はてなキーワード: 年代とは
がんばれ 行動してるのは偉いよ
自分も同年代だけど、この年で独り身だと半人前だと思われてたり気持ち悪がられてたりするんだろうなーやだなーと思いながらも何も行動できてない
ずっと一人じゃなくて、気が合う人間ができるといいよね
がんばれ
それはそうで、個人の判断が尊重されるのはその通り。でも、家族は生活の最小単位で、誰かと一緒にいて楽しいなら、それは幸せの形だと思うし、そんな異性が見つかって一緒にいられるのなら、結婚は捨てたのもじゃないと思う。というか、自分の結婚のモチベーションは、それ。だから、はてブではよく「結婚したくないならしなくていい」という意見を目にするけど、それはそうかもしれないけど、自分は結婚できるのが理想だなって思う。
婚約破棄を1度してる。理由は性格の不一致なのだが、お相手が「家計は月10万ずつ出す折半方式じゃないと絶対に嫌で、それがダメなら婚約は破棄したい」と言いだし、いきなりの「婚約破棄」という言葉にも驚いたのだけど、それより驚いたのが、婚約相手、自分の言うことが100%通らないと嫌だという人で、これは絶対将来疲れると察知し、相手も主張が通らなければすぐに婚約破棄する婚約破棄するというものだから、「じゃあ、婚約やめよっか」と伝えると「自分を大事にしてくれない」、「男は女を守るもの」と怒りだしたので、もう婚約破棄した。離れて気持ちがすっきりしたけど、そのすっきりした気持ちが正解なのだと思ってる。後悔していない。お見合いから婚約破棄まで1年ちょっとだったけど。
それまでに何人かの女性と会ったりしていたけど、また同じことをしないといけないのか…と思うと、しんどい。
年齢39歳。男。年収630万ほど。転職は複数社経験。大学は早慶のどちらかなのだけど、通学じゃない学部の、文学部卒。IT系職種。早慶でその年収?とか言われそうだけど、20代後半で大学卒業したし、地方住みの、転職で役職なしだから、そんなもんと思ってる。勤務先は一応大手?(東証スタンダード)。その業界では知らん人はいないくらいには有名。業界自体が寡占状態だし。
マッチングアプリで男女とも有料のやつを使ってる。1度のお見合いで音信不通になったり断られたことはない。だから「全く需要のない人」ではないんだろうな。今会ってる人も2回とか3回会ってる。というか、いいね押しても返ってくるのは10人のうち1人くらいだけど。マッチングアプリって完全な競争状態だと思うから、一部の人に人気が集中するのかなと思ってる。結婚相談所でもそうなんかな? 相談所使った方がいいのかもしれないけど、どうなんだろ? マッチングアプリと変わらないなら、別にしなくていいんじゃね…としか。でも、会いたいと思った人に会えない。高望みしすぎかな?
で、年齢も年齢だし、おっさんすぎるやろう…と。そもそも、需要あるんか? 子供は望んでいないし(いたら楽しいだろうなとは思うけど)、そもそも20代の女の子を誘う気もないし(話し合わんやろ)、同じ年代くらいで、気の合う人がいいなーとは思ってる。
何でもっと早く婚活しねーんだよと言われそうだけど、以前の勤務先で暴力とかパワハラとか普通にされてて病んでたり、それで転職・休職とかしてたんで、それどころじゃなかったんすよ。それでも、資格取って、勉強いっぱいして、がんばって転職して今の会社に来たんだけどな。今の勤務先は残業もほとんどないし、会社としてはホワイトかなと思ってる。
デートの仕方としては、まず最初はお茶(大体はこっち)か、ランチをしてる。基本的に、安くないそれなりなお店を探していく。でも、高すぎるお店だと相手を恐縮させるかもしれないから、きれいでオシャレだけど、手の届きそうなくらいのお店にしてる。お茶で二人で2000円台。ランチなら、2000~3000円台/1人。一応、少しはきれいでオシャレな服装でいく。ユナイテッドアローズのグリーンレーベル?で服買ってる。髪も美容院で切ってる。当たり前だけど、ちゃんと鼻毛は切るし、匂い対策もする。お店はグルメ雑誌をむっちゃ調べて予約する。そんなことしてる。まぁ、だからか、喜んではもらえるな。せっかく会ってくれる相手なのだから、喜んでくれるところ連れていきたいでしょ。そんなもんじゃね? 女子的には困る? どうなんだろ? 会計は全額自分が負担してる。負担するのは別に嫌じゃない。会ってくれるんでしょ、お金くらい出すわい。
まぁ、これだよな。孤独感と言えば身も蓋もないけど、誰かと一緒にいて楽しいとか、それが生活の最小単位かなと思うから。
婚活、しんどいな。誰かの「お前、頑張れ」って言葉がほしくて、この増田書いてるのかもしれない。ていうか、そうなんだろうな。
しばらく見ないうちにコメントをたくさんもらってた…。こういうの初なので反響?にびっくり。
増田婚活もしてみたい気はあるけど、近畿地方住みがどのくらいいるのかな。
メアド載せたら連絡くれたりするのだろうか。
現状、何人の方にお目にかかってる。本当に色んな人がいる。みんないい人だと思う。楽しくお話できるし。ただ、何か決定打に欠ける感じで、まだ婚活始めたばかりというのもあるし、誰とも交際には進んでいないのだけど。
王立宇宙軍って作ったあの年代の男オタクの倫理観なんだよな、だから宮崎駿が「何を言いたいのか解らない」って言い方で怒ったんだとおもう
見てて「この映画早く終わんねえかな」と思う事が無かった
新鮮だった
・「バズる」タイプのこのシーンが印象的!!とかは無かったけど全体的に「面白」という映画だった
・特定のグループのルールは部外者からしたら足蹴にするくらいどうでもいいものなのだ…
・クゥ~ッ 白黒映像の中で唯一血液だけが色彩を放ちその中で強烈接吻、これは好き好きシチュでざるよ!
・戦国アウトレイジとシリアスギャグの緩急でずっと映画に没頭させて頂いた これが70代の人が作ったと思うとすげ…すげ…ってなる
・手紙のくだりがようわからん…手紙が横流しされてたら普通気付くんじゃ…?いや気付いてない展開手回しがあるのか…?と思いながらみてた
・空中戦わろた
・観客→50〜60人弱?年代は50〜60代大半だった
・見終わったあと別映画ほ本編前予告で時代劇やってて、首みる前後で時代劇の観方マジで変わるな…1本の作品で観た人間の物の観方を変えさせる力を持つ作品を作れる天才…これが才能持ちし者の才能…と才能ぢからをわからせられた あと首の劇場グッズ、本編観たあとだと腐女子のカップリンクノベルティに見える
・影武者大作戦で家康影武者の天丼芸思い出して草 時代的には普通に…あるだろ!!!
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言ったり思ったりするんか…?それは現代の倫理観の驕り昂りでは…?とウヘってたから
そこがよかった
今はX辺りで有効な共感狙いのお気持ち長文がメインだよね。メモ帳スクショして数ページに渡って書いてあるような文章に大量いいねがついてそれを自信満々に送ってるんだろうな
でもそれだけ女性が女性らしい文を書いても叩かれない時代になったとも言える
人文系研究者のハシクレ(そろそろ若手じゃなくなりそう)として補足しておく。
文系、特に人文系では博士論文の執筆がキッチリ3年で終わる人は少ないし、博士課程にいられる年限を使い果たしてしまう人も多い。しかし、東大をはじめとした多くの大学では「博士課程単位取得退学後3年間のうちに博士論文を出して防衛できたら、課程博士と見なす」という運用をしている。
したがって、最近よく見る経歴は、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」というもの。これは単位取得退学したあとに博士号を取得した、という意味。
実際に単位取得退学で助教や講師のポストをゲットした人は最近でもたまに見かける。増田の同年代で2~3人くらい(あくまで増田の観測範囲なので、実際はもっと多いだろう)。まあ、そういう人たちは和文論文だけじゃなくて、英語論文(分野によっては+英語以外の外国語論文)書いてたし、下手な博士より論文数多かったけどね……。博士号取得者を蹴落として任期付きポストをゲットした単位取得退学者も知ってる。純粋に業績が多ければたまに博士号取得者ではなく単位取得退学者が選ばれる場合があるということ。
このように、形式上は単位取得退学でも応募できる公募は今でも多い。JREC-INで文系の公募を見てみると、「博士号取得者、あるいは、博士の学位を取得した者に相当する能力を有すると認められる者」っていう募集条件が書いてあることがあるけど、後者が単位取得退学を指している。こういう条件の公募、普通に東大でもまだ出てるからね。ただ、条件に書いてあるからといって選ばれるかというと、よっぽど卓越してない限り厳しいんじゃないかしら。
(修士号しか持ってなくても業績が卓越してれば採用されるというのは、みんな大好きユーリィ・イズムィコa.k.a.小泉悠センセが示しているところだと思う。彼はそもそも博士課程に入ってないはずだけど、ロシア軍を分析するアカデミックな著書を何冊も出してたら東大の専任教員にまで上り詰めた)
とはいえやはり、博士号持ってない人への風当たりは強まっている。一部の宮廷や有名どころの国立大学では、常勤ポストの募集にあたっては人文系であっても博士号を要求しているし、学振PDや海外学振は10年くらい前から文系でも博士号必須になっていたはず(逆に言えば、40代以上の文系研究者の中には、博士号なしで学振PDやってた人が大勢いるってこと)。
ただし、博士号持ってない人への風当たり、というのはあくまで若手の就職市場でアカポスに採用されるかどうかという話で、もう就職しちゃったセンセについては博士号の有無とかあんま気にしたことない……博士論文以降ロクに論文書いてない人より、単位取得退学で面白い論文や著書いっぱい書いてる人の方がエラいじゃん? というのが文系の感覚だと思うんだが、どうだろう。池内恵センセくらい業績があったら、博士号の有無なんてもう誤差でしょ誤差。
ただ、外国で博士号獲った人についてはやっぱり一目置くかも。はてな界隈で有名な人だと北村紗衣センセとか。博士論文というのはだいたい1冊の本になるくらいの分量のものを書くということなので、それを外国語で書いてる時点ですごいよ。特にアメリカだと博士課程では厳しいコースワークがあるから、あれをくぐり抜けたってことだもんね。
最初に「文系、特に人文系」って書いたけど、「文系」と「人文系」は違う。「文系」は「人文系」と「社会科学系」に分かれていて、文学とか哲学とか歴史学とかは人文系、社会学とか政治学とか経済学とかは社会科学系、ってことになってる(あくまでもこれは日本の話。国によって分類は違う。たとえば歴史学を社会科学系に入れる国はヨーロッパにはいくつもある)。「単位取得退学」はもともと文系全体でよくある経歴だったけど、今ではほぼ人文系に限られてる印象。上で書いた単位取得退学でポストをゲットした人たちも、観測範囲ではみんな人文系。
ただ、法学・政治学は20年くらい前まで学士助手という制度があったので、学歴という点では人文系以上にガラパゴスだったりするのだが……学士号しか持たずに教授になってらっしゃる人たちが何人もいる分野です。はてな界隈で有名な人だと木村草太センセとか大屋雄裕センセとかね!
ところで、公募条件に「外国で出された博士に相当する学位」という謎の文言があることがある。外国で出された博士、ならともかく、外国で出された博士に相当する学位って何だよ。
実はかつての日本同様に博士号は功成り名遂げた大物が書くものという文化がまだ残っている国があって、具体的にいうとロシアとかそのへんの旧ソ連諸国。あのあたりでは博士候補(カンジダート・ナウク; кандидат наук; kandidat nauk)っていう学位があって、これがPh.D.に相当する。博士候補論文は大学院に進んで数年かけて書くやつで、実質的に博士論文。博士候補号を持ってればロシアでは准教授になれる。ロシアに留学して博士号獲った、って言ってる人のかなりの割合が、実は博士候補号の取得者だったりする。まあ、ロシアのカンジダート号は他国のPh.D.と同等っていうのはよく知られてるから、別に嘘じゃないんだけどね。
ところでウクライナでは2014年7月にこの博士候補制度をPh.D.に置き換える制度改正を始めて、2020年には全廃したらしい。うーん、ロシアとの縁を切って西欧と共通の制度に置き換えるなんて、2014年にいったい何があったんやろなぁ(棒読み)(時期的に完全な偶然というのもありそうだけど)。
“博士課程単位取得退学、博士”これは課程博士と同じ扱いです。3年の課程を修了し学位論文間に合わずに退学した場合も、3年以内に学位論文が出れば課程博士となるのです。
厳密には、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」のすべてが課程博士というわけではありません。単位取得退学から10年後に博士号取得したら論文博士ですし。なので、経歴を見るか(たとえば、2022年に単位取得退学して2023年に博士号獲ってればほぼ確実に課程博士)、あるいはCiNiiで博士論文を検索するかしないとどちらかはわからないですね。
色んな理由があるので一概には言えませんが、本人の博士論文の構想が壮大すぎる、とか、書き上げる前にポストゲットできたから退学しました、とか、そういう場合が多いんじゃないでしょうか。課程博士論文を書き上げた人の経歴はみな似通っていますが、博論を書き上げられなかった人はそれぞれの理由があるものです。
そんな人、少なくとも最近は聞いたことないですけど、いつの時代の話ですか? 何がしかの業績(必ずしも論文という形である必要はないです。たとえば安藤忠雄センセみたいな場合)がなければ大学のポストには就くことはできません。もちろん霞が関から元官僚がゴリ押しされたりすることはあるかもしれませんが、それは業績なんも関係ないし……
この議論ならストレートで論文博士の東浩紀はそれだけで尊敬されても良さそうだけど学者からも石投げられてるし結局空気なのかな
東浩紀センセは、デリダ研究で博士号を獲った俊英だから叩かれてるんじゃなくて、彼の政治的意見を気に食わない人が多いから叩かれてるんでしょ。博士号獲った人は尊敬に値するけど、それはそれ、これはこれですよ。海外で博士号獲ってる人の意見に同意できないとか、日常茶飯事だし。
ジャニーズとか宝塚とかをきっかけに「推し活」そのものにも批判的な目が向けられてる現状にちょっと言いたくて書く。
性犯罪とかパワハラとかが違法行為であって糾弾されるべきなのはそう。そこに異論はない。
ただ、歴戦のオタクとして、「推し活」そのもののあるべき姿みたいなのにはちょっと思うところがある。
具体的な年代は避けるけど、かつてオタクやってたときはまだ「推し」なんて言葉はなかったし、今よりずっと「オタク」もネガティブなイメージの言葉だった。
当時は某グループのオタク。バーチャル系ではなく実在のグループで、まあCD出したりグッズ売ったり、ライブやったりしてる感じ。まだ配信文化もなかった。
ツアーの全通(非オタク向け補足:ライブツアーなどに全公演参加すること)経験もある。チケ代交通費宿泊費グッズその他で数十万かかったけど、まあ楽しかった。
その後、主要メンバーの引退やら卒業やらで少しずつ離れていき、数年間の非オタク期間を経て、1年ほど前からまた別ジャンルのオタクをやってる。
年齢も人生経験もちょっとは積み重ねて、推し活に対するスタンスも固まってきた。別に正解があるわけじゃないが、推し活やるならこうしたらいいぞ、っていうオススメを書いておきたい。
一言でまとめると、「推しの人生は推し本人のもの、お前の人生はお前のもの」だ。
どうかなあと思うのは、自分の人生を推し活に注ぎ込みすぎてるパターン。それで結局推しの引退やらなんやらで、気がついたら年齢を重ねた自分と虚無感だけが残った、みたいなやつだ。
昔からそういうオタクを周囲でたくさん見てきた。それでもある期間は楽しかったんだからいいのだ、と割り切れるならまだいいが、そうでない人も多い。
ファンと結婚する芸能人、みたいなのに憧れがあるのもわかる。でもあれは、「もともと出会えるぐらいの距離感の関係性」だった対象が、たまたまファンだったというだけに過ぎない。もしくは、ちょっと知ってた、くらいの話を「昔からずっとファンでした」に脚色したほうがニュースバリューがあると判断した結果の演出だ。残念なことだが、この世界はそういうふうにできている。
ライブでファンサもらえたとしても、ラジオや配信でメールが読まれたとしても、それはお前の人生が推しの人生と重なったことにはならない。
推しは推しの人生という列車に乗っていて、お前の乗ってる列車の線路とは交わってないのだ。ライブやメールっていう接点は、あくまで車窓から見えた、程度のこと。
その景色が見えようと見えまいと、推しは推しの線路を進んでゆく。それはお前もそうなんだ。お互いが交わったと思いたい気持ちはわかる。でもそうではないということをまずは理解しよう。
じゃあどうしたらいいか。
お前は推し活をしている以上、推しから何らかの影響を受けているだろう。推しも、個別に一人ひとりを認識してはいないにしろ、ファンの反応には影響を受けているはず。そういう意味では、
お互いに影響しあっている。推しはファンのリアクションを受けて、活動を続けている。お前も、推しから受けた影響を「お前の人生」に活かせ。
お前が推しの人生を変えようとしても難しい。推しの人生は推し自身が自分で決めて進んでいくのだ。同様に、お前の人生を決められるのはお前だけなんだ。
ちょっと話は逸れるが、オタク歴が長くなって気づいた、ラジオなどでメールが読まれるコツみたいなものを伝えておく。
可愛い、かっこいい、歌やダンスが上手い、など推しに対してストレートに感情を伝えるメッセージは、それだけでは弱い。なぜなら、ある程度の活動をしている人はそういう言葉を浴びせられることに慣れているからだ。
「あなたの歌(orダンス、演技、etc...)からこんなことを感じて、自分も◯◯してみました、◯◯にチャレンジしています」などというように、
「推しの活動から影響を受けた自分がどのように変わったか」を書くんだ。
推し対象が何らかの芸能活動をしているのであれば、自分の生み出したコンテンツが誰かにプラスの影響を与えた、誰かの人生に作用したと思えることが嬉しくないはずはない。
どんな仕事でも、自分の仕事が世の中の役に立っている実感が得られるかどうかは、やりがいに直結するだろう。それと同じことだ。
自分は、いまの推し対象が音楽をいろいろ突き詰めているのをみて、楽器を始めた。もともと音楽は好きで楽器が演奏できることへのあこがれはあったが、推し活がきっかけになった形だ。
練習しているのはもちろん推しの楽曲だ。なんとか1曲弾けるようになって、推しの記念日に某所に演奏動画を上げたら、同ジャンルのオタクたちがリアクションくれてちょっと承認欲求が満たされた。推し本人が見てくれていたらいいなあと思う。
初級レベルを出るくらいまではきた自覚があるので、おそらく今の推しが引退とか活動休止したとしても、楽器は続けていくと思う。これは推しに出会わなかったらきっかけがなかった自分の人生の変化だ。
言い換えただけだが、自分の考える推し活のあるべき姿は「推しを力に変えてお前の人生を生きろ」だ。
お前がお前の人生を生きている限りは、グッズを山ほど買おうが、ツアー全通しようが、批判されるべきことではない。それを力に、お前の人生をより良い方向へ変えるには、と考えて進もうや。
蛇足だが、推し活のための借金はおすすめしない。それはお前の人生が担える範囲を超えているからだ。
推し活などに全く頼らなくても生きていける人も大勢いる。だが、我々のような人種は基本的に弱いんだと思う。だからその弱さを推しに補ってもらって、自分の人生を歩もう。そうやって良い方向へ自分のファンが変わっていくことは、推し本人にとっても喜ばしいことのはずだ。
私は情報系の国立大学院卒で、ソフトウェアエンジニアをフルリモートでやっている。結婚していて子供が1人いる。妻も同じ大学の文系の学部を卒業して、現在フルリモートで仕事をしている。
世帯年収は、800~900万ほどだ。
積立NISAを夫婦でマックスの額を入れているので、そこそこ投資信託の資産はある。
奨学金はもらったが、大学院にまで行かせてもらえるような家庭に生まれた。上には上がいるし、そんなに恵まれているとは思わないが、一般的な人よりは、恵まれていると思う。学力も恵まれていると思うが、生活は楽ではない。
もちろん、生きていくことは余裕でできるし、外食もできるし、年に一回くらいの国内の家族旅行は可能だが、子供をもう1人や2人となると破綻していくのは目に見えている。
小学校や中学校は田舎の公立の学校に通っていたので、恵まれてない人達がたくさんいることを知っている。
生まれ持ったカードがそれなりに良かったからここまで来れたが、もっとカードが悪かった人は、世の中にはたくさんいると思う。
みんな相当大変な生活をしているのではないだろうか。