はてなキーワード: MMOとは
特にPCネトゲの場合、利益を得る方法として、MMOのように長期間遊ばせてペイさせるモデルが散見される。
でもこれだと、プレイヤーが遊ぶ速度とコンテンツの実装ペースの差から、どうしても少ないコンテンツで無理やり遊ばせる形になりがち。
そうなると「育成にとんでもなく時間がかかる」とか、そこに来てプレイ時間を無尽蔵につぎ込める廃人プレイヤー中心の世界になるとか、オフゲではまず起きない問題に直面する。
そこでコンテンツの少なさは半ば諦めるとして、ゲームバランスの調整とかがとても重要になるし、そもそも企画段階で「こういうバランスのゲームを目指せるといい」という話が出てくる。
しかしそこで必ず「プレイヤーの質の問題」「プレイヤーの遊び方の問題」として反論する輩がいるのはどういうことだろう。
ハッキリ言ってプレイヤーの遊び方やモラルなんて、ゲームのバランス調整や仕様変更で良い方向にも悪い方向にも、いくらでも変わるというか変えられる。
職バランス調整の結果、最強厨とか火力厨みたいなプレイヤーがプレイスタイルを変えたり人知れず引退したりで、結果的にプレイヤー間のモラルが勝手に向上してしまうこともよくある。
逆に、長い間まともな仕様修正が入っていないため、廃人や効率厨の巣窟になり、果てはチートやBOTが公然の秘密になっているゲームもある。
要するに、どんなプレイヤーが居付くかも含め、全ては作る側が生殺与奪を握っているのであって、プレイヤーの質に原因を求めるのは、作る方の怠慢を見逃すことにしかならないと思うのだ。
本当はそんな客しか呼び込めないお前ら(作る側)が悪いんだろって感じ。
身も蓋もない言い方をすれば、賭場の客選びは胴元の胸先三寸と似たような話か。
人の振る舞いは、その人が置かれた環境によって想像以上に左右されるのだが、意外と気づかないと言われていて、本人の意志とか知識教養とかでほぼ決まると勘違いしている人が多いらしい。
上述の話も、根本にはそういう錯誤があるのだろうか。
初めて書いた拙い記事に対してトラックバックが寄せられたことに驚きました。頂いたトラックバックの一部を引用してレスをします。失礼ながら引用の際に一部句読点追加した部分があります。
>自分の時間を使ってゲームする以上、ゲームも人生の一部だし、人生は有限なんだから時間は効率的に使わないといけない。
全面的に同意です。時間は有限なので、より多くのゲームをプレイしようと思えば効率を求めざるを得ません。ただ、効率的な方法を探る過程が面白いゲームもあるので、インターネットから情報を得ることがベストだとは考えていません。そこら辺は個人の最良で決めるべきなのですが、対戦ゲームやMMOでは前提知識として知っておかないと損をすることになります。その結果ジョブが偏ったり、ゲームスタイルが限定されてしまうのはどうかと思います。新しくMMOや対戦要素のあるゲームに参加するとき、そういったゲームスタイルを求めるものでしょうか。いろいろなジョブがあって、育成の選択肢も多く、駆け引きのあるゲームを期待してプレイし始めるものではないでしょうか。某掲示板ではしばしば「〜して〜するだけのゲーム」という言い回しが見られます。もちろん、悪い意味でです。どんなゲームでも最も効率の良い方法というものがあるはずで、それをうまく隠したゲームが良いゲームなのかもしれませんね。
この先は極論ですが、効率の先にはTASしかないと思います(念の為に言っておきますが私はTAS動画が大好きです。悪魔城ドラキュラTASなどには美学さえ感じます)。TASでは最短時間でクリアすることの効率を求めた結果、システムのバグを付いてエンディング画面にたどり着くことすら認められているようです。もし、攻略サイトに一瞬でエンディングへたどり着く方法が示されていたら試すべきか?MMOでBOTは許されるのか?課金アイテムを購入してまで効率を求めるべきか?自分でも言いたいことがわからないのですが、ここらへんは個人の最良で決めるしかないですね。突き詰めていくとサンデル教授が好きそうなテーマに発展しそうです。
>人間と対戦したり記録を競ったりする以上攻略サイトに書いてある程度のことすらできないわからないってのはある意味スタートラインにすら立てていないということでもあるんだよな。でも攻略サイトなんてなくても誰でもスタートラインに立てるようなゲームはある程度ゲームが好きな人から見るととても薄っぺらなゲームに見えてしまう。
同意します。ただ、その結果初心者が寄り付かなくなることは避けられないと思います。私は正直なところ、買ったら即攻略サイトで調べないと勝てないようなゲームには手を付けたいと思いません。私はそれなりにゲームが好きな人間だと思っていましたが、実のところそうでもないのかもしれません。いつだったか、「勝つのが好きな人間」という言い回しを見かけたことがあります。負けそうになると故意に回線を切断したり、複数のアカウントを作って初心者狩りをする人達のことを指して使われていたと記憶しています。私もゲームが好きなのではなく、勝ちたいと思っている割に攻略に真剣に取り組んでいない「勝つのが好きな人間」の一人なのかもしれません。ゲームが真に好きであるならば、こんな記事を書かなかったでしょう。効率を追求しないで楽しもうとする姿勢は横着だったかもしれません。
「ウェブ進化論」と「勝ち続ける力」を引用してトラックバックをして下さった方へ。自分がうまく言い表せなかったことをズバリと言い当てていて、感動を覚えました。こんな拙い文章を、「私気づいちゃったんですけど…」的なしたり顔で書いてしまって恥ずかしい限りです。「勝ち続ける力」については以前から関心があったので明日にでも書店で買い求めてみようと思います。プロがインターネットの時代に入ってもプロの座に居続けられるのには理由があるのですね。
>結局万人に受けるゲームってのはどこかでプレイヤーをうまく騙したり錯覚させたりするゲームデザインが必要なのかもしれない。
ゲームの本質は「騙す」ことにあるのかもしれませんね。「俺つえー!」の万能感、「窃盗から殺人までどんなことも自由にできる」のだという錯覚、「この攻略法思いついた俺天才じゃね?」という勘違いこそがゲームをゲームたらしめているのでしょう。決して悪い意味で言いたいのではありません。騙されることを期待するというのはゲームに限ったことではないかもしれません。小説や映画に求める没入感についても本質は同じではないかと思います。私自身がゲームに求めているものがそれであって、騙されることを目的としてゲームをプレイするのですから。そんな幻覚に浸りきった状態で調子に乗ってオンライン対戦などに手を出した結果、幻覚から覚めてしまっただけなのかもしれません。ゲームに対し、騙されることを望むんでいるのならばオンライン要素のあるゲームには手を出さないほうがいいのでしょう。
昔FF11やってた頃、効率ばかり追い求めてて色んな現象がワンパターン化しててそれ以外は認めない、みたいな空気だったなぁっていうのを思い出した。
あるジョブのサポジョブはこれかこれで、パーティ構成はこうかこうで、狩場はあそこかここで、ってほぼ決まってた。
その当時はぼんやりと「仕事じゃないんだからゆっくりやれよ」みたいに思ってたけど、
今は考えが変わって、ゲームにも効率を求める心境って結構分かる。
レアアイテムを手に入れたり、レベルが上ったり、ボス倒したり(そしてそういう体験を共有したり)するのが楽しいのであって、
他のどうでもいい時間は苦痛だってことのほうが多い。MMOなんて特にプレイ時間多くなるように作ってるから、無駄な作業ばっかで本当に苦痛だし。
20年来のJRPGファンなのだが、近年JRPGの現況があまりにも酷すぎる。で、各会社ごとに思うところを書く。
新興のレベルファイブ、最近だとイメージエポックは自社ブランドになってからクソ
新作を出すたびにブランドを1つ潰すといっても過言ではない。大作以外は平気で未完成でリリースするし、大作も完全に舵を切り間違えている。グラフィック偏重な割には、そもそものアートワークが万人受けしないまま突っ走っている。映画未満の演出、ライトノベルかってぐらいのシナリオ。ブランド力とCGのレベルだけ高い。
最近の作品をみるに初期のウリだった技術力の高さは捨ててしまったようだ。白騎士…。
こと対象年齢が高めのRPGに関しては、日野シナリオは完全に滑っている。そもそもダーククラウドの頃から日野シナリオがほめられたことは一度もないと記憶しているが、なんであの人はシナリオを書きたがるのだろうか。
キャラクタービジネスはうまいが、もはやゲーム性に期待ができる会社ではなくなった。
下請けだった頃はFate/Extra、アークライズファンタジアやクリミナルガールズといった良作・佳作をリリースしていたが、自社でJRPG宣言のような謎宣言をしてからおかしくなった。一言で言えば、今一番JRPGを馬鹿にしている会社。ラストランカー、ソールトリガー、最後の約束の物語…。豪華なのは声優だけ。
安定している。メガテンは言わずもがな、世界樹やデビルサバイバーで新規の開拓もできている。
だが、どうも買収されてから様子がおかしい。どうやら自社開発やめて、スクエニのようにメガテンのブランドだけ売るパブリッシャーになろうとしている感じがある。インデックスと元アトラス社員はもめているという話も聞く。
アートワークはいつも一流だが肝心のゲーム部分がいつも中途半端。そこを補えればなんとか。
いつまでたってもぬぐえぬ同人臭さ。クオリティは安定しているのだが、懐古ファンしかいない。冒険しない。
ディスガイア以外ヒットが出ない。そしてディスガイア以外の作品すべて並以下。
そもそもやりこみゲーを謳っている割には、やりこみの気持ちいい点をあまり理解してないようにも思える。
ヴァルキリープロファイル2、スターオーシャン4で大コケしたようにみえたが、エンドオブエタニティで自虐してたので未来はある。こんな作品も作れるのかとびっくりした。ただフロンティアゲートはどうしたああなった。
エルミナージュ1,2はウィザードリィライクの傑作だったのだが、そのプロデューサーが抜けてから出た3、ゴシックはひどい作品だった。将来に期待は持てない。
ゼノサーガシリーズは佳作だったが、任天堂のセカンドパーティになってからしっかりした作品を出すようになった。ソーマブリンガーは小粒ながらしっかりしたディアブロクローンで、ゼノブレイドは10年に一度の傑作だった。
洋ゲーのRPGはFalloutやBorderlandsのようなシューター+成長要素の系統と、Diabloやファイター/マジシャン/ローグを基調にしたダンジョン系のものが未だに主流。JRPG的な重厚長大なシナリオを求める人には Mass Effect なんだろうがバタ臭すぎて日本で受け入れられないだろう。
Steamのインディーに小粒な良作がある。Orc Must Die や Torchlight1,2 はやっておいて損はない。ただ、海外でRPGといえばMMOになってしまっている印象を受ける。で海外のMMORPGといえばWoW一択な現状がある。
世界一のMMOの名を欲しいままにしているタイトルといえば、もちろんWoWを置いて他はない。
WoW以降、その優れたシステムを取り入れたゲームが主流になったという話もよく聞かれる。
しかしWoWをリスペクトしたと言われるタイトルで、これといって傑出したゲームが出てこないのはどういうことだろう。
そう考えると、結局WoWを名作たらしめているのはゲームシステム以上に、豊富な資金力あるいは資金調達力が大きいのだと思う。
WoWの優れた部分として頻繁に取り上げられるのはクエ、インスタンスD、PvP、GvEなどがある。
どれも飽きずに長く遊んでもらうには周到な作り込みが必要だし、クエに至っては良質なだけではダメで、膨大な数を作らないと「廃人が本気出したら数日でクリア」という事態になってしまう。
あと沢山プレイヤーがいるなら、彼らの声をきちんと汲み取るためにも、それなりの人数のGMが必要だろう。
そしてこれらの実装・維持管理は、全てコストになって跳ね返ってくるわけで。
それこそFFDQの新作なんて霞むレベルの、文字通り桁違いに莫大なコストが掛かることは想像に難くない。
結局、そこまでお金をかけられているのはWoWを運営するBlizzard社だけであり、だからこそ今でもWoWがナンバーワンかつオンリーワンなのだろう。
多分MMOの歴史では空前絶後のタイトルになるんじゃないかな。
そして残念なことに、WoWのケースを誰も真似できないというのは、他のネトゲ運営にしろプレイヤーにしろ、これだけ優れたゲームが全く参考にならないことをも意味するわけで。
糞チョンゲというけど、韓国系MMOは、あれはあれでネトゲの一つの完成形だと思うぞ。
実際大成功と言っていい集客と利益を生み出しているタイトルがいくつもあるし。
そんでこういうこと書くと必ず「WoWすらやったこともないくせに(ry」というお決まりの反論が来るけど、そういう問題じゃないから。
http://anond.hatelabo.jp/20120828232020
久しぶりに読み返したらブコメ付いてたので、いくつか回答します。
で、君はどのタイトルを遊んでいるのかな?
オンゲに詳しい人からは「劣化RO」と揶揄されているタイトルです。
ちなみにレベリングやレアアイテム入手のマゾ度は、数あるMMOの中でも最もヌルい部類であると言われています。
それでも最初はとんでもなくキツかったし、慣れてきた今でも正直めんどい。
そういう視点からすると、WoWもUOもROもFF11もFEZも大変そうだし時間も掛かりそうという意味で、わざわざプレイしてみるまでもなく似たようなものにしか見えません。
この人はネトゲでもオフゲと同じようにぼっちプレイなんだろうなってのは分かった。苦行もみんなでワイワイやれば意外と楽しいもんよ。
ご推察のとおり、ソロプレイだけの期間が長かったし、今でもフレとPT組んでる時以外はソロプレイです。
何しろプレイ当初は過疎鯖だったので野良もまともに組めず、ユーザーグループ(ギルドとかクランとか呼ばれますね)も後進の育成に不慣れで、周りでは複垢複PCプレイやチートによるクラ多重起動が蔓延していました(そういう人しか残っていなかったとも言える)。
当時は手元にPCが1台しかなく、また多重に耐えられるスペックでもなかったため、自分は泣く泣く1PCでソロプレイを極める方向に行きました。得られた手応えはwikiに反映して、他の誰かが似たような苦労をせずに済むなら・・・という感じでした。
「みんなでワイワイ・・・」は人が多い鯖でも並行して遊び始めてようやく実感できました。オンゲは人の賑わいが生命線ですね。
しかしみんなで遊んで苦痛が緩和されようが、そもそもなんで苦行を強いるのか?という問題の答えにはなっていないと思うわけで。
オンゲなんて10年前から出会い系ツールなんだけどね。設定を渋くするのは長く遊んでもらうためでなく、囲いの中で優劣をつけるため。10年前のオンゲがいまだに生き残ってる理由を考えればいい。
出会い厨の巣窟みたいなタイトルありますね。一時期浮気していたゲームがそうでした。
囲いの中の優劣は目的ではなく結果でしょう。運営はゲーム内が廃人中心の社会になろうが、それで競争を煽れるなら儲かるのでむしろおkくらいの感覚かと。
マインスイーパーを延々10時間くらいやってられる自分としては、チマチマチマチマ、ずーっと続けられるのがうれしい。オフRPGは、終わりが見えるにつれてモチベが下がっちゃうのよ。
自分はオフゲ並にサクサク出来て手応えあるのが一番ですね。延々プレイは「俺の代わりにやっといてくれよ」って感じです。
オンゲのRPGでは望むべくも無いですが。
自キャラが適当に動かせてチャットできるなら、後はスキンが変わっただけって印象なんだけど。MMOなんて。そしてその要素が意外と重要だからアメピグとかあんなんでも十分回ってるんだと思います。
でもオンゲは運用にもかなりお金かかるはずなので、チャットだけのゲームでペイするのか疑問ですが。
今年は2月からずっとDQ10やってて他のゲーム買ってないからコスパ最高すぎる。苦行と思うようなことやめればいいだけだから簡単だろ。低レベル攻略を目標にしてレベル上げしないから楽しいしかない。
レベリングを放棄しちゃうとPT組めなくなるゲームが多いと思うので(DQはどうかわかりませんが)、それはそれで辛いかと。
SAOの主人公も言っていた通り、MMOでソロプレイは明らかに限界ありますし。
「それだけの時間遊んでもお釣りが来る量のコンテンツは絶対に実装できない」←山岡さんみたいな気持ちになった。そういうネトゲしかやった事がないんですね。かわいそうに
想定プレイ時間が最低でも6000時間くらいとして、その時間をオフゲ並に快適に遊べるコンテンツなんて、どう考えても実装不可能でしょう。
リアルの囲碁や将棋なみに洗練されていて奥深い対戦コンテンツでもあれば別かも知れないけど、バランス調整にどんだけコストかかるんだって思うし。
そして「プレイヤーの遊ぶ速度以上のペースでコンテンツを用意できないから、少ないコンテンツにやたら時間をかけさせるしかない」問題は、過去も現在も何ら変わっていない。
この視点のどこが不見識なのかよくわかりません。
昔EverquestというMMOの海外サーバーで遊んでいた。
普段は時間帯があう日本人の友だちと遊んでたけど、友だちがオンラインじゃない時に外人とパーティを組んで、英文チャットでお互いの生活について話すことは時々あった。
夜勤メインで日本人プレイヤーとプレイ時間が合わないという理由で外人メインのギルドに入ってる日本人プレイヤーもいたりしたよ。
基本的にヘイトスピーチは禁止なのでそういう発言をしたプレイヤーは通報されて運営にアカウント停止されるんだけど、ある時エリア一帯に聞こえるチャットで延々アジア人に対するヘイトスピーチ(アジアのサルはこのゲームから出ていけ的な)を英語で始めた外人プレイヤーがいて、それに対してコリア系と思しきプレイヤー(キャラの名前がコリア系だった)がやっぱりエリア一帯に聞こえるチャットで英語で抗議を始めた。
同じエリアにいた人たちから運営に通報が多数いったらしくて、ヘイトスピーチしてたプレイヤーは消えていったんだけど、消えたことが分かった途端に抗議してたコリア系プレイヤーに対してみんなからその勇気を讃える個人メッセージが飛んだらしく(自分も送った)、その人が「たくさんの人からメッセージをもらったからみんなに返事しきれないけど応援してくれてありがとう」とエリア一帯に聞こえるチャットで返事をしていた。
自分もPSO2が最初で最後のMO(MMO)になればいいと思っている。
何故未だにこのオンゲがはやるのかというと、PSO2の場合はキャラクリが凄すぎて、漫画家にもイラストレーターにもなれなかった絵描き崩れが異様にいれこんでしまう部分があるのよね。
本当に冗談抜きで自分の理想通りのイケメンやらロリエルフ娘を作れるから。
だから運営含むゲームの悪い部分には一切目をつぶって狂信的に入れ込む、みたいな奴が大勢いる。
もうここまで来ると一種の宗教。
自分はシリーズ自体は最近やり出して思い出補正もないから、すぐに抜けられそうなんだけど、10年単位のファンとかはホントキチみたいな奴が多かった。
宗教の階級と一緒で、ライトな奴が少しでも「このゲームおもんない」とか言い出すとツイッターで陰でフルボッコとかさ。ホント怖いよ。
DQ10といいPSO2といい、ああいうオンゲに未だに需要があることが信じられない。
だってRPG系のオンゲって、元を取るのに数年遊んでもらわなくちゃいけないのに、それだけの時間遊んでもお釣りが来る量のコンテンツは絶対に実装できないわけで。
だから想定プレイ時間に対して少なすぎるコンテンツでできるだけ長く遊んでもらうため、報酬や難易度を極端に渋く設定する。狩り以外の移動とか生産とかの活動も、目的達成までやたら時間がかかる仕様にする。
それこそオフゲと比べたら、苦行のようなプレイと言っていい程度に。
もちろん楽しむためにやっているゲームで苦行なんて嫌だから、複垢複PCのパワープレイヤーや、ゲーム=人生という廃人や、更にはBOT・チート・RMTといった不正行為に走るプレイヤーが出てくる。
しかし運営にとっては廃人だろうが不正プレイヤーだろうが客であることには違いないので、取り締まる気はあんまりなかったりする。
そもそも利益確保のために人件費を削れるだけ削らないといけないから、サポートの仕事はユーザの苦情に対してテンプレ回答し、ネット上でカス呼ばわりされてもスルーする簡単な内容に位置づけると。
そして以上のようなことは、10年くらい前には判明していた話なのだ。
つまりオンゲのRPGなんて、だいぶ昔から何も進化していないということ。
依然として問題山積の、救われないジャンルといっていい。
それなのに、最近でもプレイする人がいっぱいいるなんて驚いてしまう。いや作る方も作る方だけどさ。
自分なんて、今やってるタイトルが最初で最後のMMOになる予感バリバリなので、根強い人気があることが心底理解できなかったり。
MMORPGを、UOからEQ、RO、FF11と渡り歩いてきて、ネットで各ゲームで毎回毎回廃人と晒され、数年前ようやくオンラインゲーム中毒から脱却出来たのだが。
ドラクエXの流行を見ていると、今までのMMOと大きく違う事象として、メジャータイトルかつ一般ゲーム機での発売(FF11はPCだったのでここが違う)なのでカジュアル一般層が多く、リアルの友達などと始めている人がすごく多い。それこそ社会人などが同僚、上司、取引先と。よく見る光景。
廃人だった私から言わせると、それはすごく危険なことに思える。
リアルでの関係から開始すると、いざそれを止めようとしたときにそれが足枷になる。「もう興味が無くなった」という理由だけで止めることが難しくなる。特に仲の良い人がハマってたりするとなおさらだ。毎日のように「今日何時ぐらいにオンする?」。今ではツイッターなどで仲良い集団でそのやりとりを良く目にする。基本無料で、わざわざ「止める」必要がないソーシャルゲームとは違う。月額課金をしないとキャラクターは消える。今までの全ての蓄積が消える。そのリアルで仲良い人との、少なくともゲーム上での関係を、自主的に消去することになる。
私がオンラインゲーム中毒から脱却出来た理由の一つに、そういったリアルで繋がりのある人がゲーム上にいなかった、というのがある。基本ゲーム上で知り合って仲良くなって。そこからリアルに会ったりした人もたくさんいたが、基本的にはゲーム上で親密な関係だ。リアルを晒したりはほとんどしていなかった。そのお陰でリアルに戻れた。
ドラクエXがもたらした一般層への「オンラインゲーム(MMORPG)」の影響は今後深刻になっていくんじゃないかと心配する。「ドラクエ疲れ」。俺達大人は言う、「たかがゲームじゃないか」と。だがそこにリアルでの人間関係が絡むと「たかがゲーム」ではなくなる。
「たかがゲーム」にそんなに人生を持ち込むぐらいなら、もっと別の何かで親睦を育むことをオススメする。一緒にご飯に行こう。一緒に酒を飲みに行こう。一緒にスポーツをしにいこう。一緒に山登りに行こう。
そちらのほうがよっぽど「冒険」だぞ。
メル友サイトで女を名乗ったり、出会い系サイトに登録すれば1時間で20通以上メールが来る
どんな不細工な女だろうと女というだけで男が群がってくる
現実でも女というだけで甘い扱いを受け、MMOではタダでアイテムをもらったりする
ROでは女キャラというだけでアイテムがもらえ、怪盗ロワイヤルというソーシャルゲームでは女というだけで貢物が来る
発達障害だろうと、経済力がなかろうと、やせてさえいれば、いくらでも男が寄ってきて選び放題
それに対し、男は男というだけで辛酸を味わい、女のようにちやほやされることもない
発達障害だと女と仲良くなることも難しい
ソーシャルゲームでも貢物は来ることなく、出会い系サイトでは倍率20倍の競争を潜り抜けなければならない
女は愛されるから不満なわけじゃない
しかし、ゼロ年代のMMO界隈の阿鼻叫喚を知っている人間からすると実に微妙というか、またボトラー廃人増やすだけじゃね?と思ってしまう。
基本的にMMOは、オフゲ並にサクサク遊べるゲームバランスなど、全く期待できない。
そんなコンテンツはあっという間に遊び尽くされ、すぐに過疎って終了だろう。
逐次コンテンツを追加投入するにしても、プレイヤーがサクサク遊ぶ以上のハイペースで実装するなど、絶対に不可能だ。
だから少ないコンテンツでできるだけ長い間遊んでもらうため、経験値や資金繰りやmobの強さを渋くしまくり、オフゲしか知らないプレイヤーからしたら、ほとんど苦行と言っていいプレイを強いられるわけだ。
MMOではほぼ必ず起きる廃人無双やRMTやチートやBOTは、そういうMMOの根本的問題が引き起こしたトラブルと言っていい。
そしてこの問題は、ゼロ年代の半ば頃には明らかになっていた話で、要するにMMOはその時点から1mmたりとも進化していない。
まさしくMMOは、進化の袋小路に陥って久しいジャンルなのだ。
そしてスクエニは、そんなの百も承知でFF11を運営してきた筈なのに、懲りずにまた同じことを繰り返すつもりなのだろうか。
もしかしてFF11で集客も利益もバッチリだったから2匹目のドジョウ狙い?
あとこれ運営のサポートどうするつもりなんだろね?
基本的にサポートで人を増やせばその分人件費がコストに跳ね返るので、大抵どこのMMOでもプレイヤーから「カス運営」と罵られつつ、最低限の人数で無理やり回すというかやり過ごしている感じなんだけど、DQ10もそうなるのだろうか。
何で嫌ってるの?と問われたから答えただけで、普段ソーシャルゲームを批判したりはしてないですよ。
えげつない重課金が自分らの趣味(MMOなりFPSなり)に影響しそうになったら重課金モデルの問題点を話題にはするし、その過程でソーシャルゲームの話が出てくることはあり得るだろうけど、なんの突拍子もなくソーシャルゲーム批判するのはよほどの暇人だと思います。基本的に違うジャンルだからきっかけがないかぎり接点がない。
Twitter でソーシャルゲームの批判したこともないかな。pixiv のアマチュアにソーシャルゲームの製作会社がありえない低価格で依頼してるというような話題について話したことはあるくらい。大体自分の好きなもの主張するのに他を叩くメソッドを選択するなんていい大人のすることじゃないし、効率が悪いです。
指摘されてるパッケージ販売型の行き詰まり感ですが、これはネットゲーマーも同じように考えてるんじゃないでしょうか?ネットゲーマー間では昔買ってたタイトルを買わなくなったという話を良く聞きますし、自分もそうです。
この問題はソーシャルゲーうんぬんというよりも、ネットや派生する情報戦略を生かせてるメーカーとパッケージを問屋に卸して終わりの時代から卒業できないメーカーの対比になると思います。
行き詰ってるパッケージ販売型は全くオンライン関係ないタイトルならまだしも、オンライン謳ってるタイトルでも、売ったら終りなメーカーがある。
パッケージ型販売だとタイトル先行というかネームバリュー先行というかそんな感じですよね。これがネットがベースのゲームだと参入コストは低めか 0 で、欲しいサービスができた時にお金を払う。これに慣れてしまったユーザーが、パッケージ型販売から遠のくのは当たり前かと。
ゲーム業界外だと、パッケージ販売型の問題点はサービスを売ることで改善してます。ソフトは低価格や無料のバージョンもあって、企業向けのサポート付きが有料といったやつです。オンラインを使えるゲームにも同じことが言えます。
一方で、殆どオンライン要素がなくてもこれだけ良く出来てるなら買ってみようかな、ネットでとても面白いプレイ動画を見たからやってみようかな、Twitter で話題になってるから・・・と言ったタイトルはたまーにあるので中身と戦略次第だとは思います。少なくとも有名タイトルが、新作だというだけで義務感で売れる時代は終わってるでしょう。
バランスの問題。
行き過ぎたレベリング重視型MMOが批判されたのもこれでしょ。組織的廃人や中華、キャンピング有利、時間拘束、etc。時間がない人はどうにもならない。選ばれた廃人だけが残っていくので新人が非常に参入しにくい。RMTが蔓延しやすい。
あと昔の攻撃力いくつうp!みたいな課金チケット必須なチョンゲやガチャ偏重ゲー、今も一部あるけど少数の超重課金から搾り出すモデル。メーカーは普通に遊ばせるための開発が馬鹿馬鹿しくなってゲーム内が貧弱に→ガチャしか更新しない。ゲームがうまかったりしてもあまり意味がないので、上達するのにやりがいを感じる人が萎える。
時々やるだけの人も沢山時間を使う人も遊べる。
金かけて即最強や課金装備持ってない奴はダンジョン来るなになってしまうような課金装備はださない。変わりにおしゃれ装備や成長が早くなるチケットを売る。時間がない社会人はチケットを買って、時間が有り余ってる人は無課金で時間を武器に。
出来る行動や到達できる強さには差を付けず、この二つの層が一緒に遊べるようにする。
課金装備もゲーム内で取引可能にして、日本円がなくて時間がある人はゲーム内マネーで取引して入手したり、時間をかけて入手できるようにどちらのルートも確保する。そうすると、日本円課金組とゲーム内マネー大量組みでいがみあうこともないし、ついでにRMTも阻止できて万々歳。(だって公式で売ってる課金アイテムをうった方が安全で効率よく日本円をゲームマネーにできる)MMO以外でもバランス型のネトゲはある。
一巡してサービスの質を謳って月額に戻る流れも若干あるな。もしくはゲーム内の必須ではない特定サービスに月額課金と同じような実質定額の料金がかかるモデル。ゲーム内の拡張倉庫の維持にお金がかかったり、土地の維持にお金がかかったり。アイテム課金という名の擬似月額課金みたいのもんだ。
大事なのはさ、払うお金にユーザーが納得できる価値があるかだよ。それが満足度が高いってこと。十分に金を払う価値があると思うなら気持ちよく金払う。課金叩きというと経済をわかってない嫌儲みたいに短絡されそうだけど、お金を払うのが嫌なんじゃなくて、価値がないと思うことにお金を払いたくないんだよ。
今のソーシャルゲーはとてもじゃないけど金を払う価値が無いと思ってる層がいるってこと。
当然、世の中にはネトゲに金を払う価値がないと思ってる人もいるし、パチンコに金を払う価値がないと思ってる人もいるし、ブランド物に金を払う価値がないと思ってる人もいるし、放射能対策を謳ったお高いお野菜に金を払う価値がないと思ってる人もいる。
どうしてもソーシャルゲーはevilに見える採算モデルで、段々改善してるとはいえ、evilな部分ばかり報道されてきているから
「ネトゲ、エロゲ、家ゲ、音ゲ、etcの何が楽しいのかわからない」(趣味の相違。野球の面白さがわからない、等と同じ)
「ソーシャルゲーになんでお金つぎ込めるのかわからない」(価値観への疑問、親しい人であれば不安、嫌悪)
ってなりやすいとは思うが。
これをさ、「競馬になんでお金つぎ込めるのかわからない」に置き換えてみよう。そしたら、「いやいや。馬が面白いんだよ。それにせいぜい使っても重賞で数千円だよ」とか「馬券は100円でも買えるし、馬券買わなくても馬がわかると十分面白いよ」とか「競馬に関わる人たちのストーリーがね」とか、色々説明しようが思い浮かぶんだけど、ソーシャルゲーならどう説明すんの?それが上手く出来ればソーシャルゲーのevilな課金モデルというイメージで嫌ってるゲーマー層の理解を得られるかも。
何故嫌うのか、という元エントリだったので、ネットゲーマーから見てソーシャルゲームはどのように見えるのかから、嫌う心理を説明したまでです。
かつて乱立したクリゲーの中でもライト向けという方向性を生かして良質化したものは生き残っており、そういった層向けのゲームが必要なのもネットゲーマーは理解していますよ。僕のようなネットゲーマーはよく言えば古きよき、差別的に言えばオールドタイプだと言っても良いし、自覚しています。
人付き合いのない軽いなんとなくで遊べるゲームが求められてるというのは同意です。それを否定する気は全くありません。個人の好みとしては好き嫌いはあるでしょうが。
ただ、ユーザーを消費する課金コンテンツ→天井には差を付けず時間やアバターを売る方向へというのがソーシャルゲームで革命的なもののように言われても(コナミ云々のツリーの流れ)、「今までが酷すぎただけでしょ。そういう方向に成長するのは自明だし。MMO の課金だってそうだったし。それに今もまだまだ酷そう」「ソーシャルゲームのユーザーはまだまだ搾取されてる。ユーザーもいつまでもバカじゃないから変化していかにないとまずいんじゃ?」と見えてしまうわけで、集金モデルやそれによる影響への嫌悪感は、拭いきれない所です。(~みたいな重課金チョンゲーはユーザーを食い物にしてるからやる気しないよ、と MMO 内での壁もある)
例えるなら、オールドタイプなネットゲームとソーシャルゲームは全く業種が違うけど悪徳商法は使いまわされているので、そこが気になるといえばわかるでしょうか?
逆に言えばソーシャルゲームは過去に MMO が通ってきた道を考えると、もっとユーザー満足度が高く嫌悪感を抱きにくい集金システムになる余地があるとも言えます。
RPGの話をする。
RPGっていっても、テーブルトークRPGやMMOとかじゃなく、ドラクエやFFみたいな俺が青春を費やしたやつだ。
ストーリーってもう出尽くした気がするんだよね。
かつては、ストーリーに出尽くしなんかないと思ってた。
もちろん、定番のネタというのはあるけれども。
でもさ、思えばRPGにおけるストーリーの制約はけっこう厳しい物がある。
町の平和を守るとか、そういう小さな目的から、世界を救うといった大きな目的まで、その流れに沿って話を進めないとならない。
ハードと媒体の進化によって、グラフィックや容量に制限はなくなった。
いくつもの国があり、それぞれの国にはいくつもの町があり、それぞれの町には何百人、何千人、時に100万人以上の人間が住む大都市まで登場する。
そんな世界では、一人の魔王を勇者が倒せば諸問題が全部解決する、なんてことはありえない。
現実と同じくらい複雑な世界では、その世界の諸問題も現実世界の諸問題同様に複雑で、誰か一人をやっつければ解決するほど単純なものではない。
独裁者、魔王、そういった一個人をラスボスにすることが出来ないとなれば、ラスボスは超存在とか概念となる。
スーファミ時代から、いやファミコン時代の後期からそういう傾向はあったけどさ。
でも、そういうのってしっくりこないんだよね。
昔話、神話で刷り込まれた勇者が魔王を倒すっていう基本のストーリーははやっぱり強力。
そういう単純な話、敵をやっつけて一件落着というラストに落とし込めるような、箱庭的な小さな世界観のゲームのほうが結局面白い。
「世の中には善と悪だけじゃなくて、偽善やら偽悪やら、善のつもりで悪をしてたり、その逆だったり、頭じゃわかっても憎しみは消せなかったり、いろいろあるんだ」
などと説教されても
「うるせーバカ」
となっちゃうだろ?
最近になって、糸井重里がMOTHER3の開発が頓挫した理由を「大作主義に陥ったため」と説明した理由が理解できてきた。
フラッグシップハードのRPGは大作である宿命が義務付けられている。
グラフィックは美麗でないといけないし、美麗なグラフィックは古典的で単純なターン制では許されない。
誰得な複雑でわかりにくく珍しさだけで楽しくもないシステムを抱き合わせさせられる。
世界は壮大でないといけない。
敵の目的も壮大でないといけない。
ちっぽけな主人公の存在が世界の大きさに押しつぶされてしまうのだ。
(じゃあ主人公をちっぽけじゃなく、特別な存在にすればいいのか?そんな特別な存在に感情移入できるのか?)
ずいぶんと後に、ゲームボーイアドバンスでMOTHER3が発売された。
物語の全てが小さな島のなかで進行した。
人類が生き残っているのはその小さな島だけだった。
それでも、大作を目指してしまった痕跡と言うか、いろんなものを詰め込み過ぎた痕跡が見え隠れして、MOTHER2ほどの面白さがなかった。
「他の犬は知らないかもしれないけど、君達が世界を救ったこと僕は知ってるよ」
と言ってもらえるような冒険がしたいんだよ。