はてなキーワード: 常用漢字とは
元号は四書五経などの古典とかから採るわけで、既存の熟語をだせばいいわけじゃない。
平成は『史記』と『書経』から採っている。昭和も『書経』だ確か。
これってある程度常識じゃないの?
ただ、平和は字面からも出典を捻りだせそうなんだよな。筋は悪くない。実際。たまたまだけど。
これから元号が変わるから、元号に興味持ったり、元号の是非や、元号の制定に関心を高めるためのニュースであるはずなのに、街頭インタビューをするのはおかしいと思うわけだ。筋がおかしい。
好きな食べ物とか漫画だとか自分の頭の中だけで答えられるものじゃない。本とか先例から考えなきゃならないものに街頭アンケートするなよって思う。
元号なんて東アジアでももう日本でしか採用してない謎レア古い制度なんだから、適当な認識で好きな言葉みたいな感覚でアンケートとるなよ。
こういう安直な発想が、現場で行なわれるであろう作業への認識を遠ざけるんだよ。
歴代の元号を見て、こんな漢字が使われるんですね、とかで良いじゃん。そういう番組もあるんだろうけどさ。アンケートはおかしいよ。
良く議論されるアルファベット重複回避理論を踏まえるとKやJなんかが使いやすいと思うわけだ。あとはEとかOとか。
Kだと「広」「弘」「康」「建」「嘉」「慶」
Jだと「承」「貞」
Eなら「延」「永」
oなら「応」
あとBの「文」なんてのも字面が良いよなーって思う。
あとは適当よ。よさげな字を二文字めに持ってきて、歴代のに被んないようにして、適当に出典が有れば良い。
「広徳」とかでいーじゃん。「康徳」はダメだな。満州国の元号だからな。
あとちょっと考えなきゃならないのは画数だ。あと書き間違えやすいのも採用するべきではないのかも。
明治以降10画以上の字は採用されていない。偶然かも知れないけれど。
「慶」とか「嘉」とかはやや画数が多いのかも。「建」も「健」と紛らわしいかも。
それと、常用漢字と旧漢字との関係も考慮しなくてはならないかも。
「応」なんかは、正式には「應」と書くべきなんじゃないですか? とかめんどくさいやつがしゃしゃり出てきて絶対議論になるから回避するべきかも知れない。
こういう側面だと「文」はやっぱり良い。書きやすいし常用漢字の際の改めもない。
それと言いやすさ。「カ」とか「カン」とか「コウ(コー)」ってとても発音しやすい。他の近代の元号とならべた時に聴き間違えが無い。だから私はアルファベットで言うとK推し。
この点Jの「ジョウ(ジョー)は「昭和」と被りやすいかなと若干思う。
私は四書五経も二十四史も必要なところしか読まないし、元号を念頭に読んでないから全然詳しくない。
元号なんて偉い人がちゃんと考えて決めるんだから庶民が考えなくたっていいんだろうけど、折角の何十年かに一度の話題なんだから、手元で扱える情報を集めて、素人なりに考えるのは面白いと思う。
たぶんそんなことにはならないと思うけど、何個か由緒ある候補を有識者会議に出してもらって、皆で投票して決めるのも面白いと思う。
最後に付言すると、決まった元号に文句言うやつが絶対出てくると思う。この故事に際して縁起が悪い、とか、歴代天皇の諡号と音がかぶってる、だとか、中国の悪い時代の元号とおんなじだとか、私元号に事例があるからダメだとか、出典に由緒が無いとか。うるせークソ雑魚なめくじ。って思う。作ったものに文句言うのは、作ることそのものより非常に簡単なのだ。
さっき、『日立 世界ふしぎ発見!』で、黒柳徹子が解答に「桜」と答えていた。ちなみに正解。さすが。
「桜」の崩し字は、木編に「ツ」みたいな三本線の下は平仮名の「あ」みたいな字。
気になる人は「桜 崩し字」で検索してほしい。
書道とかは除いて、彼女の世代が、日常的に崩し字を書いていた最後の世代になる。
私たち(敢えて主語をでかくするぞ、体持ってくれよ!)は、崩し字というか草書の文化を失った。
筆記具は筆から鉛筆・ペンになり、縦書きから横書きへ。筆記から印刷へ。
日常的に漢字を崩したり、文字を連続して書くことは専門家以外にしなくなった。
大学などで習いはするから、読める。けれど、それを日常で書くことはない。
常用漢字という「崩し」で、はっきり楷書で書く時代に生きている。
楷書や常用漢字批判をしたいわけじゃない。回顧したいわけでもない。
「シン・ゴジラの『シン』って何?」
「『新』しいとか、まことの『真』ってところだろう」
「悪意のある解釈だな」
「これ何て読むん?」
「コエだな」
「常用漢字の『声』と違うの?」
「一緒だ。昔はこっちが使われていた」
「ということは、これって昔の作品なのか」
「わざわざ使う理由が考えられないし、そういうことだろうな」
「この二人のクロスオーバー作品はずっと前からあって、企画自体も以前からあったって知ってたか?」
「へえーそうなんだ。じゃあ、なんでその時は実現しなかったの?」
「大人の事情ってやつだろう」
「じゃあ、今回はそういう大人の事情を解消できたから実現できたわけか」
「実現できても大人の事情は入り込む」
「大人って汚い」
横浜にある記念船日本丸と横浜みなと博物館に行って参りましたわ。
みなとみらい駅のエスカレーターが長くておそろしいおろそしいですわ。むきゅー。
みなと博物館の展示は、ほぼ黒船来航から始まったといえる横浜の歴史を伝えています。
まず黒船艦隊9隻の中にサラトガとレキシントンがあって驚きましたわ。
レキシントンを沈めたのは東京湾のかたきを珊瑚海海戦で討つですわね。
後世と同名の船ではミシシッピも3隻の蒸気船の1隻として来ていました。
博物館のライブラリーは横浜と船に関する本が集まっていて、名高いジェーン年鑑がないか探したのですけど、
横浜資料の「ちんちん」電車の本に目を奪われてしまって、雑魚ナメクジに終わりましたわ。
そして、横浜に造られた大さん橋の展示には「大さん」という方が造った橋と勘違いしました。
音声解説によれば大桟橋のことでしたわ……そこは非常用漢字でも桟を使ってほしいですわ。
みなと博物館は船の復元模型が非常に多くて目を楽しませてくれました。
ですが、ガントリークレーンの動く模型は、吊り荷の下に人形が入る配置になっていて×ですわ。
それと遠足のお子さまがたくさん見えられていたのでアクリルが脂地獄でした。
特別展では2015年になくなった柳原先生の絵画が展示されていて、
切り絵から油絵にリトグラフと晩年まで新しい画材を積極的に試している姿勢が素晴らしかったですわ。
博物館のとなりに係留されている日本丸は入り口のスロープをみて
車いすの方は甲板だけみるのでしょうか。
うっかり船にあがった鯖になりましたけど、さばかれはいたしません、さばかれはいたしませんですわ。
日本丸のあのマストに登って帆を広げたり畳んだりすると言われても、
しかも、船が動いていて傾いていて風や波をかぶっていて太陽がでていない場合でも
帆の操作をしているわけです。
いまでも毎朝船内にある真鍮の部品が磨かれているそうで、記念船を維持するための
桟橋(さんばし)とは、係留施設の一つ。船舶が着岸するために陸域部から水上へ向けて作った橋状の係留施設である。
広義には浮桟橋(ポンツーン:Pontoon)も桟橋に含むことがある。
「桟」がかつて(1981年まで)は常用漢字に入っていなかったため、さん橋と表記される場合もある。
桟橋と岸壁・物揚場との違いは構造と形状にある。構造面を見ると、岸壁・物揚場が埋め立てやコンクリートにより海底まで
埋められている物を指すのに対して、桟橋は支柱の上に橋上部を設置したものをいう。
たぶん夫婦別姓に色々誤解(不明点)があると思うんだけど、質問も違うと思うんだよね。
今のままだと、たぶん回答にたどりつけない。
チョット飲み込みにくいと思うから、タルイと思うが辛抱して順番に説明を聞いてくれ。
これは、「婚姻前の姓を保持する制度」のこと。夫婦別氏とも言う。
1番は判りやすいだろ。
ハンコ変える、仕事での名称が変わる、各所での届け出を変える必要がある。面倒。
2番もまあまあわかるだろ。
要は、「昔の名前で仕事してますじゃダメなの?」は、法律上の本名と違うとダメな場面が有る。
3番はまあ荒れる基だろうが抜くとわけわかんなくなるのであえてな。
元増田の感じてる「彼女の姓を名乗りたい」という気持ちそのもののことな。
荒れるのは「なぜ選択的(どっち選んでもOK)夫婦別姓に反対するのか」って点。
(まあ、感情の対立だから、個人的には難しいように思うけど、変わるかも)
名乗りたい姓と戸籍上の姓を一致させる制度じゃないの。今までの姓を変えない制度。
名乗りたい姓と戸籍上の姓を一致させるなら「自分の好きな姓を名乗れる制度」になる。
まずな、質問が違うとは思うが回答しておくと
裁判で負けたけど、夫婦別姓って夫婦が互いに相手の姓を名乗ることはできるのか?
誰か教えてくれ
出来ない。
元増田が「佐藤」で、彼女が「田中」なら、別姓でも元増田は佐藤で、彼女は田中のままだ。
「選択的夫婦別姓」という話とは無関係だな。彼女が彼女の姓のママを名乗りたい、じゃないだろ。
んで、質問が違うという話をまずする
まずこっから整理が必要なんだが、話を読む限りでは違うと思うんだ。
同じじゃないかと思うだろうが、まあ待て。
(あと、追記にもあるが「名乗りたい」は「制度上の正式名称をそうしたい」という意味だな)
取りうるパターンは、細かく分けると、こうなる。
読む限りでは(多少彼女の心情はエスパーするが)、1番+4番パターンだと思うんだよね。
つまり、「新しい姓を新設する」では、彼女は納得しないパターン。(妥協はしてくれるかもしれないが)
翻って、元増田は、「新しい姓を名乗る」でも別に問題ないよな?佐藤(仮)を捨てたいだけなら。
俺の戸籍から俺の今までの姓を葬りたい、彼女は俺の今までの姓で呼ばれたいと思ってる。
解決手段はないのか?
つまりだ、元増田は、戸籍上に今までの姓が乗って無ければ良いんだから、姓が「綾鷹」だって構わんわけだ。
でも、彼女の言う「夫の姓」っていうのは、新設した「綾鷹」じゃなくて、付き合ってた「彼氏の姓」を指すわけだろ。
『夫婦別姓希望してる人たちはなんで話し合いで解決しないのか』は、まあ元増田と同じだよ。
選択的夫婦別姓制度を希望している人達は、「戸籍上の姓を変えたくないから」ではあるが。
とは言え、チョットでも可能性のある現実的な話をする。養子縁組とかじゃなくて。
(一番簡単なのは彼女の通名だが、それがダメだから彼女側の手立ては詰んでる)
まず大前提だが、籍を入れるというのは間違いで、婚姻の場合は戸籍の新設になる。
だから、本籍地を自由に設定できるわけだな。管理単位のペーパーが増えるワケだ。
簡単だ。新字体にして、別物の姓になったと思い込め。
基本的に姓(氏)は変更できないんだが、例外的に「旧字体の漢字を常用漢字体にする」のは超簡単にできる。
これでまあ、彼女は満足するだろうし、元増田も一応違う姓になったと思えなくもなかろう。
過去はいろいろとあったが、もう既に戸籍上に読み仮名は存在しない。
これはオフィシャルな法律上制度上戸籍上の話だ。住民基本台帳法も読み仮名を登録させるようになってない。
そしてさらにこれにはポイントがあって、市役所なんかは読み仮名を別途管理してたりするので、
「あ、その漢字、実は読み仮名が違うので、戸籍を作るにあたって直しておきたい」と言うと結構簡単に変えてくれる。
(「斉」は昔は「せい」で呼んでたし。因みに極端に違うとハネられる事もある)
この辺の技は「子供の名前の読み仮名は、別に漢字に準拠してなくて良い」で有名だけど、姓も同じなんだよね。
戸籍法 第15節 氏名の変更
第107条 やむを得ない事由によつて氏を変更しようとするときは、戸籍の筆頭に記載した者及びその配偶者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない。
ステップは以下の通り。
こっからは古い知識になるから、具体的には弁護士探して相談するのが良いと思うが、
ただ、読む限りでは元増田は「元々の家の姓」を名乗って生活してたけど、結婚するにあたって変えたいくらいのカジュアルな感じだから、ちょっと厳しいと思うな。
(本気でトラウマレベルで嫌なんだったら、通るんじゃないかな。制度上存在するわけだし)
……なんで「オススメしない」って書いたかって言うと、氏の変更をしようと弁護士頼る人、結構ガチな人多いから、軽い気持ちで弁護士行くとマジ説教されると思うよ。
自分が「実の父親から日常的にレイプをされていたので殺人未遂を起こし、姓を聞くだけで発作的に自殺したくなる人が支援者と一緒に来てる」横で相談する光景を相談すると、大体あってる。
わかったよ。極端な例を出して論点がずれたことを認めて謝罪します。
周りに誰も居ない時は俺が相手しなきゃいけないだろ。
俺も「食いしん坊だなぁ」ってニコニコ笑ってろっていうのか?そんなことできるくらいなら、増田なんかに書いてねぇぞ。
かといって「お前はあの魚を捌いて食えるのか?魚みたいな顔しやがって」なんて言わないよ。
「想像力が豊かですね」とも言わねえしな。
誰だって、加工後の形態を想像しろ と言われりゃできるだろうさ。
逆に仔ブタレース見た後にトンカツ出されたら複雑な気分になるだろうさ。
知り合いの板前さんが「泳いでる魚を見ても『どう包丁入れるか』『どう盛りつけるか』を考えてしまう」って言っていたんだよ。
それくらい毎日魚を捌いていれば、そりゃあそういうこともあるだろう。
そうじゃなく普段の女子(自称)が、泳いでいる魚を見て、調理された状態が目に浮かぶのか?ってこと。
俺なんかアンパンマンがアンパンってことすら意識しないことあるからね。
っていうか何でふりがな振ってんの?読めなかったの?
男ってのはすぐに理屈を捏ねたがる。
言いわけは顔だけにしときな!
ホントそう思う。
声掛け事案が怖いからしないけど。
声掛けして見た目が良かったらナンパだけど、俺みたいに見かけが悪いと
女はすぐに感情的に全てを否定する。
そういう生き物だから、俺には永遠に分かり合える日はないと諦めてる。
それを両天秤にかけて都合の悪い問題を切り捨てる、いわば合理主義者のような所が
女にはあって、それによれば、自分は可愛くて誠実だから男は放っておかないだろうと
内面を磨かない癖に、いざそういう関係になったりフラれたりすると感情的になっては
都合の悪い問題すら振り翳して自分を正当化するわけだから、どうにも解せない。
女って感情的になるとすぐに自分は悪くない、悪いのは周りだと駄々をこねる。
女っていうのは、割と他の女と共通した部分があるよな、なあんて思う事もしばしばある。
逆に男は、そういうのを嫌う傾向があって、独り善がりになりやすいんだけど、
女は常にちやほやされていないと生きられない可哀想な人が多いのは確か。
でもだからといって、そういう雰囲気の彼女たちにおいそれと批判するともれなく
フェミニストという独善的かつエゴの塊で女の腐ったような最終段階みたいなのが、
レッテルを貼り付けてくるので注意したい。
女性専用車両やレディースデー、採用枠は彼女らには都合の良い問題だけど、
寿退社とか言ってすぐに会社辞めるって都合の悪い問題に対しては
社会がもっと理解を示さないといけないと、あたかも女でなく組織全体の問題として扱っては批判する。
不倫しまくる男に対して確かにマスコミなんかは甲斐性とばっさり切るけど、女の不倫に対しては恥だとかいう風潮も
確かにある。
そりゃね、女は身体は許しても心までは、というのは本当に都合の良いように解釈してるし、見てて馬鹿かと言わざるを得ない。
でも不倫はいずれにしても問題だから、これに対して女が私だけ一方的に貶されるとか辱められてると思い込むの勝手だけど、
だからといって不倫行為自体は正当化されるべきじゃない事をよく理解しておいてほしい。
昔、ある有名な話で、不倫女が旦那と離婚するという時に、慰謝料はどれくらい貰えるのかと相談した事があった。
そう、女というのは都合の良い生き物なのだ。
男でも都合の良い方向に持っていくけど、それは理屈をこねてる。
私は悪くない、周りが全部悪いと、自分自身が悪かったと認めるためには時間を要すのが現状だと思う。
女はすぐに感情的になる。
まるでお隣の国の人達のような言いがかりで、男はいつも辟易してる。
そもそも女が結婚は至上の幸福なんだと思い込んでる事実が足をもたげてるというのに、
女が男社会で生きられないならば、男社会を是正すればいいのに、いつまでも男が悪い私は悪くないと駄々をこねてるんだから
呆れてものが言えないよ。
でもあえて言わせて貰うけど、女は感情を捨てろ。
そうすれば楽に生きられるでしょ?
いわゆるヘイトスピーチに代表される差別発言が主だけど、その範囲はいつの間にか女性や障害者にまで広がってる。
その代表例が「障害者」の「害」をひらがなの「がい」にしろというもの。
文字通りに考えれば「害を持つ人」の意味だけど、その「害」を「がい」に変えてしまうと「がい」がどれを指すのか分からなくなる。
例えば、常用漢字である「姦」だとか「女々しい」だとかといった女へんや女という字を使う文字に対して女性蔑視だとする意見は、
戦後以降女性の社会進出に伴って声高らかに叫ばれているが、ではそれに代わる文字を用意して欲しいとすると、別の言葉に言換えるようにと
主張する。
その一つが「強姦」だ。
文字通り女性を虐げるとか性的暴行をするの意だが、昨今は「婦女暴行」や「強制わいせつ」などに言葉を変えている。
しかし、これでは罪が軽量であるかのような錯覚を受けてしまう。
「強姦」は「殺人」に匹敵する重罪だが、「婦女暴行」では性的暴行ではなくただドメスティックバイオレンス程度の傷害にしか思えない。
言葉狩りをするのなら、せめてそれに代わるものを用意してもらいたいものだ。
左翼はあれは反対、これも反対と主張するが、一方でそれを享受し恩恵を受ける側でもあるという矛盾に全く気付いていない。
例えば、原発は事故が起こるまではずっと当たり前のように享受してきたはずだ。
今は太陽光発電という高コストかつ先の見通しの付かない不透明な内容をあたかも実証済みであるかのように主張するが、
今やアメリカですらそのメリットが正しいという明確な根拠を示さなくなっている。
また、昨今話題沸騰中の憲法改正についても、今までGHQ原案の憲法を大事にしてきた反米主義者が今これが改正されることをアメリカ自身が望んでいるにも関わらず
意味不明な主張の元に反論している。戦争ができる国が出来るというものだ。自国を防衛することさえ許されない現法で中国や韓国の侵略行為を防げるとは現状では言い切れないことも関係する。
死刑廃止論にしてもそうだ。諸外国がしているからという根拠なき根拠によって死刑を廃止し、あろうことか犯罪者を救おうという人間まで現れている。
死刑に変わる罰則を制定しないのに死刑を廃止していいのかという批判にも全く聞く耳を持たずである。
女性専用車両や男女参画については、口を酸っぱくして女性の社会進出を妨げるなといっておいて、育児、出産休暇や社会復帰の面倒を見ろとかレディースデーなどの民間のサービスについては蔑視であるにも関わらず何も主張しない辺り底が知れている。
また、特定の国には配慮しろと主張するくせに日本を守るための訓練をするアメリカを罵倒するが、一方尖閣や竹島に侵略してくる中華思想の国や韓国の犯罪については無関心を貫いていたりと矛盾している。
矛盾でいうならば、児ポ法改正に伴う単純所持禁止など二次元創作物の規制を謳いながら、一方でクールジャパンで日本のオタク文化を世界に広めようと言う動向は正に矛盾しまた、時代を逆行する勢いだ。
彼らの行動は正に言葉狩りの通りで感情論だけで何もかもを動かそうとしている。
言論の自由、表現の自由を謳いながら一方でこれらの言葉狩りを今もなお平然と行っている。
彼らは一体日本の何を正そうというのか、ただ闇雲に社会を混乱させようと画策させているようにしか思えない。
そう感じるのは筆者だけなのだろうか。
こんなのあったよー
https://sites.google.com/site/shibano/shin-jouyoukanji-hyou-no-tame-no-kanji-shutsugen-hindo-chousa
子供(小学校3年生)が漢字検定5級(小学校終了レベル)を2月3日に受けることになった。
10月時点で6級(5年生終了レベルを受験)に合格したのだが、さすがに5級は「手強い」。
5級の問題集をやらせてみても、なかなか合格レベル(70%)に達しない。
6級までの場合、「小学校3年でも聞いたことある言葉に関する漢字」の出題だから、
「小学3年だと、聞いたことない言葉に関する出題」だから、非常に難しい。
例えば、「皇」「后」「陛」などは、天皇制を学習しないと、その字を用いた2字熟語などを知らない。
「裁」なんて字もそうで、小学校5年だか6年だかの社会の授業で、「政治・裁判の仕組み」「歴史」を
3年生だと、これらの字を覚えるのに、ハンディがあるのは、まあ、仕方ない。
逆に言えば、ちゃんと「どの字を何年生で教えるべきか?」というのは、
他の教科(社会・理科)の進捗とリンクさせて考えているのだろう。
(理科もリンクしているようだ。「磁」とか「宙」とか、磁石や宇宙の仕組みを学習しないと
とっつきにくい字も6年生時点で学習する。)
ということで、大半の漢字については、
「これらの字を、6年生で習うのは、まあ当然だろう」という字が並んでいるのだが、
唯一「この字は小学生が習わなくてもいいのでは?」と疑問に思った字があった。
それが「蚕」という字。
「小学校レベルでも、蚕の字は、習わなくちゃならない」ということで、蚕の字を小学生の漢字に指定したのだろう。
当時としては、それはそれなりに合理性があったと思うのだが、それから60年以上経過して、
国内の養蚕産業は、殆どゼロ、伝統工芸・重要文化財レベルにまで落ちてしまった。
小学生にしても、養蚕はもはや「明治の日本は養蚕⇒生糸工業で工業化しました」という
「歴史教科書の中だけにしか存在しないシロモノ」になっていて、実際の蚕を見たことある小学生は、数%もいないだろう。
そういう状況下で、「惰性」で、蚕という字を小学生学習漢字に指定し続ける意味って、どれだけあるのか?
「養蚕業界、生糸業界が、蚕の字を小学生漢字に指定し続けるように、文部科学省に圧力を掛け続けている」という
ちょっと気になって、「霊験あらたか」の用に使われる「あらたか」とはどう漢字で書くのだろう?と思い、調べた。
当初の予想は「新たか」だった。もちろん、それなら平仮名にすることもなく、ネットの海でさえも「霊言新たか」で埋め尽くされていたはずだ。
違うということは、他の字が充てられているということだ。
そして、その字は「灼か(灼たか)」であった。
意外な字が出てきた。字義を知る人ならそこまでの驚きはないのだろうが、現代では灼熱程度でしかお目にかかることのない漢字に訓読みがあったとは、私にとって新鮮な驚きだ。
確かに多くの漢字、私達が日常目にする漢字のほとんどには、常用漢字内外の訓読みがある。たとえば、小学校低学年で習う二つの漢字、「丸」と「円」、これらはどちらも<マルい>と読む。意味としては、前者が球形的(三次元)、後者が円的(二次元)という違いがある。円いテーブルと言えば、ボール状ではなく円卓ということになる。
しかしながら、後者の漢字、円の訓読みは低学年では学習しない。同音類義語の使い分けは低学年にはまだ早いという計らいがあるのかどうかは知らないが、とにかく低学年で<マルい>と学習するのは「丸」のみである。
この同音類義というのがポイントとなるわけだが、この細かな違いはともかくとして、多くの場合、意味は文脈に依存する。円卓を指すとき、「円いテーブル」でも「丸いテーブル」でも「まあるいテーブル」でもこれらの共通項にズレはない。ズレを中心に据える、超現実的解釈をしない限りは、これらは合一する。
という流れで見て、先の「あらたか」に目を向けよう。「灼たか」とは神や仏のご利益がはっきりしているという意味である。元の語に戻れば、「灼」とは明らかなようすであるとか、はっきりしているであるとか、火を付けて燃やすとか、そういう意味に通ずる。これらに共通するのは鮮明さである。目の利かない闇夜で火をつけて周囲をはっきりと映し出すものであり、その火の役割こそがご利益なのだ。
そして「新たか」である。新た、とは場面の展開であるとか、今までにない局面であるとかいう意味だ。今までにない手法を使うということは闇夜を照らす火のようである。カメラのアングルが変わって別なところを映すということも、全体を明澄にする手段の一つであり、具体性を獲得する。
思えば、「改める」という言葉も、意味としてはこの流れに通ずる。私達は日本語の微妙なニュアンスだとかそういうものを大事にしてきて、かえって事物を見る目線を複雑にさせすぎやしていないだろうか。
国会における答弁の為に用意されているペーパーには、ルビが振られているという話である。専門用語や滅多に使わない漢字にはルビが振られても仕方が無いが、常用漢字のレベルにまで振られている。本当に日本人なのであろうか?
民主党は民潭や北総連に支持されているのだが、議員も帰化朝鮮人が多いのではなかろうか。
予算委員会の場で、麻生首相(当時)に向かって、漢字の読み取りテストをしたのは、確か、民主党の議員だった筈。質問内容を具体的に事前通達していないからテストが成立するという事を思えば、あの頃から、民主党は党利党略の為に国会審議を空転させていたという事になる。
政権についてみて、過去の自分達の行いが、いかに国民国家の為になっていなかったかを自覚したであろうが、下野して、建設的な野党になって、次の政権交代を狙うという潔さが無いというのが、困った所である。既に旧社会党のように下野後の政党消滅のフラグが立ってしまっている。旧社会党を離脱したのと、自民党から石もて追われたのが野合したのが今の民主党である事を思えば、下野後に民主党から離党したのと、自民党の道路族が野合して、次の野党ができるのかもしれない。
でも、読めるようにはなるべき。
何が言いたいかというと、常用漢字なんて設けると「読んで書けて当たり前」だとなってしまうわけなんだけど、実際には読めりゃいい。
必要なのは書いてアウトプットするのではなく、書いてある文字から読みを推測し、その推測を限りなく正しいものに近づけることと、ひとつの事象を多様なことばで表現できること。
漢字自体は辞書が片手にあればいい。書き順などは守りたい奴だけ守ればいい。
書いて覚えるのも結構。漢字練習帳書き倒すのも結構。
字義を知れなどと口うるさいじじいになるつもりではない。
与えられた熟語の意味を察しろと言っているのだ。それは字義ではない。字義はもっと根源にある。
繰り返す。
漢字なんて書けなくてもいいとは言わない。
書いて得する時代なんて前世紀の話だ。
書けなくていいよ、バカでもいいよ、なんて言ってない。
漢字を書いて覚えることが、あまりにも時代遅れでバカらしくなっただけなのだ。
枠組みを変えることにそもそも価値など無いのだ。
視認し、咀嚼し、推測し、表現せよ。