はてなキーワード: 出版物とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/beginner1104/n/nd3907ebdcfea
絵師の自由に任せて何も指示せず絵ができてからも何も修正要求しなかったらしい
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ふと思ったんだけど、こういうのって
女性ファッション誌や衣服の通販カタログ誌の切り抜きを何枚か渡して
俺の経験した範囲内じゃ(零細広告屋&下請けライター歴15年)
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WEB広告、マーケティング担当者って「雑誌」見てないんじゃないの?
今のご時世、紙の出版物が滅びゆく運命なのは認めざるを得ないけど
雑誌文化って「この客層にはこういう誌面(画面)ビジュアル、文体、色づかい」
それなりによくできてたと思うんだよ
ネットじゃ「本来の客層」を気にせずRTやいいねの数だけ追ってるから
そういう話じゃねえの
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「文在寅」が進める「歴史歪曲禁止法」 「日本が好き」「反日教育は嫌い」で刑務所へ
同法案には「新聞、雑誌、テレビ、その他の出版物または情報通信網を利用し、展示会、集会などで日本帝国主義の国権侵奪と植民統治を称賛、正当化、支持し、日本の戦争犯罪を否認または著しく縮小·軽視する行動を取り、また日本の植民統治を擁護する団体の活動を行うと、7年以下の懲役または5000万ウォン以下の罰金に処する」という一文がある。
これは例えば、「日本の植民地時代は、鉄道や西洋式建物ができるなど経済的な発展があった」と発言しただけで、刑事処罰を受ける可能性があるのだ。
30年間日本で暮らし、韓国人と結婚して韓国国籍を取得した日本人が、日本の戦争を擁護する発言をしたら懲役や罰金刑に処されることになる。国外で生まれ育った韓国人も同様だ。
美味しんぼ公式チャンネルhttps://youtu.be/WrlgMS9A_6U
をたまたま見て気になったんですが、最初と最後の歌の中で表示している歌詞のフォントってなんて言うんでしょうか?
誰か知っている人いたら教えてください。
出版印刷関係の方なら常識かもしれませんが、ExcelやWord、Powerpoinでは出せなかったような気がするし、最近のwebサイトや出版物でもあまり見ない気がします。
このフォントは個人的には、あまり堅苦しくないのと温かみがあって好きです。
(追記)
ちょっと経験しただけで業界人を気取っている平社員やバイトの人たちが「現場を知らない」とか言って反対しているけど、もし義務化が中止になったときに、そのことが原因で問題が起きた時にそれに対する責任を取る覚悟はあるの?
出版物の消費税総額表示の件、財務省に確認してきた話にまぁまぁブコメが集まっている。いつもの自民嫌いはてなーがネガネガしててアホらしいが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yamadataro43/status/1306071145632866305
山田太郎のいい所はネットで話題になった彼の専門らしい問題を超特急で担当省庁に確認しにいってくれることだ(野党にもそういう方が多くいるが、与党側で動いてくれる人はまぁまぁ貴重だ)
そして悪いところはマスメディアごっこしたがる点だ。対象のツイートなんかもそうだが、とりあえず聞いてきた話をそのまま垂れ流すことだ。
炎上してる政治案件の省庁回答の速報はRTも稼げてネット政治家としては有効なのかもしれないが、はてなーをはじめとする文章を3秒しか読まない連中は役所の回答の報告を即ち山田太郎の意見と捉えがちだ。
問題報告した時は自身のYoutubeで話してるらしいのは知ってる(見たことはない)ので#山田太郎のさんちゃんねるのハッシュタグを追えば動画を信者さんがざっくりまとめていて
・現在在庫であるものに対して守らなくても罰則はない税務当局は動く気がない
・罰則規定の無い努力義務だし業界団体は織り込み済みで動いてる
らしい。それこの話題に一番大事な話じゃない?ツイートに全くない内容だし誤解されるだけの内容書くのは今すぐ止めて自分の意見含めて整理した段階で話さないと総合的には損してると思うよ。
静観でも賛成でもいいけどその理由は連ツイでもいいからまずは整理した上で問題の回答とあわせて投稿しましょう。その上で詳しい話を信者さん向けにYoutubeですればいいだけなんだけど動画見てくれないと寂しいんだろうね。
俺は書店での勤務経験は無いんだけど、食品などの小売で勤めていた経験はある。
その経験から考えると「バーコード付きのシールを今の価格の上から貼ればいいのでは?」って思ってしまう。
こういう事を言うと「余計な手間を増やすなって事だよ!」とキレ気味のコメントをもらいそうだが、さほど手間が増えるかなぁと思ってしまうのだ。
新しく入ってくる商品については検品の際にバーコードもチェックするし、既に棚に置いている商品は棚替えのタイミングを調整すればなんとかなるんじゃないだろうか。
法律をもって・権力をもって表現自体を規制することを「圧力」と考えます。
法的根拠に基づいて出版物を差し止めたり、特定の表現を行った企業・人物に対して刑事罰を実施することは、企業の自由判断を蝕む「圧力」であると言えます。
一方、一般の消費者によるいかなる批判・抗議活動においても法的拘束力はなく、それに従うか否かは企業の自由判断によるものです。
(日赤は宇崎ちゃんコラボをやめませんでした。amazonは三浦瑠璃CMをとりさげました。いずれも自由判断)
これを「圧力」と断定することはできません。
>それから「人事案件なら圧力ではない」という俺ルールの正当性の証明はどこで読めるでしょうか?
「人事案件は圧力ではない」とは申しておりません。「"人事"と"市井の消費者による批判"とは直接的には無関係であり、人事によって発生した労働者の損失の賠償責任を消費者に求める(=「"批判"を"圧力"呼ばわりする」)べきではない」と申しております。
長編小説のエントリをお見かけしたとき、自分の思考整理のために書いていたものを投げます。
私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど
今いる界隈で字数マウントっぽいのちょこちょこ見るようになったので。
いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど
じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。
ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。
というのは、自分が二次創作における文章の文字数に一回仮死状態になったからです。
筆を折ったというよりは筆を止めた。
家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。
思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。
自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、
感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。
小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使いますが
私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。
短時間でいかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。
ワンシーンの抜粋、動作の美しさを描写して書き留めておきたい。
けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。
シーンを複数用意して時系列や構成を思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。
でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。
デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法と知識がいる。
30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、
下手すると無限に時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。
鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。
今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。
物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。
「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。
あと短時間でたくさん読める。
などの短文の魅力が好きでした。今も好き。
絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも
要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。
一口に長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。
読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。
物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。
それがわかっていればよかったんだけど
小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて
(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)
それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。
今は自分がいちばん書きやすい文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。
分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど
だからといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。
「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分をジャッジする必要はない。
なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。
万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし
3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります。
それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。
これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。
でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要は微塵もない。
「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。
長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います。
私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。
軽やかなので。
重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作の醍醐味だとも思う。
そういう覚書でした。
(一般の出版物におけるショートショートは800〜4000字、
短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが
二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)
私には、その昔大ハマりしていた小説のシリーズがありました。それこそ十代の頃に。
それはいわゆる少女向けライトノベルと呼ばれるジャンルで、ヒロインやヒーローの恋心ももちろん素敵だったけど、何よりも冒険や世界設定がとっても魅力的で。身の回りの人に勧めたり、発売日に買ったりしてました。
そのシリーズが完結した後、別の出版社で作者さんが新しく始めたシリーズや過去作を読んでみたけど、あまりピンとこず。また合うのがあったらいいなと思って、しばらく手に取らない日々が続きました。
それからちょっとして、その作家さんの某呟きSNSを見つけました。n*teもあわせて始められたようです。
頻繁に色々呟いているみたいで、新作も出していらっしゃる模様。嬉しくなってフォローしましたが、最近フォローを外してしまいました。
別に生きている人間なのだから色々あるでしょうと言えばそれまでですが…
以下はその作家さんについての一方的な愚痴です。正直、これはやめてほしかった。という話。あまり気持ちいいものじゃないから嫌な人はリターン推奨。
① 昔自分が書いていた出版社の編集者の悪口を言う(婉曲的にそこで出された他出版物の悪口も)
それも、「最近出版社にこんなことされました」系のバズツイートにすかさず乗っかって、自分のお気持ち語りをする。
内容は決まって
「売れなきゃダメだと言われた」
「私はとおりいっぺんのライトノベルから一線を画するものを書きたかったのに否定され続けてきた」
「私なりに他のその他一般とは違うものを書こうと足掻いてきたのに、編集からはもっと軽くて内容が薄いものをと言われた」
いや、、、
ならそう書けばいいのに。
なんでその他と私は違うし〜みたいな不特定多数に呪いを振り撒くの。
そして何より
なんで自分が書くものだけがそんなに崇高で素晴らしいものになってるんだよと。。。
その人が「軽くて内容が薄いから売れている」と婉曲的に評していた他の作品、私ずっと読んでたけどそんなことなかったよ。
ネット発作品もみんなちゃんと面白かったよ。それぞれキャッチーに書きたいものを楽しく描く努力してるもののように私は思うよ。別に迎合したから売れたわけじゃないと思う。と言うか好きな作品たくさんあるから、それを読んで楽しいと思った私の感性までバカにされたみたいな気持ちになった。
あと正直、あなたの作品そんなに言うほど中身練られてない。物語を届けてくれるのは嬉しいけど、私の好きなものに呪いをかけないで。
②政治ツイートにどんどん乗っかるし、無意識に見知らぬ相手をdisる
芸能人とかアーティストが政治発言するなと言ってるんじゃない。
するなら、相応の覚悟を持ってと言うか、それに対立する意見の人もあなたのフォロワーなり読者なりにいると理解した上でやってるのかなと。ツイデモとかも高頻度で参加してた。
他に嫌だなと思ったのが、「こう言う人を見かけたけど正直どうかと思う」と、街とかですれ違っただけの人を(たぶん無意識に)(無意識であって欲しい)馬鹿にしたような発言をすること。子供さんができたみたいでそれは喜ばしいんだけど、以降はそうゆう子育てマウンティングみたいなのや、「子育てしてて忙しいから小説に本気出せてない」と婉曲的に読めるような言い訳が増えた。
ついでにこれは
③見苦しい
にも繋がるんだけど。
自分の意見を貫いてるアタシ!な割に、その人は、コロナ禍で自分の立ち上げた新刊の売り上げが絶望的とわかると、ものすごく騒ぎ始めた。そして、
的なことを呟いては周りから吉牛されて喜ぶみたいなことを繰り返していた。
もう正直それだけでだいぶ無理無理だったけど、極め付けが、刊行から三ヶ月ほど経ってから新刊が重版かかったときのnot*。
「この世界で物語を生み出すためにアタシが生きることを許された・・・」
あ、やば。
と決定的に思ったのはこのnot*だった。
正直、どうしてこの人の作品が合わなくなったのか、それで理解した気がした。
最近はなろうを書き始めたらしいけど、
「なろう系を正直ばかにしてたけど、昔ながらの少女ラノベみたいな良さに気付いて始めることにした」
みたいなことも言ってて。
いや別に言い訳いらなくね。。。。。。書きたいから書いた!載せたいから載せた!読んで欲しいから読んで!でなんでダメなの??と言うか黙って載せたらどうなの。
それ以前に、前は十把一絡げにバカにして見てました報告いらんよな。
って思った。
私がどのタイミングで作家さんのフォローをやめたかは、明言しません。身バレ怖いし。フォロワー4桁いる人だし。
でも、気持ち悪さをどうにも吐き出したくなって吐きました。
読んでくれてありがと。
印刷会社の者ですが
事前人気に頼らざるを得ないというのはわかります。
確かに刷り部数の決定は駆け引きというか…当初は3万部という話が、出版社内の営業と編集で争った結果5000部になりました…。
とかよくありますよね。
編集さんがプレゼンしなきゃいけないのは、買い手である読者に買ってね、書店さんへ良い場所へ置いてねこの本よろしくね、以外にも多く、
営業や社内へ向けて「出版するか」「何部刷るか」のプレゼンが大変そうです。
それには確かに、数字としての実績や人気を示さないといけなくて…「Twitterで話題で人気の原作(作家、漫画など)です!RT数、フォロワー数はこれくらいです」もひとつの指標ですよね。
「売るための下地」がなければ「部数を刷れない」のは、たしかに現実として正しいことです。
これは事務所や代理店の関わる「売ろう」と決められた本なので、あらゆる媒体で宣伝され、広告がうたれ、「売るための下地」をお金をかけて作りました。
初版1刷は2万部です。
公表につき再刷!増刷!重版(厳密にはちがいますが)!○万部突破!
これもまた実売数を売るための下地であり、刷り部数を増やすテクニックです。
元増田さんは文芸でしょうか?なかなか下地の難しい分野ですよね。
部数を多く、という以前に発行に漕ぎつけるまでが。
コミックスであれば、現在は3000できれば5000部というロットで刷れるようになったため、とりあえず出してみよう、が以前より多く感じます。
POD(オンデマンド)本を勧めてらっしゃる方もいますね、弊社も承っておりますよ、書店サイトから注文が入り即日C1000でプリント、手作業でPP貼りし、手作業で製本して手作業で断裁、そして発送。
正直こちらは一般に流通する書籍などと同等とは言えませんし、刷り部数が確保できないほどの小ロットにしか向きません。
印税(率、または単価が高いことによる額)が良くても総合的には部数が稼げる商業印刷には収入としてはかなり劣ります。
宣伝して売るための予算を取る、初版部数を増やす、これらは買い手への宣伝ではなくて社内へのプレゼンです。このためには、事前の評価が必要なのは事実です。
どんなに編集さんが熱心でも、その予算が取れず部数も減らされてがっかりされていることは日常で、私たち印刷会社も以前より部数が絞られる傾向を感じています。
刊行タイトルが増えて、抱える作家さんが多くなったせいか、宣伝できるタイトルが絞られている印象です。
タイトル数が増えて、個々の実売数が減っている…そうすると人件費率も経費率も爆上がりですからね…。
(印刷会社から見て、印税10%は妥当かなと思うのですよ、物価が高くなったとは言え製品原価自体は微々たるものですが、あまりに一冊をつくるのに人手と時間がかかるので…。)
(売れる本だけ大量に刷れるなら別ですが、大半の利益の出ない売れない本の経費や赤を、売れる一部のベストセラー本が補っている現状です。)
作家さんが増えて「経費」も絞られていますよね、校正校閲を省くという荒業から…作家さんへの接待なども。
我々業者は、作家さんの花見の席取りや、作家さんの趣味の観劇チケット取り、打ち合わせで行きたいとリクエストのあった予約制飲食店の予約…などによく駆り出されたものですが、新人の方への接待で呼ばれることは少なくなったように感じます(大御所さんはいまだにありますが)。