はてなキーワード: 扶助とは
学会3世だけど、財務で破産することはありえないと言い切って良い。
というのも財務は実際に納入するよりもかなり前の時期に地区の部長へ財務の意思と金額を伝え、氏名と金額の名簿が地区から支部、支部から総区、総圏や県へと伝わり、中央へ届けられる。
まず生活保護や公的扶助を受けている人、後見審判を受けている人は財務を納められない。「いや、末端レベルで隠して納めさせる事もあるだろ」と言われるかもしれないが、そういう情報すら支部や県レベルで共有されている。ちなみに県レベルまでの学会幹部は主に一般の会員、中央は主に学会本部、聖教新聞の職員が務めている。
財務は基本的に申告した額を絶対に納めなければならず、申告通りに納められなければ事故となる。財務のノルマはないが未納の事故が起これば責任問題となるので、基本的に学会の幹部は担当エリアの会員が財務をしないことや少ないことよりも、財務金額が多いことを恐れる。統一とは会員数が違う上に資金源としては聖教、公明の各新聞や雑誌もあるため財務の優先度はかなり低い。職業や生活状況、新聞代の支払い状況から考えて明らかに財務金額が多すぎる時、幹部は考え直すように何度も伝える。
繰り返すが幹部は財務が少なくても責任問題にはならないが、申告した財務が未納になれば責任問題となる。そのため財務で破産することはあり得ない。
元増田の弁護士ですが、法テラスは滅ぶべしと個人的には思います。
ただ、法テラス(の民事扶助)は、基本的には弁護士費用の立替えなので、費用決定権がこちらにはありません。
着手金も報酬金も法テラス様の基準のとおり。(一応不服は言えます)
なので、原則「法テラス経由の案件でも着手金はとるしビタイチまからん」のは事実そのとおりかと。
リンク先の件って何で着手金返金になったんでしたっけ?契約解除?
契約解除の場合は、法テラスから依頼者に返金しろと指示があるのでその場合は返しますし返さなきゃならんです。
一方でリンク先の弁護士の対応は悪質でしたね。その点はおっしゃるとおりです。弁護士と警察が「ほとんど大差ない」かどうかは判断が難しいですね。(とぼけているわけではなく、立ち位置や見えている景色が違いすぎるので)
俺は欲しいものがある、早寝遅起きしても咎められない環境と(一日12時間寝ないと心身が辛い)、自由な時間と、一日一食の最低限の栄養が賄える食事と、狭くても清潔な居住環境だ。
女が抱きたい、良い部屋に住みたい、美味いものが食べたい、旅行がしたいとも思わない。図書館で借りた本を消化してるだけでそこそこ楽しく暮らせるからだ。
前述の欲しいものの為に働けば働くほど、俺は欲しいものから遠ざかる。高卒だし、頑張って貯蓄してもFIREできるような収入には遠く及ばないからだ。
チェンソーマンのOP『KICK BACK』の歌詞に「幸せになりたい 楽していきたい」とある。俺は、生活保護さえ貰えれば、その願いを一気に叶えることが出来る。「生活保護受けてたら遊べないぞ」だって?笑わせんな、働いてたら遊ぶ気力なんてわかねえよ、働いてても遊ぼないので問題はない。「生活保護受けると周りの目が冷たくなるぞ」だって?仕事出来ない無能の俺を見る職場の人間や関係者の目はいつも冷たいよ。それが普段接しない世間の目に変わるなら願ったり叶ったりだ。
生活保護が優雅な生活だと思ってるやつって、どこでそんなデタラメな情報を仕入れてんの?
パチンコに行くとか旅行に行くとか。んな余裕あるわけないだろ。
大体考えて計算してみると以下みたいな感じだろう。
勘違いしてはいけないのは、家賃がいくらだろうが、残るのは5万程度になるようになっているということ。
市営住宅などに引っ越して家賃が安くなったら、その分受給額も減る。
まず光熱費で10000円がなくなる。
季節にもよるが、だいたい平均してそれくらいとする。
食費が1日1000円だとしたら30000円が消えて残り10000円。
4人家族とかだったら一人あたりの食費を抑えられるだろうけど、コメや調味料なども含めて考えると、一人だったらこれくらいになるとおもう。
それを仮に3000円だとすると、残り4000円。
共益費とか町内会費を引いたら、仮に1500円くらいとして、残り2500円。
自由に出来るカネは2500円。
ちょっと菓子を買ったり本を買ったり、就職面接の交通費なんかに使ったら雀の涙ほどもたまらないとおもう。
ひょっとしたら就職面接のための交通費くらいは出してもらえるかもしれんけど。
これを優雅と思うのか。
独裁主義や共産主義のいいところはこういうところだよね。民主主義というか日本人が訴訟に馴染みなさすぎなのが問題だと思ってるよ。
クズ親クズ教師クズ上司がいたりおかしな会社があったりイジメ首謀者がいたりすれば、強制収容所の代わりに弁護士と裁判所がポンポン出てきて命令なり金銭賠償なりをバンバンしてくる。こいつらが人を守ってるからクズも変なことが出来ないわけだ。
いじめ虐待盗撮をなくしたいなら、民事訴訟の税金扶助制度を設けてお金のない人が刑事のみならず民事訴訟においても司法に助けてもらえるようにすることが先決だよ。法テラスの二の舞にならないようにキチンとした制度を作りつつ。
寄り添うのと愛するのは違うのでは
彼等は惻隠の情で動ける立派な心の持ち主なんすよ
そういうのって普通はノブレス・オブリージュ的なアレなもんだけど
偶に己の生活すら顧みずに人に尽くす人居るよな
(でもきっと、なにか心理的に得るものがあるからこそやってるんだろうね。そう思いたい
弱者あるところに扶助者あり―扶助者は弱者を扶けることを生きがいとしている―とまでは言わないけどさ)
本来なら我々全員が困っている人を扶けなくてはいけないところを
彼等が身を削ってやってくれているのだよ
その御蔭で、我々は僅かな金(社会福祉費)を徴収されるだけで済んでいる。有り難い話だよ
もしも我々が扶けられる立場になった時、その有り難さが身に染みるだろう
生活保護の受給やその他の支援制度や扶助制度を利用する人たち(≒自力で生計を維持する事が難しくなった人)について、愚か者は「努力しろ」や「甘え」だの「自助しろ」だのと叩いて悦に浸るのがお得意だが、ここであえて「努力」について考えてみたい。
彼らがいう所の「努力」とはどのようなものを考えているのだろうか?
一つの仮のケースとして、
・昨年、軽い事故に遭い大事には至らなかったが、その精神的ショックで激しい吃音を生じ、それにより業務を果たせなくなり解雇される。
という人を考えてみる。
この場合、彼は就職活動を行ったとしてもコロナの流行により就職の口は少なく、また発話に支障があるため仕事に就くにはかなりのハードルが予想される。しかしながら身体面では健康で就労に問題がない。
この場合で手元不如意により数ヶ月後に生活保護の申請を行なった時、身体面だけに着目し「甘え」という批判をする人間が出るだろう事は予想がつく。
しかし彼の場合、この状況ですぐにできることはせいぜいマスクや医療用品の転売などを行い、劣悪な小売業者として利鞘を掠めるくらいであろうが、このような行為も彼らのいう「努力」なのだろうか?
大阪市在住で20代、一人暮らしをしており、慢性的な体調不良(肉体的、精神的)があり、生活保護を利用している
症例がほとんどない病気の疑いがあり、継続して微熱・アレルギー様症状・筋肉痛・倦怠感・気力の低下がある
症状はコロナ副反応、慢性疲労症候群、LOH症候群などに類似している
二回目の副反応で三日ほど、発熱・倦怠感があり、腕を上げたり、寝返りを打つのが辛いモデルナアームも出ていた
医療扶助があるが生活が厳しく、診察費がかかる場所に行くのは難しい
また、自身から二次感染を発生させるリスク、自身がコロナに感染するリスクを考え
できるだけ公共交通機関を利用せず、無料で診断が受けられる病院を探した
電車移動、自宅で少し話をする
マスク、手洗い、換気はしていた
その後は現在に至るまで一度も外出をしていない
腹痛は良くあるので少し様子を見ることにした
消化器症状が継続していたので、かかりつけ医にて診察を受けたいと伝える
コロナの可能性があるのでまず、コロナの診療を受ける様にと言われる
断続的に数回電話をかけるが繋がらない
その後、#7119、病院に連絡後を含め計七回電話をかけ、一度繋がったが自動音声で混み合っているので後ほどおかけ直しくださいと切断される
#7119
二箇所が近かったので連絡
繋がらない
有料の場所を二箇所案内される
風邪などの症状があり、かつ保健所から医療機関に紹介された場合に限られると案内される
厚労省のページにあり、excelとpdfで見ることができますと案内される
昨日同様、合計九回、断続的に電話をかけたが、一度も繋がらなかった
咳、発熱、消化器症状の(程度を問わない)いずれかの症状がある場合は無料で検査を受けられる対象ではないと案内される
つまり、何の症状も出ていない健康体でないと対象ではないということか?と聞くとその通りですと案内される
慢性的な体調不良が継続している人間が、医療崩壊が進行している中で消化器症状を発症させた場合
コロナの可能性があるため、一般の病院にかかるのを控える様に言われる
複数の窓口に電話してもコロナの症状は具体的に何か?という回答は得られず
詳しくは保健所にと言われるが繋がらない
保健所から診察する指示が出ない場合は行政検査にならず、自費診療になる
費用は概ね3000円から30000円程度であり、比較的安価な検査は梅田・なんばなど人出が多い場所で行っている様だ
症状が出ていれば病院判断でも行政検査が可能な様だが、具体的な症状の記載がなく、医者による判断になる
結果、コロナかどうかが不明確な状態で安価な検査しか受けられない場合
公共交通機関を利用し、コロナの感染拡大に寄与してしまうリスク・自身の感染のリスクを犯して
ただただ症状が収まるのを待機するかの判断を迫られる
(参照:「優生学について知りたいのに、誰にも聞けない」https://anond.hatelabo.jp/20220120142843)
つまり最近進撃の巨人でジークが主張してるエルディア人安楽死計画(エルディア人の断種)なんかは反出生主義というかもろ優生思想な訳ね
https://anond.hatelabo.jp/20220121151104
行為者(ジーク)が「対象(エルディア人)が苦しんでいるのは生まれてきたからで、生まれてこなければ苦しまない。対象の苦しみを失くしてあげよう」と思っているならそれはその対象について「反出生主義」(対象がそれを望んでいるという意味ではない)。
断種の対象を疾病または災禍ととらえて「対象者が今後生殖をおこなわなければ(対象者以外の)人類がより良いものになる」というのが「優生思想」。これは断種「されない側の視点」の話で実行者の真意がどこにあるかとはまた別の話。
まあどんなに理想的に聞こえる理屈をこねまわしても断種対象者以外のホンネは個人的な妬み恨み復讐メシウマ優越感または自分がその対象になりたくないという恐怖だったりするわけだ。そしてその行為の対象がマイノリティーの場合「対象者自身はどう考えているか」はあまり考慮されない。というか相手の立場になって考えられれば初めからそういう発想は出てこねーんだ、そもそも。
いや違うな。
それが対象にとってどういうことか分かってるから自分は嬉しいし自分にはされたくないし、でもそいつらにはそうしてもいいという理屈を小賢しくひねくり回すわけだ。「社会のタメですー(笑)」とか言って。
人間の中からケモノが顔を出せば理屈は喜んでシッポを振ってついてくる。
無意識にしろ意識的にしろホンネをゴマ化す(ヘ)理屈を自分で唱えてりゃまだいい方で人口のうち多数を占める愚民は「これは社会(国家・世界・人類)にとって良いことなんです。あなたに損はないですよ」と言われりゃさも自分は正しいことをしてやってるんだというドヤ顔で他人を踏みつけ自分の動物的な感情を充足させ、勘定は政府やら世間やら他人に回す。自分には何の才能もなく何の努力もしなくてもたまたま多数側に生まれただけで他人より優れていると思い込めるんだからそもそも文句はないが、ひょっとしたら何割かは「社会が良くなる」というお題目を本気で信じているかもしれない(それは自らの優越感を意識していないという意味ではない。社会のためはオレのため、二方三両得ってだけの話だ)。
「ミンシュシュギ」のオダイモクも愚民が唱えりゃただの多数決の独裁になる。「自由で平等」なのは多数派の間だけでそのうえ独裁者は「多数」だからそのうちの誰一人として自ら責任は取らない。「衆愚に生まれて安心安全」システムだ。
本当の「民主主義」は「多数決」とイコールではない。民主の「民」は多数派だけでなくすべての少数者ーー病人かタワキ違いハク痴外人アイの子こども年寄り男女女男童貞オタク売タその他ーーも含めて全員自由で平等でなければいけないし、民一人一人は全員が自分自身のそして社会の「主(あるじ)」として全てのことに責任を負わなければならない。代議士はあくまで民の「代表」でありその責任は最終的に民全員に帰する(だから代議士は民意に従う責任がある)し、少数者(マイノリティー)だけにババを引かせるやり方は民主主義ではない。
自分に都合がいいことを聞いた瞬間に思考を停止する低級な動物が多用したがるキメ文句のひとつににベンサム(1748 - 1832。イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者)による「最大多数の最大幸福」という言葉があるが、これは「個々人の幸福の総和を最大にするのが正しい行為・政策である」という意味で(愚民がそうであってほしいと願うような)「多数を幸福にするためなら少数を不幸にしてもいい(そうすれば幸福な人数が最大になる)」という意味ではもちろんないし「少数の不幸は多数のメシウマ」を肯定するものではない(当たり前だ。普通にサイテーである)。個々人の幸福の総和を最大にするにあたってベンサム自身は「個々人が幸福を追求できるように法律で私的不可侵領域を定める必要がある」としている。ようするに「たとえ多数派がそうすることで幸福を感じるとしても他人の私的なことに手出し口出ししてその人を不幸にしちゃいけませんよ」ということだ。たとえば自分が幸福になるために自分が結婚したりしなかったり子供を産んだり産まなかったりするのは正しいが、自分が幸福になる(感情的にも経済的にも社会制度的にも)ために他人に結婚させるさせない・子供を産ませる産ませない権利は誰にもありませんよ、ということである。
この「他人」がマイノリティーであっても当然全く同じことでたとえ「同性カップルは結婚しても子供が生まれない。税収が減る年金が高くなる国が(:読み:「オレが」)損する」と思っても自分が結婚したい時に結婚して制度上の優遇を受けられるなら他人に同じことを禁止する正当性はない。「結婚はするが子供は作らない」のは同性カップルに限った話ではないし、それでも制度上の優遇が不当だと思ったら結婚に付随する優遇措置は一律に廃止すればいいのである。少子化が問題であるなら公的な扶助、優遇措置は既婚未婚ジェンダー性指向等いかなる属性にも関係なく実際の出産または養育の実態に対して行うべきだ。
生殖というのもまた自らの生存に次ぐ(どちらかと言うと結婚制度よりもなお)私的な不可侵領域であるがこれを本人ではなく誰か他の人が「おまえは生殖してもいい。おまえはダメ。社会のタメだから(笑)」とやるのが優生思想である。特定の人たちを(未来の)社会から「居なくすれば」社会はもっといいものになるらしい。しかし居てもいい人間いけない人間を本人の都合以外で選ぶ社会はすでに民主的な社会ではない。
社会のメンバー全てに平等の権利を認めた結果として社会に何らかの不利益が生じた場合、民主的な社会ではその不利益は全てのメンバーに平等に配布されなければならない。利益は多数派だけに分配し不利益はマイノリティーだけに分配(またはその逆)してはいけない。個人の幸福の総和は全ての人の幸福を高め全ての人の不利益を削減することで得られなくてはならず、不利益を一部少数者に集約した上で「[その少数者の属性]なんてこの社会には存在していない」ことにして残りの幸福だけを勘定してはいけないのである。それが「民の一人一人全員が社会の『主(あるじ)』として責任を負う」ということである。
もちろん「民主主義」というのは人間の価値観のひとつであり宇宙の絶対法則ではないので他者に由来する不利益に対して責任を負うことを一切拒否するのも個人の自由であるが、その場合民主主義社会によってもたらされる幸福の方も全て自ら辞退するのがフェアな態度であろうと思う。民主主義社会において多数派に属することの恩恵は(本人が自覚しているいないにかかわらず)計り知れず、本来数的にもその影響力も取るに足らない少数者・社会的弱者にイジワルするためだけにその恩恵を手放すというのも到底得策とは思えないが、けだし度し難きは小人なり。生まれつき享受している恩恵というのは本人には認識できないものなのかもしれない。
ア 日本国内に住所を有する60歳以上65歳未満の任意加入被保険者が法定免除の要件を満たすときには、その保険料が免除される
イ 18歳から60歳まで継続して厚生年金保険の被保険者であった昭和30年4月2日生まれの者は、60歳に達した時点で保険料納付済期間の月数が480日となるため、国民年金の任意加入被保険者になることができない。
ウ 第1号被保険者が保険料を口座振替で納付する場合には、最大で2年間の保険料を前納することができる
エ 第1号被保険者が生活保護法の保護のうち、医療扶助のみを受けた場合、保険料の法定免除の対象とされる
オ 20歳前傷病による障害基礎年金については、受給権者に一定の要件に該当する子がいても、子の加算額が加算されることはない
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/11/dl/s1104-3b_0002.pdf
○ 生活保護受給者は、国民健康保険の被保険者から除外されているため、ほとんどの生活保護受給者の医療費はその全額を医療扶助で負担。
その他 281億円(1.1%)
生活保護ってさ、おにぎり一個と住むためのテントでいいんじゃねえの?極論なんだけど。
誰でもいつでも申請すればもらえるけど、かなり額は今よりも減らした方がいい。
お前自分のことを賢いと思ってるのかもしれないが下の下の下だからなそれ。
スナイパーは最初の一人はあえて殺さずに重傷おわせるって話知らないのか。
お前の足りない頭では想像できないんだろうが、生活保護関連で一番厄介なのは食費よりも医療費だぞ。
そもそも、ほとんどの人間はなんらかの疾患や障害で働けなくなった高齢者なんだから当たり前だろ。
「ギリギリ生きてればいい」みたいな考え方だと一番コストがかかるんだよ。
実際twitterで生活保護反対とかいってる連中、ほとんどの人間が生活保護費がどのくらいかかってるかも全く知らないよな。将来生活保護まったなしの人間に限って生活保護者