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2015-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20151123163943

俺はゲームプレイするときに、操作キャラクター自分を同一視“しない”。

なぜなら、そのように感じられないからだ。

これは一人称ゲームであっても同様で、FPSはそれなりに遊んでいるが、そういう種類の没入感を得られたことは一度もない。

スペースバーを押すだけでおかしな跳び方をし、左クリックをするだけで銃を撃つ、そういう存在自分と同一視するのは難しい。

人型のロボットを操縦し、その機能を駆使し、そのカメラを通して異世界を見る、そういう風に感じられる。

感受性が低いのかもしれないが、『Papers, Please』にはすごく没入できたので、無感動というわけでもないと思う。


前置きが長くなった、FPSの話をしたいわけじゃない。

さて、ではそのようなプレイヤーにとって、ネットゲーム操作キャラクターとは何か。

それは、自分の所有するお人形さんである

すなわち、愛でるものである

したがって、それは必然的に、かわいい女の子とか、セクシー女性とか、フェティッシュ幼女とかになる。

いや、必然的にそうなるかは、好みの問題だ。

部屋に飾るならどういうお人形さんを飾るかという話だ。

だが、少なくとも俺は、ホットトイズジョーカーを買うくらいなら、その金でプレミアのついたエリーンちゃんを買う。

ゆるふわ日常系マンガで見たいのは女の子同士のキャッキャウフフであって、野郎のツラではない。

そういう価値観でもって、お人形さんたる操作キャラクターを選び、キャラメイクをする。

したがって、それは必然的に、かわいい女の子とか、セクシー女性とか、フェティッシュ幼女とかになる。


そのようなキャラクタープレイヤーから託されるものは、「カッコいい俺を見てくれ」ではない。

かわいいかわいいうちの子をどうぞご覧ください」である

そのようなプレイヤーゲーム中で優れたプレイングを行った際に感じることは「俺って上手いでしょ」ではない。

まあそう思う部分もあるが、主としては「こんな可愛くてかつカッコいいキャラを持っていて鼻が高い」である

まり、我々はどちらかと言うと、キャラクターコミュニケートする他者の側から自分キャラ評価している。

そしてその観点から、ある種の所有欲に基づいた満足感を得、それをゲームプレイ上の楽しみのひとつとしているのだ。

言うなれば、そのキャラクターが完全に自律して勝手に動き、喋り、活躍し、所有欲を満たしてくれるのが理想なのである

もちろんゲームである以上、プレイヤーとしてのプレイングの楽しみは、それとは別にあるのだが。

なにそれキモ……と思われるかもしれないが、それを言ったらキャラクター自己投影してカッコつけるのだって相当だ。

それではと「たかゲームに」などと醒めてみても「薄っぺら人間だな」というカウンターを食らうのが目に見えている。

こんなのは単なる価値観の違いでしかないので、不毛な泥の投げ合いはやめようではないか。


さて、ここまではいい。

ここまでは単なる平和平和インナーヴァースの話であり、犬派か猫派かといった程度の問題しかない。

しかし、である

ネットゲームでは、操作キャラクターを介して他者コミュニケーションを取らねばならない。

ここでお人形さん派は、大きな壁に直面することになる。

我々は別に女性を演じたいわけではないのだ。

お人形さんごっこをしたいわけでもない。

それを所有することで満足感を得たいだけだ。

であるので、他者とのコミュニケーションにおいては、たとえそれがキャラクターを介してであろうとも、基本的には“地”でいきたい。

しかしながら、一方でそのキャラクターは、かわいいかわいいマイお人形さんでもあるのだ。

から、狐耳を生やしたつぶらな瞳の幼女が「俺さぁ」とか言うのは、耐えられない。

そういう他人キャラクター見ると、キャラクタープレイヤーの双方に対して「雑だな」と感じる。

我々は自分と同様、他人キャラクターお人形さんであると見做しているからだ。

中におっさんが入っているのはもちろん知っているが、それでも美意識問題で、それはなんか許されない感じがある。

そして先に述べた通り、我々はそのような他者の側から自分キャラクター評価している。

よって、自分お人形さんの愛らしさを損ない、所有欲を傷つけてしまうような真似は避けたい。

結果として、最低限そのキャラクターの口から発せられてもおかしくない、という方向性を、我々は志向する。


プレイヤーとしての“素”と、キャラクターの口調としての妥当性。

この両者が衝突した結果、何が生まれるか。

それがよくある「中性的な口調」である

一人称は「私」で、極めて抑制的で、丁寧な話し方をする、あれである

我々は女性を演じたいわけではないし、なりきりをして遊びたいわけでもない。

そういうのはちょっと気恥ずかしい、という気持ちもある。

そこで、喋らせているのはプレイヤーだが喋っているのはキャラクター、という体を成すため。

そしてまた、お前おっさんだろと突っ込まれても、おっさんが丁寧口調で喋ってるだけですしおすしと避ける逃げ道を作るため。

そのために中性的な口調を用いるのである

まり、これは単純に逃げのための、消極的方策なのだ

我々は女性を演じたいわけではないし、なりきりをして遊びたいわけでもない。

ただ所有欲が損なわれることを回避せんがため、そのようにしているのである


かくして我々は今日も、中性的な口調をタイプし、見境のない直結に絡まれ、まんざらでもない思いをするのである

 
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