2024-07-13

生きづらいがどうしようもない

理由不明だが生きづらい。どうやら自分には死ぬ勇気もないが生き続ける勇気もない。どうしたらいいかからない。

本当は生きていたいのだと思う。しかし生きづらすぎてその望みを叶えるためにあがくのももう疲れてしまった。

自分のことを信用できない。親に日々の家事を何かひとつでもやってくれないかと頼まれた時に自分ときに頼まれたことを毎日遂行出来ると思えなくてその旨を話したら「そんな重い話をするつもりではなかった。忘れてくれ」と言われた。とても情けなかった。親はきっと私に自立してほしかったのだと思う。本当にろくでもない子ども申し訳ない。

他人のことを信用できない。信頼しているはずの友達褒め言葉も、親戚からのあたたか言葉も、私を肯定する言葉は何一つ真実とは思えずにいる。私を褒めたって何も出てこないのにとすら思う。自分自分を信じられないのに、信じてくれる他人すら信じられない。何故かはわからない。悲しい。

自分ことなど誰も見ていなくてどうでもいいと思われている、という考え方をしてしまう。というかこれは事実だと思う。周りの人から忘れられることが多く、誕生日などもスルーされがちで、仕事なども評価されることがない。態度が悪いが可愛い後輩は先輩にちやほやされるが、影の薄い人間の気配りは誰も見ることがない。自分は誰かに見られる力がないのだと思う。他人評価されるためだけに生きているのではないと理解しているつもりだが、自分自分を認めてあげられる力を身につけないまま大人になってしまった人間にとって(仮に真に信じられないとしても)他人から言葉が支えになるかもしれない。でもない。きっと人として可愛くないのだろう。愛される要素がないのだろう。親からも見放され放置されていた。兄弟にも嫌われている。誰からも愛されていない、物すらも自分を嫌っているなどという考えに至ったこともあった。もしそんなことは思い込みで愛されていたとして、その事実をしっかり受け止めて噛み砕いて飲み込んで生きる糧にする能力自分には備わっていないと思う。

生きるのは辛いが死ぬ勇気もなかった。死ねばいいのにと思うだろう。でも無理だった。かといって人並みに生きることも難しい。自分は少しずつでも良くなっていっていると思っていた。そんなことはなくて、何かに元気づけられて頑張ろうと立ち上がって変わろうとしても必ず底辺に戻ってくる。頻繁に繰り返す。社会不適合だ。才能もない、知識もない。上を見てその輝きに手を伸ばしてみても駄目だったし、下を見て自分はまだ恵まれているなどと考えたところで自分の状況は変わらなかった。降り続く雨の量とか強さが違うだけで降ってるもんは降ってた。あっちの方が強いからと思っても濡れる身体は冷えていくばかりだった。

最近は新しい趣味も見つかってそれなりに楽しくやっている気がしていた。でも自分は何も変わっていなかった。ろくでなし無能ポンコツなままのみじめな人間だった。また底辺に戻った。どうせ底辺に戻るなら明るい幻など見たくなかった。もう人生やめたい

  • 今日は歯医者行って来たで。C1のちっせぇ虫歯削っただけやけど、クソ怖かったし痛くて涙目になったわ。早く死にてえなぁとは思うけどその先に行ける気せんわw おーい、国ー?安楽死...

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