はてなキーワード: 同窓とは
Fラン大卒のせいか、卒業以降マルチにハマる同窓生がそこそこいる。
この10数年で包丁やら化粧品やらサプリやらの勧誘を何度か受けてきたけど、最近の仮想通貨のマルチってなんなんだ。
内容としては、
①コインチェックやビットフライヤーとは異なり、人が作業するのではないDexで利益を出す
③Dexはシンガポールや台湾のエンジニアがコントロールしている(人いるじゃん)
④もうすぐ日本でも登録を受けて一般的にリリースされる(マルチに入らなくても買えるという意味らしい)ため、高い利率を見込める購入権が買えるのは今だけ
細かな差はあれど、共通するのはこんなところだった。
詳しくはこれに載ってるよ!と渡してきた書類に特定商取引法37条の文字があるにも関わらず、
マルチじゃん、と言うと「違うよ!そういう怪しいのじゃないよ!」というまさかのお返事。
4人目の時は興味本位でセミナーに出る約束をしてしまったが、面倒なので飛ぼうと思う。
かろうじて生きてるゼミのLINEで名前出して注意喚起しといたけど、「それ私もやってる!怪しいのじゃないよ💦」などという返信がついてきた。
余談だが、勧誘してきた4人とその返信をした1人あわせて5人中4人が大学時代に遊ぶ金欲しさにキャバ嬢やってた女なので、私の夜職への偏見は深まるばかりである。
LINE内での私の発言には泣いている絵文字のリアクションがいくつも押され、地銀に就職したかつてのゼミ長が県警の詐欺注意喚起ページを無言でアップする流れで終わっているが、グループ内の友人3人からは自分も勧誘を受けたがスルーした&関わらない方が良いという個別LINEをもらった。
わざわざごめんね。
まあなんか経済的成功が人生の成功である、みたいなのはある意味わかる気もするけどそれだけじゃダメだよなっていうのもわかる。
衣食住にそこまで困らず命を脅かされる危険がなく、誰かに必要とされていて、つらくない仕事を持っているっていうこの三つが満たされれば
そこから考えると女性でも男性でも無理なく安定して仕事ができる社会っていうのがわりかし社会幸福に結びつくんだろなと。
つまりあんまり生産性を落とすのも社会全体が貧しくなっちゃうとそれはそれで困るけど
女性もできるように仕事のやり方を変えていくことは男性をも助けるんじゃあないかっては思う。まあそれは余談だけど。
話を戻すけど、弱者男性が被っている「経済だけじゃなくて社会的な差別的扱い」ってなんだろうか。
容姿のことであるならばそれは性別に限ったことでもないし、「オタサーの王子」というものも存在すると思う。料理教室とか。
女性は下方婚しない問題もあれ、大体の人は同じ収入帯の中で結婚するっていう統計を見ました。
つまり同じような収入クラスタの中で男女が(体力差なのかフェミニズム案件なのか理由はそれぞれだと思うけど)上下に分かれてるからそうなるわけで
そのクラスタを飛び越えたシンデレラ婚みたいなものはほんの一部だそうです。
まあ学校の同窓とか職場とか、あるいは遊び場も同じような収入の人が集まるわけで、おおかたそういうところで知り合うんだから当然そうなるのはなんかわかる。
(あっ…つまり男性看護師が増えればあるいは…っていうような話だったりする…?)
って考えれば考えるほど、じゃあ弱者男性とは何を不当に差別されている人のことを指すのか?っていうのがますますわかんなくなっちゃうんだよな…
まあそういうことを研究する学問がないこと自体が差別であるっていうことも言えるんじゃないかとは思うけど。
ないよね?あるけど知られてないだけ?知られてないことも差別であるとも言えるね?
詳しい人その辺わかりますか。
文通相手を探していたところ、1914年(大正3年)に出版された少女向け雑誌『處女』(処女の旧字)を発見した。
この雑誌は大正時代の少女が読者投稿を行うものであり、文通相手の募集も紙面で行われていたのだ。
しかし文通を出そうにも紙面に住所を書いている少女たちはもうほとんどが死んでいるので、しかたなく1914年『處女』9月号に掲載されていた投書を読んでいたところ、ある女性が「女にもてない夫を持つた私の感想」というものを投稿していた。
最初は単なる愚痴かと思ったが、読み込むうちになんかなんだか気分が落ち込んでしまった。
とりあえず書き起こすことにする。
私がこの家に嫁いでからもう今年でちょうど5年になります。夢のように過ぎた5年の間には可成(かなり)色々な事がありましたが、楽しいことも悲しい事もみな断片のことであって、私の心に根深く止まっているというようなものは殆どなかったのです。
根本の気に染まない所へ嫁いだということは、いくら考えても私自身ではどうすることも出来ないものと、目をつぶって諦めておりました。
まったく迂闊なようですが、自己ということや、結婚、愛情などということについて考え始めたのはつい近頃のことなのです。
ぼんやりと無心なうちにまかせてきた今までの私が嫌に感じたことを申してみますと、今なお続いている夫の道楽ということでしょう。
しかし私がそれを嫌に感じるというのは、世間普通の人のする嫉妬という意味では無く、道楽をしている独りよがりの夫が、いかにも気の毒に思われるからなのです。
夫が遊びだしたということに私が気づいたのは、嫁いでから2年ばかり後のことでした。あるいは以前から遊んでいたのかもしれませんが、私があまり注意して見なかったせいか気がつきませんでした。
世間にもままある物質上から、余儀なく家庭の犠牲になったというような嫌な性質のもとに嫁いだ私は、夫に対してまるで愛情はありませんでした。
したがって、家庭というものがいかにも潤いのない、しぱしぱした、無趣味なもののように感じられて、新婚当時だれしもが味合うような、スウイートな気分は味わずにしまいました。
そんなわけで、私が夫に対して執着心がないから、夫が道楽をしても冷静な態度を持って客観することができたのかもしれません。
夫が私をもらった動機というのは、ある場所で初めて私に会ったとき、どこが気に入ったのかということを、非常な熱望を持って親たちに申し込んだのです。そうして学位も何もない夫は、金の地力をもって私をめとったのでした。
しかし趣味もない粗暴な性質の夫の愛は一時的のものであって、年の経つにつれて平凡な形がつまらなくなり、少しずつ花柳(かりゅう。現代でいうとキャバクラか)の巷に恋をあさるようになりました。
しかし女房にさえ愛されない男が、浮気な社会のひとたちに、どうしてもてましょう?
いつも無駄にお金を使うばかりで、心から充実した気分になったことはないようです。ときどき、可成(かなり)のぼせていることもあるようですが、いつも相手に反応がないので結局は失望に終わっているのです。
そしてお金があるという点からかもしれませんが、なかなか望みが高く、中やそれ以下の女は気に入らないで、いつも名の売れた、ずいぶん良い方の席にも出るような女にばかり目をつけているのです。
そういう女が、どうして生半可な財産家等を相手にするのでしょう?
もてるどころか、口をかけて一寸でも顔を出してくれれば上の部なのです。
まして、風彩の上がらない、青白い顔をした、顔の狭い痩せた、女性のような型の人、神経質でこせこせと、待合の女中らでさえ困るほど細かいことに気がついて、そのくせあまり思い切りのよくない、ほとんど振られる男の資格を完全に備えているような人が、どうして女にもてましょう?
しかし割合に罪がないとでもいうのでしょうか、芸者らが誰に対しても使うような、有りふれた常套語をさも自分にばかり殊別(格別)に言われたように、欣々然(いかにもうれしそうに)としているのです。
そして私が女の話や待合(芸者と遊ぶところ)の話をされても平気でいるものですから、すべて私に話してしまいます。
先日も例の如くお酒くさくなって帰ってきて
「おい、後龍(※)が俺の顔を見て、非常に良い毛だと言っていたよ」
(※おそらく当時、日本一の美女と言われた芸者・萬龍であると推測できる)
と言う。私はそれを聞いて赤くなってしまいました。
なるほど主人の顔の毛はいいに違いありませんが、頭の鉢の割合にバカに毛ばかり沢山あるので、ぴったりとくっつかず、ちょうど30年ばかり前、いまだに髪を分け始めた頃の人のような妙な格好をしているのです。
人の悪い芸者が皮肉に冷やかしたのだと思うと、喜んでいる正直な夫の顔が、ほんとうに気の毒に見えます。
また道楽する人には似合わず、自慢そうに女房を連れて歩くのが好きなのです。
芸者らが見て、そういうことは鼻つまみなことだと知っているのか知らないのか、私を着飾らしては、芝居だのカツフエー等に連れて回ります。
そしてときおり知った顔の芸者たちが挨拶をしますと、いかにも得意そうなのです(私に対しても)。
それも男の虚栄心の一つかもしれませんが、側から見てもあまりいいものではありません。
いつでしたか、夫に連れられて芝居に参りました時、二、三人の一流どころの綺麗首がきていて、夫に向かって挨拶をしたが、すこし夫が横を向いた時、三人で首をすくめて、嫌な笑いを漏らしていました。
ふとその態度が目に入った私は、思わずカッとなって夫のそばを離れてしまいました。そして並んで芝居を見ているのがたまらなく嫌でした。
だいたい、夫にはちっとも友人というものがいないのです。ある私立の専門学校を出たのですが、同窓の人とか、気のあった友達というものはほとんどありません。
こう友達などが少ないというのも、つまり夫があまりにもわがままで、そして神経質な利己主義な人を毛嫌いする癖があるから、どうしても誰と交際しても長続きがしないのでしょう。
男に嫌われる人は、やはり女にも愛されません。
ただし金銭の前には何物も無い花柳社会のことですから、夫の背後に光っている黄金の前に、いつどんな悪どい手段を講ずるものができるかもしれません。私は胸に企みのあるような者は、夫のために近づけるほかないと思っております。
夫とはぜんぜん趣味も性格も合わないし、また夫として手頼る(たよる)にたるような敬慕すべき人格のある人とは思われないから、1人で食べてさえ行かれれば、そっちを望んでいるのです。
しかし私は今すぐここを出なければならないほど自分に差し迫った事情もないし、また今出てはずいぶん惨めな暮らしをしなければなりませんから、こうして安全に生活の保証を得ているうちに出来るだけ自分を修養し、いついかなる境遇の変化に遭遇しても狼狽えず、静かに自分の希望に向かって實行(じっこう)出来るように準備をしようと思っております。
それですから、とにかく今まで同棲した夫のために、また一度名乗った●●家のために、物質ということを抜きにして、心から夫を愛するような女を、夫のために欲しいと思っております。
しかし近頃は以前に比べると遊び方も円熟して来たし、物質によって得た愛情は長続きしない虚偽なものであるということを覚えてきたようですから、早晩気にいるような間違いのない、實(じつ)のある女を得られるであろうと喜ばしく思っています。
(終)
女性を試すとかなんとかって話だけどさ
何年かぶりにそんな話した記憶もない同窓生から「少人数で同窓会しようぜ!」って連絡来て参加したら鳥貴族でさ
「飲み放題食べ放題つけないからな!個別会計だよ!」とかされたら嫌じゃん
端使い悪いとか、クチャラーとか、食べ物撮る態度とか、そういうのわかって良いと思う
一人3000円も出せば全然そういうとこあるしサイゼと変わらんくね?
(ってあれか、サイゼって普通一人頭4000円とか食わないのかな)
金渋るならチェーンじゃないコーヒー屋だな
ざわざわしすぎてないってのはマスト
何を飲むか、どんなスタイルで飲むか、サブにどんなフード頼むのか、店員への態度、飲食後の仕草まで見れるから案外色々見るポイント多いよ
千円くらいでサイゼより安上がり
学生時代に同じ大学の中で相手を見つけておくべき、という意見もあるが、結構難しいのよね
田舎の旧帝だけど、保守的な土地柄もあって女子のある程度の割合がワンナイトでもいいからって感じで、捨て身で相手探してたのが印象的で馴染めなくて病んでしまったのを思い出した
マチアプ登場以前の話しかつ、その時代だと高学歴女子はある種の化け物扱いで貰い手がないみたいな感じだったというのもあった
女子がワンナイト覚悟で突撃してくるから、男も無駄に偉そうだし、女子を見下してるししんどかった
高校まではそんなことはなかったから、大学と高校でこんな違いがあるのか当時は受け入れられなかった
自分の音をどう稼ぎに変えるかを専門的に教えてくれそうな学校って、ヴァイオリンとかのクラシック系の楽器向けにはなさそうなのが残念。
エレキやベース、ドラム、キーボードといったポピュラー系の楽器だと、完全プロ志向の専門学校はあるっぽいんだけど。
ちなみにクラシック音楽系専門学校の世界最高峰はジュリアードとかコンセルヴァトワールとか、ああいうのね。
「音大があるじゃないか」というけど、音大はあくまでUniversityであってCollegeではないので、そんな就職予備校まがいのことを求めるのは根本的にお門違い。
実際、ほぼ全ての有名どころの音大はソリスト志向で表現を高めることに特化していて、卒業した後でどう食うかは自分で考えろって立場でしょ。
同時に、卒業生全員がソリストで食えるわけじゃないというか、ほとんどがアンサンブルメンバーや指導者として食いつないでいる現状があると。
このギャップにより、音大は今も昔も数年に一度レベルの天才を除けば「入るまでも少なからず大変、でも出た後はもっと大変」とか「お金持ちのお嬢様の嫁入り道具にしかなってない」とか揶揄されるわけで。
もちろん同窓・同門のつながりで仕事を貰う、人脈という意味で有名な音大を出るメリットは計り知れないと思う。
でも逆に言えばそれくらいしか、音楽で食っていく目的で音大に行くメリットがなさそうなのがなんとも。
あとは芸大の別科か桐朋のソリストディプロマがあるくらいだけど、これはもうガチソリスト志向の中の、本当に上手い人じゃないと入れないので、それ以外の音楽のお仕事に対応しているとは言い難い。
まあ別に音大がUniversityであることを堅持して潰れようが知ったことではないけど、もう少しソリスト志向以外にも対応した、Collegeになるような学校があってもいいのでは?と思ってしまう。
伴奏ピアノとか、オケや室内楽とか、そういう他人との共同作業前提の団体競技はソロとは別の奥深い世界があるというか、それはそれできちんとした教育が必要なわけで。
もしそういう学校でソリストの才能を見出されたとしても、卒業後に音大に中途編入する仕組みがあれば、大きな問題にはならなさそうだし。
増田が高収入なら、仕事関係で知り合った男とか同業者との飲み会とかで結婚相手見つけたら自動的に同等or同等以上の男とマッチングするよね?そうじゃなければ、大学の同窓生とかもまあそこそこの仕事してるはずじゃね?年収1本超えだけど職場が女だけとか、同業者のつながりもにないとかあんまりイメージできない。
婚活市場では、女の年収よりも、若さ可愛さ家事能力+出産意欲とかで価値が決まるんだから、それを持たない増田がそれ以外のとこで勝負するとしたら「話が合う」とか「仕事に対して理解がある」とかになるわけよ。「おもしれー女」枠で庭先取引したほうが高く売れるのに、わざわざ市場に出ていく必要ないよなって思うんだけど、そんなに男がいない職場なの?
世の中は、なんのかのいって格差社会であり、自分のリアルな周囲には自分と同等の人しかいないわけだから、結局リアルな知り合い経由が一番早いと思う。
これは非モテ界隈でも言えることで、年収200万のメンヘラ男でも彼女いたりするじゃん。あれはリアルなメンヘラコミュニティ内で知り合ってるわけよ。結婚相談所なんか行ったら追い払われるよ。
ワイのタイムラインってVtuberの挨拶と配信開始と配信終了とイベント告知とグッズ告知とイラストRTと切り抜きRTくらいしか流れてこないので、SNSって正直そんなおもろいもんじゃないなと思ってたんだけど、今日たまたま同窓生のSNS見せてもらったんだけど、全面上から下まで延々とワクチンがどうした日本政府は人口を減らすための毒を盛ってるがどうだこうだっていうクソ長文章で埋め尽くされててびっくりした。これ本当に同じ日本のSNSか?って思うくらいなにもかもがまったく違った。ワイもVtuberフォロー垢だけじゃなくてもっとなんか無駄に幅広いツイートが流れてくるようなサブ垢作ってみようかな。
「こいつ怒らせたら怖いぞ」と相手に思わせることが抑止力になるからそう育てたいって
まぁ、まぁわからんじゃないけどさ。
昔、Twitterかなんかで「外出する時に肌の見えるところにタトゥーシール貼ったらぶつかりおじさん避けになるw」みたいなのがあったんだけどさ、そりゃ人目に触れるようなところにタトゥー入れるような女にあえてぶつかってくるような奇特なおっさんはほとんどおらんだろうけど、そのタトゥーシールが見えるのってぶつかりおじさんだけじゃないの理解してる?って思ったんだよね。
例えば職場の同僚、親戚、同窓生、マンションの住人、近所の人、子供がいたらママ友。
誰が見てるかわからんところで、シールとはいえタトゥー見せびらかして歩くリスクってそんな想像つかんもんか?「ぶつかりおじさん」から見て「こいつヤバいヤツじゃん」ってなる人間は「ぶつかりおじさんじゃない人」から見ても「こいつヤバいヤツじゃん」って思われるかもしれないって想像つかないものか?
イキってくるやつに対して「こいつ怒らせたら殴られそう」って思われる奴は、イキってこないやつからも同じように敬遠されるんだよな。結局のところ「なんかあったら殴ってくるやつ」って思われるってことなんだから。
俺が中学の時にいじめっこがいじめられっこをガチで切れさせて椅子で頭カチ割られたことがあるんだよ。
少なくない奴が胸がすく思いをしたわけだけど、それはそれとしていじめられっこのほうも「キレたら椅子で頭殴ってくるやつ」ってなって、別にそこからクラスの人気者にもならなかった。普通にこれまで通り関わらんとこって扱いだった。
暴力で押さえつけられる側になるくらいなら、暴力で押さえつける側に育てたいってのは間違ってないとは思うが、そう直接的に書いたらさすがに炎上するか。
ムスリムって戒律に対して厳しくて、こちらもそれに配慮する必要があるってイメージがあるけど
俺が知り合った人たちは、そうでもなかった。もちろん出身地による揺らぎはあるんだろうし、あっちの世界も色々で厳格な人たちも沢山いるんでしょう。
大学院の時の同窓生でトルコから来たって人で、俺がチューター役に任命されて修士を出るまで面倒見てた。
歓迎会を含めて、彼と食事に行く際にはハラールであることに気を配ったし、幸いにして学食にはハラール認定された料理もあるので概ね問題はなかった。
ただ、日本人である俺はいつもって訳にもいかんので、たまには「今日は酒も飲むしハラームだから、着いてくるのは無理だよー」って断る事もしばしばあった。
1年ほどしたある日、他の学生と二郎系食おうぜって話になって出かける際に「一緒に行きたい」というので、「今日は豚食べるからダメだよーごめんねー」って答えると
「日本にいる間は神様も見てません。」と言って着いてきて、こっちは怖くなって「やめとけやめとけ」と言うのに食べるからビックリ仰天した。
それ以来、いつもではないけれど時折着いてくる事はあった。酒類など、こちらから勧めたことは一度もないが、本人の中では折り合い付けてたまには禁を破ってたように思う。
会社に入って海外からやってきたシク教徒がいた。半年間の出張の予定だった。
彼らは基本ベジタリアンなので、一緒にメシ食ったり飲みに行くってのは難しいだろうと思って、その旨は初めから伝えてあった。
教義は最大限尊重したい、日本ではサラダ一つ食べるにしても、動物性の油脂を使ってないものが珍しいし保証も出来ない。
また、日本人が食事をとる際に肉を食べないってことは考えられないので、着いてこなくていいです。交流の機会は別途用意します。
って感じだよね。
でも、彼もある日飲み会についてきて、おでんの牛すじ煮込みを食べてた。やっぱり「日本にいる間は神様は許してくれる」と彼も言っていた。
彼は俺が知り合った時には既に日本に住んで長くて、学生時代も含めたら5年ほどになるってことだった。
「最初は頑張ってましたけど、日本にいる間は仕事の為にも無理だから、神様ごめんって心の中で謝ってます。だから大丈夫」
イスラム教徒とかって厳格かと思ったら「頑張ってクルアーン守ろうと思ったけど、無理やった。ほんまごめん」で済むらしいというのが俺の理解。
宗教の為なら人殺せるなんて発想は、こういうゆるーい感じで信仰持ってる人たちからは出てこないと思える。
だからって、日本人から、どうせ破ってもいいんだろ?って誘うのはNGだし無礼だと思う、出来る範囲で最大限尊重してあげるべきだけど
彼らも人間だから、日本に住みながら食文化を体験する機会を全否定までは出来ないってことでしょうね。
インテリ層は、そこそこ柔軟なんじゃないかと思う。自分の中で勝手に折り合いをつけてる人ばかりだった。
同窓生でわろた。キャンパスですれ違ったことくらいはあるかもしれない。
増田と俺の違いは、理系だったこと、「一人になりたいから」ではなくやりたいから勉強をしていたこと、大学学部生の時代に「周りとの違い」を感じ取れるほどの精神的発達をしていなかったこと、あたりか。俺もサークルもバイトも全然上手くやれなかったしもちろん大学卒業まで童貞だったけど、勉強は楽しくやっていた。紆余曲折はあったけど今もその延長で専門職として働いている。
自分の将来に興味がなさすぎたというのは全く同じで、今でも正直興味がない。だから将来ではなくその場その場で興味のある対象に向けて仕事をして生きている。将来に興味が湧かないので今興味があるものを犠牲にして子供を持とうとは思えなかった。仕事は意欲的にやっているが、まあまあ死にたいのは昔からずっと変わらない。
大手総合商社サラリーマンの胸揉み痴漢動画と個人情報流出の件、
「嫁が痴漢風俗で働いて賠償しろ」だの、なぜか家族に攻撃が向かうの全く意味がわからん。
妻子は被害者だろ。特に子供が一番の被害者だと思う。父親のあんな行為の存在、最悪すぎるだろ。
根拠もないのに「セックスレスだったせいで夫の性欲が暴走したに違いない」とか、とにかく嫁有責にしようとする連中もいるし。
3人子供を産んで育てて、このうえに何を求めるって言うんだよ。
あとエリート男への同情が先立って、「エリートと結婚して乗っかってる上方婚主婦」へのヘイト剥き出しにする層もいるけど、
大学同窓だから婚活女とかじゃなく同格婚だし、奥さんの高校の偏差値72だったぞ。
偏差値72ってことは、女はイージーモード論でなぜか痴漢の奥さんを攻撃しているクソ底辺男よりも、勉強頑張ってきたんじゃねえの。