はてなキーワード: 出産とは
この記事、フェミニストの間で話題になってるかと思いきや、全然そんな事ないのね
「出生率の低下は女性の経済的の結果であり、喜ばしい事」という自説に不都合だからかな?
なぜ少子化は止められないのか
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/042800240/042800002/
なぜ少子化は止められないのか
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/042800240/042800002/
斎藤 財源をどうするかとか、金額をいくらにするかとかの問題はあるけれど、藤波さんは、若い世代の賃金水準を引き上げたり、経済支援を充実したりすれば、ある程度、少子化問題は解決すると思っているわけですね。
藤波 いやいや、それほど簡単ではないでしょう。まず1つ、雇用環境の改善も重要です。ご存じの通り、女性の過半数が非正規雇用で働いているわけですが、彼女らの結婚・出産に向けた意欲、私はこれを総称して出生意欲と呼んでいますが、この出生意欲の低下が顕著です。
図表1をみてほしいのですが、これは、雇用形態別に、未婚女性の希望子ども数を表しています。正規雇用の女性に比べて、パート・アルバイト、派遣など非正規雇用の女性のほうが、希望子ども数が顕著に低下していることが分かります。将来、結婚をしないと考える女性の比率も、非正規雇用のほうが高いことが分かっています。
斎藤 女性の雇用形態によって、明確に結婚・出産に対する意識に差が生じているというのは驚きです。
藤波 最近、若い世代の価値観の変化から、生涯未婚を希望する人が増えているという状況にはあるわけですけれど、18~19歳の女性に聞けば、そうした意向を持っている人は、10%台にすぎないことが分かっています。すなわち、多くの女性が、社会に出て働いているうちに、特に非正規雇用の女性で、結婚・出産への意欲を失っているという状況にあると考えられます。あきらめが広がっているということなんでしょうね。不安定な雇用環境の改善は欠かせません。
斎藤 そういえば、以前、連合(日本労働組合総連合会)に取材したことがあるんですが、女性が最初に就職するときに、正規雇用か非正規雇用かで、その後の結婚・出産の状況が大きく変わってくるといっていました。初職が非正規雇用の人は、結婚・出産をする割合が明らかに低くなるそうです。
藤波 私もあれには驚きました。あのデータはレポートで引用させてもらったことがありますよ。ちょっと待ってくださいね、ああ、これこれ。図表2は、連合が2022年に実施した、現在、非正規雇用で働く20~59歳の女性を対象としたアンケート調査の結果です(連合「非正規雇用で働く女性に関する調査2022」2022年3月31日)。
「配偶者あり」は、初職が正規雇用の場合63.6%でしたが、非正規雇用では34.1%にとどまっています。また、「子あり」は、初職が正規雇用の場合は57.7%でしたが、非正規雇用では33.2%です。
最近やたらとまだ学生を含む年齢層に対するアンケートの結果を用いて「Z世代が子供を欲しがっていない」と聞くが、現実はこれである。
収入と未婚率に関係があるのは男だけであり、女は収入や雇用形態に関係なく結婚できると思い込んでいる人が多いが、現実はそうではない。
この斎藤や藤波って人もヤバい。非正規雇用の女が結婚・出産の意欲をなくすなんて当たり前なのに、一体何処に驚く予想があるんだ?
心身ともに大病を患ったこともない。
仕事。何度か転職あれど、どの仕事も大体3年〜5年は続き半年以上の空白期間を作ったことはない。
恋人については、20代(社会人)の時趣味を通じて遊んでいた男性に「結婚を前提に」という文言とともに告白され、2年ほど付き合うものの、あまりのだらしなさに未練なく別れた。
私の両親が渡したお土産(お菓子)を紙袋に入れたまま部屋の隅に1ヶ月放置。
誕生日プレゼントで渡したカバンを布団の下敷きにする。後日埃まみれなのを見つけたのをきっかけにさようなら。)
その後も他の男性と交友関係を持つけれど、結局恋愛や将来のことを考える人よりも「性的な欲求」をする人が多く「適当に遊んでいた方がマシ」となり、結婚願望はなくなった。
今、人生がとても退屈で仕方がない。
仕事はありがたいことに順調。
実家を出て一人暮らしも考えたが、住まいをさがすとなると今よりも職場から遠い場所になり、かつ満員電車になることになる。何より家賃が高い。
今の立地と通勤のメリットを捨ててまで一人暮らしをする必要は無いのだ。
同年代の友人は結婚し、出産し、その生活についてSNSで愚痴を撒き散らすだけの人らになった。
Instagramだけを見ればキラキラ豊かな生活だけしか見えないが、X(旧Twitter)ではあまりにも口汚く、夫や子供への不満を漏らしている。あまりにも見ていられなくて、別にアカウントを作って隔離したくらいに。
オンラインゲームにも手を出してみたけど、つまらなくてすぐに辞めてしまった。
結婚という未来は望まない形で男と遊ぼうにも、デメリットが多すぎると感じ実行に移す前に辞めた。
年齢的に代謝が落ち、余分な肉付きを感じ始めたので運動には力を入れている。それくらい。
でも休日はそれだけでは時間が消費できないので、大体食う寝る遊ぶ(運動)という、あまりにも生産性が無い週末を送ってしまい飽きを感じているのが現状だ。
贅沢な悩みと言われるから身近な人には話せないこと。
来週はなにしようかなぁ。
と考えても、どうせ似たような週末なんだろうな。
退屈。
仮に自分のことを好きだと言う女が現れたとして、そいつに何をどの程度求めるか教えてくれ
上を求めるとキリがないので最低限がどのくらいかで頼む
・年齢
・年収
・容姿
・性格
・出産人数
…などについて
ふわっとした内容でもなんでもいいので教えてくれ
学生時代の友人が社会人なりたての時に年上の既婚男と不倫し始めたということがあった。
最近出会った年上の人に片思いしている、という話題から始まり、仲間内で応援して最終的に付き合えることになった!という流れを全部見守っていたのでみんなもちろん何も知らず素直に祝福した。私も嬉しかった。
そのあとからどうやら相手が既婚者だったこと、騙されたわけでもなく本人も最初から知っていたことが判明。
そもそも私がここでこんな文を書いていることからお察しかもしれないがこの仲間たちは陰の者集団だった。仲間内で笑える絵や漫画が描けたらそれで楽しいフレンズ。
そんな中、その子は社会人になった途端に趣味が自分のポートレートになった。花畑の中でふわふわワンピースで微笑む写真とかをインスタに載せるタイプのだ。急な方向転換すぎてみんな困惑したがまぁ悪いことではないし写真は綺麗だったのでいいねは押していた。
それを経てからの不倫騒動だったので、あぁこの子はもうすっかり変わってしまったんだな…と、誰も不倫を止めるようなこともせずやんわり距離をとっていった。
で、何年か特に個人的には連絡も取らず不倫がその後どうなったのか知らないが、次にその子を久しぶりに見かけたのはSNSでの結婚報告だった。
そこから幸せいっぱいの新婚生活!みたいな投稿をするようになり、妊娠出産、家族での写真、第二子…とそれはそれは幸せで仕方ない様子がSNSに流れてくる。
「本当に◯◯(旦那)のことが大事!運命の人!この人しかいない!」(出産後はここに子どもの名前も増えた)のような文が添えられているのを見るたび、アンタもしかしたら過去にどこかのそんな家庭を壊したのかもしれないよ……と思ってしまい、純粋に応援してた頃の気持ちを裏切られた感も思い出してなんか無性に腹が立つ。何やねんこいつ!
でも何も知らずに今の姿だけを見たら本当に良い妻で良い母をやって家族仲も良好、人物写真の腕もあるので家族の写真も見栄えがめっちゃいいという非の打ち所がない感じなのが本当にもう。何やねんこいつ!
これで今の旦那の愚痴でも言おうもんならじゃあ不倫でもすれば?(笑)、くらいの冷たい目で見られるのに、本当に今の生活が大事で幸せなんだろうなというのがわかるからこそ余計になんであんなことしたんだ、という怒りが湧くんだろうなぁと思う。というか今これを打ち込みながら思った。
最近の書き込みにも純粋にいいね押したかったよ。良い写真にはコメントもしたかった。その息子くんの写真最高!プロのカメラマンか?とか笑いたかった。
どうしてもこいつ不倫したんだもんなぁ…と思うと幸せな家庭を持ってることを喜んじゃいけない気になる。
かといって因果応報で今の家庭が壊れろとも全然思わないけどね。どうにもならないから今後もなんか腹立つな!と思い続けることになるんだと思う。
5年くらい、年に3冊以上同人誌を出し、同人の企画をうつ生活をしている
仕事はだいぶ忙しい
そこそこランクが高いので金は貰っている
何故かやれてるけど
たまに好きだと声をかけてくれる神を見るけど上手くお礼も言えやしない
じゃあなんで書いてんの?って言われると楽しいからでそれ以外に理由がなくて困っている
え、そのために命を削って……?
たまに深夜にこうして正気に戻って途方に暮れている
それなら稼げる副業とか学べる分科会への参加とかなんかあるっしょ
そう思うんだけどな……なんでかな………
2年前、アラフォーで当時付き合ってた人との子供を妊娠して男の子を出産した。
当時は、まさかこの年になって妊娠するなんてと混乱してつわりもずっと重くて体調不良でほぼ寝たきりになり生きてるだけで精一杯だったので、追いかけて認知させて養育費支払ってもらうなんて体力的にもメンタル的にも時間もなくてできなかった。
少し落ち着いてから少し探したんだけど個人の力では見つけられなかった。探偵に依頼する?いくらかかるか分からないし「見つけ出したとしても初手逃げる奴が大人しく養育費払うわけがない、これ以上メンタルに負荷かけたくないしもう最初っからいなかったことにしよう」という方向で行こうと気持ちを切り替えた。(まだ多少モヤモヤしているが)
私は、いい、それで、しかし子供が色々分かるようになってきたら、子供にどう説明したらいいの。
あまり嘘はつきたくないんだけど正直に「キミのパパは逃げました」って言えるか?
将来女の子を妊娠させても逃げればいいやーって思っちゃわない?
死んだってことにするのも考えたけど、相手の情報教えないの不自然だよね。
息子のことはとてもかわいいし大事。私の全部をあげてもいい、最大限幸せになってほしいって思ってるから言える気がしない。毎日すごくニコニコ過ごしてるこの笑顔が曇るところなんて見たくない。
「丙午年生まれの女性は、気性が荒く激しくなり、夫の命を縮めてしまう」という迷信があって、実際に前回の1966年(昭和41年)の出生率は前年比で約25%も下がっています。
昭和40年出生数182万 → 昭和41年出生数137万 → 昭和42年出生数194万という推移で、特に田舎の農村部で妊娠中絶が繰り返されました。
2026年においても、この迷信を信じて妊娠を避けようと考える者が出てくることがすでに懸念されており、少子化にさらに拍車をかける年になると思われています。
これだけ科学が発達した現代においても、オカルトや占いの類いの人気は衰えることを知らず、むしろ不安を煽るものはSNSのせいで拡散されやすくなってしまった時代だと思います。
そこで、この馬鹿馬鹿しい迷信を逆に利用することで、出生率を前年比より上げることを目指したムーブメントを、今のうちから作りましょうという提案をします。
ムーブメントの中心はSNSから、フェミニストの方たちに率先して動いてもらいたいと考えています。
丙午の迷信はつまるところ、「男性支配に縛られることのない、強い女性が誕生しやすい年」であると言い換えることができます。
これからやってくる女性の時代の幕開けに向けて、相応しい女性の誕生を望める年だとして、潜在的に占い等を信じてしまいがちな人たちの背中を押してあげることで出生率のブーストを図ります。
しかし、これだけでは迷信に迷信をぶつけるだけになってしまうので、あえてこういう意図でやっていますということを同時に大っぴらに説明していきます。
科学的ではない迷信に囚われることの愚かさを同時に語ることで、カウンターとしてのこの運動に意義を持たせ、本来オカルトを嫌う理知的な人たちをも巻き込んでいきます。
そうすることで、逆にあえて2026年の丙午の年に子供を産むこと=オカルトを信じない科学的思考のできる人間、であることを内外にアピールできる絶好の機会として、SNSで大々的にキャンペーンを打ち出します。
ただし、これだけでは出生率の降下を止められないでしょう。
なので、さらなるブーストのために、丙午の迷信を利用し尽くします。
まず、その迷信にあえて乗っかり、男児ではなく女児を産むことを暗黙の目標として掲げます。
べつに男児でも当然良いのですが、これをあえてすることで、韓国系のラディカルフェミニストというチンドン屋を引き寄せることができ、爆発的にSNSでキャンペーンを拡散させることを狙います。
過激な発言も増えることは必至ですが、悪名は無名に勝るという清濁併せ呑む考えの基、国内のフェミニストもここは大いに議論を盛り上げていくべきです。
議論の内容はともかく、重要なのは、これからやってくる女性の時代の始まり、そのファーストイヤーとなる2026年に子供を産むことをトライする、という意識をSNSを通じて潜在的に人々に植え付けていくという目的です。
まず、男性よりも女性の方が占い系のオカルトに興味を寄せやすいという傾向は、事実はともかくとして、大体の人がある程度そう思われがちであることに納得するところだと思います。
これは逆に言えば、男性はあまりそういうのを信じる傾向にない、という意識を作りやすい状況にあると考えることができます。事実は置いておいて、です。
そこで、2026年にあえて子供を作ることは、迷信に惑わされない冷静で理知的な男性である、というイメージを作っていきます。
これを達成するのは容易ではありませんが、昨今の状況においては、とある属性を利用することで、これを比較的簡単に達成できる状況にあると言えるでしょう。
2026年に子供を作らない男性=子供を作る相手がいない男性⇒迷信に囚われた古い価値観のダサい男性、という文脈を根付かせることにより、独身や弱者男性と呼ばれる属性の人たちの意識をこちらに向けさせます。
当然、謂われのないレッテルを貼られるわけですから、反論してきますし、大いにネット上で吠えてくれることでしょう。これは上記の韓国系ラディフェミと同じく、キャンペーンの宣伝材料として機能します。
たとえ男性側の主張が正しくとも、必死でそれを訴える様は女性からの嫌悪を誘うであろうことは容易に想像できるため、それは逆説的にさらに2026年妊娠出産の意識を強く根付かせていく結果となるでしょう。
事実はどうであれ、2026年に妊娠と出産をして丙午年生まれの女児を授かった方が、迷信の真偽に関係なく、単純に勝ち馬に乗れることになるという潜在意識を強く強く植え付けさせることが、なによりも重要となります。
ここまでやって、ようやく出生率を上向けることができると思います。
そこからさらにその後も続けていく必要はありますが、まずは一年目、その切っ掛けとなる千載一遇のチャンスが2026年に訪れます。
その年になってから急にそんなことを言われても、すぐに妊娠出産ができるわけはなく、ゆえに今から大急ぎでこのムーブメントを起こす下地を整えていく必要があります。
大切なのは、2026年に妊娠出産をすることで強い女性が生まれる、という考えの基でムーブメントを起こすのではなく、丙午の迷信に対するカウンターとして、あえて2026年に妊娠出差を目指す、という形にすることです。
その過程で様々な議論が巻き起こるでしょうが、それらはすべて気にする必要はなく、むしろ薪をどんどんとくべて火を大きくしてさえくれれば、その中で生まれるであろう犠牲も、それだけで必要な役割を果たしてくれていると言えます。
あれこれ理由をつけてこの火に水をかけようとしてくる輩には、どんどんと丙午の世迷い言を信じる馬鹿者扱いをしていくことで、2026年妊娠出産を掲げる側こそが理知的で科学的で先進的であるというイメージを強くしていきましょう。
そして、こうして私がこの場ですべての考えを大っぴらに公開しているように、このムーブメントにおいて二次的に生まれる中傷等の被害については、すべて意図的で意味のある行為だと初めから説明をしておくのです。
すべては日本の少子化解消に向けての第一歩、そのための運動であるということを隠すことなくす伝えることによって、何も分からずにただ殴られるだけという状況を回避する手段を用意し、運動を支える側に回った方が得であると認識させていきましょう。
2024年もすでに折り返し地点で、2026年まであとわずか18ヶ月しかありません。
私はここに、具体的な手段として日本の出生率を一時的に上げる方法を上げました。
最近、少子化の問題について色々考えたんだけど、どうやら「子供を産み育てやすい社会」ってだけじゃ出生率は上がらないっぽいんだよね。やっぱり、「子供を産み育てたい社会」にしないと根本的な解決は無理なんじゃないかと思う。
昔の社会って「子供を産みたい」って気持ちが強かったらしいけど、実際は社会的な圧力がめちゃくちゃ強かったんじゃないかな。つまり、「産みたい」っていうより「産まないと周囲の目が気になる」って感じだったんだと思う。もちろん、それを内在化して心から産みたいと思ってる人も多かったんだろうけど。
とにかく「子供を産むメリット」「子供を産まないデメリット」が強くある社会じゃないと出生率は増えないかと。
じゃあ、昔の社会と今の社会で何が違うのかっていうと、やっぱり「まともに生きる」ということの定義の変化なんじゃないかなと。
昔は、「まともに生きる」とか「自己実現」みたいな概念の中に、自然と出産子育てが含まれていたんだと思う。でも、今の自己実現のイメージには子供が入ってこないんだよね。だから、自己実現と子供を産み育てることが天秤にかけられて、メリットデメリットを考えた上でどちらかを選ぶって感じになっちゃってる。(結構これって苦しくない?)
ところで、現代における自己実現って何なんだろうね。「上位30%にいるって感覚」とか「自分の可能性を最大限に引き出した感覚」とか「常に学び成長して勝ち続けてる実感」なんかが自己実現の定義になるのかな。この辺をもっとクリアにすることが、少子化問題解決の鍵になるかもしれない。
普通は検診の前に問診票書くし、それに性経験の有無を聞く欄あるんだよな
あと婚姻歴なんか医学的にはどうでもいいので誰も聞かないし書かないが妊娠歴・出産歴は重要なのでそれは書かされる
そういうの分からない時点で創作なんだろうけど、何でこんな創作しようと思ったのか謎
https://anond.hatelabo.jp/20240613054046
あとこっちも間違いだらけだから突っ込んどこうか
子宮頸がん検診とHPV検査は別のもんだアホ(子宮頸がん検診のオプションとしてHPV検査がセットになっている事はある)
あと一度感染したHPV自体を消滅させるような治療法はねえから感染する前のワクチンを推奨してるんだろうが(自分の免疫で勝手に消える事はあるが)
そもそも性交渉の経験がある女性の8割くらいが生涯に一度は感染するといわれてるくらいポピュラーなものだぞ
あと子宮頸がんはがんの中では年齢層が若くてピークは3-40代、20代後半の発症も多いので若年層への検診が啓蒙されてる
産婦人科行くと大抵若者に検査勧めるポスター貼ってあるし検診申し込み書類なんかでもそういう事書いてあるから
女なら知ってそうだけどやっぱ男なのかなこういうの
もう見てないかもしれないが
似た事例をば
https://anond.hatelabo.jp/20231119220726
夫が風俗めちゃくちゃ通ってた
https://anond.hatelabo.jp/20240104090923
長野の善光寺で産湯をもらって以来つつがなく生きてまいりました。
(長野の善光寺に産湯はないです。そういう書き出しにしたかっただけ)
卒業以来親元を離れ東京の片隅でそれなりに働いて暮らしております。
会社には私のような庶民から上流の方々までいろんな階層の人間がいて、多少交流させていただくこともございます。
ある時、ひょんなことから重役のご子息とご一緒させていただきまして、不釣り合いだと思いながらもお付き合いさせていただくことになりました。
と、私は思っていましたが、どうも勘違いだったようです。
どうも世間知らずゆえ、体を重ねるということは即ち結婚を見据えた交際なのであると思い込み、恥ずかしながらその後で、それはセフレというものであると知ったというていたらく。
彼のご一族はみなさんなにかしらの立派な企業のお偉いさんらしく、都立大にある彼の広いマンションのお部屋でそのご一族の会合のお写真なんかを拝見したりして、なんだか異世界に迷い込んだような心持ちがしたものです。
けれどもそんな夢心地もつかの間、何かの折に結婚の話になりまして「君みたいなのを家族に会わせたらみんなびっくりしちゃうよ、ありえない」と言われた時、そうかそれは承前のものとして弁えておくべきことであったか、私は何を勘違いしていたのかと、恥ずかしくて顔から火が出る思いでございました。
しかし同時にそういう上流の方々と私はなにが違うのか、私の何を見てびっくりさせてしまうのか、とんと見当がつかないことになにか心許なさのようなものを感じたことも覚えております。
それから数年後、私と同じような家柄の庶民の男性と一緒になりました。
二女をもうけ、不器用ながらも子育てに仕事に励んでおりましたが、出産以降は体力が落ち、仕事のパフォーマンスは全盛期の半分ほどになりました。
それでもなんとか夫と共に働き子育てをし、幸いなことに子供も特に大きな病気などにも罹らず健やかに大きくなり、ある日、夫は中学受験をさせたいと言いました。
もっとも私も夫も片田舎の出身ゆえ、ふたりともその経験はありません。
なにから始めたらいいか右も左もわからないまま上の子は5年生にさしかかりました。
とりあえず塾。しかし私も元々成績も芳しくなく偏差値50ちょっとの学校をやっとこさ出たような身で、それも勉強のしかたなどなにもわからないままなんとなく末席に身を置いていたようなもの。
子供に教えられるほどの効率的で有効な勉強法など持ち合わせてはおりません。
子供たちが安心して勉強できるようにとちょっと無理をして中古住宅を購入し、夫はこれからかかるであろう学費のためにも仕事に励んでくれていますから、夫に頼るわけにもいきません。
塾での成績もなかなか思わしくなく、塾を嫌がる子供をなだめたりすかしたりおどしたりしながらなんとか通わせる、家族ともどもストレスフルな日常。
こんな状態では二月の勝者でいうところの「養分」にすぎないことは重々承知。
それでもつきっきりで子供にしてやれそうなことはいくつかは思いつくものの、出産以来の体力の激減、それによる仕事の遅延への焦り、そこに更年期障害の体調の悪さも手伝って、子供になにもしてやれていないという忸怩たる思いに苛まれる毎日でございました。
折しも夫は着実に昇進し、社会的地位は盤石なものとなっていきます。
日頃から夫とは割合和やかにやっておりましたが、たまに諍いを起こすとき、なかなか切れ味の鋭い刃物のような皮肉でもって人を見下すような非道いことをうっかり口走る夫です。
いえうっかりではない。普段思っていることをいつもは黙っているけれども、ここぞという時に吐き出している風で、後から訂正されることは決してないのです。
そういうことも仕方ない、これは私の不出来のせいだと泣きながら自分を納得させるしかないのです。
でもいくら彼の話を理解しようとしても、私は同じような失敗をするらしく、彼を苛立たせます。
そういうこともきっと他に何もなければちょっとは覚え改善できたでしょうが、子育てや仕事の悩みに苛まれている最中、夫の言葉はこたえます。
私のような女は上流の方々が見ればすぐにこういう不出来がわかるのか。
本当にそれが言われたことの真意だったのかはわかりません。おそらくそれとは違う何かだったような気もします。
けれども無能ゆえのストレスで頭の多少おかしくなった女は、そんなつまらない記憶からさえわざわざ自虐することを止められなくなるようです。
同じく庶民の出ながら優秀である夫の足を引っ張るしかできない愚かな妻で母親です。
ともすればより安全な地位へ子供を押し上げてやれたかもしれないところを私がだめにしてしまったのだ。
壊れていく私やわがままになって手がつけられなくなった子供たちに耐えられなくなり、夫はとうとう出て行きました。
誰が悪いわけでもない、ひとえに私の不出来と根性のなさが悪いのです。
けれども子供たちにはできればこういった種類のつまらない劣等感のようなものは味あわせたくはない。
さて、どうしたものか。
願わくば私のようなものではなく夫の優秀な遺伝子を受け継いでいることを願って、これからも私のできる限りをするしかないのだけれども。
そんな遺伝子が存在するのか、あるいは人は育ちが全てなのか?私にはそれは分かりません。
なぜか唐突に思い出した、祖父が好きだったフーテンの寅さんの哀愁をおもいながら、これからの人生や子育てについて思いあぐねているところです。
母親が生まれたばかりの我が子を、鬼になって口と尻を押えて絞め殺す様子が描かれた絵馬で、柳田國男が紹介し有名になった。
彼は「その意味を私は子供心に理解し、寒いような気持ちになった」と述べている。
https://www.city.kashiwa.lg.jp/bunka/about_kashiwa/culture/tenji/kyodoshiryotenji/3178.html
https://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/dentou/siteibunkazai/ema.html
私は子供を妊娠出産した経験があるが、個人差もあるだろうが、生まれた我が子を見た時に脳内に今まで感じたことがないほどの恋愛とか幸福とかの時に感じるような幸福なホルモンが溢れて、母親は本能的にホルモンの働きで赤ちゃんを愛おしく感じるように出来ていると感じた。
その母親に死ぬほど苦しい妊娠中の悪阻や出産をさせた後すぐに赤ちゃんを縊り殺させていたとしたらあまりと言えばあまりでは。
せめて母親の目の前で殺さないくらいの思いやりはないのか、産んだばかりの満身創痍で自分の手で殺して、しかも鬼女として絵馬に描かれていましめられるってキツくないか。
産婆さんに任せるとしても飢饉の時はどの家でも殺すだろうし、取り上げて殺すを繰り返したら病みそうだ。
何にしても男は関わってなさそうだが、思いやりにかける役立たずにもほどがあるだろ。
中絶を女だけの罪のように語ったり、母親が産後鬱でも育児に関わらずノイローゼで殺したら揶揄しまくる今の男にも通じるものを感じる。