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はてなキーワード: 部活とは

2021-12-11

自分らしさアイデンティティの発露

中学高校自分の目当ての部活が無かった

から中学では自分らしさを上手く出せず立ち位置も悩んだ

高校でも相変わらずだったが一応趣味アジャストした

でも目当ての部活に入りたくてあるところに転校した

大学に進学するもサークル選択肢が少なかった

ということでサークルを作るべくより学生数の多い大学編入した

サークルを作った結果多い時で23ものメンバーが集まった

その大学中退した後でも何人かのメンバーとは交流があり旅行にも行っている

 

自分らしさやアイデンティティ立場や団体への所属があって始まるのである

私が中学の時あまり上手く自分を出せなかったのは当時居た中学動物園でそこに所属していたのが不本意であるからだろう

思い返せば本当に窮屈だった だからこそアイデンティティ確立する方法が徐々に分かってきた

いまは自分らしさを出すことに気の迷いもないし、新しい自己発見とともに学びを増やしている。

名前ぐらいは知っていたがソフトテニス部活が中高になかった

大学で初めて知った

ソフトテニスをやってたやつがサークルに来てイキってたか

ネタにしてたらボコられた

今となっては良い思い出

人生経験は多い方が良いに決まってる

一度きりの人生

学生時代恋愛をして、部活で汗を流し涙を流し

受験勉強必死に取り組んで、名の知れた企業に勤めて30辺りで結婚して新婚旅行いって式あげて、しばらくしたら子供ができて、マイホームを購入して親孝行して

子育てして死ぬんだ。

これが普通人生だってさ、この人生を歩める人が何割いるんだろうか。

きっと3〜4割程度だろう。

じゃあ普通じゃないよね。

他人と比べない、闘わない、自分世界に閉じこもるのは結局逃げているんよ

人と関わって向き合って僕は生きることにするよ。

じゃあおれ行くけど?

2021-12-09

貧困から抜け出すには学校を利用しろ

貧困連鎖から抜け出すにはとにかく勉強しろ勉強して、良い大学を出ろ。古い価値観かもしれんが、学歴はないよりあったほうがいい。

学費免除大学寮を利用すれば、バイトと少しの仕送り、出来れば避けたいが奨学金でどうにかなる。

それなりの進学校には入っておいた方がいいぞ。

ちなみに、予備校は近道なだけで、必ずしも通う必要はない。学校教師を存分に利用しろ

以下の4つの点を意識して利用してほしい。

  

1つ目は、一年生の段階で担任相談しておくこと。これが一番大切だったりする。

家の財政状況、進学の希望など包み隠さず伝えておけ。ハズレの担任でない限り、力の限り手助けをしてくれるはずだ。

もしハズレだった場合、誰でもいいから信頼できそうな教師相談しろ。そうすることで学年の教師間で情報の共有ができ、対応できる。

  

2つ目は、授業と課題真摯に取り組むこと。

からないことがあったらその日のうち、最低でも一週間以内に質問に行け。担当説明が分からなければ、他の教師に聞いてもいい。

とにかく分からないことを放置するな。後で取り返すには何倍もの労力と時間がかかる。

また、ある程度の進学校ならそれなりに課題が出るはずだ。答えを写して提出するような真似だけはするな。課題テキストは良質なものが多いので、一年間真面目に取り組めば学力は伸びる。

  

3つ目は、毎日活動している部活に入ること。

土日は基本休みで、平日2時間程度の活動をしている部活おすすめだ。家庭状況が許せばだが。

週一部活学力が伸びるのは、強い意志意識がある生徒か、元々学力が高い生徒だけだ。人間とは堕落する生き物なため、時間があるとやるべきことを後回しにしてしまう。制約があった方が学習習慣が身につき、学力高まると思う。

  

4つ目は、学習習慣を身につけておくこと。

学習習慣といっても、大袈裟なことはしなくていい。出された課題に取り組み、小テスト勉強は前の日にやっておく。この程度でいい。その調子定期テスト勉強もやれば、成績はそれなりにとれるはずだ。

この積み重ねが、いざ受験勉強になった時に生きてくる。習慣は一朝一夕では身に付かない。

  

ここら辺を意識しながら学習に取り組んでほしい。

そして行事友達との遊びもどんどんやれ。恋愛もどんどんしろ楽しい学校生活を送ってくれ。

anond:20211209093616

厳しいとかじゃなくて、会社空気社会ルールよりも優先されると思ってるキチガイだと思う

体罰は愛の鞭、ミスったら殴られて当然、それがうちのルールだって言ってる体育会系キチガイ部活と変わらん

何がルールだよ、どこにも明文化されてもなければ事前の説明もしてないくせに

こんなキチガイ社会人面してるの本当に吐き気がする

今すぐ死んでほしい

本当に

年賀状十三しか書かない。

三月祖父を亡くした。喪中はがきスタバで書いた。有給休暇を取って歯医者に行った直後、色素が付着しそうなコーヒーを飲むのもどうかと思ったが、家では集中できそうになかった。久しぶりのスタバコーヒーはうまかった。

ところで、毎年十三しかはがきを書かないが、知り合いの数がそれだけというわけではない。中学高校の友人からは「返事を出すのが面倒だからライン挨拶してくれ」と言われているので、はがきを出す相手がごくごく限られている。なんとなくはがきじゃないと失礼な気がするサークルの先輩や恩師、メールアドレスラインを知らないため、はがきで年に一度のやり取りを延々と続けている小学校時代の唯一の友人くらいだ。

皆、年賀状を書くことがまれになったからだろう。正月に返事が来ることなどめったにない。三が日を過ぎることもある。近況を尋ね、それに対する返事が返ってくる。行き違いにならないのはいい。

だが、毎年出す十三枚のうち、二枚は返事がない。一人は高校部活の後輩だ。同じ大学に進学したが、校内で会うこともないうちに返事が来なくなった。もう一人は高校の友人だ。以前夜中に電話がかかってきて、「自分難病らしい、死ぬかもしれない」と口にしていた。自分は「そうか」としか言えなかった。二十になったからならないからのことで、うまい知恵などない。具体的な病名も知らせてくれなかった。その後、復学したというはがきが来たが、それ以降音沙汰がない。子どもが死んだら、親というもの子どもの友人に何か通知をするものだろうか。

それとは別に思い出されるのは、自ら死を選んでしまった友人だ。高校卒業して疎遠になってしばらくしたら、別の友人から命を絶ったと聞かされた。彼は遺書を読んだそうだが、自分は見せてくれとは言えなかった。いじめられっ子だった自分は読むのが怖かった。

件の二人だってもう生きていないかもしれない。だが、もしも闘病が続いていたら、はがきが来ないと寂しいだろう。現に、返事が来なかった友人がもう一人いたが、数年後に返事が来て、「精神調子を崩していて不義理をした」とのお詫びが来た。それに先日退院した祖母も、スマホ携帯も使えないから毎週手紙を出したが、具合が悪いと手紙を読むどころではなかったそうだ。伯母も似たような状況にある。

そういうこともあるので、返事を期待せずに毎年はがきを書いている。上に書いたようなことどもで胸を少しざわつかせながら。

その後自分は髪を切った。せっかくの有給なのに結局あわただしく予定をこなしてしまったが、平日のスタバは静かでよかった。

2021-12-08

anond:20211208133021

学校がそうだし部活上位者にこびることを証拠を残さず刷り込むのが役割だろ

上下存在を認めさせる

言われなくても下は上にこびる

この2点を学ぶのが学校だろ

anond:20211207234515

俺に一目惚れした女の子とその後結婚することになるわけだけど

まあそれはおいといて大学に進学し、コミュ力を鍛えるため演劇部に入った

これがまあ失敗で、演技力はついたけどコミュ力を鍛えることはできなかった

3年在籍して主演舞台もなんどかやったけど誰とも会話した覚えがない

当然友達など一人もできない

役者仲間であり友達がいない変わり者仲間のOくん、元気ですか

君とは二人舞台もやったし一緒に二人で金沢旅行に行ったけど、少しも仲良くなれなかったね

それから俺は稽古で消耗し過ぎて学業がおろそかになり、ついには部活フェードアウトして

から電話にも出ず引きこもってパソコンばかりやるようになり、そのまま中退

通常であればここで人生が終了しているところだが俺の場合はここから人生の始まりだった

 

急に記憶スイッチが入ってしまい全く関係ない増田へのトラバで半生を回顧してしま申し訳無い

2021-12-07

anond:20211207225605

運動して体力がついたのはいいけどね。

部活が始まる前に吐きそうになったり、人間関係が嫌で逃げ出したくなるような思いをしてまでやるもんじゃなかったなって思うんだよね。

anond:20211207225203

学生時代しか出来ないことだし、イイと思いますよ。

自分テニス小学生の時遊びでやっていたので中学部活やりたくて

志願してみたけど人気があってしごかれる、たいへんってきいて運動系はやめたんですよ。

しごかれてもやっとけばよかったかもって少し思います

結局友人に誘われた部と、他の自分がやりたかった部に入ったけど。

anond:20211207224703

自分の身の丈に合わない部活を選んじゃったんだ。早く辞めて、別の部活に行けば良かったのにね。

 

何のために部活をしていたんだろう。

フラ・フラダンス

今日の夢

クッキークリッカー×バトルのゲームをお父さんのPCで遊んでいたら、やめようとしてもやめられなくなり巫女さんキャラにドロドロに溶かされて手下にされかけたけれどなんかwifiパスワードを書いたら出れた。

数年後、リメイクができてやっていたらゲームの中に入り込んでしまい、逃げようとするも巫女さんに見つかってしまう。部活の人たちでやっていたので、その人が囮になって逃げることができた。だけど、その人が囮になる際にwifiパスワードが空中に浮かんでいたのを記録していなかったので、結局巫女さんに溶かされてそこで夢は終わった。

anond:20211206192500

YouTuber部活の延長でやってるような素人臭さが苦手

2021-12-06

anond:20211206225017

知り合いが日記書いてて7歳年上の会社員と何やったとかを赤裸々に書いててこれ読んで良いのか?と思ったことがある

しか部活の人も全員たどり着く場所に書いてるから実話なのか創作なのか聞けずじまいでいる

anond:20211206135610

価値観が同じ(共通話題がある、生まれ育ちが似ている、金銭感覚が似ている)


学校時代のは、部活や家や席の近さで友達ができるので

思い出話くらいしか盛り上がらず長友にならない。

2021-12-05

天領うどん、食いてえ

やっぱ、高校部活の帰り、岡富の旭化成サービスにあった天領うどんの素うどん(190円)。

あれに、どれだけお世話になったことか。

細麵で、だしが絶妙天領うどん

今は関東に住んでで、丸亀うどんとか、いろんなのを食べたけど、

やっぱり、天領うどんが食べたい。

関東には出店せんのかね?

2021-12-04

小学中学部活大学院理工学研究科研究室附属実験補助部なんだぜとかいうやつ

そういうのも今後出てくるのだろう

選べる制服でも大多数は同じ物を着ていた

最近よくジェンダーレス制服っていうけど

私の中学と同じ現象が起きたら結局目立つ人だけ目立っちゃうよな〜と思ってる

以下は思い出話


15年前私が通ってた公立中学制服がブレザーで

中に着る用に薄めのセーターとベスト販売されていた

名目上、セーターとベストの好きな方を選べる事になってはいたけど

なんとなく男女とも「この制服ベストを着る子はなんか格好悪い」「みんなセーターだからベスト着てると浮く」みたいな不文律があった


まあ、袖がない分ベストの方がちょっとだけ安いんだけど

中学のそういう空気感を親がよく知らずにケチってベスト買われちゃった子は

なんとなくヒソヒソされたり

派手なグループや気が強いクラスの中心人物部活の先輩たちから

ベスト着てるだけで格下みたいな嫌な扱いを受ける事が多く

結局ベスト着るのを嫌がって後にセーターを買い直していた

まあ、そんな文化があるのが悪いんだけど

私一人が「そんなのおかしい」って言ったぐらいで変わるはずもなく


私はベストだけ買われた生徒だった

母親は残念ながら色々と空気が読めない人で

ベストだと仲間外れにされやすいからセーター欲しい」と訴えても

その程度の事気にすんな!と豪快に笑い飛ばされ「仲間外れってあんた何かしたんじゃないの?」と何も分かってもらえなかった

私の母は他のお母さん達と違う行動して「変わったお母さん」って呼ばれてるのをガチで全く気付かない人なので

これ以上話しても無駄だなと思った(今は疎遠)


勿論、クラス内にはベストだろうが何だろうが全く気にしないような心優しい友達もいたので

中学生活3年間なんとか乗り切っていけたけど

卒業まで何かにつけて知らない生徒から「あのベストの子」「いつもベスト着てる先輩」と呼ばれていて

悪い意味有名人だった


私が中学生だったのは15年前とはいえ

今でもネット見てると「子どもが他の子と同じじゃなくてイジられて泣いた」「同じもの持ってなくてハブられた」みたいな話ちょくちょく聞くし

人間本質そう簡単に変わらないよなと思って心配してしま


例えば制服3種類ABC選べてもほとんどAの中一人B着てる

みたいな事が出てくると思うんだよね

それはそれで大丈夫なのかなと

コミュニティに参加するための条件が知りたい。

同じ趣味で集まるコミュニティがあったとして、いったいコミュニティに参加するにはどんな条件が必要なんだろうか。

世の中ギブアンドテイクだから何かを提供しなければ仲間に入れてもらえないはずで、そんなものは持ってないかコミュニティに入れない。

コミュニティに入れる人の条件を教えてほしい。

人に迷惑をかけないのは当然として、コミュニティに入るからにはそれ以上のものが求められるはずで。他人にとって価値のある人間でないとコミュニティに入れてもらえないと思う。

そんな人間ではないのでコミュニティには入れないんだけど、そんな人間からこそ一人でできることには限界がある。詰み。

コミュニティに入るにはどうしたらいいのか。

コミュニティに入ってから抜けるのは申し訳ない。しかコミュニティに入らないとその場の雰囲気がわからない。高校の時、部活に入ったら想像以上の練習のキツさで1日で幽霊部員と化したことがある。その轍は踏みたくない。どうにかして入らずに雰囲気を掴む術を知りたい。

コミュニティに入って人に迷惑をかけたくない。

コミュニティに入ると他人と関わることになる。他人と関わることは他人迷惑をかけることである。その人がコミュニティから得られる利益を、私が迷惑をかけることによる不利益が打ち消すかもしれない。

コミュニティなんて自分のことだけしか考えられない人が入るところだ。他人迷惑をかけないために、コミュニティに入るべきではない。

コミュニティがないとつらい。

独身男性寿命が既婚男性より短いのは有名な話だ。そうであるならば独身男性は早めにこの世からなくなるようにならないか藤子F不二雄の漫画みたいに。

コミュニティについて考え出してはや1年が経ったけど、未だに答えが全然出ない。コミュニティがあれば楽しいんだろうなあ、でもその楽しい空間は私が潰しちゃうんだよなと思うとだめだ。

もう無理だよ。

2021-12-03

もっと我慢強い性格に生まれたかった

なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。

 思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。

 本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。

 学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日宿題になる。ずっと負の連鎖

 提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前ひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。

 もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。

 でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。

 そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリータイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。

 

 小3、そして小4。なぜか、プリント問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。

 このころの記憶あんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラス女の子が頭おかしいくらメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。

 記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。

 反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂自分母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。

 この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。

 最大の問題が起きたのは、小5の夏休み宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事夏休み宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。

 さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉ポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲームそれからぼーっとすること。

ゲームが大好きというわけでもないが、簡単宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。

 それで、最終的にどう決断たかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。

まあ、その日は何とか休めた。

 次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。

 しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。

 それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。

 たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。

 それ以来長期休み宿題が終わったためしがない。

 思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。

 公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。

 あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技クラスカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にの子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。

 

 そして中学1年生。

 つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライド邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。

 メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。

 宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。

 困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。

 テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。

 中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。

 メンヘラ化によるストレス限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分イライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。

 内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。

 毎日自分失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。

 周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。

 毎日死にたいと思いながら生きた。

 でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスマイナスかと言えば完全にマイナスだが...

 中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。

 内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。

 あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分希望にぴったり合った高校

 将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。

 中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。

 でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。

 みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校自分だけなわけではないが)

 メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。

 中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。

 2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。

 志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。

 でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれ毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。

 周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校あきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。

 ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分から自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。

それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。



言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験ストレスです。

こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日勉強します。

もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

2021-12-02

塩漬けした記憶

高校の登校したりしなかったりした不登校時期

クソみたいな部活とクソみたいなキャプテン

病気かと思って母に迷惑かけた地獄の日々

しばらくしてから大学ドタキャン自己嫌悪

この記憶いつきえるんだ

2021-11-30

大学生事務処理的な部活

過去、私の通っていた大学には総務管理部という事務処理的な事をする部活があった。(委員会ではなく部活扱いだった)

私も所属していたわけではないので内情はよく分からないのですが、部活動の会計処理をしたり予算を決めたり部活棟の使用ルールを決めたりなどをする部活との事。

私が卒業する頃にはやりたがる人も居ないのか、人数もかなり少なくブラック部活だなんて言われていたりした。

こういう部活ってメジャーなのかどうかわからんのですけど、私個人としては死ぬほどつまらなそう(好きで入った人ごめんなさい…)と思ってしまうのですが、入った人はどういう意図があって入ったのか知りたい気持ちもある。

もしかして就職斡旋してくれたりするようなメリットがあるとか…?謎である

2021-11-27

大好きな愛犬を安楽死させました

タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分気持ちに整理をつけられればと思い、はてな新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います

彼との出会い2002年の2月

物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可新築マンション引っ越しから数ヶ月が経った頃。

せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだ夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン

まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。

しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。

(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)

初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワ喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間ご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます

共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。

2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。

電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。

当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)

そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。

ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。

父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。

麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さなさな黒い腫瘍になっていました。

その腫瘍は癌の一種メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきますトイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。

その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます

大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。

酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。

酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がりますご飯を吐くようになりました。

1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。

母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。

いつも行っていた公園カートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。

最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。

目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。

そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。

帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっと散歩行けたのにね。

家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。

2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。

寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。

そんな子を自らの意思で殺しました。

会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまます

でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛いクリクリ耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。

まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。

大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。

私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています

何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います

ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます

2021/12/21追記

たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。

一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かい言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます

一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。

で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。

彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!

というわけでした。勝手運命を感じただけなのでこれからどうするかはわかりませんが。

長々と追記までしてしまい、ここまで読んでくださった方ありがとうございました。

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