はてなキーワード: 生き甲斐とは
わかるわかる。俺は男だけど全く同じ感じだわ。
一人の時間っていうより、リソースを自分の成長のために使いたいって感じだけど。
でまあ実際としては、子供を持ったら自分の時間は無くなるようだ。
仕事は全く続けられないということはないにしても、極端にリスクが取れなくなる。
今自分にできることの範囲でどうやりくりするか、という発想になる。
これにはホルモンバランスも影響しているようだ。子供を持つことで脳が強制的にモードチェンジさせられる。
http://toyokeizai.net/articles/-/70611?page=3
この前バズってたこれとか正にそうだ。子育てを上手くいかせるには仕事を諦めることだ、という話。
一般には、それが大人になることだとされている。自分のことを諦めて他者を生き甲斐に思う価値観になることをだ。
この価値観は、儒教や防衛機制やルサンチマンなどが滅茶苦茶に絡み合って構成されているもので、そこに疑問を呈してまともな反応を期待するのは不可能だ。
子供を持たないなら、一生社会と戦いつづける覚悟が必要になると思う。
あと主流派は「本能」というワードが大好きで極めて多用してくるが、実際に彼らが言うような意味でそんなものがあるのかはかなり怪しい。
何度も言うけど毎日理不尽な事ばかりで、生き甲斐なんて何もない
自分を殺して働いてるからといって働かなくても良い状況でも毎日ボーっとして、疲れたら寝るという死んだ状態のままだと思う
「セックスしたくて生きてきたか、それができる余裕のあったご先祖様達に喧嘩売ってるのか」
そんな文句が飛んできそうだが、セックスなんかしたくねーよ あんな事して何が嬉しいの?
それよりも子供が不幸にならないように育ててやれる自信のある人間だけが子供作れよ
見通しのないバカはすっこんでろよ
他人様が羨ましいとは言わない。楽しく生きてる連中はそのまま人生謳歌しててください
あなた方には一切文句は全くありません
ただ、有史以前から俺みたいな事を考えてる奴は数えきれない程いたと思う
そういう人達も絶対セックスや酒・タバコ、遊びはやらなかったはずだ
生きる理由を探して来たがどうも無さそうだ。これは分かる。
ある人がとてつもない生き甲斐を見つけたとして、それは別の人にとってどうでも良い事になり得るだと言うのは分かるし、だとしてもその人にとっては「生きる理由」と言える程強く心の支えになり得る物だと言う事も分かる。
「生きる理由」が無かったとしてもその人はすぐ自殺してしまう訳ではないというのは分かるし、「生きる理由」が無かったとしてもだらりと生きていってしまう人が多い事だって分かる。
だから「生きる理由」が至上の命題にはならない事も分かる。「生きる理由」を至上の命題にしたのは自分の心だという事も分かる。
なぜ生きる理由を求め続けたのかと言えば、全能感と現実の矛盾やら生活への不満足やらで、見つけられれば現実を変えられると思っていたからだというのは分かる。
そんなの最初から分かってるんだよ。それでも俺は生き甲斐を見つけられねえし、逃避してなんとかつらみをごまかして生きていくのはプライドが許さねえし、心の何処かで自分が真っ当な生き甲斐を見つけてドラマチックに生きていく人間に値すると思ってやがる癖、自分から現実を変えていこうとはしない。
何で生きる理由は自分自身で作っていく物だって気付いた瞬間に、悩みから開放されたかのように晴れ晴れとした顔で新しい人生の一歩を歩み出す奴らがいるんだよ。人生は自由?自由になるにも力が必要なんだよ。
俺はネット依存で人生をブチ壊した駄目人間だからな、そんな事に気付いた所で俺の駄目さは変わらないし、俺の人生は変わらないんだよ…それは分かるんだよ…
ジャニーズJr.っていうのはテレビに出てるジャニーズの後ろでペラペラな割に色やスパンコールやフリンジのきついジャケットと黒いタンクトップを着て踊ってたりするアレで、今まで全くそういうのに興味がなかったのに大学生になってからはじめて本格的に好きになった。山Pはずっと好きだったけど毎月毎月見たいっていう欲求はなかった。テレビでよかった。今はテレビでよくないので、これは異変なんだと思う。
いろいろあって、そのジャニーズJr.にはまってから1年間で100万円使った。これはチケット代だけの金額で、遠くの会場でのコンサートにも行ったから交通費もたくさんかかったしいろいろなプレゼントも渡したけどその費用は別。計算が面倒なのでしません。
100万円という金額が多いのか少ないのかはわからない。都内実家在住、親からはジャニーズのために1円も出してもらってないのでそこそこ頑張ってる方だとは思う。上を見ればいくらでも上はいるし、若手のジャニーズでも舞台の最前列はヤフオクで15万円くらいで転売されてると聞く。そういう良い席を買い集めるために風俗をやっている人もいるし、突き詰めていけばキリがない。
(ちなみにこの記事、ジャニヲタの金銭面のサンプルとしてとても参考になると思いますので興味のある方は是非。 http://jma.hateblo.jp/entry/2013/08/26/120132 )
ジャニーズJr.はすぐ認知してくれる。もちろんひとりひとりにタイプの違いはあるから一概には言えない、全くファンの顔を覚えないし手を振ったりもしないことで有名なJr.もいればその逆もいる。でも恐らくテレビに出てるアイドルよりは遥かに難易度が低いと思う。
匿名ダイアリーに書くのに隠す意味がないから書くけど、帝国劇場や日生劇場やNHKホールには「列」といわれて出待ち文化が未だに根強く残っている。待っている間はあまりしゃべってはいけない(という空気だ)しスマホもいじってはいけない、若い女の子がひとことも発さず有楽町の地下にずらっと列を作っている光景は宗教っぽいなと毎度思う。全然関係ない一般人が「ここで待たないでください」とか怒鳴られてるのを見ると可哀想だなと思う。
出待ち文化はジャニーズ事務所半公認で、ファミリークラブという「ヲタク統括組織」的なものの下っ端がその出待ち少女の大名行列を整理している。未だに存在している事実をジャニヲタはなぜか必死に隠したがって「れ◯」とか「並んでくる」と婉曲的な表現に終始するけど、バカっぽいからやめたほうが良い。
そういう意外とローカルな「アイドルとファンの繋がり」が未だに残っている。自分でも出待ちは80'sアイドルの代名詞だと思っていた。その反面いまは誰でもスマートフォンを持っているからSNS文化に則した発展もなされている。
ジャニヲタのあいだで伝言ゲーム的に広げられていくアングラ匿名掲示板が存在する。海外の無料サーバーに何者かが設置していて、パスワードがついている。パスワードも伝言ゲーム的に広がっていく。
「ヲタ糧」とか「列糧」とかある。ヲタ糧は「ヲタクの話をする糧(=カテゴリの略)」でひたすらジャニヲタが特定個人を誹謗中傷してる。例えば「松本潤担」(担=担当。「推し」と同義)っていうスレッドがあると「今日どこどこの席にいた松本担のツイッターわかる?」とかそういう書き込みが延々なされている。裾野の広い相互監視社会って感じである。「列糧」は出待ちに関する話を延々としてる。今日は◯◯くんの機嫌よかったね、とか。
つまりファミレスとかですればいい女子特有の噂話をジャニヲタはみんな顔を合わせずにアングラ匿名掲示板で行っている。特定個人の誹謗中傷をする掲示板があるという事実だけでも冷静に考えてみるとヤバすぎるし、容易に一般人が首を突っ込んでいいかというと恐らくよくない範囲の話になってしまう。
そして一般的な認知に至るまでのプロセスとしては、出待ちに通ったり、毎月あるジャニーズJr.歌番組の収録に行ったり、舞台に行ったりコンサートに行ったりして認知されていく。
最初は自分にとってそのジャニーズは神にも等しい存在で、多少遠くてもその姿を確認できて踊っているところが見られるだけで「美しい」という感想を抱きながら家に帰れたし、たまに良い席に入ってそのジャニーズが近くに来ようものならもう狂喜乱舞といった感じで、はじめの頃は泣きながら駅のホームで電車を待ったりしていた。うちわに「◯◯くんダブルピースして」とかの文字を書いてダブルピースされようものなら途端にすべての悲しみや苦しみがスッと失くなって足元がふわふわと浮かぶような気分になった。
「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語と同義。アイドルを本気で好きになってしまう現象、その状態、そうなっている人のことを指すけれどまさにその単語に当てはまると思う。恋で頭が混乱して、「好きなジャニーズが近くに来る座席を狙ってヤフオクで落札する」という行為がどうしても辞められなくなってしまいものすごく働くことになった。ものすごく働くと疲れるけれど、アイドルのことを考えると全然つらくはない。肉体的な疲労はあるけれど精神的なものはすべてアイドルが癒してくれるので、肉体は横たえておけば良い。
最初から認知されようと思って追いかけていたわけではなくて、「とにかく好きすぎて見に行かないと耐えられない」という衝動から追いかけ始めた。自分は「副産物としての認知」タイプだと思うけれど、もちろん最初から「アイドルに認知されたい」という承認の欲求ありきで追いかける人もいるだろう。それもひとつの形だし、原動力がなんにしろ、どんなにやましいものにしろお金を落とすなら別に良いんじゃないかなと思う。
1年近く「◯◯くんを近くで見たい」以外の感情が無かった。「◯◯くんダブルピースして」の少し特殊なバージョンを長くやり続けていたら、見せなくてもやってくれるようになってそのときに「あ、覚えられてるんだ」と思った。はっきり言ってあまり人気がない方のジャニーズで、同じジャニーズのファンで現場に通っている人はあまりいない。いても毎回、執着的に良い席ばかりでは来ていない。
あっという間にそのファンコミュニティで有名になってしまい、最近では自分が知らない人にも知られているようになった。
近ごろ、なんとなく落ち着き始めた。
毎回、自分が視界に入ると彼は「いつもの」合図をしてくれるし、目も意識的に合わせてくれるようになった。手紙も返事が来て、出待ちにいることも把握されている。(冗談だと思われても良いし、イタい妄想だと思われても良いように匿名で書いてる)
最初そのアイドルを好きになった時の自分は「見たい」という原動力で追いかけていたのに、最近では「見られたい」「いることをわかってほしい」ことがメインになっているように思えてはっとした。副産物が主な目的になってしまっている、という自覚を持って恐くなった。
この前、わざと後ろの方の席をツイッターで譲ってもらって舞台を見た。「わたしは見ているのに、彼からは絶対に見られない」という状況が好きになった最初の頃を思い出させて、ぼんやりと認知ってなんなんだろうと考えた。
本質的に自分がお客様、お金を出しているから優位に立っている。アイドルファンには選択の自由がある。Aが気に入らなかったらBに担降り、ないしは推し変すればよい。でも向こう側に「自分の客」として認識されてしまうとその自由は奪われる。一対一で接客してくれるセレクトショップで「やっぱり良いです」と言いづらいのと同じ心理状況。
もちろん、そんなの気にしなければ良い、と言う一般人はものすごくたくさんいると思うけれど、どんな人でも文字のついたうちわを持って横浜アリーナのセンターに座って景色を見てみればきっと少しは理解してくれる、とまだ私は信じている。
「認知の重圧」というフレーズが気に入っていて最近よく使っている。自意識過剰と言われるかもしれないし、「バカっぽい」と自分を形容することも多いけれど、"俺のファンでいて"、"応援していて"というメッセージを受け取って、そして自分よりも熱烈に強烈に応援しているファンがいない状況を目の当たりにすると、彼の応援を放棄して他のことに眼を向けることができない。
わざと後ろの方の席で見たのは舞台期間の10日目だった。数回目の舞台で、はじめてどういう舞台なのか、どういうストーリーなのか、誰が出ているのかを把握できた。
彼の視界にいるとどうしても彼以外に目線を向けることが憚られる。アイドルは自分たちが思っている以上に目線を気にしている。彼しか見ていないので一切舞台の内容が理解できていなかったし、彼しか見ていないと彼以外のことがどうでもいいから全体像を把握する気にもならない事実を改めて認識して本末転倒さを感じた。
「認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてもらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。
でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的な優越感だから、毎日毎晩不安に苛まれている。わりと本気である日ものすごいマダムが彼のファンになったらどうしようと思っているし、そもそもある日彼にぷいっと気を損ねられて嫌われてしまったら何を生き甲斐にしたら良いのかわからない。
それでも根底にあるのは「好き」という気持ちだから、悩んだりしつつ明日も私はバイトに行くし休憩時間には執拗にチケット流通センターをチェックすると思う。
はっきり言って何も残らない。思い出が消えたら半券しか残らない。でもけっこう本気で、死ぬ間際の走馬灯に横浜アリーナが映ったら良いなと思ってる。
昔の俺を見てるみたいだから、もし当時の俺に会えたら言いたいことを書く。
俺は男だが本当に似たような境遇だ。
中学でいじめにあって不登校になり、低偏差値高校行ってヤンキーにいじめられて1年持たずに退学した。
その後大検取って、ダラダラ多浪しながらなんとか偏差値50ぐらいの大学行った。
だが、周りよりも年上という後ろめたさと元来の怠け癖が祟って、まったく何もしない大学生活を送り、
で、そんな俺から言っておきたいことがある。
1.やっぱり一番がんばっとけば得だったのは大学受験だ。
良い大学に入れば高校までの経歴などチャラだし、将来の幸福に繋がりやすい最大の分岐点だと思う。
そして良い大学に来る人たちは基本的に幸福な人生を送ってきた善良な人が多いので、コミュ障とかネクラ相手でも優しく接してくれる確率が高い。
更に良い大学に来る人は人生の目標とかやりたい事とかはっきりしてる人が多い。
そうした人々に囲まれれば良い影響を受けて、自分の人生の目標や生き甲斐も見つけやすいと思う。
なので、受験がんばれ。苦しいのは今だけだ。もう時間がないというならもう一浪も考えたらどうだ?
まずそれを一番に言いたい。
2.残念ながら君が受験で満足のいく結果が残せず、不本意な大学に行く事になったとしよう。
それでもその大学出腐らずがんばった方が良い。
多浪とか過去の経歴とかで、他の大学生に後ろめたさを感じると思う。
でも、そこで友達作って、勉強したり、やりたいことがあったらそれを一生懸命やった方が良い。
なんだかんだで、どの大学でも本人のやる気次第で未来を良い方向に変えることは可能だ。
大学時代にバイトでもサークルでもボランティアでも、自分なりに全力でやりきったという体験があるのとないのとでは全然違う。
俺はこんな低偏差値大学なんて、、、と腐った大学生活を過ごして卒業し、今、あんときもっと頑張れば受験の失敗も挽回できたな。と後悔しているので、
受験が上手くいかなくても腐らない方が良い。
でも、昨日の会見の最後までグダグダで、事件を通じてCDBのうっかりさんの見苦しさが際立ったと思う。
この業界に限らないけど、病的なほど男のハンドリングが上手くて、
実力を伴わないまま出世するのがいる。オボちゃんも典型的なその一人だな。
こういうのに引っかかったCDBのハイクラスの研究者の方々をリストアップしてちゃんと記憶しておくことは大切だと思う。
女子医大の戦艦?ハーバードのバカ茶?あいつらはただの香具師だ。業績も論外なレベル。
そういったことは嘘つきを見抜くためには役立たないという当たり前の事実を以下のリストと併せて憶えておきたい。
(ちなみにCDBは解体された、と言われているけど、未だに英語名称はCDBのままな)
(1)T市 元センター長
その後も断固たる処置をせず、責任も全くとれず、マネジメント能力が皆無であることが露見。
研究バカをマネジメント職に就けるのはやっぱまずいね(山中さんも今相当ヤバいよな)。
(2)故S井 副センター長
ノーベル賞はさすがに無理だったと思うな。リアルに撫でられて陥落。
自死を選んだから二人の交際の一番ヤバいところの詳細は外に流出しなくてよかったね。
でもオボちゃんを信じると決めて、その捏造を最後まで擁護して、CDBを崩壊させたという事実は忘れてはいけない。
素晴らしく優秀な弟子達がいるのは不幸中の幸い。バイバイ、ケビン。
(3)N羽 チームリーダー
業績十分。基礎生物学者としての実績の積み重ねは山中さんよりも分厚い。そんな彼でも猫撫で声でこれまた陥落。
「脇で見てた限りでは本当にSTAPできてた」みたいなコメントを周囲にしてたから本当に信じてたんだろうね。
でも撤回されたSTAPプロトコルの責任著者になってしまったのはお人好しの結果だろうけど軽率すぎるね。
再現実験もけりがついたから、CDBから脱走するために出していた某大学の教授選もこれで進むね。
(4)W山 元チームリーダー
彼は特殊だよね。研究者というよりはテクニシャン。ただしものすごくレベルの高いテクニシャン。
この手のサイコパス女をはじけなかったのは人を見る目がなかったと言うことと、
優秀な人を集めるのにいつも苦労してた焦りのコンボだろうね。
侵入させてしまい、のさばらせてしまい、全てのきっかけを作ってしまった責任は非常に大きい。
Spermeggの掲示板でSTAPについて嬉しそうなコメントをしていたのが今となっては懐かしい。
(5)N川 元副センター長
本件で近い分野の研究者の間では最も評判の悪かった一人。
彼だけは猫撫で声に関係なく、能力の足りない研究者のサポートに生き甲斐を感じていた、自ら進んでなったサポーター。
CDBらしさを作った一人だけど、らしさとは研究倫理の欠如がコインの裏側にあった。
ご自身にもオボちゃんの採用責任があるのに自分のウェブサイト(AASJ)で擁護コメントを連発し、見当外れなマスコミ批判にいそしんでいた。
現在執筆中という本件に関わるマスコミ批判本を出す前に。STAP論文で謝辞を述べられるほどサポートしてしまった我が身を振り返って頂きたい。
N川さんと同じくオボちゃん採用時の副センター長。こちらは再現実験チームに着任してから猫撫で声にやられてた。
おまけに元々変な正義感が強いので批判されているオボちゃんを擁護するという反骨精神を発揮して周囲を引かせてた。
失言大魔王として有名だけど昨日のあの会見のラスト発言のひどさは特筆に値するよな。
関係ないけど記者会見ではちゃんとズボンのチャックをしめてて感心した。人間まだ成長できるんだな、って。
どうか反省して余生を過ごして下さい。
以上です。どうか皆さんよいお年を。
心身共に落ち込んでいるときには常に考えていることがある。
実現させるなら、順番的にはこんな感じか。
ちなみに「ドロップアウト=死」ではない。
生きる活力を取り戻せれば復帰するように働くなりして動けばいいし、
そこで初めて方法が無ければ死ぬという選択肢をとればいいはず。
と思うんだけど、実際に実行するには思い切りが足りない。
仕事自体にというより、生きるための糧を放棄するのが怖いから。
自分の思考が内向きになっているのを強く感じている。Twitterに浮上するのも億劫だし、学校以外に外出することが無い。
例えば部活。強制ではない。皆それを理解しているから、誰も辞めるなとは言わないし、卒業まで束縛するというような邪悪で強権的な行為は無かったので、そういう場所にいた自分を幸運だと思うし、有り難いと思う。束縛したのはあくまで自分であった。
僕は昔から負けず嫌いだと言われたが、これはともすれば仮想敵に対して勝利するまで己を束縛してしまうという事である。部活に対して僕はそれ以上の動機を持ち得なかった。昔からの惰性で入ってしまった。根本的な動機に欠け、それが周りとの隔壁を生んだ。何とかして動機を見つけられないかと思ったが、それ自体がその場凌ぎでしか無いのだ。退部よりも今の場所に生き甲斐を見い出す事の方が今後の自分にとって重要であり、正しいと考えていた。早く見切りを付けるべきであった。
例えば趣味。これが好きだと自信を持って言える物を見つけられたのは本当に最近である。もっと早ければ色んな事が出来た筈だし、レベルも今より断然高かっただろう。
だが、昔の僕は周りを知る努力を殆どせず、一人つまらない思索をして自分は高尚なのだと他人を見下しつつ無難な日々を送った。面白くない日々を自嘲するのが「面白い」と思っていた。救いようがないという以外に言葉が見つからない。悔しさ以上に自分はクソでどうしようもない人間だという感情が勝る。偏見を持たず色んな事に挑戦するべきだった。他人がたゆまぬ努力によって理想を体現させているのを見ると、僕は一生あの境地には行けないんだろうと絶望する。僕が無駄な日々を過ごした間にも彼らは進んでいたのだ。今さらその事に気付いた愚かな僕は、それでも理想に追いつきたくて必死で走っている。
しかし、大学受験も段々と近付いてるという時期に、足掻いて見せた所で簡単に何かが変わるわけでもない。
だからこそ間違いに気付いた時点で挑戦するべきだったのだ。本当はそれですら遅いのだが、今よりは遥かにましだったろう。
こうあるべきだというステレオタイプが常に自分の中に存在し、無理矢理にでもそれに合わせようとしている。型を決定付けるのは、自分が本当にそうなりたいかという事以上にこうでなければならないという偏見であって、それに縛られて常に苦しんで来た。間違いだと気付いても中々捨てられなかった。
実を言えば、現在僕が好きな事というのもステレオタイプに当て嵌める事でどうにか続いている。そうでなければ何もしたくなくなる程に自分に自信が無く、活力が沸いてこない。だからこそ今進んでいる道が正しいのか分からない。だが、更に頑張って行けば後から振り返って正しかったと思えるだろうという自信はある。これは今気付いた。
最近は自分の無力さと、自分がいかに自分を追い詰めたかを実感している。日々の中に救いがない。あらゆる場面で自分の中に広がりが無いのを感じる。全ては自分のせいである。
昔以上に色んな事が面倒臭くなってきた。その内本当に何もしたくなくなるかもしれない。
焦りだけが空滑りして実が伴わない。
本当は努力が全然足りない事は自分の思考が内向きになっているのを強く感じている。Twitterに浮上するのも億劫だし、学校以外に外出することが無い。
外に向かう努力をして来なかったからだろう。いや、向かう努力はしていたが居場所を構築出来なかった。
例えば部活。所詮は試行錯誤の過程である。皆それを理解しているのか、誰も辞めるなとは表立って言わないし、卒業まで束縛するというような邪悪で強権的な行為は無かったので、そういう場所にいる自分を幸運だと思うし、有り難いと思う。束縛したのはあくまで自分であった。
僕は昔から負けず嫌いだと言われたが、ともすれば仮想敵に対して勝利するまで己を束縛してしまうという事である。部活に対して僕はそれ以上の情熱を持ち得なかった。根本的な動機に欠け、それが周りとの隔壁を生んだ。何とかして動機を見つけられないかと思ったが、それ自体がその場凌ぎでしか無いのだ。退部よりも今の場所に生き甲斐を見い出す事の方が今後にとって重要であり、正しいと考えていた。早く見切りを付けるべきであった。
例えば趣味。これが好きだと自信を持って言える物を見つけられたのは本当に最近である。もっと早ければ色んな事が出来た筈だし、レベルも今より断然高かっただろう。
だが、昔の僕は周りを知る努力を殆どせず、一人つまらない思索をして自分は高尚なのだと他人を見下しつつ無難で自堕落な日々を送った。面白くない日々を自嘲するのが「面白い」と思っていた。救いようがないという以外に言葉が見つからない。悔しさ以上に自分はクソでどうしようもない人間だという感情が勝る。偏見を持たず色んな事に挑戦するべきだった。一方で、他人がたゆまぬ努力で理想を体現させているのを見ると、僕は一生あの境地には行けないんだろうと絶望する。僕が無駄な日々を過ごした間にも彼らは進んでいた。それでも僕は理想に追いつきたくて、必死に走っている。
しかし、大学受験も段々と近付いてるという時期に、足掻いて見せた所で簡単に何かが変わるわけでもない。
だからこそ間違いに気付いた時点で挑戦するべきだったのだ。それですら遅いのだが、今よりは遥かにましだったろう。
こうあるべきだというステレオタイプが常に自分の中に存在し、無理矢理にでもそれに合わせようとしている。その型を決定付けるのは、自分が本当にそうなりたいかという事以上にこうでなければならないという事であって、短絡的かつ気紛れな決定によって定義される型に縛られて常に苦しんで来た。それが間違いだと気付いても中々捨てられなかった。
実を言えば、現在僕が好きな事というのもステレオタイプに当て嵌める事でどうにか続いている。そうでなければ何もしたくなくなる程に自分に自信が無く、活力が沸いてこない。だからこそ今進んでいる道が正しいのか分からない。だが、更に頑張って行けば後から振り返って正しかったと思えるだろうという自信はある。これは今気付いた。
最近は自分の無力さと、自分がいかに自分を追い詰めたかを実感している。日々の中に救いがない。あらゆる場面で自分の中に広がりが無いのを感じる。全ては自分のせいである。
昔以上に色んな事が面倒臭くなってきた。その内本当に何もしたくなくなるかもしれない。
焦りだけが空滑りして実が伴わない。本当は努力が足りない事も分かっているが、自堕落な自分を変えられない。ちょっと気を取られれば、全てが面倒臭いと思ってしまいそうだ。自分の思考が内向きになっているのを強く感じている。Twitterに浮上するのも億劫だし、学校以外に外出することが無い。
外に向かう努力をして来なかったからだろう。いや、向かう努力はしていたが居場所を構築出来なかった。
例えば部活。所詮は試行錯誤の過程である。皆それを理解しているのか、誰も辞めるなとは表立って言わないし、卒業まで束縛するというような邪悪で強権的な行為は無かったので、そういう場所にいる自分を幸運だと思うし、有り難いと思う。束縛したのはあくまで自分であった。
僕は昔から負けず嫌いだと言われたが、ともすれば仮想敵に対して勝利するまで己を束縛してしまうという事である。部活に対して僕はそれ以上の情熱を持ち得なかった。根本的な動機に欠け、それが周りとの隔壁を生んだ。何とかして動機を見つけられないかと思ったが、それ自体がその場凌ぎでしか無いのだ。退部よりも今の場所に生き甲斐を見い出す事の方が今後にとって重要であり、正しいと考えていた。早く見切りを付けるべきであった。
例えば趣味。これが好きだと自信を持って言える物を見つけられたのは本当に最近である。もっと早ければ色んな事が出来た筈だし、レベルも今より断然高かっただろう。
だが、昔の僕は周りを知る努力を殆どせず、一人つまらない思索をして自分は高尚なのだと他人を見下しつつ無難な日々を送った。面白くない日々を自嘲するのが「面白い」と思っていた。救いようがないという以外に言葉が見つからない。悔しさ以上に自分はクソでどうしようもない人間だという感情が勝る。偏見を持たず色んな事に挑戦するべきだった。一方で、他人がたゆまぬ努力で理想を体現させているのを見ると、僕は一生あの境地には行けないんだろうと絶望する。僕が無駄な日々を過ごした間にも彼らは進んでいた。それでも僕は理想に追いつきたくて、必死に走っている。
しかし、大学受験も段々と近付いてるという時期に、足掻いて見せた所で簡単に何かが変わるわけでもない。
だからこそ間違いに気付いた時点で挑戦するべきだったのだ。それですら遅いのだが、今よりは遥かにましだったろう。
こうあるべきだというステレオタイプが常に自分の中に存在し、無理矢理にでもそれに合わせようとしている。その型を決定付けるのは、自分が本当にそうなりたいかという事以上にこうでなければならないという事であって、短絡的かつ気紛れな決定によって定義される型に縛られて常に苦しんで来た。それが間違いだと気付いても中々捨てられなかった。
実を言えば、現在僕が好きな事というのもステレオタイプに当て嵌める事でどうにか続いている。そうでなければ何もしたくなくなる程に自分に自信が無く、活力が沸いてこない。だからこそ今進んでいる道が正しいのか分からない。だが、更に頑張って行けば後から振り返って正しかったと思えるだろうという自信はある。これは今気付いた。
自分の無力さと、自分がいかに自分を追い詰めたかを実感している。日々の中に救いがない。あらゆる場面で自分の中に広がりが無いのを感じる。全ては自分のせいである。焦りだけが空滑りして実が伴わない。常に不安と戦っている。
誰か助けて
ここ数ヶ月ほど、余暇の過ごし方が投げやりになっている。疲労を嫌うあまり家に引きこもり、パソコンの前で決まったウェブサイトを延々巡回するといったことが、極めて多いのだ。無論、情報は右から左へ受け流されていく。
もっと活動的にならないことには、ただ時間を無駄にしているようにも思われる。だが、義務感に駆られて無理やり生き甲斐めいたものをひねり出すというのは、いかにも不健全ではないか。そんなもっともらしい理由づけをしたところで、思考は停止するのである。向こう何十年と、現状維持の週末を送ることになるかもしれないというのに。
かつては趣味と呼べるものがあったが、それらもいつの間にやら霧消してしまった。そもそも根気というものが備わっていなかったのかもしれない。
例えばカツカツに節約した生活をして65歳で今後死ぬまで働かなくていい貯金がたまったとする。
その頃には体力も落ちて気力も無くて性欲なんてもってのほか。
それって楽しいの?って思う。
所詮人生なんて死ぬまでの暇つぶしなんだから、どうせだったら体力ややる気のある若いうちに無理してでも楽しんだ方がいいと思う。
何かと貯金だ資産運用だって騒ぐけど、明日車にひかれたら人生終了しちゃうんだから今を楽しんだ方がいいと思うんだよね。
今の楽しい時間に使うお金を、老後の生活のお金に換えるのなんて勿体ない。
若いうちに3万円使って楽しく遊べたとして、その3万円を老後回して同じように使っても全く楽しくないと思う。
というか3万円を使って遊ぶっていう気力が無いと思う。
振込詐欺で大金失ってる人見ると本当にかわいそうになってくる。
その人らは老後の心配いらないようなお金を貯める事を生き甲斐に生きて来たはずだから。
でも逆に若い時にお金を使って色んな体験をしてれば騙される事も無かったのかなとも思う。
そもそも何かあった時の為に貯金しておくべきとか言っても、その何かで自分が死んじゃったら全く意味ないでしょ。
アホみたいに節約して貯金してる人を見るとかわいそうになってくる。
金は使わないと金じゃないって事を早く気が付いた方がいい。
アルコール依存、薬物依存、性犯罪、暴力事件、窃盗、借金を繰り返す男子。
将来の計画が立てられず、短気ですぐカッとなり、すぐバレる嘘をつく。
安全や健康を軽視しており、すぐ怪我をしたりさせたり、物を壊す。
「つらい」「さびしい」「むなしい」と、ネガティブな感情を常にアピールしている哀れな男子。
好きになると相手の長所しか見えなくなり、拒絶されると相手の短所しか見えなくなる。
助けて欲しそうな態度を取り、誰も助けてくれないとスネる。
繊細で自己犠牲的な発言が多いが、最優先しているのは保身。女の腐ったような奴と言われるタイプ。
派手なことをして注目を浴びるために生まれてきた男子。初対面の人間にもフレンドリー。
有名人・権力者との人脈を羨まれることと、外見の性的魅力を褒められることが好き。
なんでも大げさに語る。人の感情に影響を受けやすく、影響を与えるのが上手い。
他人を無条件に見下す資格を持って産まれてきた、すごすぎる男子。
すごすぎる存在なので、他人と同じように扱われると不当だと感じて、不機嫌になる。
偉そうな割に実績は無く、他人のプライドを無意味に傷つけるのが生き甲斐。
一見タフで勤勉、責任感のある仕事人だが、秩序が乱れると発狂する脆弱性を抱えた男子。
秩序を維持するために生きているので、何のための秩序なのか考えたことが無い。