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はてなキーワード: 当事者とは

2024-02-15

我々増田って

不幸になることを望んででもいるのかね?

弱者男性バズワードと化して久しいが、これはあくまで、当事者属性を示すものじゃないのか?

弱者男性ってのは不幸と同義なのか?

増田弱者男性の集いだろ?

増田は不幸の集いなのか?

anond:20240213151425

匿名ダイアリーでは、「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」という特殊ルールを設けています。また、サービス匿名性は、特定対象攻撃する目的に使われるべきでないと考えています

anond:20240215092234

匿名ダイアリーでは、「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」という特殊ルールを設けています。また、サービス匿名性は、特定対象攻撃する目的に使われるべきでないと考えています

2024-02-14

新海誠好きの元彼の一人として言いたいことがある[追記あり]

新海誠好きの元彼」が何を指すのかについて誤解が生じているようなので下の方に追記しました。

はじめに

新海誠好きの元彼についてアンケートを取り元彼達についての同人誌を出す企画があったが、その企画に対して「新海誠好きの元彼」を馬鹿にしているとの批判が出たこから企画が延期(中止?)になったらしい。

「新海誠が好きだった元カレ」がいた人々にインタビューしてみた|ペシミ

「新海誠好きの元彼」同人誌企画への3つのモヤモヤ、あるいはごく個人的な悲しみについてのこと - ささやかな終末

同人誌の企画中止につきまして|三宅香帆

おそらくこの批判をした人も、そして野次馬の多くも「新海誠好きの元彼」ではないだろう。別に新海誠好きの元彼」を代表するつもりはないのだが、そのうちの一人として意見を表明しておくことに何らかの意味があるかも知れないと思い増田に書いておくことにする。

先に結論を書いておくと、この投稿で主に自分が伝えたいのは「新海誠好きの元彼に関する同人誌」を是非世に出して僕たちの古傷をえぐって欲しいという意見表明であるとともに、そこに少しだけ当時(現在のではない)感じたであろう愛情を添えておいてくれると助かるというお願いである。

新海誠好きの元彼」というステレオタイプ

まず自分の「新海誠好きの元彼」としてのバックグラウンドを話しておきたい。僕が新海誠作品出会ったのは高校一年生のときである中学三年生の時いい感じだった同級生がいたもののお互いに奥手だったので付き合うには至らず、卒業と同時に単身赴任中の父親の勤務先近くに引っ越ししま彼女との別れを経た僕に当時話題になっていた秒速5センチメートル死ぬほど刺さった。その後大学生になってからその同級生と5年間遠距離恋愛をしたり(因みに再開した当時桜木町バイトをしていた、そんなとこにいるはずもなくもなくもなくもなくもなかった。)、彼女の家から帰る時に毎回涙ぐむのを彼女バカにされるのが定番化したり、夜行バスの中で長文LINEメッセージを生成したりといったような自己陶酔ロマンチシズムの激しい人間自分である

そんな自分なので上記新海誠好きの元彼がいた人へのインタビュー記事を読んで自分にも間違いなく「新海誠好きの元彼」としての要素があると思ったし、自分と似た人は世の中にそこそこいるのだろうなとも思った。インタビュー内容からは「集団の中では浮いている教室の隅で本を読んでいるタイプオタクなんだけど、恋愛にはそこそこ興味があって一部の物好きな女性の心をくすぐることがある」というようなイメージがなんとなく浮かんでくる。つまり新海誠好きの元彼」とは、単に新海誠が好きなだけでなく「遠野貴樹」や「秋月孝雄」、「寺尾昇」といった新海誠初期~中期のウジウジとした主人公感情移入し、心の中に彼らが住んでいるような男性を指しているのではないかと思う。

新海誠好きの元彼同人誌が人を傷つける可能性について

まず新海誠好きの元彼同人誌(以下、元彼同人誌と言う)が一方的元彼バカにするだけの目的作成されるというのは誤解を含んでいるのではないかと思う。正直、インタビュー記事の中には自分の行いが書かれているようで目を背けたくなるものもあり、古傷をえぐられる羞恥心となんとも言えない快感に襲われた。あのインタビューバカにしているかいないかで言えば、バカにしている要素を含むのだろう。一方でそこに当時受け取った愛情も同時には感じなかったというと嘘になる。企画自身も弁明しているが、同人誌企画趣旨には「新海誠好きの元彼」と付き合っていた自分という自虐も含むらしい。これは受け取り方によっては「こんな馬鹿な男と付き合っていた私」という追い打ちとも取れる(というかそう取っている人が多いように見える)が、おそらく真の意図は『そんな男を好きになっていた私も同じ穴のムジナ』という意味でありまたそんな思い出も忘れがたい青春の1ページとして同人誌の形で残す意図も含まれているのではないかと思う。なお過去の美しい(?)記憶や思い出をわざわざ言葉という劣化コピーの形で残すのが新海誠作品の読解的に正しい行いなのか、という議論はここでは置いておく。

そもそも論で言うと、自分新海誠に会ってから新作を見るたびに(あるいは動画を見返すたびに)傷つけられてそれが快感になっている。そして「新海誠好きの元彼」の中には同類が数多くいるのではないかとも思う。成長した元彼元彼同人誌を見て「こんな馬鹿なこともしたな、懐かしいなぁ」と心中悶え苦しみながらも穏やかに過去自分、そして成長した自分に向き合う、そういった同人誌になるのであればウェルカムだ。ただ本当に馬鹿にされているだけの同人誌だったら後で泣いてしまうと思うので、どうか当時の愛情を少しだけ添えておいて欲しい。

自分以外の「新海誠好きの元彼」へ

自分元彼同人誌が読みたい。そして忘れている過去の恥ずかしい思い出を掘り起こされて悶絶しつつ『あの頃』に浸りたい。きっと共感してくれる元彼もいると思うし、それを発信することで企画が前に進むこともあるのではないかと思う。もちろんそんな思い出は見たくもないというのであれば読まなければ良いし、そんなものが世に出ること自体が許せないなら反対の声を上げるのも自由だ。ただ今は自分たちの声が置き去りにされて無関係人達だけで議論が進んでいるようなので、当事者として声を上げることが大事だと思う。

元彼同人誌に反対の声を上げてくれた人へ

結果的余計なお世話だという趣旨記事になってしまったが、元彼の中には自分気持ちを代弁してくれてありがたい人もいると思います。代わってお礼を言わせてください。ありがとうございます

追記

新海誠好きの元彼」について少しだけ補足させてください。「新海誠好きの元彼」を定義することは元彼同人誌がやるべきだと思ったのであえて本文中ではボカしたのですが、それが「新海誠男性ファン」とイコールで捉えられることは本意ではありませんでした(元彼同人誌炎上根本的な要因も、「新海誠好きの元彼」が指す範囲ボタンの掛け違いなのではないかと思っています)。実際の「新海誠好きの元彼」が指す対象は「新海誠男性ファン」よりも(今となっては)かなり狭く、あえて乱暴定義するなら「新海誠初期~中期の作品感傷マゾ性癖クリーンヒットしてしまった人」でかつ「現実の男女関係にも感傷マゾ性癖を持ち出してしまう」ような人達のことを指すのではないかと思っています。なんなら新海誠作品出会っていないが「新海誠好きの元彼」的な性質を持っている人もいるはずで、「新海誠好きの元彼」の「新海誠」とはあくまでも当時感傷マゾをしばき倒していた代表格としての意味しか持たないと自分理解しています。(この辺りが同人誌作成過程の調査で明らかになると良いと思っています。)

そんな気持ち悪い、本質的には新海誠作品とあまり関係ない生物呼称新海誠名前を使うのは失礼という指摘に対しては、まあ一理あるけど概ね当然の報いなのでは?というのが自分の偽らざる気持ちです。

漫画家出版社搾取される時代が始まっている|新條まゆ@『虹色の龍は女神を抱く』連載中!

https://l.pg1x.com/DUgHYLQxXYpVRfGw6


え。何いってんのまゆたん。

俺が飯田橋編集していたXX年前から作家小説家漫画家イラストレーター含む)は搾取してナンボ」ってなってたけど。


以下は怪文書だ。裏は取らない。


製作委員会システム」の誕生の裏話。

美少女戦士アニメ権利原作者漫画家様が全部握ったせいで、玩具屋に入ったのは売上だけだった。

それが玩具屋的には面白くなかった(面白くないどころか、本気で腹を立てていたと聞いている)。

更に出版社は「金持ちになった漫画家漫画を描かせられなくなった」。

人気の出た鵜はこれからも鵜として魚をバリバリ回収させたかったのに、できなくなった。

こうして、TV屋・スポンサー(主に玩具屋)・出版社邪悪ギルド製作委員会システム誕生した……というのが、当時TV現場に顔を出していた奴の言い分だ。

製作委員会関係者、各スポンサーが「製作委員会という名の壺に金を入れて、版権使用を獲得する」画期的(笑)システムである

誰が一番得するのかって?さてね。絵を書いた奴、座組を組んだ奴が一番得するだろうさ。間違いなく玩具屋と円盤屋だろうね。出版社はそこまでじゃない。金が出せないからね。

ケロQボスが書いていた「製作委員会に金出せ!」ってのは、2000年代の名残、この頃の「金入れ壺」システムの名残である

実際「権利を貰うために、壺に金を入れないとやらせない」ってなっていたんだから酷いもんよ。

作家の取り分は「印税原稿料買い切り版権料」という取り決めで、版権料も製作委員会を通じて「出版社から」払われるのが通例だったと聞く。おそらく買い切り版権料は出版社ピンハネして1割しか渡してないはず。

当然、こういう金を入れて金を取るをやると大体は金が残る。かなり残る。制作費なんて微々たるものだ。

これを絵が書いた奴が全部持っていく。交渉当事者に鼻薬ぐらいは渡すさ。次もよしなに。でも残りは全部持っていく。それ繰り返してるんだからそりゃあんだけクループ企業デカくなるよ(笑)

IPを食い物にし始めたグループ企業がどんどんでかくなっていたのは、間違いなくこの「金入れ壺」のせいである。営業だけでデカくなんかなんないって。販売だけでデカくなんかなんないって。限りなくロハからリスクゼロの金を持っていってナンボだから

金さえ入れば、営業販売も回るんだよ。人手不足解消したら回るんだよ。売るものならいっぱいあるし、作ろうと思えば幾らでも作れる。金さえあれば。原資の金が、どっから出たのか。後はぐるぐる雪だるまだ。


製作委員会方式で搾取されない方法は、監督くんのやり方(自分で金を作る。自分スポンサーフィールズであろうな)から莫大な金を引っ張ってくる)しかない。

自分の金が一番大きく、自分が絵を書いているのであれば、メディアミックス出版社(笑)も、玩具屋も、円盤屋も従うしかいからな。あくまでも座組の二列目だ。

座組の一列目は、監督くんの旗本親藩が座る場所から

そういう意味監督くんは非常に大人になったな、と思うのだ。凄いよ監督くん。俺は夏休みに週間アニメの代わりに高校野球ダイジェストを見せられていたのは忘れてないけど、アンタは立派だよ。

anond:20240214114727

当事者が声を上げてくれたら、今の世論は一気に動くよ。

キャラクターの乳量規制など、何らかのルール作りが必要な時期に来てる。

自民党にも表現規制必要だと考えてる有力議員がいるはず。

2024-02-13

anond:20161126090202

Wikiリンクを貼っているけどさ、

当該Wikiも含めしばし被害者なき犯罪議論で欠けるのは、法は直接的な被害だけではなく

国民共有の文化風俗を守る抑止力に使っても構わないって視点

被害者なき犯罪の例示で売春がよく使われるけど、確かに当事者だけ見れば被害者はいない。

しかし守りたいのは社会秩序なの。

売春防止法の第一条に立法目的が書かれてる、法律というのはたいていは第一条に立法目的趣旨が書かれる。

売春防止法には

社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、」との一文があり、保護法益の一つは当人保護だけではなく社会の善良な風俗、なの

町中で公然とそこら中で売春が行われてる環境は嫌だ、鬱陶しい、当人だけの問題ではない、ってのがこの法律趣旨であり守りたい文化なの

 

日本民主主義なのだから多数派が望めば科学的、論理的、あるいは倫理的にも間違った法律でも作ることができる。

憲法の歯止めはあるが、それは別の話で議論が広がるので置いておく。

 

大麻取締法第一条には目的が書かれてない。

保護法益が設定されてない法としてよく例示される。珍しいんです。

立法時の国会議事録を読んでもわかるが身体有害性などを議論して立法されたのではない。

 

端的に言えば「国民が望んだから立法された

 

町中公然大麻を吸う人を見るのが嫌だ、鬱陶しい

 

本音は、敗戦国日本国際社会に復帰して主権を取り戻すには米国主導の条約には片っ端から加盟するしか無かった、保護法益議論どころではなかった)

 

しかしこういう法があっても構わんのです

法に立法事実立法根拠)の設定は必須では無い。

立法裁量憲法議論を避けるために科学エビデンスがあることは望ましいが、とはいえ慣例的なもの憲法上明瞭にエビデンス提示規定されていない。

究極的には国民が納得合意すりゃいいんです、民主主義なんだから

(極端に言えば、なんらか新法が憲法抵触したとしても国民憲法改正権利も持っているのだからから憲法も変えて適合させちゃえばいいんです、違憲立法審査権はその法律ダメですよ、という提案と平行しもう一つ、憲法整合しないか憲法の方も変えてね、というアドバイスも含まれる)

 

現在大麻取締法改正しようという国民世論は起きていない

まり合意継続している

繰り返すが国民多数派が守りたいのは大麻を吸う人の健康ではない

三重土民ひどすぎる

三重交通当事者からの真っ当な批判を「誹謗中傷」のレッテル貼って開示請求して黙らせようとするの公共交通機関としての最低限の倫理観すら備えてない。

あんなクソクズ企業に金を落とす三重土民も最低最悪過ぎる。今、令和やぞ?いい加減、昭和価値観からアップーデートしろ穢多非人が。

anond:20240212231032

当事者って男性のこと?それともジェンダートランス女性

一人一人が当事者だと思うと、その中の誰のことかが気になる

2024-02-12

anond:20240212224429

ブルマとかビキニアーマーとか… 女性にだけ着せられる男女不平等服の黒歴史が消えるのは、当事者から見るといいことよ。

おきさやか先生自分無知認識できない

https://twitter.com/okisayaka/status/1756564341506351129

差別のかなりの部分は根拠のない思い込みや、過去には科学的とされているが現在否定されている学説由来だったりするので、その種の発言をした途端、まず悪意か無知を疑われるのは仕方がないこと。で、悪意を示す自由無知による主張を自由にできる花畑は(少なくとも成人したら)ない

おいおいおい、トランス批判に対してなぜか性分化疾患を持ち出し、当事者患者からトランス関係ない、やめてくれと抗議を受けるも、Natureに書いているか表現の自由などと意味不明供述をしていたおきさやか先生が何をおっしゃる

https://twitter.com/okisayaka/status/1660234791546138625/

2024-02-11

anond:20240211200311

当事者所詮ただの当事者しかいか専門家にはなれない

私が🍤🍤🍤🍤🍤🍤🍤で思考を停めちゃうアホがわんさかいるので

当事者でないことは解像度を高める上でむしろ強みだよ

男性性が抱える原罪」と「タブー視される女性性の原罪

タイトル自分の考えによるものであり、「世間的にこう思われている」と主張するものではありません

これを書いている私は20代男性

この文章男性性を攻撃する為のものでも、女性性を攻撃する為のものでもない。

私は数年前から「正しく」生きていたいと思うようになった。それでニュースを見たりそのニュースへの反応を見ていたりしていたのだが、1つ問題が出てきた。

私は男性だが、その男性性はよく(ネット上では)「厄介なもの」だとされており、更にそこに書かれていることはある程度自分にも心当たりがある。そう、正しくなろうにも私は既に原罪を抱えていたのだ。

ただ、まだそれで男性アンチに回ろうとも絶望して死を選ぼうとも思わない。心当たりがあるので罪人なのは否定せずとも、罪人にも弁護する権利があるはずである

そこで「女性性の原罪の有無」について考えてみた。

さて、これがまた難しいものだった。

女性性」について考えようにも私の「男性性」が邪魔をするのだ。

まず、私は当事者ではない。「男性性の原罪」の影響で異性についての考えにバイアスがかかる。罪人が何かを主張する権利はあっても、その主張が本当に正しいものかは考慮すべきだ、というような感じだ。

更に、仮に「女性性の原罪」が存在するとして、それは恐らく男性性のソレより派手で目立ったものではない、ように見える。そうなるとその罪が女性性によるものなのか人間固有のものなのか判断がしにくい。

例えば、男性にも女性にも暴力性を抱える人は存在するが、男性の方が派手で目立ちやすいというような現象の逆が私には思いつかなかった。

そして最後に、私は被害者のことを同情的に見てしまうクセがあるのだが、そうなるとやはり「女性性の原罪から被害を受けた男性より「男性性の原罪」の被害を受けた女性の方が多く見つかるのである。結果としてやはり女性の方に同情的になってしまう。

さて困った。私は男性否定し、攻撃するつもりはない。なんなら、私以外の男性も自らが抱える「男性性の原罪」の被害を受けているとも思っている。自分の「原罪」による失敗を悔やんだり自己嫌悪した男性は多いだろう。

しかし私は他人ではなく本人なので、「原罪」による影響に抗う余力が残っているかどうかがわかる。自分の罪を認めることにあまり抵抗はないが、しか自分けが大罪であると考えるのも短絡的で、辛い。

なのでカウンター的に「女性性の原罪」を考えて自分の罪悪感を少し軽くしようと思ったのだが、結果は上の通りである

​​

さて、長々と書いたが結局私が聞きたいのは「女性性の原罪とは存在するのか?存在するとして、どういったものなのか?」だ。

はたしてここまで読んでくれるモノ好きがいるかどうかわからないが、よかったら意見を書いてくれると嬉しい。

anond:20240211152250

こいつはすごいな……

でも当事者同士が合意して企画に至ったなら他人がどうこう言ってもなって話じゃないか

詳しく知りたい人だけ金払って読む形式だし

そもそも内容を知らないか企画について判断できないわ

佐藤秀峰さんの投稿を読むと05年夏に現場に行ってないことがわかる件

死ぬほど嫌でした|佐藤秀峰

より中略しながら引用させていただく。

さて、「海猿」のテレビドラマ放映が終わり、映画第2弾が公開になった頃でしょうか。

(略)

その数年後、テレビ局プロデューサーに初めて会いました。

さらに略)

一度、映画撮影見学に行きました。

たくさんのスタッフが働いていました。

プロデューサーが主演俳優を紹介すると言うので挨拶に行きました。


引用した文章の間に割と文量があるから気付きにくいかもしれないが、佐藤氏がテレビ局プロデューサーに初めて会ったのは、「映画第2弾が公開になった頃」05年夏のさらに数年後と述べている。

プロデューサーに伴われて主演俳優伊藤さんでいいんだよね?)を紹介されたとも述べているので、佐藤氏は05年夏に主演俳優に会っていないことになる。

伊藤氏がこれに気付かなかったのは残念だし、時系列が明確でないなら件の投稿で「約20年前」ではなく「過去」と記述する選択肢もあったはず。

佐藤氏が海猿に関してどれだけ心労を重ねたかは察するに余りあるが、多少は伝わってくる。

佐藤氏が失礼に感じても不思議ではないと個人的には思ったし、あの「一体誰だったのでしょうか」というやや嫌味なアンサーも少し理解してしまう。

念のために(予防線として)記述しておくと、上で引用した「テレビ局プロデューサー」と「プロデューサー」はそれぞれ別人の可能性もある。

そのため、絶対に05年夏に会っていないとまでは言い切れない。当事者じゃないし(失礼な締め方)

2024-02-10

なぜ「小学館第一コミック編集者一同」の声明気持ち悪いのか

面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。

問題文章

https://petitcomic.com/news240208/

この文章が一読して耐え難いほどに醜悪理由を書く。以下、上記URL文章について「本テキスト」と呼称する。

結論

テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。


こうとしか読み取れない理由を書いていく。

なにを主張している文章

テキストそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。

前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館ドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。


順番に見る。

テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。


ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。

要約するとこうなる。


著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」


この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語使用している以上、ここには明瞭な主張がある。

それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。

暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」結論していることになる。


……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか

彼女が本当に「ドラマに口を出してしまたこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権行使)」は、12月時点で終わっていたのだから


そんなわけねえだろ。馬鹿か。


ここには明らかに問題すり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪論理欺瞞があるのだ。

明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。

一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキスト同意することができるだろう。


そんなやつ、どこにいんの?


誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。

にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか

何のための文章

素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇再現を食い止める」だ。

まりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。

ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで著作者人格権をめぐる認識」が事件本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動自殺関係がないことになる。


ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。


なにが「事態単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係時系列無視した、問題ミスリードだ。

そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。

ここには事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。

そうするともう少し穿った見方をしたくなる。

まり「本件を「著作者人格権問題」にすり替える」ことが、本テキスト目的だったのではないか、ということだ。

看過しがたい欺瞞

この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかもっとおぞましいのはこの先だ。

要約するとこうなる。

ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館ドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである

テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。


正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。


芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?

他ならぬ芦原氏がブログで書いていた言葉引用する。

https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。

加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。

(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

これは芦原氏が「小学館時系列に添って事実関係確認し、文章の内容も小学館確認して書かれた」文章だ。

さて、あらためて本テキスト引用する。

原作である先生にご納得いただけるまで脚本修正していただき

馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。

その文章確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?

ここに自己保身以外のいかなる感情があろうか。

ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。


そもそも意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのかガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。

明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から彼女修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館責任はないのか?


無論、担当編集者メディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場担当者たちを非難していい理由にはならない。

繰り返すが、現場担当個人責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力たから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任消滅させる理由にもならないのだ。


小学館責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向ドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的ドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて責任があるのだ。

にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。

それこそが本テキスト歴史的気持ち悪い理由ひとつだろう。

再度「誰に当てた文章か」

書くまでもないことを最後に書く。

ここまで確認してきたように、本テキスト作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」目的としたものである


その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。


この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない

欺瞞自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪レトリックを駆使した挙句そもそもテキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているかだ。

終わりに

本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。

小学館悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題TV局の体質的問題、悪意を増幅させるSNSというシステム問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。


それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。

騙されてはならない。


テキストは、どこをどう読んでも、クソ以下の文章だ。

2024-02-09

うるせえな、外野は黙っとけよ

言葉を荒げたいのは当事者だろうに。

から見てるだけの奴らが強い言葉を放ってるのを見ると常々そう思うよ。

お前らの正しさを講釈してるくらいならまずは自分の周りをよくしたらどうなのか。

顧みることがないかいくらでも次の事象は起こり得る。誰かに止めてほしいような対応をしてるなら尚更だ。

甘い?遅い?

お前らなんて一歩足りとも進んでないぞ。

他人のやる気を削いでるだけの自分気づきもしないんだからな。

今回の震災パフォーマンス政治家のことだぞ。

anond:20240209124925

とりあえず不謹慎厨は滅ぶべし

そして何より自分当事者だと思ってる異常者が多すぎる

anond:20240208202916

「敵」も「悪」もいない悲劇だってこの世にはあるんだよ

この概念理解できる人は稀有じゃないかな?

「敵」や「悪」独善的に決める権利があって、決めた以上、

法の裁きを待たずに市民裁判死刑にしていいってのが最近ネット界隈の動きで、

みんなそれに毒されて、それを当たり前と考えてるんじゃないか

複雑な当事者同士にしかからない事情考慮するよりそっちの方が楽だしね

対岸の火事エンタメである

これそろそろ常識になってほしいんだけど

人は、というか動物は遠くで起こっている悲劇エンタメ化するもんなんだよ

草食動物サバンナで仲間が食われてるのを遠くで見物してるのとか知らない?

これってたぶんだけど、そうやって悲劇から情報を得ようとする者が生き残った結果だと思うんだよね

 

エンタメ化って言っても、分かっててやってる人と無意識でやってる人が居ると思うけど

 

これがSNS時代になっておかしくなった

エンタメ消費している人の声が届くようになってしまった結果

当事者は怒るし、その取り巻き不謹慎だと騒ぎたてる

結果「配慮」が必要になってしまったんだ

 

でもSNSだとしても何らかの距離存在するようで

配慮しなくても問題ない事象と、配慮必要事象に今度は濃淡が分かれてきた

それに、距離が変容することで、前は皆がワイワイやってたのに突然炎上みたいなことも起きるようになった

例えば昔のアメリカでは広島長崎核爆弾のことを「平和な核」とか呼んでたらしいじゃん

今やったら炎上するよね

 

エンタメ化は別にいいと思うんだけど

その濃淡がきれいに別れればいいが混ざった時どうなるかを想像して対策を打たなきゃならない時代なのかもしれない

ただやりすぎると息苦しくなるし困ったもんだね

やっぱ全部SNSが悪いのでは

anond:20240209102431

当事者が思う分には勝手だが、外野が言い始めたら優生思想一直線だよ

anond:20240209102431

そのへんすげー厄介なんだよな。

障害個性」とかで今いる人らの立場をアゲてきた経緯があるから

まれる前に直しましょうとか言い出すと、「個性じゃなくてやっぱり病気じゃないか」となるやつがいる。

 

増田の言うような当事者ばかりなら話は早いが、当然そうじゃないし。

anond:20240209085313

障害者については、「生まれた(生まれしまった)からには幸せに生きる権利がある(なので人の目に触れる回数を増やして知ってほしい)、しかし新たに生まれる(積極的に増やす)のは避けたい」という考えは割と当事者サイドで見かける気がする

anond:20240208184136

炎上って当事者が表舞台から消えるだけで社会が動くほどではない

誰かが死んだときに初めて社会が動いて法律が変わったりする

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