はてなキーワード: 新海誠とは
けものフレンズのTVアニメ版は、神話の構造を持った物語であった。
フレンズ達はヒトの叡智の残滓によって暮らしており、同時に世界(ジャパリパーク)は危機にさらされている。
そこにかばんちゃんという救世主が現れ、迷えるフレンズたちを救済していく。
すなわちフレンズ達は現世で苦しむ人々のメタファーであり、ヒトは神のメタファーなのだ。
まさに一度ゴルゴダの丘で槍に貫かれ死んだイエスが復活した物語に代表されるような再生の物語であり、
「ヒトのフレンズ」だったかばんちゃんが取り込まれ元の「ヒト」に戻る、つまり神に成る物語に他ならない。
また、アライさんはカバンちゃんがした覚えのない「かばんさんの発言」を述べるが、
それもまるで弟子に寄って口伝され象徴化されていったキリストやブッダを思い起こさせる。
神に生み出され、神に見捨てられた人々が、神から与えられた救世主によって救済され、新たな神を得る。
製作委員会によるメディアミックスが一般的になり、二次創作によって誰もが創作者たる時代。
宮﨑駿のような「作家」が「作品」を作るといった考え方は古いものになり、
その時代においては、1つのコンテンツには複数のクリエイターがいるのが当たり前。
さながら「君はアニメのフレンズなんだね!」「君は小説のフレンズなんだね!」と言った具合で、
誰がそのコンテンツを生み出したのかよく分からないというそんな世界だ。
ガンダムだとかエヴァだとか、ポケモンだとかプリキュアだとか、十年二十年前のコンテンツが未だに続いている世界。
これはまさにヒトの遺物によって、フレンズ達が誰に導かれるでもなく暮らしている当初のジャパリパークそのものである。
しかし去年はそんな気分を吹き飛ばすように、次々と作家性の強い作品がヒットを生み出した。
新海誠の君の名は。庵野秀明のシン・ゴジラ。片渕須直のこの世界の片隅に。
どれもメディアミックス的な商業展開に頼らず、一人の作家に依存しながらも、
同時に多くの人が参加することもまた許容する懐の深さがある作品で、
大きな広がりと作家の神性を両立しうる、新世界の訪れを感じさせる作品ばかりだった。
たつきという神が君臨しながら、企業によるメディアミックスも、ファンの二次創作も共存しうる、新たな時代の作品だ。
フレンズたちを救い、身を捧げて戦ったかばんちゃんを殺した黒セルリアンが如き所業。
なぜそんなことをしたのかはわからない。
だが少なくとも、たつき監督がいなくても他のクリエイターがやればいい、という考えを持っているのは確かである。
しかし、人々はたつきを、神を求めている。既にそういう時代なのだ。
確かにたつきもけものフレンズというコンテンツを創造したわけでなかった。
「アプリを作ったフレンズ」や「コミカライズ担当のフレンズ」のごとく、
「一作目のアニメを担当したフレンズ」にしか過ぎなかったのだ。ヒトのフレンズでしかなかったカバンちゃんの様に。
だが、たつきは多くの人を楽しませた。多くのフレンズの悩みに答えたかばんちゃんの様に。
許せん……
てめえらの妄想をスピーカーから垂れ流し続ければ歴史が書き換わると思ってやがるんだろうなぁ……
バカどもが……
恥かかかねえうちに汚え口を閉じな
え、新海誠って映画の背景の綺麗さで評価されてたんじゃなかったの?
ほしのこえからのファンだけど、あの映画ほんまフワフワしててストーリーも訳わからんけど新海誠の書き込みと画力をみて俺は圧倒されて、周りのやつも「とにかく絵がすごい」っていうのを言ってたからその流れで「君の名は。」も評価してた。
まぁ、たしかにストーリーは比較的マシだったけど、ありがちなSFだとしか思わなかったが…。
あぁ、でも確かに、なんか君の名は。の感想言うやつは結構ストーリーの事言ってた気がする。ということは世間ではストーリーが良いから囃し立てられてたのか…。俺の勘違い恥ずかしい。
絵は相変わらずよかったよ。
【togetter]】
https://togetter.com/li/1152068
- あらすじ -
トレパクした絵コンテを出版し、自らパクリの証拠品を世にばらまく前代未聞の事件を起こす。
それとも誰にも知られたくない真実を墓場まで隠して持ち込む気か。
乞うご期待。
【アカウント】
https://twitter.com/mister_copycat
こいつはなんなんだろう。
発見した俺凄いなの?
マスコミ気取り?
恨みでもある関係者なの?
星の数程ある作品の内、似ている設定や構図なんて山ほどあるだろうに。
こいつは新海誠が、
新海誠「ヘヘッ。この構図めっちゃいいじゃん。へへっ。パクったろ。トレスしたろ」
って考えていると本気で思っているのかな?
それを見て胸がキュンキュンすると言っている人もいる。
現パロなんてpixivで留めておけよって思う。
ハイジ達を高校生にして、露骨なシチュエーションで恋愛模様を表現。
現パロなんて化学物質まみれのクソインスタントラーメンと同じだぞ。
それ見て「胸がキュンキュン(はぁと)」なんて言っている奴は目を覚ませよ。
【追記】
窪之内英策の絵大好きだしそれが動くのは最高だけど!
はぁ?
製作側の「かわいい絵でキュンキュンさせる設定でアニメ作ればいいんでしょ。よっしゃ!しかもハイジにしたろ!
そして新海誠っぽくすればさらにウケるだろ!ガハハ!」っていうのが見え隠れして本当嫌だ。
窪之内英策先生を使うんだから、もっとオリジナリティのある設定にしろよ!
わかった。10000歩譲ってハイジ達が高校生だったらっていう設定は許そう。
だがこれだけは言わせてくれ。
あれを見てどう思いましたか?私は「気持ち悪いから全員死ね」です。
まず企画が気持ち悪い。恐らく「魔女の宅急便のキャラを使い30秒で『君の名は。』っぽい感じのアニメを作れ」とこんな感じでオーダーしたのだろう。
まず安易に流行りに乗ろうという姿勢が気持ち悪い。ヒットした作品の真似自体は珍しくもないがここまで露骨に二匹目のドジョウ狙いだと引く。パロディやオマージュでもない猿真似だ。今後も君の名はっぽい物が増えると思うがこれのような猿真似にならないようにして欲しい。
青春っぽい音楽ならBUMP OF CHICKENという浅はかな考えも気持ち悪い。BUMP OF CHICKENファンの方々は予告編とは別物になっていることを何とも思ってないのか?
「こういう青春っぽい雰囲気が女に受ける!トンボの声は梶裕貴とかいうのが人気があるらしいからそいつで女オタクを釣ろう!ついでに青春をもじった"アオハルかよ"で流行語を狙いましょう!」という視聴者をバカにした浅はかな考えが画面全体から漂ってくるんだが何も感じないのか?特に女性の皆さんは怒りが湧いてこないのか?
次にこんな物を作った奴らが気持ち悪い。
べたべたで手垢の付いた何番煎じかも分からない恋愛模様を、新海誠作品の雰囲気を表面だけパクったような絵で表現する。恥ずかしくないのか。
「背景にこだわりました」と解説ページに書かれているが、そのこだわりはどこから産まれたんだ?
そもそもカップヌードルの要素が全く無いし、魔女の宅急便要素もキキっぽい女子高生が箒で飛んでるだけじゃねーか。背景の小ネタとかしょーもな。
トンボを建設中のビル屋上に連れ込んで告白してるけど吊り橋効果狙いの脅迫だよな。助けてやれよ。
そしてキキのデザインが気持ち悪くて全然可愛くない。あえてモブっぽく可愛くないデザインにして一般受けを狙ったのか?
シリーズ化する予定なら次は「この世界の片隅に」「シン・ゴジラ」辺りをパクるか?やめておけ、センスの無い人間が真似しても劣化コピーにしかならないぞ。
百歩譲ってこれがオリジナルキャラクターでやるのなら理解出来る。
それをジブリ総選挙で5位以内に入り、amazon.comでは1161レビュー中77%が★5と評価するほど海外からの評価も高く、前回の金曜ロードショーでは視聴率18.8%も取った名作中の名作「魔女の宅急便」のキャラクターを利用しているというのが気持ち悪い(原作は読んだことがありません。すいません)
名作アニメや漫画のキャラクターに自社製品を食わせたり絶対口にしない台詞を言わせる、あの作品の10年後みたいなCMも大嫌いだが、それはネタとして処理できる。しかしこれは新たな解釈というていで改悪しているだけというのが気持ち悪い。
魔女の宅急便のタイトルとキャラクターを借りて自己満足と話題稼ぎのためにぐちゃぐちゃに汚す。これが許されていいのか?
「嫌なら見るな」と言われそうだがテレビCMという都合上テレビを付けた瞬間や番組を変えた瞬間など嫌でも目に入る可能性がある。対抗策は日清が提供の番組を見ない、NHKだけを見る、いっそテレビを付けないか
こんなのはテレビを使った映像の暴力だ。ちなみにカップヌードルはカレーが好きだ。最近はどんな味が出ているのか調べようとしたら公式サイトのトップ画像があれかよ……。
本のランキング(各年/複数名の投票・合議制による)で参考にしているもの。
名前 | 2016年のベスト | リンク | 所感等 |
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キノベス! | 『翻訳できない世界のことば』エラ・フランシス・サンダース | キノベス!2017 | 紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30(2003年~)。ジャンルが多彩で楽しい。 |
本の雑誌 | 『慈雨』柚月裕子 | 本の雑誌2017年1月 宝船どんぶらこ号 No.403 - 今月の本の雑誌 | WEB本の雑誌 | 選考会議が良い意味でグダグダで面白い。ノンジャンルの他にも、SF、ミステリー、現代文学、ノンフィクション、時代小説、エンターテインメントを個人が選定。 |
BOOK OF THE YEAR(ダ・ヴィンチ) | 『小説 君の名は。 (角川文庫)』新海誠 | ダ・ヴィンチ「BOOK OF THE YEAR 2016」 | 対象が10月1日~9月30日なので3ヶ月分は翌年に持ち越し。 |
静岡書店大賞 | 『ツバキ文具店』小川糸 | 静岡書店大賞:第5回 静岡書店大賞 発表! | 静岡県内の新刊書店・図書館に勤める全ての従業員が投票権を有し、毎年一回、県民読者におススメする本を選定するオープン文学賞。前向きな志を感じる。 |
ネットで発信している住民は、ネット世界で起こってることは何でも知っていることを承認欲求としているから、自分が理解できない「ブーム」は偽物だと騒ぐ。自分が説明できない現象は不安であると。
今のネットは世界が広くなりすぎて、クラスタの壁が四方八方にできてるから、発表されてからブームになるまでの間が見えにくい。
だから興味なかった人には、突然「世間で大ブーム」というコンテンツが目の前に現れることになり、それが非常に気持ち悪い。ネットで何でも知っていたい欲望がある者にとって、世界から疎外されてた気分になって、アンチになるんだよ。
「君の名は。」のヒットも、未だに「なぜオタクにしか知られていなかった新海誠作品が中高生に届いたのか」という具体的仕掛け(初日に並んだ中高生は何を見て映画を見ようと決めたのか、どんな媒体でマーケティングしたのかとか)が不明だから、アンチも多くなる。
最近の仕掛けが分かりやすいブームだと、ピコ太郎のPPAPがある。YouTubeに本人がアップして、若者に人気のモデルとかに真似させて国内で拡散したところを、海外のおもしろニュースサイトに拾われ、それをジャスティン・ビーバーがつぶやいて、世界的ニュースとなった。これくらい、流行るまでの段階がわかりやすければ、誰も流行りに文句は言わないんだよ。
※両方の作品についてネタバレされたくない方は読まないでください。
先日、飛行機で『ラ・ラ・ランド』を観た。
前もって得ていた情報は「アカデミー賞のいくつかの部門で賞を獲った作品」ということのみ。
最初の『Another Day Of Sun』の時点で私はこの作品に惹かれた。
私は元々ミュージカルが好きで、ジャズも好きなのだから当然の結果だと思う。
どの楽曲も魅力的で、特に印象深く繰り返されるミアとセブのテーマ(『Mia & Sebastian's Theme』)は良い雰囲気作りに役立っていると同時に作品をよく表現したメロディだと感じた。
観終わった後、ストーリーについて思うところがあった。
「この後味はどこかで感じたことがある」
以前にも体験したことのあるこの何ともいえない後味、それは新海誠の『秒速5センチメートル』を観た後のものと似ていた。
両方の作品を知っている人ならわかると思うが、両作品のラストは似通っている面がある。
私は『君の名は。』よりも『秒速5センチメートル』の方が好きというか、
どうしようもない切なさに精神がつぶれそうになるのを好む人間だ。
なので「『ラ・ラ・ランド』はアカデミー賞の割りに……」という人には同意しかねるのだが、ひとつ気になった点があった。
『秒速5センチメートル』が支持されなかったのは何故なのか。
この作品は知る人ぞ知る、とまでは行かないがそれなりに有名、というわけでもない印象だ。
『ラ・ラ・ランド』とは知名度が違いすぎる。
日本人にハッピーエンド至上主義が多いのか、はたまた『ラ・ラ・ランド』の評価の高さが異常なのか。
アニメと実写、という媒体の違いはあれど『君の名は。』の大ヒットを考慮するとアニメに対する偏見は世界的に薄れてきているような。
『ラ・ラ・ランド』のサントラを聴きながら色々考えている。
後輩の中にも退職してしまって働いていなそうな奴らは居るけど、そいつらはまぁしょうがないなぁと微笑ましく思えるが
都会で某TVコメンテーターの自宅に住み込み書生のような生活をしていたが、三行半を下されて来月から住むところにも窮しているという相談だった
(地方の山奥に昔の実家で今は空き家になっている物件を所有しているので以前、空き家だから住んでくれても良いよと言ったのを覚えていてそれに期待しているらしい)
某TVコメンテーターからは小説を書いて持ち込みをしてみては?とか有名国立大卒博士号取得の肩書で塾講師ならできるのでは?というアドバイスを最後にもらったそうだが
塾講師は最近の受験事情を全く知らないから勉強しないといけないので難しそうという言い訳
この辺までは黙って話を聞いていたのだけど、私はゲームソフトウェア開発会社のプログラマーとして働いているので小説に関しては一寸言いたくなってしまった
(博士号は持っていないけど、エンターテイメントの世界でなら彼より先輩だと思ってしまった)
小説については書生時代に7冊書いてブルーバックスから出版したことがある(科学のふしぎみたいな本)のでいけるのでは?と私も思ったのですが未だ書き上げていない。
どのくらいの時間をかけているかは聞かなかったけど、結末まで考えているプロットが頭の中にあって、いくつか書いてみたいエピソードがあり、その間をうまく繋ぐことができないという言い訳
自分が読んでみたいと思えないとダメじゃん?なんて言うが、書いてみたいエピソード間をうまく繋ぐことができるならそれはもう立派なプロの小説家であって
まだ持ち込みすらしていない素人なのだからとにかく完結まで書いてみろと言ってしまった。
きっと持ち込みをされた編集者の中にはそのうまいつなぎ方のアドバイスとか、膨らませた方が良いエピソードとかそういったそれこそプロとしてのアドバイスをしてくれる筈だとも言ってみた。
一人きりで作品を完成パッケージまで仕上げるには強靭な精神力が必要だし、その例として新海誠を挙げたら知らないといわれたのでほしのこえの成り立ちから説明する羽目になったので
エンターテイメントには全く興味が無かった様子。
彼曰く、ラノベ文庫本1冊は大体12万字なので大体その文字数を目指して執筆していて8割は書きあがっているというのであと少しで終わりなのになぜ書き上げないのか?とか
そもそも字数を目標にしている時点でやっぱりずれていてモヤモヤとした気持ちになった。
出来上がった小説を読ませてもらう事と、空き家を貸す件については年限を設けて書面できちんと契約しようという事を決めて話は終わりになった。
生活全般についてルーズというか危機感が薄い人だという印象を持ってしまったので家を貸すことによって家賃未納等で
今までの友人関係がこれで終わってしまうかもと思ったり、家を貸すことについて両親から反対意見が出たりしたら本当に路頭に迷ってしまうので彼の生殺与奪権を握ってしまった様で
今とても気が重い。
尚、とりあげられたからといって彼らが本当に幸福の科学信者かどうかが分かるものでは無いのであしからず
尚、この記事を書いている人は守護霊とか霊験がどういったものなのか全くわかってないのであしからず
やべぇ見たくなってきた(だが踏みとどまる)