はてなキーワード: 義手とは
初めてまともにパラリンピックを見て、純粋にかっこいいと思ってしまった。
彼らがそうなった背景とか考えると泣きそうになるし、そうなりたいか?とか、言われると違う。だけど、かっこいいって思った。
あのメカニックが、かっこいい。
この感情はなんなんだろう。
そんなことに疑問を抱きながら、興奮しながらパラリンピックを見ていた。
車いすテニスとか凄かった。普通にテニスするより凄い距離を移動している!走り幅跳びも、走ってる時点で凄いしめちゃくちゃ跳ぶ!
なんであんなに宣伝するのにNHKはパラリンピックを放送せずゴルフを放送しているんだろうとか、イライラしながら。
「鋼の錬金術師」
そう、めちゃくちゃはまった漫画だ。アニメ初代を小学生から見て、原作忠実になったものも見た世代だ。ハガレン世代なのだ。
うん。そうなんだ。あの世界の中のオートメイルという義手や義足、改造された武器なんかがとても格好良かった…。
主人公は過ちを犯し、手と足を失い苦労し努力をする。説明は不要だろう。
ああ、それに重ねちゃってるんだなって気づいたとき…なんだろう罪悪感が湧いた。
だけどね、凄い応援したいと思うし、凄い格好いいと思うんだ。
これは当事者の立場には立ててない感情だと思うんだよ。そんな良いもんじゃないって怒られるかもしれない。辛いことも多いだろう。大変だろう。
だけどあのパラリンピックの会場に立っていた人は、そういう感情を乗り越えて、こういう自分のような好奇な目に晒されるのも覚悟して、更にすごい努力をして、あの舞台に居るんだろう?
そんな悲しい姿を見るよりバラエティ番組を見た方が100倍マシだ!
ところで近年ではテクノロジーによる後天的身体強化の研究は結構するんでいる、
ルーシー・マクレー「生物学とテクノロジーの融合 ~テクノロジーによる身体の再定義~」
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20151118-00001413-ted
ハンディキャップレスだけでなく娯楽やプラス方面でもバイオテクノロジーと人間の体の研究は進んでいる。
今の希望は私にとってはAIではない、AIに対抗…AIに認めてもらえるだけの人類の身体強化がどこまで到達できるかどうかが私の希望だ。
要は、身体的なハンディについて、本人が努力してどうにかする(それこそメガネのような補助具から、義手義足、車いすなど)という考え方がある一方で、「バリアフリー」って考え方もあるじゃないですか。社会の方がバリアとなっている関門を積極的に下げることで、ハンディがハンディではなくなるという考え方。階段の横にはエレベーターを設置しましょう、とか。つまり社会全体でハンディの一部を背負うという考え方がある。
では、精神的なハンディについては、どうなんだろうなと。本人の自助努力(カウンセリング、投薬治療なども含め)が全てなんでしょうか。知的なハンディについては、社会福祉の一貫で社会が負担を一部肩代わりすることもされるけれども、精神的に多大な問題を引き起こしそうなハンディ…境界性人格障害だとかサイコパスとか、そこまでいかなくてもADHD、アスペルガー症候群、そういったハンディに対して社会はどれだけ負担をしているのか、するべきなのかとちょっと思ったということです。そのせいで問題が起きたとして、それは100%本人に責任を帰すべきなのでしょうか?
前者の場合、社会が「一部を負担する」という関わり方ができるのに、後者の場合は、責任能力の「有無」みたいな、0か1かという極端な判断のされ方をする。でも、ハンディってそういうものじゃないということがだいぶ分かってきた現代において、精神的なハンディに対する法の在り方は時代に即しているんだろうか、と思ったわけです。
自分は男でヘテロなんで女の子に対して妄想するだけなんだけど、別に男or女から男or女という組み合わせはなんでもいいとして、手足の欠損フェチつまり腕なり足なりがぶった切られてるっていうことに対してフェティッシュな感情をいだくってのはどんだけマイナーなんだろう。
個人的にはもう理想の女の子を想像すると欠損しているのがデフォルトで、一昔前は四肢全部欠損しているのがブームだったんだけど、最近は両腕がないという程度もそれはそれで可愛いかなーという感じで、この辺の好みは千差万別だと思う。またさらに個人的にはそもそも「ない」子を相思相愛的に愛でたいし痛めつけるつもりはないんだけど、ここは「ある」子をぶった切る過程のほうがむしろ主眼という人もいるかもしれない(私的に邪道と言いたいが余計なお世話か)。
という上で、欠損フェチなはてなユーザーとかいないんだろか。あるいは、あんまりフェティッシュな感覚はないけどこのレベルの欠損ならオッケーとか。みんな欠損に関してどう思っているのか知りたいので、トラバなりブコメで教えてほしい。
極々個人的には、将来的に髪の色がどうこうとか胸の大きさがどうこうとかと同じ感じで片腕のあるないとかが扱われるようになると嬉しかったり。ラノベとかえろいゲームとかハーレムアニメとかで普通に欠損しているヒロインが混じってる感じになる未来を希望してしまう。
A. 「『不倫する乙武さんに失望した』と言う人は"障害者"に対して"清廉潔白"なイメージを押し付けている差別主義者ではないか」とか言い出す人
C. 「逆に男として評価をあげたぞい」とか言って擁護するおっさん
D. AV出演
D1. 十年後、そこには第二の加藤鷹としてDMMでコラムを執筆する元気な乙武さんの姿が!
G. 絶版の嵐にもめげない乙武さん、『五体不満足なボクが教える本当に気持ちいいセックス』を出版して世界的なベストセラーに
H. 2042年、ノーベル文学賞を受賞(この年も村上春樹はおしくも受賞を逃す)
I. 2065年、最新鋭のハイテク義手義足を装備した乙武洋匡が、「われこそは新世代の人類――N.E.X.Tである」と宣言。五体満足の旧人類に対して反乱を起こす。
J. 2069年、乙武軍、人類との最終決戦に勝利。旧人類を奴隷にする。
L. 乙武軍、タイムトラベルを駆使して旧人類叛徒のリーダーを幼少時(2016年)まで遡って殺そうと計画
M. 旧人類反乱軍、乙武軍の計画を阻止しようと最強の五体不満足ロボ・オトターケネーターを2016年へ送り出す。
N. いろいろあって、オトターケネーターが溶鉱炉に沈む感動のラストで幕。
O. 五体不満足なので溶鉱炉に沈む間、オトターケネーターは親指をたてられなかった。
P. だが観客はたしか目撃したのである。ないはずの彼の親指を。そして、涙したのである。
Q. プレゼンター、レオナルド・ディカプリオ「2017年度アカデミー賞作品賞は……オーマイガッ! 『オトターケネーター2』だっ!」
R. 終。
★★☆☆☆
4巻7話。
※4巻6話は「えらばれたマスク」。
奥さんは探さなくていいと言うが、夫は奥さんに内緒でもう一度別のものを作ってほしいとBJに依頼する。
実は奥さんは、義手と義足を作ってくれてリハビリにもつきあってくれたBJに想いを寄せており、
こっそりトランクの中にBJの写真を入れていて、それが夫にバレると困ると考えていたのだった。
奥さんかわいすぎ。とても人妻とは思えない。
BJが親身になって奥さんに付き合ってリハビリとかやってあげた理由は、
自分が子どものとき苦労した経験と奥さんのしんどい状況がダブったのと、
奥さんの手足があまりにもきれいだったことだって書いてあったけど、
なんかちょっとマッドサイエンティストならぬマッドドクター的な・・・
夫が逆上して~とかもなくて基本空気なのもいまいち盛り上がりに欠けた原因だったと思う
奥さんの手と足は ちゃんと石膏の型に とってあります ウフフフ………
古和医院
ピノコ愛してる
六等星
二度死んだ少年
勘当息子
焼け焦げた人形
アリの足
えらばれたマスク
友よいずこ
めぐり会い
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
上と下
U-18は知っていた
海は恋のかおり
なんという舌
その子を殺すな!
閉ざされた三人
ある教師と生徒
鬼子母神の息子
万引き犬
奇胎
からだが石に…
ダーティー・ジャック
視力が弱いのは本来身体障害なんだけど、眼鏡で矯正できて、目立つ器具なのに誰も異様に思わなくて、ましてやオシャレ眼鏡なんかもあって、眼鏡フェチもいて、そしてそういう矯正器具の扱われ方が不謹慎だと叱られもしないなどなど理想的だ、だから他の障害もそういう風に見られるようにしたい、って意見ありますよね。
眼鏡が障害と障害補助器具の扱われ方として理想に近いのはその通りだと思います。
でも、それくらい眼鏡の扱われ方が普通になったのって、眼鏡をかける人=視力がある程度弱い人がめちゃ多いっていう理由が大きいと思うんです。正確に日本の/世界の何割かは知りませんが。
他の色々な差別についても言えちゃうことですけど、世の中での扱われ方は、結局のところ数なんです。
一定数いれば「普通」「常識」になれるし、そうじゃなきゃ奇妙な目で見られるんですよ。
(余談:ただしマイノリティが、少なくとも極端なマイノリティではない程度に存在して、かつ武力なり権力なり強大な力を持って君臨すれば話は別な気もします)
義手や義足や車椅子、精神障害などについて「こういう障害も眼鏡のように~」って言う人は、そういう、冷徹な数の理屈をどう考えてるんでしょうか。
この数の問題は、理解を求める運動みたいな、気持ちに働きかける努力じゃあ残念ながらどうにもならない部分があります。
のつづき
例えば壇蜜のおっぱいには興奮するが街中の女性の胸をガン見はしないように。
「障害」一般にあるイメージを持つこと自体が実は失礼で「あの人の障害」「この人の障害」を見てそれぞれ別々の判断をするべきなんじゃないか?
「欠損女子バーは本人はいいけど障害者のイメージが……」って人はその態度自体が失礼なんじゃないか? ひとまとめにしてしまってるわけだから。
そうじゃなくて「あなたのフック義手はもうマジで魅力的で見てるだけでドキドキします」「けれど街中で見かけた障害者の方の義手をそういう目で見ないようにするし、見たとしてもそれが表に出ないようにします」とかそういうことなんじゃないか?
この増田は普通に暮らすこと=多数派のライフスタイルを踏襲することだと勘違いしている。しかし普通に暮らすとは多数派に追いつけ追い越せを指すのではない。マイノリティであるがゆえに当然の権利を制限されることがないように、社会が当然の協力を惜しむことがないよう配慮すべきという意味だ。
あのさぁ言葉遊びでズラしてレッテル貼りして勝手に分かってない!とか言われてもいい迷惑だわ
普通の連中の生活圏でも普通に暮らせるようにするのが理想だろっていう話だからな
身体的特徴を売りにした時点でどうぞ評価してくださいって提示にすぎないよな
たまたま欠損してる人がいたとしても特別でもなんでもない世界線をぶち壊して、欠損してる私達特別!とか言い出したらじゃあ他の身体的特徴と同じように評価の対象とするのでキモいと言われようが泣くなよと言われるのは当然だわな
そして欠損は特に外側から見えやすくて視線にシビアになりがちな状態なので、評価や欲望の伴う視線への精神ダメージを受けやすいのは容易に想定できるよな
でも「他の欠損者への視線なんて知りません私たちは楽しみを味わえればそれでいい!」とか言っちゃうんでしょ
そりゃ周りの人は感動消費の対象として、頑張ってる障害者!とみなして叩くな!とかかばい出したりするだろうけど
おれはテメーのことを普通の人間として扱ってるから間違いだと思ったら間違いだっつって全力で叩くからな
あとついでに言っとくと欠損女子とかいうワードを平気で使ったライターは言葉の影響力理解してんのかクソが
眼鏡男子がもてはやされる世界があり、童顔がもてはやされる世界がある。魅力的な義手、義足がもてはやされて何が悪いのか。これを非難するのは豊かな胸にさらしを巻いて押しつぶせとか、高身長が目立たないようにヒールを履くのをやめろというのと同じだ。ピーター・ディンクレイジに小人役をやるなというのか。健常者フェチを押し付けるなといいたい。
欠損を持つものがステージに上がることは差別だという思想こそが差別
これもレッテル貼りだわ
身体的特徴を評価対象として自分で差し出してきたんだからキモいと言われる覚悟はしとけよという話だろ
メガネとか高身長とか巨乳とかフェチになりやすい例を出してっけどデブとかハゲみたいにフェチ以上に嘲笑の対象の特徴として捉えられる可能性がそれなりにあるという方が正しいわ
あと切り分けられんのかって話だわな、ロリコンと同じく自分より劣った存在として愛でるキモさなのかどうかって毎回毎回審査できる訳でもねーし
機械のごとく、反射的にいろんなことに言いたくないのだが、結局どこまでも人間は綺麗なものに優しくしたくて、醜いものに酷いことをいうことが分かる。
手や足を失って、義足や義手をつけることになった人間 ただし容姿の良い女性が店員の期間限定のコンセプト・バーのお話である。
これまた、ブコメを見ていると呆れた。
「かわいい! 障害のある人とか、いろいろな人が理解し合える社会になったらいいね!」みたいなコメントで溢れかえっているのだ。
この記事を読んで感動する人間や、障害について理解が深まったとかいう人間は何も考えていないに等しいだろう。
カウンターの中に入るアイドル並に愛らしい女性たちが、これまた愛らしい笑顔で出迎えてくれ……と、ちょっと待ってください。思わず見入ってしまったのが、彼女たちの手と脚。
セックスに困らなそうな容姿の足やら手がない女性2人が写った写真が掲載されている。
はたして、これが容姿の悪い男性 例えば自分のような人間だったら、どうだっただろうか。
自分が四肢のどれかがなかったと仮定する。おそらく、容姿の良い四肢のどれかがない女性のほうがずっと優しくされるだろう。
もしかしたら、四肢ある容姿の悪い自分より交友関係、恋愛、性生活などで恵まれている可能性だって十分ある。
障害などないほうがいいが、手足の欠損というのは、容姿や知能、視覚、聴覚にひびく障害に比べたらずっと世の中は優しくするのだ。容姿が良い女性ならなおさら。
あまり確証はないが手足の欠損というのは、障害のある人間の中では恵まれている。
ロクでもない会社の雇用に関わっている自分の父親は少なくともまともな片手がある程度に、手足がない人間を探している。
なぜ、探しているかというとある程度の規模の会社は法律で障害者を雇わなければいけないからだ。
父は手足がない人間にこだわる。
結局、どの企業も障害者のなかで一番「まとも」な人間を雇いたいから手足の欠損程度の障害持ちの人間を奪い合う。
同じ学部の同じ学年の四肢あるドブスよりも可愛い足がない女を企業は欲しがるだろう。ドブスより足がない可愛い女の方が格上という社会ができている。
この記事のサブタイトルは 障害は「かわいい・かっこいい」 である。
そんなことをいったら、自分の容姿が醜いのもかっこいい とか かわいい と言われるはずだ。
しかし、そうではない。
結局、大抵の人間は自分の都合のいい人間 この場合は「手足の欠損がある容姿の良い女性」というのを見て「弱者」を労る気になっているだけだ。
容姿が悪い障害持ちの人間などには、酷いことを言ったり、避けたりするのだろう。
結局、手足がない店員である女の子たちがポジティブになれたとか記事中で言っているが、それは周りにとって、「綺麗な姿」で「都合が良い障害」だから優しくされて、前向きになれただけかもしれない。
彼女が仮に視覚に障害があったとしたら、こんな風に外には簡単には出歩かないし、彼女を世の中は褒めない可能性があるということを考えないといけないのだ。
普通に容姿が醜い腎臓疾患持ちの自分よりも、足のない可愛い女の子のほうがみんな好きだ。
自分は容姿が醜いが、四肢のどれかを失って容姿が良い女性になりたいかと聞かれると一瞬だけ悩むかもしれないが、今以上に快楽を享受できたり、周りに優しくされるであろう可能性があると考えると「YES」と言うかもしれない。
訂正 四肢ですね 恥ずかしいです
http://b.hatena.ne.jp/entry/wotopi.jp/archives/28686
普通の人たちと同様に扱うなら、そこをアイデンティティとすんの?っていう話だよな
課題はあるとしても目指す理想としては普通の人たちの中で普通と同じように暮らしてもらおうねーって時に(障害者雇用促進とか普通の連中の生活圏でも普通に暮らせるように)
私達は欠損してます!とか言い出したら、は?って思うのは当然だよな
欠損があるけど出来ることをやろうと欠損を売りにするのはまったく違うだろ
自ら見世物小屋と化してどーすんの 普通の喫茶店ですぅたまたま欠損してますぅふーんへーでいいだろ
そこで欠損だって!ってバカにしてくるヤツラを一緒にブチ殺そうぜって話だろ
しかも欠損してるという部分を愛してもいいという文脈は他の欠損者にそういう視線を向ける人を増やすんだが
JKはダメだけどこいつらはいいみたいな整合性のないバカってなんなの
欠損は特に外側から見えやすくて視線にシビアになりがちな状態だから欲望の伴う視線への精神ダメージはデカいだろ
そういうのに無自覚で、川端康成みてーな変態増やすのに寄与してると気付かないこの記事の書き手はすげーキモイ
あといつも思うけど乙武やらこいつらやら私は対等だと思ってる!って言うのは勝手だけど
障害者はって主語にした段階で害を被る他の障害者もいるんだが気付いてるのかな
追記
『右の義手も、左の人造の目を隠す様に伸びた前髪の下にかけている、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡も異常なし。』
右の義手も⇒異常なし
かけている⇒眼鏡
右の義手も⇒かけている
左の人造の目を⇒かけている
と読めてしまう(全体を読めばコンテクストを理解し把握できるが、読みづらい。thatが四回出てくる英文みたいです)
隠す様に⇒伸びた前髪
なのか
隠す様に⇒かけている
なのか分からない。
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下に、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡をかけている。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下は一見ただの縁なし眼鏡だが処理端末装填済み。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
『カーチャンスレィは風に乱れた髪を右の義手で押さえて直す。左の人造の目を隠した。縁なし眼鏡に表示された眼鏡自身のステータスと、接続された義手のステータスを確認。異常なし。』
こうすると眼鏡に情報処理端末が装填されていることが行動の中で明らかになる。
かかる語と受ける語は近づける『http://www006.upp.so-net.ne.jp/inamoto/writing/kumitatekata/kakari_chikadukeru.html』
一例。
『右の義手も、左の人造の目を隠す様に伸びた前髪の下にかけている、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡も異常なし。』
正しくは
右の義手も⇒異常なし
かけている⇒眼鏡
だが、この文章では
右の義手も⇒かけている
左の人造の目を⇒かけている
と読めてしまう(全体を読めばコンテクストを理解し把握できるが、読みづらい。thatが四回出てくる英文みたいです)
また
隠す様に⇒伸びた前髪
なのか
隠す様に⇒かけている
なのか分からない。
コレを直すと
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下に、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡をかけている。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下は一見ただの縁なし眼鏡だが処理端末装填済み。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
また、小説なのでただ説明するのではなく、行動を通して説明してみます。(このあたりは好みかも)
『カーチャンスレィは風に乱れた髪を右の義手で押さえて直す。左の人造の目を隠した。縁なし眼鏡に表示された眼鏡自身のステータスと、接続された義手のステータスを確認。異常なし。』
こうすると眼鏡に情報処理端末が装填されていることが行動の中で明らかになる。
参考
かかる語と受ける語は近づける『http://www006.upp.so-net.ne.jp/inamoto/writing/kumitatekata/kakari_chikadukeru.html』
タイトル | モンスター娘のいる日常 | セントールの悩み | ヒトミ先生の保健室 | 亜人ちゃんは語りたい | ふだつきのキョーコちゃん |
---|---|---|---|---|---|
作者 | オカヤド | 村山慶 | 鮭夫 | ペトス | 山本崇一朗 |
人間は? | いる | いない | いる | いる | いる |
モンスターは | 別種族 | 別種族 | 思春期に発症 | 突然変異 | 不明 |
モンスターが対象の法律は | 他種族間交流法 | 形態差別禁止法((思想強制所あり)) | - | 亜人生活保証制度((バンパイアに血液を支給)) | - |
モンスターの存在は? | オープン | オープン((人間がいない)) | オープン | オープン | 秘密 |
登場モンスター | ラミア | 人馬 | 単眼 | バンパイア | キョンシー |
ハーピー | 翼人 | 不死身 | デュラハン | ||
ケンタウロス | 竜人 | 透明人間 | サキュバス | ||
スライム | 角人 | 雪女 | |||
人魚 | 長耳人 | ||||
ソンビ | 南極蛇人 | ||||
単眼 | |||||
オーガ | |||||
ドッペルゲンガー | |||||
アラクネ | |||||
デュラハン |
いくつか漫画を読んでいて、モンスターものっぽい漫画が溜まってきたので、それぞれの要素を比較してみた。
取り上げている漫画は、モンスター娘のいる日常、セントールの悩み、ヒトミ先生の保健室、亜人ちゃんは語りたい、ふだつきのキョーコちゃんの5作品。
あるいは、人間の中の一部にモンスター的な人間が生まれるという設定。
全て、人馬(セントール、ケンタウロス)、竜人などのモンスター的な外観を持っている。
モンスター娘のいる日常は、基本的にお色気系モンスター娘萌え漫画だから読者を投影する対象として主人公の人間が必要なのだろうなという気はするが、セントールの悩みに、何故人間が出てこないのか。
モンスター娘のいる日常と、セントールの悩みでは完全に別種族。
その他3作品は思春期に発症したり、突然変異で人間の中から生まれたりするので基本的に人間なのだと思う。その割にデュラハンとかいて、首が外れるのは突然変異でどうにかなるレベルじゃ無かろうという気もする。
モンスター娘の日常では、他種族間交流法ができて、人間とモンスターが交流するようになったところから話は始まる。
具体的な条文は出てこないが、人間からモンスターへの攻撃が禁じられていたり、モンスターが人間の家にホームステイする制度などがある。
ただ、「他」種族という名称は、人間中心主義的で差別的だという批判がありそう。多種族交流法くらいに法改正しておいたほうが良さそうだが。
セントールの悩みでは、形態差別禁止法があって、思想強制所もある。
ただ、思想強制所の存在は言外に匂わせる程度で、基本的にこの漫画はほのぼの思春期日常もの漫画なわけだが、微妙にディストピアっぽい世界感である。
亜人ちゃんは語りたいでは、亜人生活保証制度でバンパイアに血液が支給されている。
現金が支給される訳ではないので、生活保護制度よりも、義手や義足に保険が適応されるようなイメージだろう。
デュラハンは首が取れるという、外観上の大きな差異があるが、この外観の差異に対して亜人生活保証制度は適応されていない。
外観を「普通」にするための、義手・義足的な義首が開発されていてもおかしくはないのではないかと思うのだが、この世界ではデュラハンは全世界で3人しかいないようなので義首はあまり普及はしていないのだろう。
個人的に気になるのは、人間とモンスターが共存する社会におて、年金などの社会保障制度がどうなっているのかなのであるが、そのような制度に言及する作品はない。
例えば、人間よりも極端に長寿命や、人間よりも極端に多産な種族と共同の社会保障制度を構成することができるのか?という疑問があるが、それを描く作品は見たことがない。
おそらく北欧型の税金を投入して全国民を対象にした制度を構築するのは政治的に難しいので、ドイツ・フランス型の職能集団別の制度になるであろうけれど、それを漫画にして面白くなるとも思えないので別に既存の作品で社会保障制度に言及が無いことに不満が有る訳でもない。
ここでは取り上げていないけれども、まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」とか、ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えりみたいな専門知識+異世界ものの作品が流行ってるっぽいので、社会保障制度に詳しい人の書いた異世界ものの小説や漫画があれば読んでみたい。
ほとんどの作品でオープン。人間とモンスターの後流や軋轢を描く作品が多いのでオープンでないと作品が成立しないためと思われる。
ここで取り上げた中では、ふだつきのキョーコちゃんのみ妹がキョンシーであることが秘密にされている。その点でふだつきのキョーコちゃんはモンスターものというよりは、コメディ要素の方が強い。
登場するモンスターの種類は圧倒的にモンスター娘のいる日常が多い。
表に挙げたのは実は、主要なキャラクターのみでゲスト的に1回だけ登場したモンスターも入れればもっと増える。
亜人ちゃんは語りたいも種類は少ないが、バンパイア、デュラハン、雪女、サキュバスと既存のモンスターが登場する。
一方で、ヒトミ先生の保健室では、モンスター状態に名前がついてない。
舌が超なが~くなる、体が極端に大きく、小さくなる、体がバラバラになっても死なない、などではあっても、それには名前がついてない。
記号のついてない生の状態とでも言えばよいのか。そういう描かれ方をしている。
ふだつきのキョーコちゃん|ではキョンシーということになっているけれども、それほどキョンシーキョンシーしたキョンシーではない。札じゃなくてリボンでいいことになってるし、ぴょんぴょん飛び跳ねたりもしない。怪力で血を飲むと言った程度。正直、キョンシーじゃなくてもコメディとして成立すると思うので、モンスターものと呼ぶのはやや無理があるのだが、「チノアジガー。」のセリフがカワ(・∀・)イイ!!のでつい入れてしまった。
コブラのさーサイコガンってあるじゃん?あれ昔から疑問なんだよね。なんで左手なのかと。
撃ちにくいじゃん?構えにくいじゃん?冨野由悠季の右側左側の理論(左側が主人公)に即して考えると、コブラがこっち向いてるとき左手は画面の真ん中で尺が取れないじゃん。
だけど左手に銃を仕込んでるキャラって多いんだよね。トライガンのヴァッシュも、ベルセルクのガッツもそうだし、古くはサイボーグ009の004もそう。他にもいっぱいる。たぶん右手より左手の方が多い。
あれなんでなのかね。もしかして「右手が義手だと不便だから」という理由なのか。ベルセルクはちょっと納得してしまいそうだけど、でも超人的ヒーローのそういうディテールはしらけるよね。
234 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2014/02/09(日) 02:42:31.43 ID:t2MfM6b30
「男は、ただひたすらに音楽を愛していた」
「そして不器用な男の魂は、バイオリニストを目指す義手の少女と出会う」
静かに暮らす不遇の音楽家
「俺がお前の曲を現代の第九にしてやる」
「そして俺は、現代のベートーベンになる」
そして、音楽業界やオリンピックを巻き込む巨大な陰謀に飲み込まれていく――
「我が社が求めるのは売り上げ、人々が求めるのは耳が聞こえない悲劇の作曲家の物語だ」
「カメラの前ではうまく演じてくださいよ」
「お前が発表したなら誰も見向かなかった!」
「お前は黙って俺に曲を差し出せばいいんだ!!」
「――私はもう人々を欺くことはできない」