はてなキーワード: 源泉徴収票とは
20代後半まで勤めてた会社が最悪だったけど、自分はスキルもなにもないのでここでアルバイトをし続けるしか無いと思ってた。
その会社では使えないやつと思われていたが、転職したところ成長株扱いされてものすごく褒められるようになった。
最初の会社は就活中に金を稼ぎたいからアルバイトで入った会社だった。
最初に書いてあった業務内容が趣味としてやっていた内容で、これなら気軽にできるし就活に金を使うから少しでも稼ぎたくてで入った。
その後就活は失敗、どこにも内定が出ないまま、大学を卒業しずるずるとその会社に勤めていた。1日8時間。普通の社員と同じだけの時間だがアルバイトだ。
親族経営で、社員が10人程度しかいないがそのうち3人は社長の親族だった。社長と副社長が親子で、経理が副社長の妻といった、本当によくある親族経営だ。
アルバイトとして入った業務内容は、ずるずると長期間やる必要があったが1日の仕事量はそれほど多くない内容だった。
うまく説明できないんだけど、ランチタイムだけ営業しているカフェの厨房業務とでも言うのか。そんで会社自体はそのビルの警備業務がメインとでも言うか。完全に例えで実際は全然違うんだけど。
とにかくそんな感じで、俺のやっている業務内容は会社のメインの業務とは全然違ったし、なんならその部署というかその業務をしているのは俺だけだった。今までカフェは空間はあるものの誰も整備もなにもしていない状態で、俺が入って初めて厨房にガスコンロが置かれたようなありさまだった。
結果的に、俺はバイトとして入った理由である厨房業務から、手があいたときは警備員の業務を手伝うようになった。
どの車をどこに案内すればいいのかわからない。どの人が不審者か見分けがつかない。車種がわからないのであの車が来たかと訊かれても答えられない。何もわからない。
上司からはひたすら使えないやつとして見られていたのがわかった。そうだろう。俺だって俺みたいなやつが部下にいたら使えないと思う。同じようなことを何度も何度も訊くしミスも多い。
最終的に、単純作業なら良いだろうということで、俺は警備で使う機材の整備などをおこなう仕事も多くなった。
本来は2人で1時間かけてやっていた内容を俺1人で3時間ほどかけて行った。そりゃそうだろうな、鉄の棒2mあるやつを2人で運ぶならばまだできるけれど1人で運ぶのはきつかった。ここで腰を悪くしたりもした。鉄の塊10キロを台車もなしに運ばされたからな。
けれども車が多く来る時間帯は警備員業務に回されるしミスをして上司が嫌そうな顔をする。だったら俺に回すなと思う。厨房に帰らせてくれ。
この時期には厨房業務は8時間のうち1時間くらいになっていた。カフェはそれでも回っていた。客がろくに来ないが、それでも少しずつは来るからやめられないという状況だった。
やめようとは思ったことがなかった。
俺はスキルが無い。厨房も趣味としてやっている程度でプロと比べたら全然だろう。だからここをやめたらこの業種で働くことは出来ないだろう。また、1人で好き勝手やれるのも気楽で良かった。
社長は厨房について何も知らないが自分は詳しいぞと社長仲間に見せたいため、俺がヘルシオを買ったほうが良いといえば買ってくれたし、電気圧力鍋だろうと食洗機だろうと買ってくれた。俺以外に使える人間なんていないのに。
俺以外の連中ができるのはせいぜいが電子レンジで温めるぐらいで、調理といえる調理は何も出来なかった。
俺がいなくなったらカフェは終わるだろうとわかっていたのでやめたくないと思っていたのもあった。
会社に対する愛は無かった。
近くに出来たイオンの駐車場がハイテクだという話を1ヶ月に3回は聞いた。社長がクリスマスに床屋にいったところ床屋も急いでいたのか冷ましていないタオルを顔に当てられてやけどするかと思ったという話も、クリスマスが近くなると週1でされる。そこで働いている社員全員の出身中学と高校と大学、現在住んでいる家のだいたいの場所、残ローン年数、家族、家族の仕事まで全部強制的に知らされた。NHKの集金から逃げる方法などは何度も語られていた。
興味がない内容すぎて眠くなるのに無理やり相槌を打つのは意味がない仕事だった。その間にも警備員の業務は溜まっていく。
友達には転職してみたら?と遠回しに言われることは何度かあったが、俺は俺のスキル的に転職できる場所などないと思っていた。就活時期に失敗したのもある。内定どころか面接にすら1度たりとも進めなかった。俺が正社員になれるわけがないと思った。友人たちは優しいからお前なら大丈夫と言ってくれているのだと思っていた。
友達の欲目だ。俺にスキルなんてない。上司にお前は使えないやつだなと態度で示され、他の同じ仕事をしている人たちがお茶をしている時間に一人鉄の棒を運んでいたのだ、自己肯定感など無い。カフェの仕事は進むが、特段俺の作ったメシが旨いと言われることもないので誰がどう思っているかなどなにも知らない。
そんなとき、とある人に酒を飲んだ流れで給料の話をしたところ、転職したほうが良いと進められた。転職について詳しい人で、おすすめのエージェントも教えてもらった。現在俺が厨房でしている内容を話したところ、それなら転職できると言われた。
この人は俺の友達ではない。ネットで出会っただけの人だ。俺は一方的に尊敬しているがこの人は俺に対して好意がどれだけあるか知らない。つまり友人の欲目はない。
その状態でも俺の給与は低いし、俺は転職できるかもしれないスキルがある。
驚いたし、ありえないと思った。
このときすでにアルバイト先では5年勤めていたが、俺と同時期に入った俺より出来る先輩がちょうど正社員にしてくれる会社があったからと辞めていった。あの人すら正社員になれないのならば俺もなれないだろうと思ったのもある。また、GWの休みで給与がどれだけ減るかと恐ろしくなったのもある。盆暮れ正月GWがある月は、手取りが10万を切る。
転職は難航した、ような気がする。
基本的にアルバイトしかしたことがない場合、正社員と同じ時間働き、同じだけ残業し、同じだけの責任を負わされていても、扱いはそれでもアルバイトだ。職歴があるとはならない。アルバイトという名の無職のようななにか扱いだ。
エージェントによっては社内選考で弾く対象なのだろう、同じような文面でお祈りメールが来まくる。
しかし、偶然とある会社で内定が出た。厨房業務に興味があればいい、厨房で働いたことなんてなくたっていい、明るく元気な職場です、ただし作る食品がちょっと特殊です、という会社だった。
業務内容的に転職は難しいだろう。作るメニューが特殊だ。例えばあんこう料理のような、他ではあまり活用する場所の少ないようなものだ。次の転職は難しいだろう。
しかし、正社員だ。今はGW前だ。月の手取り9万は嫌だ。俺はそこの会社に行くことにした。
会社にやめますと伝えたとき、特に何も引き止められなかった。あの厨房はどうなるんだろうなと思った。俺しか使えないヘルシオや食洗機は誰も使えないままなのか、それともいちから取扱説明書を見てなんとかするのか。
おそらくは埃を被るだけだろう。俺が入るまで3年間、ある程度設備の整った厨房をそのままほったらかしてカフェもなにも使わずに放置していたと聞いた。アホだと思った。
新しい会社に入った。あんこう料理は今までやっていたカフェのメニューとは全く違い難しい。しかしまあ、同じ包丁とまな板を使うものだ、なんとかなるだろうと思った。
なお、入社してから半年後ぐらいに大型のあんこう料理イベントがあるため、それまでにあんこう料理をマスターしてくれと言われた。冗談だろう。
新しい会社では、上司は俺をバカにしなかった。使えないものとして見なかった。俺がなにかわからな箇所を聞いたときにちゃんと教えてくれた。嫌そうな顔をしなかった。同じことを聞いても教えてくれた。上司だけじゃなくて他の人もそうだった。わからないものは誰かに訊けばわかった。警備員の業務と違い調理業務なので俺もやっていて楽しかった。腰を痛めなくなった。あんこう料理も楽しかった。徐々に自分ができることが増えるのが面白かった。前は日1時間程度の残業があったのに新しい会社は無かった。前述のあんこう料理イベントの時期だけは休日出勤もして月40時間ほど残ったが、上司が気にしてくれたり、社長がご飯をおごってくれたりして嬉しかった。できると褒めてくれた。褒めてくれることがたくさんあった。わかりやすかった。飲み会が嫌じゃなくなった。上司とお酒を飲むのが楽しかった。同年代の人も優しかった。年下の先輩という微妙な立場だろう人も訊けばなんでもわかりやすく教えてくれた。相手の腰が低すぎて申し訳ないぐらいだった。なおここも親族経営だった。親族だからと社長の息子が低賃金でめちゃくちゃ働かされてた。社長の息子の給料を上げろ。親族経営は前の会社で親が息子に甘すぎて最低だと思ってたのに全然違った。楽しかった。
俺は出来ないやつじゃなくなった。上司に嫌な顔をされる相手でもなくなった。期待していると、世辞か冗談かプレッシャーをかけるためか、なにかわからないけれども言われるようになった。
俺のスキルごときでは転職できないと思っていたが、転職は出来た。年齢的な期限があったのもあるだろう。ちょうどこの会社があんこう祭りを前に人手不足だったのもあるだろう。だとしても、良い会社に入れた。
前の会社は合わないと思いながらもずるずると5年もいたが、新しい会社は働いていて楽しい。
会社が合わないと思ったら転職したほうが良い。もしくは友達に相談して言われた内容を信じたほうがいい。友達の欲目があるだろうと思ってしまうなら、第三者に相談したら良い。それでもやばいと言われるレベルなら転職したほうがいい。できるから。俺も出来たから。
・最後の給与支払い忘れ(給料日過ぎて2週間経っても入金されないから確認したら社長に「忘れてた」って言われた)
・源泉徴収票をくれと伝えたら昨年のを渡される
・正しい源泉徴収票を取りに直接向かったところ、厨房のリニューアルについて相談される
有給の概念もなく、社員もアルバイトも等しく休んだ分は給与引かれる会社だったし、他にも色々あったから労基に突っ込んどけば良かったなと今になってみると思う。
いや源泉徴収票が必要な手続きがあって、探してるうちに過去十数年分の源泉徴収票が集まったのでなんとなくまとめた。
年 | 額面(万円) | 控除後(万円) | 備考 |
---|---|---|---|
H18 | 280 | 180 | 会社員になった(なのでこの年は4-12月分のみ) |
H19 | 470 | 320 | |
H20 | リーマンショックの年。源泉徴収票は見つからず | ||
H21 | 420 | 280 | リーマンショックをまともに食らって収入ダウン。会社傾く |
H22 | 400 | 260 | たしかこの頃、週休3日制になってた(その分給与が下がってた)気が |
H23 | 420 | 280 | 3.11の年 |
H24 | 450 | 300 | 週休2日に戻ったが、H19の給与水準まで戻らず |
H25 | 450 | 310 | 世間的には景気上向き感だけど給与は据え置き |
H26 | 460 | 320 | 給与は相変わらずだし、消費税が8%になる前に転職 |
H27 | 540 | 380 | これが…昇給というものなのか… |
H28 | 源泉徴収票が見つからず | ||
H29 | 830 | 630 | ふえぇ、おちんぎんいっぱいだよう |
H30 | 840 | 640 | |
R1 | 840 | 640 |
かんそう
ふるさと納税関連の記事がホッテントリに入ると批判一色のブコメが付くけど、みんなはどれに当てはまる?
自分は1だったんだけど、試しにやってみたらあまりに簡単だったので今は4だ。限度額一杯まで利用している。
ふるさと納税サイトで源泉徴収票の数字を入力すればいくらまで寄付できるか自動で計算してくれるので、あとは普通の通販サイト感覚でポチポチ注文するだけ。
申請書類は寄付した自治体が用意して送ってくれるので、必要事項を記入して同封の返信用封筒に入れてポスト投函するだけでおしまい。
当家の場合7万程度の寄付で2万強の返礼品が実質2000円で手に入る。
五体満足シングル世帯なので市の福祉の恩恵も特に受けておらず、ただただ持っていかれる一方なので、利用に罪悪感はあまりない。
諸般の事情でこの世からは早めにお暇する予定なので老後も気にしていない。
無添加塩水うに・いくら、ブランド和牛、高級フルーツ、おいしい。(^q^)
美味しいものを食べている時だけ、まだ少し生きていられるなあと思える。
歳の割には若々しいし(実際実年齢に見えないと色々な人から言われる。マネーかけてるからね)、年々美人度が増してる気がする。
結婚生活のおかげで家事の腕もあがったし、他人に対して許す気持ちができた(ま、離婚したけど)
お金もまぁまぁ生きるのに不便しないだけ稼いでる。ここだけの話、去年の源泉徴収票ね、900万ぐらいあったんだ~!頑張ったな~!やっほー!
税金こわーい!あと昇格もしたよ!
あと、全然困らない程度にはモテてると思い込んでるので心がツヤツヤしてる。
素敵な人ですねって言われて、美味しいご飯ご馳走してもらって改札まで送って貰えて、とても幸せだと思う。ありがとう、ご馳走様!こんど私がご馳走するね。
昔はちょっとした批判に傷ついて、立ち止まってぼろぼろ泣いてたけど、いまはそれぐらいなら平気。
嫌な気持ちにはなるけど傷つかない。だって私の事嫌いな人のことまで愛す必要ないもーん。
なんかよくわからんけど、常に誰かが支援してくれる。金銭的な意味じゃなくてね。
どうでもいいぐらい小さい嬉しいことが、ずっと嬉しい。ZOZOのセールで買った靴がめっちゃ履きやすかった。あとパンツもジャストサイズだった。
昨日ろく助の塩買ったら美味しくて感動した!ササミにつけて食べた。あとさっきコンビニでさきいかの大袋買っちゃった。いま全部ひとりで食べてる!
台風来たら会社行かなくて済むし、行っても嬉しい気持ちになるように、先週ドライオレンジを引き出しに入れて置いた私は策士。
嬉しいこと、楽しいことだけ見て、私って美人~!て毎日鏡の前で言ってたらニコニコできるようになった。
よくわかんないけど、なんか幸せだなあ~。
お酒うまーい。
うちも似た感じ
でも幼稚園で「うちって貧乏なの」と私がみんなに言っていることが伝わると母は慌てて「中流家庭」と言い直した
あとからなぜ貧乏だと言い聞かせていたのか聞くと「平均的な金銭感覚を持ってほしかったから」らしい
しかし小学校から海外校で芝生の校庭にエアコン付き屋内プールだし、クラスメイトの親は社長などの明らかに高収入とわかる職業ばかりだったし、年に何度もビジネスクラス時々ファーストクラスで海外旅行
さすがに気付く、というか自分のことをお嬢様だと思い込んで完全に天狗になっていた
そんな時突然父が会社を辞めた
家にあったフィットネス用品やらカラオケやら高そうな家財を売り払って帰国することになった
父は私が高校生になってもまともに働いていなかった
でも私は大学に行きたかったので家計を気遣って奨学金を申請した
先生に呼び出されて、審査が通り無利子の第一種を借りられることになったと伝えられた
奨学金担当の先生は苦学生だったらしく、我が家の源泉徴収票を見て哀れみ激励してくれた
学部4年次、就活が嫌になったし大学院で研究を続けたくなったので再度奨学金を申請した
そして大学院を修了して就職、しかし奨学金の返済がなかなかにキツかった
母に愚痴をこぼすと学部、院の分全て、合計数百万を一括で返済してくれた
ここで疑問が湧く
なぜ一括で返す金があるならわざわざ借金したんだ……?
うちの親は基本的に放任主義で、子供がやりたがることはとりあえずなんでもやらせてみる方針だった
私は貧乏な家計を気遣えるいい子ちゃんのつもりだったので、奨学金を借りることをもちろん両親に相談していた
両親は「とりあえずやってみなさい」と言い私はそのままうちを無収入の貧乏一家だと思い込んだまま奨学金を借り続けた
それは源泉徴収票の提出で行っていた
そんな風に先生に激励されたのを覚えている
それを私は知らなかった
今思えば両親はろくに働いている気配がないのに私は塾にもピアノ教室にも通い続けていたし、海外留学は高校生の間に2回も行った
留学費用を稼ぐためという名目で学校に許可を取ってアルバイトをした
しかしなんだかんだで親が出すことになり、バイト代は全て服に使った
大学附属のやつではない
入居時に百何十万円納め、毎月の支払いも二十万弱だったことを後から知った
住居費と学費は親が払っていた
両親が働いていないからうちは貧乏というのは私の思い込みだった
あまり働かずに好きなことをしていても暮らしていけるほどの資産があったのだ
聞けば家や車などの大きな買い物も含めて、借金や分割払いはしたことがないという
私の奨学金以外は…
まあこれは親ではなく私がした借金ではあるんだが…返済を頼ってしまったが…
今でも私が車などを買う際にローンを組むと払う金額が増えて損ということで、まず母が現金一括払いをし、私が毎月いくらかずつ返す"お母さんローン"というシステムを利用させてもらっている
「今思えば」とは言えどうして気が付かなかったんだろう
かなり狭い枠だったはずだ
それをお金を借りる必要がなかった私が掠め取ったために本当に必要な家庭が枠から溢れてしまったのではないか
直近1年間の収入が極少ないことと、多少成績が良いだけでどうして申請を認められたのだろう
というか源泉徴収額って資産は関係ないの?収入に対してだけ課税があるの?
その辺もいい加減勉強した方がいいのだろうな
これを堂々と語ったら多くの人が呆れ、軽蔑すると思う
元増田を読んで似ているなと思って吐き出したくなった話
ブコメ読んで沸いた疑問
しかしそう考えていくとさらに先祖の資産であって親の金でもない
親はそんなに働かずたまに減った分を補充している程度なので増やしてもいない
今生きている誰の金でもない金は誰の金なんだ
私が生きてきたのにかかった金は私程度の収入では一生かかっても返せない
もちろん収入の半分以上を毎月家に入れて誰かの資産を補充している
でも一生補充しても補充し切れる金額ではない
俺が全く大成しなかった理由の一つに、記録を整理できないというものがある。
今はサラリーをもらって働いている。今年はちょっとしたことがあって確定申告する必要があるということはずっと前からわかっていた。
ということで無くさないようにしっかり封筒に入れて管理していた。
そもそも、もう一個の会社からも給料を得ているので、そっちの源泉徴収票を取っておく必要がある。確定申告に使うわけだな。
こっちは絶対に無くさないように封筒に入れておいて、そして折を見て取り出し、手帳に挟んでおいた。
俺は手帳に挟んだから、初めのメーンの職場の源泉徴収票についても同様の処理をしたと勘違いし、そのままにしていた。
ところが他の資料はだいたい集め終わったのに、封筒がないのである。
生活は一事が万事こんな感じで、取っておくべきものを取っておくのだが、取っておいたものがどこに行ったのかわからなくなる。
どうしてそうなるのかというと、取っておくべきものが連続して何個かある場合、取っておくべきものが複数ありそれぞれ適切な場所におくべきだからだ。
いろいろ対処法などを友人や家族や職場の人間から聴いて「大事なものボックス」みたいなのを作った方がいいという結論を得た。
ということで、そのボックスに入れるのだが複数の問題点がある。
現在ボックスは6個ある。保険の書類、銀行関係の書類、職場の任用などの書類、家族関係の情報、その他仕事がらみの秘匿するべきボックスがあといくつかあるのだが、そもそもそこに至るまでにボックス以外の場所で書類は作成され、あるいは自分の机上に誰かにより置いてある。そういうものを大事だと判断して無くさないように(他の紙と一緒にならないようにクリアファイルや封筒に入れて日付と内容を書いておくして、帰るときや行くときに持っていく。)そうすれば間違いなく書類は大事なボックスに入るはずなのだが、世の中必要な書類が多すぎてどれをどこに置いてどのボックスに入れるべきかいくつかの経過があり、容易に書類は失われてしまう。すなわち最初からボックスに入っていればいいのだが、私がボックスまでに持って行って管理するのだから、その私がポンコツであったら初めから同じことで、ボックスがあろうがなかろうが資料は同じ確率で失われてしまうのだ。
第二の問題点としてボックスに入れるのはいいのだがすぐにパンパンになってしまう。特に仕事関係。それで何がどこにあるのかすっかりわからななくなってしまうのだ。
モノがどこにあるのかわからないからものを捨てられず、いつも徹夜しながら探して次の日の仕事に間に合わせている。パソコンの中の資料についてはフォルダーに入れるのは諦めて8桁の年月日で管理している。8桁なのは業務上応永とか長徳とかの元号の時代の情報を扱うから6桁じゃダメなんだ。資料を作成した月や日付や資料名がわかればたどり着ける。パソコンは便利だ。
これは明らかに何か身体に問題を抱えているのかもしれないけれど、仕事はこなせているからそこは自信を持ってやっているんだが、いつもものを忘れて、もうそれに20年以上付き合って、同じようなミスを同じように何百回も繰り返しているとちょっと辛くなることがある。
婚活当時30過ぎのワイが思い出すままに書き捨てる。こんなんでも誰かの参考になったら嬉しい。
AD「相手の年齢範囲が自分と比べて上下±2歳になってるのは何か理由や拘りがあるんですか?」
ワイ「いや、なんとなく同年代くらいがいいかなー、て感じです」
AD「増田さんの年齢的にプラス2歳というのはわかるんですが、下の可能性を自ら閉ざすのはおススメしません。実際にマッチングするかどうかはともかく、下は何歳でも可としておく方が可能性は広がりますよ」
ワイ「でも、ワイみたいなおっさんが20歳OKとかいうのもなんか痛々しくないですか?」
AD「それでダメな方は増田さんに申込んでこないだけです。ここは可能性を増やしましょう」
ワイ「りょ」
AD「相手の婚姻歴あり(=要するに×あり)OKなのはどうしてですか?」
ワイ「このご時世、色んな理由で離婚に至る方もいらっしゃるでしょうし、あんま気にしても仕方ないかなと」
ワイ「そうですね……どうしようもない事情で離婚したら連れ子がいたりすることもあるでしょうし」
AD「あなたが心の広い方というのはよくわかりました。しかしその程度の理由でOKにしたら、『そこまで範囲を広げないと相手が見つからないのか』とごく普通に初婚の女性から敬遠される要素となり得ます。ここは初婚の方に限定しましょう」
ワイ「りょ」(そ、そういうもんなのか)
AD「去年の源泉徴収票で年収は400万円くらいですが、今年もそうですか?」
ワイ「まだ未確定ですけど今年は残業増えたし430万くらいにはなると思います」
AD「では、後で会員ページから自分で年収を修正しておいてください」
AD「今、その事情をお聞きしましたから。あまりにもとんでもない額に修正されていたら私共から確認と強制修正させていただきます」
ワイ「りょ」
ワイ「時間にもよりますが、その日の内には必ず返信しようと思ってます。……重たいですかね?」
ワイ「大丈夫なんすかね」
AD「あまりの即レスはちょっと置いておいて……メール無精な方はなかなか発展しません」
ワイ「りょ」
AD「増田さんは見た目はともかく、年収と人柄は決して悪くはないですし、何よりも婚活を前向きにやろうとするやる気があるからきっとうまく行くと思いますので頑張ってください」
ワイ「そういうもんなんですかねえ……。てかやる気ある方なんですか、ワイでも」
AD「入会されたことで何故か安心しきって自分からは活動しなくなる方はよくいらっしゃいます」
ワイ「マジで」
AD「マジです。結局は本人のやる気が大きいです。あと最初は上手くいかないかもしれませんが、数人にお断りされても決して心を折らないように頑張ってください」
ワイ「ぶっちゃけ、婚活アプリでお断りされまくって今に至るので、そこは大丈夫だと思います」
AD「(苦笑)」
ワイ「さっきの話ですけど、やる気が無くて自分からは動かない人たちって何なんですかね。ワイが言うのもなんですが、こういうところに入るような人なのに」
AD「女性に多いですが、親が無理やり入会させて本人はそもそもやる気なし……というパターンもありますね。ただ、そういう方々の無駄な会費のおかげで私共が潤っておりますので」
ワイ「(苦笑)」
AD「参考程度にお聞きしますが、もし話が進んで、誰かと最初のデートとなった場合、どうしようとお考えですか?」
ワイ「ほかの人の婚活体験ブログとか読みまして、お茶かなーと思ってます。ジャケパンスタイルで」
AD「増田さんとお会いするのも3度目ですが、増田さんは本当に手のかからない優秀な会員様でした」
ワイ「手がかからなかったですか」
AD「完璧です。やはりやる気ですね。自分から動く方はなんだかんだ何とかなるものです」
ワイ「そういうもんなんですかねえ。まあ色々ありがとうございました」
AD「このまま、無事にご成婚なされますようにお祈り申し上げます」
ワイ「りょ」
そんなこんなで結婚した妻が安定期に入りました。嬉しい。
昨日バズってた婚活アプリ体験増田のを読んで、自分の婚活体験を思い出して書いたものでした。お祝いのコメント等ありがとうございます。
婚活アプリでダメだった時の話は、書こうとするとついつい女性側への恨みが出てしまうので自重します。要するに、私は恋愛市場では大した価値のない男だったけど、結婚前提の市場ならそれなりに価値のあるタイプだったということなのでしょう。
ちなみに、相談所で活動開始→翌月に4人の方とお会いした→その内、次のデートの話が最も早く決まった人とお付き合いすることになったので相談所を休会→成婚退会との流れでした。なので会費は2か月分しか払っておらず、費用的には初期費(入会費等)+会費2か月分で、費用対効果は高かったのではないでしょうか。自分の体験じゃなかったら、「業者の宣伝乙」とか言いたくなるであろう、理想的な展開だったと思います。本当に相談所でサクッと決まる人間もいるということで、ご参考までに。
受託開発企業のソフトウェアエンジニアとして働いている。27歳。月の残業約30時間。それ込みで年収(源泉徴収票に記載される支払金額)400万程度。
これよりひどい所もいっぱいあるとは思うけど、正直毎日「こんなことで良いのか俺!」と思ってる。
そこで近年の流行のアオリを受け、アメリカのシリコンバレーに行ってフリーな風潮のクールなチームにジョインして大マネーを稼ぎたいと思いはじめた。具体的には、独身なら家賃差し引いても毎月70万くらい貯金でき、基本的に残業なしの自社開発企業で働くこと!
大学の情報系の学部を卒業後(学士)、ITエンジニアとして働いてきた恵まれた経歴が自分にはある。TOEFLは受けたことがないが、まあ気合でなんとかなるだろう。言語は気合だ。知ってんだそれくらい。しかしだ、どうしたらそこからシリコンバレーで働けるのかが分からない。それが困った。
こう言うとアメリカの院出ろっていう人がいるが、そんなハードル高いのは困ります。初っ端からGAFA目指す訳じゃないんだし、既にキャリアがあるんだから、それ生かしてカタコトの英語でどっか滑り込めンじゃないスカと思う。こんなこと言うとシリコンバレーで、いや英語圏の先進国で働いてる日本人から見ると甘いと思われるのかなぁ?