はてなキーワード: 観光とは
あ、第二種ね。第一種の試験は受けたけど馬鹿だから通らなかった。
奨学金借りる時に親の源泉徴収票とか必要なんだけど、もうそれを見るのつらかったよね。
高校まではぬくぬくと育てて貰ったし、父方の祖父が米農家ってこともあって食べるものに困るなんて経験はなかった。(大体米とりにいくと野菜とかくれた。)
田舎のアホ学生がちょっと大学説明会とかで感化されたら、ちょっと頑張って受験勉強して、なんとか東京の大学に受かったからまぁ大変よ。
学費と親の給与見比べて「あぁ自分は分不相応な事をしたんだな」って認識するのが正直つらかったし、それは第一種を受ける時にまず認識するべき事で、遅かったんだ、馬鹿だから。
まぁその御蔭で大学入ったら東京で一杯遊ぶぞ―と呑気だった自分は消えて、バイトと勉強を毎日ずっとがんばって熱がでても隠すような非常識人間に成り下がってでもいい会社に行こうとしたもんだから大学4年間で友達も0、遊び経験もなしで参っちゃったよね。
親が東京に顔みせがてら観光に来てくれたのに東京の店もわからずバイト先の松屋ぐらいしか案内できないのも、今思うと惨めだわ。
まぁ結局入った会社が2重、3重の派遣当たり前で色んな所たらい回しにされて通勤が2時間とか、残業が8時間とかもう言われるままにやってたらぶっ倒れて、実家に戻って、近場で中学の時の友達がやってる釣具屋の手伝いしながらその店のEC事業やってて、コロナであえぐ友人たちの補助金申請とEC事業展開手伝いしてますわ。
コロナのせいでサントリー山崎&白州蒸留所の観光はできないけれど、そのかわりにオンラインライブなるものをやっている。蒸留所の解説や美味しいハイボールの作り方、うまいツマミの紹介...などなどを1時間堪能する。
特に、事前に送られてくる白州ミニボトルとロゴ入りテイスティンググラス(ブレンダーが使うものと同じもの!)を使ったテイスティング体験なんてのもあったりして、参加費は3300円。これはお買い得だと思って飛び付いてしまった。
オンラインライブは白州蒸留所が根を下ろす土地の紹介に始まり、博物館や蒸留施設、ウイスキーの製造行程にまつわる解説。最後に、テイスティング体験と質疑応答といった流れで進行した。
全体を通して面白いオンライン体験だった。だけど、やっぱり現地での体験にはかなわないんだろうなあと強く思ってしまった。サントリーがアピールする「森の蒸留所」の空気は、現地に行かなきゃ分からない。でも、オンラインという形は遠方の人にはありがたかったろうし、立地ゆえに出てくる「運転手だから飲めない!」とか「電車移動が疲れる」みたいなストレスを感じずに白州を味わえたことは良かったと思う。
ちなみに、ミニボトル&テイスティンググラスのセットはメルカリで5000円以上の値段で転売されています。参加費3300円でもらえるセットなので、買わないことを強くおすすめします。
申し込みフォームの所に「転売目的の申し込みはお断りします」って書いてあるのに...
たくさんの人々が情熱をかけて造るウイスキーが、ウイスキーに対する愛なんてかけらもない人の懐を肥やすために利用されるなんて、なんとも悲しいばかり。貧相な倫理観を持った人たちのせいでウイスキー業界がダメにならないことを祈るばかりですね。
乗り方が分からない
利用する前にバス会社名でググれ。
→大抵のバス会社でホームページ上で乗車するバス停と行き先を入力すれば時刻と運賃が検索できる様になっている。
利用する前にバス会社名でググれ。
繁華街や駅前などの利用者が多いバス停は大抵の路線が通る様になっている。
よほど辺鄙なところに向かうのでなければ、行き先が表示されないという事はない。
よほど辺鄙なところの場合は半日にバス一本というところが多いので、バスではなくレンタカーかタクシーを利用すべきだ。
→運転手は停留所に止まってる時も前後左右の状況に気を配る必要がある。
乗客に顔を向けて応対する余裕はない。
ワンマン運行の限界なのでバス会社にワンマン運行を止めろと言え。
その結果、車掌が復活し人件費で運賃が爆上げになるかもしれんがそれは許容しろ。
運転手が厳しい口調で注意するのはそういう理由があるし、そういう指導をする権限が運転手にはある。
→繁華街など交通量が多い路線は騒音のせいで聞き取りづらく声が大きくなりやすい。
繁華街は普段以上に運転に気を使うので運転手も気が立ってる事が多い。
あと単純に耳が悪い人もいる。
丁寧な応対を望むのならタクシーを利用すべきだ。
→地方の路線バスでも全国相互利用交通系ICカード(SuicaやSUGOCAなど)が使える様になってきている。
独自のICカード導入が早かったせいでSuica対応が遅れた俺の地元のバス会社もようやく対応した。
各バス会社のホームページで使えるICカードの種類が紹介されている。
観光でバスを利用するなら駅や空港にある観光案内所やバスターミナルの案内所を利用しろ。
それらについても各バス会社のホームページ上で紹介されている。
まずバス会社名でググれ。
手間を惜しむなら金を惜しむな。
金を惜しむなら手間を惜しむな。
種牡馬としては失格の烙印が押され、クラシック馬ながら引退後は観光馬車を引く仕事に従事
彦根城で20日連続イベントに参加。90kgを超える甲冑武者を乗せる
https://twitter.com/cakari14/status/1380022439413882880
CGがひどくて全く魅力がないんだが。15年以上前のセカンドライフを思い出す。
JTB、バーチャル空間で日本を体験するプラットフォーム構築、アバター操作で観光や地方特産品のeコマースも | トラベルボイス https://t.co/irMh0chQmh pic.twitter.com/xM48NbaIdI— 係長 (@cakari14) April 8, 2021
このバーチャル空間を作った会社はFIXERという会社らしい。クラウドに強い会社のようだ。
https://www.fixer.co.jp/ja-jp/
何か聞き覚えがあるなと更に調べてみると、品質の低さで話題になったCOCOAのHER-SYS(感染者情報を管理する重要システム)連携についてもFIXERは9333万円という再委託費用で関与していたようだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/87051
そんだけ
週末温泉旅行に行くんだが、途中の買い物や観光の間、彼女の股にローターをセットして時々振動させたい
まだ合意は取れて無いけど、突然「良い?」ってお願いしてOK貰えるものだろうか?
動画で良く見るシチュエーションでも、現実にどうなんだろうと先人の意見や経験を聞きたい
追記:
マジか
生まれた時から特定の宗教を信仰してる人は多かれ少なかれそれを土台にした性格形成をされてると思う。
でも信仰を持たない日本人が寺社仏閣を訪れるのは他の信仰をすでに持ってる外国人が観光で訪れるのと感覚的に似てる。
むしろ自分の神を持ってる人らのほうがよその神への敬意は深そうに見える。
葬式等のイベントにしてもみんながやってるからやらないと立場が悪くなりそうだからやってる。
宗教を持ってる人の信仰心って、宗教アレルギー的な刷り込みを受けてきた信仰を持たない日本人とは温度差がすごすぎるんだよ。別に狂信者とかじゃなくてもね。
「神様っていると思う?」って聞かれて「どーかなわかんない」って流したらめっちゃ驚愕されて説明されまくったり、「日本人は○○教の教育を受けてないから道徳心が無い」とか普通に言われたり、何かというと常にその宗教の教えが会話の中に出てきたり、そういうのを目の当たりにすると信仰を持たない日本人がやってる宗教的な行いは、特定の宗教を信仰してる人のやってるやつとは全然違うなと思ってしまう。
車いすの彼女を擁護してる連中、具体的にどうしろという話が一切ないんだよな。とにかくJRや彼女批判意見に文句を言って攻撃するだけ。
現実にJRは「対応したいから、事前連絡してね」と言ってて本人もそれを認識してるのに「なんとかなるだろう」と(たぶんこれは嘘で、なんとかならないのを承知の上でJRの失敗狙いであえて連絡しなかった可能性が高いが)突撃する人にどう対応しろというのか。
しかも彼女は日常利用者ですらなく、観光でいきなり訪れた「日々の例外」の存在。どうしろってのか。
このように事前連絡なしで無人駅に突然来る人に即時対応できるようにするため、すべての駅に常に4人の男性駅員を配置しておけというのか?運賃が何倍になるんだ?
一日の利用者が数十人、数人しかいないような無人駅に、すべてエレベーターや車いす昇降機をつけろというのか?運賃が何倍になるんだ?
JRとしては、そんなコストを求められるなら、採算のとれない利用者が一日数百人・数千人にとどまる駅をすべて廃止するだろうな。(現に赤字続きのJR北海道では利用者数の少ない駅がどんどん廃止されてるし、それどころか路線自体もどんどん廃止されてる。)
そうすれば日本にはバリアフリー対応した駅だけになり(だけが残り)、はてブの良識派のみなさんも文句の付けどころがなくなって大満足か?
その裏で地方でこれまで日常的に(繰り返すが、くだんの車いす女性は突然来訪した観光客で日用利用者ではない)鉄道利用してた学生や高齢者といった交通弱者が泣くことになるが、
みなが駅を使えなくなれば平等に不便になって障碍者への差別は無くなるから問題なし、か?それがお望みなのか?
バカなのか?
どうしろってんだ?
書いた
言ってない言ってないって言ってるやん
「事前連絡しろ」「感謝しろ」「観光するな」「駅を選べ」「態度が気に食わん」
ぜーんぶ「わきまえろ」でしかない
森だって直接「女はわきまえろ」なんて言ってないぞ
旅行にいける程度に経済的・社会的・障害的に余裕のある人よりも、その余裕のない人にリソースを向けてほしいから。
さらに障害者がリソースを要求することが報道されるとバックラッシュが起きるから。
名古屋城の木造新天守にエレベータの設置を障害者団体が要求したケース
この3つのケースを想定している。
これらに共通しているのは、彼ら彼女らが旅行に行けるお金があること、友人や子どもなどがいることだ。
名古屋城は友人子どもにはわからないが、やはり観光のできる層が主張しているのは変わりない。
さらに、どのケースでも健常者から障害者への批判という形でバックラッシュが起きている。
以下にみるように平均賃金、正社員比率、平均勤続年数いずれも身体障害者に比べて大きく劣る。
数字はいずれも厚生労働省の調査 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_05390.html による。
身体障害者は21万5千円
身体障害者は52.5%
発達障害者は22.7%
なお、身体障害の人すべてが経済的に余裕があるとは限らず障害によっては就労が難しい人がいることは注記しておく。
知的・精神・発達障害者はこのように、身体障害者よりも圧倒的に貧しい状況にある。
また、経済的な理由と障害上の理由の両方で、身体障害者のように子どもや友人を持つことが難しい状況にある。
社会が障害者に与えるリソース(配慮・支援・譲歩)は有限である。そして障害者がリソースを要求するとバックラッシュが起きる。
だとするならば、旅行にいける程度に経済的・社会的・障害的に余裕のある人よりも、まずはその余裕のないこうした人達へ救済のリソースを向けてほしい。
GOTOトラベルとかGOTOイートとか、政府のお墨付きだっていうんで多くの人が利用したと思うけど、単に第一波、第二波と耐えてきた各界にトドメを刺しに行っただけだよな。思考能力ないのかな。
ファクターXだか何だか知らないけど、欧米に比べて日本が比較的患者数が少ないのは、アジア太平洋地域を見回してみれば、日本特有ではなくてこのエリアに与えられたボーナスみたいなものだったんだから、ボーナスを生かしてコロナにトドメを刺しにいくべきだったのに、反対に仲間を増やしたいコロナウイルス君に助勢してあげるなんて優しすぎだろ。
長期的な戦略とかないわけ?何をやるにしても出口戦略とかも必要だよね?戦力の逐次投入的に場当たり的な対応してたら、負け戦必至だよね?半世紀以上経っても何も学びがない?既に一億回以上の接種が終わっているというアメリカと比べたら、ワクチンを当てにした戦略を組んでたとも思えない。本当に何を考えて対策打ってるのかよくわからんね。結局、調整型政治で目先の小さな利害関係の調整しかできないから、すべてが場当たり的になってるということ?
千葉県、埼玉県、神奈川県あたりに住んでいたら田舎コンプレックスはそんなにないだろうけども
ZIPや月曜から夜更かしやヒルナンデスや王様のブランチに出てくる東京の光景は外国のもののよう
都会でやってる楽しいイベント情報を指をくわえて見ているしかない
地方から東京へ行ったとしても浅草、池袋、新大久保あたりのいかにも観光地デースというところを巡る
東京旅行の同行人がいたらマニアックな観光地に連れていくのに気を使うし…
しかし、都民になってみると何回も細かく東京観光ができるので本当に助かる
1回目に行った場所で「あ、あそこもっと見たかった!」「うわ、行列が長すぎて並んでられない!」という体験をしても
また後日に行こうということができるのは都民の強みだ
それから、都民をやっていると日本の中心にいるんだという意識が強くなる
モノの見方が変わる
当事者意識というか
中国地方に住んでいるときにテレビでしゃべっている小池百合子をみても「ほーーん」くらいの気持ちだが
都民になって都民のために動いてくれている小池百合子を見ると小池百合子と自分の生活が繋がっているんだという意識になる。
あと自分が好きな芸能人のイベントにいって、会話までできちゃったことがすごく嬉しかった
偶然、街で芸能人を見かけるという体験はまだないけれども、芸能人を偶然見かけてみたい
コロナ禍だから偶然見つけた芸能人に「握手してください!」「サインください!」なんて言えないのが残念
せいぜい「応援してます!好きです!」と気持ちを伝える程度のことしかできないだろう
まとまりのない文章だけれども、田舎コンプレックスの人が都民になったらむちゃくちゃ楽しいだろうなって思う
地方の生活を心から満喫してた人が無理やり東京に連れてこられたら「ヤダー東京ヤダーどこも人混みすごすぎ!電車のなか地獄!」となりそう
東京がいやになって地方移住する人もいるけど、もともと地方出身だった私からすれば「都民をやめるなんてもったいないことだ…」って思う
まぁ、考え方は人それぞれ
はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館で作品6点が行方不明になる、という事件があった。
館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽の疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803
一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である。
たとえばこういう企画展。
https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991
堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカル、ジェンダー、福祉、ケア、老い、共同体、移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。
ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである。
個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。
しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽の美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。
その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である。
前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界からは擁護の声も出ている。
アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から、美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態を放置し問題に適切に対処してこなかった所管部署の文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である。
スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境に作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である。
これは大局的に見れば正しいかもしれない。
ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。
それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか。
まともな環境に作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである。
他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理に問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書の問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言の趣旨ではありません。
とはいえ、前橋市の報告書が住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員と行政職の党派性の問題なのではないかという感も否めない。
一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館の学芸員と行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである。
なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。
つまり、理想を求める学芸員とコスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから、対立するのは当然なのかもしれない。
両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である。
現状で言えば、おそらく行政職出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。
現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有な存在なのである。
行政職出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセントは現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。
今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。
後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家が署名活動
https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c
ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。
まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。
現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟が必要である。
だから、美術館の作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。
加えて、美術品のほとんどは温度・湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。
38度の真夏であっても、氷点下の真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。
当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。
つまり、美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。
地方の美術館に美術作品を寄付する人々というのは、たとえば地域の小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。
1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。
「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。
売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。
名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。
でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。
〇〇県出身。上京し美術学校で西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校で美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。
こういうプロフィールの作家が面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。
しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。
日本の都道府県のほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸な地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。
そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである。
というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題が関係しているように思われる。
気が重い話である。
その他参照
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf
https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view