はてなキーワード: ミサとは
ちょっと心が軽くなりました、ありがとうございます。
危機感の共有等は何度か試みてはいるものの、両親ともADHD傾向があって、いくら言い聞かせても自分に都合のいい方向に曲解する&すぐ忘れるので、もう諦めてます!
有無を言わさず家を出れば流石に懲りるだろうとは思ったんですが、実家で飼ってるペットたちの受け入れ先を見つけないといけない点がネックになって実行できずにいました。
(親はどうなってもいいんですが、ペットは最期まで飢えず幸せに暮らしてほしいので…)
とはいえ一応解決の見通しは立っているので、不測の事態が起きない限りは近い将来平和に暮らせそうです。
姉のとこはファミサポ制度使う金すらないみたいなので、ブラック企業から転職する気もなく大した稼ぎもないくせに毎日タバコ吸ってる旦那を心の中でぶん殴っておきます!!!子供作る資格が!!ない!!!!!!
現在エッセンシャルワーカー以外全面閉店、飲食店は持ち帰りだけ。
公共交通機関、店舗内に入るときはマスク必須。つけないと罰金。
家から◯キロ以上の移動は不可、家に集まれるのは◯家族までとか制限がある。
第2波まではこれでうまく行っていた。ロックダウンすると如実に効果が出る。
効果の具合はグーグルで "コロナ 国名"でロックダウンした国を検索するとロックダウンしている期間激減して、ロックダウン開けて2週間後に激増するのがよくわかる。
で、今回第3波前、クリスマス前にロックダウンを解除したところ、サンクスギビング、クリスマス、ニューイヤーとバカみたいなはしゃぎっぷり。欧米のこれらのイベントは日本の比ではない。変異種じゃないと思うが今までにないくらい感染者数が爆増している。
もともとパーティー好きな奴らがロックダウン解除した瞬間から挙ってパーティーする。店も買い物で行列。カフェ、レストランでマスク外してくっちゃべる。家族、友達で飲んで騒ぐ。コロナで一年ロックダウンしたり解除したりでコロナ疲れしているところ宗教観もあって一気に爆発した感じ。
第2波までは電車や店でマスクしてなかったり騒いでるやつは見回りで降ろされたし入店拒否もあった、街も警察の見回りがいてなんで外出しているんだって職質あったけど今回は全くない。欧米人はクリスマスには働かないのだ。
何が言いたいかってーと飛沫感染なので集まってしゃべりながら飯食うことが好きなところは感染めっちゃ増える。欧米人基本声でかいし言語的にも飛沫飛んでんじゃないかと思う。あとミサとか宗教行事も関係あるんじゃないかなぁ。とりあえずロックダウン中の減り具合を見ると土足はあんまり関係ないと思う。そんなわけで個人的感想としてはロックダウンは本当に効果がある。
お国柄くっちゃべるのが好きとか、コロナ?マスク?そんなの知らねーっていう自由が強い国ほど増えていると思う。
そしてロックダウンしたり解除したりを繰り返すと疲弊するし、開けた瞬間今のうちに会いにいかなきゃって気分になって爆増する。誰かに会いたくなって不安定になることをキャビンフィーバーとかいうらしい。初めて聞いたよ。しかも年末イベントが多いときで間が悪い。というか宗教イベントというか祭をやらないと爆発するからそこまでロックダウンして、イベントシーズンだけ解除したんだろうけど、まぁ爆発してるよね。ロックダウンしてるのに感染が減らないってイギリスも変異種のせいなのかクリスマス・ニューイヤーで現在のロックダウンの実効力が第3波でどこまであるのかよくわからない。
ということで飲食店には申し訳ないけど、マスクを外した人が集まる場所を開けてると多分止まらない。加えて出歩いてる人を止める実効力がないと意味がない。ワクチンが出回ってちゃんと効果が出るまできっちりやらないとコロナ疲れでどんどん緩くなるだけじゃないかなーと思う。性善説だともう止まらないので民主主義国難しいなぁ。
それなんだよな
絵柄はコナリじゃないし
別名義でweb連載で雑に描いた漫画だとすると凪のお暇より絵が丁寧すぎる印象もある
ただ、3話まで読んだら完全にコナリミサトなんだよ
さーっと読んだけどコナリミサトってこんなに器用に画風変えれる印象じゃないなあ
コナリミサトの絵ってペターっとしてて、顔に立体感とかないイメージなんだけど、この人の描く顔ははシンプルなのにちょっとした向きとか角度を感じるし
背景小物とかの描き方も比較したらずいぶん丁寧に見える
閲覧数上げるための話題作りだったらまんまと乗せられましたって感じ
転売ヤーの小学生とそれに雇われて列に並ぶフリーターが主人公のテンバイヤー金木くんって漫画、絶対コナリミサト(凪のお暇の作者)が書いてると思う
作者の名前のところに、早池峰キゼンとかいう全然知らない奴の名前があるけどコナリミサトの別名義に違いない
最初読んだ時は
・テンポ
・ホームレスの描き方
・肩組んでる人の描き方
・大ゴマの表情の書き方
で、謎の既視感を感じて「あーこれなんか知ってる」状態になってたんだけど
ハッと気づいた。これ、コナリミサトじゃんって
でも作者名みたらコナリミサトじゃないし、ただ似てるだけかと思いながら読み進めてたら
缶ビール飲んでるフリーターの表情がもうモロにコナリミサトの絵だった。
あの、頬の斜線とか口の緩ませ方とかモロにコナリミサト。
転売ヤーという炎上しそうな題材だからか、web漫画連載だからかわからないが、もうあれは絶対コナリミサトが別名義で描いてる漫画に違いない。
……と思うんだけど、コナリ作品と転売ヤー金木どっちも読んでそうな人間が身近に全くいないから同意を得られない。
フェミニズムはホモソーシャル化している。もっと言えば、フェミニズムははっきりとホモソーシャルである。
ネットで称揚されるフェミニズムはミサンドリズムと分化していない部分が多く、基本的に男性を貶めることを目的に、フェミニズムの理念を歪曲し誤解した上で押し付けてくる。これはアンチフェミニズムの構造と殆ど相似形であって、末端における根本理念を理解していない愚劣なグループは常に加害的であり他者を貶めることを原理に活動することになる。
フェミニズムそれ自体は一種の旗印であって、様々な人間が集まってきて様々なことをわいきゃい言い合っているわけなんだけれど、実際のところ彼女たちの内で本当にフェミニズムの理念を実現しようとしている層は概して少なく、自身らに都合よく理念を曲解しその曲解された理念を持って周囲に害を為す層がボリューム層として存在している。
現代社会というのは極論すれば男性的ホモソーシャルであって、その原理は中長期的な利益の追求である。そのようなホモソーシャルにおいては、組織の運営に一見不都合があると見なされる分子が排除される傾向にある。例えば妊娠を経て退職する可能性のある女性社員や、あるいは内的倫理において結合している男性の幹部組織に不和をもたらしかねない女性たち、そういった分子を短絡的に「異分子」として、要するに会社や組織に不利益をもたらす存在として排除してしまうのが、現代の社会であり、ホモソーシャルなのである。無論、社会制度の漸進的進歩を信じる限りで、このような風潮には改善される余地があるだろう。
とは言え現代のフェミニズムもこのホモソーシャルを馬鹿にできない、というか完全に男性的ホモソーシャルの相似形としてフェミニズムはホモソーシャル化しており、一部のフェミニストはミサンドリズムをフェミニズムの根本理念と誤解しているかあるいは意図的に誤解しており、この層が男性に対して害を為している事実は見逃し難い。要は、内的に完結している(とされている)倫理を用いて、本来害の与えられるべきではない人々に対して害を為してしまう、そういう男性的ホモソーシャルにも見られる傾向がはっきりとフェミニズムにも現れているのである。そしてフェミニストらはこういった末端の暴走している層をコントロールできず実質野放しにしていて、その間にも末端層は自身の誤解に基づく内的倫理をエコーチェンバー的に深化させ、更に救い難いものへと変えていく。そしてそのような歪曲された理念を旗印に、更に多くの末端層が集結しつつあって、言わば脳によって手足が管理できていない状態に陥っているのである。
男性的社会においては利益こそが原理であり、中長期的に利益を生むシステムに矛盾する(とされる)存在は排除されてしまう。そこに問題がある。とは言え、末端の人々が信じているフェミニズムはそもそも根本的な原理に即してさえいない状態で暴走しているのである。女性たちよ、君たちはホモソーシャルを組んだ。その結果、その内的倫理にそぐわない人々が排除されるという現象が起こることは最早避け得ないどころか現実の事態である。原理や理念を徹底してさえおらず、曲解された倫理によって他害が発生する構造はフェミニズム特有の構造であり、社会に蔓延している男性的ホモソーシャルには一応見られない構造である。どちらかと言えばロシアの田舎でアジア人をリンチしているネオナチとかに近い。修正するように。
普段からフェミの自覚はないし、フェミの発言もアンチフェミの発言も意識的に見ないようにしている。
彼ら/彼女らは私とは別の価値観を持った人たちなんだろうな、くらいの感覚でなるべく遠巻きにしている。
ただ、今回のタイツの件については一人の母親として思うことがあったので書く。
私が通っていた女子中高はカトリックで、不必要に肌を見せてはいけないという価値観のために学校にプールはなかったし、スカートの丈は絶対に膝下だったし、冬は黒タイツを履くのが制服の正装だった。
(クリスマスミサとか卒業式とかのちゃんとした場では全員黒タイツ、それ以外は白靴下も可)
「ま、そりゃ肌は見せない価値観に合わせるんだったらタイツだよな」と何の疑問も感じずに中高6年間、夏以外は黒タイツを履いていたし、そういう生徒も多かった。
私の感覚だと、スカートを短くしないのと同じように、黒タイツを履くことで肌を見せないことによる安心感もあった。
この数日でその価値観がひっくり返った。
黒タイツが短いスカートと同じように性的な目で見られることがあるというではないか。
この数日をきっかけに「黒タイツ、エッロ」って思うようになった人もいるんだろうが、それよりも「黒タイツ、エロいよね。あ、それって他の人もそう思ってるんだ。タイツメーカーがPRに使っちゃうくらいだもんね。よしよし、タイツをエロいと思うのはおかしくないね。タイツがエロいのは普通!」という感覚が認識されたことを脅威に感じた。
それって決して許されない理不尽な「短いスカート履いてんだから痴漢されても仕方ないだろ」と同じく「黒タイツ履いてんだから痴漢されても仕方ないだろ」を生み出してしまうんじゃないだろうか。
私はもう痴漢もナンパもされるような歳ではないけど、娘はこれから短いスカートや黒タイツを履くことによって性的な目で見られるような年齢を迎える。
大事に大事に育ててきた娘が性的な目で見られて、挙句に満員電車で性被害に合うようなことがあったら、と思っただけで頭に血が上るような怒りが湧く。
そんな理由で娘が痴漢被害に合って惨めな思いをすることがあったりしたら、私は犯人を絶対に絶対に許さない。
私の娘にそんなことするやつがいたら二度と社会生活を送れないようにしてやりたい。
正直なところ、消費者としてレッグウェアメーカーの選択肢が1社減ろうが私の生活には何の影響もしない。
もしアツギだけでなくタイツ市場全体の売り上げが下がって職そのものや仕事へのモチベーションを失う方々がいたら気の毒だとは思うけど、それ以上の思いはない。
ましてや今回のキャンペーンの担当者が男だろうが女だろうが、誰が支持してようが、ディスろうが、それがどんな人たちなのかは興味がない。
ただ、黒タイツが性的な目で見られるものだということが世の中で可視化されたことによって、自衛の方法を一つ失ったことを、さらに言えば自衛だと思っていたことがそうではなかったことを悲観している。
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
産後うつ経験者です。専業主婦にもかかわらず自治体の介入で5ヶ月で子供を保育園に入れることになったほど深刻なうつで、投薬治療を受けていました。他人事とは思えず、自分の経験から勝手にアドバイスします。
おそらくどの自治体でも、住所ごとに担当の保健師がいて戸別訪問に来ているはずなので、その保健師に連絡して現状を率直に話してみてください。必要とあらば、家まで来てくれるはずです。保健師が話が合わなそうな人だったら自治体の子育て支援センターに電話して話してください。こちらも、家まで話を聞きに来てくれたりします。電話だけでも、乳児院(数日間完全に預かってくれます、親が病気の時などに利用されます)やファミサポ(送り迎えや家事の支援)等、即効性のある支援のほか、産後うつに強い心療内科も頼めば紹介してくれると思います。紹介というか、私は心療内科での初回の診察に保健師がついてきてくれました。
自治体はさまざまな支援のつてを持っていますが、こちらから支援を求めないと動けませんので、助けを求めてください。
心療内科、混んでますよね。私は産院からの退院時に心療内科宛の紹介状をもらっていて(出産直後から明らかにおかしかったので頼んでないのにくれました)、心療内科に電話したとき最初は2ヶ月先まで埋まっていると言われましたが「紹介状がある」と言ったらなんとか予約を捻じ込んでくれたので、母乳外来か何かで産院に予約を取って事情を話してみるといいかもしれません。
増田はとても頑張っていて、増田ももう限界なのだと思うので脅すようなことを言うのは心苦しいのですが、産後うつは「私がいない方がこの子は幸せだ」という、自殺に強力な動機を与えてしまうとても危険な病気です。私も毎日毎日、死んだ方がこの子のため、いや死ぬのは怖い、産後うつで親が死んだなんてこの子が知ったらどれほどショックか、私が親としていない方がいいのだ、と、死にたいと思う気持ちとの戦いでした。一日も早く、保健師や病院とつなぎがつくと良いのですが。こころの電話で少し落ち着いたということなので、保健師と話をするだけでも気が楽になるかもしれません。