2014-09-04

これから負の話をしよう

すべてにおいて完璧人間はいるだろうか?という問いに対し、多くの人が否と答えるだろう。

では、否定不可能意見表明はあるだろうか?これも存在しない。

どんな正論であっても、否定する方法はあるのだ。綺羅星のごとく。

昔観たテレビ番組。あれは確か芸能人の座を奪い合う番組だったか

その座を競う若い男女に対し老練な芸能人が発した問いが印象的だった。

テレビに出るという事はどういう事だか、わかりますか?」

男女は思い思いに熱弁をふるう。しかし、その全てに首を振る芸能人

テレビに出るという事はね。恥を晒すという事なんですよ。」

当時はよく分からなかった。しかしずっと引っかかっていた。

今なら少しわかる気がする。そして、その適用範囲ネットの拡大と拡がったと感じている。

否定から始まる恥の晒し合い。

それでも人は主張をネットにアップする。なぜ?

思うにそれは人を動かす事に中毒になっているからだ。誰かに何かしらの影響を与える事は甘美だろう。

中には一生懸命キャラを作ってる人までいる。

人は主張を読む。なぜ?

思うにそれは納得したいからだ。もやもやした自分の心を整理し、落とし前をつけるためにそういった主張を読むのだろう。

需要供給は成り立っている。

人は否定する。なぜ?

からない。自分と対立する意見に感化すまいとするアレルギー的な反応なのかもしれない。

最近はこちらをターゲットにしてしまったブログが多いような気がする。

とまあ長々と書いてきたが、上記のような事をぼんやりと考えた俺は一つの結論を出し、数年続けてきたブコメを閉じる事になる。

増田に書くのは3回目くらいだがこれで最後になるだろう。

ネット上のあらゆる行為憎悪対象あるいは恥となり得る。

故にネット上で正しい振る舞いがあるとすれば、それは沈黙である

敢えて選択される沈黙という行為は無価値ではない。

そして、沈黙はなかなか難しい。

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