はてなキーワード: 自動車メーカーとは
国沢光宏氏というモータージャーナリストがあおり運転について書いた下記の二つの記事について論評をする。
あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…
https://clicccar.com/2018/09/25/632769/
「あおり運転はあおられる方にも原因がある」に対する反発意見への回答
https://clicccar.com/2018/09/27/633397/
国沢氏がどれほど影響があるモータージャーナリストであるのかは知らないが、少なからずメディアに出てくる以上こういった社会問題に関連する記事を書くにあたり正確な情報を書くべきではないだろうかと考えた。
記事の要点は「あおり運転はあおられる側にも原因があり、その原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からである。だから後続車が来たら道を譲るべきである。自分勝手なドライバーがいるのは教習所で遅く走る時は後続車に道を譲るよう教えないからである。だから教習所は教えるべきである。」である。
全てが正確ではない、間違っているというわけではない。正しいこともあり同意できる部分もある。
しかし、記事の内容が全てであるかのような書き方は、間違った部分は間違った認識を広め、場合によっては間違った行動を引き起こす恐れがある(注意してもらいたいのは間違った行動はあおり運転のことだけを指しているわけではない)。
そういったことを防ぐためにジャーナリストであるのであれば正しい情報を書くべきである。社会問題に関連する記事は一個人の感想(=主観)が入る車の試乗記事とは違うのである。
ちなみに私は何度も上記の国沢氏の記事を読み直した。それは記事の前後で矛盾があり腑に落ちない点が自分の誤解なのではないかと思ったのも原因である。
しかし、それでも腑に落ちない点は解消されなかった。二つ目の反対意見への回答の記事は国沢氏曰くもう少し解りやすく説明したにも関わらずだ。
問題は二つある、。
一つめの問題点は、国沢氏が「あおられる側にも原因をある。」とあおり運転は両方に原因があるとしている。
国沢氏の主張として、あおられる方の原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からである。しかし、全てを一つの原因と結論づけていいのだろうか?
あおり運転が発生した状況を分析すればケースバイケースでいくつかに分けることができる。
つまりケースバイケースで原因が異なってくることを意味している。それは場合によってはあおられる方に原因が無いと考えられることもできる。
田舎の区間のせいかガラガラの高速道路の走行車線を制限速度の100km/hで走行中、同じく走行車線を走る大型トラックが3台おり、速度差があるためトラックに追い付いた。
ちなみに私はクルーズコントロールを使用して走行していた。その設定速度の誤差ははGPS速度計と比較して1km/h程度であることは事前に確認してあった。
前のトラックとは安全な距離をこれ以上、確保できない距離まであと少しという距離まで近づいたところでルームミラーとサイドミラーを確認した。
追い越し車線上には後方を商用車のライトバンが走っていがいたが、ルームミラーでは意識する必要が無いくらいの離れていた。そのライトバンが10km/hぐらいの速度オーバーで近づいてきてもそう簡単に追いつかれない距離である。
徐々に大型トラックを追い越しいく念のためルームミラーを確認したところライトバンの距離が急激に近づいていることが確認できた。大幅な速度超過をしていることが予想できた。
大型トラック同士の車間距離は大型トラックへの安全を考慮すると走行車線側に避けるには十分とは言えない。
そのため引き続き走行車線を走り続けた。もちろん大型トラックの追い越しが完了でき次第、走行車線に車線変更するつもりで走っている。
しかし、大型トラックを2台目を追い越すころにライトバンが追い付き、ナンバーが見えない距離まで車間距離を詰められた。ライトバンはあおり運転をし始めた。
そのあおり運転は3台目の大型トラックを追い越し、終わり走行車線に戻るまで続けられた。もちろん私は追い越しが完了次第、走行車線に戻っている。
ルームミラーに3台目の大型トラックの前の部分が映ったのを確認したらウインカーをだして車線変更をしている。そのまま追い越し車線を走行をし続けてはいない。
ちなみにあおってきたライトバンは走行車線が空いているにも関わらず、私を追い越した後も引き続き追い越し車線を走り続けいた。
しかも、私が大型トラックを追い越す前から走っていた。私の後ろには走っている車は無く走行車線に戻るには十分なスペースがあるにも関わらず追い越し車線を走っていた。
このような経験をしたことがある人は少なくないのではないだろうか?
ここで原因を分析したい。
結論から言ってしまえばライトバンの大幅な速度超過があおり運転が発生した原因である。
道交法に従い走行車線を走り、追い越し車線を追い越しのためだけに使用している。また、クルーズコントロールを使い制限速度で走っている。絶対そんなことはない、1km/hでもオーバーしているまたは遅いこともあるはずだって人もいるだろ。
確かにその指摘はごもっともだろう。しかし、1km/h程度の差は今回のあおり運転が発生した原因に寄与していると言えるだろうか?私にはその理由が思いつかない。そのため考慮すべきことから除外する。
最後に追い越しが完了次第、走行車線に戻り後続車に道を譲っている。これも道交法に従った行為である。しかもこの追い越しは走行車線を走っている大型トラックへの安全も配慮している。
ここまで私に何か落ち度があっただろうか?ただ道交法に従って走っているだけである。
国沢氏の記事によればマナーが良いドライバーであるのであろう。しかし、私はこの譲るという行為により自分がマナーが良いドライバーとは私は思っていない、単に道交法に従っているだけである。
先にも書いたが追いつかれた車の義務として後続車に道を譲っている。状況的にマナーとしてではない。
一方、ライトバンはどうであろうか?大幅な速度超過をしている。先にも書いたが10km/hぐらいの速度超過ぐらいでは簡単に追いつかれない、また意識する必要性も無い距離であることを確認してから私は追い越し車線へ車線変更をしている。
また、もし覆面パトカーがいたら確実に捕まる速度である。私自身、何度か覆面パトカーで捕まるのを目撃している経験からそう判断した。
ここで10km/hとしたのはメーターの誤差を考慮してである。ライトバンが制限速度で走るため誤差を考慮してメーター読みで110km/hで走っているかもしれない、しかし実際はメーターがほぼ実測に近い場合もあると考慮している。メーターには誤差があるからこれは仕方が無いことである。
もしライトバンによる大幅な速度超過が無ければ私が大型トラックを追い越し終わるまでには追い付かない、すなわちあおり運転が発生する状況は生じなかったのである。
だから原因はあおり運転をしていた後続車にあり、あおられた側にはないと結論できるのである。そしてその原因は大幅な速度超過である。
後続車の速度を見誤って追い越したのが悪いという人もいるかもれいない。しかし、結局はその原因も後続車の大幅な速度超過が悪いという結論に達するだけである。
後続車をジャマするからあおられる。だからあおられる側も原因があると国沢氏の主張は一部であっているかもしれないが、そうでない場合もあるのである。
ここに書いたのは私が書いた経験の一例である。他にも分析をすればあおられる側に落ち度が無いケースはあると考えられる。
二つ目の問題は、平然と矛盾している。誰か校正してないのであろうか?
補足記事に下記のように書かれている。
"・あおるヤツがすべて悪い"
"その通りだと私も文末に書いている。"
"あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…"
またその文末にはこう書いてある。
"そもそも3車線ある区間で大型トラックが一番右の車線を走ることは道交法で禁止されている違法行為。警察もキチンと取り締まれば良いと考える。とにかく後続車にケンカを売るような走り方を一掃することから始めるべきだろう。その後に残るあおり運転は明らかに犯罪者だと思う。遠慮や躊躇すること無く検挙し、一発免停などの厳罰処分をしていけばよい。"
何度もタイトルと文末を読み直した。
私にはタイトルと元の記事の内容からあおられ側にも原因があると国沢氏主張しているとしか読めなかった。そもそもそれを主張するための記事ではなかったのであろうか?
文末にあおるヤツだけが原因だと書かれている個所を発見することは出来なかった。
どこにあおるヤツがすべて悪いと書かれているのであろうか?あおられる側にも原因があると主張しているのが元の記事である。すなわちあおるヤツが全て悪いという主張は記事の意図とは明らかに違う。。
国沢氏が補足記事に下記のように書いているが、読解能力の問題なのだろうか?国沢氏の論理の展開力の問題か校正の問題ではないだろうか?
”よく読んで頂ければ記事に盛り込んであるのだけれど、昨今の人は読解能力の問題なのか理解出来ないようだ。”
また下記の文も不可解である。
"後続車のジャマをしなければいいだけのシンプルな事象と全く違う。"
あおられる方だけに責任があると読める文章である。なぜならひとこともあおる方を指摘する文が入っていためである。
主張が補足記事のなかで変わるためなにが本当の国沢氏の主張なのか理解し難い。この一文が国沢氏の本音の主張であり、他は建前ととらえることもできる。
また、この文を読んだときに国沢氏のあおり運転の問題に対して自分の主観だけに基づいて記事を書いたのではないかと疑った。
もし本当に国沢氏が先ほど引用した文にあるようにあおる方が悪いとと思っているのであれば「道交法を守ればいいだけのシンプルな事象」の方が本質を表しているので適切ではないか?
前を走る車も後続車も皆が道交法を守ればあおり運転は発生しない。それが出来ていないから問題なのではないだろうか?
にも関わらず国沢氏があおられる方だけ限定するのは不可解である。モータージャーナリストであるのであれば客観的に考察をしてもらいたいものである。
早い後続車が来たら道をゆずることとそれを教習所で教えるべきという点は同意できる。道路の状況次第で適切に行うことは良いことである。また一部の犯罪者気質からの防衛運転すべきという点も同意できる。
また、大型トラックが追い越し車線を走行しているのは道交法違反であり、円滑な交通を阻害しているという主張も同意できる。
社会問題となっているあおり運転に関する国沢氏の記事は正確さにかけていることを指摘した。
まず、国沢氏の主張であるあおられる方にも原因があるというのは間違っていることを指摘した。
ケースバイケースで分析をしないとあおられる方にも原因があるとは断定できない。すなわちあおられる方に落ち度が無いこともある。
一部、そうったあおられる方にも原因があることもあるとうのであれば理解はできるが、国沢氏の文章にはそう書かれてはいない。
また、国沢氏の主張には明白な矛盾があることを指摘もした。あおられる方にも原因があると主張する記事でありながら、あおるやつが全て悪いと補足されている矛盾があった。
ただし、国沢氏の主張が全てが間違っているわけではなく、正しく同意できる部分もある。
あおられる方だけに責任があると読める文が含まれていた。コンプライアンスが厳しく問われる昨今、モータージャーナリストとしてこの文がいかがなものであろうか。
モータージャーナーリストは記事を書いてお金を貰い(このお金も元を辿れば一部は自動車メーカーもしくは関連会社のスポンサーからであろう)、自動車メーカーや輸入代理店が用意した試乗車を公道もしくは自動車メーカーが高い金を払って借りたサーキットで試乗している。
言いかえれば直接的、間接的に自動車メーカーや関連会社と一緒に仕事をしているのがモータージャーナリストである。請け負っていると言う方が適切かもしれない。
そのモータージャーナリストである国沢氏のこのあおられる方だけに責任があるよめる文を記事に書くことに関して自動車メーカーや関連会社の人達はどう思うのであろうか?
私が自動車メーカーの人間なら一緒に仕事をするのを止めたいと思う。一緒に仕事をすることでブランドイメージが損なわれる恐れがあると考える。
時期的に前後するんだがホンダの研究所でサプライヤに丸投げが発生している話があったり、今年頭にWaymoとホンダの提携が上手く行っていないという話があったり、日産がGoogleの軍門に下るという話があったり、「本質的にクルマ屋の方が偉いですよね?」「いやクルマ屋さんはヒュンダイ的な自動車作れてないですよね?」というマウンティング合戦があるんだろうなという気がする。自動車メーカー側がサプライヤへの指示として技術開発、いや開発済みの技術の実装方法を指示するのか、ソフトウェア企業が開発したIPを供与するのかという辺り。自動車のソフトウェアもその他多くの分野と同じで「最低動作環境32GB以上なんだけど4GBでAndroidコンパイルしててコケる」「自宅では64コア256GBのパソコンでネットしてるんだけど会社では1280x720」みたいな資源の乏しさ、マネジメントの欠如から来る歪みがかなり集中している箇所があってまあ順当にひっくり返されるんだろうなという感がある。GM Cruiseと提携したところでCruise AVにガンガン送金してパッケージをボルトオンする以外にできることはないのではないのか。それがWaymoに平伏するのとどれくらい違うもんだろうか。
ゆーてWaymoもかなり当初計画の流しタクシーモデルからトーンダウンして専用タクシープール作ったりしてるのでなんとも言えないところではあるのだが……
どっかの電気自動車すげーな。VPNを暗号化してなかったとか、通勤時間帯になると今まで売った車が全部一気ににログインしてきてサーバのオートスケールが間に合わないとか、バグ入り更新データを公開した社内のバカのために売った車全部でブートループが始まって手が足りる限り一台ずつsshして直したとか、そりゃトヨタもケツまくって逃げるわ。恐らく事故った時すぐデータ出てくる理由もサーバが超巨大なゴミの塊だからrootでログインして車台番号grepすれば即出てくるってだけだわ。あまりに設計がゴミすぎる故に管理が楽だと。
オートパイロットもあんまり検証してる雰囲気じゃないな。ビルド通ってなんとなくまっすぐ走ったらはいOKって感じ。他の自動車メーカーみたいな最低限なんもせんけど事故だけはせんって雰囲気全く無い。
客の車やぞ!!!!!!!!!!!お客様の2000万円の車やぞ!!!!!お前の自宅のRaspberry Piとちゃうんやぞ!!!!!!!!!ファーストサーバもびっくりだわ。
https://anond.hatelabo.jp/20180819110324
読んでいて現在42歳の自分の事かと思ったくらいダブって放っておけない気持ちになった。
私も君と同じように自分に絶望していた。絶望の度合いは君よりも深かっただろう。
中学生の時にいじめをうけて不登校になり、そのまま高校にも通わず、気づいたら20を超えていた。
ダラダラと日々をすごしていた間、虐められた自分を可哀そうだと思って
両親や教師たちの同情の言葉にかえって怒りを感じながら、意固地になって引きこもりを加速させて
ひたすら、いじめた連中を恨んで10年近く過ごしていた事には心底絶望していたし
近所の楽しそうに遊ぶ子供たちにすら劣る自分という粗大ごみを一刻も早く処分したい気持ちと
死ぬことが怖くて踏み切れない情けなさで、心を埋め尽くしていた様に思う
ここから自分が辿る道は通り魔か、いじめっ子全員への復讐しかなかったと思う。
佐藤琢磨の生い立ちとか生き様を見て憧れて、F1に関わるエンジニアになりたいなぁと思った。
どうせ死ぬんだという思いで大検の資格の勉強を始めて、地元の国立大学に合格したのは26の時だった。
大学院まで行くつもりでいたので卒業は32になる事は分かってたし
その年でF1に関わる可能性のある大手自動車メーカーに就職するには余程の能力がいる事も理解していた
死んだ気になって頑張ったけど、幸いにして勉強もプログラミングも楽しくて、自分に合っていたのか余り苦にはならなかった。
一歩踏み出す事に恥ずかしさを感じた時にいつも考えていたのは、どうせ既に私は死んだ人間だって事だけだった。
現在の私はF1に関わる事は出来ていないけど、念願かなって自動車の制御系プログラムを作っている。
今でもいつか会社がF1に参入する日が来たら、私に声がかかる事を夢に見ている。
君は私が22歳だった時よりも、よっぽど恵まれた人生を歩んできていると思う。
自分を育てるのは、これからだって遅くないぞ、と中卒引きこもりで22歳を迎えた私から言いたい
(追記)
コメントを沢山いただいてありがとうございます。
カッコいいとか・・・そんな大した話でもないですよ。
私に本当に力があれば、HRD SakuraでPUに関わる仕事をしていたのだと思います。
でも、それが果たせてないという時点で、力量のほどはお察しいただきたいという感じです。
どん底から社会復帰できたけれど夢は実現できてない、そんなオジサンでしかありません。
何もカッコよくなんてありませんよ
ちょっと前に話題になった中古車にはひさし(ドアバイザー)がない、っていうのだけど
タバコを吸う人が雨の日に駐車場で待ってる時にどうしても車内で吸いたい、っていう人が付けるものであって
「雨の日に窓を少し開ける」とか「暑い日に少し開けて駐車しておく」とか言う人いるけど
雨の日はエアコン付けるべきだし、窓を開けて駐車とかは絶対止めておいた方がいい
おまけにドアバイザーがあると高速運転時の空気抵抗になるし、音の原因にもなるし、洗車の時に邪魔だし、まったく役に立たない
じゃぁなんでみんな付けてるのかっていうと、新車で買うときの基本オプションに入ってるからだ
なぜかほとんどの日本車は基本オプションを付けないと足マットすらない
だからみんな当たり前に基本オプションを付けるんだけど、その基本オプションのほとんどにドアバイザーが付いてくる
だいたい4パターンぐらい用意されてるんだけど3パターンぐらいはドアバイザーが付いてくる
だから何も考えないで選ぶとドアバイザーがついてくることになる
で、わざわざドアバイザーを選ばない人はどういう人かっていうと、車の見た目にこだわる人だ
それも当たり前で、自動車は設計する時にドアバイザーのことは基本的に考えていない
どこの自動車メーカーでもいいからホームページに乗ってる車の写真を見て欲しい
当たり前だがドアバイザーは付いていない
そりゃオプション品だから付けない写真なのは当たり前だが、付いていない状態の見た目が最もかっこよくなるようにデザインされてる
スポーツカーでもミニバンでも軽自動車でもみんなドアバイザーが付いていない状態の見た目を最大化して売ってる
クーペってのがどういう車かっていうと、ドアのガラス上部にフレームがない、ガラスがむき出しの車のことを言う
つまりドアの上部にドアバイザーを付けられないので、ドア上部の屋根につけることになる
そのままだとドアバイザーにガラスが接触して窓を開けられないので、なんとドアバイザーが水平に付いている
驚くほどダサいから基本的にクーペ買う人はドアバイザーを付けない
なので、見た目がカッコいいようなスポーツタイプの車とかは基本的にドアバイザーを付けない人が多い
それを証明するように基本オプションでドアバイザーのないプランを選ぶとエアロが付いたりして少し割高になったりする
外車も基本的に見た目を気にする人が多いという理由で付けない人が多い
日本人が日本車に付けている謎のアクセサリーといっても過言ではない
一方で中古車にドアバイザー付きの少ない理由はなぜか、というと少し事情が変わる
中古車でドアバイザーが付いていないのは試乗車であることがほとんどだ
試乗車は基本オプションなんて付けないからドアバイザーも付かない
それだけの理由になる
これを読んだ人は自動車を買う時によく考えて欲しい
どうせ作中に出す店の名前とか商品名とかそんなに沢山必要になるわけでは無いのだし、
そもそも作者はモノを作っているのだから、即席で名称を作ってしまえば良いのにと思う。
作品名、登場人物名、設定、物語を描いているんだから、小道具程度の名前くらいすぐ作れるのではという気がする。
自動車メーカーで、トヨタ自動車と実名を出したくないのなら、山谷自動車でもなんでも良いから即席で名前を作ってしまえば良い。
なのに、ヨトタ自動車とか、わざわざ実在の名称を元にするから、パロディ名のように聞こえて変に聞こえる。
元からのギャグ作品とからならもじりで良いかもしれないが(※)、シリアスな作風でこれをするとイメージとアンバランスとなってしまうし、他人の名前をもじるのはあまり感じが良くない。
※例えばドラえもんには、フニャコフニャ夫という漫画家が登場する。もちろん作者が元ネタである。面白いかは別として。
ちなみに、一説によると固有名詞を出したがらないのは日本人の特徴らしいのだが。本当かどうかは分からない。
追記
はてなブックマークの下記は例えが上手だと思いました。やっぱり人の表現って勉強になりますね。
アメリカの映画やドラマにはGoogleやらFacebookが平気で出てくるのに、日本では頑なにパチモンみたいな画面しか出さないよねー
日本自動車販売協会連合会(以下、自販連)は、月別・年別の新車販売台数を統計として発表しています。自販連は車種を項目としては販売台数は発表していないため、各ブランド車(トヨタのクラウンやカローラ、SUBARUのレガシィ等)をセダンとし、2015~2017年の販売台数を見てみました。トヨタのクラウンやカローラは販売台数が減少しており、プリウス等は2016年は上昇していますが、2017年は一転減少しています販売台数トップ50のブランド車しか見れないのですが、新聞の報道等を見ていても全体として減少している傾向にあるようです。
セダンは、今後の社会においても必要なのでしょうか。過去、セダン型の車が新車販売台数のランキングで席巻していた時代もあると思います。それはおそらく、自動車の用途が、家族の外出くらいにしか考えられておらず、家族の形態も核家族がほとんどだった時代でしょう。ただ現在は、サーフィンやゴルフ等のスポーツを楽しんだり、遠出せずに近場のスーパーに行くため等、人々の自動車の用途や家族の在り方が多様になったことで、セダン型の自動車がその目的に適わなくなってきたのでしょう。
最近では、都心に住む若い人は車自体に興味を持たなくなりました。都心に住まなくても交通網が発達しているし、シェアリングカーといったサービスも増えています。普通のサラリーマンであれば週末にしか乗る必要がないので、レンタカーを借りた方が、自動車重量税といった税金を払う必要がないので、昔からその方が合理的だったかもしれません。それでも昔の人が車を求めたのは、それが一種のステータスであったからですよね。ただ、今の若い人は車に対して社会的なステータスは感じていません。カーセンサーといった中古車取引サービスが成熟しており、車自体の値段も多様化しているので、車を持っているから「裕福だ」、「すごい」という発想には至らないですよね。
それでは、今後セダンはどのように生き延びていくべきでしょうか。私は、自動車メーカーはセダンを社会的ステータスを表すシンボルにブランディングすべきだと思っています。昔は、ポルシェやフェラーリといったメーカーの車を持っている事自体がステータスでした。ただ、今度は車型だけでその所有者のステータスを表すようにしていかないといけないと思います。スポーツカーのように走りが好きでもない、4人も車に乗せる必要がない、でもコンパクトカーは嫌だという層にアプローチしていく必要があるのではないでしょうか。そうする事で、セダンの寿命を延ばしてく事ができると思います。
多くの公用車は未だにセダンが用いられています。英国の王室などを見ていても、彼らが乗っている車はセダンです。セダンが、社会的に上位のステータスを表すシンボルとしての基礎は出来上がっているので、あとはどのように強化するかが大事になります。
働くのが嫌だった。
だから大学に行きたかった。だが家にお金は無く高卒で働かなければならなかった。
学生時代にバイトした事が無いし、したくもなかった根性なしなので突然社会に出て働いて…なんて我慢が持つ訳無く正社員だった期間は僅か半年だけ。
後はずーっと契約社員だったりフリーターの繰り返し。しかもここ三年程、半年も仕事を続けられた試しがない。
今は自動車メーカーで期間従業員として働いてる。もう辞めるが。
喪女過ぎて恋愛はおろか結婚なんておとぎ話みたいなもんで自分にはとんと縁が無いと思っている。
言い訳なんだけど小さな頃から何をするにしても不安症状が続いた。
人に話し掛けるのが未だに怖い。報連相が出来なくて皆から呆れられる事がしばしば続く。人に話しかけるより怒られた方が私にはいいのだ。
そして、この地域の人たちには申し訳ないが、ドライバーの質の悪さに驚いている。
自分では自動車はあまり運転しないのだが、歩いていたり自転車に乗っていたりして、目立つところが多い。
大学までは関東で過ごしたのだが、その間一度も見た記憶のない、夜間に無灯火で走る自動車を何度も目撃している。
ほかには、歩行者が横断歩道を渡ろうとしているのに全く速度を落とすことなく強引に右左折をする、一時停止をしない、生活道路を明らかに50km/h以上で走っている、指示器なしでT字路を曲がったり車線変更をしたり路肩に寄せたり、といったところは日常でよくみかける。
慣れない土地で道がよくわからないというのもあるけど、これではクルマを買ったとしても公道を走るのが怖くなってしまう。いくら自分がルールを守っていても、危ない思いをするのが目に見えている。
そこで、このあたりと関東では交通事故発生件数が違うのではないだろうかと思って調べてみたのだが、はっきりいって有意な差はなかった。東京は人口が多いだけあって交通事故発生件数も多いみたいで、ほかの関東の県も決して少なくはない。
道路交通法違反検挙件数の人口に対する比でいうと、広島は5番目になるらしい。このランキングだと山梨も上位に入ってくるので、こちらもやはり関東との有意な差はないようだ。
このように、広島のドライバーの質が明らかに悪いわけではなさそうだ。もっとも、道路事情や自動車保有台数なども勘案して総合的に考えないと、結論を出すのは難しそうではあるが。
とはいえ、最初に書いたように関東から来た自分から見ると脅威とも思える交通規則違反が目に付くのは気のせいなのだろうかと思い、自分のように関東から来た同僚や友達に、「広島に来て、自動車が怖く感じないか?」と聞いてみた。
10人近くに聞いているのだが、ほとんどが「関東とは違うのを感じる」と答えた(これはあくまで主観の問題で、上記の通り決して広島のドライバーの質が悪いという根拠はない)。
そして、こういう話をしていると、ほぼ例外なく、西日本出身の人のこの一言が来る。
愛知県の交通事故による死亡者数が多いのは有名な話だが、それでも人口当たりに直すとそこまで多くはないみたいだ。
こんなことを考えながら通勤していたときに、ふと、「自動車産業に携わる人はたくさんいるのに、ドライバーの質に関わる仕事をする人が少なすぎるのではないか」と考えたことがあった。
自動車メーカーは当然ながら、ディーラーもクルマを売った後にドライバーが起こした事故については保険以外では関与しないだろう。
しかもこれは事故を起こしたときの話であって、交通ルールを守っているか、歩行者を優先して運転しているか、そういったことに、作る側、売る側があまり関与しないというのも変な話だ。
こういうところを何とかできないものか。日本には自動車メーカーがたくさんあって、クルマそのものの品質や性能には徹底的にこだわるのに、ドライバーの質には関与しないという仕組みが、なんとかならないだろうか?
広島には自動車メーカーがある。世界を驚かせた性能のエンジンと、ほかの国産車とは一線を画す洗練されたデザイン。それはいいのだが、ドライバーの質を高くする、そんな自動車づくりを、広島に期待したい。