はてなキーワード: 人知とは
ちょっとザワついてると、至近距離でも言葉が聞き取れないのでなにかと同行者に不快な思いをさせてしまう。
発達障害由来だろうということで、自分で何とかしようと思ってもあまりできることがなさそうなので困っている。
先日も妻と二人でスーパーに買い物に行って商品を見て回りながら、妻がふと発した言葉がほぼ100%正確に聞き取れなかった。
さっぱり意味不明なら聞き直すし、それっぽいことが聞こえたときはオウム返しして合ってるかどうか確認して、なるべく誤解のない会話を心がけてるのだけど、
少しザワつきがひどいと2回目同じことを言ってもらっても注意してるのにやっぱり聞き取れなかったりする有様だった。
妻も私が耳からの情報処理能力に難があることは知っているけれど、何を言ってもずーっと聞き返しになってしまうので、
「2回も3回も言うほどのことじゃないし……」という感じで最後には会話することを諦めてしまったりするので申し訳がないし、私もさびしい。
正「よかったトウモロコシまだある」
誤「ウリとキウィやなあ」
正「割と小さいなあ」
誤「スイカのみ別やね」
正「スイカの季節やね」
誤「朝のパンにパニーニ?」
正「朝ごはんにパンいる?」
誤「ゴーヤチャンプルー苦かったマズイかな」
正「ゴーヤチャンプルーにはまだ早いかな」
誤「タマゴみつかった」
正「軟骨なかった」
誤「ワクテカッ」
正「肉でかっ」
誤「遠くまで草津 and 蓮」
正「豆腐はまだ二つあったはず」
正「納豆まだあるよね」
誤「サンドパン並に塩?」
正「晩御飯なににしよう」
誤「えばだでっちニュアってョ」
正「枝豆あっちに売ってたよ」
誤「Ready and Go?」
正「レジいくで」
なんかもう、一緒にいるだけでストレス溜まるだろうと思う。
ざわつき+不意打ちでかなり精度が落ちている感じがするので、「今から喋るよー」というときに肩でも叩いてもらえば注意や視線をそちらに向けられて多少認識率が上がりそうなものだけれど、
いちいち発言前につついてもらうというのは、妻はまだしも普通の友人知人相手ではなかなかお願いしづらいものがある。
---
追記
相手の名前を刺青で刻むなどといった方法もあるが、それら全体を含めて両者の意見が完全に一致した現状と今後の一致について原則的な契約があることを他者に証明するのは証明書などもない関係上、式によって公知するしかない。
業務上のパートナーや生活福祉のパートナーでも愛がある可能性はある。その接点から関係を拡大していくこともありえる。
その逆方向からのアプローチとして、全体の信頼を確立した上で業務や福祉、生活を共有するということの理由として愛がある。愛は信頼を発生させる装置として働く。
契約の重要性や確実性を、語る愛で測るしか人間関係を説明できない現状、異性だからやたら好きになる、強力な枷となる前提を利用するほかなく、性差を利用した愛と同じ表現以外に性別関係なく手段がないため。
あこがれかの妄想の終着点。アニメファンの聖地巡礼みたいなもの。
信頼関係の公知が必要ない、契約の重要性を認識するために他者の反応を見たいという意向がなければ特に意味はない。
婚姻に証明書がないじゃん、同性ですんでるだけで認められたって認識がない → じゃあ証明書つくりましょう → 公的予算
同性愛者のコミュニティは発足したてで理解者もすくなく私たちは被害者だった → 公知活動には助成が必要だね
そういう取り組みに携わる人がいない → そういう人たちの雇用創出
あと、そういうのいいよねってほんとに思ってボランティアな人。
ぶっちゃけ異性のカップルでも数年以上同性しててなんでいまさら結婚、ってときには社会的な保障やら信用やら手続きやらが必要なときくらいで
共働きで年金や健康保険の種別が違うカップル(医師や看護師と作業員や自由業etc)なんかは結婚は子供の有無なんかでかわってくると思う。
職業上同性愛者とよく会うので、友人知人も同性愛者が多いです。そんな中、ゲイの友人に「同性愛者なら海外に行ったら?」みたいな言葉を平気でいう人達が一定数います。「同性愛者が結婚できる国の方が、良いじゃん」「あっちだったら(同性愛が)認められているからさ」なんて無責任に言っちゃうのです。私はその言葉を聞いて、非常に違和感を覚えます。愛のために、自分の居場所や今まで築いてきた関係、意のままにあやつれる母語をかなぐり捨てて、海外に行ける人なんてそうそういません。第一、海外に住むには膨大な面倒くささが含まれています。ビザの問題とか、仕事とか、住居の関係も。
私は2年くらいサンフランシスコに住んでいました。サンフランシスコにはレズビアン、ゲイ、バイシェクシャル、トランスジェンダー(LGBT)に対し、かなり先進的な考え方を持つ町でした。まさに、寛容、という言い方がしっくりきます。年に数回そういう人達のための集まりやパレードがあり、そう言う人達が集まるコミュニティやお店があります。そこで感じたことは、「この人達は行動したから、自分たちが欲する権利を得ているのだな」ということです。そして、一部の保守的な人達を除く一般の人たちも、その人達に関して非常にオープンでした。ゲイパレードの参加者の3分の1くらいは、異性愛者でしたから。
アメリカのLGBTの人たちは自分たちの権利のために行動します。積極的に情報を発信し、周知活動(パレードやポスター等)を行います。知ってもらうことは何よりも大事なのです。アメリカにはまだ保守的な人がいて、LGBTの人たちにひどいいじめをしたり、白い目でみたり、時には暴力をふるう人もいます。アメリカは、自由の国と言われていますが、実は保守的な面も色濃く、反発の力は日本よりかなり力強いものを感じました。しかし、「愛情の反対は無関心」と、昔の偉人が言っていたように、LGBTの人たちにとって、なによりも危惧しているものは、自分たちのようなマイノリティに対して、一般的な人達が無関心・無知であることだったように思います。だから、彼らはどんなに批判され、冷たい目で見られても、結構ケロっとしていました。(実は多分傷付いているかもしれませんが)
アメリカで同性婚が認められたことを非常に嬉しく思います。しかし、そうなって当然だったとも思います。異性愛者の生徒も交じる講義の中で、よくLGBTの権利についてディスカッションされました。それは、LGBTの権利が認められるかどうかではなく、彼らの権利は「認められるべき」だと当たり前のように話していました。その上で、今後どのように法律が変えられるべきか、自分たちはどうするべきか、という議論になりました。これは、LGBTの人々が積極的に周知活動を行い、認めてもらった結果であると言えると思います。
さて、冒頭の話に戻します。「同性愛者が結婚できる国の方が、良いじゃん」「あっちだったら(同性愛が)認められているからさ」このような言葉は、いかがなものでしょうか。あたかも、この国ではLGBTであることが認められておらず、この先も同性愛の結婚が認められないだろう、とするような言い方です。また、多分そういうことを言う人は、同性愛者の人たちの実情を知ろうとしていない(=わかりあえない存在として見ている)ような気がします。知ろうとせずに、無関心でいる人達に、そして、無責任に「同性愛者は海外に行け」と、自分たちから遠くへ追いやろうとしている人達に、警告を鳴らしたいのです。
分かりあえませんか。愛の形は同じで、たまたま生まれ持ったものが大勢の人とは少しだけ違っただけだった。それを知るだけで、だいぶ目線が変わるのではないですか。
そして、LBGTの皆さん、少しでも良いから、自分たちのこと、周りの人たちに知らせてください。一部の人たちを除けば、きちんとわかってくれるはずです。真っ直ぐした言葉で、発して下さい。「私は海外ではなく、日本で生きたいのだ」と。理不尽な言葉に、人知れず傷付いて、俯かないでください。
この国は、今後どうなるのでしょうか。お互いを知ろうとしないまま、人々はこのまま人間らしい美しい愛を持った人たちを、看過していくのでしょうか。私は、この国が好きです。もっと住みやすい場所になり、繁栄していってほしいと考えています。そして、LGBTの方々もまた、好きです。その人達にとっての安心できる居場所をこの国の中で作ってほしいと考えています。アメリカのように、とは行かないかもしれないけれど、この国のかたちにあった、LGBTのあり方を模索する時が来ているのだと思います。
好きな作品ごとに作るのは百歩譲ってまあよしとしなくもないんだけど。
その中で更に「萌え吐き専用壁打ち垢作りました☆フォロー返しはできませんが、宜しかったらフォローしてくださいね☆→@XXXXX」
みたいなあれは何なんですかね。それ、壁打ちじゃなくて観客に一方的にボール投げつけてるだけだと思うんですが。
あと、リアル友達で「愚痴吐き鍵垢作りました→@XXXX」とかも何なんですかね。
何でお前のくだらない愚痴をわざわざ拝聴して差し上げなきゃいけないんですかね。リアル友達だから仕方なくフォローしますけども。
ツイート内容がまた実に呪詛呪詛しくて、チラ見しただけで大変気がめいるんですけどね。
そもそも友人を嫌な気分にさせたり人間関係にヒビが入りそうな発言する事自体よく分からないんですけど。
あの作品は嫌いだのなんだの。あいつをブロックしてやっただの。それ好きな人もその人知ってる人もいるんですけどね。フォロワーに。
でもそんな呪詛ツイートに付き合ってあげてる人も何人かいて、優しいなあと思っていたら、ただの彼女のシンパだったみたいで。
「幼なじみ婚の増加から考える日本の社会構造の変化」というホッテントリがあったが、
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/06/19/013111
これ「幼なじみ婚の増加」というのは、1%⇒2%になった程度で、いわば「統計誤差」。
むしろこのデータ(国立人口問題研データ)、幼なじみ婚の傾向より、はるかにいろいろ面白いことが読み取れるので、それをここで分析してみる。
★この調査で一番注目すべきは、「結婚のキッカケが職場」という割合が、1992年の35%をピークとして、どんどん低下傾向にあるということ。
直近2010年は29.3%にまで低下。
つまり、「職場で結婚相手を見つける」ことが、徐々に難しくなりつつある
私見だが、職場で「異性の社員に下手に声掛けすると、セクハラと疑われかねない」というコンプラ意識の普及が、職場交際を「委縮」させてしまっているのでは?
「職場結婚比率」は、1982⇒1987⇒1992は「増えている」ように見えるが、これは「見合い結婚」の中で、相当部分「職場を介した見合い婚」があったのでは?と思われる。
実質的な職場結婚の割合は、1982年頃の方が高かったのでは?
★次に注目すべきは、「友人の紹介」「兄弟姉妹を通じて」という比率がじわじわ増え、2005・2010年調査ではついに職場結婚を抜いて「第一位」に躍り出たこと。
たかが1%の変動でしかない幼馴染婚云々よりも、この事実が「この表から最初に読み取るべきこと」だろう。
少子化対策として「出会いの促進」「婚活の促進」みたいなことが言われているが、このデータを見る限り、
「友人とか、兄弟姉妹のネットワークを密にして、異性の紹介を得る」のが、結婚相手を見つける近道、ということがわかるが、
「友人兄弟姉妹紹介婚が増えていて、職場婚をも抜いている」という事実の方が、幼なじみ婚よりも圧倒的に重要で、もっと世間に周知されるべき
★「結婚相手を紹介した友人兄弟姉妹には、報奨金10万円を上げます」みたいな制度を自治体が創設した方が、圧倒的に婚活そして少子化対策の実効性がある、ということになる。
そういう目鱗な事実に気づかせてくれた、という意味で、「幼なじみ婚の増加から考える日本の社会構造の変化」記事は有用だった
★三番目に注目すべきが「学校で」知り合った、という人の比率がじわじわ増えていること。
これがまさに「大学時代に、相手をゲットしなければ、マズイ」という、この作者ももう一つのエントリに繋がる話になる。
★あと、昔ながらの「見合い」と現代風の「婚活」の合計値の割合も、着実に減少している。
オーネットとかツヴァイは、まだまだ力不足ということが、データから読み取れる。
★「街中や旅先で、結婚相手と知り合った」比率は長期的には減少している。
これはつまり、「ナンパ」の類が、一時的な快楽目的なら兎も角、結婚相手獲得目的だと極めて効率が悪いことがわかる
★「その他・不詳」が2000年を境に有意に増えているようだ。
「ネットで知り合った」の類が、「その他・不詳」にカウントされている可能性があり、次回調査からは独立した項目にすることが求められる。
★「友人や兄弟姉妹からの紹介が、結婚ルートで最多を占める」というデータ、これって
「紹介してもらった相手といい加減な交際をして、ポイっと捨てたら、友人の顔に泥を塗る」という世間体もあるんだろうな。
あと、その紹介した友人が、「ねえねえ●●さんとの交際、うまく行ってるの?」と世話を焼いてしまうという「効果」もあるんだろうな。
★「友人や兄弟姉妹からの異性紹介は、結婚に結びつきやすい」というトリビアは、結婚願望で相手がいない全若者が知っておくべき知識。
そういう間柄で交際始めた場合、相手方も「友人等の顔に泥を塗れない」から、結果として浮気せずにキチンと付き合ってくれる。
自力で結婚相手を見つけるスキルのない人は、結婚相談所に行くよりも、
「そういう相手を紹介してくれそうな、お節介な友人」を、大学時代とかに作っておくことですな。持つべきは友。
★いわゆる結婚相談所とか、婚活サイトが、データの面では「うまく行ってない」のは、多分「話を断るハードルが低いから」だろうな。
見ず知らずの結婚あっせん人の顔に泥を塗っても、罪悪感はあまりない/友人知人ルートの交際が、「顔に泥を塗れない」が為に、結婚に結びつきやすいのと好対照
結婚相談所は、「相談する敷居の低さ」をウリにしているところが多いが、それって結果に結びつかない。
変な話、敷居が高い方が「結果」に結びつく。
今話題の「ライザップ」と同じ理屈。高額を払うから、敷居が高いから、「ダイエットしなきゃ」と思うようになり、結果になる。
楽天とかリクルートとか、ネット系の企業が、「敷居の低い、ネットの気軽な婚活」をウリにしているが、それって結局「結果に結びつきにくい」ことになりそう。
ある程度、敷居の高さを感じさせる、或は「斡旋人に、悪いなあ」と思わせるような婚活の仕組みの方が、トータルの成婚率は高くなると思う。
つまり、リアルな世話焼き人がいろいろお膳立てして、「顔をつぶすのは悪いなあ」と、自分が、それ以上に「相手が」感じることが重要
かっこよくはないです普通です。
友人知人から自分を良く見られたいのと物事をポジティブに心の底から楽しみたいと思ってます。
かっこよくないけど雰囲気と服装は自分に似合うようにそれなりに洗練してるつもり。
人の汚い部分を見ると、苦しくなります。
と同時に、自分を振り返って、こうはならないようにしようと思うわけです。
そんな普通の人です。
私もその友達も高齢独身女だった。ふたりともひどいオタクで同人活動を中心に人生がまわっていて、これは現在進行形である。
20代のころはそれを周囲に隠して、クリスマスごとに彼氏と別れる(〆切前だからね)みたいなことを繰り返していた。
自分で言うのもなんだけど、ふたりともオタク仲間からは「美人」と言われるが、職場などでは「普通」扱いされるぐらいの容姿だったので、彼氏はわりとすぐに出来たんですね。
けれど30を越えるとそれもなくなり、ここ数年、好きな人は高校生スイマーか高校生バスケ選手か、という有り様で、私もその友達も「ババアになったらオタク老人ホームを作って共同生活しよう」と言い合っていた。
春コミスパコミ夏コミスパーク冬コミオンリーと、毎年同じ波を乗り越えていくうちに30を越えてだいぶたった。まったく同じような作品にはまって、まったく同じような行動パターン。同人仲間にも読者さんにもコンビだと認識されていて、サークルは違ったけど人生の相方と言っても差し支えないとまで思っていた彼女。そんな友達が久しぶりに現実で恋に落ちた。
お相手の人は私たち以上のオタク高齢独身男性同人作家でおせじにもイケメンとはいいがたかったが、友達は彼の出す同人誌のファンで、直接知り合いでもないうちから「この本描いてる人私と同じにおいがする」と言っていた。知人の紹介で飲み会に同席してからはその思いを確信に変えたらしく、友達は彼に猛烈なアタックを始めた。アニメ映画、アニソンライブ、聖地巡礼、ありとあらゆる現場に誘い、ふたりきりで食事をし、「わたし○○さんだいすきなんですよねえ」みたいなことを言いまくったという。
しかし不幸なことに彼は人気の同人作家だったのだ。そんなことは言われ慣れていたのである。友達は「あれだけ押してるのに何の反応も返ってこない…芽がないってことかな」とあきらめ気味で、さっさと早く告白すればよかったのだが、私たちは経験則として、どちらかが何となく好きだよ~みたいな雰囲気をだしたら、こっちもOKだよ~みたいな雰囲気を出し返して、あ、これはいけるな、と確信してから告白するものされるものと思い込んでいたので、反応がない状態では告白しあぐねていたのである。もちろん春コミスパコミ夏コミスパーク冬コミオンリーが忙しかったというのもある。
恐ろしいことにそのまま2年がたった。結局、彼女の奮闘に気付いていた彼の同人仲間が業を煮やし「ふるなら早くふれ、かわいそうだろ」と彼に助言したところ、「えっ!そうなん!!!???」「僕も彼女のこと好きなんだけど!!!!!!」ということが発覚して、トントン拍子にお付き合いに発展し、めでたく半年で結婚に至るのである。
この2年半、もっと言えば「同じにおいがする」と言い出してから3年、おそらく最も近いところで彼女のがんばりを見てきた。恋をしても1度も新刊を落とすことなく、めげることなくがんばりぬいた彼女を誇りに思う。本当に嬉しい。
しかしふと己を振り返ると、人の恋愛と架空の男同士の恋愛をただ眺めているだけで3年たったのだ。もうアラサーでもない。私に何が残っているだろうか。同人活動ではそこそこの人気を得た。けれど同人の世界はすでにひとまわり年下の子たちが主戦場で、作風がBBAくさいと言われるのも時間の問題だ(もう言われてそうだ)。職場ではそこそこ出世したけど、部下を叱責するたびに線を引かれていくのを感じる。そして人生の相方はもう一人の相方を見つけてしまい、友情は変わらないつもりではあるが、やはり彼が優先になるのだろう。
寂しい。なにより寂しいのは、この話を他の友人知人にすると「僻むなよ」と言われることだ。僻んでなどいない、彼女はすごくがんばってたんだから。そうではなく、私には、ただただ寂しいんだということを分かってくれる友達が彼女以外にはいないのだ。若いころ、クリスマスごとに彼氏と分かれていたつけを、己の趣味を最優先して人をないがしろにしていたつけを、私はいま支払っている。
あぶく銭がはいった。
しかも俺は前回の旅行はウソ結婚式でスルーしたため、月給くらいの額がぽーんと入ってきたのだ。
金があったら行きたいトコ、したい事、食いたい物、けっこうあった。
風俗経験すらなかったし、ここ数年二次元でしか抜いていない俺。
数多の風俗失敗談を見て尻込みしていたが、どうやら風俗エステはこっちが何もしなくても勝手に事を進めてくれるらしい。
いつも行くゲーセンでDIVAやったあと、コンビニで酒買ってひっかけてから店にでんわ。
すでにサイトをチェックしつくし、時間も把握。何ら問題ない状態でトライだ。
男性店員が出たので、待ち時間を聞くとすぐに大丈夫とのこと。やったぜ。
いそいそと待ち合わせ場所に赴く。
あー、ここか。
風俗の待ち合わせスポットという場所はわかりやすいもんなんだな。
普通のサラリーマンや家族が行き交う交差点の端々に、やけに綺麗な服と派手な化粧をした女が俯いてスマホをいじっている光景を目にする。
意識してみるとあっちにもこっちにも。
なんだか、妖怪が見えるウォッチ的なのを手に入れた気分。異界の住人が、人知れず闊歩しているんだな。
ボケーッとそんな事を考えながら待っていると、妖怪ではなく普通に可愛くてぽっちゃり目の一重の女の子がこっちに来た。
サイトで見るよりなんかメンヘラというか影のある表情をしている。
あ、ども…みたいなドモッた会釈をしたら、そそくさとホテルへ案内されることに。
当たり前のように腕組みをして密着してくる女の子にさっそくビビル。
女慣れしてない人でもこれは緊張するでしょ・・・
だって周りの目が。 心なしか冷たく・・・知り合いなんていないだろうけど。ううん早く次の角を曲がりたい。
手慣れた動きで部屋を確保するセラピストさん。一ミリも楽しそうではない。まあ仕事だし…
世間話でもするんだろうけど、緊張した俺はなにも会話をふれず。
エレベーターの移動中も黙ったままでとても居心地が悪かった。
殺風景な部屋に入ると、これも慣れたような感じで女の子がお店に電話。
お金をせっせとお支払いすることに。
なるほど先払い。当たり前かぁ。
仕切りなおしとばかりに、シャワーを浴びましょうとセラピストさんが服を脱がせようとしてくる。
ムレたマタの匂いが・・・とか考えてたらスルスルと子供のように服は脱げていく。
ああ^~
後編またあとでかきます。続きは今度。
いちおう、お店はココでした
自分もそんな感じだったよ
告白されたり付き合ったり遊んだりすることはあってもきっかけがなくて、30超えても処女だった
好きになる人もいなくて、きっと自分は恋愛することがないんだろうなあと思ってた
恋愛で一喜一憂してみたいなぁと思うものの、恋愛がなくても楽しく過ごせてた
友人には長く付き合える人がいなくて...とか一人なら色々遊べるしね、とか言いながら
のらりくらししてたけど、処女だってことは言えなかったな...
言えなすぎてもういっそそういうサービス探して頼んで捨てようと思ったくらいw
結局できなかったけど
29までは周りの男性も焦ってるから結構声かけてくれるんだけど自分がこんなだから次のステップに進まないし、
気づいたら30超えて合コンも一気に減って、声かけてくれる人も減ってきた
自分は恋したり愛したりするって感情を知らないまま一生を終えるのかな...ってふと思うと寂しくなった
ただ前述のように出会いが減っていたので、当時プチブームになってた婚活パーティに参加することにした
喪女だったけど、頑張ったよ
婚活かよ、って思うかもしれないけどこれときっかけの一つかなと思う
もっと早く会えてたらもっとこの人と一緒にいろんなことできたのになぁって思ったくらい
もっと笑って欲しいな、大切にしよう、美味しいご飯を作ってあげよう
明日も一緒ににいたいな 手をつなぎたいな とか自分がそんな気持ちを持つ日が来るなんて思わなかったよ
長くなってしまって申し訳ないけど、30超えたら待っててもほんと何も起こらないので自分が動くしかない
婚活パーティじゃなくても趣味の集まりとか友人知人の集まりとかスポーツとかオフ会とか、
自分で動いてみるのはありだと思う
友人知人の「私は今すごく幸せ」アピールは、私の経験上、結構ヤバイ状態であることが多い。
余りにも現実厳しくて、痩せ我慢するために"そういう主張をし始める"のだ。
友人知人が
・今、悩んでいることなんて何一つない
こういうことをアピールし始めたら、(真に受けずに)
1年後、その人は危ないかもしれないと、少しだけ心配した方がいい。
普通の人間の日常は、可もなく不可もなく光も闇もあり、ボチボチであるのが一般的だ。普通の人間ならば大抵、日常での悩みを大なり小なり抱えている。それが健康的な状態だ。
なのに、そうではないというということは、結構普通ではない状況ということだ。
蒸発=精神崩壊(発狂)、音信不通、自己破産、離婚、などなど。
追記
ブコメに、自分の友人関係がヤバイよ、というご意見があったので、
確かに、ここ最近、自分の回りで「私幸せアピール」をして蒸発する人が何人もいて重なったもんだから、そういうのに気づくようになった。あれ、このパターン前にもあった、的な。
これが一回しか無ければ気づかなかっただろう。
あと、極力何とかしてあげたいけど、この手のタイプは相当プライドが高いんだよね。人に悩みを相談することが恥だと考えている。
できることは、そっと見守り続けることぐらい。
そして、私は新しい出会いも重なって増えた。
2度目の追記
ブコメ増えてて驚きました。ありがとうございます。
ブコメでおっしゃっている通り、
本当に幸せな人もいるだろうし、
あと、幸せアピールしている時点は本当に幸せで、盲目的になっていて、その次の瞬間、足元救われて落ちるというケースも確かにあるかもしれない、と思いました。
http://anond.hatelabo.jp/20150518181659
同じだ、友達には祝福はしている。こんな世の中なのに子供を育てようだなんて、偉いなとも思う。
可愛いなんて思えるのは親戚までだと思う。他人の子は全然可愛くない。むやっみに、よだれ垂らしていて汚いと思う。
私は新生児だけじゃなく小学生くらいまでのお子様はどうにも可愛く思えない。
自分が人間として欠陥があるんだろうと思うが、心底可愛いと思えない。身内ですら結構つらかった。
数週間経てばまぁかわいいかな、と思う機会は増えるが、やはり顔立ちの問題なので、数歳になっても可愛くない子はいる。それを友人知人に送りつけたりFBとかにアップするのはどういう行為なのかな?と思ってさ。
思慮深い、配慮のある人は、未婚の人や結婚しても子供の居ない家庭に送りつけるとか、そんなことはしない。
大抵は、何も考えずに「自分の子供は世界一だ!」と思い込んで「誰もが可愛がるのが当然、受け取って喜ぶに違いないし、会ったら可愛がらないなんてありえない」と真剣に思い込んでしまっている親が写真を送りつける。
そんなものを送りつけられたら間違っても会いに行かないのが正解だと思う。
でも口に出したら鬼畜扱いされそうなのでここに書いた。
正しいです。間違いなく、鬼畜扱いされます。「こんなにかわいいのに、○○ちゃんってつめたーい」とか、「子供嫌いなんて人間じゃない」とまで言われますよ。
増田に書くのが精一杯です。
私にも言わせてください。