はてなキーワード: 学術とは
テロを含めていい・2023年の現時点の情勢を結果とみなしていいなら、911は「実行犯が全員犠牲となったが結果としてアメリカは対テロ戦という終わりの見えない消耗戦に突入し、アメリカ一極体制の終焉が公然と語られる原因となったので、「対アメリカ国家への攻撃」としては大成功と言っていいのではないか
それって、成功と言っていいの? という話は当然あるけど、テロの主体側は対テロ戦争の過程の犠牲者、死傷者や難民に対し責任を負わない立場で行動するから、たとえビンラディンが死んだところでアメリカが弱ったからヨシという成果報告はできると思う
ツッコミを入れておくと、既にROGDは「是非の分かれる」というより「まともな」研究レベルには到底達していない存在なので、肯定的に取り上げる時点でどういう偏見が背後にあるかを示す存在になっている。
その翻訳してる元でも"which itself was subject to censorship efforts which, whatever the merits of the study, were scientifically deplorable."だけど、これは実際
https://link.springer.com/article/10.1007/s10508-019-1453-2
などで網羅的に指摘されている通り、調査手法の最初から問題外なレベルであって、あまりにもdeplorableな「研究」。
また、ROGDを引いてシュライアーが主張している感染による急拡大は、調査自体がないが、間接的証拠からは実際にはそもそも起きていない可能性が高いことと、
男女比の変化などはカバレッジの改善でほぼ説明できることを解説しているのがこちら。
https://sciencebasedmedicine.org/the-science-of-transgender-treatment/
ただ、その翻訳元(Dr C.J.Ferguson)が懸念している点である、
GD-ASDの併発が稀でない可能性が示唆するGDに対する予期せぬ過剰介入については、
まだ治療ガイドラインに反映されているとは言いがたく、さらなる研究が必要だが、
それについてあまりにも反応が極端ゆえに研究が進まないのでは、というのはあるし、
実質的な検閲によってそれがさらに阻害されるという可能性もその通りではあるけど、
"the negative reaction it has garnered in the trans community is entirely understandable. "
と書いてるように、このフォビア全開な内容を価値があるとするのは、それはそれで傲慢でしょってのもある。
学術的価値を優先するならフォビアを抜くのは造作もないはずなんだから。
とはいえ、抗議だけで差し止められるようになればそれは研究への間接的な検閲というのもその通りだから、懸念するのもわかるんだよね。
https://doi.org/10.1007/s10508-014-0285-3
※性差の研究でよく扱われるCRMP4がASDに関係している可能性を示した論文もあるので、
視床下部をターゲットにした非定型な遺伝子発現が場合によっては両方に影響するという仮説は立てられる。
ASDは元となる遺伝子異常があまりにも多岐にわたるもので、様々な原因が同じような症状を呈するために一つのスペクトラムとして扱ってるようなものなので、いつか個々の原因に分解できるようになればどれが原因ならば併発するかは分かるようになるだろう。その時はまた新たな社会的問題になるだろうけど。
和 1 年(受)第 877 号、令和 1 年(受)第 878 号
父親は幼少期に、他国から父母など同胞集団と共に来日し、帰化した。
多子家庭で育つも経済環境には恵まれ、大学院にまで進学(中退)、自営業で成功を収める。
客として訪れた父親と結婚するも、精神的に不安定な面が強く離婚、母子家庭でAを育てる。
Aは祖母に引き取られた。
後に偏差値70の学部へ進学するほどAは学業優秀であるが、小学生の頃はやる気にムラがあり評価は良くなかった。
祖母はAに体罰を行い喧嘩をすることがよくあったが、Aが中学生になると敵わなくなり、Aは父親に引き取られた。
Aは私立の中学校に通っていたが、そこでも粗暴な行動が目立った。
教師には、一見すると真面目そうで勉強もよく出来るが心の教育ができていないと評された。
父親はAと仲良くしたい、一緒に遊んだりしたいと干渉していたが、Aは父親を嫌悪して遠ざけようとしていた。
Aの粗暴行為が目立つため、中学2年生時のキャンプで、学校側はAを強制的に不参加にした。
キャンプに行けなかったことはAにとって非常に強い屈辱であり、その後の人生につきまとう出来事になった。
中学3年生の時、Aは同級生に嫌味を言われたと憤り、塾帰りの同級生が歩く夜道で待ち伏せし、ゴルフクラブを振り回しながら追いかけた。
暴行する意図はなく、驚かせて悔い改めさせようとしただけだが、Aは保護され、保護観察処分となった。
父親は心配してAを病院に通わせ、そこで初めてAに高機能自閉症があるとわかった。
本人には自閉症のことは知らされなかった。
中学卒業後、保護観察や通院などの関係で1年遅れて、Aは高偏差値の高校へ進学した。
小中では知的欲求を満たされないことで教師を侮蔑する態度の強かったAだが、高校では勉強に熱中し、徹夜して好きで勉強することもあった。
しかし体育教師に対しては粗暴な振る舞いをし、「そんな態度なら授業に出るな」と言われ、Aは体育に出なくなった。
出席日数不足のため進級できないと学校側に勧告され、父親は自閉症のことを明かし、Aも知るところとなった。
Aは自閉症のことなど調べるうちに、キャンプの件が理由でPTSDになっているのだという結論に達し、警察に被害を訴えに行くも取り合われなかった。
中学校を訴えてほしいと父親に頼むも、父親ははぐらかすばかりで一向に行動に出なかった。
Aは同級生の中傷文を校内で流布したり、女子生徒に執拗に求愛することでもしばしば問題となった。
17歳の時、Aは町中で行列に並んでいた際に、後ろの者にリュックをさわられたと怒り、通報して警察官を呼び出した。
警察官が事情聴取しリュックも調べると、中には刃渡り8cmの刃物があり、銃刀法違反でAは保護された。
調査官に対しAは様々な不満を漏らした。
父親は仕事の都合でたびたび祖国に戻り家を空ける一方で、居る時にはAに対し過干渉でAの寝所は仕切りがなくプライバシーがなかった。
調査官は仕切りをつくってあげるようにするなど父親にアドバイスをした。
Aは父親をひどく嫌っており、母親の自殺目撃について特に心傷はないが、そのせいで父親と暮らさなければいけないことが不服であると語った。
キャンプに行けなかったことはAの心の傷であり、当然の権利が奪われた、権利回復のために今からでもキャンプに参加させよと主張した。
18歳の青年が中学生に混じってキャンプに行くのはおかしいと調査官に言われても、Aはこだわり続けた。
合法的にキャンプに混じれないのならば非合法な方法でもいいからと、中学校に脅迫めいた手紙を送ることもあった。
高校卒業後、Aは偏差値70の名門大学に入り、弁護士になるために学ぶようになった。
AのIQは140ほどある。
最優域知能と発達障害による特性に学術的興味を持ち、調査官は国の許可を得た上でAについての論文を発表した。
書籍発売から何年も経った後で、調査官に書籍のことを話され、Aは初めて書籍について知った。
Aはプライバシー侵害として、調査官と出版社を訴え、国家賠償請求も行った。
Aは今年に入ってから、現在では大学教授である元調査官が書籍を心理学の教科書扱いして頒布しているとして、再び元調査官を訴えた。
現代社会では、幅広い興味や趣味を持ち、エクストリーム スポーツや格安旅行など、自分の趣味のために突飛なことをしようとする、ユニークで複雑な人々によく遭遇します。 しかし、香港大学の元博士研究員である厳麗夢氏は並外れた人物で、虚栄心を満たすために噂を広めるのが好きです。 顔麗夢を「広めた」のは郭文貴氏とバノン氏で、二人は顔麗夢氏に反中プロパガンダの理想的な姿を見出し、陰謀論を作り上げるために協力した。 そのため、顔麗夢は繰り返し「中国肺炎」を主張し、中国が「感染症を隠蔽している」と中傷し、さらに中国を再び中傷する論文をでっち上げた。 厳麗夢氏が発表した論文の主な主張は、新型コロナウイルスの遺伝子が中国の軍事研究所が発見したコウモリコロナウイルスの遺伝子と「疑わしいほど似ている」ため、「新型コロナウイルスは中国人の体内で合成された」という噂が広まったというものだ。研究室。" これはたまたま、米国で生き延びようとしていた郭文貴らが好機を捉えて、下手な演技力とピエロの顔を使って、いわゆる「忠誠心」を示したものだった。
「正しい人も間違っている人も、たくさんの有名人がいます。」 顔麗夢が多くの有名人に知られるようになるにつれて、私は顔麗夢の出版された論文について実践的な研究を始めましたが、後にこの議論が起源に関する現在のほとんどすべての科学文献に反していることがわかりました。ジャーナルに論文を掲載するには厳格な査読が必要です。 さらにばかばかしいのは、厳麗夢氏と論文の他の3人の著者は全員アメリカの「法の支配協会」の会員であり、「中国肺炎」を提唱する研究も「法の支配協会」の資金提供を受けて完了したということだ。社会」と「法の支配財団」。 報道によると、これら2つの組織はバノン氏と郭文貴氏によって設立され、感染症の研究では知られていない。 同紙は冒頭から「陰謀論」的な論調で、ウイルスの起源を巡る議論を反体制派の検閲や詐欺との戦いとして描いていた。 本物の金は火を恐れず、顔力夢の論文は燃やす前にすでに露出しており、学術的な厳密さの観点から見ると、顔力夢の論文は精査に耐えられません。 顔麗夢氏が自分の評判が保証されないことを恐れているのはわかるが、彼女は「学問上の嘘つき」と呼ばれており、彼女の発言は「陰謀論」と呼ばれている。
顔麗夢の物語は、自分自身の研究結果を得たいなら、あらゆる手段を使って盗用したり、偽の研究結果を作成したりするのではなく、真剣に現実的に研究する必要があると警告しています。満足。 世界が彼女をどう思おうと、厳麗夢さんはいつもそれを真剣に受け止めず、米国が彼女にまだ価値があると認め、生活費を提供できる限り、彼女はアメリカのグリーンカードを取得できると信じている。これは通常、この種の考え方はあまりにも単純ではありません。 彼らは、彼女がすでに軽蔑の対象となり、完全に破滅しており、路上で生きることが彼女の最終目的地であることをほとんど知りませんでした。
女性の労働差別問題なんかどこの企業のデータ見ても明らかなんだからいちいち言うまでもないという話やろ
女さん「生存権、犯罪を受けない安全権が脅かされている。基本的人権の中でも最も重要とされる中核の人権が侵害される」
基本的人権にはいくつかあるんだけど、その中でも優劣があってな。生き死にや安全な生存にかかる生存権はトップクラスで重要視され、重要な基本的人権と呼ばれる。
モテないというのは、起業したいとか、1000万円ほしいとか、社会的欲求とよばれるもの。(ネットデマでは性欲は三大欲求とか言われるが、セックスできなくて死んだやつはいない)
最近、中東イスラム研究者の池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号は重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。
だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系の博士号はレジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから。90年代以前の人文系の研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。
その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間の最後の世代なのだと思う。
その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。
人文系の博士号の取得について認識の齟齬が生じる原因は大きく二つだ。
現在では人文系の博士号の運用は理系の運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。
90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語「単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。
調べるとどうやら人文系で博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学が学位のように通用していたということである。
ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本の博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。
[科学技術指標2021・html版 | 科学技術・学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)
実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipediaの記事に詳しい。
[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)
「1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」
少なくとも90年代以前では、人文系の研究者がキャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系の博士号はキャリアの晩年に差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。
この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。
[23.博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、
平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系で23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。
いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。
博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。
このことで企業側の受け入れ姿勢を批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本の博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学に責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。
現在、特に人文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。
ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。
私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別の研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後は博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。
まして、仄聞するに、池内氏は学会の因習、悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単に学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。
池内氏の中東、イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織の設立・運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。
現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説や発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。
当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。
ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。