はてなキーワード: 意味とは
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【自分】
・20代
・下のきょうだいの学費を一部負担している。(それは自分の意志もあるが実家があてにならないのもある。その辺りはきょうだい本人や第三者機関と契約書を作っている。家族の中できょうだいだけは好き。)
・働かない。
・中高生の頃から何かあると「嫌なら出ていけ!」で黙らせてきた。
・喜怒哀楽のどれかはわからないが突然甲高い声を発することがある。キレたらそのまま絡んでくることもある。
・私が高校生のときに部活の大会というほどではないが検定のようなものがあって、キレた腹いせにそれに必要なお金を渡さず、行けなかったことがある。要はこちらがどのくらい困るかも考えず、気に食わないと平気で笑えないくらいに困ることをしてくる。
・更年期障害かと思って約1年前に渡した命の母Aが先日避けられない用で実家に帰ったときに見付けて確認したら全然減っていなかった。
【他の家族】
・自分にお金をタカッてきたことがある。それも複数人。(返す気のない貸してくれでもなく要は無期限に援助してくれという意味だと思う。もちろん出していない。1人はそれでもう1人は決して安くない金額。)
ここでは家族Aにフォーカスするが、カジュアルに言うとメンヘラ気質かもしれない。
その割にいわゆる自傷行為等はない。
それどころか自分が恋人に振られてしんどかったときにそれを笑いのネタにしていた(下のきょうだいから聞いた)サイコパスだとも思う。
一般的なメンヘラをよく知らないので何とも言えないが、家族Aとの共通点として思うのは、
・周り(特に近い人間)にケアを求める。あるいは自覚の有無に関わらずケアさせている。(本当にまともな人が本人のせいではない理由で精神を病んだのならば自費でも通院すると勝手に思っている。)
・感情を1人で、あるいは静かに処理することが難しい。(1人で抱え込むのもよろしくないが、家族Aは1人でいるということができない。あと喜怒哀楽が高ぶるとすぐ外に出す。声が不快なので余計にしんどい。)
・単純に社会的に価値がない。(一般的なメンヘラがどのような仕事に多いのかは知らないが、少なくとも家族Aは職場にいたら仕事にならないだろうとは思う。あと病んでいるからといって周りにケアを求める意味がわからない。もしかすると単純にお金がないから通院もできないのかもしれない。)
誰でも病んでいるときはあるとして、それをためらわずに撒き散らすのは、基本的に感情を他者に表明しない自分からすると、才能だと思う。
本日Xで子供が2人とも障がい児で嘆くシングルマザーのアカウントを見たが、自分は逆に仕事以外の人付き合いがわからなくなって、もともとのコミュ障も相まって恋人も友人もいないため(一時期そうなった人はいたが結局破たんした。)、言葉は悪いが、そのような傾向のある人間ほど恋愛や生殖に親和性があるのは、ひとごとには見えなかったし、それができるのが心底謎だった。
彼(女)らは、社会的な立ち位置よりも、私人間の関係を使って生き延びる能力に長けているし、子供を作るのも、生存戦略の一つだと思う。
自分は社会的な価値、とは言っても、少なくとも自分が食べていける程度にはではあるが、それがないと野ざらしコース(現実的には福祉があるだろうが)だろう。
それなのに、その類の人間は自助も公助もくぐり抜けて、共助でそれをやってみせる。
(どのみち最終的には公助のお世話になる気がしなくもないが。)
無糖こそ正義みたいなことを言われてもなってなるし
80〜90年代後半までのインターネット文化、オタク社会ってアングラだったと思うけど
あれに近いアングラな文化っていまどんなものか知ってる人いたら教えて欲しい。
「アングラ」というのは反社会的ではなくてまだコミュニティが小さいぐらいの意味で。
(もちろん反社会的な要素を含んでいても良いしむしろあってほしいけど)
昭和初期どころか明治の時代から女性解放運動はあったわけだが。
「虎に翼」の登場人物はそれを知ってる程度に教養があるであろう階層の人がほとんどだが。
元増田の言う通り、差別というのは当時の「常識」に即して行われる。どんな人間でも、その常識に寄りかかっている生きている。ほとんどの人は、それが差別と気付くことはない。だから、あんな直情的な反差別のセリフが瞬時に出てくることは絶対にない。戦後ならまだしも、戦前の段階で。
主人公のモデルは帰国子女で、父親は娘を連れて海外赴任するほどのエリートであり、当時としてはかなり「先進的」な思想の持主でもあり、
娘に「普通のお嫁さんになるな」と言い聞かせて育てて法律家になる道を勧めたのだという。
当時もそういう人もいたし、そういう家庭もあったわけだよ。
主人公が進学する明治大学(作中では明律大学)にしたって、日本で初めて法科に女子部を作った大学なわけだし
それを推し進めたそこの当時の教授陣は「女性にも法律を学ばせて弁護士にしたい」という思想を持っていただろう。
当時男性しか弁護士になる事を認められていなかったのを、女性もなれるよう法律を変えた人たちもいたわけだ。
「あれは当時の『普通』ではないから間違っている」と言いたがる人をよく見かけるけど
そもそも『普通』ではない家庭で育ち、『普通』ではない人生を歩もうと思った、『普通』ではない女性の物語なんだよ。
当時の人間は全員教科書的な「昭和初期の『普通』の価値観」を持っていたはず、って前提で考えるから現実とズレる。
法的には女性の権利が大幅に制限されていたのは事実でも、その時代に生きていた人間が全員それを当然と思っていたわけではない。
そもそも当時の『普通』の価値観も、増田が考えているほどに女性差別が当たり前の常識ではなかったようだよ。
主人公が兄の結婚式で歌った「うちのパパはママの尻に敷かれてる」といった意味の歌も実際の当時のヒット曲だし、
DV夫から着物を取り返そうとする妻の裁判も、女医が饅頭にチフス菌盛って婚約破棄した男に食べさせた事件も実在のもの。
後者も「世間」は女医に同情的な人が多く減刑嘆願もされたんだそうな。
(当時の「世間の反応」は当然マスコミに記録された事しか残ってないし、当時のマスコミにはほぼ男性しかいなかっただろうが、それでもそういう書かれ方をした)
と考えると、当時の「普通」は現在のアンフェよりはよっぽど「男女平等」思考かもな、現代でチフス饅頭事件が起きたらアンフェは女医を袋叩きにするだけだろうし。
そういうネットの女卑思想に引きずられて、「現代ですらそういう風潮なんだから当時はもっと酷かったはず」と思い込んでない?
愛とか恋の話ではなくて人付き合いとかそういう意味で使われる
「人を好きになる」「他人を好きになる」みたいな言葉なんだけど
自分はほんとうに他人とのコミュニケーションが苦手で雑談とかできなくって
どうやって改善すればいいかわからなくて本を読んだり人に聞いたりしたところ
この「人を好きになる」という言葉によく出会うようになって「好きになる」ってどういうこと?
と様々な角度から考えたんだけど実は「好き」の定義よりも「人」の定義が大事なのかと思って
あんまりもうそんなに躍起になって缶ジュースとか可愛いコスチュームの設計図、
ゲーム中のレアアイテム収集を一所懸命探すよりも私はストーリークリア優先で進めていったの!
もうさ、
だってもうストーリー上のかつての輸送ルートでチューブみたいなところをシャーって滑走して行くシーンの場面があるんだけど、
もちろんゲーム性を抜群に上げるためにゲーム的な要素があるから障害物が中にあんの。
それが厄介で1ミリでもかすったら3回ぐらいで死んじゃう、
ボス戦も難すぎるので、
ノーマルモードからストーリーモードに変更したらマイルドになるので難なく、
チューブ内障害物全当たりでも突破できちゃうマイルドさはどうよ?って思うけど逆にサクサク進めて気持ちいいのは気持ちいわ。
でもボス戦は前にも書いたけれど、
今だ!ボタンを押せ!って回避のチャンスをシステム的に与えてくれるんだけど、
そんな余裕ぜんぜんないし間違えて違うボタンを押しちゃって、
ぜんぜんアシストになっていないけれど、
それ慣れればうまくチャンスタイミングを教えてくれるボタンを押すことができるようになるので、
それでもボスは充分にめちゃ強いけどね。
プロモーション動画でよく出て来るシーンがラスボスのラストシーンかと思ったそれなんて小林幸子さん?ってさんざん使い古された言葉をいっちゃいそうにそう思ったけれど、
そのシーンから何体あとボスいるの?って言うぐらいそれ以降ボス戦多くて辛かったわ。
だんだん終盤になってくると回避不可能の即死エリクサー削り攻撃してくるので、
しかも復活できるエリクサー的な装備は1戦闘中に1個しか持てないのよ。
その即死攻撃はおおよそ2回くるので1回はエリクサーで誤魔化して2回目はなんとか回避しなくちゃいけない腕前が試される真面目なプレイが求められるの。
そのボスが放った即死玉を全部時間内に飛び道具で撃ち落とせば即死攻撃を回避できることができるの。
ふふふ、
もちろんスプラトゥーン3ではそこそこのポンコツエイムでもキルできる腕前と立ち回りはしているつもりだからある程度の自信はあったの!
でも、
これだけが唯一のなんなら難ぐらいな難ぐらいぜんぜん操作性が悪くて、
右スティックボタンで銃とかの標準が出てくるんだけど即死攻撃のそのオブジェクトにうまく狙いが定められないの!
私はそこそこのそういう自信があっただけに、
まだPS5のコントローラーに慣れていない、
これなんとか狙いやすくならね?って思って苦戦すること256戦目でやっとやっとやっとよ!
その即死回避負荷攻撃のオブジェクトを発動するまでに全部撃破することができたの!
今がチャンス!いやピンチ!
そう言うぐらい現場は混乱していて、
イヴがタキパワーを纏うパワーアップで変身してそのタキパワーの間は体力が減らないからそう言うことを気付いてから、
そのタキパワーの技でゴリ押しのあとボスの体力5ミリ!広末涼子さんが恋するのはマジで5秒!ってところでやっとのことで、
本当のラスボスも討伐!
街の用水池みたいな防火用水みたいな四角いコンクリートの枠のそんな池みたいなところで、
なんで18トンのジンベイザメが釣れんのよ!ってそっちの方がラスボス級だわ!って
魚影とはぜんぜん違うデカいカジキマグロとか釣れると笑っちゃうわ。
すっかりイヴのそのおっぱいとかお尻とかのセクシー要素とかイヴ可愛い!とかすっかり忘れちゃってたわ。
そんでね、
今こういうお話のストーリーって重厚で重めな内容多いじゃない!
ラスボス倒して街に戻って
王様に報告してみんなでわーい!って感じじゃなくって、
これ何種類かあるマルチエンディングみたいで
どのエンディングも手放しに喜べない、
なんか後味はスッキリ爽快!な味わいのエンディングではないモヤモヤの後味の重たさが今どきなのかなーって。
そのストーリーの重さにちょっとイヴ頑張ったのに気の毒だなって思ったわ。
なかなか作中で感情を露わに出すことが少ないいやほとんどないので、
イヴはどう思うんだろう本当のところは?って思うけど
私はこれから自分を信じて!ってそんな内容のことを言ってくれるから私の判断に寄り添ってくれるようなセリフ回しでグッときたわ。
でもその選択をどちらにしても
いまいちストレートなハッピーエンドとは言い難い終わりでちょっとしんみりしちゃったわ。
イヴの華やかで艶やかな見た目とは裏腹にとにかく重たいわ。
しんみり重く受け止めスタッフロールを見終わったと言う感じ。
言い方「生まれてきた!」だよ。
育ったじゃなく生まれてきた!なのよ。
バックグランド重すぎない?
最後の話の中身はとにもかくにも重いなぁ。
角煮は煮すぎると溶けちゃって無くなるけれどさ。
でもいいの私はこの話の中の謎、
つまりはこの話『ステラーブレイド』の終わりまで見届けることができたからね。
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのクリアが3年ぐらいかかったから
と、言っても2年半ほったらかしだったのはここだけの話だけれど。
一気に60時間でクリアとはこれは私にしちゃー超早くない?って。
あとずーっと作中思っていたのが
作中の言い方だとアンドロエイドスって言うんだけど
いろいろホットなので今、
私も製作者側のネット記事とかインタビューとか気になって読んでいるんだけど
それか製作者側はワザとそう言うこと言って賑やかしているのかもしれないし、
でもこれちゃんと作品を辿って見ていけばイヴはアンドロエイドスと言うことは分かるから、
たぶん謎に思ってる人はイヴはアンドロエイドスだってことは納得してくれると思うわ。
それとイヴ基本ずーっと不気味なほど無表情なのよね。
多少の人との会話でのやり取りで表情が明るくなることはあるけれど、
まだ作中の酒場で出てくるアンドロエイドスのエンヤって言う人物の方が感情や表情が豊かなのよね。
動きはぎくっしゃくしているけど、
これイヴにないものを持ち合わせていると言う対照的な描画なのかしら?
エンヤは旧型のアンドロエイドスか分からないけど動きはロボット的な動きだけど表情や感情はより豊かなのよね。
今それ気付いた!
だからアンドロエイドスのバージョンに関わらず感情っていうのはあると思うの。
現にイヴを強化したりサポートしてくれる仲間のリリーはよく笑っているし感情豊かなのよね。
この空挺部隊がいる宇宙のコロニーのことも何も作品詳しく言ってるところがないし
一番冒頭の最初のシーンのタキとイヴの関係性もよく分からない、
なんでそもそもとしてアンドロエイドスが生まれた背景とか誰がそれ作ったの?とか
その人たちはアンドロエイドスとはまた別なの半分人間半分機械のアンドロイドなの?
いろいろ謎がありすぎて謎よ。
そのぐらいステラーブレイドの世界が私にとって魅力的であるとともに、
一番の魅力はやっぱり圧倒的な存在感を放っているイヴのキャラクターにある私が惹き寄せられた一番の理由でもあるわ。
ゲームはNintendo Switchで上海とスプラトゥーンが遊べたらそれで充分それでいっかー!って思っていた私をプレイステーション5の本体まで買わすとは!ってぐらいイヴはこの話で終わらせてしまうには勿体無いのよね。
またなにか安直に続編は望まないけれど出たらもちろん嬉しいわよ!
続編の話は時期尚早で涙そうそうかもしれないけれど、
何年経ってもどんなゲームのハードでもいいからまたイヴに会いたいなって素直に思わせてくれたわ。
そのぐらい魅力的で強くて美しくてカッコいいイヴなのよ。
作中のセクシーコスチュームとかアクセサリーでつけられるメガネとかで
ゲームのピタピタのバトルスーツを着た強い女性はだいたい人間が人工的に作り出した人造人間的な設定が多くない?って
まあメトロイドとステラーブレイドのその2作しか知らないけれど、
その説濃厚説有力あるわ。
メイン移動の宇宙船のテトラポットは多分絶対メトロイドのスターシップみがあってインスパイヤあると思うわ。
これは憶測だけど。
でも何だか話を終わらせちゃった終わらせたくないって気持ちもあったけれど、
一応のこのイヴの作中の中のお話は最後まで見届けられて大満足よ。
とても私にとっては楽い冒険だったわ。
またイヴに会いたいな。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街の喫茶店のモーニングで和食モーニングよ。
パンを払う手間がある和食は箸でご飯をつまめるから手が汚れないわ。
鯖重なるわね。
でも美味しいからいいのよ。
すっきりとした爽やかな緑茶の風味が広がっていいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺は一般弱者男性でその方面に全く明るくない事を前提に聞いて欲しいけど、俺では言語化し辛いが確かに思想を感じると言われるかもね
例えば無教養の俺が、裸体表現の歴史について学ぶ機会があっても何も思わず受け取るよ
感情的に教養的に思想的に反発する物を持ち合わせてないからね素直に受け取るさ
どうしてそう思ったか分からないから想像で書くけど例えば住む社会が違う服を着ない部族が毎日見てる女の裸体を高尚に思うか性欲を抱くかちょっと分からないじゃん俺達にはさ
でも脱いだら恥ずかしい俺達と裸体の取り扱い方は少なくとも違うよな
でもそこに引っ掛かりを感じたのが、思想なのか元々持ってた教養の部分で生じた疑問なのか分からないけどね
パフォーマーの人が脱ぐことの意味を脱却したい……はよく分からんかった
よく分からんけど服を着てるんだから脱ぐことに意味はそりゃあるだろと思うけど
少なくとも俺ならこういうものかと無条件で受け入れるし、その界隈で広く共有されてる前提の考え方に引っ掛かりを感じるし明確に言語化出来るのであれば
やりたいことがあって、やれませんよと言われてる方にエビデンス求めるのは情報を精査したいからではなくやりたいからだろ
医者の出したやらない根拠が子供にネガティブな効果があるからなら元増の反応も違ったかもしれんけど医者の言うマイナス面は「貴重な枠が取られて社会にとって迷惑だから その子供には意味がないから」じゃん
あとで消したりするかもしれないんだけど、
美術館で女性の裸体表現の歴史について裸体を高尚なものにするような事ばっかり言ってるな…(というかそこに密接にあったはずの性欲の話全然しないな…)と思ったからそれより社会と性欲の話をするべきだったんじゃないか?って言った
あとはパフォーマーの人が脱ぐことの意味を脱却したいって言ったことに対してでも人間が服着る風に進化してきたんだからまた改めて服脱ぐのはそれなりに意味を伴うんじゃないの…って言った
なんか…自分が思想を持ってることはわかるんだけど思想強いがどこに対して言われたのかよく分からない どう思う!?質問ありがとう めちゃくちゃ嬉しい
初めて増田を書く。
反応が来るかはわからないが、読んでくれる方がいれば、ありがとう。
余り詳しくは書かないが、端折ると、子供の頃から、家族(続柄や家族構成は伏せるが片親ではない)に何か言うと、「嫌なら出ていけ!」しか言われず、当然中高生が出ていけるはずもなく、実家にいること自体がストレスだったが、高校(高校に行かせてもらえているではないかという反論については、公立だし、現実的にその年で実家を出るのは無理だし、今時施設でも高校くらいは行かせるのだから、仮に高校すら行かせないのならば、施設以下の家庭ということで、施設に行っていたと思う。)卒業以降は家を出て、紆余曲折を経て、今は自力で生きており、成人以降のお金に関してはほとんど(基本的には自力だが些細なものも入れると厳密には0ではないため)自分で出してきた。
それだけでなく、下のきょうだいの学費(高校卒業以降の学校)等も負担して(これは自分の意志だが他の家族が頼りないのもある。返してもらう約束というかきょうだい本人の望みもあって借用書は作った。)、無事に就職・成人した。
実家には全く帰っていないわけではなく、一般的な頻度では帰っている部類に入るのかもしれない。
しかし、帰ってもストレスをためずに帰れたことがほぼないし、理由も住んでいたところが閉まるか、用事があるからがほとんどで、自分の意志で帰ったことは皆無だと思う。
一部の家族とは交流も連絡もしていたが、間違っても実家に帰ろうとは思わなかった。
不幸な自分自慢をする気は毛頭ないが、機能不全家族ではあると思う。
そのような最中、比較的連絡も取っていた家族(きょうだいではない。家族の中できょうだいだけは好き。)が、第三者に迷惑をかけるようなことをした。
正直自分は知らなかった上に、他の家族は知っていたのに対処していなかったのを知った。
とりあえずできることはしているし、本人の話も聞くつもりではいるし、正直自分が悪いとは思わないが、自分の人生はどこまでも彼らの尻拭いなのかもしれない。
そう言えば、出していないが、助けてくれという名のタカり(返す気のない貸してほしいですらなく無期限に援助してくれという意味だと思う。)もされた。
タカられた後に半狂乱になってしまい、すぐに帰って有耶無耶になった。
ちなみに、「嫌なら出ていけ!」と叫ぶのも、第三者に迷惑がかかることをしたのも、申し訳のなさの欠片もないくらい当然のような顔で援助を頼んできたのも、全員別の続柄だ。
陰キャ、友人なし、恋人なしの負の役満三重苦ではあるが、自分の食い扶持は自分で保ち、人様の迷惑にならないということはしてきた。
逆に言えば、仮にそのような存在がいても確実に負の影響を与えてしまうだろうし、正直いても意味がないと思ってしまうからなのもある。
血縁もない、仕事関係でもない人間との交流する意味もわからないし、他者は自分を癒やすために存在しているわけでもなく、その逆もしかりだからだ。
それこそ、友人や恋人が無意味ならば、「結婚」によって救われないのかという意見もありそうだが、もっと理解不能だ。
場合によっては余計に問題が増えそうだし、その「他者」と法的な契約を交わすのは、単純な交流よりも遥かに恐ろしい。
そして最終的に「結婚」は「子供のための制度」であるという本質にリフレインするのだが、そこは単純に自分の家族うんぬんはさしおいて、そこを逃げる場所にしたくないという思いがある。
少なくともそこを理解せずに逃げる場所としてしまうから、虐待というか毒親気質は連鎖しがちなのかなとも思う。
(ちなみに反出生主義者ではない。)
正直「なぜお金を払ってまで自分が…。」という気持ちもあるのと、具体的に何がどう救われるかもわからないからだ。
大切なのは現実的に起こった事柄に対するできる限りの対処とお金でしかないと思っているのもある。
自分の人生を他責で責任転嫁する気は毛頭ないが、親ガチャの本質は遺伝子や文化資本もそうだが、「自分のせいではないことでも悪い形で影響を受けることがある」「場合によってはその尻拭いもすることになる」だと思う。
出ていけと言ってきたくせに、将来彼らはそれを理由に自分に寄生してくるのではないかと。
身体的な虐待をされたわけでもない、扶養義務は果たされた、現時点では何も援助していない。
今のところ目に見える問題点はなく、人によっては自分が反抗期の延長に見えるのかもしれない。
反出生主義者ではないが、少なくとも子供に対して「自分たちが望んで作った」あるいは「自分たちの行為でできた」くらいはわかっていれば、少なくとも自分の家族のようにはならないと思う。
FateにわかでFGO始めた口だけど、聖杯いっぱい手に入るのバカゲーかよって思いながらやってたよ。っていうか、言い始めたらイベントでラスボスにビースト出てくるの意味分かんねえし。こいつら本編に組み込めや。
目にするだけでもアホらしい、反論にすらなっていない事を理解できていない、よくある反AIの発言。
「人間の学習とAIの学習はまったく同じ」と本気で信じている者が居たら、バカだと思うだろう。同じことだ。
あくまでも一定の条件下で特定の観点から見ると、という話でしかないのだ。
反生成AI活動家の急先鋒カーラ・オルティス女史は、生成AIの出力を「21世紀のコラージュ」と見做す。
生成AIは、さまざまな作品から拝借・切り貼りしている<ように見える>
厳密に、技術的には違うとしても、そう見える。故に「21世紀のコラージュ」だと言っているにすぎない。
コラージュという技法を抽象化し、比喩に使っているだけなのだ。馬鹿でも理解できるように。
生成AIの出力を「単なる合成、切り貼りコラージュ」と公言して憚らない。みんながそう言ってるから。
学習データの一部が<実質的に>復元できてしまうことと、単なる圧縮解凍の区別も出来ない。
生成AIを文明から排除するために誇張された言葉を、すべて鵜呑みにしてしまう。
「生成型検索エンジン」という造語がある。StableDiffusionの顔、Emadの言葉だ。
これは「いままでは画像が必要な時に検索していた。しかしこれからは検索するかのように生成する時代が来る。生成AIは次世代の検索エンジンだ」という意味で、ターゲット層であるビジネスマンに向けた造語である。
しかし反AIは知性が無いので「生成型検索エンジン=検索して切り貼り=モデルに学習データそのものを保存=やっぱりコラージュだ」と、ここでも誤った解釈をしている。
最低限の学が備わっている者ならば、早々に見切りをつけたことだろう。救えぬものじゃと。
事実、反AIの中でも理解力の高かった者は次々と脱落していった。
自身から湧き出る要求が自己中心的で、何を言ってもどこかでダブルスタンダードになってしまうことに気づいてしまったのだ。
「部分的に、ある側面から見れば同一である」事に理解を示してしまうと、生成AIの全否定しか許されない村から追い出されてしまう。反AI村に居たいなら、黙るしかない。