はてなキーワード: 反吐とは
『ジョーカー』監督は「文化のせいでコメディは死んだ」と本当に言ったのか ─ 米報道が物議醸す、タイカ・ワイティティも反応:https://theriver.jp/todd-comments-woke/
実際ポケモン新作が出るたびに偉そうにアレはいらないコレはいらないそれよりどれを返せ言ってるジジイやドラクエ新作が出るたびに何様目線でやれ最近のドラクエはなんだかんだ言ってるババア見てると反吐が出る。
なんで!?ジャンルの新たな挑戦や変化どれも愛おしくないか!?次は何を見せてくれるんだってワクワクしないか!?
てか嫌ならやらなきゃいいじゃない。ファミコンやゲームボーイが好きなら一生そっちをやってろよ。わざわざ最新作に手を出してツイッターでグダグダ文句言うなんて暇だな。
ポケモンやドラクエを民主主義国家と勘違いしてSNSなんかででけー声で公式を糾弾してる連中はさっさと自分たちが棄民なのだという自覚をもってこの国から出ていけ!!!!!とまで思う。
のだが。
なんでだろ。
FFだけはちょっとキツいんだよな。公式が無理。ホントに汚らわしくすら思う。
12までは大好きだった。13から突如無理になった。13以降も勝手はいるしプレーするんだけど途中で耐えられなくなってヤメちゃう。それでも13は20時間やったし14は35時間やったけど15はもう10時間くらいでダメだった。
自分が棄民なんだと思っていい加減この国を出ようかとは思っている。
なぜかネット、特にこことか意識高い系のブログで喚き散らしてるIT業界の妄想みたいな現状認識と、実際の違いを誰も書かないのが不思議で仕方がないので、これからIT業界で働きたいのなら、一つ覚えておいた方がいいと思い書こうと思う。
まず、増田が狂ったように喚き散らしてるIT業界のトップに行けば行くほどホワイトで稼げてウハウハっていうの、あれハッキリ言うけど妄想だから
多分、一流どころがどんなところかもいけもせずに、大昔のweb系とかのイメージそのままどっかにあると思ってそんなこといってるんだろうけど
ぶっちゃけ、IT業界の一流どころなんてワークライフバランス?なにそれおいしいのってレベルで一流は一流で人間の生存限界を超えた激務を当たり前のようにこなしてるよ
残業3桁時間台の世界とか、想像したことないでしょ?みんな楽々働いてるように見えて、中途で入ってきた並レベル(増田レベルの)奴が1か月やそこらで口から血吐いて倒れて2か月休職って世界よ?職場の雰囲気はいいし、このレベルのエンジニアの人ら、人間的によくできた人多いから、顔には出さないけど。
こんなの海外でも一緒どころか、海外の方がもっとすごいといわれてる。会社行ったら次の日ダンボール箱渡されて、お前クビだから荷物纏めてとっとと失せろって世界で、エリートなんてスマートドラッグ通り越して、シャブ打ちながら働いてたのバレて捕まってニュースになるなんてのが割とあるといわれるくらい、血反吐を吐いて激務をこなしてるのが公然の秘密みたいな世界なわけですよ
どんな業界もそうだけどさ、トップ層なんて命削って金稼いでるわけよ、そんな世界を見る機会もないくらい格差が開いたから、なろう小説みたいなモンが流行るんだろうけどさ
だから、ネットで増田や意識高い系ブログで言われてるような上は楽してホワイトで稼いでワークライフバランスで、2次元から飛び出てきたような乳のデカいねーちゃんにモテまくりなんて、真っ赤な嘘です
恋人出来ないとか毒親思い出したとかそんな、ちょっとでもくだらねー理由でウジウジ悩んで体調不良起こすような、ヒメマスより繊細な環境に弱い増田達が、とてもじゃないが稼いでるとかIT業界いたのなら、ガセってわかるのに、なんで誰もそこ突っ込まないんだろうな
今は持ち歩いていないが、小中学生の頃は、いつもの物差しを持ち歩いていた。
少し古い竹の物差し、プラスチックの折り畳みで、広げると大きくなる物差し。ステンレスの物差しもあれば、紙の物差しもあった。
僕はプラスチックの折り畳みの物差しで、よく大きく広げて遊んでいた。コンパクトでかつ長く計れる。筆箱サイズで30㎝まで測れてしまうのが楽しくて、何度も広げたり閉じたりした。
人の価値観というものも、いうなれば物差しみたいなものだろう。物差しで人を測るだとか、慣用句でもよくつかわれる。
現実の物差しと同じように、全て同じ規格で出来ているようで、どれも微妙に、状態によって差は出てくる。
それでも、その物差しで人を測るのは楽しい。優劣をつけて、自分と他人の長さを比べて、自分を追い立てたり、悦に浸ったりしていた。
そんな人を測る物差しが、中学2年生の頃に壊れた。精神病にかかり、毎日が反吐の中でもがくだけで通り過ぎた。
物差しで人を測ることが出来るのは、「同じ人間」という規格が存在するからだ。
人は物差しで人を測る時、そこに犬や猫、ホームレス等、そしてハリウッドのセレブなんかはめったに入れない。別世界の人間だからだ。
それと同じように、僕は「違う人間」になり「別世界の人間」になった。頭の狂ってる不幸な人間の目盛りは、誰にも当てはまらない。
結局、人の人生なんてものは主観で、それぞれ違って、測れるものなんかじゃない。僕は単にそのことに気付いただけだったのかもしれない。
僕がよく使っていたプラスチックの物差しは、僕の手元には一つも残ってない。何度も広げたり閉じたりしたせいで、折りたたむ部分に負荷がかかって壊れてしまったからだ。
長すぎる定規、構造に欠陥のある設計は、あまり何度も測ったり遊ぶのには向いてないらしい。最近のはもっと丈夫になっているのかな。
うんちができない苦しみをうんちしたい(うんち)
https://anond.hatelabo.jp/20191210171417
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
上2つのうんちへのうんちを見てうん然とした、うんちした。あなた方はなんでそんなにうんちを知らないのか、うんちなのか。
まずうんちなのはうんちが「うんち至上主義」のわかりやすいうんちだという事だ。
これからいくつかうんちを引いていこう。うんちの右側は判断をうんち。左側は救いようのないうんちだ、というようなうんちだ。
1つめのうんちは「これがうんちではなくうんちのうんちだと気づいてるかどうか」だ。うんちながら、この時点で多くのうんちが左側にうんち。うんちすぎない? せめてもうちょっとうんちってくれよ。
あなたは1つのうんちの長であり、そのうんちの構成員をしあわせにするのがあなたのうんちだ。
あなたはひとつだけうんちを与えられている。そのうんちにおいて「何がうんち」で「何がうんち」とされ「何がうんち」だとされるか、社会のうんち観だ。これをうんちは動かせる。
うんち観にはいくつかうんち肢があるが、「うんちができる者がうんち」とする「うんち至上主義」はこのうんちにおいてうんち級のうんちをうんちする。なぜならうんちを殖やすうんちの領域にさわれるからだ。うんち強者に他よりもうんちしているといううんち感を与えながら、うんちを殖やすことができる。いわゆるぶっ壊れうんち。「うんち至上主義」は為うんち者にとってこれ以上なくうんちがいいうんち観だと言える。
もちろんデメリットもうんちする。
うんち強者でなければこのうんち観のうんちを得ることはできない。むしろそうでない者は自動的に「うんちった者」のうんちをおされる。(元からうんちっているのではなく、「うんちっていることにされる」事にうんちすべきだ。これは積極的なうんちである)
「うんち至上主義」をうんちする限りうんちのすべてをうんちにすることはできない。必ずうんちを必要とする。
これはそういううんちだ。一部のうんちを積極的に生むことで大きなうんちを回収する。気にすることはない。うんちむのは自分じゃない。一部がうんちんで全体のうんちがうんちるならそれでいいじゃないか。――そう考えるうんちがこのうんちを選ぶ。これはうんちではなくうんちのうんちのうんちだ。
もちろんわかると思うがうんちはこのうんちだ。だからうんちんでる。彼のうんちはうんちが今のうんちである限り絶対にうんちするうんちであり、その存在はうんちだ。
「そんなのはどのうんち観でも同じだろ」と思うかもしれない。もちろんすこしはそういううんちもある。なにかをうんちと位置付けるかぎり自動的にうんちは生まれる。どのうんち観もうんちは生む。ただしうんちはこうしたうんち観をいくつも立てることでこれをうんちする。うんち観Aでうんちの者もうんち観Bでうんちとすることでうんちするというわけだ。
しかしうんちなのは「うんち至上主義」の「うんち」の2文字だ。このうんち観は単に「うんちができる者がうんち」とするだけでなく、むしろ他のうんち観に対する自身の「うんち」を主張する。つまりうんちシステムに落とし込めば、通常は複数選べるうんち観を1つしか選べなくするという強いうんちが「うんち至上主義」には掛かる。ぶっ壊れうんちを考えれば当然のうんちだろう。このうんちのため、うんち至上主義ではうんち観Bによるうんちができない。
まとめよう、「うんち至上主義」はうんち弱者のうんちといううんちを払って大きなうんちを回収するが、加えてうんち以外のうんち観を劣位に置くことでうんち弱者が他のうんち観で苦しみをうんちする逃げうんちをもうんち。そのうんちが元うんちの「すべてがうんちで解決される」といううんちだ。これはうんちであってうんちじゃない。元うんちに「お前のそのうんちがうんちだ」と言った者はうんちを知るべきだ。これはうんち個人がうんち意志で手に入れたうんちじゃなく、うんちが生贄を募集するためにうんち1人1人に植えつけたうんち観のうんちだ。うんちがえるな。
さて、うんちしよう。元うんちにブうんちなりうんちメントなりをうんちった者は自分のうんちを思い出してほしい。
そのうんちはうんちではなくうんち個人にうんちを求めるものではなかっただろうか? うんち個人にうんちを(そしてうんちを)求めるものではなかっただろうか?
この質問に「うんち」と応えられなかった者はうんちだ。うんちの左側へどうぞ。うんちは用意してないから以降ぼーっと突っ立ってそのうんち面を晒し続けてくれ。
(ちなみにうんちしておくが、例えばあなたのコメントにうんちが従った結果うんちができるなりうんちになったとしよう。その場合もうんちだ。思い出してくれ、これはうんちの問題だ。例えうんちがうんち抜けしたところでそのうんちはうんちだけのものじゃない。別のうんちが補充されるだけ。全体のうんちは減らない。うんちはなにもしていない。うんち個人がうんち至上主義から脱うんちしてもうんちが無いことをうんちしよう。うんちされるべきはうんちじゃなくうんち全体だ)
すでにうんちの左側に置かれたうんちもこれからのうんちで更にうんちになるかもしれないから以降もちゃんと読んでくれ。もし以降のうんちで右側に置かれたならひとまず喜んでいいしそのうんちは誇っていい。
さて、うんちの苦しみがうんち至上主義がのさばるかぎり発生を避けられないものであることはうんちした。この程度のうんちは分かってたうんちも結構いるんじゃないかと思う。
ただしうんちしたとてそれを避けられるかは別うんちだ。むしろうんちしても避けられないからこそこうしたうんち観はうんちだし、うんちでもある。
うんち至上主義がうんちを生むと分かってたとしても、それをうんち化せずに居られるうんちは少ない。特にあなたがうんち至上主義によってうんちを得ている既得うんち者なら、なおの事うんちだろう。
うんち個人のうんちの解決がうんちの解決に至らないとしても、うんち個人のうんちを願うのはもちろんうんちだしそれなりに美しくもある。でもそのうんちをまたもや「うんちができる事」によって成し遂げられるとあなたは考えていないだろうか?
うんちで紹介した2番目の「「うんちができない苦しみをうんちしたい」に対するうんち返し」(↓)をあなたは読んだだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
↑でうんちは寄せられたうんちに一つ一つ真摯にうんちしている(もっともその痛々しいまでのうんちは彼をうんちにするだろうか? とうんちになるが……)
そしてそれに対するうんちは彼のうんちを賞賛するものが多い。いいうんちだ。しかしそのうんちには反吐が出る。
なんと驚くべきことに彼のうんちが「うんちができる事」に役立つことを願ったりうんちする声が多いのだ。なんだこれは? イカレてるのかあなた方は。
どうして彼のうんちそのものを、それだけで独立したうんちでありうんちだと考えることができないのだろうか? なぜわざわざ彼のうんちは一度うんちに換金されなくてはならないんだ?
あなたは彼のうんちを賞賛しながら、なぜその手元の「うんち至上主義」といううんちを手離すことができないんだろうか?
そのうんちこそが彼をひっぱたき皮膚を裂いた凶器であることを知りながら、そのうんちによって彼がうんちになることを望むのか? それがどれだけうんちな事なのか、本当に分からないうんちか?
まずうんちされるべきは彼のうんち至上主義ではなく、あなたのうんち至上主義なのではないか?
もう一度うんちしよう。「Xがうんち」「Xをもつ者がうんちである」と規定するのが社会のうんち観だ。あなたがたはXに「うんち」なり「うんちができる事」を入れることに抵抗はないようだが(彼のうんちがうんちによって達成されることを望むならそういううんちだろう)、一方で彼のうんちである「うんち」はそれそのものだけではXに入らないと考えているようだ。
当然ながら、そのようなうんち観を持つあなた方が多く住むこのうんちでは「こんなにうんちならうんちもできる/うんちになれる」ことも期待できない。ここではうんちのうんちのされ方・されなさがうんちだからだ。悲しくもあなた方はあなた方のうんちがうんちされる見込みがうんちいことを自分自身でうんちしてしまっている。彼のうんちを願ううんちがどこか他人うんちなのもそのせいだろう。
うんちしよう。あなたのうんちは彼のうんちの根源であるうんち至上主義をうんち化したりうんち化するものでなかったか?
「うんち」と答えられないならうんちの左側へ。
なお、うんちではなく「うんち個人に」「うんちによる幸せ」のためのうんちやうんちを求めた者は2重にうんちだ。頼むから慎んでくれ。あなたはうんちだ。
はじめに紹介したうんちを思い出してほしい。私はあなた方をうんちのプレイヤーにうんちした。その意図がわかるだろうか?
あなたがたがやっているのだ。
あなたが彼のうんちを生み、うんちし、うんちし、うんちて、うんちったうんちを食べる張本人のうんちだ。
うんちをプレイするうちあなた方は気付くだろう、このうんちはオンラインうんちだと。うんちは自分だけじゃない、何億といううんちがこのうんちに接続し、それぞれがこのうんちに期待するうんち観をうんちする。そのうんちとしてうんち至上主義はみなさまのごうんちのおかげでランキングうんち位に輝きました。
そもそもうんち的にどういううんち組みでこのうんち観ランキングは動いているのだろうか?
うんちながら、為うんち者が「うんち至上主義」ボタンをポチっとうんちしたらみんなの脳にうんち至上主義がうんちされる、わけではない。そうではないうんち的なうんち組みがあるはずだ。
そのうんちの中にあなたがいる。
あなたがうんちてうんちきてうんちべてうんちしてうんちいてうんちいてうんちんでうんちてうんちってうんちいて過ごす一つ一つのうんちやうんちが様々にうんちして結びつくうんち系がこのうんちだ。
さて、あなたはうんちだろうか? あなたの好きなあのうんちやあのうんちやあのうんちはうんちだろうか?
うんちだと思った?
だとすればうんちだ。どうしてあなたはあなたがうんちかどうか判定するうんちなりうんちがあると思ったのか、うんちしているとしか思えない。
うんちへのブコメを見てもわかる通り、このうんちにはうんち至上主義をうんち化してしまっているうんちが多い。あなた方は日常の様々なうんちでうんち至上主義をうんちするようなうんちをばら撒き、加うんち者となりながらそれに気付かない。
うんちを付けてほしいのはそういううんちなりうんちは必ずしもうんちの的にならないという事だ。すでにうんちの隅々にうんち至上主義が行き届いてしまっている以上、それはうんちからは「うんちされる」。どころか「うんちされ」すらする。このうんちにおいて批判されないうんちやあるいは賞賛されているうんちですら、実際にはうんち至上主義をばら撒く害毒うんちである可能性は十分にあるといううんちだ。聖うんちは無い。
こうしたうんちは、たとえばうんちニストならば割かし容易く受け入れられると思うんち。日常のうんちや多くのうんちに支持されるうんちが誰かをうんちにして成り立つうんち観を静かに忍び込ませてしまう。そうしたことをうんちニズムはうんちしてきた。
たとえばうんちニズムへの敵対者は、残念ながらその逆のようだ。彼らは心情的にはうんちのようなうんちの味方になりたいのではないかと思うが、彼らのうんちはその方法を提供しない。日常の些細なうんちやうんちによる抑うんちやうんち観の忍び込ませといった話題にうんちで迎え撃つ彼らは、同様にうんち至上主義を忍び込ませるうんちやうんちをうんちしえないのだ。
(もっとも、ここにはうんちがあるかもしれない。全員がうんちではないと。例えばうんちニズムの敵対者が「うんちやうんちによるうんち観のばら撒き」をうんちしているのではなく、そのようなうんち撒きへのうんちの「偏り」をうんちにしている、とうんちするとしたら、それがうんちなら確かにうんちだろう。つまりあるうんち撒きにはそのうんちやうんち性を認めるが、他のうんち撒きには認めない、といううんちを取る人をうんちするという事はあり得るし、実際うんちへのブコメを見るかぎりそうしたうんちを無自覚に持っている(自分のうんち性を自覚できていない)うんちは多そうである。また↑のうんちニストへの期待もうんちが必要な場合もある。彼女らうんちらはうんちコンテンツに対しては厳しいうんちを持っているが、うんちら彼らが賞賛するうんちのうんち至上主義のうんち撒きに対して同じくらい厳しいうんちを持っていると言えるか? と言われると、うーむ、うんちさせてくれ、とならざるを得ないし、うんちよりもうんちテンツへのうんちに偏っていると言われれば、それも自信をもってうんちはできない。そもそもうんち至上主義での既得うんち者もそれなりに抱えるうんちなのだ、その点で不うんちであったり不うんちなうんちも混じっているだろうし、そういう不純物に対する自浄性は多くのうんちが備えていない。とはいえ、その辺りもうんちしてうんちを付けてる人は多いと思う。思いたい(もっとも「自分は気を付けてるからうんちだ」とあなたが思ってるとしたら、あなたはうんちの左側にいる))
さて、うんちしよう。
あなたはあなたがこのうんちでうんち至上主義の蔓延に(従ってうんちの苦しみに)加担している自覚を持ってうんちしたか?
「うんち」と言えないならあなたの居場所はうんちの左側だ。うんちを持ってくれ。お願いだ。
この他にも様々なうんちが引けるだろう。流石に疲れてきたので(本当にいいうんちにしてくれ、せめてもっとうんちになってくれ)このあたりにするが、気が向けばまたうんちを追加するなりするかもしれない。
さて、あなたはいまうんちの右側に居るだろうか? 左側に居るだろうか?
右側に居るうんちはおめうんち。ただしそれは偶然のうんちである事をお忘れなく。今回引いたうんちはあくまで私のうんちの限界に規定されてうんちされている。うんちがまだ思いついていない他のうんちで左側に立たされる可能性はうんちにある。
左側に居るうんちは、あなたはうんちにうんちする前にまず自分のうんちやうんち性をうんちするべきだ。まずはうんちを知るところからはじめるといい。
「こんなに細かいうんちをいちいち言われたらうんちもできないしうんちえないじゃないか」といううんちをあなたが持ったとしたら「今更うんち?」と答えるしかない。現代は過去最高にうんちの線が増えたうんちだ。あなたがうんちする度、あなたは加うんち者である。あなたがうんちをできるためにうんちが気を遣ってあなたを避けてくれる事は無いのだ。
さて、気付いたうんちもいると思うが、これがうんち観のしている事だ。
うんちといううんちを引き、不うんちにもうんちをその右側に置いたり左側に置いたりする。もしもあなたがこれまでの私の言葉にうんちさを感じたとしたら、いや、全くうんち。だから、あなたは、うんちなのだ。
うんちを引くにしてもなるべくうんちになるよううんちを尽くしたつもりだが、うんちしたつもりならうんちとは限らないし、仮にそのうんち引きがうんちだったとしても、そのうんち性が無くなることはうんち。うんち種やうんち別のような理不尽なうんちを選ばないとしても「うんちじゃなくうんち」などという戯うんちはやはり戯うんちでしかないのだ。
頼むからうんちしてくれ、うんちを、加うんち性を、暴うんち性を、知ってくれ。
「うんちうんち」じゃねぇぞ。うんちに言ってるんだようんちに。
https://anond.hatelabo.jp/20191210171417
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
上2つの増田へのブコメを見て暗然とした、失望した。あなた方はなんでそんなに恥を知らないのか、愚かなのか。
まず明らかなのは元増田が「恋愛至上主義」のわかりやすい被害者だという事だ。
これからいくつか線を引いていこう。線の右側は判断を保留。左側は救いようのない阿呆だ、というような線だ。
1つめの線は「これが個人ではなく社会の問題だと気づいてるかどうか」だ。残念ながら、この時点で多くの者が左側に置かれる。早すぎない? せめてもうちょっと頑張ってくれよ。
あなたは1つの社会の長であり、その社会の構成員をしあわせにするのがあなたの責務だ。
あなたはひとつだけコントローラーを与えられている。その社会において「何が幸福」で「何が優れている」とされ「何が重要」だとされるか、社会の価値観だ。これをあなたは動かせる。
価値観にはいくつか選択肢があるが、「恋愛ができる者が優れている」とする「恋愛至上主義」はこのゲームにおいてチート級の強さを発揮する。なぜなら市民を殖やす生殖の領域にさわれるからだ。恋愛強者に他よりも優越しているという幸福感を与えながら、市民を殖やすことができる。いわゆるぶっ壊れ性能。「恋愛至上主義」は為政者にとってこれ以上なく都合がいい価値観だと言える。
恋愛強者でなければこの価値観の恩恵を得ることはできない。むしろそうでない者は自動的に「劣った者」の烙印をおされる。(元から劣っているのではなく、「劣っていることにされる」事に注目すべきだ。これは積極的な行為である)
「恋愛至上主義」を採用する限り市民のすべてを幸せにすることはできない。必ず生贄を必要とする。
これはそういう方法だ。一部の苦しみを積極的に生むことで大きなメリットを回収する。気にすることはない。苦しむのは自分じゃない。一部が苦しんで全体の幸福が上がるならそれでいいじゃないか。――そう考えるプレイヤーがこの方法を選ぶ。これは個人ではなく社会の構造の問題だ。
もちろんわかると思うが元増田はこの生贄だ。だから苦しんでる。彼の苦しみは社会が今の社会である限り絶対に必要とする苦しみであり、その存在は必然だ。
「そんなのはどの価値観でも同じだろ」と思うかもしれない。もちろんすこしはそういう側面もある。なにかを優と位置付けるかぎり自動的に劣は生まれる。どの価値観も犠牲は生む。ただし通常はこうした価値観をいくつも立てることでこれをカバーする。価値観Aで劣の者も価値観Bで優とすることでケアするというわけだ。
しかし重要なのは「恋愛至上主義」の「至上」の2文字だ。この価値観は単に「恋愛ができる者が優れている」とするだけでなく、むしろ他の価値観に対する自身の「至上」を主張する。つまりゲームシステムに落とし込めば、通常は複数選べる価値観を1つしか選べなくするという強い制約が「恋愛至上主義」には掛かる。ぶっ壊れ性能を考えれば当然の制約だろう。この制約のため、恋愛至上主義では価値観Bによるケアができない。
まとめよう、「恋愛至上主義」は恋愛弱者の苦しみというコストを払って大きなメリットを回収するが、加えて恋愛以外の価値観を劣位に置くことで恋愛弱者が他の価値観で苦しみを緩和する逃げ道をも奪う。その結果が元増田の「すべてが恋愛で解決される」という盲信だ。これは結果であって原因じゃない。元増田に「お前のその考えが原因だ」と言った者は恥を知るべきだ。これは増田個人が自由意志で手に入れたものじゃなく、社会が生贄を募集するために市民1人1人に植えつけた価値観の結果だ。はきちがえるな。
さて、チェックしよう。元増田にブコメなりコメントなりを送った者は自分のコメントを思い出してほしい。
そのコメントは社会ではなく増田個人に原因を求めるものではなかっただろうか? 増田個人にアクションを(そして責任を)求めるものではなかっただろうか?
この質問に「いいえ」と応えられなかった者はアウトだ。線の左側へどうぞ。椅子は用意してないから以降ぼーっと突っ立ってそのアホ面を晒し続けてくれ。
(ちなみに補足しておくが、例えばあなたのコメントに増田が従った結果彼女ができるなり幸せになったとしよう。その場合もアウトだ。思い出してくれ、これは社会の問題だ。例え増田が一抜けしたところでその苦しみは増田だけのものじゃない。別の生贄が補充されるだけ。全体の苦しみは減らない。あなたはなにもしていない。増田個人が恋愛至上主義から脱却しても意味が無いことを理解しよう。治療されるべきは個人じゃなく社会全体だ)
すでに線の左側に置かれた人もこれからの線で更に左になるかもしれないから以降もちゃんと読んでくれ。もし以降の線で右側に置かれたならひとまず喜んでいいしその部分は誇っていい。
さて、増田の苦しみが恋愛至上主義がのさばるかぎり発生を避けられないものであることは確認した。この程度のことは分かってた人も結構いるんじゃないかと思う。
ただし自覚したとてそれを避けられるかは別問題だ。むしろ自覚しても避けられないからこそこうした価値観は強力だし、卑劣でもある。
恋愛至上主義が犠牲を生むと分かってたとしても、それを内面化せずに居られる人は少ない。特にあなたが恋愛至上主義によって利益を得ている既得権益者なら、なおの事難しいだろう。
増田個人の問題の解決が社会の解決に至らないとしても、増田個人の幸せを願うのはもちろん自由だしそれなりに美しくもある。でもその幸せをまたもや「彼女ができる事」によって成し遂げられるとあなたは考えていないだろうか?
冒頭で紹介した2番目の「「彼女ができない苦しみを整理したい」に対するコメント返し」(↓)をあなたは読んだだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
↑で増田は寄せられたコメントに一つ一つ真摯に答えようとしている(もっともその痛々しいまでの従順さは彼を幸せにするだろうか? と心配になるが……)
そしてそれに対するブコメは彼の真摯さを賞賛するものが多い。いいことだ。しかしその内容には反吐が出る。
なんと驚くべきことに彼の真摯さが「彼女ができる事」に役立つことを願ったり期待する声が多いのだ。なんだこれは? イカレてるのかあなた方は。
どうして彼の真摯さそのものを、それだけで独立した達成であり勝利だと考えることができないのだろうか? なぜわざわざ彼の真摯さは一度恋愛に換金されなくてはならないんだ?
あなたは彼の真摯さを賞賛しながら、なぜその手元の「恋愛至上主義」というものさしを手離すことができないんだろうか?
そのものさしこそが彼をひっぱたき皮膚を裂いた凶器であることを知りながら、そのものさしによって彼が幸福になることを望むのか? それがどれだけ残酷な事なのか、本当に分からないのか?
まず解決されるべきは彼の恋愛至上主義ではなく、あなたの恋愛至上主義なのではないか?
もう一度確認しよう。「Xが優れている」「Xをもつ者が幸福である」と規定するのが社会の価値観だ。あなたがたはXに「恋愛」なり「彼女ができる事」を入れることに抵抗はないようだが(彼の幸福が恋愛によって達成されることを望むならそういうことだろう)、一方で彼の美質である「真摯さ」はそれそのものだけではXに入らないと考えているようだ。
当然ながら、そのような価値観を持つあなた方が多く住むこの社会では「こんなに真摯なら彼女もできる/幸福になれる」ことも期待できない。ここでは真摯さの評価のされ方・されなさが問題だからだ。悲しくもあなた方はあなた方の願いが達成される見込みが薄いことを自分自身で証してしまっている。彼の幸せを願うコメントがどこか他人事なのもそのせいだろう。
チェックしよう。あなたのコメントは彼の苦しみの根源である恋愛至上主義を内面化したり強化するものでなかったか?
「いいえ」と答えられないなら線の左側へ。
なお、社会ではなく「彼個人に」「恋愛による幸せ」のためのアクションや原因を求めた者は2重にアウトだ。頼むから慎んでくれ。あなたは有害だ。
はじめに紹介したゲームを思い出してほしい。私はあなた方をゲームのプレイヤーに設定した。その意図がわかるだろうか?
あなたがたがやっているのだ。
あなたが彼の苦しみを生み、加熱し、支持し、育て、成った実を食べる張本人のひとりだ。
ゲームをプレイするうちあなた方は気付くだろう、このゲームはオンラインゲームだと。プレイヤーは自分だけじゃない、何億という人間がこのゲームに接続し、それぞれがこの社会に期待する価値観を送信する。その結果として恋愛至上主義はみなさまのご愛顧のおかげでランキング1位に輝きました。
そもそも具体的にどういう仕組みでこの価値観ランキングは動いているのだろうか?
当然ながら、為政者が「恋愛至上主義」ボタンをポチっと押したらみんなの脳に恋愛至上主義がダウンロードされる、わけではない。そうではない具体的な仕組みがあるはずだ。
その仕組みの中にあなたがいる。
あなたが寝て起きて食べて話して歩いて働いて遊んで観て笑って泣いて過ごす一つ一つの所作や言動が様々に作用して結びつく複雑系がこのランキングだ。
さて、あなたはセーフだろうか? あなたの好きなあのコンテンツやあの人やあの活動はセーフだろうか?
セーフだと思った?
だとすれば異常だ。どうしてあなたはあなたがセーフかどうか判定する能力なり権限があると思ったのか、どうかしているとしか思えない。
増田へのブコメを見てもわかる通り、この社会には恋愛至上主義を内面化してしまっている人間が多い。あなた方は日常の様々な場面で恋愛至上主義を強化するような言動をばら撒き、加害者となりながらそれに気付かない。
気を付けてほしいのはそういう行為なりコンテンツは必ずしも批判の的にならないという事だ。すでに社会の隅々に恋愛至上主義が行き届いてしまっている以上、それは社会からは「許される」。どころか「推奨され」すらする。この社会において批判されない行為やあるいは賞賛されているコンテンツですら、実際には恋愛至上主義をばら撒く害毒である可能性は十分にあるという事だ。聖域は無い。
こうした考えは、たとえばフェミニストならば割かし容易く受け入れられると思う。日常の仕草や多くの人間に支持されるコンテンツが誰かを生贄にして成り立つ価値観を静かに忍び込ませてしまう。そうしたことをフェミニズムは主張してきた。
たとえばフェミニズムへの敵対者は、残念ながらその逆のようだ。彼らは心情的には増田のような人間の味方になりたいのではないかと思うが、彼らの論理はその方法を提供しない。日常の些細な言動やコンテンツによる抑圧や価値観の忍び込ませといった話題に嘲笑で迎え撃つ彼らは、同様に恋愛至上主義を忍び込ませる言動やコンテンツを批判しえないのだ。
(もっとも、ここには反論があるかもしれない。全員がそうではないと。例えばフェミニズムの敵対者が「言動やコンテンツによる価値観のばら撒き」を否定しているのではなく、そのようなばら撒きへの批判の「偏り」を問題にしている、と主張するとしたら、それが本当なら確かにそうだろう。つまりあるばら撒きにはその存在や加害性を認めるが、他のばら撒きには認めない、という態度を取る人を批判するという事はあり得るし、実際増田へのブコメを見るかぎりそうした偏りを無自覚に持っている(自分の加害性を自覚できていない)人は多そうである。また↑のフェミニストへの期待も留保が必要な場合もある。彼女ら彼らはオタクコンテンツに対しては厳しい目を持っているが、彼女ら彼らが賞賛するコンテンツの恋愛至上主義のばら撒きに対して同じくらい厳しい目を持っていると言えるか? と言われると、うーむ、検討させてくれ、とならざるを得ないし、言動よりもコンテンツへの批判に偏っていると言われれば、それも自信をもって反論はできない。そもそも恋愛至上主義での既得権益者もそれなりに抱える集団なのだ、その点で不当であったり不誠実な人間も混じっているだろうし、そういう不純物に対する自浄性は多くの集団が備えていない。とはいえ、その辺りも自覚して気を付けてる人は多いと思う。思いたい(もっとも「自分は気を付けてるから大丈夫だ」とあなたが思ってるとしたら、あなたは線の左側にいる))
さて、チェックしよう。
あなたはあなたがこの社会で恋愛至上主義の蔓延に(従って増田の苦しみに)加担している自覚を持ってコメントしたか?
「いいえ」と言えないならあなたの居場所は線の左側だ。自覚を持ってくれ。お願いだ。
この他にも様々な線が引けるだろう。流石に疲れてきたので(本当にいい加減にしてくれ、せめてもっとマシになってくれ)このあたりにするが、気が向けばまた線を追加するなりするかもしれない。
さて、あなたはいま線の右側に居るだろうか? 左側に居るだろうか?
右側に居る場合はおめでとう。ただしそれは偶然の結果である事をお忘れなく。今回引いた線はあくまで私の能力の限界に規定されて選抜されている。私がまだ思いついていない他の線で左側に立たされる可能性は大いにある。
左側に居る場合は、あなたは他人にコメントする前にまず自分の問題や加害性をどうにかするべきだ。まずは恥を知るところからはじめるといい。
「こんなに細かい事をいちいち言われたら何もできないし言えないじゃないか」という感想をあなたが持ったとしたら「今更気付いたの?」と答えるしかない。現代は過去最高にアウトの線が増えた時代だ。あなたが何かする度、あなたは加害者である。あなたが何かをできるために倫理が気を遣ってあなたを避けてくれる事は無いのだ。
さて、気付いた方もいると思うが、これが価値観のしている事だ。
恋愛という線を引き、不躾にも他人をその右側に置いたり左側に置いたりする。もしもあなたがこれまでの私の言葉に傲慢さを感じたとしたら、いや、全く正しい。だから、あなたは、傲慢なのだ。
線を引くにしてもなるべくフェアになるよう言葉を尽くしたつもりだが、尽くしたつもりなら尽くせるとは限らないし、仮にその線引きがフェアだったとしても、その暴力性が無くなることは無い。人種や性別のような理不尽な線を選ばないとしても「差別じゃなく区別」などという戯言はやはり戯言でしかないのだ。
頼むから自覚してくれ、恥を、加害性を、暴力性を、知ってくれ。
「そうだそうだ」じゃねぇぞ。お前に言ってるんだよお前に。
違法ダウンロード拡大:結論誘導的な文化庁「国民アンケート」 | https://t.co/qeZaPFPkD1 https://t.co/QozE4B4hbN #著作権 #違法ダウンロード @yamadashojiさんから— 山田奨治 Shoji YAMADA (@yamadashoji) 2019年12月13日
11月27日に第一回初めて、年度内に残り2回で強引に結論を取りまとめると言う、前回の時から文化庁は何も学んでいない傲慢で結論ありきの事をまたしでかそうとしているのか。
まさに自民が参院選終わって、漫画家も一緒に進めているからこれで良いだろ?と言う態度がそこかしこから見て取れるよね。
内容自体前回と相変わらずだし、今回は慎重的な委員も退席したりいなかったりと本当にやばい状況だし、どうせこいつらから出てくる法案に関しては前回指摘された問題点が全く考慮されていない代物であるのがこの無理なスケジュールを見ても明らかだろうね。
パブコメで8割後半もダウンロード違法化拡大自体に反対だった事実も無視してこれだからな。
マジで形だけ取って、利害関係者のみの意見を優遇して、国民の意見なんてどうでも良いと言っている様なものだ。
自民もこれですんなり通せばそれこそ選挙対策と言われるだろうし、山田太郎議員にとっては命取りにすらなりかねない事になると思うけどね。
それとオタクはいい加減、幾ら漫画家が進めている規制と言ってもそれはそれ、これはこれと割り切って、規制及び漫画家の行為自体問題点を叩いていかないとオタクが規制を進めたと言われかねない事にもなると思うよ。
漫画家に関しては当時から進める側だったのだけど、世論的に反対多いからブレて、慎重とか言い出しただけで、参院選終わってほとぼり冷めた途端にこうして、文化庁と一緒に自ら音頭取りをして、ダウンロード違法化拡大やリーチサイト規制と言う暴挙に出ているしな。
現代において非モテがいかに辛い状況に置かれているかをよく表している。
特にブコメにいる増田を性欲モンスターとみなすエセ北方謙三と、彼女は自分の都合のいいモノじゃない、バカにするなという非モテマウンティングは際立ってひどい。
増田に風俗に行けと言っている奴らは、最後までこの文を読んだのか?②で増田が風俗に行かない理由は明記されている。だいたい風俗に行って解決できるのは、せいぜい性欲ぐらいでそれが増田の苦しみの根本的な解決にならないことは全文を読んだら火を見るより明らかだろう。なぜ増田の苦しみを「どうせ性欲の問題、一発ヤッたら解決する」などと矮小化するのか。
あとまず女性を愛することから始めようとか女性にクレクレすんじゃねーみたいな趣旨のブコメ。どこにそんなこと書いてあるんだ。愛し愛されたいとは書いてあるが一方的に愛されたいなんて書かれてないし、ましてセックスするために彼女欲しいなんて微塵も書かれてない。②で書いてあるようなことは特に傲慢という訳ではなく普遍的に多くの人が感じることだろう。
非モテの生きづらさはこういうとこにある。非モテだけど彼女欲しいとか言うと、粗探しと上から目線の説教が始まる。さらにこの説教が始まる頃にはもうこちらの話を聞いていない。彼、彼女が考える想像上の非モテへの説教を目の前の相手にぶつけるだけ。こうやって非モテが苦しみを理解されないだけでなく、彼、彼女らのオナニーに消費される姿には毎度反吐が出る。
とはいえ自分も非モテなので立派な助言ができる訳ではないのだが、次のことは覚えておくと少し精神安定上良いと思うので軽く述べる。
誰かと付き合うことができるかどうかって本当に運の要素が大きい。彼女がいるやつといないやつで本質的に優劣がある訳ではないし、たとえそのように見えるものがあったとしてもそれは見る人の見方による相対的なものであって、絶対的な、それこそ増田が言うようなどうしようもない格差なんてものはない。またその相対的な優劣は人によって、また時間によってころっと変わるのである。だからサイコロを振り続けて欲しい。そして誰かに嫉妬して悩み続けたり、闇落ちしたりすることなく人生を満喫して欲しいと切に願う。
侵害コンテンツのダウンロード違法化の制度設計等に関する検討会(第1回)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/shingaikontentsu/01/
「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント」の結果について(全体像)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/shingaikontentsu/01/pdf/r1422992_04.pdf
おー、全体4437件、個人4386件も集まったのね。
以前の山田太郎議員の動画で触れられた時は2800件程度だったので、3000件超えればよい方かなと思っていたけど、4000件超えるとはね。
流石に5000件はいかなかったけど、普段は2000件弱も多いのでこれは良い方だよ。
団体に関してはどうせいつもの規制側の利権的な連中なので、規制に賛成するのが当たり前と言う代物で見る前から結果が判り切っているので、反吐が出るし、こいつらの意見ばかり優先するのも本当に嫌になるよね。
そしてダウンロード違法化拡大については反対及びどちらかと言えば反対が3792件と8割以上反対と言う結果。
当たり前だけど、これに関しては弊害が多すぎるし、何より裁判の有効性及びプロ責法改正を指摘されたにも関わらず、出版漫画家及び文化庁がこの様なトンでも法改正を強行しているのだから、反対意見が多いのも当たり前。
そしてこの様な都合の悪い事には一切漫画家も文化庁も御用学者も触れないのよね。
また息のかかったマスメディアも漫画家等の権利団体の意向の都合の良い情報ばかりを世間に流して、この様な都合の悪い事には一切触れない。
これじゃあ、他の業種の心象も悪化するだろうし、世間も漫画家に対してそのうち心象が悪化するだろうと考えるよ。
また文化庁案に対しては要件に関わらずダウンロード違法化を行うべきではないと言う意見が1013件中578件と半数以上が問題視しているのも事実。
当時からこのパブコメ自体誘導質問が多いと指摘されていた中でこれだから、余程問題しかない法案である事は明らかなんだけどね。
参考:「違法ダウンロード対象拡大」法案、文化庁が意見公募 ネット上では「誘導的な質問ではないか」など疑問の声も
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1910/04/news119.html
全体で452件、賛成が82件と最も少なく、反対154件、要件次第と言うのが216件であるらしい。
こちらに関しては自由記載なので、向こうの裁量次第と言う文化庁の考え次第ではどうとでも変わってしまうと言う所だけどね。
何せ以前のパブコメで文化庁は一度水増ししたと言う情報すらあるので、今回のパブコメでも何をしてもおかしくはないと思うからね。
https://www.asahi.com/articles/ASM3351BKM33UCVL007.html
本当権利団体だの企業だの利権だのを優先して、パブコメを聞きましたよ程度の材料にしかしていないのが一番の問題だと思うよ。
相変わらず著作権に関しては文化庁や漫画家等の権利者の意向ばかり伝えたりする悪質な偏向報道ばかりマスメディアも流されているしな。
私と生活を共にしている人は、人を見下す癖のある人。プライドが高く、自分は人とは違う特別な人間だと思っている。
普段から街を歩けば「かっこいいひといない、あの人ブス」と他人を勝手に評価。自分のことは棚に上げて汗水流して働いてる人を「労働に対して報酬が見合ってないのによくやるね」と見下す。
仕事から帰宅後、突然始まるプレゼンテーションは頭が痛くなる内容だった。
ネットワークビジネス、今はみんなやっているしお金も簡単に稼げるし、頑張れば幹部になれるんだ、と笑顔で語る顔が本当に不快だった。胡散臭い、根拠のない効能を謳ってサプリメントを購入させ、数に応じて報酬がもらえる所謂マルチ商法。ピラミッドの上の人だけがおいしい思いをする構造なのが明確なのにもかかわらず、それでもやりたいと言っていた。
頭おかしいんじゃないの?
楽しげに語っていた彼は仕事もせず私の収入に頼り切りの状態。初期費用10万だのなんだのかんだのいっていたけど、それも全て私の財布から出そうとしていた。普通という言葉はあまり好きではないけれど、普通はそんなことしない言わないやらない。こんなに想像力のない人だったんだと呆れた。
初期費用も出さない、許さない。今すぐ実家に帰るか、辞めるかどちらかにしなさいと話をした。人の弱みにつけ込んで稼いだお金なんて要らないし、そんな人と一緒にいたくないと告げた。いつか生まれる子供にも顔向けできなくなるよと伝えた。私が初めて反論したことで彼は驚き、そこまでいうなら辞めるといって足を踏み入れずに済んだ。
のだが。
今度は月収300万のアフィリエイトに手を出すらしい。呆れてものも言えない。法に触れない、真面目なアフィリエイトやってる人が月300万なんて稼げるわけがない。これも 普通 に考えればわかる話だ。Twitterのプロフィールに「夢は必ず叶う。やるかやらないか決めるのは自分。今日から人生を変えれるかは自分次第」とかなんとかいかにも胡散臭い、自己陶酔激しい内容をつらつら並べたアカウントとLINEを交換し、東京まで会いに行って(もちろん私の金である)私との予定をドタキャンした。
ただひたすらに、なんでこんなに想像力が無いのかと。もはや笑いすらこみ上げてくる。
怪しく無い、悪いことはしてない、ちゃんとした仕事、でも内容は良くわからない、やらなきゃわからない。って、内容は良くわからないのに怪しくないちゃんとした仕事と言い切れる根拠はどこに???
今時ネットワークビジネスもアフィリエイトもインフルエンサーもちゃんとした仕事だし、それを否定するのは時代遅れ、と反論される。
私はインターネットでやることができるビジネスを否定してるわけではなく、誇大広告、著作権侵害、情報弱者を食い物にする悪徳な方法で高額報酬を得ている人間を否定している。
私の倫理観では許せない事。愛してると言葉を紡ぐ口で人を騙して収入を得るなんて反吐が出る。
これって、私の頭が固いだけなのかな。
私と生活を共にしている人は、人を見下す癖のある人。プライドが高く、自分は人とは違う特別な人間だと思っている。
普段から街を歩けば「かっこいいひといない、あの人ブス」と他人を勝手に評価。自分のことは棚に上げて汗水流して働いてる人を「労働に対して報酬が見合ってないのによくやるね」と見下す。
仕事から帰宅後、突然始まるプレゼンテーションは頭が痛くなる内容だった。
ネットワークビジネス、今はみんなやっているしお金も簡単に稼げるし、頑張れば幹部になれるんだ、と笑顔で語る顔が本当に不快だった。胡散臭い、根拠のない効能を謳ってサプリメントを購入させ、数に応じて報酬がもらえる所謂マルチ商法。ピラミッドの上の人だけがおいしい思いをする構造なのが明確なのにもかかわらず、それでもやりたいと言っていた。
頭おかしいんじゃないの?
楽しげに語っていた彼は仕事もせず私の収入に頼り切りの状態。初期費用10万だのなんだのかんだのいっていたけど、それも全て私の財布から出そうとしていた。普通という言葉はあまり好きではないけれど、普通はそんなことしない言わないやらない。こんなに想像力のない人だったんだと呆れた。
初期費用も出さない、許さない。今すぐ実家に帰るか、辞めるかどちらかにしなさいと話をした。人の弱みにつけ込んで稼いだお金なんて要らないし、そんな人と一緒にいたくないと告げた。いつか生まれる子供にも顔向けできなくなるよと伝えた。私が初めて反論したことで彼は驚き、そこまでいうなら辞めるといって足を踏み入れずに済んだ。
のだが。
今度は月収300万のアフィリエイトに手を出すらしい。呆れてものも言えない。法に触れない、真面目なアフィリエイトやってる人が月300万なんて稼げるわけがない。これも 普通 に考えればわかる話だ。Twitterのプロフィールに「夢は必ず叶う。やるかやらないか決めるのは自分。今日から人生を変えれるかは自分次第」とかなんとかいかにも胡散臭い、自己陶酔激しい内容をつらつら並べたアカウントとLINEを交換し、東京まで会いに行って(もちろん私の金である)私との予定をドタキャンした。
ただひたすらに、なんでこんなに想像力が無いのかと。もはや笑いすらこみ上げてくる。
怪しく無い、悪いことはしてない、ちゃんとした仕事、でも内容は良くわからない、やらなきゃわからない。って、内容は良くわからないのに怪しくないちゃんとした仕事と言い切れる根拠はどこに???
今時ネットワークビジネスもアフィリエイトもインフルエンサーもちゃんとした仕事だし、それを否定するのは時代遅れ、と反論される。
私はインターネットでやることができるビジネスを否定してるわけではなく、誇大広告、著作権侵害、情報弱者を食い物にする悪徳な方法で高額報酬を得ている人間を否定している。
私の倫理観では許せない事。愛してると言葉を紡ぐ口で人を騙して収入を得るなんて反吐が出る。
これって、私の頭が固いだけなのかな。