はてなキーワード: MMOとは
分断された日本のインターネット というのを読んだけど、結局狭いところしか見てないんじゃない?
ソーシャルゲームがさも革命的なもののように言って数百ブクマされてたエントリ の逆パターンだね。
MMORPG はテレホ時代からあって、それが Geek 向けだった頃から、ソーシャルだったよ。Ultima Online は成功した中では最も古く今でも続いてる MMORPG の一つだけど、機械的な狩りやレベル上げをさせるような後発のクリゲーに比べたらよほど自由度が高く生活感があってソーシャルな側面が大きい。
もっとさかのぼれば、IRC にだってニフティサーブなどのパソコン通信にだってソーシャルな側面はあったよ。ぶっちゃけ人間が複数いれば、どんなものでもソーシャルになりえる んだけどね。
ソーシャルゲームってのは、そうした大きなソーシャル性のあるゲームから劣化縮小させたもの。Ultima Online のように自由にやりたいことを見つけられるのが 本質的には MMORPG なんだけど、"頭動かしたくない人" にそれは本格的過ぎたわけだ。だからクリゲーという単純作業やレベリングだけに集中させるような MMO が現れた。しばらくして、クリゲーの中でアイテム課金をもっとえげつないやり方にしてゲーム性を犠牲にしてでも廃人を育成するような方向性にしたものが生まれてきた。その MMORPG から生まれた腐った一端を濃縮してガラケーや SNS に持っていって成功したのがソーシャルゲームだよ。
腐った一端と言ったのはね、MMORPG があくまで擬似世界を楽しむ為のゲームであるとするなら、その世界のバランスを犠牲にしてでもお金を取るというのは廃人以外にはついていけないし、ゲームとしては腐ってるってこと。事実、MMORPG では行き過ぎてプレイヤーが離れたり、騙されてた人もそのおかしさに気づきだして、そういうやり方はだんだん下火になってる。同じアイテム課金でも、ゲームバランスを崩壊させない、無課金とできることには差がつかない、おしゃれアイテムや時間を買わせるようなサービスが主流になってきてる。
ソーシャルゲームにもゆくゆくはそういう波がくるだろうとは思う。ソーシャルゲームの主流ユーザーはネットゲーマーよりもさらに "頭動かしたくない人" が多そうだから気づきは遅い (ユーザーは騙され続ける) だろうが、いずれ変化は来るだろう。
いつの時代も "頭動かしたくない人" 向けのサービスってのはあって、IRC やニフティサーブに僕の先輩たちが夢中になってた頃は "頭動かしたくない人" はダイヤル Q2 とかをやっていた。パチスロとパチンコみたいな狭い世界の中でも、パチスロは覚えることが多いからってパチンコやる人がいたりする。僕らから見たら殆ど一緒じゃねーの?って所でもそういう住み分けがある。
分断もくそも、ネットもリアルももともと様々なものが住み分けしてる。ソーシャルゲームを異質なものに感じるのは、それに名前がついたから。ソーシャルゲームと名前がつくことで、それが及ぼしたり関係している事象を多くの人が意識するようになる。名前がついたら、名前を知ったら、さもそれに関係する問題が最近出来たように感じるだけだ。
ソーシャルゲームとそれ以外に見られる図式のようなもの・・・ "より多くのユーザーを未開拓の層から掘り出すために、より頭動かしたくない人向けに劣化縮小したサービスが低コストで乱造される" のは、ずっと昔からいろいろなパターンで繰り返されてきたことで、今に始まった事じゃない。
閉じたソーシャルのあるところに MMORPG のサブセットを持ってきてるのがソーシャルゲームって感じはする
ただ、Twitter とスカイプが普及してから MMORPG のソーシャル部分の垣根がものすごい勢いでなくなってきている
実際 MMO やるとわかるが、数年単位で色んな MMO を一緒にやる知り合いというか
Twitter や スカイプない頃も IRC で横のつながりはあったし
結局、MMORPG という仮想世界でも人間同士の付き合い、リアルからの連続というのは変わらないから
Twitter やスカイプといったツールでリアル規模で繋がってしまうとそのへんの境界がだんだん曖昧になるよな
昨日は居酒屋で集まったように、今日は MMO で集まろうか、って感じだ
MMORPG が特別な世界で、そこだけである人間関係というのを作る方が難しい
そこがソーシャルゲームの場合、リアルと密接のようでいてある意味閉じてる SNS という囲い込みの中で、仮想世界を思い込ませるのが上手いのかもしれない
そこに独特の嫌らしさを感じて苦手という人もいるだろう
スポーツも競技になるものはレギュレーションってのがあってね・・・
子供の遊びのゴムとびだって勝ち負けのルールやこれをやったらダメってのを決めるよね。
古いモデルの焼畑式チョンゲーMMOや殆どのソーシャルゲームは例えるなら、レギュレーション違反の道具を買えたり、勝負で八百長したり、自分だけ外人選手入れたり、勝ちをお金で買えたりするくらいのチート感があったんだよ。そもそもお金払わないと遊ぶ場所を確保できないとかね。
人が複数集まる以上、それは競技としての性質を帯びる。大多数が楽しいと思うためにはバランスを崩さないことが必要。アイテムなどよりも、プレイヤーの腕や経験や人脈やらが勝敗に関与する割合を増やす。そうしないと、交流したり競争したり協力することが楽しいと思えないし、ゲーム自体が短命になる。
その方向性を究極まで突き詰めて、プレイヤーの腕だけが差になるのが FPS。これらは eスポーツといって、スポーツの一種という扱われ方もされてる。プレイヤースキルやチームワークが大事というのは、たかがゲームでもその楽しさの根源はスポーツやチェスなどと何らかわらない。
そこまで削ぎ落としたモデルにしなくても、ネットゲーム全般にだってその要素はあるし、「交流したり競争したり協力することが楽しくて、自分で工夫したり努力することが結果に繋がる」という根本を崩さないようにしながら、アイテム課金も両立するというのはもう常識になってきてる。まぁ、大量生産ハンコ型クリゲーは初期動員さえ稼げればいいのでレギュレーションもクソッタレもない焼畑式が多いけど、そうじゃなくてまともな MMORPG は随分前から変わってきてる。
まあ、MMO もユーザーはずっと前からこのことに気付いていて「こうしてくれたら気持ちよくお金を払うのに」と 10年位思っていたけど、製作側が頭が固すぎたつーのがあって。ソーシャルゲームも同じ歴史を繰り替えすのだろうなと思う。
トラバいくつかで散々指摘されてるけど、MMORPG じゃ数年前から行われてるあたりまえの戦略。
その基盤となる仕組みや仮想世界としての現象は、下手すりゃ10年前からあること。
まあ、ユーザーに Win Win に感じさせるシステムをメーカーがちゃんと理解して実行してきたのはここ数年だけどね。
それをありがたがるようにブクマしてもったいつけてコメントしてる。
ばかばかしい。
ソーシャルゲームというだけで何か新しい現象があるように解釈したいんだね。
これがわかってない MMORPG なんてごく焼畑チョンゲーくらい。
書いてることはごく基本のあたりまえのことで、MMO やってるユーザーは本質的にもっと色々なことを体感してる。
トラバ全部読めばわかると思うが。
S ネットゲーム アダルトゲーム 同人誌 フィギュア SF 三国志 軍事 声優 風俗 オカルト
A アイドル アニメ サバイバルゲーム アマチュア無線 鉄道 競馬 切手 腕時計 パチ○コ
B 漫画 バイク カメラ ライトノベル 特撮 民族学 自作PC 女子アナウンサー 麻雀 オーディオ機器
C 携帯電話 ラーメン 深夜ラジオ 映画 サブカル 自動車 ファッション テレビドラマ 熱帯魚 釣り
D ビリヤード ワイン 自転車 ダーツ テニス サーフィン ギター 純文学 クラシック音楽 アウトドア
私女だけど、Bまでなら許す
それより上はさすがに…
昔2ちゃんのどっかで見かけた男の趣味ランクのテンプレだが、このうちどうしても理解できなかったのが、
でも実際ネトゲをやってみて、Sランクはものすごく妥当だと思った。
正確にはネトゲ廃人に対する評価として妥当という感じ。
というか男の趣味に貴賎をつけるとしたら、あいつらはエロゲオタを差し置いて
間違いなく最下層と言わざるを得ない。
「大っぴらではなく影でこそこそやれ」とは思うけど、個人的には
そんなにキモいと感じない。
そもそもネトゲ、特にMMOは↓の記事にあるように「自己顕示システム」として強烈な麻薬性がある。
http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=227
廃人はこのシステムに取り憑かれ、自己顕示欲に溺れてしまった人達と言える。
欲望の赴くままに俺TUEEEEE俺SUGEEEEEを貪る。
その姿がどうしようもなく嫌らしく、気持ち悪い。
そして俺TUEEEEE俺SUGEEEEEは他者との関係無しには成り立たない充足感なので、
周りをあまねく不快にさせる。
しかしよく訓練された廃人だと、そうして周りからウザがられても
「なーんかまたザコが負け惜しみ言っちゃってるよーでも実際俺超かっけーから仕方ねーわ、
あー嫉妬されるマジつれーわw」
まさしく「ギルド一番の誇り高き戦士」の面目躍如といったところか。
特に10代からいくつもいろんなネトゲやってるみたいな、MMO経験が長い人ほど要注意だ。
文字通り頭狂ってる奴が結構いる。
もちろん初心者のうちから廃人傾向の言動する奴もいるけど(リア充のダークサイドとも言えるか)。
こういう奴らに比べたら、こんな所でヘイトスピーチまがいのクズ日記書き捨ててる
自分のほうがまだマシだと心底思う。
良い勉強法というか、考え方の変換なんだけど、
英語が難しいとか言ってる人って、無理にきれいな英語をしゃべろうと勝手にハードル上げるよね。
単語も割と覚えなくても何とかなる。
こっからは実体験だが、
Excuse me, Where's the coffee shop?
Like a star-backs ?
だけで、相手だって考えてくれる。
we are here, go straight, turn right, and here.
こんなもんで会話は成り立つんだよね。
それをMMOだと勘違いされるような量産MMOが多すぎるが(所謂チョンゲー、クリゲー)、ゲームはそういう一面だけではないし、当然それを好まない増田のような人たちもいる。
ちょっと古い書き込みだが http://anond.hatelabo.jp/20090312044936 これとこれについてるトラバを読めば、元増田はMMOに持ってる疑問がすこし氷解するかもしれない。
一人でやるゲームでも自分が上手くなる事に充実感を感じるタイプのゲーム(わかり易い例ではシューティングや音ゲーなど)は、ゴルフや登山などの自己追及系スポーツと似た性質がある。
チームで対戦するようなゲームにはチームでやるスポーツと全くおなじ楽しみがある。FPSではその名の通りeスポーツといって、スポーツと同じようにチームやプレイヤーに企業スポンサーがついて大会を行ってる。スポーツと同じようにチームは訓練したり合宿したりする。
そして、当然MMORPGにもゲームデザイン次第でこれらと同じ楽しみはあるし、コミュニケーション重視であれば現実やSNSと同じ楽しみがある。
しかし、それをわずらわしい、家ゲーみたいに一人でやりたい、時間をかければ最強になるのがいい、頭つかいたくない、という需要があるので単純作業させるクリゲー系MMOが(極東アジア圏では)量産されてるのが現実。
ネトゲの中でもMMORPG、特に韓国系クリゲーは、プレイに膨大な時間がかかることはよく知られている。
あらゆることにかなりの時間を費やすし、またそうなるように作られている。
しかも時間がかかる内容は、単純に量をこなさなければならない代物。
「次のレベルまで同じ敵を数千匹、決まった手順でクリック」とかね。
そこにはあまり時間短縮の余地はない。ポイントを押さえて効率よくやったところで多寡が知れている。
そして時間をかければかけるほどキャラが強くなり、ゲーム内での発言力も大きくなる。
つまりゲームを楽しもうと思ったら、余暇のうちの相当な時間をゲームに割かないといけない。
美味しいとこだけちょちょいと遊ぶのではなく、肩までどっぷり浸かることを要求されるわけだ。
かくいう俺はそういうゲームを1年くらいプレイしてみたけど、正直こんな物を何年もプレイする人が
未だに少なからずいるのが信じられない。
そもそも普通に仕事や学業に携わっている人がそんな時間をかけられるわけがないし、
ハウジングとかペット育成とか生産とかもレベル上げだけで精一杯の人はできないし、
新規は古参に永遠に追いつけないので先に始めた人がいつまでも先輩面していてうざいし、
コミュニケーションもそのゲームの話題に終始するので広がりが無い。
こんな風に、ゲームとしてもチャットのツールとしても欠点ばかりが目に付き、自分はプレイをやめたわけだが。
もちろんこんなこと皆分かっているんだろうし、納得ずくでプレイしているんだろう。
それでなおプレイするとしたら「こんなに頑張ってる俺かっけー」くらいしかモチベーションの源が思いつかない。
まあ廃人見てると発言内容の要点がすべて俺TUEEEEになってる人が多いし、その取り巻きも「努力しないのは甘え」と言って憚らないし、
実際そうなんだろうな。
それにしても頑張ることそのものが目的で、しかもその頑張り=とにかく時間をかけることなんて・・・。
趣味に貴賎は無いけど、それでも地獄のような単純作業の繰り返しに比べたら、
もうちょい有意義な遊びもあるだろうにと思うのだが。
運営とプレーヤーを比べたら、圧倒的に数でプレーヤーに分がある。
数がすべてとは言わないが、運営にあまり統制権を偏らせすぎると、多すぎるプレーヤーの統治が出来なくなるのではないか。
そもそもプレーヤーというのは、現在では多くのゲームを渡り歩いてきた人間が多数で、運営よりもずっと知識やアイディアを持っているのではないかと思ってしまう。
プレーヤーの自治に必要なのは、自由度の高さで、自由度の高さはシステムの崩壊というリスクを高める。
つまりここは徹底的に考えなければならない。面白いシステムや斬新なシステムというよりは、徹底して「崩壊しない」システム、そのさじ加減を考えて考えて考えまくること。
あと、運営があまり出てこないこと。
運営はあくまで管理者であって、フレンドリーな神であってはいけないと思う。
運営がプレーヤーに接近すればするほど、なんというか、そのゲーム自体が安っぽく見える。底が浅いというか。
下手すれば運営の裁量一つでパラメータも集めたアイテムも全部リセット出来るというのに、そんな奴がなぜプレーヤーに媚びを売るのか。理解できない。
畏怖すべき存在、下手したらリセットされるかもしれない恐怖。運営は絶対なのだという前提を覆してはいけないと思う。そうじゃなきゃ、皆作られた世界に飽き飽きしてしまう。
そのうえで、運営は単に恐怖であってはならない。運営とは全知全能の神であり、プレーヤーを過度に苦しめて収益を上げるような存在ではない。それでは逆の意味でプレーヤーに接近してしまっているから。
運営はあくまで世界を創造しそれを維持することだけに集中すべき。
イベントなどいらない。イベントとは運営ではなくプレーヤーが作るべきもの。
イベントを連発すれば、プレーヤーは怠惰になる。イベントとは言ってみれば運営が媚びを売った結果であり、運営の言うとおりにすればアイテムがもらえるなんて、もはやそれは仮想世界でもなんでもない。
情報は表に出してはならない。そして常に新しいアイテム、システムを創造し続け、さらにそれを隠ぺいしろ。
全てプレーヤーに見つけ出させる。当たり前だが、一か月遊んで廃人がすべてのシステムを見つけ出すような薄っぺらい世界ではいけない。
FF11のような膨大かつありえないほどの広がりを「嘘でも」感じさせる世界が重要だ。
アイテムはまず10万種類は作れ。5年かかっても廃人はその3割しか見つけられないような難易度にしろ!
世界の広がりは途方もなくしろ。新しいフィールドを踏破した人間はプレーヤーの間で伝説として語り継がれるくらいの難易度でいい。
そうやって歴史を積み重ねろ!資金はいくらあっても足りない。大富豪にたかれ。世界には腐るほど金を持ってる奴はたくさんいる。とにかくたかれ。
基本無料でもいいが、必ず金を払いたいと思う要素を取り込んだほうがいい。
たとえば、レベル制限、フィールド制限、アイテム制限。そういったものを段階的に組み込んで、結局は月額で何千円かは払わなくてはいけないようにしたほうがいい。
すごいゲームが無料で楽しめるわけがない、と思わせることが重要。レベル10制限にひっかかってもうやめたと思ったらそれは運営の怠惰だ。
とにかく離れられないようにしなければならない。このゲームを、寝食を忘れ職も失い友達も失い、それでもやらなければならないと思うほどのものにしろ!
縮図というか、見えにくい部分が見えちゃってるんじゃねーか?と思う。
廃人ってのは、もしツールみたいな不正行為をしていたとしても、社会における勝利者に他ならないわけでしょ。
その勝利者の態度がいくらでかくたって、妬みはするかもしれないが攻撃することは出来ない。これって現実と似てるような気がする。
廃人=成り上がりの経営者って感じ?やり手の経営者って、多かれ少なかれグレーゾーンとかそういうのを利用していて、アメリカなんかでは顕著だけど、金持ちになった奴は堂々と脱税の方法を教えてたりするじゃない。もちろん合法だけど。
つまり、金持ち=廃人を妬む奴はそいつと同期の人間であることが考えられる。もし世代交代すれば、新しい世代(つまり新規参加者)は廃人を目標とするだろうと思う。リアルで言えば、アメリカンドリームみたいな。妬みの気持ちは少しはあるだろうけど、やっぱり目標とするのは廃人でしょ。その世界での唯一の勝利者なんだから。
あとは、現実世界では運営=管理者の存在が全くといっていいほど遠くにいて目に見えないのに、仮想世界での運営はよく見えるところにいて距離も近いってことかな。
その場合、そもそもその世界において努力することがどれだけ無意味なことかに人々が気付きやすくて、さらに無意味なことをやって念願の廃人となりえた人間までいるから、そいつらへの「何やってんだあいつは」という視線が注がれやすくなる。
また、運営や世界内組織の力や知識が不十分すぎるために、公平なルールにおいて社会が動いていると「見せかける」ことが出来ずに、不満が募るばかりということも。現実の社会で公平なルールがあるかといったらそれは見せかけだけで全くないわけなんだけど、現実の場合、それを意識させないように隠ぺいするための方法がたくさんあり、さらにそれを納得させるための教育システムや歴史も存在するから、案外気付かれない。
俺は前に先行者有利の原則をどうやったらなくすことが出来るか考えてみたけど、先行者有利なのはそもそも現実世界でも同じであり、重要なのは「隠ぺい」することなのでは?と思うようになった。
結局この世界、前に生まれた人間のほうがとてつもなく有利になるように出来てる。特にパイがあらかじめ決められている部分においては。
ITみたいに新しい分野が出てきたことで先行者有利の原則が崩されたりもしたけど、MMOでそれを再現するには新システム、新フィールドなんかを際限なく提示し続けなければいけなくて、現実と違って攻略が容易なゲーム内世界っていうのは廃れるのは一瞬なんだなとよく思う。
あれ、一体何の話をしていたんだっけ。
ネトゲ、特にMMOは社会の縮図などと言われるが、だとすればMMOの社会はずいぶん歪んでいるなと思う。
MMOの社会は、基本的に廃人を中心に回っている。この廃人がかなり曲者なのだ。
彼らは基本的に善悪の区別すらつかない人が多い。
明文化された規約だけ守っていれば何をやってもいいと思っていて、
それが悪人の発想だということが全く分かっていない。
酷いのになると、自らの規約違反を「ゲームの仕様上違反行為ができてしまうことが悪い」なとど開き直る。
でもMMOの場合、モラルの無い人間が社会の中心になっていること、
あるいは社会の中心になっていることが見え過ぎるくらい可視化されているところが、
とにかく恐れを知らない奴ほど力をひけらかせる環境なのだ。
本当は恐れを知らない奴ほど痛い目に遭うべきなんだろうけど。
かくして2ちゃんやしたらばの晒しスレは、今日も廃人の悪行に対する私怨で溢れ返っているというわけだ。
しかしこの傾向、どこのネトゲをやってもびっくりするくらい共通だ。
自分が今更こんなことを書くまでもなく、ネトゲ経験者なら誰でも知っている事実とかどうなのよ。
まさしく「どうしてこうなった!?」という感じだ。
ネトゲはまだまだ色んな可能性があると思うけど、廃人問題を何とかしない限り、
ロクでもない商売という評価は払拭できない気がする。
基本MMOの話。
・一日のプレイ時間は最低でも10時間、できれば16時間くらいが望ましい。
・ガチャは毎回必ず回す。更新され次第即座に回す。一等が出るまで回す(リアルマネー8万も突っ込めば多分当たる)。
当てたアイテムは数時間以内にできるだけ高値をふっかけて売り払う。
そのためにもウェブマネーは常時20万以上ストックを持っておくくらいの気持ちで。
・プレイスタイルは「効率」「強さ」「火力」のいずれかを徹底追求すること。全てに拘っても構わない。
・常時複数PCを起動し、複数垢を使い倒す。使い倒し方は直接廃人に相談するかしたらばでのやり取り、wiki等から推測する。
・明文化された規約、ゲームの仕様上明らかに不可能なこと以外、なんでもやってみよう。常に裏をかくことを考えるといい。
・2ちゃんやしたらばに晒されても「そんなん晒した奴がm9(^Д^)プギャー」「私怨乙」と思えるくらいの強い心を持つ。
ここまでやれば、多分数か月~1年で、大抵のゲームで一目置かれる存在になれる。
http://anond.hatelabo.jp/20101109000608
目指すネト充はゾーンによって違うんじゃないかな。思いついたのを書いてみる
■ブログ
頑張ってライフハックの記事を書く。だと難しいんで、紹介されているライフハックを1ヶ月なりやってみて効果等を発表するブログは読みたい。
みんなまとめに弱いので、とにかくまとめてあるサイトは読みたい。
頑張って面白く書く。は難しいんで、Togetterでまとめる人になる。 面白いことを言ってる人達を見たい人は多い。あと自分で面白い事を書くより、面白いことを言ってる人達を見つける方が楽。
■ミクシイ
頑張って面白いことを書いても無駄になることが多い。ある程度日記とか充実させたらコミュニティに書き込みながらオフに出る
■ニコニコ
頑張って面白いことををする技術がなければ体を張るしかない。顔晒してニコ生とかやると顔晒してる人達のコミュニティとかがある。
■ネトゲ
死なない程度にネトゲ。FPSなんかよりMMO系になるのか? 楽したいなら強さが時間に比例しにくいネトゲがいいんじゃないかな。思いつくのはパンヤぐらいだけど。
■2ch
いろんな板にスカイプでつながる~ とか メッセでつながる~ とかあるのでやってみる。
■ピクシブ
絵がかけるなら。
人付き合いってようするに自慢コミュニケーションってことを言いたいのか?なら納得できる。
確かにだれか同じ人間がいなければ自慢もできないしね。パチンコは誰かに自慢するもんではないか。その点ではより原始的な快楽なのか。ソーシャルゲームは対して、より高度というか、人間にしかない欲求を満たす中毒性を持っているといえる。
そういえばパチンコって音と光の快感が中心だったね。音と光といえば人間みたいな動物が最も影響を受けやすいものだ。音と光で洗脳は行われるし。
神との対話(トランス?)≒麻薬、アルコール→パチンコ→MMO≒ソーシャルゲーム→?
って流れのような感じがする。
MMOの話だけど、MMOに限ったことではない。たぶんすべてに適用できる話。
グローバル化したことで、何が一体「一番良い」のかが丸わかりになってしまった。
その結果、皆がそれを追従することになり、ゲームの多様性が失われつつあると思う。
しかしここで言いたいのは、だからなんとかしようということではなく、なぜ多様性が失われていくのかということへの考察。
MMOにはいろいろな種類があったんだと思うのだが、ここ最近は本当に「クリゲー」とそれ以外しかなくなってしまった。もちろん、それ以外の数はクリゲーとは比べられないほど少ない。
なので、量産クリゲは嫌だ、という人や、量産だというだけでプレイしないという人が増えてきているのだが、だからといって量産クリゲがなくなるかというとそういう気配はない。
これはつまり、ある一定の需要があるということで、嫌だと言っている人はかなりの少数派ということだ。もし嫌だという声が強ければとっくに量産クリゲなどなくなっているだろう。(量産クリゲを作っている会社の大部分は、競争力のない小さな企業)
で、この量産クリゲというものが一体どうして増え続けているのか、それを考えてみると面白いことがわかってくる。
巷でアンチクリゲ派が言っているような「簡単に作れて集金も楽」というのはあくまで金銭から見た、運営からみたメリットの一部分でしかない。
一番重要なのは、「プレイヤーがとりあえずプレイできてしまう」その安定感だ。
クリゲーはまず、操作が楽。クリックするだけでいい上、騎乗アイテムなどもあり、全体的に移動速度は速くなるようにしてある。
さらに、中毒性のある成長システムが多数存在すること。比較的長い期間、ユーザーの厳しい評価にもまれたおかげか、効率的かつ「楽に気持ちよくなれる」強化成長システムが実によくできている。
具体的に言えば生産や装備の強化、ペットの育成など。これらの成長システムをほとんどすべて詰め込むことで、量産であるにも関わらず「たくさんのシステムがある奥の深いゲーム」のように見える。実際は、ほとんどが流用であり開発側はそれだけたくさんのシステムを詰め込んでもあまり人員を必要としない。これはとんでもなく効率的な開発方法だと思う。
なぜ量産クリゲがはやるのか。ここまでくれば大体わかってくる。開発する側にとって、「これが一番効率的でいいものらしい」と認識されているからだ。
ユニクロのような個性的とは言い難い商品を売る企業が潰れないのも同じ理屈で、「苦労して作った」というのは、所詮はただの自己満足に過ぎない部分がある。苦労して作ったので量産品の3倍の値段です、と言われて喜んで出すのは金が余って困っている人間だけなのである。
MMOで考えると、FF14と量産クリゲが非常に好対照だと思う。
FF14はたくさんの人間を使って非常に苦労して作られたゲームのはず。なのに、レビューの点数は軒並み低く、クソゲーと連呼されてしまっている。
一方の量産クリゲーは、雨後のたけのこのように苦労せず次々出てきているにも関わらず、批判の声といえば「量産だからクソ」というもので、システム面が根本的にダメというのはあまり聞かない。
これは、MMOという市場におけるスクエニという企業と量産クリゲ開発ツールの熟練度の差なのだ。
スクエニは八年もFF11を運営していたが、そもそもFF11は同社の初オンラインということで、MMOでユーザーが一体何を求めているのかはほとんどわかっていなかったと思う。リサーチをかけたとしても、何年も運営してきたほかの会社と比べれば未熟そのもの。
にも関わらずこれだけ続いたのは、ひとえにスクエニが持つ「ブランド力」というMMOとは関係ない過去の遺産によるところが多い。つまり、スクエニが開発しなければ、そしてFFでなければあのゲームは淘汰されていたのである。
それは、量産クリゲにFF的な特徴を持ったものがほとんどないことからも裏付けられる。時間を使わせ、できるだけ攻略されないようにということだけでユーザーの快適性を考えなかったゲームのノウハウは、流用されることすらないのである。
現在のMMOにおける状況というのは、まさに黒船到来といった感じ。黒船とは量産クリゲで、開港させられるのはスクエニである。
量産クリゲのような「世界が認めた」システムの前に、独自性やグラフィックがきれいといった小さな利点は何の役にも立たない。非効率なシステムが生き残れるのは、グローバル化していない世界においてだけだったということだ。
そして、ここから考えるに、今後はゲームのみならず、あらゆる面で「量産型」が出回り、多様性が失われていく時代に入っていくと考えられる。というか、21世紀はそういう世紀になるだろう。
グローバル化がもたらしたものとは、「誰が一番なのかを見つけやすくする」ということだったのだ。
多様性は生まれるのではなく、失われていく。なぜなら、誰が一番なのかがわかれば、一番ではないと烙印を押された人間は、そこから撤退するか、一番のまねをするしかなくなる。
そうでなければ生き残れない。
グローバル化時代というのは、頂点とその模倣だけで構成される非常に「画一的」な世界であり、いままさにそれがあらゆる面で進行している。
世界はグローバル化しなかったからこそ多様な島宇宙を創りだしていたんだと思う。
たとえば都市。都市は効率化を進めることで巨大に、そして便利になれる生き物である。発達した都市は、皆同じような姿をしており、もはや「どこにいっても同じ風景」なのが当たり前なのだ。
人類は発展するにつれて次第に「他の場所に住む人類」との交流をするようになったが、そういった発展の過程で動植物は次々と絶滅している。これも、グローバル化によって多様性が失われていることの証拠といえる。
いまさかんに多様性を残そうという動きが高まっているが、残念ながら人類が発展し続ける限り多様性は失われていくだろう。ある一つの地域の多様性を守るための活動が、3つの地域の多様性を失わせているような状況である。人類の努力とはその程度のものでしかない。欺瞞と言われてもしょうがないと思う。
そこで、多様性を失わせないためにどんなことが必要なのか。これはもう、「過去の遺産」をデータ化して守るしかないと思う。
MMOの話でいえば、初期UOなどは、現在のMMOとはかなり趣が違うものであり、MMOの多様性を残すために、初期UOをエミュレートサーバで起動させ続けることは非常に意義がある。
量産クリゲではないものは、すぐにつぶれてしまうのだから、そういったものを忘れさせないためにエミュレートする。こういった努力は無駄ではない。第一、MMOの歴史など地球の歴史と比べればカスみたいなものだ、生まれた多様性もはっきり言ってほとんどあってないようなもの。だからこそ、守るのも楽だろう。地球が長い年月をかけてはぐくんできた生き物の多様性を守るのは人類には荷が重すぎる。
このように、グローバル化が進むと物事の淘汰が行われ一番のものだけが生き残り後はすべてその模倣になってしまうという話をした。
量産クリゲがはやるのは当然で、それを否定するのも意味がないだろう。ただし、それとは違う、すぐに淘汰されてしまうMMOを保護することはとても大切だと思う。
この先一体ゲームやそのほかの娯楽がどんなふうになっていくのか興味がある。もし多様性が失われ続ければ一体どんなことになるのか。時代が出す答えを待ちたい