はてなキーワード: 科学者とは
そこで無理して立てて的はずれな方向に進んで失敗したとしても誰も救ってはくれません。
科学の成果としてなら出せるから、一つ一つ段階を踏むしかねーわ。
そこでアホがつられそうだから無理させよう。潰れたって知らんわってクズどもに付き合う気はねぇ。
という個人的な怒りと、だからこそわからない新しい科学について取り扱う時は科学としての成果を積み上げていくしか無いし、科学の振興でないとならんってことだ。
成果を出し続けていかないと科学者としても生き残れんから、こころのうちでどれぐらいのものになるだろうと「夢」を持っていたとしても数字を言ってしまえば、それに束縛されて地獄に叩き落される。
お口チャックして、どのぐらいの科学の成果なら着実に出せるというのを積み重ねないとならんし、その段階にカネを出さないとならない。
maromiso @maromiso1
上の子(12歳)が学校のフランス語の授業でフランス語版の「となりのトトロ」を観てきました。しかし、10代を含むの娘達と父親の入浴や、サツキばかりが家事をこなしている点や、随所に出てくるサツキのいわゆるパンチラなどの度に、えー、と声が上がり恥ずかしい思いをして帰ってきました。
maromiso @maromiso1
これらの点は日本ではまだあまり問題視されてないと思います。約20年前の作品なので古い描写はしょうがないですが、子供達への性教育は、海外の多くの地域で20年分しっかり進んでいます。何でも海外がいい訳ではないですし、完璧な地域なんてないですが、この点は日本は遅れすぎていると思います。
maromiso
@maromiso1
オーストリアに共働き夫婦子2人猫1匹で住む自然科学専門の科学者、吃音者、男の育休(経験有)賛成、差別反対、原発反対、政治・教育は大事です、ライター「中川まろみ」、コメント・ご相談・ご依頼・ご批判などお気軽にDMまで
「中身の幼さ」という謎フレーズ好きよね
逆に大人とは?偉大な科学者であるアインシュタインは増田の基準では大人?
子どもっぽさが賢さのもと?〜日経サイエンス2009年10月号より
http://www.nikkei-science.com/?p=16865
アインシュタインは偉大な科学者だがこんなヤツばかりでは社会は破綻する
書ききれないクズ伝説 (ほかにも盛り沢山)
- 親日家・平和主義者的なイメージがあるが、人種差別的な言動の記録が複数残っている(https://www.bbc.com/japanese/44477861) 「黒人差別はいけない、彼らは優れたアーティストだ」と言った口で人種差別的な言動を繰り返していたフランク・シナトラのような“極めて西洋的な白い寛容”ともいうべき矛盾と欺瞞に満ち満ちたものが実際だったと推測される
山中先生の専門は再生医学だから、感染症と公衆衛生の舞台である新型コロナ対策に上がってくるのはおかしいと思う。どれくらいおかしいかというと、イチローがサッカーの指導をするくらいおかしい。しかし、多くの人々はイチローがサッカーの指導をするのがおかしいことは理解できても、山中先生が新型コロナ対策に出しゃばってくるのがおかしいことは理解できないのだ。
これは、多くの人にとって医学がスポーツに比べて身近でないこと、医学をひとまとまりで認識していること、権威主義などの要素が関係している。
医学はスポーツに比べて身近ではない。スポーツ、特に野球やサッカー、相撲といった国民的なニュースは毎日報道されるし、テレビでも毎日放送される。しかし、医学のニュースは大きな発見がされたときしか報道されない。このことによって、野球とサッカーの違いは分かっても、再生医学と感染症学の違いがわからない市民が出来上がる。
多くの人は再生医学と感染症・公衆衛生の違いがわからず、一塊で「医学」と認識しているのだ。だから山中先生が何かを言えば権威主義的にそれに従ってしまう。
しかしこれは当然のことであり、仕方のないことでもある。例えば、私は建築学や文学やITの中にどんな学問があるのか知らないから、その分野の知識が必要になったらとりあえず有名な人に意見してもらおうと考えるだろう。実家から古文書が出てきたときに、古文の大学教授がいてくれたらなんと頼もしいことか。その古文書が例え漢文で書かれていたとしても。
だから医学の場合は、とりあえずノーベル賞で有名な山中先生に意見をもらおうというのは、当然であると言えなくもない。
このことは一般の方々にも言える。医学だけで細かい発見をいちいちニュースにしていたらいくら時間があっても足りないし、医学だけ特別扱いするわけにもいかないし、そもそも市民は医学の細々とした発見に興味がない。だから、市民が医学についての詳しい知識を持ち合わせていないのは当然のことなのだ。
問題点は、メディアなどが過剰に持ち上げることにある。ノーベル賞を受賞したといっても、山中先生は感染症学の専門家ではない。さらに臨床での新興感染症対策の経験もない。感染症対策については本質的には素人で、新興感染症について適切なアドバイスはできないということは本来なら理解できるはずだ。
だから感染症を専門とする先生を専門家として呼ぶのが正しいはずだ。しかしノーベル賞という看板に惹かれたか、そもそも感染症の素人であることがわからないのか、山中先生を新型コロナの専門家という立場に据える番組などが後を絶たない。終いには山中先生自身が「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というサイトを立ち上げ、専門家会議(分科会になったんだっけ?)のメンバーとして祭り上げられてしまう始末である。
確かにノーベル医学賞を受賞し、有名なインフルエンサーである山中教授が新型コロナウイルスについての情報を拡散するのは理にかなっているのかもしれない。しかし短期的に見れば有効でも、長期的に見ると民衆を馬鹿にしている(ダブルミーニング)ように思えてならない。
SNSで見た主張として、「山中先生は新型コロナが出てからそれについて一生懸命勉強した。だから新型コロナ対策の知識は十分にある」というものがある。これに対して反論したい。
確かに山中先生は新型コロナについて、それが発生してから懸命に勉強したかもしれない。しかし、高々数ヶ月の話だ。日本は何年何十年と懸命に感染症について研究してきた専門家をたくさん抱えている。高々数ヶ月の勉強とは、文字通り桁違いの経験を積んできた先生方である。新型コロナに限らず、感染症対策に関する知識も、経験も、その言葉の重みも桁違いである。だから、「数ヶ月勉強したから知識は十分だ」という主張は、その分野で飯を食ってきた本物の専門家に対する侮辱にも等しいのではないかと思う。本来はそういった本物の専門家をお招きしてアドバイスをいただくのが正しい筋であるはずなのだ。だが、本物の専門家は往往にしてなかなか表舞台に出てこない。メディアが学問や専門性が高い分野を扱うときは特にそうだ。専門家は忙しいのか、恥ずかしがり屋なのか、報酬が割に合わないのか、はたまたメディアがそういった専門家を知らないのか・・・
ここまで散々ノーベル賞に乗っかる諸々をディスってきたが、私は権威主義を否定しているのではない。むしろ迎合するくらいである。
最近は「誰が」主張したかよりも「何を」主張したかについて主眼が置かれる風潮がある。確かに主張の内容は重要であるし、自身の専門分野や興味のある分野については、主張が正しいかどうかを精査するのは極めて重要である。
しかし一方で、我々のような一般大衆にとっては精査は仕事ではないのだと思う。自分の知らない分野に対してその主張が正しいかどうかを判断するのは難しいし、それに誰の主張についても考えていたらいくら時間があっても足りない。さらに、自分でどれが正しいかを考えると、自分の考えのバイアスがかかる。しかもそのバイアスがド素人のバイアスなので余計にたちが悪い。だから、自分が知らない分野については「何を」主張するのか考えるのはやめて、「誰が」主張するのかを考えた方が、幾ばくか合理的であるかもしれない。
そして私が最も強調したいのが、「その権威が正しい権威なのか」を考えることである。
権威が正しいのかを考えるのは、主張の内容が正しいのかを確かめるよりも簡単だと思う。例えば、建築の専門家が建築の指示をするのは正しいが、コップ製造の指示をするのは正しくないだろう。全ての主張についてこれと同様に考えれば、自ずとどの言い分が「正しい」のかわかる。
もちろん、この方法では間違えるかもしれない。例えばニュートンは「光は粒子である」と主張した。しかし実際は「波と粒子両方の性質を併せ持つ」ことは高校物理でも学ぶ常識であるし、高校物理をとっていなくても知っている方が多いと思う。しかしそれは現代の視点から見た話であり、1600年台後半の民衆にとっては光は粒子であることは「正し」かったのである。
科学は日々進歩するものであり、現代の「正しい」が後世にわたって永遠に「正しい」というものはない。そして、その分野特有の思考を持ち合わせない素人が、どれが正しいかを判断するのは難しいものがある。ニュートンでさえ間違えたのだから、その分野の知識がなく、興味もない素人ではなおさらだ。そんな中でひとまずの妥協点を見つけるのが科学者や専門家の仕事でもある。その仕事に乗っかるのもアリだろう。
自分の興味のない分野、わからない分野については専門家の言っていることに従う。しかし、その専門家は本当に「その分野の専門家」なのか、といったことをちょっと考えてみるのも重要だと思う。
子どもっぽさが賢さのもと?〜日経サイエンス2009年10月号より
http://www.nikkei-science.com/?p=16865
・優秀な科学者・数学者・技術者に、自身の精子、卵子の提出を義務付ける
・収集した精子、卵子を体外受精をさせて多数の子どもを誕生させる
移民なしで、少子高齢化と経済衰退に歯止めをかけるにはこれしかない
なお、あらかじめ反論しておく
生まれた子どもたちは、通常の出産で生まれる子より幸せになる可能性が高い
「ボク自分嫌いなんですぅ~、ねえ聞いてるぅ~?ボクこんなにも自分嫌いなんですぅ~!」
ボクとは違ってぇ~自分のことが嫌いじゃない人は幸せそうで羨ましいですねぇ~
でもボクはぁ~自分を客観的に見てしまうからぁ~図太く生きられないからぁ~無神経ではいられないからぁ~、ねぇ聞いてるぅ~?
誰しも根拠なく思い込む力は持っているのに、自分自身の評価についてだけ “根拠がないとNG” としているのは何故なのよ?
何がなんでも根拠がいるなら、“クズの○○よりマシ” でも良いじゃん?も拒否
宗教や説話は古来から民間における知識の伝達手段となっていた。どうしてそうすべきかはわからないが教祖様が言うから、神様がそう託されたから、あるいは妖怪が出るからと行動を制限してきた。
聖水を水鉄砲でかけ、モスクでクラスターを作る始末、挙句の果てにコロナは礼拝を休むための言い訳にならないとか言い出す。
もちろん今全世界的に礼拝等の行事が変化していることは認めよう。だが遅い。上記のような例が出てくる時点で統率がとれていない。
クソ舐めやがってあれだけ強かった宗教はどこに行ったのか。
ところで科学はとても冷徹な思想であり、信仰だ。これは今現在、先人達の努力による確からしいことを教義にしている。
事実と現実のみを重視し人間の情緒が入り込む余地はない。故に科学には人間の不安を解消することはできない。
科学者は今現在ある情報で最も優れている行動をするしかない。が、その行動が後から見て正しいかは決してわからない。それでも自分の感情を無視して(あるいは今はこれが最善手なのだからこうすべきだと信じて)行動する狂人である。
大衆は今の状況で打てる最善手だとわかっていても最善手を打てない。科学は不安を解消してくれないからだ。大衆にとって事実がどうなっていてどのような機序で物事が起こるかなんてどうでもいいことだ。
今感じているどうしようもない、目に見えない、自分の手には負えない不安を解消してくれればそれでよい。それなら自分の信仰に縋る。信じれば救われる、名言だ。
一般的に教義は不変だ。信仰の神秘性が薄まるから。信仰の神秘性を投げ捨てて宗教を構築することはできないだろうか?
刻一刻と変化する現代において不変の教義はもはや時代遅れである。
今までの教義を検討の後2秒で投げ捨てて新しい知識を伝える手段が必要だ。科学にまとわりついた冷気を覆い隠して大上段から託宣を行う存在が必要だ。
結局、自分よりもバカな人を騙して大金を稼ぎ美味しいものを食べる人生が一番だと思う。
未知の分野に挑んだり、清く正しく生きようなどと思わないほうが良い。
http://takedanet.com/archives/1013803981.html
STAP事件の推移を見るにつけ、私は日本の若い人はもう科学者にならない方が良いと思うようになりました。科学の研究というのはとても辛いもので、大学生活でもいわゆる文科系の学生が講義をさぼったりしている時に、土日でも大学で実験をしなければなりません。
今回の小保方さんも、早稲田大学の学生がNHKのニュースで次のように言っていました。
"日曜日に研究室に行ったりするとほぼ必ず小保方さんの姿を見た"
「ほぼ必ず」というのですから、1か月に1回ぐらいは日曜日にいなかったという感じでしょう。実際にもそうです。そうして夢を追い、大学院に進み、アメリカに留学し、そして博士号をとる。その間、家族もかなりの応援をしなければ科学者にはなれません。
一方、サラリーマンになるなら大学をそこそこ勉強して卒業して、そのあとは給料をもらい、時には上司に誘われて飲みに行ったり、「行きたくない」と断ったりして入ればそこそこの生活ができます。
しかし、科学者は博士号をとって研究機関に入っても2年ぐらいは無給だったり、ポスドクという不安定な立場で教授や指導者の手下になって雑用をこなさなければなりません。その間を縫って実験をし、夜の夜中に論文を書いていきます。学会も出なければなりませんが、旅費も思うようにはでないのです。
若い頃の論文は欠点だらけなので、普通は査読を通過するには至らず、書いてはダメ、書いてはダメという日々を過ごします。そしてやっと通った論文に少しでもミスがあると、叩きに叩かれ、論文を出すときにはまったく協力してくれなかった「専門家」という人たちが、論文がでたらすぐ欠点を追究してきます。
さらに論文が少しでも社会に評価されたら、大変です。NHKの記者が追まわし、女性なら女子トイレにまで追っかけてきます。本人が犯罪を犯したわけでもないのに、まるで犯罪人扱いになります。
また、科学の世界には多くの「掟」があり、それはどこにも書いてないので、一つの研究室にできるだけ長くいて、先生の雑用をこなして少しずつ教えてもらうしかないのです。うっかり「著作権法とその判例」などを勉強して、「知的所有権を正しく守る論文」など書こうものなら「剽窃・盗用」と罵倒され、時によっては無給でも散々な目に遭うことがあります。
そんな時には博士課程の恩師や、職場の教授などはまったくあてになりません。事件が起こるとどこかに隠れてしまいますが、それはもともと教授などは一人一人で身を守っていかなければならないので、逃げる習性がついてしまっているからです。
さらに社会も許してくれません。社会の人の多くは「未知のもの」などと取り組んだこともなく、普通は「規則通りにやればよい」という社会ですし、何か問題が起きれば組織が守ってくれるから、たとえ善意でも科学者の苦悩は理解できないのです。
確かに科学は人の魂を揺さぶり、やりがいのある仕事ですが、これほど日本社会が硬直化し、バッシング社会になり、論理が通らないので、すでに限界を超えていると思います。「研究のような感じで研究ではない」という普通のことならなんとかできますが、「新しい分野」を拓こうとすると、その経験がなく、自分の仕事が暇で、他人を批判するのが生きがいという人が大量にいますので、つぶされてしまうでしょう。
高校生、大学生でこれから科学者になろうとしている人は、時代が悪いので、やめた方が良いと私は思います。悲惨な目にあいますから。NHKがSTAP事件の番組の取材で小保方さんを追まわし、負傷させ、しかも番組の宣伝までやっているのを見て、私は「日本の科学に若者を進ませてはいけない」と強く感じました。
実験をしたり、論文を書いたりした経験があるとわかるのですが、それも未知の分野のものの場合、その苦労、失敗、ミスは多いのです。親御さんの含め、今の時代は未知の科学に進ませることはお子さんの不幸になる可能性が高いと思います。
まだ、ケアレスミスしかわかっていないのに、「稀代の詐欺師」などともいう人がいます。本当に若い人にとっては人生を失うかも知れず、進路としては危険がありすぎると思います。
第二次世界大戦の頃
イギリスが世界初のプログラム内蔵型コンピュータと、アラン・チューリングを筆頭とした伝説の科学者たちがドリームチームを組んでエニグマを破り
アメリカが歴史に名前の残る物理学者やコンピュータ科学者たちがマンハッタン計画で原爆を開発して
ナチスドイツが世界初の弾道ミサイルV1や無敵を誇ったティーガー千者を開発してた実戦投入していた頃
自称世界最優秀民族である日本人科学者は電気でパンを作るとか松根でガソリン作るとか画期的発明をしていた
幾ら優秀でも、金がなければアウトプットできる範囲なんてこの程度なのに、今のIT業界や科学業界は、金がないのは甘え、金なくても工夫して真のプロだろみたいな頭のおかしい論調をわめき続けて、頭の弱い意識高い系に旗振りさせて広めようとしている人間がたくさんいる。
>第二次世界対戦中の総動員体制による科学者動員がうまくいく(e.g. オッペンハイマー、ファインマンなど)
これ、一点つけ加えると、WW2時にナチスによる迫害を逃れてヨーロッパから渡ってきた人材を優遇した点が結構ある(フォン・ノイマンとか)
・
・
・
あと、経営者個人の権限が大きい独裁経営の大企業が多いからじゃないのか