はてなキーワード: 普通紙とは
このhttps://anond.hatelabo.jp/20200815153451
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以降のことを記す。
まず、インターネットで調べると、「火葬まで家においておける目安は夏場なら〇日~〇日、冬場なら……」的に書いてあるが、ぶっちゃけ真夏は無理だと思った。
金曜日の夕方に死んで、処置をしてもらい、6時ごろに連れて帰ってきてから、彼女の定位置だったリビングのソファー脇に棺を置いた。
既に土曜には獣臭が臭う!!
②私が少し嗅覚過敏の気がある(現に、夫はかなり近づかなければ分からない、と言った)
以上の理由はあるにしても、保冷剤(特大)を、本人の上と棺の下から当てて、冷房をガンガンに効かせても、次の日の夜には体内からなんかいろんなものが染み出てきちゃってるのか、臭いはした(ので、本人に「ごめん!!」と言いながら消臭剤を棺の横に置かせてもらった)。もし、動物病院での処置がなく、家で看取った場合は、さらに体の傷みも加わってくるだろう。3日以上家にいてもらうなら、ドライアイスは必須だと思う。かかりつけの動物病院に連絡すれば、業者さんを教えてもらえるはずだ。私の場合は、日曜の朝には火葬の予約が取れたのでもう使わなかったが。
土曜日、前回書いた通り、無理くり足型を取って、夕方に花を求めに行く。お盆で、街中の個人商店が軒並み休みで閉口する。駅ビルの中の生花店で、立派な白百合とヒマワリ、あとは隙間埋め用に、「お買い得品」になっていた、淡い色のバラの纏め売りを買う(どうせ次の日には燃やしちゃうわけで)。長さだけ持ちやすくしてもらい(どうせ次の日には以下略)、帰宅。
他に本人に何を持たせるか…と思ったときに、家族写真を持たせようと、LINEでネットプリントに登録し、コンビニで印刷(ただし、業者によっては普通紙でないと一緒に焼いてもらえないようだ。写真用紙にはしないことをおすすめする。どうせ次の日には以下略)便利な世の中になったもんだ。封筒に入れて、彼女の似顔絵を描く。字が読めなくても、これなら分かってくれればいいのだが。
日曜日の朝。棺に、いつものタオル、お花、お弁当(彼女は、『ドライフード原理主義者』とも言うべき、強硬なカリカリ派であった)、封筒を入れる。外は災害級の暑さ。こんな日に彼女を外に出そうものなら、すぐに舌を出して、家に戻ろうとするような陽気だ。
炉が乗った移動火葬車を使うという。屋根のない駐車場がある家なら、出張もやってくれるらしい。そんなのがあるなんて初めて知った。
最後に抱っこしてお別れしてくださいと言われ、なんだか棺から出すのが今まで躊躇われていた亡骸を抱き上げる。冷たくて硬い彼女を撫でて、(マスク越しだが)たくさんキスをする。いつも、チュッチュチュッチュしても何にも文句を言わずにされるがままの犬だったので、冷たくて硬いことだけがいつもと違って、『ああ、この毛皮の中にもう彼女はいないんだな』と思う。でも、そこに姿形がある名残惜しさ。
「またね」と、言った。
1時間ほど、近くで時間をつぶして戻ってきて、暑い中、まだ熱い炉の前で汗だくになってお骨を拾う。業者さんは丁寧に骨の説明をしてくれた。手元に残す用のカプセルには、綺麗に焼け残っていた歯と、しっぽの骨をひとつ入れた。また、骨を形のまま収めるかパウダー状に加工するか決めかねていたのだが、骨のままだと煤などが原因になってカビになる可能性があること、パウダー状にすればまんべんなく水分が飛ぶので長期的な保管状態が良くなる、という説明を受け、今までなんとなく抵抗があったのだが、合理的なさらさらの状態にして骨壺に収めてもらうことにした。
思ったよりももうふたまわりくらい小さな覆袋を抱いて、家に戻る。やっと、リビングの冷房の設定を27度にできる。彼女の定位置の敷物にお骨を置く。
気持ちの区切りがついたと同時に、やっと、寂しさがこみ上げる。もう、彼女はいない。毛皮も、ない。
人間と同じように7日は魂がこの世に残るのだろうか、と最初は思ったけれど、いっそそうでない方がいい。病気だらけの毛皮を脱いで、身軽になって、軽やかにいぬのくにに帰っていくといい。
そしていぬのくにのかみさまの膝にぴょんとして、「たのしかった!」と言うといい。
きっと彼女ならそうするという自信が、私にはある。
1. チタン製品を加熱処理して表面に酸化チタン(TiO2)の皮膜をつくり青い色を付けること。酸化チタンが青い色をしているわけではなく、透明な酸化チタン膜の表面と裏面で反射した光が干渉することによって生じる色である。位相が合い青色を強めあう厚さ(40〜70nm)であるときに青く発色する。膜厚がより薄ければよく見かける茶色に、厚ければ緑や黄色になる。温度ムラにさらされるチタン製マフラーなどでは膜厚差による色のグラデュエーションを見ることができる。
鉄、真鍮など他の金属でも加熱処理に寄る青焼きがある。着色のプロセスは違いそう。
2. 芳香族ジアゾニウム塩と紫外線を用いた文書、図画の複写方法。複写物は青い。普通紙コピー機が普及するまで主流のコピー方法だった。blueprint。
世の中には、有名なメーカーが作った「しっかりした」一流の文房具と、後発だが有名なメーカーが同じ規格で作った二流品、更にそれを真似てどこの中華とも分からぬメーカーが作った三流品の3種類の文房具がある。
表題でも取り上げている「100均文具」は、例えばクリアファイル等のどのメーカーでも余り品質が変わらないものであったり、或いは元々100円で売っているような製品であったりするならば、ある程度使える「二流」の部類と考えてよいだろう。しかし、大多数の文具、例えばホチキスの針であったり輪ゴムであったりボールペンであったり、というものは、先ず品質の良いものにはお目にかかれない。
少なくとも私個人の範囲で考えれば、僅かな経費節約の為、品質の悪い三流品を敢えて採用するなど考えられないことである。ところが世間とは恐ろしいもので、経費削減の錦の御旗の下、どうしようもなく使えない「100均文具」をさも一流品であるかのようにありがたがって使う会社があるのである。
「業務で自由に使ってよい」と置かれているホチキスとその針、輪ゴム、ボールペンなどなど。その中に「一流品」であるものは、「三流品」の発生しにくい(或いは、それが仕事に直結している)ホワイトボードマーカー程度だろう。
少なくとも、そうした会社の業務効率は決して良いとは言えないだろうと私は思う。
針の通らないホチキス、MAX針と比較することすら憚られる粗悪なホチキス針、どうしようもなく硬い輪ゴム。書こうとすればすぐに書けなくなるボールペン、ロクに文字の消せない消しゴム、如何にも普通紙で作られた粗悪なノート。これらを前にして、どうして効率の良い仕事を行う事ができようか。
自分の会社の社員に効率のよい仕事をさせるための環境を整備するのは、管理者の当然の責務であろう。
何故、「三流品」が世に五万と出回る現代の社会の中で、「一流品」が不動の地位を持っているのか。
それは紛れも無く、「一流品」には相応の価値があるからである。
MAXホッチキスとその針、まさに鬼に金棒だ。Power Flatとステンレス針のコンビネーションは、他のメーカーではまず真似がしにくいものであろう(KOKUYOの出している32枚綴じのステープラー、PLUSの出しているゲージ付きステープラーは、その機能性の高さ故私も愛用しているものであるが)。Jetstreamのボールペン、書き味が大変良い。SARASAも同じ。
効率のよい仕事は、良い環境から。良い環境は、良い文房具から。
良い文房具を提供してくれない会社は、労働において決してよい環境を提供してはくれないだろう。