はてなキーワード: 池袋とは
もっと近くに引っ越したいと思ったり、一人暮らしへのあこがれもあったりで、
社会人2年目になって一度も実家を出たことのなかった23才の僕は初めての一人暮らしに挑戦しようと思っていた。
賃貸サイトで希望条件を入れると、わんさかと出てくる出てくる魅力的な部屋たち。
「もっと良い条件でも出てくるの?もっとしぼっても出ちゃうの?」と、当時ダミー物件などは知らない僕は、厳選を重ねた。
池袋から30分圏内。築10年以内でバストイレ別のフローリング張りが必須条件。6万円以内で。
そんなことも知らない僕は
希望した物件のありかは和光市なのに事務所は池袋にあるという仲介屋で紹介を受けることになった。たしか、CMをやっていて誰でも聞いたことがある系の紹介屋だったと思う。
「今はネットで全国どこの情報も見つかるので、池袋からどの場所の物件もご紹介できますよ」と言われたことを「確かにそうかも?」と思ったことを
そして「じゃあなんで池袋?」と少し不思議に思ったことを覚えている。(その仲介屋はチェーンで、全国どこにでもあったので、最寄りの店でない意味が分からなかった)
待合席のような場所で15分ほど待たされた後、希望物件をプリントアウトしたものを改めて渡される。
「いや…この情報を見てきたんだから、渡す必要ある?」と思ったし「予約してるんだから、これくらいさっと出せないかなあ?」と思ったりした。
そこから1時間ぐらい待たされるのだが、経験のない僕は「まぁ、忙しいんだろうな」と辛抱強く待ち続けた。
そして、長く待たされようやっと人が対応してくれる。
開口一番、プリントアウトした物件は人気物件につき無くなってしまった、と言われる。
「でも、他をお探ししますので希望をお聞かせ貰えますか?」とネットで入力、電話でも伝えていた希望の条件をここでもヒアリングされる。
理不尽を少し感じながらも全て伝え終わると
「あのねえ、そんな都合のいい物件ないよ!」と少しキレられる。
今思えば、僕も「無い」と思う条件だった。
「検索したら出てきたのに、そして、来いと言われたから来たのに、全然希望通りじゃないんですけど」的なことをたどたどしく抗議したと思う。
こうして、初めての賃貸探しは
ダミー物件につられて池袋まで足を運んで1時間以上も待たされた挙句、何もせず帰らされるという散々な結果に終わった。
どうせ「それはもう決まってしまいました」と言われる前提で(実際、ほぼほぼそう言われる)紹介屋へ向かうようにはなったが…。
東急ハンズ池袋店では4~5年ほどアルバイトをしていました。もともとは夏休みの短期バイトでしたが、特に離れる理由がなかったのでそのまま継続してズルズルと続けていました。
なぜ東急ハンズだったかは覚えておらず、たんに学校からほど近くて昔から馴染みがあった池袋というだけで選んだ気がします。池袋には中学の頃から通っていましたが、自分にとっては本と家電の街でした。あと駅が複雑。新宿駅などよりダンジョン感はありませんが、西の東武に東の西武っていう初見殺しで有名な罠や縦に長くて迷いやすい構造は初めての人には難しい駅だと思います。
今回の閉店は自分の中では寂しい気持ちでいっぱいです。ハンズの思い出というより池袋という街に対する思いいれなのかもしれません。ハンズの帰りは決まって近所のラーメン屋によったり、休日の昼間ならば真向かいの松屋で食事をしたりしていました。資格試験では決まってロッテリアやマックで遅くまで勉強していましたっけ。家電類もアキバなどより池袋のビックカメラが主でした。
ハンズは自分にとって、池袋という街に滞在しつづけた理由の1つであり池袋の人と直に接する機会を得られる貴重な場所でした。
そんなハンズ池袋店が閉鎖してしまうというニュースを聞いたときは、コロナ禍ではあるもののもう一度行きたいという気持ちが募りました。けれど既に東京までは片道でも2時間は掛かる場所にいる自分にとっては物理的に距離がありますし、そもそも今年の8・9月は東京に足を運ぶことすらできない状況でした。さらにこの頃は家族の妊娠が発覚したことでますます遠出することが不可能となり、結局10月31日の閉店に間に合うことは叶いませんでした。
アルバイトをしていた当時、私の仕事場は主に1・2階。当時は1階が季節ものコーナーで2階はバラエティや健康グッズがおいてありました。私はその品出しバイトだったのです。
冬も夏もあの白ワイシャツに紺のパンツ、それと緑色のおそろいの腰エプロンをして作業をしていました。
当時の2階には、「アニメグッズ」「ジグソーパズル」「コスプレ衣装」「ダーツグッズ」「ケータイストラップ」「健康グッズ」「卓上プラネタリウム」などが狭い中に敷き詰められていました。本当にバラエティ色たっぷりでそれに合わせて大型イベントのたびにお客様がごった返しており、そうでなくともにぎやかなフロアでした。だからたまに他のフロアによると自分の担当のフロアと違って随分静かに感じたものです。
1・2階のスタッフは基本的にひとまとめにされており扱う商品もこの2つのフロアで持ち合いになっていました。なのでフロア同士で商品の入れ替えが行われており、夜中に什器を移動させるなど結構大変だった記憶があります。扱うものも多岐にわたるためか最上階の事務所の廊下には自分たちのフロアの什器が商品を付けたまま所狭しと並んでいる光景がよくありましたね。多分他のフロアからはかなり迷惑がられていたと思います。
当時よく取り扱っていたものとして、変な貯金箱がありました。顔面の貯金箱で硬貨を口にあてるとそのまま飲み込んでしまう貯金箱です。他にも猫がダンボールから手を伸ばして硬貨を引き込むものとか、まあそういう変わり種の貯金場がでかい机の上にピラミッド状に積み上げてあったこともあります。他にはおでん缶とか無限プチプチとかも扱ってましたね。懐かしいな。
あと、北海道フェアも1階で行っていたのですが、ロイズとかのポテトチップスチョコとかも売れ残りが結構出たので事務所の休憩室前で従業員価格で手売りされてました。なので飽きるくらい食べた思い出があります。
クリスマスや夏休みとかは人がごった返しており、品出しするだけで大変な思いをしましたね。
当時エヴァの劇場版が大ヒットしたこともあって、UCCの缶コーヒーが馬鹿みたいに売れていたんですが、あれを補充したり並べるのも地味に大変だった気がします。
そうそう、最後まで猫カフェには行くことがありませんでした。なんで当時行かなかったんだろう
色々あって、だけど結構前の話なので覚えていないことも多いですけど、私にとっては池袋という街を定点観察する一番の場所でした。37年間、お疲れさまでした。
いまはもう従業員でもなく池袋に立ち寄ることはなくなってしまい、その中で池袋もだいぶ様変わりしたようです。ハンズの休憩時間に食べていた松屋やデニーズはもうないらしく、頻繁に行っていた丸善の本屋も既に閉業しています。知らぬ間に色々なものがなくなっています。思い出のハンズもなくなりますます回顧の中にしかない池袋。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20211026/k00/00m/040/079000c
乱歩館の焼失で未整理分の資料が犠牲になったことに対して色々言及されているが、調査が済んでいなかった理由はタイトルの通りだと思われる。
以前に池袋の旧江戸川乱歩邸で聞いたことがあるのだが、まだ邸内にあった全ての遺品の整理は終わっていないそうな。バックに立教大がついていてもこの状況なのだからいわんや民間の施設、だ。
こんな事例もあるので、江戸川乱歩に限った話でもない。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36105020U8A001C1CR0000/
“書簡は虚子記念文学館が高浜家の資料として所蔵していたが、調査は手つかずのままだった。昨年、鴎外記念館で企画展が開かれた際、別の資料を貸し出した虚子記念文学館側が、この書簡の存在を伝えたことで、本格的な分析が実現した”
田舎に住んでいたり、都心から少し離れた所に住んでいる人にマウント取りたがる奴っているんだけど、
ぶっちゃけ都内に住む奴で本当に分相応の生活できてる奴は一握りしかいない。
大抵の奴は無理して高い金払って賃貸に住んで、都内に住んでるという珍しくもない生活をしているだけだったりする。
そういう奴が田舎に住んでいる人を馬鹿にしてるのを見ると、無駄に高い家賃だ、小汚いアパートで都内に住んでるアピールをするような醜い生き方から脱却出来て良かったと思っている。
以前、渋谷に住んでいる知り合いがいたが汚いを通り越して廃屋か?って思うほどの物件に住んでいて、こんな所に住むくらいなら新築でそこそこの家賃の賃貸か、家買った方が良いなって思った。
都内は便利なんていうけど、新宿駅は面倒くさいし、池袋は利用しにくいし、渋谷は夜になると頭の弱いのが徘徊してたりと全てにおいてデメリットしかなかったんだけどね。
池袋のガチ中華のニュースに「日本アレンジしないと食べない日本人の舌は狭量」とか書いててバカじゃないかなと思った
ローカライズされた日本食しか食べないアメリカ人の舌は狭量とか言うのか?
各国ごとに料理はローカライズされるものだし、味の好みの問題だけじゃなくて食材が手に入らないから独自アレンジせざるを得ないってのを分かってない
ガチ中華とやらがどこまでガチなのか知らんが、そういう業態の店が出せる様になったのはグローバル化が進んだおかげだ
本場で使う様な食材が安価で手に入る様になったからそういう店をやれる様になったのであって、「戦後すぐの頃に先代開店しました」みたいな店が開店当時から同じ事やれたはずがないんだよ
例えば回鍋肉は本来は葉ニンニク(蒜苗)と茹でたり蒸したりして脂を落とした皮付きの豚肉を切って使う料理だ
これを陳建民さんが手に入りにくい葉ニンニクをキャベツで代用したのが広まり、豚肉の下処理を省いて最初から薄切り肉を使うレシピが日本では一般的になっている
味付けも本場の回鍋肉は結構辛い料理だが、日本の回鍋肉は甜麺醤を多用するので甘辛い味付けだ
そんなもん食うやつ次第なんだよ
四川出身のやつだって辛いの苦手な人間はいるし、日本人にも辛いの超好きで本場の四川料理が特に大好物ってやつもいるだろう
知り合いの中国人は俺が作った日本風の回鍋肉で飯を3合食っていきやがった(今でも会った時はネタにする)
飯なんて、体に害がない限り好きなものを食えばいいんだよ
飯屋は食中毒とか起こさない限り売れるものを作って売ればいいんだ
なんでも好き嫌いなく食える奴が偉いなんて言ったらはてなじゃフルボッコだろ?
味覚に狭量もクソもない
https://anond.hatelabo.jp/20211003032638
の続き。
実家の片づけをしていると母親から「この変なのもあんたのでしょ」と言われ、もう数冊ラノベが出てきたのでこれも浅くコメントする。
------------------------
ドラッグをいっぱい飲んでスタンドみたいなの(悪魔)を出して戦う話。
あれ、こんな今風な絵だったっけ・・・?と思ったら数年後に新装版が出てた。
------------------------
■デュラララ
それまで池袋はドラマのIWGPやニュースに流れるカラーギャングの影響も相まって
「暗くて怖い街」のイメージが強かったけど、これを読んで初めて行ってみたくなった。
あと当時はチャットで知らない人と待ち合せてだべるのが立派な趣味(立派ではないか)
だったので、デュラララチャットがリリースされた時は震えた思い出。
ちなみに後年アニメ化して、飲み会の場で今時オシャレオタクみたいな女子が
「デュラララにはまってます~」と言うので、酔っていた俺は思わず
「中坊の時から初版で読んでた!」とワシが育てた感を出して引かれた。
------------------------
■バウワウ!
内容がうまく思い出せない。
------------------------
実写化もされて思った以上に有名になっていって驚いた。
------------------------
主人公が女子になって女子だけの三角関係が生まれるほんわかストーリー。
------------------------
今朝私の母親が「この変なの」と言いながらハンペンか何かのように手渡してきた作品である。
自分が購入していた作品の作者が亡くなるという事が初めての経験で、
創作世界の終わりというものを初めて突き付けられたような気持ちがした。
------------------------
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
RRDさん がスターを付けました。
deztecjpさん がスターを付けました。
sisyaさん がスターを付けました。
【独自】池袋暴走・飯塚被告控訴しない意向固める 禁錮5年確定へ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/72eb48f1cf92bc4ca99a2b3340f20fc7d0469b89
ふーむ。
飯塚幸三氏といえばいわゆる「上級国民」として大いに世間を騒がせた(ている)お人である。Wikipediaを見るに書き写すのも苦労するほどの数々の役職を歴任しているまさにエリートと言って差し支えはないだろう。氏の経歴を見て「金銭的に困窮している」と感じる人はどれほどいるだろうか。私は非常に裕福な人物だろうというイメージを得た。もちろん表に出ていない金銭的に大きな失敗がなければ、という前提をもって。
さて、そのような人物につく『型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?』この表現について考える。「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」これは何を指すのだろうか?
1.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民より非常に低く貧困層だ
2.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民的なものだ
3.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民より多く富裕層だ
4.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は非常に多くいわゆる億万長者や特権階級だ
下から上まで書いてみたが、どれかは当たっているだろうか?見落としがあるだろうか?
書いておいてなんだが、1は流石に除外したい。生活必需品になりうる一部地方は別として東京で車を持てる時点で貧困層よりかは上だろう。
つぎに「型落ちプリウス」が「安い車」ということだとしてひとつ言葉を変えて遊んでみる。
これはすごいことだ。バカな私でもわかる。私生活で人を雇うという時点で裕福という形容では収まらないほどの資金力を感じる。中小企業の社長といえど車は自分で運転しないよなんて人は肌感覚でめったにいない。いや私の知る人にはいない。すると少なくともこの反対、それ以下の表現では4はないだろう。そこまで考えなくても「特別扱い」に疑問を投げかけているということは「特別ではない」証拠に「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」を挙げているわけだし。
では3の裕福だと指摘しているのか?
「胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度に裕福なだけの人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?」
さてどうだろうか。前二つが「サゲ」ているものに「裕福」というアゲの表現はしっくりこない気がする。「金で道理を捻じ曲げられるほどではない」という意なら「サゲ」ではあるのだがそういった意図だろうか。
これに限らず真偽は深堀しないが(車に詳しくないのだ)飯塚幸三氏が乗っていたのは「2代目プリウス」だという情報がある。さまざまな箇所で取り上げられているのでおそらくは正しいだろう。
販売台数は119万台。価格.comでは「新車価格: 189~325 万円」。悪名ではあるが「今日のプリウス」や「プリカス」という言葉が広まる程度には「庶民的」だ。
https://global.toyota/jp/prius20th/evolution/
2003-2009
2代目プリウス
事件が起きた年が2019年。新車と仮定して乗っていた期間は16年から10年。間をとって13年。これらが長いか短いか。
一般財団法人 自動車検査登録情報協会の資料を見てみよう。
https://www.airia.or.jp/publish/file/r5c6pv000000m20m-att/r5c6pv000000m211.pdf
平均で13年乗って普通だそうだ。16年だと少し長持ちしている感覚だろうか。間をとって13年はまさに平均である。
つまり「平均的な車を平均的に乗り回していた」そんな人物の「資金力」を考えるべきだろうか。(軽自動車でもないプリウスが平均的かは少し置く。)
平均的な乗り方をしているので平均的な資金力である。というのは簡略的にすぎる。「金持ちは車をバンバン乗り換える」そんなイメージが少なくとも私にはある。では10年以上車を買い替えない人物は裕福ではない?対偶を意識せずとも必ずしもそうではないと言えるだろう。飯塚幸三氏は車に興味が薄い人物だったかもしれない。
また、氏の年齢にも注目しておきたい。事故当時の氏の年齢は87歳。最長16年前に購入したとして当時の年齢が71歳。私は氏ほどの年齢でもなく資金力もないのでまったくの空想となるが、いくら車をバンバン気軽に買い替えることができる資金力を持っていたとしても70歳を過ぎた高齢者が数年ごとに車を買い替えるかと問われればノーではなかろうか。まさに腰が重くなるお年頃、よっぽど車好きでなければできることではないと思われる。いわんや資金力は不明としてプリウスを選ぶ人物をや。
「70代で購入した2代目プリウス最長16年自分で運転する87歳程度の資金力」
b:id:demakirai 氏からすればこれは資金力を明確に現す表現のようだが、私はこの情報だけでは飯塚幸三氏の資金力が一般的か裕福かの判断材料にはならない、と判断した。
これについては明確にわかるはずもない。傍証を挙げていくしかないだろう。来歴を見れば資金力は高いだろうと予測するしかない。また当時の年収などの話もちらほら出てくる。
https://bunshun.jp/articles/-/48642?page=2
院長時代の給与は、年収2000万円弱。当時の退職金は3000~4000万円程度だったという。元工業技術院総務部長、大野隆夫氏が証言する。
同記事では新居の話も出ている
71歳になった飯塚氏は02年3月、板橋区の新築分譲マンションへと引っ越し。価格は約4500万円だったが、通産省やクボタ時代の退職金などを元にキャッシュで購入したと見られる。この地で飯塚氏は同い年で誕生日も9日違いの妻と2人、“セカンドライフ”をスタートさせた。
71歳という年、02年という年は2代目プリウス販売前年だ。もしかしたら引越しを契機に買い替えたのかもしれない。
真偽は不確かとしつつネットで晒されている氏のマンションと思われる場所の価格を参考においておこう。
https://www.ieshil.com/buildings/675654/
ほかには事件当時、飯塚幸三氏は妻と予約したレストランへ向かう道中だったという。レストランは小さな馴染みの店だという情報もあるが、店の大きさと価格は比例しないことはままあるだろう。ハレの日だったという声も聞こえない中、ランチをレストランで予約してとる人物の資金力はいかほどか。
経歴: 富裕層以上
型落ちプリウス自分で運転する: 並みから富裕層以上(年齢も考慮)
であり、私の結論は「お金持ちさん」である。ただし乗っている車は資金力の判断に大きく寄与しない。
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
文字数の関係で氏の経歴には触れてないものの、婉曲をひもとくと
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、(経歴がすごくて官職に就いたこともあって)胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、資金力のある人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
となる。まさにいわゆる「上級国民」と揶揄されるような条件を書いておいて「特別扱い」になることに疑問を投げかける理由がわからない。(ここでは実際に逮捕しなかった理由などではなく周囲が「上級国民」や「特別扱いしてる!」と騒いでいることに対してのみ話している)
混乱の坩堝に陥る。
1. なぜ「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」というわかりにくい表現をつかったのか
2. 「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」は資金力が高いのか並なのか
3. 「資金力がある」という意味の表現であれば、私のセンスとは異なる導出であり、ブコメ全体の意味もよくわからない
4. 「資金力がないないしは並」という意味の表現であればブコメ全体の意味はわかるが、やはり私のセンスとは異なる導出であり、なぜさまざまな情報から乗っていた車だけを抜き出し資金力の指標にしたのかわからない
賛同の意かスターがたくさんついているが、私とはかなり見えているものが違うと思われる。
氏のID名を思えばつまりは私がデマに踊らされ目が曇っているのだろう。事実、いろいろ調べようとしたもののデマブログの多さに辟易としたものだ。正しい情報を探すことは難しい。であればこそ、誰かに「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」が何を言いたいのかを解説していただきたいものである。40人近く理解者がいるのだから親切な御仁はいらっしゃらないか。
先日、池袋暴走事故の判決が出て世間の注目を集めた。事故が発生してから約二年、何度も国民の注目を集めてきたが私は一つ疑問を感じた。
「この事故、被害者がおじさん二人とかだったらここまで騒がれていたのだろうか?」
あの事故がここまで騒がれたのは加害者の社会的属性や対応もあったが、被害者の社会的属性もあるのではないだろうか。
下品な言い方をすれば「社会的地位のある高齢者の男性」という嫌われる要素マシマシの加害者と「その加害者に突然命を奪われた妻子」という構図が悲劇的であったからではないだろうか。
話題は変わるが、以前メンタリストのDaiGo氏が自らのYouTubeで「自分にとってホームレスの命はどうでもいい」と発言して大炎上した。
全ての人に命の価値はある、これは優生思想の助長であるという批判が殺到し生活困窮者やホームレスの支援を行う団体が声明を発表、厚生労働省が反応するまでの騒ぎになった。
少なくともこの国においては基本的人権が保障されていて、出自や属性によって差別されることはあってはいけないとされている。
しかしそれは規範の上での「平等」である。私が触れたいのは人々の意識下での「平等」だ。
人間は二人以上の人間がいる時、無意識に命の価値の優劣を決めている。当然だが自分に近しい者とそうでない者の場合、前者の方を重く見る。
ではその対象がどちらとも「赤の他人」であった場合どうなるだろうか。
若者か高齢者なら若者の方が重く見られるし、男性か女性かなら女性の方が重く見られる。
同じ街中の同い年の男性であっても、子連れの人と一人で歩いている人では周囲からの捉われ方が違うだろう。
この判断は多くの人が無意識にやっていることだろう。私だってしているだろうしされているだろう。
優生思想はいけない、命を価値は平等と訴える一方でこのようなことをなんの疑いもなく行っている。
社会のこうした面は仕方のないことであるし、それをどうにかしようと訴えているわけではない。ただ、一度立ち止まって考えてみてほしい。
あの事故で加害者を叩いていた人のほとんどは事故とは何の関係もない人たちだ。その人たちはそうした差別をしているなんて考えもしないだろう。
そんな赤の他人たちが赤の他人の命の重さをはかって同情し、憤った。
加害者には然るべき罰が下されなくてはならないと感じている。
しかしながら無関係の人間がそこまで感情的にならなくてはいけないことなのか、その感情の根底には何があるのか一度考えなおす必要があるのではないか。