はてなキーワード: 震災とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fda43ff7bef3b9f5e278976782eee0ed8b24c91
女川町の復興の特徴が「還暦以上は口を出さない」スタンスだ。若い世代中心に、町づくりを進めてきた。女川町は高い防潮堤は築かず、盛り土によって町全体を高台とする再建を行った。
須田善明さん: 私の言葉ではないです。震災一カ月後の復興連絡協議会で、商工会長がこう仰ったんです。「復興には10年、20年かかるだろう。私は今日還暦で、その時生きているか分からない。われわれ世代がやって、良いものになるかも分からない。だから若い世代がやりなさい。還暦以上は口を出さない」と。
女川の実力者である還暦以上の方々が、それに賛同された。その場で正式に方針が決まったわけです。そして「予算が必要なら金策もするし、世間から批判されたら弾除けになる」とも言われました。先輩方が弾除けになり、至らないときには球拾いもしてくれた。そのおかげでわれわれ世代は走っていくことができたんです。
すると、そら大地震よという人がおおい。
いやワイも覚えてるはずなのだがフツーに仕事が忙しかったせいかよく覚えてない。
なんか列車に並ぶサラリーマンもいつもよりえらく暗かったのを覚えてる。
奇妙なぽんぽんぷぅ~んみたいなCMばかりが流れて、なんか世界がバグった感じで気味が悪かった。
TVやらネットも平常運転だし、むしろ株高のせいかみんな元気にみえる。
もちろんキャンパスライフが思ったものと違った新人大学生とかは可哀想だと思うけどな。
なにか別の方向に人類がシフトするための段階のような感じがして、メリットも多いと思う。
たとえば無駄な会議が減ったとか、無駄な手続がシンプルになったとかさ。
◎どんな漫画?
東日本大震災で家族を失った15歳の作者がホームレスになって生きるカラーTwitter漫画。
◎何でこんな日記書くの?ほっとけばいいじゃん
タイトル記事の漫画がこれからバズりそうなので、今のうちに冷や水をぶっかけておこうと思った。
というのも、自分も被災で家族を亡くしたり、親戚の人生が破綻したりして地獄を見たサイドの人間なんだよね。
あの震災を『お涙頂戴感動ポルノ』にパッケージして商売の種にしようって人間がものすごく気に入らねえから。
◎まず騙されないで欲しい事
最初にハッキリ、結論から言わせてもらうとステマ案件と思われる。
そして描いてる人間、100%プロ。見る人が見れば一発でわかる。
可愛い動物で主人公を表現するあざとさだとか、塗りの見やすさだとか、コマ割・ネームの視線誘導だとか…
(今はイラストレーターや漫画家、編集の方がツイッターにごまんといると思うので、聞いてみればいいんじゃないでしょうか)
このままだと、テキトーな出版社から「SNS発の感動震災漫画が単行本化!描きおろし○○ページ」なんて思考力ゼロのカスみたいな煽りつけて、
単価1500円くらいの原価率が良い書籍サイズ単行本になるのが目に見えてるね。感動をありがとうってやつだ。
売る時期は2022年の3月とかに合わせるんじゃないかな。ページ数的にも丁度よくなりそうだし。安易~。
まず、「プロが体験をTwitterで綴ったらあかんのか?」と思われるでしょう。別に事実を伝えてくれて、我々が得るものがあるならいいじゃないかと。
あかんのです。
何故なら、現在の作者様は
「震災の記憶を風化させないために当時の事を漫画で発信していきます。みなさんに当時の様子を知っていただけたらと思います。」なんて表明をしているからです。
要は、これはビジネス目的ではないのだとおっしゃられています。
(「ただし後で出版しないとは言っていない」というのがミソです)
これは、錯誤を招く表現です。「可哀想な無名の被災者が、震災の悲惨さと孤児の辛さを漫画で伝える物語」を作り上げているのです。
ステルスマーケティングが何故悪なのか、というのと被るテーマですが、
「あたかも災害への意識を高めたりだとか、被災して苦労した人々への追悼の意を表現するための無料サービス作品」と錯覚させておきながら、
実は後の出版化・金銭化のための布石、というのは詐欺行為なのです。プロが、無名の人間を装うことは倫理に反することなのです。
別にこれを猫漫画とかでやって、同じようなシステムで金儲けをしても私は何も言おうと思いません。
でも、今回の漫画は震災を商売の種にしようとしている。これを、被災者への冒涜だと私は考えます。
──いやお前の妄想じゃん。何で今出版がどうとかの話してんの?というツッコミが聞こえますが、上にも書いたようにこの作品はほぼ確定的にプロが描いています。
そしてプロが慈善事業をするならば、しかるべき舞台=媒体というものがあります。
プロが本当に世論に震災の恐怖を伝えたければ、初めから政府広報でもいいし、地元の自治体の広報誌でもいい。
SNS媒体の方が良いというのであれば、それこそ初めからWEBメディアを通して発表するべきなのです。
そして「売上は被災地に寄付します」とでも言って広告費や単行本の売上を被災地に流す。
何故彼はそうはしなかったのか?簡単なことです。
商売として、SNS発の方が見栄えがいいからです。いかにもドラマティックだからです。そういう宣伝手法だからです。
100%と断定は勿論できませんが、これは同じ表現者からの告発だと思っていただいて構いません。
みなさん、騙されてはいけません。
「SNS発の美しい物語」の登場人物には、読者の皆様も含まれています。
貴方達の応援ツイートが宣伝文やらニュースでピックアップされて、商品に添えるリボンになるのは規定事項だと思われます。
そうならなかったら?
東北の当時の様子はそれなりに知ってますが、まあ事実を元にしたフィクションって印象ですね。
どこまでは嘘、どこまでは本当、なんて話はしてもしょうがない。そういう風に作ってあるのがまた憎らしい所です。
真実なんてものは、誰かのフィルターを通して表現された時点で曖昧になるものなのです。「これは嘘あれは本当」なんてファクトチェックをかの漫画に行うことは、大して意味持たないんです。
不幸にも家族を失った可愛らしいクマの主人公。混乱するが本質は思いやりのある東北の人達。
心の底から笑わせてくれます。読者が求めているものをよくわかっていらっしゃる。
その責任感が、現状の漫画からはあまり感じられないように思います。
まあ当然ですね、なんたってプロではなく無名の人物が描いた漫画という体になっているのですから。
「Fukushima50」の映画が、事実と異なる表現があるだの、人をむやみに美化しているだの批判されても、私はあの映画のスタッフをリスペクトします。
何故ならば、彼らはしっかりと名前を出し、正規の手続きを踏み、表現を行っているからです。
匿名で、責任をとらなくていい立場から、あたかも知ったかのように物を申す事が如何に無責任なのか?それはこの記事を見ればわかるでしょう。
読者に押しつけているものが、批判なのか感動ポルノなのかという違いだけです。
しかも半匿名でありながら、被災者という「被害者の道徳的正しさ」を利用するのは、最高に卑怯なことです。
◎読者の方へ
あの漫画は、間違いなく正しく読者の求めるものを考えて描かれています。
みんな、震災や人の本当のグロテスクさなんてものは、見たくないのです。
でも、本当に震災の大変さを、孤児として生きる大変さを伝えるなら、あの漫画はあまりにも、不気味なほどに清潔なのです。
そして、わざとツッコミどころを残している。何故なら、議論が盛り上がると作品が盛り上がり、それは結果的に金になるからです。
しかも、そのツッコミどころは、おそらく被災した役場や教師、都会の人の冷たさといったものを対象とするように、恣意的な方向性を持たされている。
最後は人ではなく、時代や環境が悪いという結論が出るように誘導されている。ああ、なんて正しいんでしょう。誰も不幸にならない。
被災者をテーマにしていなければ、私も拍手喝采をするでしょう。
あの漫画は、読者の皆さんの善意を誤作動させるように作ってあるのです。
冷たい計算の元に、ネームが切られ、写植が打ち込まれ、着色されています。
しかし、おそらく、皆様が思っているほど、あの漫画は善なるものではないと、一歩距離を置いて読んで欲しいのです。
◎最後に作者の方に、一つだけ
本当に震災のことを伝えたいなら、ちゃんとしてください。頼むから。
「別に日記だし?崇高な目的を勝手に感じるのはそっちじゃん?」と言わんばかりの、プロフィールの「プロとして正しい書き方」が、本当に卑怯に見えます。
10年経っても、まだ苦しい人がいるんです。
先に書いておくけどこれ怪文書ね
・書き方がプロっぽい
キャラがぶち抜いてある箇所やコマに囲まれていない箇所、吹き出しがコマを跨いでいる箇所など、心得のない者が描けるコマ割りではないように思える。また、波や車、建物など、素材を使用したと思しき箇所もあり小慣れ感がある。
お気持ち漫画や体験談漫画のセリフって自分が見たことのある中だとデフォルト選択か何かの適当なフォントか手書きが多かったけど、今回のこの漫画はイワタアンチック体Bという有料フォントが使用されている(おそらく)。ただし、クリスタ付属ではある。(このフォントは、かな/カナが明朝体で漢字がゴシック体で構成された、漫画のセリフ用に体裁が整えられたフォントである。一定の知識や経験がなければ漫画のセリフに使用されているフォントはひらがなと漢字で形が違うなーとは気づかないのでは……)
要は一個人の体験談漫画にしては体裁が整いすぎてるんだよね(まぁ二桁以上の数字の扱いとか雑なところは見受けられるが)
この漫画用に別アカウントをこさえたという見方もできるが……。ここまでの本職感でTwitterをやっていないというのは違和感(偏見)。本垢への誘導もなし。漫画を描ける人が体験談を漫画にして投稿する時こんなにも個を隠すものなのか?
アカウント名で検索すると2020年2月に作成されそのまま放置されたと思われる同名アカウントが出てくるんだが、その他に同名アカウントはなし。こんな偶然ってあるのか?
・はてブで46ユーザー時点で表示不可ユーザー43だったという指摘が入っている
おわり
それは分かってるさ
そんなに嫌なら震災の報道が少なくなることを批判したりするのもやめたらいい
東京の奴らは震災なんてどうも思ってないしもう忘れてるって話してた
取材も減ったとかなんとか
矛盾してるよね
来るなら広まるし、避けては通れないと思うんだけど
誕生日だけど今年はなんかうれしくない。
2011年の誕生日も震災の直後だったからケーキも買えないし家からも出れないし何もできなくて鬱だった時に似てる。
ケーキが食べたいわけじゃないんだけど、閉塞感を感じて息苦しい
例えば特撮は自分にとってはありえない映像、どうやって作ったの?!と思ってしまう映像であって、
例えばウルトラマンだって、今から見れば稚拙に見えるところが増えてるかもしれないけれど、
虚構が現実に見えるようなシーンが一瞬だけあるだけでもワクワクしたのが自分の子供時代だったと思う
だから、「八岐之大蛇の逆襲」はやっぱり当時としては凄かったわけで、
庵野氏や樋口氏のような大阪芸大の学生が作った映像でありながら、
少なくとも瞬間瞬間では円谷どころか当時のレベルでの下手なハリウッドは超えてたと思うわけで、
自主制作による特撮やアニメのブームを起こしたといっても過言ではないと思う
といっても、当時の自分は小学生とかなのでリアルタイムでどうだったかはよく知らない
知らないけど、田舎で特撮の雑誌とかファンゴリアの日本語版とかそんなのばかり読んでたのでな、
ところで、現実ってのは本当にクソだと思うのだけど、何がクソかって色々あるのだけど、
現実というのはクソだとしても自分の思い通りに変えづらいというのもクソであって、
社会とか他人とか、自分がクソだと思ってもそれは変えられない、簡単には変えられない
だから、小説とか漫画とか映画とか、そういうフィクションなら当たり前だけどいくらでも変えられるわけで、
現実の世界で何かをなし得る、マザーテレサじゃないが、そういうのは難しいわけだけど、
フィクションはいくらでも変えられるわけだから、どんどん手が込んでくるというのがある
要は努力と結果が比例しやすいわけで、フィクションを作り込むことにのめり込んでいく
でも、それがモーションコントロールカメラみたいな時代だったらまだ牧歌的というか、
特撮に関しては特に技術自体で差別化ができてたりもしたわけだけど、
今の時代はCGがもうメインであって、パッと見では実写かCGかは区別がつかないぐらいで、
ディープフェイクみたいなのだって眼球の光の反射がどうこう言われてるみたいだけど、
というか、自分的にはCGを全面に押し出した作品に飽きていて、
まあ、初代ジュラシック・パークも途中で寝てたんだけど…
でも、物語の内容がまったくない、それこそ「八岐之大蛇の逆襲」みたいな作品が面白く思えるのは、
やっぱり技術というか、当時の若者たちの執念が込められているからだと思う
かといって、自分はトランスフォーマーやパシフィック・リムみたいなのに飽きてる
シン・ゴジラも特に後半はそういう感じがして食傷気味とでもいうかつまらなさを感じた
といっても、後半に庵野氏が試みてたiPhoneによる撮影のようなカメラワークや臨場感が活躍する場はなかっただろうし、
やったらやったで完全にクローバーフィールドみたいになってしまうだろうし、
自分としてはそっちの方が面白いとさえ思うのだけど、それをやるとゴジラではなくなってしまう
そうするとストーリーはともかく、打算としてもああいう映像になるのは仕方がないのだと思う
話が脱線したが、今日に至るまでフィクションを作り込むことに精力を注いできた面があったわけで、
そのためにモーションコントロールカメラもそうだがコンピュータは非常に活躍してきた
そして、今はコンピュータで映像を作り出し、コンピュータ「が」勝手に映像を作るところまで来てるとも言える
一方、商売として考えるときに差別化は必須なわけで、その差別化が特撮技術だったりした時代があったと思うのだけど、
最近は比較的安価にCGによる特撮が可能になってきていることもあり、それがYouTubeを賑わせたりしてる
こうなるとフィクションだのCGだのは完全なレッドオーシャンとも言える
仮にその辺を歩いているオバサンや子供でさえ簡単に無償で高度な特撮映像が作れるような時代になったとしたら、
となると、技術でないところで勝負しなければならないわけだが、
それは物語とか内容とかレイアウトやカメラワークだとかになるわけだけど、
それはそれでまた溢れてるように思う
その上、震災や津波のようなリアルの映像にとても特撮は勝てない
リアルの映像の圧倒的なリアルさに、当たり前だが、圧倒されるだけで、破壊されるビルの模型をちまちま作ったり、
CGでシミュレーションしたりすることさえ、リアルで人が死ぬという現実には敵わない
そうすると、最後のフロンティアとして残るのが現実と考えるのも変ではないのかもしれない
フィクションを突き詰めて虚構を現実に極限まで近付ける努力をしてきたが、結局はリアルには勝てなかった
その虚構を現実に近付ける技術も高度に発達はしたものの陳腐化し一般化してしまった
となると、最後にクリエイティブな領域として残るのはリアルしかない
10年経ったのに未だにマスコミは震災のことを取り上げている。毎度毎度のお涙頂戴と、薄っぺらい応援と、希望がどうのこうの。脳死老人向けのメディアなんか見てるお前が悪いと言われればそうだけど、もういいんじゃないの。希望なんかないんだよ。
311は多くの人が亡くなったし、津波の映像は衝撃的だったし、極めつけに原発も爆発するしで大変な災害だったけど、10年経って東北がどうなったのかといえば相変わらず衰退してるだけ。生産性がなさすぎる。
結局、マクロ的にまた長期的に終わりが確定していたエリアが震災をきっかけに終わりに向かう速度が上がっただけの話でしかない。ゲームオーバー、手遅れ、ご臨終なんだ。いい加減にそれを認める頃合いだよ。
なのに、例えば「庵野は変わった」とか「庵野は間違いなく震災に影響を受けた」とか「庵野も歳取った」とか「結婚したからつまらなくなった」とか「会社を背負うようになって保守的になった」とか「また庵野のオナニーか」などなど、一体なんなんだ? と思うばかりの「庵野」だらけ。
なんで否定派ばっかりなの?肯定派が庵野を出すのはいいの?庵野を引き合いに出すことじゃなくて良作だと感じた自分と意見が違うのが嫌なだけでしょ?
一番つまらなかったのは、エヴァなどの動かし方が下手すぎる、という事でした。
AIRで見た弍号機のあの素晴らしい動きはシン・エヴァには影も形もありません。破まではあったのに、Q以降は全然ダメですね。
増田もケチつけてんじゃん。期待が過剰になり過ぎて、シンジがかつて叫んだように「ボクを裏切ったんだ!」と思うくらいに思い込んじゃってるの?自分で作れば?
同級生やその家族がグシャグシャに崩れた自宅の前でさめざめと泣いているのを、自宅だったマンションの瓦礫の山で配給の乾パンかじりながらボケーッと眺めていたい。
商品棚がスッカラカンのコンビニで、絶体絶命都市みたいにレジカウンターの上に山積みにされている、善意の人々が店員がいなくても支払った料金をバレない程度に握り込んでこっそり貯金したい。
電気も通わなくなって監視カメラとかも機能してないことを確認したら未だにわだかまりを抱えてる同級生をこっそり殺したい。
スーパーの棚に残された人気のないラーメンをためらいなく食べて、初めて食べる味わいにちょっとテンションを上げてみたい。
避難所に指定されてる母校の小学校の体育館に行って、思い出に浸りたい。
震災関係なく、おいしくなかったから食べなかっただけで賞味期限がとっくに切れた買い置きを非常食のように振る舞って他人に感謝されたい。
ちょっとずつちょっとずつ復興する地元を見守りながら、これからこの街で起きた災害を忘れないように背負っていくとかインタビューでフカしたい。
もし増田がぼったくりスーパーの名前や避難した体育館を名指しして「加害者」に凸を促すような行為をしていたら
乗っかったはてなーが営業妨害で逆に通報されたりデマだった場合また別の被害者を生むことになるから
冷静な視点になって静観したり鵜呑みにするなって注意喚起するのもまあ分かるよ
でもそうじゃないじゃん
災害で家族を亡くした人に向かって嘘松嘘松連呼してどういう効果を期待してるの?
震災でこんなに親切にしてもらいましたありがとうってエピソードは簡単に信じるくせにな
こんな時だけ冷静なボクアピールかよ
これに限らずありとあらゆる記事で強い怒りや悲しみの感情を見つけるとすぐ否定しにかかるよな
自分の感情を乱されるのを嫌って他人の感情を無理やりコントロールして封じようとする
ボクちんは信じないぞ!って言うのは勝手だけど
この災害大国で自分の身に同じことが起こるかもって考えないのかね
世界公平仮説っていうの?それとも正常バイアス?自分はいい子にしてるんだから自分だけはこんな酷い目に遭うわけないと思ってる?