔っぱらうと「金持ちになりてぇなぁ」と俺は何となく呟いた。
友人は目つきを鋭くして「は?」と言った。
そう尋ねると友人は目を逸らして「別に」と言った。それからジョッキに残った三分の一程のビールをすべて飲み干すと小さくゲップし「で、どうすんだ?」と俺の目を見て聞いてくる。
なにが?と尋ねると友人はテーブルの隅にあるスイッチを押しながら「金持ちになったら何がしたいんだ?」と言う。すぐには答えられず、店員さんが来ると俺たちは空のジョッキを差し出し同じものを注文した。
俺は酔っていた。逆に金持ちになったらできないことはないんじゃないかと俺は考えなしに答えた。
友人は笑った。アホかと。やりたいことがあるなら分かるが、やりたいこともないのに金持ちになりたいなんて言うのは単に金持ちに憧れてるだけで意味がないことなのだと力説してきた。
心の底からやりたいことのためにお金を使うのが幸せなことであってそのためのお金と言うのは案外お金持ちにならなくてもなんとかなるもんだよと友人は言い俺は曖昧に頷いた。じゃあ今幸せなのか?と友人に尋ねると「ああ」と彼は自信満々に頷いた。
友人は今でも独り身で、いい歳で狭いアパートに住んでいた。俺も独り身だが、結婚する確率は俺の方が確実に高いだろう。
俺には友人の態度が欺瞞に見えた。それは単なる嫉妬ではないのか。
酔っていたのでその疑問をそのままぶつけた。友人は笑い、違うと断言した。俺は今のままで十分幸せだよというその目には光が宿っていないように見えた。
友人が何か言おうとした時注文したビールが運ばれてきた。俺たちは数度目の乾杯をして泡たっぷりのビールを喉に流し、笑い、それでも頭の片隅では自分が金持ちになったら何がしたいのかを考え続けていた。
どういう人かというと、 料理でレシピを守らないでオリジナリティを出そうとするのと同じように 読んでるそばからまだ理解できてないのに都度都度自分流にアレンジしちゃう人。
本を読んでいちどその通りに実践するができない。
本を読んでいるように見えて、本を使って自分語りをしてるだけであり、まったく読んでないのと殆ど変わらない。
まぁ今回のケースでは本を読んですらいないけど(youtubeの解説動画見てるだけ)
本を読んですらいないのに、YouTubeの解説動画だけみてわかったつもりになってドヤ顔で語るということ自体
「本を読むとはどういうことか」がまるでわかってない。
そんな人が「本を読んでまとめました」といっても
実際に垂れ流されるのは本の内容とはずれたただの「本人の自分語り」でしかない。
やたらオリジナルに拘っていたけれど、オリジナルのレベルが低すぎてお話にならない。
四次元殺法コンビのいう<「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ>パターンしかできない。
悲しいことに。
https://twitter.com/nanashi61323635/status/1105390967333384193
こういう話って、本を出す前に原稿を読んでくれる友達さえいれば気付ける話だったのだけど
そうはならなかった。
結局本を出すまで気付けず、直前まで「自分の本は素晴らしい」と思い込んでいた。
それどころか「売れっ子になっちゃったらどうしよう」とかばかり気にしてた。
「売れっ子作家になったり、他に色々あってお金がたんまり入ってきたときは、しばらくスマホ触らないリフレッシュ期間とかを設定しよう」みたいなことを言っていた。
ここまで自分を客観視できない者が「病まないメンタルを作り上げるための方法」みたいなのを語っても誰もまともに相手してくれないだろう。
「病まないためのコツは、現実を直視しないことです」ということでしかなく、それは別の病で本来の病を覆い隠してるだけという印象にしかならない。
あまりにも社会人経験が皆無すぎて、いまでも自己評価と他者からの評価の乖離を埋められないままここまできてしまった。
蛸壺屋の「けいおん」の澪が、律という友達がいない状態で一人で引きこもり続けきてしまった。そして、もうポイント・オブ・ノーリターンは過ぎた。
もう今さら謙虚になって一から出直そうといっても無理だろうし、誰も彼を助けることはできないし、彼自身ももうなんとかすることもできないだろう。
人生にゲームオーバーはない。しかしむしろゲームーオーバーがないことがとても残酷に感じる。
誰も自分の人生を強制的に終わらせてくれない。 本人もリセットボタンを自分で壊してしまった。 もう今のままの人生を死ぬまで続けるしかない。
岡澤アキラというイケメンすぎない好青年が冗談を言うでもなく、店主やインタビュー相手をからかうでもなく、
何というかただただ番組側から与えられたタスクをこなしていく様を視聴者は見守っている感じ
それでいて岡澤アキラはメンタルが強いからなのか、一生懸命歩いていった店が閉まっていても「じゃあまた次回ですね」みたいな安定したテンションを維持している
スタッフからの茶々入れのような内輪ノリもなく、苦労している場面も特に盛り上がるわけでもないので、ずっとノンストレスのローテンションで見られる
たまにこの番組を見ては、「うどんうまそうだな」という感想しか浮かばなくて、なんかいつ飲んでも味がしない白湯みたいな番組だと思っていたので、増田の文を読んで、うどんMAPをこんな見方をする人がいたのかと驚いている
今日、友達と飲みに行ってん。そんでな、なんかかんかしてるうちに、生きることとか死ぬこととかの話になったわけなんよ。
なんでそんなちょっとめんどくさいというか、気持ち悪い話をするようになったかっていうと、僕のほうからそういう話を始めたわけなんで、ちょっとそれは説明せなあかんなと思うんやけど、まあ有り体に言ってしまうと、僕のばあちゃんが死んだからなんよね。
ちょっとまえ、ていっても3,4ヶ月前にもちょっとそれで文字に起こしていろいろ考えた時があったんやけど、その時はまだなんとかばあちゃんもまあ喋れるし記憶もあるしって言う状態で、会いに行った時はちょっと拍子抜けしたんやけど、その時に凄い僕に聞いてくんねんな。「私死にたくないんよね」って。死ぬのって怖いんやって。死ぬってなんなんやろうって。
僕はその時、「ああこの人はすごく幸せやったから(実際死ぬ前には家族というか孫含め親戚はだいぶ来てくれていたし)死ぬってことちゃんと考えたことなかったんかもな」って思って、僕が思ってる死ぬってことについていろいろ語ったわけなんですよ。気持ち悪いけどけっこうまじめに。
「あんなばあちゃん、死ぬってのは死ぬ側からしたら死ぬってないねんな。なんでかって言うと、死ぬ自分はもう意識がそこにはたぶんなくなってしまうから、見れんじゃん?残った人から見たらそりゃばあちゃんは死んでるかもしれんけど、ばあちゃんは死なんわけよね。だから、ずっと生きれると僕は思ってるんよね。だってばあちゃんの体か動かんなって、死んだとしても、僕らはばあちゃんのことを即座に忘れるわけちゃうし、ずっとそういう意味では生きてるんやん?」なんてことを行った気がする。
ばあちゃんは一応聞いてくれてたけど、多分ばあちゃんが求めてた答えはたぶんそういうことじゃなくて「大変やなぁがんばって」みたいな励ましやったと思うんやけど、そんでそれも僕はちょっとわかっていたんやけど、ここで言わんともう言われへんなみたいなふうに思って、ちょっと気持ち悪いけど頑張ってことばにして、極力誠実に語ってみたんですよね。
そんでその後、何ヶ月かして夏休みになって、インターンとかいろいろあって盆には帰れずに、なんとか8月の終わりに実家に帰った時にもう一回ばあちゃんに会いに行ったんやけど、その時にはもうだいぶ病気が進んでて、意識は無いし、痛みを抑えるモルヒネでなんとか頑張ってる感じで、あーこれはもう持たんなぁって感じだった。でもなんか、いや根拠はないんやけど、しゃべれないけど僕はばあちゃんとしゃべれるような気がしてきて、ずーっと手を握って、「ばあちゃん、怖くはないんやで。安心してな。」ってことをずっと思うてたんよね。いや完全に僕の自己満足というか勝手な解釈なんやけど、あの気持はばあちゃんに伝わってる気はしたし、今でもそう思ってる。
ほんで、結局そのままぽっくり逝ってしまって、まあそら悲しかったんだけど、ばあちゃんは多分そんなに死ぬの怖くなかったんちゃうかなというか、いくばくかこわさを和らげれたかなという気がする。でもやっぱり、そう言うてる僕もなんか死ぬのが全く怖くないかっていうとそうじゃない。なくなってしまう怖さというか、まあ経験したこと無いからしゃあないんやけど、すべてが無いってなんなんやって思うわけよ。すべてが無くなるってことはないって考え方もあるやろうけど、少なくとも今見えている世界からは一回切り離されてしまうのは間違いないと思うし、それってやっぱりだいぶ怖いことなんですよね。理屈ではそうじゃないんじゃないかって思ってても。
っていう話をしてたんですけど、そしたら相手も最近同期が自殺をしたかもしれんなんていう話をし始めて、その怖いっておもうことを自分からしてしまうようなその子の周りの環境と、周りに居た人間の理解のなさと鈍感さと、残された人たちの悲しみと、知らない僕にすら与える衝撃と、そしてそのすべてを凌駕していたであろう、その子の孤独と悲しみを思うと、なんだか一層社会が怖くなってしまったのです。
数としては一年に3万人ぐらいが日本だけでも自殺で死んでるっていうのはデータとして知ってるし、身近に居ても全然おかしくはないんやけども、実際にそういう近いところに現れるのを見ると、改めてそれを実感するというか。ああ本当にあるんだなぁと。
多分その子も死ぬのは怖かったと思うんよね。これは確信はないけど。でも生きるもの全てにかせられてると思うんですよ、死ぬのが怖いっていうこの根拠の無い考えって。