はてなキーワード: 唐突とは
ここ数日のxevra御大へのバッシングに本当に心を痛めている信者の一人だ。
御大を崇め奉る信者として、その心境を率直に語りたい。以下は教義のPRです。
どこにでもある、ありふれた話だ。
そんな自分がまた社会に復帰できるようになったのは、運瞑睡野のおかげだと間違いなく確信している。
仕事に全力投球するのはもちろんいい事だが、しかし同時に自分の体も脳も心も、休めるべき時には全力で休める。
ヘトヘトに疲れているのにオフタイムに運動なんて勘弁してくれよと思うかもしれないが、これが驚くほど効果がある。
運動すると妙に気分がよくなり、くよくよ悩んでいた事がバカらしくなってくる。
肉体を意図的に疲れさせる事で、逆に肉体が頑張らねば!と元気が湧き出てくる。
瞑想もいい。
過去の嫌な経験や、やり直したい事について延々考えてしまう負の思考ループ、鬱病はこうした反芻思考に陥る病気である。
あるがままの自分の状態を見つめる。浮かんできた感情を客観的に眺める。
負の思考ループに陥りそうになったら瞑想していた事を思い出す。心を鎮めて、また自分を見つめる作業に戻る。
瞑想については色々なやり方があるから、各自に向いた実践方法を探すといいと思う。
書く作業に飽きてきたので省略するが、これらは全て自分を癒し、いたわり、
また明日から元気に楽しく日々を送る上で非常に有用なライフハックなのだ。
瞑想はまだデータ不足ではあるが、運動と睡眠、野菜の効果については科学的なエビデンスも多い。
オカルトと思うかもしれないが、何より自分自身、本当に効果があると実感している。プラセボでも効果があるなら上々だ。
もちろん御大に思う部分もある。野菜は350gでは足りないと思うし、もっと全体の栄養バランスについて考えるべきだと思うし、最適な運動量の考え方についても自分とは違う。
だがそれでいい。運瞑睡野をどう実践するかは各々考え、自分のライフスタイルに落とし込む作業が必須だ。
自分はブラック企業でうまく立ち回れず、大脳が壊れたメンヘルになってしまった。
当然至らない部分があったのは自分の未熟さ故だ。
だが、自分のような大脳の壊れたメンヘルを量産するようなブラック企業、歪な社会構造、
立場の弱い小作人が一方的に搾取されるような権力者中心のビジネスモデルは、
果たして看過されていいものだろうか?大脳の壊れたメンヘルの末路を、自己責任で終わらせていいものだろうか?
いきなり名指しで、上から目線で批判されたら反発するのが人情というものだろう。
だが、御大の日本や社会への批判は、大脳の壊れたメンヘルをこれ以上生み出すなという強いメッセージ性が根底にある。
メンヘルに陥りかけている人間に手を差し伸べている。おせっかいと言われようとも目の届く範囲でも救いたいという意思を感じる。
それが、大脳が壊れてメンヘルになってから知った、世界。自分が一度挫折していなかったら決してそうは思わなかっただろう。
だから罵詈雑言を浴びながらも手を差し伸べ、メンヘルを生み出す社会構造をひたすら批判する御大の事が好き。
正確には、自殺か他殺か事故かわからないが、状況的に見て自殺じゃないかという状態。
遺体の損傷が酷かったそうで、顔を見せてもらえなかった。
葬式の帰りに3人組の残りの1人と話した。
3人とも卒業後はすぐに働き始めた。
友人は働きながら進学
連絡がないのはそれぞれ忙しいからだろうと思ってたし
実際そんなことでもなければ卒業からの1年間、顔も合わせなかった。
亡くなった友人は、後から入ってきた情報を総合するに、色々な問題に直面していたようだった。
勤労学生の友人と2人で、せめて話してくれたらよかったのになあ、と言い合った。
それにしても、知らないところで消えてしまうのは悲しいと思ったのだ。
いじめといってもハブくぐらい(〇〇菌みたいな話は聞いたが)で、彼が中心だったわけでもなく、周りがやってたから同調しただけのような。
どちらも覚えていないのだろうと思っていた。
わざわざ言うことでもないかと思ったので、誰にも話さなかったし、その時は彼と彼女には接点がなかった。
でも、私は彼女に、彼に片思いしていることを話したことがあったはずだ。
どうして相談してくれなかったんだろう?と、思い出した時に
ああ。
私がばかだった。
いじめたほうは忘れるかもしれないけど
…忘れたふりするかもしれない。
優しくて、くそまじめで、不器用な彼女ならそうしたかもしれない。
相談、出来るわけないよね。
まとめ:
クソ要素が強すぎるアニメはそれはそれで面白い→人間の脳はマイナス方向の刺激を反転させてプラス方向に解釈できるのでは?
面白い部分とクソな部分がはっきり切り分けにくい作品だとプラスマイナスの反転部分を見出しにくくて見づらい。
つまり→視聴者に優しいアニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすいアニメ」なのではなかろうか?
思いっきりクソな要素は笑える。
面白い部分もあるけど、駄目な所は本当に駄目なアニメは面白さとクソさの混ざり具合で評価が大きく変わる。
面白い部分とつまらない部分が切り分けやすい作品だと(脚本はいいが作画は崩壊している等)、面白い部分はそのまま楽しんで、つまらない部分はギャグとして楽しめる。
面白さとクソさが複雑に混ざり合っていて切り分けが難しいと、プラマイが打ち消し合って楽しめない。
つまり理想的には、強烈に面白いアニメ、強烈に酷いアニメのどちらかに触れているのが視聴者に愛されるアニメとなるのだ。
さて、ここで疑問点が生まれる。
面白さの波は小さいがクソな部分が少ないアニメはそれはそれで面白く人気があるのは何故なのか。
とにかく揺れ幅が大きいほど良いのなら、プラスにもマイナスにも幅が小さい作品はどうなるのか、である。
それは、アニメ視聴用の脳回路は整流回路だけでなく増幅回路も備えているからだ。
小さな波が続くのならば、それを増幅してやればいい。
まったりとしたアニメを見る時はそのまったりに心の有り様を合わせればいい。
そしてそこに、まったりアニメで鬱展開が嫌悪される理由がある。
もし心を繊細に緩やかにしてやってくる刺激を増幅している時に鬱展開が唐突にやって来ればどうなるか。
わずかなプラスの揺らぎを感じるために調整した脳に、強烈な負の揺らぎが飛び込んでくるのである。
出社の時間が近づいてきたので急いで結論をまとめる(増田にも下書き機能があればいいのに)。
視聴者に良い(優しい)アニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすいアニメ」なのではなかろうか。
だが、前もって予告されていたのならば視聴者は頭の中にその為の回路を用意し、もしも作品の流れが急変したらそちらにすぐ切り替えるための回路も用意できる。
たとえばまどか☆マギカは初期から不穏な空気が流れていたし、けものフレンズはセルリアンとの戦いを何度も繰り返していた。
これらのアニメは一見玄人向けに見えて、実際はかなりマイルドでユーザーフレンドリーなのだ。
では、ユーザーに優しくないアニメとはどんな作品なのだろうか?
それを口にするといわゆる「アンチと信者の聖戦」が始まるので今回はそこには触れないでおこう。
おわり
唐突ではありますが11/23にパシフィコ横浜で開催されたMX祭 Vol.1「ARSMAGNA SPECIAL X'mas LIVE ~Several Winter Story~」に行ってきました。
いえ、参戦してきました。
きっかけは数年前他ジャンルにて知り合ったフォロワーさんの押しに負けて
…すいません言い方が悪かったですね。
フォロワーさんからの熱いお誘いを受けて行かせていただきました。
実は前々から行ってみたいなぁタツキくんかわいいな~~~とは思っていたのですが、私自身ジャニーズ大好き遠征ピーポーでしてなかなか予定が空いている月がありませんでした。
しかし今回は偶然にも何の現場もなく、場所は横浜、初現場としてはハードルの低い場所!
有難くお誘いを受けることにしたのです。
はてさて、アルスマグナとはなんぞや。
そこらへんの詳しい設定(設定っていうと怒られることもあるらしいけど他になんて言い方すりゃいいか知らんから突き通す)は公式サイト(アルスマグナ 公式サイト 九瓏ノ主学園)だったり読んでもらえれば分かると思います。
私も深くまではまだわかりません。
ただ、にわかの私がにわかのみなさんに伝えられるのは「とある学園の男の子たちと先生(とぬいぐるみ)」って思っとけばとりあえず大丈夫だと思います。
というわけで、初めてアルスマグナのライブに行ってみた感想を備忘録程度に箇条書きしていきたいと思います。
~物販~
・FC会員はAとBに分けられてそれぞれの時間に買う。それ以外は一般枠で買う。
→FCのA枠の時間帯から物販眺めていたけど、混雑改善のための組み分けの意味を成していないような…
物販出口付近で溜まっていたファンの方々は出口からまた会場内に入っていったりしていたので、そりゃ結局ロビー内の混雑は解消されていないよね。
スタッフの人数が少ないから裁ききれない→グッズが何があるか大きなボードなのに表示していれば事前に何を買うか、いくら用意しておけばいいかが分かるので会計の時間短縮になるよね。これはジャニ方式。
そもそも物販への案内が不自然。パシフィコ着いてもどこで物販を行っているか案内表示がないため分からない。
~入場~
・S席とA席に分かれての列形成
→列形成下手くそすぎる~~~!!!柵もなにもないところで折り返し作っても、早く入りたい気持ちでどんどん折り返し距離短くなるのなんてわかってることでしょう!?!??
スタッフも最後尾に一人は少なすぎる。どれだけファンへ厚い信頼を置いているんだ。
→ここはスムーズ。問題なし。むしろジャニーズにも見習ってほしいくらいスムーズでした。
(ただ何にでも言えることだけどデジチケってさみしいよね。私紙チケ保管したい人だからさ。)
~ライブ~
・オープニング
→会場後方から登場。座席中央通路でパクがおしりフリフリしてて可愛かった。近くで見るタツキが可愛すぎて死ぬかと思った。
・ひみつをちょーだい
→アルスマグナの曲で一番好きな曲だったから単純に嬉しかったしテンション上がった。
落ちサビ「最後聞いて恋のひみつ~」が大好きなのでもう普通に泣きそうになった。
・ボカロメドレー
→おねシンのタツキたまに雄の顔しててしんどかった。腰ぬけるかと思った。あとポジが0ズレで双眼鏡の中でずっと目が合ってた。好き。
ぴんこすてぃっく(?)のときにパクがしてた顔が面白すぎた。はわわ~~~みたいな顔してた。(は?)
・MC
→自己紹介の一人終わるごとに「アキラーーー!!!」って名前呼ぶシステムに驚いた。
→タツキがいちいち舌足らずでかわいい
→アキラ「そろそろ俺行かなきゃ!」時計を見る仕草 タツキ「時計もないし予定もないでしょ。ボッチマス。」 突然の辛辣
→パク「それじゃ俺はヒュードロンします!」くるくる回りながら退場かわいい
ここのMCの一人ずつ捌けるスタイルはもうちょっと改善した方がいい気がする。可愛いけどグダグダ感否めない。どうせダンサーさんがいるんだから一通りMCしたあとinterでも入れてダンサーと入れ替わりながら抜けていけば自然では?
・アキラ
→席が中央より左寄りだったからか左のスピーカーの音の悪さが気になる。
→タツキのキーが安定してなくてオケのハモと合ってなくてちょっと気持ちわるい。
・泉兄弟
→最初のダンサーさんの舞踏会パート、なんでクリスマスなのにベネチアンマスクのようなものつけているんだろう。ハロウィンっぽさ出てる。
→泉のピアノなぜグランドピアノじゃない。なぜ。一気にチープさ出てる。当て弾きだと思うけど譜面で隠すくらいなら舞台装飾上段にピアノ置いて、もうちょっと情緒的に弾き真似させてもよかったんじゃ?あれじゃ近くの席の人には見えてるよね。
→なんで手袋外してるのか初見にはわかりにくい。以前の舞台のストーリーの続き?
→それにしたって泉のビジュ強い。踊ってるときの指先が好きすぎる。
・パク
→花占い「へいわ~へいわじゃない~」いや、花でけぇよ!!いつおわるん!?!?!
・タツキ
→ずttttttttttttttttttっと舌足らず。可愛い。七面鳥狩り#とは。
→夢路が好きすぎるからタイムリープしてピューロお茶会に行きたい。
→正直泣いた。コンちゃん「これで僕がぬいぐるみの時もずっとそばにいれるでしょ」泣いた。ちなみにライブ終わりに設定集読んでさらに泣いた。
→二人とも歌うまい~~。後半転調したところはキー甘いかな~~~。
・心わーるど
→そーきゃん(?)みたいな合いの手の時に兵隊さんの帽子を叩くタツキが可愛すぎた。
・先生
→なにがおきているの
・みかんじゅく
→え、好き
→え、好き
→青春アミーゴじゃんこれ。え、好き
→私のメモにはすごく大きな字で「揺るぎないシンメ感」と書いてあります。現場からは以上です。
・恋の容量∞
→ワイ「おっけー。抱いて。」
ちょっとこのあとからメモが消えているので覚えているところあげると
・新曲好きな感じです
・曲と曲の間のファンからの声がすごい。会話しようとしてるの?そういうのアリなの?私的にはアリエナイ。
全体的なイメージとしては申し訳ない「初見には難しいグループ」ってイメージでした。
私はなんとなく設定やらは知っていたけどそれでも今までの現場に入っていないと、情報追っていないと分からないような設定が盛り込まれすぎててちょっと置いてけぼり感はあったかな。
ただ、ダンスのレベルはやっぱりすごい~~。ずっと動画で見てきたけど生で汗かきながら踊っているところ見ると感じ方がこうも違うかって衝撃。
いや論破っつーか「頬の紅潮は性的興奮の記号以外ありえない」みたいなこと言い出したからでしょ。
そこ突っ込まれたら唐突に「目がとろんとしてる」とか新しい基準を持ち出してきただけじゃん。
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「私、お父さんのこと好きなのよ」
母はあまりそう言うことを口にする人ではなかった為、私は内心とても驚いた。
「知ってるけど」
「そうなの?」
「そうじゃなきゃ、私が生まれてないでしょ」
「ああ~それもそうなんだけどね。お父さん、絶対に私のこと見つけてくれるの」
「どういうこと」
「はぐれた時とか、私が写ってる集合写真を見た時とか、真っ先に見つけてくれるのよ。大したことじゃないかもしれないけど、それが凄く嬉しくて」
「それは嬉しいでしょ」
「見つけてもらって嬉しいのは私の方なのに、お父さんの方が嬉しそうな顔してるの。笑っちゃうでしょ」
それを「幸せ」と言うんじゃないだろうか。
「言えばいいのに」
「誰に」
「お父さんに」
「ええ~それは無理」
「酷い。明日にでも言いなって」
「考えておく」
空になったコップを持ち、台所に向かった母の背を見ながら「絶対に喜ぶよ」と声をかけた。
「わかったわよ~」
しかたなさそうに声を上げる母の声を聞きながら、直接言えたら最高なのになとひとり思う。
仏壇の前で手を合わせながら幸せそうに微笑む母の姿を見て、父も幸せそうな顔をしてくれたらいい。
──お似合いだよ
笑っちゃうくらい、お似合いだよ。
うちの親、いわゆる毒親。
学校でいじめられたりもあって、引きこもったりメンタルクリニック通ったりする中で、カウンセリングにも通ってた。
その中でだんだん、うちの親に苦しめられている自覚が出てきて、カウンセラーさんにぶちまけたかったけど、「親」と言うことが、何か禁忌に触れるようで、先生にさえ言えず、当時は毒親なんて言葉もなかったから、苦しさと罪悪感で一杯だった。
子ども頃、何かで怒られたとき、「バカだからお遊戯でトライアングルなんて任されるんだ」とか、今思うと意味の分からない罵倒に大泣きした。
小学校に上がれば、博物館へ行くのに無理矢理スカートをはけと怒られ、はかないなら博物館へ連れていかないとまで言われた。
どうしても嫌で下にキュロットはいてたけど、それも許されず、その日に撮った写真は全て仏頂面の苦い思い出。
まだある。
高校にあがり、寒くなったら去年のお気に入りのダッフルコートを着ればいいかと思ってたある日、帰ってきた途端鬼のような顔で「ダッフルコートなんて子どものコートを着るな!買ってきたこれを着ろ!」と怒られたりもした。
全くもって意味が分からず、戸惑いつつも反抗した。不安になって、翌日友達に確認したのを覚えている。
引きこもりのときも、「自分のペースでやればいい」と言いながら、唐突に痺れ切らして激しく責め立てられて否定され、その度にどん底に落とされた。
誕生日迎えた途端、昨日とは別人のように大人になれたら誰も苦労なんてしないのに。当時はそんなことにすら気づけず、ただただ自分でも自分をダメな人間だと否定していた。
そして私には兄がいる。
他の人に指摘されて気づいたけれど、母は考え方が古くて長兄を溺愛し、本人も「母親はみんな冬彦さんを育ててるんだ」とさえ公言した。
私が初めてもらった自転車はお古で、兄は新品だった。
中学生くらいまで、ずっと親と喧嘩になる度に兄をエコヒイキしている、と反抗していた。
そしていつも、私はヒステリーを起こしていた。
病院で働いてるとき、感染症の病気をもらってしまい、偏見と少ない知識で不安に苛まれているときに「私(母)と兄はどうなるんだ!」と責め立てられたこともある。
泣きながら病気について調べ、発症しなければ感染もないことなどをメールで送ったら、三日後にケロッとした顔で「私(母)も兄もそんなの(病気)気にしないし」と言われた事が忘れられない。
かなり経ってから上記の言葉は傷ついたと伝えたら「だってそのときは本当にそう思った」と悪びれた様子もなく返事をされて、私の中で何かが壊れた。
いつも頼んでないことを自分でしては「○○してあげたのに」と見返りを求めてきたし、ただコンビニに買い物行くのにさえ「あんたも行くら行くけど」とよっかかってきて気持ち悪かった。
やっと新しいカウンセラーさんと出合い、それでも親との関係が私の考え方にかなり影響しているの気づいてもらうのに、一年以上掛かった。
それでも、20年ぶりにバッサリ短くした髪を、親が真似て同じようにずっと長かった髪を同じ長さに切ったときの嫌悪感は分かってもらえていない。
親とは家庭内別居みたいになって、一切口もきかず、自分の生活は自分で面倒を見出してから、私はヒステリーを起こさなくなった。
いつも感情に嵐を起こしていたのは、親と関わるからだと気づいた。
あの、スイッチが入ったように訳もなく急に込み上げてくる怒り。
自信のなさからブラック企業ばかり選んでお金貯めるどころではない、ギリギリの生活ばかりしてた。
ようやく、最近まともな仕事に就いたので、ここで踏ん張って家を出ようとしている。
何度も同じことを、わからせようと無駄な努力を重ねてしまったのは、長年の憤り、親に対する分かってくれるかも知れないと言う僅かな期待があったと思う。
今はただ冷静に、スルーする力を身に付け、全力で逃げようと思う。
料理店で金を払うとき、それは何に対する等価交換か、ちゃんと考えたことはあるだろうか。
ほとんどの人は料理や飲み物だと答えると思うし、その認識が別に間違っているってわけじゃない。
だが、この世には様々な価値がある。
俺たちは目の前の単純な価値に気がいって、それらを漠然と享受しがちだ。
その状態の俺たちは、いったい何を値踏みしているのだろうか。
「マスダ、話は変わるけどさ、週末は一緒にランチでもどう? 僕の奢りで」
クラスメートの何気ない誘いだが、俺がその誘いをいぶかしく思うのには理由があった。
タイナイは、俺の知り合いの中で最もリアルとネットが地続きの人間だ。
当然、その言動も紐付いている。
俺はその強固な繋がりを見て、いずれパソコンと融合するんじゃないかと、あらぬ心配をしたこともあった。
そんなタイナイからリアルでの誘いがあるということは、つまり“そういうこと”だ。
遊びの延長線上にランチがあるのではなく、それをわざわざ用事に挙げ、奢りを強調。
しかも昼飯休憩中という、未来の食事予定なんて考える気のない、間の悪いときに。
ここまで懸案要素の材料が揃っていれば、何か裏があると考えるのは当然のことだ。
「タイナイ、お前とはそこそこ長い。ただランチのために誘うような人間ではないことは知っている。明確な目的があるなら、ちゃんと説明しろ。ましてや俺を巻き込むのならな」
「うーん、隠し事はできないか。といっても、わざわざ言うほどのことでもないんだけどね」
「それはお前が決めることじゃない」
「分かったよ。ほら、これが小目的さ」
「それを参考にして店を選ぶってことか?」
「ちょっと違うかな。参考にするんじゃなくて、参考にさせる側さ。僕はこのサイトのレビュアーなんだ。こう見えて、そこそこ知名度ある方なんだよ」
俺から見れば大して意外でもないので何が『こう見えて』なのかは分からないが、話が少しずつ見えてきた。
「今回は複数人で利用したケースでレビューを書こうと思ってね」
「それで俺を誘ったと」
「確かマスダは飲食店でバイト経験あっただろ。その視点から意見が欲しいんだ」
「なるほどな。まあ、お前が奢ってくれるのなら文句はないさ」
「よし、決まりだ。あ、そうそう、出来れば弟くんも誘っておいてくれ。子供目線での意見が欲しい」
このときの俺は、単にタダ飯を食らえる程度にしか考えていなかった。
ロクに分かっちゃいなかったんだ。
同じ世界にいても、俺とタイナイが見えている世界は、同じようで実は違うということに。