はてなキーワード: にしんとは
友人の私に対する態度が段々としんどくなってきた。
「グッズくそダサくてまじで無理」
という突拍子もないLINEは意味がわからなくて後から聞いたら
「(今度行こうと思ってたアーティストのライブの)グッズ(が)くそダサくて(せっかく楽しみにしてたのに)まじで無理(だから一緒に怒ってほしいし話を聞いてほしい)」
という文脈だったが、私はそのライブを観に行こうとしていたことすら知らなければ、そのアーティストが好きだったことも知らない。そういうことが多々ある。
ごめんなんの話?と1日に1回は必ず聞くし、私がツイッターで通知を付けているほど好きな声優さんが呟けば毎回「更新来たね」とLINEが来る。そうだねとしか言いようがない。
どこどこに行きたい一緒に行こうと言う割には計画せず、計画したかと思えば結局はこちらが全て手配することになるし、場所がわからない場合も私といればグーグルマップすら開かない。
そしてパクリ魔なので私のツイートは結構な頻度でパクられる。私がLINEで送ったこともさも自分が思ったことのようにツイートされる。その度になんとも言えない気持ちになる。
私はあなたとは別の人格で、知らないこともあるし価値観も違う赤の他人であるという話をしたこともあったが、「私にとって増田ちゃんはお姉さんでありお母さんでもあるからついつい甘えちゃうんだ」と言い切ったので、多分この先もこういう関係なんだろうと思う。
距離感が近すぎるし俺日記並みにしんどい。彼女はきっとそういうのが許される恵まれた環境で育ったのかもしれないけど、私はもう少し他人とはドライでありたい。
メンタルがどうにも不安定で、医療のお世話になるべきではないかと悩みながら実行できずにいる。
ネットでは本当にちょっとした事で「精神科か心療内科に行け」とコメントが付けられているけど、みんな本当にそんな簡単にメンタルの病院へ行っているものなのか。
その程度で行って怒られない? だってさあ…みたいな事考えてるだけで、胸がざわざわして正直泣きたい。
こんな風に悩みながらも一応生きてはいるので、それなら大丈夫じゃないか、別に平気なんじゃないかと誤魔化しているけど、時々「やっぱり変だな、無理だ、生きていけない」ってなるし、普通の人ができているらしい事が明らかに無理なので、多分普通ではないんだと思う。
でもそれって甘えじゃないのか。
こういう事が相談できる人でもいればよかったのに、そういう人が全くいない。
医者も怖い。
無理。
そんなにしんどい思いして予約して行くのに、「何でもないのになんで来たの、プッ」とかならないの?
病院へかかっている人は「病院へ行く」という決断と行動ができた人なんだな、凄いな…と思いながら、今日も行動できずにいるけど、病院へかかった人はどの程度でその決断が出来たんだろう。
鬱だと「体が動かなくなって」とか聞くけど、そういうのではないし。
弊社はバリッバリにバレンタインにチョコ配る風習のある会社で、女性社員は部門内外問わずお世話になった男性社員や女性社員同士でチョコを配る。えら〜い人もおたか〜いチョコを配って参戦するガチな環境。
一方わたぴはその風習に馴染めず、今年はなんだかんだで配らなかった。もらったものにホワイトデーにお返しするだけにした。
強い圧力に負けそうな気持ちになってるけど、もう一度自分がチョコを配りたくない理由を整理し「来年も配らない」という強い意志を持ちたい。
①受け取る側がもらって不満に感じない(喜ばなくてもいい)レベルのチョコを用意する必要があるプレッシャー
②受け取る側も結局面倒だと思う
③甘いもんは苦手なため選ぶことすら苦痛
④いくらホワイトデーでお返しがもらえるといってもどうせ甘い物。お気持ちは嬉しいけど、バレンタインもホワイトデーもなくなればみんなその金で好きな物食える
⑤わたぴは女だけど「女である」ことを主張?するのが嫌い。バレンタインに男性社員にチョコ配るのが思想的にしんどい。媚び売ってるみたいでむり。
やあ。比較的気分がいいからちょっとだけ気持ちの整理も兼ねて日記書くよ。
(ところで、どうして鬱だったり気分沈んでる人が何か行動を起こすと「本当にしんどい人はそんなことできない~」「鬱なら起きれないだろ~」とか言うんだろうね? それはあくまで君の経験や価値観であって、行動した人のそれとは違うものなんじゃないのかな)
この前、って言っても1年以上前なんだけどね、一人暮らししようって思ったんだ。ネットで知り合った人になんとなく家庭の話をしたら「それヤバいから家出た方がいいよ」って。私自身は家族のこと「自分の気に入らないことがあるとすぐキレるし喧嘩の最後はいっつも"もう知らない。勝手にすれば"だけどまあそんなもんだよね」程度にしか思ってなかったからまあビックリ。え、他の家って親の中で子が布団敷く係になっててそれを本人に言うことなくいざ布団が敷かれてないとキレ散らかしたりしないの!? 機嫌がいいときはベタベタに甘やかしてくるくせに少しでも機嫌を損ねると怒ってますアピールしたりしないの!? ねちねち嫌味言われないの!? マジで!?
で、まあ、私は自分の意志がないもんだからその友人たちに言われるがまま部屋も探していざ荷造りするぞ~新生活ワックワクだな! めっちゃ不安だけど! ってなってたら。察しついてるかもしれないけど。大喧嘩しました。そりゃあもう怒鳴るわ怒鳴るわ。怒声が土砂降りみたいに降ってくるの。で、今でも私の頭にこびりついて離れない言葉がこれ。どうぞ。
「保証人は? 保証会社にしたの? ああいうところはね、少しでも家賃払えなくなるとすぐ家追い出されるんだよ! ホームレスになるんだよ。それでね家賃払うために風俗……いやお前なんかソープ行きだよ!」
はい。文字打ち込んでるだけなのに当時の景色と怒鳴る親の顔が鮮明に浮かんできてちょっと落ち込んだ。なんでこういう、嫌な記憶ばっかり残るんだろうね? 中学生のとき自傷してたのがバレて先制に呼び出されたときに「そんなに死にたいのか! じゃあ死ね! そこから飛び降りろ!」って言われたのもまだ覚えてる。応接室のくすんだトロフィーの向こう側に窓があって、先生はそこを顎で指してた。あのとき飛び降りてたら、今こんな思いしなくて済んだのかな。
その後は急に優しくなった親に「どうして一人暮らししたいなんて思ったの?言ってごらん?」なんて言われて、(これDV男が暴力振るった後に優しくなるやつじゃん)って思いながら自分の頭の中必死に整理して絞り出したのが「家族を嫌いになりそうな自分が嫌だったから」。耳が遠い祖父母、キレる母が毎日毎日怒鳴り合って喧嘩して家の中雰囲気最悪でそれが耐えられなくて。でもそんな家族を嫌いだと思うのはなんだか親不孝な気がして許せなかった。だから少しでも距離を置けばなんとかなるんじゃないかって。そう思ったんだけど、やっぱり駄目だったね。ぐしゃぐしゃに泣いてる私をよそに家族は折角契約した引っ越し業者も電気も水道も解約。ごめんね、ピ〇ットハウスのお兄さん。勿論友人たちにも事のあらましを話して、ごめんねって謝ったんだけど、そしたらその人たちもまあ怒る怒る。
「それ洗脳の域だよ」
どうしろと? 洗脳? ちょっとよく分からないです。あなたたちも私が思い通りに動かなくなったら捨てるんですか。そうですかそうですか。どれだけ仲良くしてくれて、なんでも悩みを話せるようになった人でも離れていくんだったら、最初から誰とも関わらない方がいいんじゃないかな。私の中でそう結論が出た。その日から、私は真正面から人を信用できなくなった。絶対に自分の本心を、過去を、知られてはいけない。踏み込んでもいけないし、踏み込まれてもいけない。私はそれでいいんだ。そう思うようになった。
で、現在。今度は別の友人に「一回病院行った方がいい」って言われた。自分でも「あーこのもやもやした何かの正体教えてくれないかな」ってずっと思ってたから、病院行こうかなとは考えてる。でもそこで立ちはだかるのが親。扶養家族って確か保険証使うと親に届く明細書にどの病院行ったかバレるんでしょ? もしどっかの心療内科とか精神科に私が行ったのがバレたとしたら。考えただけで胃がキュッてなる。昨日の夜なんて病院行ったのがバレて「そんなにうちが嫌か! 嫌なら出ていけ!」って首根っこ掴まれて玄関まで引きずられるとこまで想像して泣いたからね。そうそう、こうなったら嫌だなっていうのがやたら鮮明に思い描かれちゃうんだよなあ。この想像力は創作方面で役立てたいのに。いらんとこで発揮されるから困る。
家族に内緒で心療内科行くのってすっごい抵抗あるんだよね。なんだか、育ててもらった恩を仇で返してるみたいな。間接的に「お前らの育て方間違えてますけど」って言ってるみたいで、申し訳なさで潰れそうになる。でも私はこの気持ちの答えが知りたい。
どうしてわけもなく悲しくなって不安になって寂しくなって気付いたら泣いてるのか。
どうしてありもしないことを妄想して怖くなるのか。
何度自分に聞いてみても「分からない」って結論しか出ないんだよ。自分の意志がないから、誰かに教えてもらわないとずっと分からないままな気がして、それはきっとよくないことのように思えるから。どうすれば家族が笑うのかなって考えて自分の体形を馬鹿にしてみたり、わざと幼い子供みたいに振舞ったりすることはできるけど、いざ自分のことになると何にも分からない。何をすればいいのか分からない。もしかして自分は空っぽなんじゃないかってちょっと思った。
窓の外を見たら、すっごくいい天気だった。氷が陽に当たって解けるみたいに、私も溶けて消えれたらいいのにな。さて、寝るか。
効率が悪い。特にやる気のあまり出ないものほど効率が悪く、というよりやる気がないから全然取り掛かることができず結局「できなかった」「やっとかなければ無理だった」という状況になってようやく取り掛からなければという気持ちになり、結果泣きながら徹夜して作業する。ずっとそうやって学ばず生きてきた。今日もそのパターン。今日もきっと徹夜で泣きながら作業する。しんどい。いやどう考えても私が悪いんだけど。
あと家族とか親しい友人の前だとその時の状況とかを考えずずっと脈絡のない話を話し続けてしまう。そんなに喋らなくていいよ、もう時間ないよと言われても、だ。勝手に口が動くし黙ると一気に脳内で色んなどうでもいい思考とか音とかが流れ出してうるさい。脳内を黙らせるために口を動かしているのか、それとも家族とかの前以外では無口だから自分なりの愛情の証なのか分からないけど、とにかく黙りたいのに口が止まってくれない。これもしんどい。
あとはなんだろ、とにかくやる事なす事全て詰めが甘くて裏目に出る。授業の欠席連絡も同期には伝えるのに1番伝えなきゃいけない先生に伝え忘れて軽く迷惑をかけたりとかバ先で掃除やったのにゴミ捨て忘れるとか、そういう些細な失敗の積み重ねが地味にしんどい。そんな人生でしんどい。というか何もしてなくても涙が出る時があるし背中に冷たいもの突っ込まれたみたいなヒヤヒヤした気持ちで生きてるしもうどうしたらいいんだ。精神科には「そういう時期」だって厨二病みたいなこと言われた。そういう時期。ふーん。いつ終わんのそういう時期、一生?
https://note.mu/g_g_g/n/nd1ffa894b0cf
タイトルだけ見たら障害者差別的なものに見えるが、実情は少し異なる。まだの人はとりあえず読んでみて欲しい。
これを読んで自分は「まさに過去の自分そのものだ」と思った。この筆者の気持ちが手に取るように分かった。
自分が学生時代バイトしていた小売店。そこにこのnoteで語られる所の「アスペルガーくん」に非常に近い人物がいた。
彼がアスペルガーだったのか、それともADHDなど他のものだったのか、それともただの「無能な健常者」だったのか、専門家でない自分には判断出来ない。だが彼の挙動が明らかに他の人と異なっていた事だけはあまりにも確かだった。
彼が仕事が出来ない分、バイトリーダーだった自分にツケが回った。彼は寝るとすべてを忘れてしまうので、彼と一緒の時だけ気が付いたら2倍3倍の仕事をしていた。毎回見事に失敗してくれるのでこいつがいなければずっと早く終わるのになと思っていた。
しかもそれだけ面倒を見て泥をかぶっているにも拘らず彼と全く同じ時給なのだ。なんでだよ。
ある日休憩室でパートのマダムたちと話していると、「あの子ってホントに仕事出来ないわよね」「早く辞めないかしら」「なんであいつ首にしないの?」という彼の話題になってしまった。
そのマダムたちは大変陰湿だったので、次第に彼にだけ挨拶をしないとか、そういう事をやり始めた。自分は加担しなかったがそんな感じの軽いいじめみたいな環境になってしまった。
自分には発達障害の友人もいる。だからそういう差別をしたくはなかった。差別をしてはいけないと思っていた。
マダムたちに一言言ってやりたかった正義感もあった。でもどこかにあった「早く辞めてしまえばいいのに」「そうすれば自分も楽になれる」という気持ちに勝てなかった。最低だったと思う。
ああこれが差別なのか。絶対に差別はしちゃだめって思ってたのに。
マダムたちとの板挟み。
でも時給は同じ。
あまりのストレスに彼のシフトの時だけ胃薬を飲んで出かけるようになった。頭も痛かった。店の前に来るといつも吐き気がするようになった。
絶対にやってはいけない事だと分かっていながら「それ聞くの何回目?」という刺々しいセリフが口からでた。
彼は「僕ここの仕事向いてると思うんですよね!ここの正社員になりたい!」と言い始める。休憩室のマダムが「何も仕事出来ないのに無理に決まってんだろ」という愚痴る。
絶対暴言なのに、悪口なのに、どちらかに同意するとしたら後者になってしまう自分がいた。
彼が憎い。
言った事すらやらない彼が憎い。
自分の足を引っ張るだけの数時間で同じ時給を得ている彼が憎い。
また胃薬をもらいに行かなければ、治療費がかさむので彼が憎い。
お前のせいで。
……
で、
ここからが本題。
自分にとって幸いだったのは、ある時この彼への深い憎しみの感情の矛先を別のところへ変えることが出来たことだった。
明らかに彼の挙動がおかしいのにすべてのフォローをパートアルバイトに丸投げする態勢。
そもそもたかがバイトに荷が重すぎる仕事を押し付けるんじゃない。
憎しみの総量は変わらない。でもそう思った途端彼へに向く憎しみ自体は分散され、軽減されるのが分かった。
彼はいつもと同じようにとても遅く・ロボット的に・間違えながら仕事をして、その遅れを自分に押し付けたが、「こいつを自分に任せきりにするこの会社がクソ」という思考に切り替わったので、以前ほど憎らしくはなかった。
よし辞めよう。
辞めた。
私の日常から彼が消えた。同じ町には住んでいたはずだがそれから彼と二度と会うことはなかった。
彼と職場によってすり減った精神状態はみるみるうちに回復し、春に新卒で就職した。人事と社員が密接で、評価システムがキッチリしている所を選んだ。
旧職場については主戦力の一人だった事もあり、私が辞めた後上司に当たるチームリーダー(聖人)の負担が増えた事だけが心配だった。
辞めて半年後、久々にあの店に行くと店員は知らない顔だらけだった。こんな入れ替わりの激しい店じゃなかったはずだった。件の彼は(シフトじゃなかったのか辞めたのかは定かではないが)その時はいなかった。
「今までは全然新人探してくれなかったのに、あなたが辞めた後店長が沢山人を雇ってくれたの。楽になったけどあなたが仕切ってくれないとなんだか締まらないわね。」
チームリーダーは言った。
……
【最後に】
自分が辞めたら職場が回らなくなる・良い人たちにまで自分の分の負担が等の心配もあると思いますが、
そうしたら新人を雇うし、1人で補えないなら数を雇うようなので問題ないと思います。
そんな事より逃げた方がいいと思います。
傷つけたと思います。ごめんなさい。
でも現実実際にこうなってみて本当にしんどくて、「人として優しくするべき」という正義感だけではどうにもなりませんでした。
noteの筆者さんの事も差別主義者とどうか言ってやらないでください。
自分の場合の小売店、noteの場合の飲食店など、客商売は臨機応変さが求められるのでこういう事になりやすいんじゃないかと思います。こうなると本人も苛められるし周りも病むし、誰も幸せになりません。
なので「適材適所」にはちょっとだけ、協力してもらいたいです。
自分の所にいた彼も単純作業はやたら得意だったので、工場とかにいたらきっとスーパースターになったと思います。
勿論行政や企業がこの「適材適所」への支援をするべきだし、そもそも採用担当者が適材を見る目があればこんなことにはならないので、当事者の方に責任を押し付けるものではないのですが。
でもちょっとだけでいいので、協力してもらいたいです。
リアルでは発達障害者と名乗れないので、Twitterで発達障害者をオープンにしたアカウントを作ってみた。
最初は、同じ悩みを抱えている人たちがどうやって生きてるのか話を聞いて参考にしたりしていた。
でも、すぐに辛くなった。
自分の話を一方的に始める人や連絡先をしつこく聞いてくる人、いきなり怒り出す人、常にマイナスな方に受け取る人・・・とにかく疲れるし、まともに話なんかできない。
他にもアカウントを持っているけど、この発達障害アカウントだけがしんどい。
その理由が分かった。
発達障害者を名乗ることで、発達障害者が寄ってくるからだ。自然と発達障害者と関わることが増え、嫌な思いをすることも増える・・・。
自分も発達障害者だけど、自覚している分コミュニケーションには十分注意をしている。
でも、そうじゃない人達もいる。
発達障害者の中には、障害だから治らない!だからありのままを受け入れろ!配慮しろ!と主張する人達がいる。
正直こんな人間と関わりたいとは思わない。
ネットですらこんなにしんどいのだから、現実でも絶対にカミングアウトできない。
発達障害者と関わらないように生きたい。
毎年、暑い夏を迎えるごとに去年の夏はどうやって乗り越えたんだっけ??と思うようにセックスパートナーが途切れるとセックスの相手ってどうやって見つけてたんだっけ??と分からなくなる。
みんなどうしてんだろう。
セックスはしたいけど、どうでもいいやつとすると精神的にしんどくなることは学んでしまったので風俗やらどうでもいいやつとする気にならない。
風俗は金がかかるし、どうでもいいやつとホテルいくにも金がかかるし。
いつの日にかバイトの後輩が「セックスで気持ちいいと思ったことないのは、ほんとに好きな人としたことないからですよ」とのたまったのを思いだす。
ここ一年くらいは好きな相手とできていたと思う。気持ちよかったし。つらい。
正確にはセックスをしたいと思えるほど好きな人が欲しいし、その相手にもそう思っていてほしい。
いなくなってしまって悲しい。
20代女同士の友人である場合、食事・遊びの際の支払いはおそらく大多数が「割り勘」となるだろう。
どちらかの誕生日や何かしらのお礼等のイレギュラーなケースを除けば大体がそうだと思う。
かく言う私も外食であればそうなる。私は酒を飲まないので、のんべぇとの食事であれば飲酒する友人が少し多めに支払うことはあるが、概ね対等・平等・公平だ。
だが、その均衡がどういうわけか狂う場面がひとつだけある。
あまり得意ではない、あるいはまったくしない友人等が自宅に来ると料理を振る舞う。
一人暮らしを始めた当初に「遊びにきて」と私が誘い、以降この“食事会”は3~6ヵ月のペースで、もう5年程開催されている。
このところは友人の誰かが「○○のうちでご飯食べたい」と言い出して開催する流れが多い。(つまり、私が“招待”しているわけではない)
そんななか、彼女等はいつも食事代を支払わない。正確に言えば、最初の数回以降、支払わなくなった。
友人等がやって来る際に私がしていることは以下の通りだ。
・当日朝までに食材の買い出し(人数にもよるが、大体6,000円~9,000円)
・友人の到着までに調理(だいたい4~6品)
・友人等が帰ったあとの片付け
昼にやって来て19時前に帰るのが定番のパターンであり、その間に様々な話をするが、帰る間際になってもそこにいる友人1~3人、誰の口からも「いくらか出すよ」の「い」の字も出ないのだ。
始めの頃は違った。「一律で1人2,000円(3,000円だったかもしれない)お金を出すよ。もし多かったなら次回の資金に回して」と友人みずからルールを決めて数回の食事会を過ごしていた。それが、いつのタイミングからか改定されていたのだ。
食事会に参加していない友人も交えた会話のなかでの彼女(前述のルールを決めた張本人)曰く「デザートは私が買ってくの。それでトントンになるから」とのことなのだ。
たしかに食事会の計画中に「ケーキは私が買ってくね」と宣言し、実際に人数分買ってきてくれるが、「それでトントンにする」とは一言も打ち合わせしていない。
デザートが1人600~700円、3人分なら2,000円ほどになり、なるほど友人は食事会開始当時とおなじ金額を支払っているのだろうが、私は6,000円~9,000円を費やしているのだ。その金額そのものをまったく補えていないではないか。
重ねて言えば、私の超個人的な意見ではあるが、訪問時の手土産はマナーであって「トントンにする」材料ではない。買ってくるように、と指定されたものでなければ勘定に入れるべきではないと考えている。
前回までは改定ルールが適用されていたので、私はつい先日の食事会は以下のようにした。
「トントンにする」材料がない友人等はどうするのだろうか? と半ば試すような気持ちで友人2人を迎えた。
結果……彼女等は、やはり「いくらか出すよ」の「い」の字も出さなかった。
誤解が生まれないように注をつけるが、友人等は決して常識外れではなく、育ちが悪いわけでもない。頭も良いほうだ。
冒頭に書いたとおり外食であれば割り勘であるし、いくらか自分のほうが多く負担すべきと思う場面ではそれを申し出たりもする。
だのに、私の家での食事だけ、どうしてこうなってしまうのだろうか。
私が自発的に「きょうはお金を出さないで」と言ったときがある。友人の誰かの誕生祝いをした際などは祝うべき友人だけでなく皆からも受け取らなかった。
また、私の実家に友人2人(食事会にもっとも来ている)を過去2回招いた際はすべて私と私の両親が持つ「おもてなし」であった。
たった数回ではあるが、それらを経て私から提供されるものがすべて私持ちであると勘違いした?
②ただただ度忘れしている
食事会が始まった当初のルールや、当日にすべき支払いを忘れてしまっている。
私は金銭を請求する等の行為は一切しないので(借金取りのようで卑しく感じるため)、リマインダーもおらず疎かになる。
料理をほとんどしないがゆえにその食事に必要な金額をかなり低く見積もっており、支払う必要もないと感じている。
友人等はアイドルの追っかけや二次創作等、なにかとお金のかかる趣味を持っている。
私の家での食事会は、改定ルール(もはやそれさえ改定されているが)であればどんなお店よりも安く遊べるので“上手に利用している”。
またしても注をつけるが、私は決して友人等からもらえなかった数千円が惜しいわけではない。
そもそも金銭的に厳しければ食事会など開かないし、それなりに資金があるからこそしっかりとした支度をするのだ。
納得ができないのは、
・どんな事情であれ同い年の友人からの“タダ飯”に平気でいること
・それを繰り返すこと
なのだ。
家に遊びに来てくれるのは嬉しい。手製のご飯を「おいしい」と食べてくれるのも嬉しい。「また作って」と言ってもらえるのも嬉しい。
だが、その嬉しさだけではやっていけない。
私が切り出さなければならないのだろうか。どんな理由があるかも分からない(ほとんど分かっているが……)のに、数千円をケチケチと追いかけるような真似をしなければならないのだろうか。
数年前からの不満がとうとう一杯になってしまった。「また作って」の「また」は一生来ないかも知れない。
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9/16追記
たくさんアドバイスをありがとうございます。ずっと抱えていたモヤモヤを吐き出すためアカウントを取得し初めて投稿したので、こんなにお声が返ってきたことに驚いています。
①私がなぜそんなにおもてなしをしているのか
「変なものは出せない」「やるからにはキチンとしよう」という意識からです。
前述のとおり食事会の始めのころは一律の出資額がありました。「一律2,000円(3,000円?)」と決めたのは友人ですので、2,000円出してもらうに相応しいものを継続している、という認識でいます。
「言えばいい」「どうして言わないの?」とたくさんお声をいただきましたが、お金の話はやはり切り出しにくいです。
食事会とは別の場面でも「チケット代○○円だったからね」→「いま細かいお金ないや。後で良い?」→忘れられる、というケース等あります。何度も「ねぇ○○円だよ」「○○円ちょうだい」と言うのは(言ったことはありませんが)ほんとうにしんどいです。
そういった経験から「ひとり○○円ね」と発することにも抵抗を感じます。チケット代等ならまだしも、かつて友人が決めた一律額や私がした買い物の金額となると、よりハードルが高く感じられます。
私が払う立場の際は、たとえば映画のチケットを買っておいてもらった場合、会ってすぐか、席に腰を下ろしてすぐに支払っています。
食事会をするメンバーとは別ですが、友人宅で手作りご飯を頂いたこともあります。その際はケーキを持参しつつ2,000円受け取ってもらいました。自分がお金の請求に苦しむ性分なので、金額が分かっているものはすぐに出す準備をし、分からないものは気持ち多めにして先回りの形を取りがちです。
繰り返しになりますが、もらえなかった数千円そのものが惜しいわけではありません。食事会の半分以上が“タダ飯”なのにいまなお続いているのも、金額そのものが惜しいわけではないからです。
とはいえ、“タダ飯”を平気でする友人に「どうして?」「なぜ?」と疑問が湧いてしまうのも止められません。
③今後について
何か重たい病気、というわけではなく体質の問題なのだが、ものすごく重い貧血と偏頭痛持ちでしんどい。例えば満員電車とか、暑い中長時間外にいるだとか、ちょっと睡眠時間短くなったとか、そんな簡単なことで体調を崩す。病院には勿論通っているし、結構な量の薬を飲んでいるが、症状が多少軽くなるくらいで頻度は変わらないし、軽くなるのも微々たるものだ。すぐに貧血で立っていられなくなったり、頭が痛くて動けなくなったりする。休日の外出どころか学校にすら悪影響が出ているし、友達との約束の当日、体調を崩して行けなくなることも少なくない。死にたい。
それにはっきりとした病名や障害、熱があるわけではないので、人にしんどさを理解してもらえない。初めは優しかったクラスメイトや教師も今では仮病扱いで、親も病院で医者に仕方ないことだと言われるまでは仮病だと何度も叱られた。人間関係も台無しでどうしようもならない。カウンセラーの先生に相談したら、でもあなたにも問題があるよね、と言われた。どうやったら解決できるんだろうか。
それでもどうにかこうにか生きていたのだが、今日、進路についての希望調査を渡されて、自分の将来が終わっていることに気付き、家に着くや否や泣いてしまった。仕事に就けば、今みたいに休むわけにもいかないし、無理矢理動いて倒れれば余計に迷惑だ。間違いなく即クビにされるだろう。それ以前に大学に行けるかもわからない。休みと早退が多い上に、担任に嫌われているせいで内申は恐らくボロボロだ。そもそもこんなに体が弱くて長生きできるはずもない。絶対にろくな将来が待っていない。死にたいな、と思って人に迷惑をかけない自殺の方法を探したけれど、私と似たような体の弱い娘を自殺で亡くした父親のブログに行き当たってダメだった。こんな私でもちゃんと育ててくれている両親だ、これ以上迷惑をかけたくない。
でもどうしたらいいのか分からない。私だってこんな弱い体に生まれたくなかった。アーチェリー続けたかった。でもどうしようもならないじゃん。努力でどうにかなるなら全力でするし、無理して学校にだって行ってるけど、倒れるなら来るな、やるなって言われたらどうしたらいいの?話せる友人ももういないし、親にこんな恨み言言えるわけないし、どうしようもなくない?
夕飯食べるものないし、鼻かみすぎてティッシュも無くなったから
頑張って近所のコンビニまで行ってくるわ
本当にしんどいから帰ってきたら、よく頑張ったね。良い子良い子して欲しいから、
コメントつけといてくれよ
たまに貧困にあえいでいる底辺派遣労働者のニュースがあると、コメントで「なぜ生活保護を申請しないのか?」と不思議に思う方々がいるので、身近でこういった底辺の人を見てきた人間として事情を説明しておきたい。
「なぜ生活保護を申請しないのか?」の問いについては、わかりやすい解については「役所が水際作戦をして生活保護を申請させないから」という声もある。これも嘘ではないのだが、半径10メートル範囲で貧困層を見てきた身としては、「当人たちが生活保護を申請する気がないから」のほうが実情に近い。
もちろん申請できる人もいる。ただこちらが何度か「しばらく生活保護を申請してみては?」と尋ねても苦い顔をしてはぐらかす方も多い。
この背景には「生活保護を申請する際の心的ストレスが想像以上にしんどい」というのがある。底辺の労働環境は肉体的にも金銭的にもキツイが、それ以上に人間関係でもストレスが高い職場が多い。みんな金に余裕がないと気持ちにも余裕がなくなり、底辺労働者はそのストレスのはけ口として最適なのだろう。日頃の職場のストレスで精神的にボロボロな連中に、自分から役所にいって生活保護の申請をするのがどれだけ罰ゲームなのかは簡単に想像できるだろう。役所も良心的なところですらできれば受け付けたくない空気満載で、書類申請の間にも「(生活保護なんかに頼らないで)今の職場を転職すればなんとかなりませんかね?」「ご家族にも連絡しますけど大丈夫ですか?」などと細かい圧力をかけてくる。そしてそれらの圧力に耐えきれずに申請をあきらめてしまうのだ。
こういった精神的にボロボロな底辺労働者が生活保護を申請する最適な方法は、やはり頼れる第3者に同行してもらうことだ。共産党の事務所にいってヘルプしてもらうとか、東京だったらもやいのような貧困支援NPOに相談するなどして、一緒に付き添ってもらうとなんとかなる。
彼らを見ていて思うのが、自力で生活保護を申請するにはある種の開き直りというか、図太さ、精神的逞しさがないと難しいということだ。DV被害にあっている人でも、「そこから逃げる」だけでも膨大な労力が必要で、本当に弱い人は逃げることもできずに暴力を受け続けるのだと聞いたことがある。本当の弱者とは、逃げることもできずに誰かも気づかれることもなく死ぬまで搾取され続ける人生を選ぶ羽目になった人たちなのだ。
ここまで書くと、生活保護の「申請式」をたたく人も多いだろう。ただ日本に限らずに、民主主義の国というのは自分の権利というのは自ら申請しないと実行できないのだ。職場のパワハラも、本来なら控除があるはずの取られすぎた税金も、法律上は受けれるはずの行的サービス(介護とか)も、自分たちが調べて申請しないと憲法で認められた権利を行使することができないのである。人によっては「国が率先して国民の健康や貧困状態をチェックして、申請がなくても行政から助けの手を差し出すべきだ」という意見もあるだろう。ただそのためには膨大な管理コストと、行き過ぎるとそれこそビックブラザー的な巨大な管理社会と変わらない未来がまっているはずだ。
どこでなにを間違えたのか?と考えると、おそらく義務教育だろう。国民はちゃんと義務教育の時点で、労働基準法や生活保護などのセーフティーネットの存在、それらが憲法によって定められた当たり前の権利であること、そしてそれらの権利がせっかく用意されているのに、自分から申請しないと存在しないのと同様になるという事実を、小中学生の時期に頭に叩き込んでおく必要があったのだろう。