はてなキーワード: 社会生活とは
僕たちは社会生活の中で本能を抑えこんで生活する術を手に入れた。
しかし、その術を得ると共に、本能をさらけ出す能力を衰退させてしまった。
セックスにおいては本能をさらけ出す事によって、更なる快楽を得られると思っている。
僕たちは高度な社会性を手に入れる反動として、セックスの快楽を享受する術を手放してしまったのでは無いだろうか。
思い出して欲しい。オナニーを覚えたての頃の抑えきれない性欲と、ひたすら快楽に没入していたあの頃の自分を。今よりももっと快楽を享受していたのではないか。
(タガは理性と読みかえて貰ってもいい)
僕なりにタガを外すことについて実践をして身につけた方法論や、気がついた事を書いていきたい。
タガを外すという行為には、自分のタガを外すことと相手のタガを外すという2つの意味がある。
そのどちらにも共通する重要なポイントは、「時間をかけて外していくこと」と「繰り返し外す練習をすること」である。
まず前者について。僕達が培ってきた強固なタガはちょっとやそっとでは外れない。場所も手順も関係なしに、いきなり目の前の人に性欲をぶつけるなんて事ができる人は少ないはずだ。
普段のセックスにおいても、僕たちは徐々にタガを外す手順を踏んでいる。
雰囲気を作ったり、手を繋いだり、キスをしたり。理性を徐々に麻痺させていって、本能を出す手順を踏んでいるわけだ。
この部分をもっと丁寧に、時間をかけて行うことでタガを外し、より深く没入することができる。
いきなりだが、君はどこからがセックスだと考えているだろうか。
挿入をしてから、性器に触れてから、性感帯に触れてから、キスをしてから、など意見は様々だろう。
キスをする前、ホテルに入る前、手を握る前から既にセックスは始まっているのだ。
雰囲気のいい店に入る。体に触れる。恋愛やセックスの話をする。互いの緊張を解いて、リラックスした状態を作る。この時点から既に前戯は始まっていて、お互いのタガを外す段階に入っている。
まあこの辺は(よく分かってないけど)恋愛工学にでも譲るとして、この段階を過ぎて、ホテルに入ってからもコトを急いではいけない。
時間をかけて全身の愛撫をするのだ。という話は有名だけど、同時に自分も愛撫をされよう。首筋や背中、内ももまできちんと愛撫してもらおう。
(書いていて、この辺はセックスハウツーと大差ないと思ったので手短に終わらしておく)
一つだけ書いておくと、舞台装置としてのホテルという空間は非常に有効なので大いに利用しよう。
セックスだけをする場所であり、他のものに気をとられるものがない。
どれだけ声を出しても問題がないし、部屋が汚れる事を心配する必要もない。また、家だと普段の生活を思い起こして覚める事がある。
僕は同じ人とセックスを繰り返す事が好きだ。上記したプロセスを何度も繰り返す事で、互いにタガを外し、より深く没入する事ができるようになる。
繰り返せば繰り返すほど、タガを外すことが簡単になってくる。
愛撫を繰り返せば繰り返すほど、体が快楽を享受しやすくなってくる。
催眠術では催眠にかかればかかるほど、より深く催眠にかかる事ができるそうで、それと同じことだと思っている。(この辺は書くと胡散臭が増すけど)
オナニーをすることだけに集中しているだろうか。何か他の作業をしながらオナニーをしたり、他の事に気を取られていないだろうか。
性器以外の性感帯を愛撫しているだろうか。
タガを外す練習は一人でもできる。時間をかけてタガを外す練習を繰り返す事で、タガはより簡単に外れやすくなる。
逆に言えば、理性によって抑圧されていなかったり、本能を出す練習を繰り返している人たちだ。
これを聞くと、タガを外すことに戸惑いを感じるかもしれないが、それは違うと言っておこう。
僕達が身につけるべきは、タガを外す術を手に入れる事であり、理性を自分でコントロールする方法を身につけるという事だ。
その方法を身につけてしまえば、理性によって、自分の強固な意志によって性欲や本能のコントロールをすることができる。
本能によってコントロールされている状態とは違う。
ここまで長々と書いたけれど、ここに挙げた方法は間違いを含んでいる可能性が大いに高く、また各人に最適な方法とは言えない。
http://anond.hatelabo.jp/20160220142801
ソシャゲのガチャ問題の中で語られる言葉の中に「射幸心を煽る」というものがあります。
ガチャキャラの確率操作などの詐欺的な行為が問題視されることが多いのですが、
実際にはこの「射幸心を煽る」ことそのものがかなり問題である、という話をします。
さて、ところで、私は犬を飼っています。
犬のしつけをするとき、命令を出して犬がいうことを聞いた場合、「おやつ」をあげます。
ここで突然問題ですがいうことを聞いた犬に
1)毎回かならず「おやつ」をあげる。
のどちらが効果が高いかご存知でしょうか?
日常的な感覚としては1)の毎回いうことを聞くたびに「おやつ」をあげる、
こちらの選択の方がより学習効果が高いように思われるのではないでしょうか。
しかし、違うのです。実際には2)のときどき「おやつ」をあげる、が正解です。
「常に」ではなく「ときどき」もらえる報酬の方が学習効果が高い。これを覚えておいてください。
猿の檻に自動餌やり装置を設置します。ボタンを押すと餌が出てきます。
猿は、ボタンと餌の関係を学び、餌やり装置のボタンを押すようになります。
ここで犬のしつけと同じように設定を変更してみましょう。
1)ボタンを押すと常に餌が出てくる
猿がより、ボタンを押すようになるのは、犬の例と同じく2)の選択肢です。
犬よりも猿の実験のほうがより具体的な事例として実感しやすいことがわかるでしょう。
まさに「パチンコ」であり「スロット」であり「くじ」であり「ガチャ」です。
なぜ、この部分強化のような不可解な現象がおきるのでしょう?
言い換えると、
2)不確実な報酬のボタンを叩いてメダルを出すこと(賭け事)を好む人がいるのでしょう?
それは、脳の仕組みにあります。
このドーパミンは「意外な報酬」であればあるほど分泌が促されることが分かっています。
先日、有名元野球選手が使用していたことで脚光を浴びている「覚せい剤」も、
脳の報酬系に作用しドーパミンの分泌を促すとともにその効果を増強させます。
詐欺的なお金のやりとりそのものも問題なのですが、人間の報酬系に直に作用するような
遊戯の代償として対価を貰う行為は自由社会では認められるべきですが、
多くの人が社会生活を営めなくなるような可能性があるものは規制されなければならない。
そういうロジックなわけです。
「ガチャ」の問題において「射幸心を煽る」ことが問題となるのもそのためです。
「詐欺的な確率表示」でお金を振り込ませる商売は確かに問題です。
しかし、考えてみてください。そうした問題が散々明らかにされているにも関わらず、
「それでもガチャは回る」のです。
通常の詐欺的なモノの売買では考えられないことです。
「報酬が獲得できなければできないほど」意外性は上がり、報酬系への作用は大きくなります。
非常な低確率である人々に「価値がある」と認識されているものを供給する行為そのもが、
「射幸心を煽る」行為であり、多くの人間の社会生活へ負の影響をもたらす可能性が高いので、
これを覚えて頂ければ、と存じます。
現在、28歳。
ブサメンだから、彼女できなかったと嘆いてきたが。ふと思った。なんで整形してないんだよ。
普通に、整形すればいいじゃん。
というか、整形というから重い話になるが。
たとえば、鼻をスッとさせる手術って、わざわざ美容外科でなくても、普通の耳鼻科で、鼻中隔湾曲症(かなりの人が有している)を改善する手術を受ければいい。
ここに、何の負い目も無い。
また、目をパッチリさせたいなら、形成外科で、眼瞼下垂の手術を受ければいい。眼瞼挙筋は日本人は先天的に切れてる人が多いし、40代ではほぼ100%切れるので、これをつなぎなおせば、目がパッチリする。
いずれも、安い値段で、医療保険使えて、イケメンになってたはずだ。
そういう知識を持っていながら、なぜ俺はやらないんだろう。
将来ガンになったときの再手術での癒着のリスクとか、謎の理屈だろうか。
①自分の顔にたいして引け目を感じることに罪悪感がある
でもさ。親からもらったからだでも、たとえば口唇口蓋裂(鼻と口がつながってる)で生まれたら手術適応なわけで。
自分は他人を見た目で評価しないし、能力にしか興味ない。人格とかも興味なく、能力しか興味ない。
だから、ここまで見た目が気にされる世の中になっていることが、理解できていない。
だから、整形で人生がイージーになるということに対して確信が持てなかった。本当にそんなに変わるのか?と。
でも、今ある程度社会生活送って、理解できる。確実に人生変わるなと。というか、他人からちやほやされてクッソ楽だろうなと。
とくに、今の時代はまさにイケメンが利益総取りクラスで楽だろうなと。
たとえば、ブサメンで就職活動に突入するくらいなら、さっさと整形して、大学などでウケルことを確認してから就職に望むべきだろう、つか韓国とかそんな感じなんだろ?合理的だと思う。
人生の数少ないチャンスのために、整形をしないってのは不合理だと感じる。
楽に生きられるってことは、他の事に対して楽に挑戦できるなって思う。
でも、歴史的な仕事を成し遂げた人達は、別にイケメンばかりじゃないし、むしろブサメンが多い。
イケメンで楽できることにアグラをかくほうが人生の達度が下がってしまうんじゃないかとも思う。
その女性は、もともと十分かわいいし、それでもやるってのは、馬鹿な男に騙されてるような予感がしたから。
男のために整形したいってのが裏にあるような気がプンプンした。
そういうクソ馬鹿男のために整形しても、後の人生で後悔するだけだし。そうやって手に入れた顔で調子に乗るリスクのほうがはるかに高い。
人生見誤ると思ったので、止めた。
学校の勉強を「必要かどうか」「役に立つかどうか」で仕分奴wwwwwww
なぜお前は、必要性や役立ち度を「お前にとっての尺度」で測ろうとするのか?
もし必要でなかったら、あるいは役に立たなかったら存在してはならないのか?
多分できないだろうけど。
お前は今の所社会にとって必要ではない。役にたってもいない。それは確実だ。
だったら、お前はなぜ生きている?
勉強というのは、お前を社会にとって役に立つ人間にしてくれる。
そして。
理科がお前の役になったかどうかなんてそもそも理科には関係ないことだ。
今まで理科で学んできたことを、いかに目の前の問題を解決するための鍵として
理科に限らず学校での勉強が社会生活に直接役立つことは少ない。
せいぜいクイズ番組くらいだ。
お前が学んだ英語はどれだけグローバル社会で生きることの助けになっているんだ?
国語も数学も社会も理科も英語もそれ単体では学んだ意味がない。
それがなかったらどうだろう?
英語を学んでも語るべき内容を持たないのと一緒だぞ。
さあ全力でつられてやった。
社会は公民や歴史、地理など広く知っておくべき事が多岐にわたる。
だけど、理科は?
理科科目って社会とくに会社務めする上で必ずしも必要ではないと思う。
現にそういうのがいる会社はあっても、普通そういう会社に就職するなら
だけど、一般にある普通会社に就職するのに理科って必要かなと思う事がある。
よく理系大は文系とか体育会より賢いからって自慢する人多いけど、
実際の社会生活において理科が生かされる機会ってあるんだろうか。
実は生物学とか物理学って大学によっては文系の範疇にある事もある。
つまり理科系統とされてる分野ですら文系と呼べるものもあって、
話は戻るが、理科科目は本当は社会生活の役に立たないのではないか。
何故なら、それらの分野は理科と異なってちゃんと学問としてあって
もし理科系統ならば、医学部じゃなくて理科学部医学科といった学術体系に置かれなくてはならない。
故に理科は社会生活において、どの程度関与する事が出来るのか。
恐らくそこから考えない限り理科が社会生活に必要かどうか断定できないのでないかと思えてならない。
そういうのは大学以降で行うべきだ。
先延ばしの原因は主として
が考えられるが、これが常態化してるとなると、そもそも現状の生活が増田には合ってないという線も疑ったほうがいい。
こう書くと嫌な気分になる人もいるかもしれないが、何らかの要因で不適応に陥りがちな人は、長期的な社会生活の維持を考えた仕事選びより、より短期的な目標にフォーカスできる仕事選びをしたほうがストレスなく生活を送れると思う。というか、ある一線を超えてしまうと、そうせざるをなくなってくる。ホームレスなんかは仕事かどうかはともかくとしてその究極なわけだけど、そこまで行かないとしても、より「その日暮らし」的な生き方にシフトしていったほうが、長い目で考えると逆説的には増田にとってはより楽な人生が待っていると思う。
一方で、先延ばしの原因を潰すべく泥沼でもがくような気分で日々頑張るというのも一つの生き方ではあるけど、根本的な治癒にはつながらないし、そういう生き方ができるのは肉体的にも精神的にも本当に若いうちだけと思っておいたほうがいい。
女を、「○○ちゃん」と呼ぶのがスタンダードだったり。
あるいは、会話→会話の中で趣味→じゃあ一緒見に行こうよ。こういう風に、デートとか好きだとか言わずにお互いの相性チェックがサクサクなされる。
顔担当、金担当、行動力担当など、分野別に女を狩る集団プレイ。
リア充のこういう『ルール』ってのは、理屈抜きで成立してるから、考えてもこういうアプローチをしようとはならない。
目の前でやられて、それを女が受けいれるっていうのが成立すればそれがルールになる。
そうやって積み重ねられたリア充特有ルールは、リア充だけの中で共有されている。
で、女を手に入れられるのがリア充の特権だから、リア充が男の社会でのスタンダードなトップカーストになる。
リア充の態度ってのは人工的なものだし、女がそれを受け入れるもんだから、普通の男はやる気がなくなる。
リア充の態度ってのも、そういう生活様式を続けるにはエネルギーや金が必要となり、そんなことにかまけていたら普通の社会生活や勉強など無理になる。
だからこそ、リア充はアホらしいんだけど。リア充がトップカーストになり、礼賛されるから、アホらしい。
なんというか。普通の男からしてみれば、リア充って、ある種の機械にしか見えない。
女を口説いてくるマシーン。女なんか口説いても世の中なんも良くならないんだが、生存競争に必要だから、リア充を立てないといけない。
そして、そんな無意味なヤリチン文化を、女が肯定するから、女叩きや非婚化になるんでしょうって思う。
妊娠時に母親の腸内環境が悪いと子供が発達障害になる可能性がある、という記事を見た。
複雑な気持ちになった。
どちらも原因は不明で、解明されていないとされている。
それなりにその病気でめんどくさかったり、いじめられたり、社会生活を制限されたりと、嫌な思いはしてきた。
けど、それは先天性だから、仕方がないと思っていた。
原因がわからないのだから、母親が悪いわけでもなく、母親は単に「くじ運が悪くてはずれを引いてしまった」それだけのことだと私は解釈しているし、
けど、先天性の病気は持っていなければ持っていないほうがもちろん良い。自分自身もできればそんなものはいらなかった。
だから、もうこの世にこの病気の人が生まれなくて済むのなら原因を追求してほしいな、とは思う。
しかし、その結果が「母親の生活習慣が悪かったから」となってしまうとやはり残酷だなと思う。
私のこの病気が母親の生活習慣のせいだと言われてしまったら、母親を私は許せないし、母親は母親自身を許せないだろう。
子供は「なんでちゃんと産んでくれなかったの」となり、
母親は「私のせいでちゃんと産んであげられなくてごめんね」となる。
今でも少し、病気持ちで産んだ母親の事は許せていない部分はある。けど、原因不明なんじゃ仕方ないよね、と割り切っている。
一度だけ喧嘩した時「障害持ちで産むとか母親失格だよ!こんな体に生まれたくなかった!」と暴言を吐いたことがあるけれど、
そのあと原因がわからないことで批判しても仕方がなかったな、と反省して謝罪した。
原因が明らかだったら、多分謝罪しなかったと思う。
二度と不幸な子供が生まれないのなら、原因がわかるのは喜ばしい。
けれど、すでに産まれてしまっている子供とその母親は救われることはなく、逆に地獄に追い込まれていく。
先天性の病気は、難しい。
文明社会に生きる真面目な学生である私は、平日は早起きしなくてはならない。そのため、休日はできるだけ遅く起きようとしている。また、普段できない夜更かしもする。
しかし、夜更かしした分寝ているだけに過ぎないので、これは単に生活リズムを破壊しているに過ぎない。
平日は、大学へ向かい講義を受け帰宅するという一連の流れによって進む。流れに身を任せていれば勝手に時間が進んでいく。
休日はそうはいかない。何をするかを自分で一から組み立てなければならない。この一大イベントを週末二連続でこなすには、相当の労力が必要だ。
平日は社会生活に勤しみ、休日はまた別の苦労をする。これでは全く休まらない。
「休日に何をするか考えることすらできないならば、休日は何もせずだらけていればいい」と思うのは無理も無い。しかし、先ほど述べたように真面目な学生である私は、何もしない休日を過ごすたび、漠然とした罪悪感に苛まれることになる。
休日あり方について問いたい。
を受けてたので結果、所感など。
知覚統合 114 処理速度 102
検査者さんからの結果説明とwebで拾い読みした浅い理解の上だと、4大卒ホワイトカラーサラリーマンのほぼ平均値という所であろうか。
検査内容詳細は割愛するが、1回3時間強とかなり長時間集中力を求められるものだったので、
ペース配分を調整するだけでいくらか違う数値が出そうな気もする。
言語性=ようは語学能力?に不安をもっていたので、結果をみるとそこそこ普通だった、という点に驚いたというか少し安堵。
これは何かというと処理・操作のための記憶能力だそうで、複数タスクを覚えてられない、物忘れが多いというような能力に側面してるとのこと。
自分のケースだと「耳から認識した数字に脳内でなんらかの処理をしアウトプットする」というスポット的な作業のみ特別苦手らしい。
これ心当たり存分にあるんだよな。
…人間サボった部分だけ衰えるのが早いのか
それとも元々の性質なのか。
多分両方だと思うな。
日本の教育では聴覚処理能力(例えば英語でいうリスニング)をクローズアップする機会が少ない、という話も興味深かった。確かに。
ところで、なんでこんな検査を受けてきたからというと別に自らの知能を客観視したかったという崇高なことではなく、単にADHDの検査をしてみたら?と主治医に勧められたため。これは後述。
念のため。
で、ADHD的には各能力数値ではなく数値間差を注視するということで、私の場合は各数値に有意性=バラつきが認められるとのこと。
最終的には、まあ平均値内には納まってるしADHDの帰来はあるものの障害認定するまでではないよね、という落とし所らしい。
この辺、各医療機関の判断に差がつきそうなところだとも思うけれども。
自認する能力に対してある一定の数字がでるって興味深いし説得力ある。
弱点は運用である程度カバー出来るし意識的に鍛える事もできるしね。
自分の場合は聞き取った数字を一旦メモするだけで処理能力が格段にちがう。
うつ病診断→一向に回復しない→セカンドオピニオン求めて転院→双極性障害(躁うつ)、ADHDの疑い→各種検査
という流れだったのでした。
因みに保険適用で2000円弱程度(初診費用除く)だったので、興味本位でうけてみるのもいいかも。ADHDの疑いがある、というと受けさせてくれると思います。
双極性障害の検査(光トポグラフィー)もまあまあ興味深かったのでまた機会があったら書きたい。
長文をインターネットに垂れ流すのは初めてだけど割と1000文字とか普通にいっちゃうのね。
最後に。
社会生活に疲れてる人、生き急いでいる人
大変だけど、なんとかゆるりと生きる術を見つけていきたいですね。
どなたかわかりませんが、この文章を最後まで読んでくれた人が万が一いたら。
お付き合いありがとうございました。
http://susumu-akashi.com/2014/01/wais-iii/
いい文章だな。
ADHDという診断だけ高校時代にもらってから一切投薬とか治療とかをしていないんだが医者行ったほうがいいんだろうか。朝起きられないとかやらなきゃいけないことに手が付かないとか社会生活を営む基礎的能力が全く破壊されているわけだが。医者に行ってWISC-Ⅲの結果見せればすぐに処方箋出してくれるもんなんだろうか。というか、もういっそのこと手帳もらって映画半額生活を堪能したい。就活も面倒だし障害者枠で入社できんもんかな
この前初めて「江戸しぐさ」を子どもたちに教えています! という年配の人と連絡を取り合った。
ちなみに私と先方にはどっちが上とか、指導・監督する立場にどちらかがある、とかそういうのは無い。ただ仕事上知りあっただけ。
何も言えなかった。
ネットと言うか匿名ってとても楽だなと思う。批判できるもん。いくらでも。間違ったことを糺せるもん。関係がある意味ニュートラルだから。
リアルでは「はぁ、そうなんですか…」としか言えない。これがベターな反応だと思う。「それって根拠ないですよね」とは到底言えない。
こういうところが「江戸しぐさ」の根深い問題なのだろうけど、実際に遭遇して驚き、戸惑っているところだ。
右翼の人と実際に会った時。ケムトレイルを信じている人と会った時。地震雲やなぞの水。胎児にクラシック。青森に超古代国家。デトックス。マイナスイオン。骨相学。サツキとメイ死亡説。ラピュタ別バージョンエンディング説。電磁波。チャモロエビルプリースト説。あげたらきりがないが、こういうのを信じていない人が信じている人と会い社会生活を営むためにはどのような適当な手段・方法があるだろうか。ある種、正しい/正しくないを超えて考えなくてはならない。
同性婚とか同性愛は異常とかの話でLGBTをひと括りにされる事が多いんだけど、T、トランスジェンダー、性同一性障害だけレイヤーが違うので少し書いてみようと思います。
レズ、ゲイ、バイセクシャルは生まれ持った身体の性別に合った社会生活をし、自分の性別に疑問を持つ事は無いが、好きになる相手の性別が多数派とは違うって事で、
トランスジェンダーは、生まれ持った身体の性別に違和感があって、反対の性別で社会生活をおくりたいと思っているだけで、好きになる相手の性別については関係無いが、ヘテロセクシャルの人と同じように自分がなりたい性別の反対の性別の人を好きになる事が多いって事。
結果的にどちらも産まれた時の性別と同じ性別の相手を好きになるので、同性愛として括られるけど、トランスジェンダー当事者は同性愛とは違うと思ってるんですよ。
そもそもトランスジェンダー、性同一性障害は理不尽な規定があるにしても戸籍の性別変更が可能なので同性婚はあんまり関係無いんですよね。
で、同性愛キモいって話でオカマキモいが出てくる事が多いのだけど、オカマやってる人は中間がいいとか変わりきれなかったとかのトランスの人が多いし、典型的な同性愛の人は異性格好はしたがらないのでテレビに出てる人を基準にするべきではないです。
まとまりませんでしたが以上です。