はてなキーワード: 霊魂とは
環境が害をなすという考えは昔からあるわけでそういう固定的な位置にある設備や状況を忌場として社を立てたり祀ったりしたものはある
そこにいた人という流動物の時期的なものは碑を立てたりして記念したりする
たしかに傍観者が存命のうちには復讐することで自体を終息させる方法もあるだろうけどその場が再利用されることで再現される可能性を危惧されるから状況を保存して再現を防ぐべき事象にする
ガスがでてる洞窟があって中に入ったら死ぬって知ったら入るなって言ったり入らないほうがいいと指導したりはいれないようにするべき
そういう場を記念させて多くの人を入り口でなぐっては入れないようにする禁忌はありでしょう
ただ今回は自分が唆されてその穴に落とされたのか好きで入って住み心地を求めたが居住空間でなかったために居心地がわるかったのか
居心地を良くしたいのかよくあるべきという目標つまりメリットや社会貢献ほか後続の者に有益性があるかなどがずっかりなく
ただ自己満足したいためにその非難すべきなにかを非難している対象がその忌場でそのステージでさえなければ自分が輝いていたのか満足していたのか
それすらもわからないがとりあえず自分に関係のあった人間が自分に不利益を蒔いていたらしい感想だけ書き連ねているだけなので
当人自身がその忌むべき場所の地縛霊になっていることに気が付いていない
こうやって表に出てこないだけでそういう地縛霊みたいな人はそこそこいたろうけれどもツイッターなんかで発現する場所を得て意味もなく呪いを吐いているようにみえる
例えば、隣人を助ける。ということの科学的意味だとすると、対照群をつくって、隣人を助ける場合のみ、隣人を助けない場合のみのグループを作り、そのグループを追跡調査する、
などということでやっと「科学的立証」になりえる。と行っても、測定者のバイアス批判はどうしてもある。何より、金人手間がべらぼうにかかる。
近いものといえば「我慢できる子供は大成できるか?」という「マシュマロ実験」なるものがある。結論は、大成する。と一定の結果が出た。
ただ、この実験はウン十年の追跡実験を行っている。ウン十年の追跡実験なんて予算自体どうやって取るのかというものもある。競争的資金では絶対できない。
けど、宗教で善行と言われてること一つ一つにこんな手間かかる実験なんてしてられない。よって、立証は困難だ。
まあ、一つ一つ立証していくしかないんだが、立証できてないというものにはこういうものもある。
あと、データを取ってみても、有意差が出なかったというものがある。
これは「効果があるかないかはっきりしたことはわからん」という実験結果だ。だが、これを「無効だ」と断定する根拠に使われることも注意しないとならない。
挙句の果てに「はっきりしたことはわからんことについて、無効だという前提に立って行動しないのは良くない!」みたいなのが自称科学的な人に見受けられるのに注意しないとならない。
文法的ではなく、意味論的と言いたかったのであろうが、それは置いておき、言いたかったことは正しいのか検討する。
まず、「僕ら」=「神々」である場合には意味が通る。しかし、あの歌詞を読む限りでは、この解釈ではないだろう。
次に、御霊というものを、神様が下さった神聖なる霊魂として捉えれば、「僕らの御霊」と言えそうである。御霊というものが、完全に僕らに所有されるものではなく、神様とか自然とかと共有されているという含みが感じられる。こちらの解釈をすれば、歌詞の中でも何ら意味的におかしくはない。
おそらくは、こんなこと考えずに歌詞は書かれたと思うし、作詞者は「御霊」を使いたかっただけだろう。
しかし、これを文法的におかしいとかを、すぐに判断してはならない。言語の柔軟性をなめてはならず、適当なナンセンスと思われる文章でも意味を取れることが多い。
http://world-childrens-summit.com/
小木曽健登「映画「かみさまのやくそく」を見たことで、前世の記憶を思い出す」
羽生すみれ「胎内記憶を持ち、生まれた時から「かみさま」「天使さん」「お腹の中の赤ちゃん」「見えないけれど暖かく見守ってくれる存在」と会話する」
→ググったけど特に変な記事は見つからず。改革者として報道 https://gunosy.com/articles/RhSB7
参議院議員 二之湯武史
→日本会議国会議員懇談会 あっ(察し
『無意識と対話する方法: あなたと世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』
『仏教と科学が発見した「幸せの法則」: 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』
龍馬プロジェクト→日本会議的な復古主義+「ロックフェラーやロスチャイルドの~」みたいなセミナーの受講をしているという記事もあり。
http://ch.nicovideo.jp/amanomotoyasu/blomaga/ar1138157
池川クリニック 池川明
コミュニティ館湊 菅沼奏香
→「講演会 出口王仁三郎の経済学 世界大破局後の経済への処方箋方箋」
https://ja.eventbu.com/city/event/9311500
著者出口恒は王仁三郎思想により言霊学や医学天文学経済学などを統合したホントの真実の学門の確立を仲間とともに目指している。
ひょえ~~~
司会
→ お察し
年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。
漫才、コント、色んな形態で芸人たちのネタが披露されるわけだが、
母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。
また、自分は科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。
ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。
生前あまり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、
これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。
だからその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。
もう死んでるのに。
肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。
葬式というのは本当に優れたシステムで、一定のルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、
決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。
それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、
母はきっと喜んでくれるだろう。
そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。
列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。
ところが、お笑いのネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。
奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式を舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。
例えば無神経な葬儀会社の人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。
自分が母を送った時に、もしそうやって葬式を台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。
亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。
さらに恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。
死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、
どうにも笑えて仕方がないらしい。
恐怖だ。
そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。
自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。
そのとき、TVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。
どこかで「喪主のセリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」
とか思ってるんじゃないだろうか。
もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。
その時が怖い。
まずは Wikipedia より
幽体離脱とは、生きている人間の肉体から、霊魂(魂や意識)が、その霊体と肉体との中間に位置する幽体(アストラル・ボディー)を伴って抜け出すという、心霊主義での現象であるとされ、または、その概念や考え方をも含むもの。
抜け出した非物質(または、半物質)でできた「幽体」(または「霊魂」「霊体」など)は、機能の仕方によっては、生霊(いきりょう)とも呼ばれたりする。
霊的なものは医学的に証明されるのは難しく解明されていないが、経験者の体験談はほぼ一致するとされている。
基本的に金縛りを経て幽体離脱をする。 離脱したときに行動できる距離は限られているケースが多く、本体から一定の距離まで離れると視界が悪くなることがある。
また目を閉じていても景色が見える。魂で見ていると考えるものもいる。(体験談より)
神戸のクリスマスツリーの件で思い出したことをダラダラと書き殴っていく。
当時自分は専門学校生。高円寺のとある商店街の飲食店でアルバイトをしていた。
クリスマスシーズンに店長は1~1.5mくらいのなにかの針葉樹の鉢植えを買ってきて、ツリーの飾り付けをした。営業中の店内は暖房で乾燥しタバコの煙も充満。
植木には過酷な環境だった。水やりをするくらいしか世話もできなかったが、一ヶ月あまりのクリスマスシーズンをその木は枯れずに乗り切った。
クリスマスが終わると店長は飾り物をはがし、裸になった鉢植えの樹を指差し、粗大ゴミ※に出せと命じた。
は?生きてる木ですよ?なんで捨てるんですか?しかも粗大ゴミってなんなんですか?捨てるならなぜはじめから造花を買わないの?
怒りで目がグルグル回った。一通り抗議したが無駄だった。十人ほどの従業員のなかに賛同するものはなく、ただドン引きされた。
誰か別のアルバイトが街角の粗大ゴミ置き場に木を持っていった。
収集日まで数日の猶予があることを確認し、翌朝レンタカーを借り、荷台にツリーだった木を横たえ、環七、目黒通り、環八、第三京浜から横浜新道を通って、藤沢の実家までひとりで運んだ。
親に頼み込んで北側の庭に植えてもらった。幸い根付いた。強い木だった。今も生きている。立派な枝ぶりになった。垂れ下がるような茂り方なのでモミではなくトウヒのような気がする。庭木なので植木屋さんに剪定してもらっているから樹高は二階の屋根より低くなっている。あと100年生きるのだろうか。自分の死後こいつはどうなるだろう。
クリスマスが終わればゴミとして殺される木はあの頃も今も、毎年何万本も存在するのだろう。
バブルの頃から時代は流れ、サステナブルとか自然との共生とか生物多様性とか言われるようになったけど
今回の神戸のツリーのニュースを見た瞬間、あの高円寺のときと同じ怒りがふつふつと沸き上がってきた。なにも変わってないじゃん。
いやもっと悪いよ。鎮魂とか復興の象徴とか輝けいのちとか、心にもないお題目ならべてるところがね。樹の命なんて毛ほども考えてないくせに。
いっそ正直に、集金集客のため大木を引っこ抜いてツリーにするけど用が済んだらバラバラにして売るからね、樹には被災者の鎮魂のための生け贄になってもらったってことでいいよねって言ってた方がここまではムカつかなかったよ。
でもしかし割り箸だって材木だって同じことだろう?いや同じだろうか?間伐材は仕方ないよな?
食べる野菜はどうなんだ?牛や鶏は?かわいそう?矛盾してないか?
ずっとずっと、考えてきたが答えは出ない。
他の生き物の命を奪わないと生きていけないのに
時として他の生き物に愛着を持ってしまうのはなぜなのだろう?神が与えた罰なのか?
人は生きていくために樹木の命をもらってきた。雨露しのぐ快適な住居のため。暖をとる燃料のため。箸や器、さまざまな家具や道具。
集客のためという経済活動、お祭りで神に供える宗教的行為も広義では生きていくために入るのかもしれない。
イベントで巨木を抜いた。乱暴なやり方だしたぶん枯死するよ。でも経済活動のため。うん、それはわかるよ。時には仕方ないよね。
でもどうしても腹が立つんだ。理屈じゃないんだ。抑えられない怒りがこみ上げてくるんだ。DNAに刷り込まれたアニミズム、精霊信仰なんだ、きっと。
少数派か多数派かはわからない。今はネットで自分に近い意見を探せる時代だから多数派と錯覚することもできる。
古いものには霊魂が宿る。老木は神になる。長生きした猫は猫又になる。(なってほしい)うちも築100年を越え、梁に愛国婦人会って金属のステッカーが貼ってあるけどなんなのこれ。よくわからないけどこわくて剥がせない。
栗の柱は黒くてつやつや。100年前にうちを建てるために先祖が殺してごめんなさい。これからも大事に住むから許してください。
クリスマスツリープロジェクト反対署名のサイトも見た。7千人以上集まってるじゃないか。すげえ。
結構いるんだ。自分だけが頭おかしい人なのかとずっと思ってたよ。
経済学者が、コピーライターが、役人が何を言っても変えられないよ。
土着信仰だ。原始人だ。老害だ。田舎者だ。うん、その通りだね。嗤いたければどうぞ嗤って。
店長は売り上げをちょろまかしていたことがオーナーにバレて闇社会の人に追われていると聞いた。
そのオーナー自身も千葉でのゴルフ場開発にからんだ揉め事で商店街のビルを手放すことになった。
糸井重里はバブルのころからあんなだったし、自分も上で書いた通りあの頃と同じだ。
時代が変わって糸井のやり方は受け入れられなくなってきたのだろうか?
もう少し推移を見守ろう。
※当時はごみの分別は今よりずっとゆるかったし粗大ゴミも申し込み制ではなかった。確か。(あるいは資源ゴミだったか記憶が定かではない)
11/30追記 署名8500人越え。樹木の一部を使ったバングルを販売する予定だったフェリシモは、販売中止を発表。主催者は後出しでいろいろ発表。当初は「植樹」と言っておきながら「移植は無理だった」ウソつきか。知ってた。あと、樹木の命について考えるきっかけを与えてやった、みたいなことを言ってやがるのも腹立つ。こちとら1970年代から今日まで考えてるわ。答えは出ないがな。
12/1追記 「嫌なら見に来るな」あ?公園に晒しといて何いってんの?・・・急に署名が増えて1万人越えに…まとめサイトおそるべし
12/2追記 1万5千人
2.個別的自衛権は国家固有の権利として保有するとする。「危機」だから
3.集団的自衛権についてはしょせん他人の戦争。やるとするなら、行使条件や、手順をきめる。
日本人が命を懸ける戦争にかかわるという話だから、それこそ、その相手の戦争も人命がかかわってないとならないだろう。
さらに、「恐れ」レベルで関わったらどこまででも解釈できるから、すでに人権侵害が起きているという条件も必要。
要は、もう戦争か、何らかの虐殺行為が起きちゃってるというのが条件。
さらに、当然国会決議と、当事国ないし各種国際安全保障の枠組みの同意も必要だろうね。
そこに、死ぬ恐れをかけて軍隊出て行けというのだから、厳密な条件必要だし、厳密な条件を憲法で決めて、それならば派兵してもいいとはおもう。
けど、安部はぼくちんのフリーハンドがいいんだぁい。みたいな感じが望むんだろうなぁ。
ましてや、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」みたいな理屈で出ていかれてはこまる。
まともな枠組み作れないのなら9条今のままでいいよ。
2017-08-01(うす)曇り
2014-07-17「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」を拝見して
2017-07-30「女神と神の人の子供の生み方」を拝見しました。
「女神と神の、人の、子供の生み方」によると、インターネットで、女神を探したら、女神のような女性を女神と表現したり、女神が神話で登場したりする。タイトル「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」はてな匿名ダイアリーを見つけました。中学生の頃、女神していたそうです。また他で神話の解説によると、処女の事が創造者とあります。
人間のマリア(聖母)が処女で妊娠したそうです。性交、試験管ベビー、を科学的出産方法とすると、神聖だから例えて表現してるのではなく実際にあった事実として、精神的、霊的な出産方法でイエスは生まれたと私は理解しています。
アメリカ合衆国では、警察の捜査に霊媒師が実際に殺人事件被害者の霊魂と交信し合う交霊現象によって事件を解決、犯人を見つけ出しており、偶然ではない確率で統計学で意味のある数字として科学的な事件の解決方法として認められており、霊魂の詳細は未知の部分がありますが、交霊現象の犯人割出しは科学的な実証される捜査方法と同じ信憑性があります。DNA鑑定も昔は正確さ、的中率が現在よりも低かったです。
現在、女神を探していますが、思う女神とは、誰にも見つからない、神隠しの様に身を隠せて二人だけの時間は自由に出来れば異次元空間に実現して、神ですから全知全能です。何の事件に巻き込まれる可能性もありません。永遠な幸せの暮らしは神レベルの結婚が実現する事だと思います。子供をつくって家庭を持つのも安心できる時空にしか可能性がないと思います。その証拠に少子化問題で、最近は恋愛段階でさえ人々は避けています。
2014-07-17「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」を拝見して
2017-07-30「女神と神の人の子供の生み方」を拝見しました。
「女神と神の、人の、子供の生み方」によると、インターネットで、女神を探したら、女神のような女性を女神と表現したり、女神が神話で登場したりする。タイトル「中学生の頃、女神坂で女神をしていた」はてな匿名ダイアリーを見つけました。中学生の頃、女神していたそうです。また他で神話の解説によると、処女の事が創造者とあります。
人間のマリア(聖母)が処女で妊娠したそうです。性交、試験管ベビー、を科学的出産方法とすると、神聖だから例えて表現してるのではなく実際にあった事実として、霊的な出産方法でイエスは生まれたと私は理解しています。
アメリカ合衆国では、警察の捜査に霊媒師が実際に殺人事件被害者の霊魂と交信し合う交霊現象によって事件を解決、犯人を見つけ出しており、交霊現象(心霊現象)による事件解決は偶然ではない確率で統計学で意味のある数字として科学的に事件捜査解決方法として認められており、霊魂の詳細は未知の部分がありますが、心霊現象の一つ交霊現象の犯人割出しは科学的に実証される捜査方法と同じ信憑性でDNA鑑定も昔は確率が的中率が今よりも低かったです。
今、私は女神を探しています。思う女神とは、誰にも見つからない、神隠しの様に身を隠せて二人だけの時間は自由に出来れば異次元空間に実現して、神ですから全知全能です。何の事件に巻き込まれる可能性もありません。永遠な幸せの暮らしは神レベルの結婚が実現する事だと思います。子供をつくって家庭を持つのも安心できる時空にしか可能性がないと思います。その証拠に少子化問題で、最近は恋愛段階でさえ人々は避けています。
後、ビタミンCを大量にとること。
体壊したということは、おそらくいろいろ考えすぎて思考の自動操縦状態になってるように見受けられる。そして、脳がだいぶ疲労してるように見える。
集中力も、脳が集中がそれたなと考えたら、すぐに戻る機能があってこその集中力。だが、脳が疲労してると、集中がそれた際に戻す機能が失われてる。
だから、瞑想で思考の自動操縦状態を止めて、頭が休めるようにするのがよいと思う。プラス、自動操縦状態になる思考を矯正する。
霊感商法や質の悪い自己啓発セミナーにも目をつけられてきているから、本+実践で十分。