はてなキーワード: DSとは
家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。
でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生で中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶だからだ。
先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。
でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。
小学四年生のわたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。
そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから、放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。
小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。
同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。
そして小学六年生になった。
受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強、息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。
でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。
そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。
それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつの光景を死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間、公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。
そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験の総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。
そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根と屋根のあいだから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分の意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。
ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。
名前欄に自分の名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたしは名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分の意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき、母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。
この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全なものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたしが100%自分自身の意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。
中高時代のわたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分の意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき。図鑑や百科事典を読むのが楽しかったこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたしも勉強が好きだった。
文学部を卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身の選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたしの仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたしの選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だから、わたしはこれで良かった。中学受験が苦しかったことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由な選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全なもので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分に子どもができたとしたら、わたしは子どもに中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分の意思で中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。
中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生、幸せだから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験の記憶から救われるには、いまのわたしが幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしはわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくまで空想でしかないけれど。わたしは小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かに悲しかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから。
1980年代前半生まれなんだけど、小学校中学年の頃にバブル崩壊して、そこからやたら世の中やれ不景気だ、やれ不良債権だ、やれ就職氷河期だって言い出すようになって、山一も潰れて、銀行もどんどん統廃合していって、なんかもうその頃からずっと今もずっと日本って不景気なんだなって思ってる。
大学に進学した頃には「失われた10年」って言われるようになって、気づいたらそれが20年になり、30年になり、どこまで続くんだろうって眺めてる。
途中ITバブルとかあったらしいけど、全然実感ない。アベノミクスとかも自分の周囲で実感のあるやつは皆無だったろう。
今後も少子高齢社会で日本はどんどん元気なくなっていくんだろうなって思ってる。
違うな、元気がいい日本を想像できない、と言った方が正しいな。
ただ、ゲームの進化と共に成長できたのはいい時代に生まれたと思ってる。ファミコンからスーファミ、ゲームボーイ、プレステ、Wii、DSとかメジャーなハードは一通り触った。今はPS5をしてるけど、映像の進化や操作性の向上、物語の作り込み具合の進歩は凄まじいものがある。
なぜ、選ばれなかったビアンカは独身を貫いたのか?その切ない理由を『ドラクエ』生みの親、堀井雄二氏が語る | インサイド
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.inside-games.jp/article/2023/05/16/145936.html
ビアンカがなんで独身を貫いたのかってプレイヤーに嫌なものを見せるために決まってるじゃん。
リメイクを重ねたことでみんなの記憶も塗り替えられてるんだけど、一番最初の5ではビアンカ選ばない奴は人でなしだから。
明白にそういう風に作られてる。
奴隷生活してた主人公にとっては数少ない子供時代の思い出と幸せの象徴でもあり
ビアンカ自身お母さん死んでお父さんも体壊してほぼ一人ぼっちの心細い身の上になってて
一方でフローラなんて父母健在で裕福で引く手あまたで主人公との間に特別絆もない。
奴隷時代のこと話したとしてフローラが何かわかってくれると思うか?ビアンカはきっとわかってくれる。
地元にはフローラを慕ってる特別な男までいて、この男が優男なりに本気でフローラの為に頑張れるやつで試練の為に重傷まで負う。
どういう角度から言ってもプレイヤーはビアンカを選ぶようになってるのよ。
フローラを選ぶのは「わざと有り得ない変な選択肢を選ぶ」に近い、しっくりこないルート。
そういう風にはっきり差がついてるのが元々の4の面白いとこだった。
フローラは「裏ルートだけど選べますよ」って言う自由さが面白いというか。
プレイヤーに嫌な思いをさせるためにきまってるじゃん。
「お前が有り得ないひねくれた選択肢を選んだ結果ビアンカは寂しいことになっていますよ」を見せてくれる、
そういうサービスであったに過ぎない。
だからフローラはプレイヤーが選ばなくてもさっさと優男と結婚して幸せそうにする。
ビアンカを選んだ時に「お前の選択は間違っていたんじゃないか?」というメッセージは一切現れない。
ずーっと抱かされながら歩んでいくのが元々の5のフローラルートの醍醐味。
「お前が選ばなかったせいで可哀想なことになってるビアンカ」の表現としての未婚
これはやっぱり大っぴらに言っちゃいけないことだし、
でも最初の5をやった人、
そして目配せをちゃんと読み取れる程度には鈍くない人、
更に何度も重ねられたリメイクにイメージ上書きされずに初期を覚えてる人なら、
堀井がビアンカ選ばなかったプレイヤーを刺し続けるために周辺のことをデザインしてた
あとは蛇足だけど
堀井はそれなりに「アップデート」する人だし同じままリメイクしてもしょうがないから
リメイクを重ねるにしたがって天空の花嫁をどんどん人間化していくとともに
フローラにも主人公との絆を追加したりおもろい人格を強化したりして
フローラを「捻くれ裏ルート」から「ビアンカと対等な花嫁候補」に変えていったんだよね。
だからリメイクしかやってない若い人は最初から対等なヒロインたちってイメージしか持たない。
その発展性の極みがデボラで、
「ビアンカよりもデボラのことほっとけない!」って思うプレイヤーが多発するようになっている。
で、選ばなかった場合は未婚を通してるの見せつけてプレイヤーに嫌がらせしてくるでしょ?
フローラとビアンカを対等に戻した次はデボラでまた刺してくるっていうことをやっている。
ビアンカはもう「選ばないと人でなし」という絶対ヒロインではなくなったから
DS版リメイクで選んだビアンカにこそ本当の自由意思によるビアンカ花嫁ルートと言う感動があるんだよ。
純然たる自由意思で選んだビアンカこそが俺達が最後の最後に手に入れた本物のビアンカだったってわけ。
マリオの映画まだ見てないんだけどピーチが戦いに行くときライダースーツみたいなの着てかっちょよくハルバード持つCM見た時点でウワァ…と思った。
DSのスーパープリンセスピーチが大好きだから戦うピーチは普通にうれしいんだけどあそこまで女性的要素を排除しなくてもよくない?ポリコレに屈したって言われてもしゃーなしやろ。
トイストーリーのボー・ピープも4で突然スカートをマントにしてパンツで戦う典型的強い女にされて泣いたんだけど、なんでこう「たおやかで女性的な強さのあるキャラ」を「強くて男にも身体的に負けないキャラ」に改変しないと気が済まないんだろう。
別に男性的強さを持った女性キャラは好きだし、新キャラでそれが出てくるのは大歓迎なんだけど、そうではなくてそれまでの女性的キャラを改変されるのが本当に悲しい。原作無視してキャラの要素を書き換えてそれが本当に多様性なのかね?女性的な女性キャラもいるし男性的な女性キャラもいることが多様性なんじゃないのかね?
ただ単にピンクが好きな女の子から「女の子だからピンクだなんて旧時代的感性に染められている!」とかいってピンクを取り上げて青を与えるみたいなさあ…
条件に合ったゲームをいくつか紹介します。様々なプラットフォームで楽しめるゲームを選んでみましたので、試してみてください。
簡単な操作で楽しめる、スライムを操作してゴールを目指すゲームです。タイミングやアクションが苦手でも大丈夫なシンプルなゲームです。
ストーリー オブ シーズンズ: パイオニアーズ オブ オリーブ タウン (Switch)
牧場を運営して、収穫や動物とのふれあいを楽しむ農業シミュレーションゲームです。リラックスしながら遊べるので、ストレスなく楽しめます。
ポケモンを好きだとおっしゃっているので、新しいポケモンゲームを試してみてはいかがでしょうか。最新作は『ポケットモンスター ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』(Switch)や、『ポケットモンスター ソード・シールド』(Switch)などがあります。
アクションが苦手でも楽しめる、簡単操作の2Dアクションゲームです。難易度は調整できるので、自分に合ったレベルで遊ぶことができます。
ダンジョン探検型のアクションRPGで、キャラクターを操作してモンスターと戦い、アイテムを集める楽しさがあります。ゲームの難易度はそこまで高くないので、アクションが苦手な方でも楽しめます。
いずれも日本語に対応しており、ガチャ要素や対人要素がないものばかりです。広告が出ないものも多く、遊び続けられるボリュームがあるので、お試しください。楽しい休暇をお過ごしください!
久々に少しだけ休暇があって、ゲームでもしようかなと思ってアプリを漁ったんだけど10個ぐらいダウンロードして全然当たりを引けなかった。
という訳で知恵のある皆々様、私の厳しい条件に一致するゲームをご存知でしたら教えて頂けないでしょうか。
スマホ、ブラウザ、据え置きもswitchからDS、PS5もあるので基本ハードは問いません。
ゲームがドヘタクソなのでアクションやタイミングよくボタンを押す必要があるゲームは面白くなれない マリオの最初のステージがクリアできないので
最近やった中だと星のカービィディスカバリーのはるかぜモードがクリアできない程度に無理 アンダーテールも一周できなかった 困った
頭も悪いので推理力や脱出ゲームみたいのもすぐ挫折する。基本失敗すると萎えるタイプなので逆転裁判も1話の途中でわかんなくて挫折した
パズルもあんま得意ではない。もじぴったんとかは好きなんだけど初級ステージでも全然クリアできなくて頭が痛くなってしまう。ぷよぷよもパネポンもストーリーモードがクリアできん
異様に3D酔いするのでチョコボ(立体)が出てくるとFFが終わる ドットは大丈夫 FPSは吐く 大神もチュートリアルで終わった モンハンも無理だった
スタミナ制だったり人参植えて2時間待つ みたいな待つのが前提の放置ゲーとかはゲームをやりたい!と思う瞬間にはあまり適していないと思う
上と矛盾してるが休暇も2日か3日くらいしかないのでその程度でクリアしたなぁと感じられる程度でありたい ので超大作とかは避けたい エンディングが出たらクリアでいい
ガチャをぶん回すようなソシャゲをメインで一つ持ってるので2つめは厳しい ソシャゲはスタミナとかイベントとかあるから暇なときは暇だし
ゲームがヘタクソなのもあり人と遊ぶような、またはランキングを競ったりするような仕様だと敬遠する
英語読めない
多少はいいんだけど最近落としたゲームが3分に1回強制で広告を流すようなアプリで辟易した
面白いなら広告除去のお金も払うが面白いか否か判断する前に広告をワッと浴びせられるのは厳しい
最初から期待値が高いならお金は全然いくらでも払うが、1面もクリアできない可能性が高いゲームだと躊躇する所はある
んなゲームねーよ!と言われるけどポケモンとかマザーとかクッキークリッカーとか大好きテディとかモンスターファームとかディスガイアとか人生でやったものの中には該当するものも沢山ある
レベル上げとか素材集めとか数字を増やすのが好きなんだ でも世界樹の迷宮は難しくて敵に全然勝てなくなって挫折しちゃったな・・・。ポケダンとかも。本当にヘタクソなのが積んでいる
でもそれでも新しいゲームがやりたくてさ しかし探しても全然見つけられない 該当しやすいRPGとかも最近は3Dが主流で画面酔い属性には随分厳しい所がある steamとかになんかないかなー
幼少期におりがみで遊び、親となって子どもとおりがみで遊び、祖父母となって孫とおりがみで遊ぶということらしい。
マリオは今まさに、誰もが当たり前に遊ぶ遊びとなるべく、三度目の出会いを目前に控えている時ではないだろうか。
ファミコンの「マリオブラザーズ」が発売された80年代に小学生だった世代は、今40代から50代へと差し掛かっている。
私も二度目の出会いを子どもたちと迎え、三度目の出会いまであと少しというところまできた。
正直に言ってしまうと、ずっとマリオで遊んでいたわけではない。
プレステに衝撃を受けて、任天堂のゲーム機から離れた時期と、結婚出産子育ての時期が続いたこともあり、64とゲームキューブはスルーした。
今日、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を観に行った。
良いことばかりではない。
積み重なっていたこともあった。
映画の内容に触れない程度で言えば、泣く要素はどこにもない。
でも、ずっと涙が込み上げてきた。
どれだけお願いしても買ってもらえなかったファミコン。
お小遣いをためて、親の目が届かない旅行先で買ったゲームボーイ。
Switchは、どんな奇跡が起きたのか、店頭にあった最後の1個を滑り込みで買うことができた。
アドバンスやDS、3DSは、今も家族の分が引き出しにしまわれている。
ゲームの話ができる友だちは皆無だった。
そもそもゲームをするなんて、しかも女の子がゲームするなんて……と言われた時代だ。
ピーチ姫だって、クッパにさらわれてマリオの助けを待つばかりだった。
でも、時が経ち時代は変わった。
そして、ピーチ姫は勇敢に戦う人となった。
私もたくさん戦ってきた。
私たちはここまでよくやってきた。
色々なことがたくさんあったけれど、よくやってきたのだ。
がんばった人もがんばってない人も、ゲームで遊んだ人も遊んでいない人も、みんな私たちはここまでよくやってきたのだ。
あとひと踏ん張りなのだ。
映画を観ながら、そんなことを考えていた。
残念ながら同じ世代でこんな話ができる人は身近にいない。
同世代でも家人はゲームをしない人だし、友だちたちもゲームをする人は皆無だ。
ゲームの友だちは年若いか、海外勢のためこの映画を観たとしても、同じような感情になることはないだろう。
なので、駄文ではあるがここに書くことにした。
もしも、同じ時代を過ごしてきた人の目に留まるようなことがあれば、これだけは伝えたい。
私たちはここまでよくやってきた。
あとひと踏ん張りなんだよ、と。
最後に。
マリオ、本当にごめん。
これからもっともっと手元がおぼつかなくなるけれど、よろしくね。
でも、「スーパーマリオブラザーズ35」では何度も1位取ったんだからね!
まだまだいけるよ!!たぶん。
素晴らしいゲーム、映画を本当にありがとうございます。
また観に行きたいと思います。
もし各シリーズのセンター声優として抜擢される人は成功するのかを見てみようと思う。
そもそも始祖だし趣味特技アイマスで、アイマスだけの積み重ねが成功の証という感じ。
他のところもそこそこ出てるし別名義?も結構出てるみたいなのでアーティスト活動していないながらも総括すると成功してそう。
ちなみに青い方はアーティストの重鎮みたいなポジションを確保しているし、黄色いほうは🍙。
主役級をバンバンとってるしアイマス以外のライブもこなしながら自身のアーティスト活動も継続的にやる体力バケモン。
今後は中堅どころを取れるだろうか?
アニメでは見ないけどゲームとかではちょこちょこ見る感じ。ただ主役級当ててもその後に繋がらなさがある。
2回くらいアーティスト活動してなかったっけ?あまり話は聞かない。
手を広げ足を広げ色々なところで活躍。アーティスト活動も盛況なのかな?
青い方も黄色い方もだいぶ強い。というかSideM出演者はほぼ全員成功してると思う。
スクウェア・エニックス第2開発課へ
いつまで「ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト」「星のドラゴンクエスト」「ドラゴンクエストウォーク」「ドラゴンクエストけしけし」「ドラゴンクエストタクト」「ドラゴンクエスト10オンライン」の
「ドラゴンクエスト10オフライン 追加パック」「HD2D ドラゴンクエスト3」「ドラゴンクエスト12 選ばれし運命の炎」の情報は
今月中も来月26日までも27日もそれ以降も出せないのか?
「ファイナルファンタジー16」(PS5)や「ゼルダの伝説ティアーズオブキングダム」(Switch/任天堂)への配慮から
情報出すこと禁じているのか?ふざけてるぜこんなの!
もうFF陣営は「ファイナルファンタジーピクセルリマスター」の発売日決定したばかりだぞ?
これによりFFは1〜10、12、15ポケットエディションをスイッチでプレイできるようになる
けどドラクエはどうなんだ?
トルネコの大冒険無印を落とし切りアーカイヴズ化、同2・3をリマスターするとかすらもしない。
6のスイッチ移植求める意見に「ドラクエ11sの6の扉の世界で我慢してちょ」とか抜かす工作員もいた様だな。自由にドラクエへの訴えしちゃだめなのか、テメェと叫びたくなる。
以上、これが今、私に出来る、第2開発課への魂の叫びです。
世の中には、NESARA/GESARA(ネサラ/ゲサラ)というイベントで現在の金融システムが崩壊しQFS(量子金融システム)というシステムに切り替わると信じている人がいるよ。
QFSに切り替わると、トランプさんがみんなの口座に6億円ぐらいの価値のあるお金を振り込んでくれたり、ベーシックインカムが実現したり、借金が帳消しになったり、資本主義が崩壊するらしいよ。
通貨は金本位制になって、どうゆう理屈かわからんけどドンやイラク・ディナールが爆上がりするらしいよ!
イラク・ディナールはなかなか手にはいらないけどメルカリとかで売っているから今のうちにいっぱい買っておいた方がいいね(でもほんとに買うなら自己責任でよろしく)
ちなみに、QFSは周波数で利用者の心を読み取るセキュリティシステムが備わっているらしいので、悪い人は使えなくて換金できないよ。
Qな人たち、銀行アプリで「外国送金の国際標準フォーマット」に関するお知らせを知る
https://twitter.com/sawa12686503/status/1631324589388337152
多分、ISOがなにか、MTやXMLといったフォーマットがどういうものかわかっていない。
でも、銀行でなにか変わるらしいということは伝わったもよう。
銀行で何かが変わる→QFSに移行するのか!
https://twitter.com/sawa12686503/status/1632671841230917634
https://twitter.com/ryouzi_r/status/1636018884766740481
同じことが世界中のQな人たちの間で起きている上に、ここ最近のSVB破綻ややクレディ・スイスの株価暴落でいよいよくるぞという機運が高まっているっぽい。
こうやってストーリーが作られるんだなぁ。
https://www.bk.mufg.jp/houjin/kokusai_gaitame/iso20022_ikou/index.html