はてなキーワード: 矮小化とは
何やらブコメ等でブチ切れている人達も多かったので、彼らの炎上商法を擁護しようと思う。
そもそも冷静に考えてレペゼン地球がセクハラ・パワハラについて矮小化したり、被害者を直接バカにしたりしたわけじゃないからね。
セクハラパワハラは最悪だという前提の上で、嘘でした~ドッキリ大成功としてるだけだ。
誰かを攻撃することを目的とした誹謗中傷・ヘイトスピーチの類とは一線を画している。
ところで、この炎上商法で不快になったり怒ったりしている人が実際に多数いるように、こういった尖った表現は他者を傷つけがちだ。
ただし考えてほしいのが、尖った表現に限らず、ありとあらゆる表現は他者を傷つける可能性がある。裁判官がニュースにコメントしたらその事件の遺族が傷ついたと主張していたな。
だから表現とはそういうものなのだと思う。何かを表現する以上誰かを傷つける可能性は必ずあり、これこそが人間の持つ本質的な加害性と言える。
でもなるべく人を傷つけないように表現に配慮することはできるだろう、という主張がある。
だが、人を傷つける可能性の高い表現を一切許さない社会なんて恐ろしく窮屈で抑圧されたものになると思わないか?
それって人間が生きていると言えるのか?
憲法で保証された表現の自由とは、表現によりあなたが傷ついたり迷惑しても最大限我慢してくださいという表明だと思う。
表現の自由とは、ヒトが人間として言語や芸術を自由に操りながら生きられる保証であり、同時に表現する強者を保護しそれによって被害を受ける弱者を抑圧することでもある……
弱者や迷惑被りたくない人にとって自由は最低なものだ。
ながしま @incubatorN0712
学生に新しい権利を考えてもらったら、「迷惑な人間を罰する権利」「歩きタバコをなくす権利」「選挙に強制的に行く権利」「報道を規制する権利」「外国人移住者にマナーを守らせる権利」といったものが出てきた。他者を規制することで自分が自由になるというイメージだろうか。(-_-;)
レペゼン地球の例の炎上商法ははっきり言って面白い表現の試みだと思う。こういうユニークな表現の行われる可能性が失われるようなことがあってはならないと私は感じてしまうのだ。
セクハラパワハラ被害者が声を上げにくくなる!みたいなのは今回の表現によるあまりに間接的な被害すぎて、当然、保護に値しない。
あらゆる人間の感情を逆撫でしないような表現はできるのかもしれない。しかし別に誰かの感情を傷つけるかもしれない表現をしたっていいし、誰も傷つけない表現にするため角を落とす努力をする必要もない。
ある程度誰かを傷つけ自分も誰かから傷つけられる社会が最も健全だと、私は信じている。
今ちょうどJoJoの5部でそういう展開になってるけど、何でやねん。大魔王バーンとかも。
ボスなんてボッチになったら終わりだろ。
話が安くなるだよそういうの。
この組織は結局ラスボス個人の戦闘力で保ってたのかって印象になる。
引いては、敵の全体像が安くなる。
そんな楽な話があるか。
隕石が降って来るみたいな話なら、隕石壊せば解決するかもしれんが、
相手を暴力で殴り倒して解決するって、不良の喧嘩か。どんだけ問題がシンプルなんだよ。
負けが込んだ野党みたいなんだよ。悪いやつ倒せば何もかも良くなると思ってる辺り。
究めれば「敵のトップ一人を殺せば万事解決」って所まで問題が矮小化する。
・フツーの軍隊が戦争してる所に、フツーの軍隊ではどうにもできない奴が出て来る。
今期の「かつて神だった獣たちへ」を見始めたが、ある部分で停止ボタンを押して続きを見る気を無くしてしまった。
どこだか分かるだろうか?
そう。冒頭2分辺りの、砲撃の嵐の中を白服の連中がシズシズと歩いて来るシーンだ。
あーもう先が分かる。こいつら強いんだろ。砲撃が効かないくらい。
お前ら無理やり歩兵出してリアルっぽく悲惨な戦場を演出してんじゃねえ。
加えて太っている。もちろん美人でもない。
若いころから太っていたので世の中にあふれる性被害は完全に他人事だった。
金曜の夜、楽しい飲み会を終えとても幸せな気分で満員の中央線に乗った。
満員電車は慣れていたが後ろにいる若い男がゴソゴソ動きすぎていてうざかった。
ただ、自分が痴漢の対象になるという頭がなかったので、障害児かなにかだと思っていた。
ペットボトルの水滴かも、と思ったが嫌な予感がして臭いはかぎたくなかった。
持っていた汗拭きシートで下車した駅のトイレで必死でブラウスを拭いた。
男がやたらゴソゴソ動いていた事、一度首筋に ンハーー と息がかかった事
家に帰ったら夫に
「なんか生臭いにおいがしない?」
と言われた。
「痴漢じゃない 勘違い」と思いたかったのに、その夫のことばで確定してしまった気がした。
「飲み会で魚さばいたからね」と言い、すぐに洋服は洗濯し、風呂に入った。
もう40歳だし、おばさんだし、こんなことくらいすぐ忘れるだろうと思ったけど
出来事としては微妙過ぎて夫にも友達にも言うつもりはないので、ここに書く。
犯人の男はひどい目にあってあらゆる苦痛を味わいながら死んでほしいと心から願っている。
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コメントとかブコメとか読んで心がやすまりました。感謝します。元々神経太いのとここに書かせてもらって気持ちの凹みはほぼ無くなったと思う。
生きてきてはじめてこういう場面に遭遇して、駅や警察への通報は全く考えられなかった。一刻も早くこの恥ずかしめを無かった事にしたいという焦りだけだった。
くだらないんだけど、銀行みたいに整理券とる機械かなんかで「痴漢の方(〇人待ち)」みたいなボタン押して窓口に呼ばれて、「今日は痴漢ですか、ではこちらに証拠物を提出ください」くらい事務的に話が進むとやりやすいなーとか想像した。
交番や警察署に行くほどじゃないもん…という、自分に起こってしまったこの恥ずかしい事を矮小化したい気持ちがあるのかもしれない。おばさんに痴漢?とか疑われるのはもちろん、面と向かって同情もされたくなかったし、騒ぐのはみっともないという見栄もあった。限りなくあやしいけどこの液体が糊かなんかだったら赤っ恥だよなという思いもあったし。
とにかく、ここに書いてよかったです。
2014年から今にいたるまでイエメンではずっと内戦をしています。この内戦にはサウジアラビア、UAE、イランが関与しており、現在の中東情勢を理解するためにはこの内戦の概要を掴む必要があります。なのでその話をします。
です。大まかにいって国土の北西地帯をフーシ派が、南部と東部をハディ派が支配しています。イエメンは部族社会という色が濃く、各部族はそれぞれに思惑をもって活動しており、フーシ派にもハディ派にも属さないという地域も増えてきています。
内戦の背景について理解する必要はあまりありません。部族の利害や宗派の違いといったものから発生する、正直いってしまえばよくあるアレです。ではそのよくある内戦がなぜ泥沼化しているのか、そして何故誰も知らない戦争になっているのかを簡単に説明したいと思います。
内戦のきっかけはフーシがイエメンの首都を占拠しクーデターに成功したことです。これにより当時大統領を務めていたハディは首都を追われ、サウジアラビアに亡命しました。サウジアラビアはこれに危機感を抱きました。なぜならサウジアラビアはスンニ派勢力の事実上の盟主であり、イラン以下のシーア派勢力と敵対しているからです。イエメンはサウジアラビアと国境を接しており、ここに親イラン勢力が根を張ることはサウジの安全保証を根本的に脅かすと懸念されたわけです。そして実際その懸念は現実のものになります。
サウジはUAEと連合しハディ元大統領の支援に乗り出します。サウジとUAEは優勢な空軍力を活用しフーシ派から南部の要衝アデンを奪回することに成功します。そしてここにハディ大統領を傀儡として送り込み、フーシ派討伐に乗り出します。これが 2015 年 7 月までの流れ。
しかしサウジの勢いがよかったのはここまでの話で、以後内戦は泥沼化の一途を辿ることになります。泥沼化の理由として以下の要因が挙げられます
まずハディ派やサウジ空軍が弱いという問題についてです。一般にいってアラブの軍隊は非常に弱いのです。それはなぜかというと、クーデターを恐れるあまりにまともな訓練をつめておらず、特に大隊以上の連携の訓練などはろくにおこなわれていません。
例えば、空軍力を適切に発揮するためには地上の部隊との高度な連携が必要です。地上の部隊が空爆の目標地点を捜索し、適切に爆撃機を誘導してやらなければ効果的な爆撃はできません。また、航空偵察の成果を総合的に検討して情勢を判断する高度な情報組織も求められます。そういった高度な機能はサウジ空軍には備わっていません。では、サウジアラビアはこの問題をどのように解決していたかというと、大量の物量を投入して無差別爆撃を繰り返すという方法で解決をしようとしました。これには二つの問題があります。まずは人道上の問題です。実際サウジはこの問題で 2018 年ごろから大きな非難をうけるようになり以後無差別爆撃を封印しています。そしてこちらの方がより実践的な問題なのですが、コストパフォーマンスが極度に悪いという問題があります。いくらサウジが油田をもち金満国家だからといって爆弾をあまりにも大量に無駄弾にしていれば負担になります。あまり知られていないことですが、実際サウジアラビアは中国について世界三位の軍事費支出大国になっています。これは上記のような非効率な作戦が原因で、サウジアラビアの財政は痛みつつあります(そうしたサウジの苦境を悪用しているのが孫正義というわけです)。
ハディ派の弱さについては、元々弱いとかそもそもサウジの傀儡でありそこまでやる気がないとかそういったこともありますが、また別の事情もあります。その別の事情というのは「フーシ派は強い」という問題と裏返しでもあるのです。
それはつまりどういうことか。フーシ派はあくまでも奪う側であり、ハディ派は守る側であるということです。ハディ派はもともとの正統政府ですから、イエメンの国土や財産を防衛する戦いを展開する必要があります。一方フーシ派の根本は地方の小さな民兵組織ですから「守るべき既存のリソースや権益」を持っていません。なので彼等はハディ派と戦うにあたって都市がどれだけ破壊されようが民間人にどれだけ死者がでようが一切考慮することがありません(宗派も違いますし)。こうした姿勢の違いは戦闘力の違いに直結し、地上戦闘でハディ派がフーシ派を圧倒するという局面は初期におけるアデン奪還作戦以外で殆ど見られません。
ハディ派は強いフーシ派を攻撃するにあたって、地元の部族を懐柔しフーシ派を攻撃させるといった戦法をとることがありますが、フーシ派はこうした敵対部族を容赦なく殲滅してしまいます。
また、フーシ派が山岳民族的な性質をもつという点も重要です。一般に山岳民族というのは強いものです。グルカ兵などの事例にもある通りです。また、山岳民族である彼等は平地民との価値観をあまり共有しておらず、そうした点も彼等の強く残酷な戦い方を支えているだろうと思います。
次にUAEの背信という問題についてです。サウジ国内ではこの点がかなり問題視されているようです。UAEは内戦介入開始当初からイエメン侵略を目論んでいました。ハディ派首都のアデンでもUAEの特殊部隊がうろついているだとか、イエメン南部の離島ソコトラ島をUAEが侵略し領土に事実上組み込んでいるといった話があります。UAEのこうした態度は情勢を著しく混乱させ内戦を長引かせる要因になっています。またサウジ内では「UAEが漁夫の利を得るために内戦の泥沼化を積極的に目論んでいる」といった観測もあるようです。
そしてイラン革命防衛隊の介入という問題ですが、上記の通り内戦の初期においてイランと革命防衛隊はあまりイエメン内戦に興味をもっていませんでした。しかしサウジとUAEによる介入が頓挫すると革命防衛隊による介入が本格化しはじめます。すなわち、フーシ派の占領地域を拠点にしてサウジアラビア領土への直接攻撃を企図しはじめたのです。このことの背景を理解するためには、イランの革命防衛隊という組織の成り立ちを理解する必要があります。先述の通りアラブではクーデーターを抑えるために軍を弱くするのが普通の統治法です。これには例外がいくつかあり、たとえばエジプトでは軍が国家を統治しているのでクーデーターの心配は少ないので精強な軍を維持することができています。イランも例外の一つで、イランはかなり独創的な方法でクーデーターを防止しながら軍を強化することに成功しました。それはすなわち
というものです。一つ目の対策については軍の指揮権を天皇に直属させた大日本帝国軍とほぼ同様のものと言えます。故に、日本軍と同様のデメリットが生じることにもなりました。創業の功臣と君主が存命の時代は彼等のバランス感覚によって軍を適切に維持することができたのですが、君主が交代し創業の世代もいなくなると軍を誰も統制できなくなってしまったのです。ようするにホメイニが明治天皇、ハメネイが昭和天皇と理解すればよいわけです。
二つ目の対策について、革命防衛隊をつくるにあたって「イラン防衛ではなくイスラム革命の防衛と革命の輸出」を任務と定めてしまったことが問題になりました。彼等は事実上の外征軍となり、中東各所で怪しげなテロを繰り返す組織になってしまったわけです。さらにタチが悪いのが革命防衛隊が軍の能力を流用し建設会社や物流企業を多数直接経営しているという点です。これにより、彼らは財源や物資の点でも政府への依存が殆どなくなり極めて独立性の高い組織になっています。イラン政府の財源はかなりの部分石油に負っていますから政府は本質的には戦争を回避しようとします。一方建設業により資金を得る革命防衛隊にしてみれば石油産業が停止したところで知った話ではないので積極的に「革命の輸出」を手掛けるというわけです。
こうした性質をもつ革命防衛隊がイエメンに介入を開始すると積極策を採用することになるのは自明のことでした。イエメンに派遣された革命防衛隊はほとんど中央の統制を受けていないと見られており、これは要するに日本軍における関東軍に匹敵します。
こうした情勢のなかでイエメン内戦を象徴する戦いであるホデイダ攻防戦がはじまります。ホデイダはイエメン有数の港湾都市で外部からの物資の輸入をほとんどひきうけています。この都市を占拠することはすなわち外国の物資を全てコントロールするということでフーシ派もハディ派もこの都市の攻防に全力を投入することになります。内戦当初からこの都市はフーシ派が支配しており、ハディ派はサウジアラビアの支援のもとなんとかこの都市を奪還しようと試みました。ホデイダの攻防が本格化したのは 2017 年ごろからで、以後ホデイダは激しい戦火に見舞われ物資の輸入は途絶えイエメンでは難民が大量に発生することになります。
先述のとおりハディ派は弱く、サウジアラビア軍は動くものはなんでも爆撃する式の粗雑な無差別爆撃を加えることでなんとかフーシ派に対抗するといった情勢が続きました。こうしたフーシ派有利の情勢をみたイラン革命防衛隊は2017年末ごろより弾道ミサイルをフーシ派に供与(といっても操作する人員も革命防衛隊から派遣していたことでしょう)しサウジアラビア国土への直接攻撃を開始します。
こうした事態に至って危機感を表わにしたサウジ軍は 2018 年にはいってさらに爆撃を強化しますが成果はあがりません。そして彼らはついに致命的な誤爆事件をおこします。サウジ軍はスクールバスを誤爆し何十人もの子供を死亡させてしまうという事件をおこしてしまったのです。これにはさすがに各国からの非難が止まず以後サウジ軍は爆撃の対象を前線ではなく後方のフーシ派の基地に切り替えることになりますが、これによりホデイダ攻防におけるフーシ派の勝利が事実上確定しました。
2018年末ごろより国連によるホデイダ停戦工作が開始されます。停戦の調停中にも激しい戦闘の応酬が続きますがフーシ派有利という情勢は変化せず、国連の監視団は「フーシ派の勝利」という現状を事実上認める形の停戦を成立させました。これが去年末から今年4月ごろの話。
こうした状況のなかで革命防衛隊はあらゆる手段でサウジアラビア国土への直接攻撃を続けていました。その攻撃の主力となったのが弾道ミサイルとドローンによる空爆です。弾道ミサイルによる空爆はサウジアラビアの首都リヤドにも降り注ぎ100人以上の民間人が犠牲になっていると報じられています。ドローンについては、クアッドコプターのようなものではなくジェットエンジンを積んだ比較的大型の爆撃機で500kg程度の爆弾を積載し 300km の半径を攻撃できるとされています。これによる精密爆撃はイエメン内部でも利用され、ハディ派側の軍幹部がドローン爆撃によって多数殺害されるといった事件も起きています。
そしてホデイダにおけるフーシ派の勝利が確定すると、フーシ派は国連との合意にもとづきホデイダから兵力の引き抜きを開始します。少数の警備兵力を「憲兵」と偽ってホデイダに残置するとフーシ派は主力をサウジアラビア侵攻にふりわけます。これが今年の 4 月から今にかけての話で、フーシ派とイラン革命防衛隊の猛攻をうけてサウジアラビア/イエメン国境の要衝都市ナジュラーンが陥落寸前であると報じられています。またサウジアラビア空爆にあたってあらたに巡航ミサイルによる爆撃も開始され、先日のサウジ南部空港爆撃ではインド人など外国人にも負傷者がでています。
ではこのような酷いことになっている内戦がなぜあまり知られていないかというと、田舎の内戦など誰も興味がないという問題もあるのですが、サウジの劣勢というのもその原因です。というのもサウジアラビアは北朝鮮以上の独裁国家、統制国家なので自国がイラン勢力との戦争で敗北しつつあるという事実を隠蔽しているわけです。「イランの爆撃により100人以上の犠牲者がでている」という事実も最近になってようやくサウジ政府系メディアによって報じられました。以前は「イランのミサイルを迎撃した」だとか「フーシ派に猛爆撃を加えて戦果をあげた」だとかいった威勢のいい情報が散発的に報じられているだけでした。今少しづつですが苦境の真実をサウジアラビア側が報じるようになってきています。それだけ事態の悪化を隠せなくなったということでもあり、また危機感を醸成しようという思惑もあるのでしょう。
更に加えてですがサウジアラビアには「事態をこれ以上大事にしたくない」という思惑があるようにも見えます。現在おきていることは事実上「サウジアラビアとイラン革命防衛隊の総力戦」なのですが、サウジとしてそれを認めてしまうとイラン本土とも戦わなくなければなります。「イエメンのフーシ派という軍閥との小さな戦い」というフレームを維持することでなんとか大事にせずどうにかしてフーシ派だけを倒したいという希望が、事態を矮小化させ報道を管制するインセンティンブになっているように思われます。
サウジのこの失態をみて「イエメンはサウジのベトナム」と評する人もいます。ただベトナムのように「やらなくていい戦争で消耗している」というよりは「強力なイラン革命防衛隊とフーシ派の前になんとか国土を防衛しようとしている」というのが実態としては近いのではないでしょうか。
フラワーデモってのは #性暴力を許さない #WithYou あたりのタグ付けで発信されてる。まあそんな感じ。
私はフェミニズムについて学んでるとか活動してるわけじゃない。若い人多そうだし散歩ついでの軽い興味。
あと今年の東大祝辞を読んで「え~~~!名文~~~~!!!」と感動したから。
デモの流れとしては
19時集合→主催側の用意した人たちのスピーチ→参加者の中でなにか発言したい人がスピーチ、で2時間。
流れは先月分のレポで知ってたのでたくさんの人の話が聞けるならまあ思想が違うこともあるやろとは思っていたけどこの活動の目的とゴールはどこだ。
中之島公会堂ってわかる?
花見シーズンならともかく夜なんかだらだら歩きたいカップルとランニングする人が通るくらい。
デモというからには啓蒙や布教といった内容があるものだと思っていた。それは宗教か。
なんせ世の中に訴えたいことがあるもんだと。
でもスピーチの大半は「過去にこんな性被害・ハラスメントを受けてこんな気持ちでした」という個人体験の披露。
言いたくないがそんな話は散々聞いた。
被害体験を話すのは勇気のいることだろうし涙してしまうような話もあった。
でもここすでにそれ系に関心と憤りがあって来てる前提の奴ばっかやん?
「だからこう活動ができれば」「こう行動をすべき/して」って〆るわけではないんだ…。
被害の慰めや治療に聴衆役として利用されてしまった…という気持ち。
それとも悲しさ辛さを正しく共有できれば結束が強まって活動意欲が上がるんだろうか。
いや、実際に参加してみて私はなにか学びを得られると無意識に期待してたんだなって気付いた。勘違いよくない。19時にいなかったのもたぶんよくなかった。事前に準備されていただろう主催側のスピーチをあまり聞けてない。もちろんフェミニズムに関心がある人たちが上野千鶴子のように話をできるとは思ってない。学びたいなら本を読めばいい。
無関心層への届け方や地域での支援を拡げる活動ではなく体験を共有する活動だった。
まあ勘違いにより自分の期待した話が聞けなかったって愚痴だよ。
「フラワーデモ行った、って人間が身近にいることがなにかの励みになればと思って持ってるSNS全部に今日参加するって書きました」みたいな話してた人もいたので私は増田に書くね。