三月に祖父を亡くした。喪中はがきをスタバで書いた。有給休暇を取って歯医者に行った直後、色素が付着しそうなコーヒーを飲むのもどうかと思ったが、家では集中できそうになかった。久しぶりのスタバのコーヒーはうまかった。
ところで、毎年十三枚しかはがきを書かないが、知り合いの数がそれだけというわけではない。中学高校の友人からは「返事を出すのが面倒だからラインで挨拶してくれ」と言われているので、はがきを出す相手がごくごく限られている。なんとなくはがきじゃないと失礼な気がするサークルの先輩や恩師、メールアドレスやラインを知らないため、はがきで年に一度のやり取りを延々と続けている小学校時代の唯一の友人くらいだ。
皆、年賀状を書くことがまれになったからだろう。正月に返事が来ることなどめったにない。三が日を過ぎることもある。近況を尋ね、それに対する返事が返ってくる。行き違いにならないのはいい。
だが、毎年出す十三枚のうち、二枚は返事がない。一人は高校の部活の後輩だ。同じ大学に進学したが、校内で会うこともないうちに返事が来なくなった。もう一人は高校の友人だ。以前夜中に電話がかかってきて、「自分は難病らしい、死ぬかもしれない」と口にしていた。自分は「そうか」としか言えなかった。二十になったからならないからのことで、うまい知恵などない。具体的な病名も知らせてくれなかった。その後、復学したというはがきが来たが、それ以降音沙汰がない。子どもが死んだら、親というものは子どもの友人に何か通知をするものだろうか。
それとは別に思い出されるのは、自ら死を選んでしまった友人だ。高校を卒業して疎遠になってしばらくしたら、別の友人から命を絶ったと聞かされた。彼は遺書を読んだそうだが、自分は見せてくれとは言えなかった。いじめられっ子だった自分は読むのが怖かった。
件の二人だってもう生きていないかもしれない。だが、もしも闘病が続いていたら、はがきが来ないと寂しいだろう。現に、返事が来なかった友人がもう一人いたが、数年後に返事が来て、「精神の調子を崩していて不義理をした」とのお詫びが来た。それに先日退院した祖母も、スマホも携帯も使えないから毎週手紙を出したが、具合が悪いと手紙を読むどころではなかったそうだ。伯母も似たような状況にある。
そういうこともあるので、返事を期待せずに毎年はがきを書いている。上に書いたようなことどもで胸を少しざわつかせながら。
まだ書かないと失礼だと思っている古い人間にだけ返すようにしました。郵便局が作り出したまやかしの風習だぞ