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はてなキーワード: パチンコとは

2019-09-26

知人のパチプロ

といっても社会的信用のために地元中小企業正社員もやってるが。そこは手取り15万とか。給料は激安だが、仕事は楽で残業もほぼない、みたいなところ。

そんで仕事終わってパチンコ行くらしい。家はパチンコで建てたってさ。単にぱちんこ中毒なだけじゃ?って思うけど、あの会社給料じゃあの家は建たないだろうからマジでパチプロなんだろうなあと思って見てる。

もう台メーカーが散々やってんだろ

演出や音で如何に嵌めるかって研究

ダイナムパチンコ中毒の基礎研究をやる

2019-09-23

anond:20190922235526

喋らなくていい仕事したら?

首都圏なら看板持って立ってるだけの仕事とかあるよ。この先駐車場混雑してます、みたいなやつ。パチンコとかでもある。

面接ほとんどないし、何なら手話でもいい。

2019-09-22

酒に危険ドラッグ()って名前付ければ犯罪は激減するよ

アル・カポネ成功してしまったのは、あの時代に酒に勝る現実逃避方法がなかったからだ。

でも今の時代は違う。

インターネットパチンコという全く別の麻薬がある。

から大丈夫

2019-09-19

anond:20190919171246

エフェクトが派手なことをパチンコって表現するってめちゃくちゃパチンカス感あっていいな

普通はそんな事おもいもよらないわ

エフェクトが派手なゲームを「パチンコwww」とかいって馬鹿にするガイジがおるんやが、映画とかも派手なほうが人気が出るって分からんあたり脳みそついてないんやろうな

地味な人生でなんの人気もない阿呆から派手を馬鹿にするのだろう

2019-09-16

低学歴の世界外圧・内圧の思い出

昔、田舎公立小学校(といっても地方中枢都市クラス住宅地だが)にいたことがある。

そこで授業参観理科の授業をやることになったのだが、俺は当時からちょっと浮いていて、

まあありていに言えば「少し変な奴」認定を受けていた。



そんな俺だったが、理科社会の授業はほとんど授業は真面目に聞いていなかったがなぜか成績はよかった。

俺は張り切って親にいいところを見せたくて、

先生の「シリンダーを押し込むと、スポンジが外に飛び出ました。なぜですか?」という質問に手を挙げて、

シリンダーが押し込まれたので内圧が上がり、外圧より高くなったからです」と、元気よく答えた。


そのとたん、教室爆笑に包まれた。


どうやらここは、授業で習った通りに『シリンダーの中の空気が押し込まれたから』と答えるべきだったらしい。


俺はなぜ笑われているのかわからなかった。小学生である同級生が、俺のことを笑うのはまだわかる。

だが、授業参観に来ている親のほとんども「何を言っているんだこの子は、バカなんだな」という顔で笑っているのだ!

なぜ笑うのか、まったく分らなかったが、結果としてその日から俺は「少し変な奴」から「バカ」保護者公認格下げされ、

いじめを受けることになった。

今ならなぜ笑われたかわかる。保護者ほとんども俺が言っていることが何となく理解できなかったのだ。

少数の仲のよかった(彼らも異分子扱いだった)友達は笑わなかった。その親もだ。

後で知ったが、仲の良かった友達の親は、大学職員行政書士パチンコ"メーカー"勤務など、

いわゆる高学歴の世界人間だった。

対してあざけりの表情をしていたのは───まあ、土地から察されるだろう。

彼らは、中学受験をして地元コミュニティから去っていった。

そして俺もある時点で地元中学から去ることになる。

もうすでに地元の"おな小"、"おな中"コミュニティとは10年縁切りだ。

大学の時は「大卒以外は人間とは思ってはいけない」などという傲慢な考えにとらわれたこともあった。

社会に出て、高卒でも俺より知識技能もあるおじさんに揉まれて、

一概に括れるものではないということも分かった。

だが、たまに。

時々思ってしまうのだ。俺の心の中の安全弁が壊れて圧力が上がった時。

低学歴の世界の住人は救えない。関わってはいけない。住む世界の違う生き物なんだ」と。

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

人生をどうにかすることが不可能になった

年齢と学歴と気力と能力と熱意が足りない。

人生をどうにかするのに必要ものが全部足りない。

この人生で出来ることは現実逃避とか、政権批判とか、そういった無意味だけど何かを変えようとしていると錯覚できることぐらいだ。

パチンコ屋や競馬場で死んだ目をしながらも人生の逆転のために自分たちは動いてると思い込もうと頑張っているクズ達の仲間になるしかないんだ。

思えば、この人生が好きだと思ったことなんて一度もなかったし、友達のことが好きで友達を作ったことも一度もなかった。

ゲームだとかテレビ番組だとかの「共通友達」があって、その話が出来るからつながっていただけの「友達友達しかいなかった。

親や親戚が自分相手をしてくれるのは、血の繋がりがあるからだし、会社の同僚が話しかけてくれるのはいざというときに助け合うための土台作りでしか無い。

この人生には何も無さすぎる。

どうにかしようとインターネット書籍の中に答えを見出そうとしても、Sier業界に引きずり込んで人に手枷足枷をはめて一束いくらで売り込もうとしてる奴らの甘言しか見つからなかった。

自分にはもう自分人生を変えることは出来ないし、そんな人間に手をかそうとする人間もいない。

親に相談しても「人生は辛いからひとまず今の仕事をダラダラ続けて会社倒産したらそのあと考えればいい」と他人事のようなことを言う。

とてもつらい。

好きなものはない。

映画だとか、ラジオだとか、ドライブだとか、そういったものが好きなのは結局ソレに浸っている間は現実から目を逸らせるからだと気づいてからもう楽しめなくなった。

やっていることがドラッグ中毒者と何も変わらないんだ。

日中酒を飲んで自分が酒浸りのクズであることすら忘れようとするアル中病人と全く何も違わないんだ。

それに気づいてしまったら、もう現実逃避を楽しむことは出来ない。

だけど現実を変えるようなエネルギーは湧いてこない。

ちょっとした小細工をするのが精一杯で、それすらもギャンブルしかない。

かけちがえたボタンを正しい位置に戻した所で、ボロ布が降ろしたてのビロードに変わることはないのと同じだ。

この人生を変える方法はもうなくて、終わらせる方法ですら不確実なんだ。

終わりだ。

人生ゲームなら私はとっくの昔に負けていて、それでもダラダラとゲームを続けていて、それすらも駒を動かす場所がなくなってもうすぐ終わるんだ。

2019-09-15

パチンコ屋でバイトを始めた

社員よりも店長よりも長く勤めてる意識高いバイトがうざすぎる

髪色が明るいだの横髪をピンで止めろだの一瞬でも真顔になるなだのいちいちインカムで言ってきやがって

インカムの声キンキンしててうるせーんだよババア

たかパチンコ屋でなにをそんなに意識高く居られるのかが謎

いやなんもあたらんよりはいいけどやっぱりギフト券があたってほしいわけよ

みわからんノートとかドレッシングとかしょうじきいらんわけよ

ないよりましれべるでしかない

かねよこせってはなしよね

そう考えるとTwitter公認こじき場所になってるのがすんげー不思議だわ

パチンコ三店方式みたいなもんか

2019-09-14

anond:20190914220647

貧困層というか低収入のひとって安定した企業就職先してるの?

uberメルカリパチンコ屋で儲けられなくなるよりも

そういうとこで働いて給料未払いになったり潰れる可能性の方がずっと高いと思うけど

2019-09-13

anond:20190913023543

ワイは友人どころか知り合いも片手で数えるほどしかいなくてパチンコ経験はないやで

ワイの世界は狭いわ

anond:20190913021532

こっちは逆に友人どころか知り合いにもパチンコ経験者なんて1人もいないし、世界は広いなあ

なんでみんなパチンコとかスロットやるん

そろそろ内定も得て大学卒業意識していくかんじのシーズンになったんだけど、ここ最近ずっと考えてることがあって増田に聞きたいので書いてる

タイトルの通りなんだけど、なんでみんなパチンコとかスロットをやるんだろうな〜って

あくまで誰かを否定したいとか、そういう商売否定したいとかではないんだけど

でも個人的身の回り人間で爆発的に増えているのは客観的に見て何かしらあるんだろうなって思うんだよね

自分は親父がそういうギャンブル人間(一応優秀な人だったと聞いているが家庭崩壊しかけている)なので、あんまり良い印象が持てないでいる

当然?かはわかんないけど、それと同じ趣味を持った人間が増えているのを見ると「なんだかなあ〜」とは感じてしま

で、大学の知り合いだけならいいんだがTwitterで知り合った同期の人たちも軒並みでやり始めているんだよな

一体何が起きてるのか本当にわからない 完全に流行に乗れなかったみたいでちょっと恥ずかしさすら感じる

個人的にやることはまず無いだろうと考えているんだけど、それでも「なんでみんなハマるんかね」っていう問いの答えは知りたいよねって感じはある

なので、もし同期の増田とかが居たら「どういうきっかけでやってるのか、そもそも身内でギャンブル?にハマった人がいるのかどうか」とか教えてくれたら嬉しいな

2019-09-12

anond:20160601034356

お金をもらってもそれをパチンコ風俗で使いそう。なんかイヤだ。

KKOに数億渡してセックスワーカーが潤うなら、セックスワーカー差別是正にも繋がるんじゃない?知らんけど。

2019-09-11

anond:20190911013801

というか女に生まれ漫画とかゲームかに人生やすのってもったいないとか思わないのかね?

男の場合仮に漫画アニメゲームと関わらなかったとしても、どうせ他にやる事なんてパチンコ競馬か、まあ要するに漫画アニメゲームと同レベルの娯楽しかない、クソつまらない人生を強いられているので、漫画アニメゲームに逃げ込むのは分かるんだが、せっかく女に生まれたのなら、もっと人生楽しめばいいのにと思うの。

2019-09-10

anond:20190910121340

真のヒモは何もしないぞ。

パチンコパチスロに行って金をせびり

無ければ殴ったりするぞ。

2019-09-09

anond:20190909103200

それ別にパチンコ以外でもよくある話じゃ…

初版限定でおまけに外伝つけてどこにも再収録しないとか

anond:20190908174755

パチンコ化嫌う理由の一つとしては、新規エピソードをCRのみで展開して版権の難しさから円盤化しないとか使い捨てられるってことあると思う。

2019-09-04

anond:20190904135424

FUJI★7GIRLsフジ-セブン-ガールズ】

活動期間:2012.5~2015.3

パチンコ製造メーカー藤商事」が自社製品PRするために結成した。

メンバーは全員プラチナムプロダクションアイドル構成

鈴木咲黒沢美怜桜子馬越幸子矢野清香沢口けいこ横川ユカで結成。

2013年6月、藤香が加入。

2013年8月、藤香が脱退か。

2013年11月所属事務所公式HPメンバー全員が撮影中の事故により芸能活動を休止するとの告知が掲載された。詳細について触れられていなかったが、その後の藤商事HP声明報道などからメンバーパチンコ台で流れる動画撮影中、セメントを頭からかぶるなどの演出を行っており、生のセメントに直に接触したことによる皮膚炎を発症したとみられる。問題のシーンでは、罰ゲームで用いる泥が調達できず、スタッフセメント代用したらしい。

事態が公になった直後、公式HPが削除された。

2013年12月事故から活動を再開。

2014年3月鈴木咲横川ユカ卒業

2014年4月小田あさ美加藤遥が加入。

2015年3月活動終了。

鈴木咲事務所を変えて活動中。

黒沢美怜事務所を変えて活動中。恵比寿★マスカッツ3期生メンバー

桜子活動中。Prediaのメンバー

馬越幸子小倉優子の夫と不倫して契約解除。

矢野清香2015年9月芸能界引退

沢口けいこ活動中。Prediaのメンバー

横川ユカ2019年3月に「横川ユカ」名義での活動を終了。芸能活動継続

小田あさ美活動中。

加藤遥…2017年結婚して引退

わりと生き残ってるな。

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