はてなキーワード: 水泳とは
https://anond.hatelabo.jp/20230311224417
前職は年収450万の弱小団体職員だったが、最近下記の勉強やら運動やら色々頑張って転職した。
・体力の低下
自分はもともと慢性的に体力がなかったので35からジムで筋トレと水泳を始めた。
それとビタミンサプリ(アナバイト)やタンパク質、アミノ酸(タイムリリース型プロテイン)等の栄養をかなり意識して摂るようにした。
もともと若い頃のほうが鬱で低体力だったため、今のほうが体力あると感じる。
別に筋トレ信者ではないけど、やはり運動は心身の維持のためしたほうがいいと思う。
・思考力の低下
ジムトレ以外にも頭脳系サプリやら日々の食事・睡眠の見直しなどなど試して
仕事の後に資格や英語の勉強をしているが特に不都合は感じていない。
俺はFitbitによる睡眠管理とDMAEなどのサプリを服用してる。
一応、上記の対処をすることで俺は36で自分の経歴からしたらかなりのステップアップ転職に成功した。
・性欲の低下
これについては正直かなりあった。
今の増田と同じくらいの頃に悩んで病院で血液検査をしてもらったところ、遊離テストステロン値が30代では通常6.5~17程度らしいのだが
そのためテストステロン注射療法を試したら、性欲と精神的な元気さはだいぶ回復した。
謎の不安感や絶望感、焦燥感が明らかに減り、挑戦的な気持ちが湧くようになった。
恥ずかしながら俺はこの年でやっとこの注射で「世の男たちはこんなふうに世界が見えていたのか」という気持ちになった。
一度、男性更年期障害を診てる泌尿器科で血液検査してテストステロン値を調べてもらうと良いと思う。
・趣味について
俺も重度のオタク趣味があるのだけど、あるときそれに没頭することに危機感を覚えるようになった。
自分は若い頃から自分の人生を生きることを無意識に忌避しており、趣味への没入・忘我によって自我を滅却する快感に依存している…ということに気づいたから。
やりたいからその趣味をしていたはずが、いつの間にかやりたくないことから逃げるための趣味になってしまっていた。
だから意識的にオタク趣味への傾倒を避け、体力作りや勉強に時間を割くようにした。
そうしたら、それでもどうしても「やりたい」と思うときがあり、たまにではあるが結局趣味を完全にやめることはできなかった。
もう興味がなくなった、と思ってもあるときまたふっとやりたくなることはあるよ。
むしろ趣味人であればあるほど、趣味から一度離れることも必要なんじゃないか。
趣味から離れることに罪悪感や喪失感を覚えることはないと思う。
・結婚
俺も極度に人付き合いが嫌なタイプで異性の悪いところばかりが目についてしまい、まったく結婚する気が湧かずここまで来てしまった。
社会的信用については独身というだけで見下されたことはあり、こればっかりは結構、メンタルに来るものがある。
自分の健康や趣味の問題は自分でコントロールや対策できるものだけど
結婚や世間の評判などは自分にはコントロールできない他人からの問題だから病むよね。
こればっかりは正直俺も悩んでいる…今更婚活してもしなくてもろくでもない未来しか見えないんだよな
増田は俺よりは若くてマシだよ
独身中年男性が抱える問題には自分で対処可能なものとそうでないものとがあるが、前者についてはある程度取れる手段があると思う。
特に男性更年期障害の疑いはあると思うので、泌尿器科での血液検査を強くおすすめする。
デメリットや体質による可否はあるもののテストステロン注射はかなり効く。
心療内科で薬をもらうのもいいが、増田が俺と同じく社会的・生物的な「オス」としての役割と自分とのギャップに苦しんでいるのであれば
それを埋めてくれるのは精神薬よりは男性ホルモンだと俺は思う。
まぁ自分でできることすべてやったとしても、結婚や社会的信用といった他人が絡む問題については自分の意志だけでコントロールできるものではないから
結局は俺も増田も狂うのかもしれないけどね。
いずれ狂うにせよ、まだ狂うには早いよ。
願わくば増田に増田なりの幸あれ。俺もできれば幸せになりたい。頑張ろうぜ。
(追記)
https://anond.hatelabo.jp/20240211070942
3ヶ月とか1年とかで経過を見てやめる選択肢もあるけど、打つなら効果と副作用はトレードオフと割り切るしかないよね。
俺の場合は打つ前からもう体内でテストステロン全然作られてなかったようなので
打たずに低調のまま生きるか副作用を受け入れてでも打つかの二択だった。
で、転職活動や転職先で頑張りたい時期なのもあって打つことを選んだ。
これからも定期的に打ってく覚悟。ちなみに保険適用で1回980円。
自分は若い頃からずっと憂鬱感や性別違和があり、上記以外にも自己啓発やカウンセリングや哲学やサプリや認知行動療法など色々と試してきたんだけど
自分というものの気質が注射1本、ホルモンバランスひとつで変容してしまうことへの拒否感や絶望感、今までの人生の苦労はなんだったんだ感はあるものの
父親はサラリーマン、母親は専業主婦で現在はパートタイムで働いている。
父親の年収はほどほどではあるが、兄弟が3人いるので生活水準としては高くない。むしろ、日頃からスーパーで割引シールのついた物を調理してを食べていた。
一軒家に住んでいるが、片田舎にあるため、資産価値としては低い。市街化調整区域にあるため、実質マイナスと言っていいだろう。
習い事は水泳をやらせてもらっていた。 しかし、それ以上の野球・サッカーなどはやらせてもらえなかった。
高校まで公立で、私立大学に通わせてもらった。現在は、就職して皆社会人となっている。
欲しいものを買って貰えないなど、日々節約を意識した暮らしを送っていた。しかし、家族の誰もが酒・タバコ・ギャンブルとは縁の無い生活をしていた。
必要最低限の生活費で生き延びつつ、余ったお金は貯金してくれていたのだ。
幸いなことに、奨学金を借りずに大学へ進学することができたし、幾度の説得の上、アメリカ短期留学のお金も出してくれた。
私が進学する大学を選ぶときも、就職先を選ぶときも反対されることはなかった。むしろ、親身になって調べてアドバイスしてくれた。
一番上である私が、就職のために上京すると言ったときも、嫌な顔一つ見せず送り出してくれた(内心はわからないが)
実家のことを貧乏・細いというつもりはない、しかし、子供の時は「実家は貧乏で、何一つ自由に物を買えない」と思っていた。
今なら、はっきり言える。「俺の実家は中流家庭だが、恵まれていた」
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父親の年収はおれが高校の時単身赴任手当が出て最高で1000万、母親はおれが小4まで月8万くらいのパート、俺が大学出るまでは月18万くらいで契約社員してた
姉が1人、小学校の時はおれは水泳、書道、姉はピアノと書道、おれは小学校4年から塾通い(月謝1.7万とかだったと思う、中学はもう少し高いと思うけど忘れた)2人とも私立大学だけど実家通い、学費は全部出してくれた、あと免許取るお金も出してくれた
小学校の小遣いは学年×100円、中学は学年×1000円、高校は5000〜7000円
社会人になってからは一人暮らしで特に家にお金は入れてない、父の日、母の日には5000円、誕生日は1万円くらいのプレゼントあげてる
あと還暦とかそう言う節目は姉と10万ずつくらい出して温泉旅館とかで祝ってる
実家は俺が小学校1年の時に買った郊外の1戸建て、車は国産の普通のセダンだった
外食はほとんどなくて、ブランド物とか高いものもあんまりない家だった
中学までは年1回くらい国内の家族旅行、盆正月はそれぞれの実家に帰ってた
家が金持ちと感じたことは全然なかったけど、不自由もなかった、まさに昭和の中流家庭だと思うけど、これでも太いって言う?親ガチャで言ったらBくらいだよな
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
実家が太い云々という増田を目にして、俺もつい自分の人生について書きたくなった。
医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。
そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。
まず前提として俺の家系は代々医者の一族で、父方の祖父が地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院の理事長をしていた。
その祖父の思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。
母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。
当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父を漠然と尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。
俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父に辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。
そんな祖父のプレッシャーのせいか、物心がついた頃にはもう塾に通っていた。
習い事も多くさせられ、ピアノ・バイオリン・空手・水泳・テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。
これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。
また、センスの問題なのかモチベーションの問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。
ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまったこともある。
いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。
朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛で睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。
勉強のストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。
ネットやテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。
そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校に入学することはできた。
しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。
小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットにコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。
と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマやアニメで見るような苛烈なものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。
いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。
クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。
留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。
当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。
しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強を強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。
もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。
とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。
それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。
そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。
が、2年前くらいからセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。
もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家に幽閉され続けるのだと思う。
もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。
そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。
だから今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォンの通信量を払い続けいてるんだと思う。
多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。
だから現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。
こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。
いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。
思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。
とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。
読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分の気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
たまに行くしまむらはなぜか男の靴下のワゴンの目の前がサニタリーショーツ売り場になってる
横はスポーツブラ売り場だし
行くたびに嫌でも目にするからどきどきする
大体ラブホテルには一人で先に入るわけだけど
廊下ですれ違ったカップルが手とかは繋いでないけど楽しそうに会話してるとラブラブだぁってなんかよけいどきどきする
何を間違えたのかいつか車の中に女性のオナニーグッズの空箱が放置されてたことがあって
「アダルトグッズ」って答えたら
初めて行ったソープはエレベーターでプレイルームに上がるシステムで、女の子と一緒に乗ったんだけど恥ずかしくて全然目が合わせられなかった
こんなグッズあるんだ…ってどきどきする
眺めてたら5分ぐらい平気で経過してた
自分は中学生のころまでは他の女子たちよりも何倍も遅れてる子だった。
ブラジャーを何故つけなければいけないのかも分かってなかったし、母も買ってくれなかったから体育の授業もずっとノーブラで同級生から「ブラしたほうがいいよ」と言われ続け、脇毛は剃るものだと知らなかったから水泳の授業でも脇毛ボーボーで参加して「脇毛は剃ったほうがいいよ」と同級生から言われ……。
スカートから出てる生足にすね毛がボーボーに生えてる? 知らんがな。勝手に生えてきてるだけ。そういう認識。
私服も親が買ってくれないから持ってない。制服以外だと、林間学校用に親が西友で買ってくれた1枚1000円のTシャツ2枚とダボダボのジーンズとノーブランドのへんなスニーカーしか持ってないレベル。
16歳のときにバイト先の美人な先輩から「化粧してみたら?」と言われて、貯めたバイト代を持って勇気を振り絞ってデパコスカウンターへ行ってビューティーアドバイザーさんからイチからメイクを教わった。
習ったメイク用品を全て買って2〜3万円くらい。
雑誌に載っていた、青山にある美容室に死ぬほど勇気を振り絞って行ってカット&カラーで15000円くらい。
服は何を買っていいかどこに行けばいいのか分からなかったから、とりあえずユニクロでひたすら試着を繰り返して分からないなりに適当に2〜3万円分くらい購入。
そしたらいきなり周りの人の見る目が変わって、「こいつは女だ」と認識されるようになった。
バイト先の警備員からいきなり映画に誘われたり、早朝ウォーキングしてたらいきなり車が寄ってきてナンパされて恐怖したり。
こいつらマジで外見で「女」か「それ以外の生き物」かを判断してやがるんだ……と衝撃を受けた。
「女」は大人になったら自動的になるものじゃなくて、努力してなるものなんだと知った。
周りの人は、彼氏が出来たからメイクやオシャレをするようになったと思ったらしい。
いや違うよ。ダサい生き物に男なんて寄ってこないから彼氏なんてできないよ?
その「子供なんか妊娠したら人生終わり」って未成年が思いこむような漫画しかない事実が
すでに性的搾取を正当化してるシステムの片棒担ぎになっちゃってるわけ。
顔が美しけりゃあがめられるけど、どんなに知性があっても得しないのが女、そうおもってるんじゃないかな。
まあ日本は実際そうだもんね。生理がきても水泳授業や受験で「公平に」あつかわれてしまってピルもくれないの日本だけだよ。
フィクションで男性の性的魅力を搾取しても現実の男性とはつきあいたくないと思ってるんじゃない?
それ女性もそうだよね
そうやって「漫画」「ゲーム」「vtuber」にすべての夢を託して現実に夢をもてないのは男女ともおかしいよね
まあ釣りじゃねえのともおもうけどね
まず、響き(「トリコー」と読む)からして明らかに外来語なので、こういうときはwiktionaryを引くのだ。
Borrowed from French tricot.
Noun
трико́ • (trikó) n
1. tricot (soft knitted fabric)
https://en.wiktionary.org/wiki/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE
もともとはフランス語から来た言葉で、「柔らかいニット生地」というのがтрикоの意味だ。念のために、英語・フランス語のtricotの意味も調べてみよう。
https://en.wiktionary.org/wiki/tricot
どの言語でも「ニット生地」の意味だということがわかる(「tricot」で検索するとニット生地の画像ばっかりヒットする)。
これだけだと「レオタード」という意味は出てこないが、単にwiktionaryに載ってないだけでそういう語義があるのかもしれないので、勃勃辞典も引く。
1. Плетен вълнен или памучен плат.
2. Дреха от такъв плат, обикн. спортен костюм за гимнастика. Гимнастичките се представят с черни трика.
https://rechnik.chitanka.info/w/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE
問題は、「体操用の衣装」が「レオタード」と同義かどうかだ。「спортен костюм за гимнастика」と書かれても読めないかもしれないが、「sporten kostyum za gimnastika」と翻字すれば何となくわかるだろう。「体操のためのスポーツ衣装」と書いてある。これ、「体操着」「体操服」って意味なんじゃないか? だって、原義は「ニット生地」って意味だろ? そこから派生してるんだから広く「体操着」全般を指すんじゃねえの?
ただ、「Гимнастичките се представят с черни трика(体操選手たちは黒いトリコーを着て演技する)」という例文があるから、「体操着」から派生して「レオタード」って意味もあるのかもしれないけど、やっぱり本来の意味は「体操着」だと思うんだよな。だって語源が「ニット生地」だろ? 「ニット生地」→「ニットの衣類」→「体操服」→「レオタード」って語義変化を考えるのが自然じゃないか?
したがって、「Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.」というのは、「黒/青の体操服に白いTシャツの女の子たち」という意味だ(Девойкитеが「女の子たち」の定冠詞形、сはwith、черноは「黒い」の中性形、илиは「もしくは」、синьоは「青い」の中性形、трикоは中性名詞「トリコー」、иが「and」で、бялаは「白い」の女性形、тенискаが女性名詞「Tシャツ」)。
ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
ロシア語のтрикоには複数の意味がある。これもwiktionaryを引こう(URLは上に同じ)。
「трико」で検索すると体操用レオタードの写真がいっぱい出てくるので、ロシア語では「レオタード」っていう意味がメインなんだろうか。ただし、「ジョギングボトム、スウェットパンツ」っていう語義を見ると、やっぱり「ニット生地の服」→「体操服」→「レオタード」っていう意味の変化を遂げている語なんじゃないかなぁ……。
で、ロシア語で水着は「трико」じゃないぞ。купальник(クパーリニク)あるいはкупальный костюм(クパーリヌィ・コスチューム)だ(купаниеが「入浴」とか「治療のための水泳」とかそういう意味)。Wikipedia日本語版「水着」からロシア語版に飛べばすぐわかる。ブルガリア語でбански костюмなのは元増田の書いた通りだけど、ローマ字だとbanski kostyum(バンスキ・コスチューム)になる(お察しの通り、баня「風呂」に由来する形容詞がбански)。костюмは衣装全般だけど、「コスチューム」って書けば意味はわかるよね。まあ原義通りに訳せば「入浴着」か。
ついでにだな、ポーランド語のSokółは「ソクウ」と読む。「ソコウ」じゃないぞ。元ネタになったチェコの「ソコル」については、日本語で研究書が出てるので気になるなら読んでみるといい(https://www.hup.gr.jp/items/65002123)。チェコ語で「trenýrek(トレニーレク)」がショートパンツって意味らしいので、「Jednotný cvičební úbor(イェドノストニー・ツヴィチェブニー・ウーボル、直訳すると「ユニフォームの体育用の服」、つまりは学校指定の体操服)」というひとまとまりの検索語で調べるよりも、ひょっとすると「トレニーレク」とか、「イェドノストニー(「ユニフォーム」つまり「単一の形態の」の意、服装の文脈で使われるなら「指定の」)」を抜かした「ツヴィチェブニー・ウーボル」で調べた方が良いかもしれない。
Twitterとかに相当多数の生理の話になると気持ち悪い粘着をしてくる男が居るのよ
生理で服が汚れたまま生徒たちの前に出されて授業をさせられた女とかに、何で生理を我慢できなかったんだとか大量に来て燃やされる。
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
セブンティーンアイス見かけると、真夏のクソ暑い日に人気もない夜の高幡不動駅で暑くて敵わんと買った時、自販機のすぐ近くに座ってたおっさんが多分おれの真似をして買ってたのを思い出す。成人男が自販機のアイスを買うのは少し気恥ずかしい。
真冬のクソ寒い日に江ノ島へ夜釣りに行った時のことも思い出す。海風で凍死するんじゃないかと思いつつ、ローソンも遠いしせめて固形に近いものを胃に入れたくてアイスを食った。
ガキの頃の水泳教室でも置いてあったけど、アイスの味よりも自販機の下覗いて小銭を探してた方が記憶にある。というかほぼ食った記憶がない。小学生の頃、100円玉はドラクエのACゲームを遊ぶためのものだった。
イオンやヨーカドーで買ってもろてた時、たまにはシャーベットをと思って選ぼうとしたら母が渋い顔をしたのも印象深い。ちょっと高いマカデミアなんとかは選んでもええよって言う癖に。同じ値段でアイスに対してシャーベットは割高感があるらしい。夏はシャーベットでサッパリ行きたいだろ。損得じゃなくてそういう風流を持てよ。好きなものを食わせろよ。とは言えなかった。今は好きに買える。何なら二つ食ったっていい。