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はてなキーワード: ボイコットとは

2012-02-11

情報の値段:論文出版社学者ボイコット

2012年2月4日

The Economist

雪崩は、たった一粒の小石によって引き起こされることもある。

1月21日ケンブリッジ大学数学者 Timothy Gowers が、

長年に渡ってエルゼビア社の論文誌をボイコットしている理由について、ブログに書いた

オランダ本社を置く同社は、一流誌 CellLancet をはじめとする定期刊行誌を2000誌所有している。

ノーベル賞数学版とされるフィールズ賞を受賞した Gowers 博士は、この状況を望ましくないと考え、

今回のブログ記事が他の学者ボイコットに参加するきっかけになれば、と望んでいた。

実際、それが起こった。

Gowers のブログに感化されて、数学者 Tyler Neylon がオンライン署名サイトを設置し

そのサイトを通じて研究者2700人以上(訳注日本語執筆時点では5300人以上)が署名し、

自分研究をエルゼビアの論文誌に投稿せず、エルゼビアに投稿された論文を査読せず、エルゼビアの編集作業にも協力しない、と誓約した。

その数は、数学者表現を借りるならば、指数的に増大している。

実効性をともなっていくとすれば、大出版社にとってこれは、革命をつきつけられたようなものである

Gowers 博士による非難は3点に集約される。

第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。

第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。

第三点として、公的資金による研究に対して政府フリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。

エルゼビア側によれば、これは誤解を招く言い方だと言う。

同社の経営状態はよすぎるほど良好なのは確かだ。

2010年には、20ポンド収益に対して7億2400万ポンド11億6000万ドル)の利益を得た。利益率は36%。

しかし、同社の Director of global academic relations の Nick Fowler は、

購読料水準は業界の平均であり、ここ数年の値上げ幅は他社より低いとしている。

Fowler 博士によれば、人もうらやむエルゼビアの利益率は、同社の効率的経営の結果以外のなにものでもないという。

Neylon 博士による動議は、より広い文脈での学者出版社の衝突の表れのひとつと見ることができる。

その衝突は、オンライン出版の台頭によって、ますます鮮やかに描き出されてきた。

学者情報の自由と流動性に重きを置く文化に属しており(そもそも論文の査読と編集を無償で行っており)、

商業出版社との付き合いには、これまでも難渋してきた。

出版社情報へのアクセス課金して利益を最大化しようとする組織であり、

同時に権威ある論文誌の(すべてではないにしろ)ほとんどを掌握しているかである

一触即発の状況は長年続いていた。

2006年には、 エルゼビアが出版する数学論文Topology編集委員会の全員が、アクセスの囲い込みと料金高騰への懸念を表明して辞任した。

ドイツ出版社シュプリンガーによる論文K-theory編集委員会2007年に解散した。

多くの人は、ことが荒立てられるまでにこれほど長くかかったことに驚いている。

学者インターネットもっとも早く取り入れた人々であり、

出版社をそのサイクルから追い出すことができる環境は十分に整っていた。

実際、商業出版代替物をつくろうとする動きは何度か起こった。

コーネル大学ウェブサイト arXiv (X はカイの音のギリシャ文字を模しており、「アーカイブ」と発音される)は1991年にできた。

研究者は、まだ論文誌で出版されていない物理学論文をそこに投稿することができ、

日々数千件を越える論文投稿されている。

Public Library of Science (PLoS) は2000年にできた。

そこでは生物学医学の分野でフリー論文誌が7誌出版されている。

こうした動きへの熱意があったにも関わらず、伝統的な出版社の支配が続いたことには理由がある。

arXiv論文は、公開後に容赦ない批判にさらされることは確かなものの、投稿前に正式なピアレビューは行われない。

したがって品質はまちまちである

PLoS は一部を寄付金でまかないながらも、論文1件あたり2900ドルの掲載料を課す。

これは著者の負担となり、金策に悩む大学にとっては無視できない金額である

少なくなりつつあるとはいえ、電子版のみの出版に対する偏見もある。

ウェブ出版は紙よりも権威が低いと見なされがちなのである

こうしたことが重要なのは大学と個々の研究者が、出版した論文の数と掲載された論文誌の名声に応じて評価されるからだ。

ともすれば新しい道具に挑戦することが期待される若手研究者は、その前に既存権威ある論文誌で出版しなければならない。

さもなければ、発言力もなく昇進もない。

そして、新しい論文運命を決める力のほとんどが権威の高い論文誌にあるために、「権威」の定義は少しずつしか変わらない。

商業出版社は、たとえば読者ではなく著者から料金をとるなどといったオープンアクセスアイデアを試そうとしている。

しかボイコットが広まっていけば、ことは急激に進展する可能性もある。

けっきょくのところ、学者出版社を必要としている以上に、出版社には学者が必要なのである

突然失脚する直前まで、えてして体制側は無敵に見えるものだ。

来たる学術の春にはご用心を。

2011-10-05

自炊」代行業者が撲滅された後にわたしたちができること

何が行われたのか

比較的手広く「自炊代行」を手がけていた業者は、出版社作家が連盟で出した質問状という名前脅迫状によって店をたたんでしまうことになりました。

法律上の論点はこのへんの記事に出ているとおりだと思います

http://anond.hatelabo.jp/20110907193725

違和感の原因

自炊業者を利用して自炊していた人たちが、脅迫状を出した人たちに感じる違和感はひとえにこれではないでしょうか。


出版社から出ている紙の書籍勝手電子書籍化するなといわれても、お前らは私たちが読みたい電子書籍など一冊も出していないだろう。それなのに客を泥棒扱いしておいて、えらそうに一体何様のつもりか。

Amazon Kindleで読める電子書籍は100万冊を超えています

一方、日本で出ている電子書籍は22万冊をようやく超えた所で、しかもその多くがマンガだといわれています


媒体で出ている本をすぐに電子書籍で読みたい人は、大手出版社俺様フォーマットで、紙媒体とほぼ同じ価格で売りつけてくる電書籍を、間抜けのようにあんぐり口を開けてずっと待っているべきなのでしょうか。

不利益を被っているのは読者であることは明らかなのに、出版社既得権益保護システムが完成するまで黙って待っていなくてはならないのでしょうか。

それとも、自分裁断機スキャナーを揃えて自炊するべきなのでしょうか。

でも、そういう機材がそもそも高価で場所取りだし、スキャン時間もったいないから自炊代行業者を利用していたわけでしょう?

残された道は

脅迫状に署名した作家出版社をすべてボイコットするのは、現実的ではありませんね。

例えばこんなのはどうでしょうか。

1.出版社ではなく読者主導の電子書籍コンソーシアムを作る


日本電子書籍市場に感じられる鬱屈は、旧態然としたビジネスモデル出版社保護するために根回しばかりやっていて、なにひとつ読者の利益になりそうな要素がないという点ではないでしょうか。

電子書籍価格著作権関連の法制について、もっと読者の声が反映されるべく、出版社に対して影響力を行使できる団体を作るというのはどうでしょうか。



2.脅迫状に署名した作家は、時代を逆行させようとした誤った選択をしたことを知らせる


リストに載っている方たちはそれなりに功成り名を成し遂げた方々で、ファンも多い方々であるが故に、自炊民の失望も大きいのではないでしょうか。

読者として、自炊だって作者に正当な対価を払う気持ちが無いわけではないでしょう?

ただ、あの方々が、脅迫状に署名をしたことによって、自分たちのファンを結果的に泥棒扱いし、唾を吐きかけたことが残念です

彼らが出版社にそそのかされて将来の収入に恐れを抱いたあまり、誤った選択をしたことを、わたしたちは声を揃えて知らしめることができるのではないでしょうか。

そしてまた、作家の方々の恐れの原因が、出版社押し付けてくる印税のパーセンテージにあるのではないかということも。


3.集団で街に出て自炊パーティーを行う


古い映画ですが、ガンジーの伝記映画を見たことがあるでしょうか。冒頭に近い場面で、若い弁護士であったガンジーは、滞在先の南アフリカで不当な人種差別を受けます

その後、南アフリカ有色人種に義務付けられていた外国人登録証を燃やす会合を開きます

多くの有色人種が集まりイギリス官憲に囲まれた中でガンジー自分外国人登録証を火にくべます

ガンジーは殴り倒されますが、それでも登録証を燃やし、力尽きます

有色人種たちはそれをずっと見守っています。彼は官憲の前で堂々と法律違反を犯しました。それが不正法律だと確信していたかです。これはガンジー非暴力抵抗運動の始まりとして映画で描かれています

リテラシーの高いはてなーのみなさん


数あるソーシャルサービスの中でもさまざまな分野でリテラシーが高いとされているはてなーのみなさんは、これから取ることの出来る行動について、どうお考えでしょうか。

これからの行動の指針について、ぜひご意見をお聞かせいただきたいと思います

ちなみに、これを書いているのは、自炊代行業者の中の人ではありませんよー

自炊代行業者をはじめて利用しようとして、調べてみたら、どこもいっせいに閉店予定だったので、ずっこけてしまった情弱です

2011-09-16

花王は反フジテレビ勢力にとって目的ではなく手段である

あるいは俺のチラ裏

読んだブログ

脳内での天使と悪魔の議論

ここでひとまず納得したとして

フジテレビ勢力の勝利条件=【フジテレビ偏向報道を行わなくなる】【フジテレビ番組ステルス宣伝を行わなくなる】だよね?

じゃあ花王デモの流れはというと

……となるべきだよね? でも実際にはそうではなく:

……となってる。勝利条件の達成のためなれば味方につけるべき花王に対して、反フジテレビ勢力はボイコットという行動に出ることで、花王の態度をいたずらに硬化させているようにしか見えないのよね。これ、花王はもう絶対、反フジテレビ勢力の味方にはなってくれないでしょ。

いや、そういえば花王最初からフジテレビを支持するとか言ってたな。はなっからフジテレビ勢力の味方にはなり得ないスポンサーと言える。じゃあ反フジテレビ勢力が打つべき次の一手は:

じゃねーのか?

それでも花王やり玉にあげる理由付けをしてみる

んー、これならまだ理解できる。これ、つまり、反フジテレビ勢力は花王見せしめにしてるってことだね。「お前らもフジテレビからスポンサーとしての手を引かないとこうなるぞ」的な。あるいは、反フジテレビ勢力にとって花王目的ではなく手段だとも言える。カント大先生は空の上で怒ってるかもしれない。地上でも「目的のためには手段を選べ!」思想の皆様が冷やかな目で反フジテレビ勢力を見てるかもしれない。

となると、反フジテレビ勢力の正念場は花王デモ後ってところか。ここでいかに多くのフジテレビスポンサーを味方につけられるかが勝負。それこそ花王も含めて味方につける勢いで行くべき。逆に留意すべきは「第二の花王」への対応。「偏向報道を行うフジテレビスポンサーは許さない!」という態度を外に向けてアピールし続けていかない限り、「第二の花王」への対応次第では反フジテレビ勢力は「反・偏向報道」という錦の御旗を失いかねない。

2011-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20110802202216

ウヨとかサヨとかというより、「ゴシップ紙がオピニオンリーダー気取ってる」っていう方が近いような気が。

あと、関連TB読んでて、相手が反撃できない事をいい事によってたかって攻撃する事を「いじめ」と呼ばずして何と呼ぶのだ?お前ら実名出して同じ「ボイコット運動」出来るのか?と感じた。

2011-07-31

何人釣れました?

高岡なんとか

  

茂木

  

ロンブー暑し

  

  

高岡なんとかとロンブーの主張は意外と合致してると思うんだよな。あつしは見なきゃいいじゃんって言うし、高岡マジで見ないって言ってるから

一番ズレてんのが抗議とかする人たち。見ませんボイコットキャンペーンとかならわかるんだけど、やめろって言うのはまた違う話。それが良い悪いは別として。

2011-07-12

815 名前: [名無し]さん(bin+cue).rar Mail: 投稿日: 2011/07/12(火) 03:28:17.52 ID: erHebM5f0

(o'ω')y-~在日教師が居た大阪 豊中市立寺○小学校でほんとうにあったこわいはなし

国語時間ハングル授業(当然大問題になりました)

自虐史観授業ばっかり

・授業数が足りず、夏休み返上で国語の授業

・式典にはチマチョゴリで出席

・その教師に遠慮して国旗の掲揚は自粛

同和教育指定校に指名される

自衛隊警察子供人殺し扱い。教師なのに生徒に様々な蔑称を使う

↑のようなことがあったので父兄ブチ切れ!

教育委員会にも訴えたが無視される(当時は社会党全盛期)

在日教師追放運動始まる。生徒を学校に出席させないようボイコット

今だ教育委員会は無視

父兄文部省に陳情!ここで初めて学校側が動きだす

在日教師が辞表をだす。校長辞表。これで事が収束にむかうと思われたが・・・

グリコ森永事件発生! 寺○小学校の校庭に毒入りチョコレートが撒かれる

ほかにも、近くの店も子供が買いそうなお菓子に毒入りお菓子発見

父兄:余りにも寺○小学校周辺が集中してるので、韓国人報復と噂される。

(尚、ウェブ上でも、寺○で起こった毒入りお菓子事件は何処も載ってない

2011-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20110521222816

人気のブコメで「すげぇなぉぃ」と思ったのが

因習に過ぎないものをあれこれ合理化してみせる分別臭さには食傷させられる。

って奴。

合理的だから因習化されたものに、「あれこれ合理化して・・・」ってコメントするのもすごいよな、とか思った。

「因習」を批判するなら、「合理的だろうがなかろうが」になるだろ、普通

合理的なら受け入れられるのかよ?受け入れられないんだろ?左の皆さんは。


学校の式典での日の丸君が代に異議を表明する人にも、同じように同調賢明だの、やる以上は不利益を受け入れろだの言うんだろうね。

これも意味不明

つかね俺の母校では、卒業式の証書授与を、代表ではなく個々人に変えろと主張して戦っていた先生が居たよ。

でもその先生は、結局変更されなかった卒業式ボイコットしたりしなかったし、起立しないとかもしなかった。

卒業式の後、すまなかったと謝られたくらいだよ。

そしてPTAとかを含め地道に活動を続けて、俺らの卒業後5年して、卒業式の内容が変わった。

ここでは証書授与のやり方について、是非は述べない。

生徒側は代表だけの方が時間が短くて良いって奴が多いのは当然なんだから

けど俺はこの先生を支持するよ。

少なくとも、きっちり体制と闘って、正当なやり方で結果を勝ち得た。

どこぞの卒業式で起立しないアホと違ってな。

どういう理屈で、自分らの行為を正当化してるのか知れんが、無様だよ。

2011-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20110522013147

でも普通、そんな会社辞めちまえって言わない?

その会社に残って戦えとか言わないでしょ。

そして、ここから先が大事だが、会社のやり方を変える場合ボイコットを勧めるかね?

その辺が抵抗側の最大のタブー

本心から起立したくないのなら、そんなセレモニーとは無縁な仕事に就けば良いだけなんだが、
そうしようとしないのは、闘争そのものが半ば(八割がた?)目的化してるから

http://anond.hatelabo.jp/20110522011648

どっちかというと葬儀屋で社歌を歌うかどうかってことなんじゃないの。

式典として、「社歌を歌う」と定められているケースだね。

卒業式入学式なんだから

取締役には、そういう態度の人間解雇する権限があると思うんだがな。

教育委員会、つまりは役員の決めた「会社の決まりに従わない」のだから


朝会で社訓を読むとかそんな感じで、まぁ、ブラックだね。

でも普通、そんな会社辞めちまえって言わない?

その会社に残って戦えとか言わないでしょ。

そして、ここから先が大事だが、会社のやり方を変える場合ボイコットを勧めるかね?

2011-05-14

政治的に正しいTIGER&BUNNY

虎徹さんの待遇って普通にパワハラだよね?

というか「嫌なら辞めてもいいんだよ?」とか言い訳できないレベルだし。

こういう場合広告出してるバンダイソフバンボイコットすればいいのかな…

2011-04-10

「騙されてた」わけじゃなくて「目をつぶってた」のが申し訳ないと思う件

斉藤和義の例の歌のurlが、TL上にずらっと並んで、

電車に揺られてたのでちょうど時間があってすぐ聴いた。

なんか気分悪いなーと思って、さっきまでその理由を考えていたのだが

なんとなくまとまったので、増田書き逃げしておく。

1980年代の初め、小学生だった私は学研の「学習」と「科学」を買ってもらっていた。

あの頃、周りの小学生のだいたい1/3ぐらいが、学研のおばちゃんに「学習」や「科学」を届けてもらっていたのではないかと思う。

当時科学」の裏表紙、表4の広告には東京電力と思われる原子力の記事広告がよく載っていた。

原子力空母日本に寄港するのはよくない云々、などのニュースが流れていたり、

学校の図書室には「はだしのゲン」があって「きもちわりー」とか言いながら読んだりしていたし、

国語教科書には、必ず一編は「原爆」をテーマしたものが掲載されていたりしていた。

要するに、1980年初めの千葉県の公立小学校に通っていた私は「核=悪」と思っていた。

から、親も推奨する数少ない雑誌学研科学」に、それも目立つ裏表紙に「原子力素晴らしい!」って書いてあるのは何か変。

どっちが正しいことなんだろう?と疑問に思っていたのだ。

そこでたぶん10才ぐらいの私は父に聞いてみたのだ。

原子力原爆なんでしょ?違うの?怖くない核ってあるの?学校と「学研科学」どちらの言い分が正しいの?」。

それが東京電力の”広告であることなど、小学生に理解させるのは無理だろう。馬鹿だったし私。

でも父はそれは実は広告というものである、ということ、それから

それが広告であれ中に書いてある読み物であれ、テレビニュースであれ学校先生であれ、

人が話していることが必ず正しいことを言っているわけではないこと、

いろいろな人がいろいろな立場でものを考えているのが、この世の中であるということ、

人の考えをよく聞いて、自分で何が正しいかを考えることが大切だということを、教えてくれた。

父がかなり苦労していたのは子供心に分ったので、鮮明に覚えているのだ。

そういうわけで、私はべつに東電に騙されていた訳じゃない。

でも、チェルノブイリ事故の時でも、まだ選挙権はなかった。

清志郎が歌ったように37ケだった原発も、その後まだ増えたらしいが、選択権がないのだからしょうがない。

その後バブル景気があってバブル崩壊して、新党ブームなんていうのもあって、

その頃がようやく選挙権が行使できる年齢になったころで、

原発とかはなるべく嫌だなぁと漠然と思ってはいたけれど、選挙権を得た時には

55年体制とやらも自民の一党支配とやらも、なんかもう形にはなっていなかったと思う。

原発反対!って言えるタイミングは逸していた。

大学左翼運動の人も見かけたが、どう考えたって胡散臭いしか思えなかったし、

私の周りでは、成績優秀者で「官僚になりたい」「政治家になって世界を動かしたい」なんていうのは

ほとんどいなかった。

まれに居ても、官僚になりたい子や政治系の活動をする子の方が、頭が残念な子が多かった気がする。

まぁこれは私見ですけれども。

私は大人になり、今となっては悔しい限りだが政治選挙などに関心が無くなっていた。

それは本当に後悔することではあるけれど、私が選挙権を得た時にはもう原発たくさん建ってたんだよ。

少なくともチェルノブイリ事故があったときに、選挙権があった大人たちは、

どうして止めてくれなかったんだろう?

ちなみにwikipediaによると斉藤和義さんは1966年生まれ。チェルノブイリの時には20才。

彼は本当に今まで、ずっと騙されていたんだって言うのだろうか?

私に選挙権が回ってきたときには手遅れな時期だったけど、それでも「騙された」なんて思えないけど。



父は団塊の世代よりも10は年上で、共産党員でも社会主義革命を目指した人でもない。赤旗は毛嫌いしていたのでたぶんそう。

でも、選挙のたびに必ず共産党の人に票を投じていた。

それについても「お父さん、日本共産主義国になればいいと思っているの?」と聞いたことがある。

共産党に票を入れるのが、今に問題があるということの意思表示からだ」

「お父さん、白票とか選挙ボイコットとかじゃだめなの?共産党ってなんか恥ずかしくない?」

白票選挙に行かないと、意思は示せないのが今の法律から、行くんだよ」

私はノンポリを気取っていたけれど、何回かの選挙では「反対票」を入れてきた。まぁ効果はなかったけどね。

私は、大人として何をすればいいかなぁ、と思いを巡らせていた。3日間。

少なくとも急ごしらえの反原発ソングを歌うことや、学生ノリのデモに参加することや、

twitterで「石原に入れないようにしようぜ!」ってつぶやくことじゃ、なさそうだ。

とりあえず明日選挙に行って、正当に数えてもらえる票を入れてくること。

そのあとは、名残の桜を見にいく。

2011-04-09

日本復興への課題3/3

http://anond.hatelabo.jp/20110409170039からの続き)

安心と不安
情報統制という妄想

上杉や広瀬は、政府東電対応についてこうも批判している。

事故発生当初から「東電は事故に関して隠している、嘘を言っている」、「政府は騙されている。メディア記者クラブは、東電が最大の広告主、クライアントだから遠慮して言えないのではないか」と、自分の出演しているメディアラジオ番組で言い続けていました

いま再び、70年前(太平洋戦争末期)の大本営発表と同じことが、起こっているんだなと思います歴史教科書をみて「こんなことがあるわけないだろう」と思っていたことが、実際に、目の前で起こったことに、びっくりしています。まさか自分がそんなことの当事者になるとは思わなかったので(苦笑)。

日本人は小さい頃から新聞テレビは正しい。雑誌インターネットは嘘ばかりだ。と思い込まされているんですよ。ただ、新聞テレビ情報は、政府の発表を記者クラブとしてそのまま報じる。彼らが独自に取材した情報と内容が違っていたとしても政府の発表を採用する。だから新聞テレビは正しいと思っている国民は常にその情報を信じるから、今回も同様の洗脳が起こっている。ただ、これまでとちょっと違うのは、若い人たちを中心にインターネットを通じて「あれ、何か違うんじゃないか?」とわかって来ていること。私のツイッタータイムラインも今朝ぐらいから「新聞テレビの言っていることと事実が違うぞ!」と結構大変なことになっています。まるで、エジプトとかチュニジアたいに。明らかにそこが変化して来ていますね。

大本営発表の再来という誇大妄想と、自分が時代を動かすんだという自己陶酔で完全に正気を失っている。

だが、科学誌『Nature』は上杉などと全く逆の見解を示している。

JS: 〔…〕私としては、現在データの量と質は、満足できるものだと思います。でも、ご質問のとおり、計測方法なんかの情報が抜けてたりして、データ解釈かしずらいのは事実です。これは、ひょっとしたら、翻訳の問題なのかもしれません。もしかしたら、日本語データレポートは、もっと関連情報がしっかり網羅されてるのかもしれません。

JS: 私もGeoffと同感です。難しい状況を鑑みても、日本側のデータ収拾の努力を批判するのはどうかと思います

GB: 私がひとつ言いたいのは、報道側がこの危機をどう報道していったかは、結構問題だったと思います報道は、最大値ばっかりをレポートする傾向にあります。とくに、放射能汚染の場合は、最大値じゃなくて、ある一定の時間内での積算値が問題なわけで、最大値は、それだけじゃ、あんまり関係ないわけです。実際、低レベル放射線長期間続くほうが、ほんの瞬間の最大値よりもあぶなかったりするわけで。

すでに紹介した早野龍五と辰巳創一も、これを支持している。

また、辰巳はこうも呟く。

さきほどのツイートに関連して,こうした抑制的,かつ整理された情報発信を日本の信頼出来る科学コミュニティーから出来なかったことは,今回の本当に大きな反省点だと思う.少しこんな話をするのは早いけど,望まぬ”次”が来た時,きちんと役割を果たせる体制を作ることは我々の世代の使命だと思う.

門外漢ながらこれには同感。今回の震災で、日本の学会学会誌は何とも頼りない。下手に東電を擁護しようものなら石を投げられそうな現状には同情するが、それでもバカなマスメディアとバカなネットユーザーに好き勝手させず、学会や有志が連名で声明を出すくらいのことはして欲しい。

煽られる不安

TBSの松原耕二は、震災発生当日から報道特番で「政府不都合な真実を隠しているんじゃないでしょうか」と明言し、「「念のための避難命令」という政府の説明はどうも納得できませんね」と連呼していた。

僕らは不安であっていいんだ。それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめいでいる。その不安は僕らのものだ。警報を切ってはいけない。

不安を増幅してはいけない、というのは、政府既存権力が望むことだ。なぜなら、不安は人々を駆り立て、秩序を破壊することがある。けれども、今、政府が恐れていることは、人々がどこかに殺到して怪我人や死者が出ることではない。暴動が起きることでもない。そうではなくて、原発政策が根本的に覆されることだ。今すぐ原発を止めろ、という人が増殖することだ。彼らは事故に寝るヒマもなく対応しながらも、今もそこを必死に守ろうとしている。

不安を煽るということを許さない自警的感情は、すぐに不安であることを許さない、という事態につながっていく。しかし、全員の心をそのように一つに塗り込めていくことは危険である不安は自然であり、この危機に不安を持たないことは不自然である不安はない、ということを強制すれば、その感情はいずれなんらかの形で暴発する。あるいは一人一人の心がこわれ、あるいは集団的な行動を誘発する。

どこかの気持ち悪い物書きの文章。

風評被害」というのは「悪いことでも異常なこともなく」、情報不足した時に起こる「正常な人間社会活動」ということです。だから、風評被害をなくすには、一にも二人も人間自分を守りたいという本能に適した「正確な情報を提供する」ということなです

中部大の気持ち悪い教授の文章。

最近、このような主張が散見される。その理由はきっとこうだ。「政府東電原発行政を守るために偽りの安全を強調するに決まっている。だから安全だと強調されればされるほど不安になるのは当然だ」と。

では、何故不安を煽ってはいけないのか。それは、人は不安になると冷静な判断ができなくなり、誤った衝動に駆られるからだ。注意を促すことはよいが、不安を煽ることは絶対にすべきでない。

また、正確かつ十分な情報を人は必ず判断できる、ということもまた大いなる幻想だ。「自分が安心できないのは政府東電からの情報が不十分だからだ。何故そうだと分かるかと言うと、それは自分不安いるからだ。自分不安でいる理由は、それ以外に考えられない」。このような自己欺瞞責任転嫁はもう止めてもらいたい

群衆の行動や心理について詳しい新潟青陵大大学院の碓井真史教授社会心理学)は「現在自分が普段と違う心理状態だと自覚する必要がある。一部の極端な行動で多くの人が脅かされる。そういうことを皆が理解し、協力しようとすれば、パニックは避けられる」とアドバイスする。

「落ち着いてください」「安心してください」と言われれば言われるほど落ち着かず不安になるのは、政府東電が悪いのでない。それはそうなる人の心理が異常を来たしているのだ。「情報や説明が不十分不正確だ」と思うのは、ただそう思い込んでいるからではないだろうか。

東電魔女狩り

人災論批判

東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスク考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す。

震災の発生以後、殊に原発事故の発生以後、「1000年に1度の大地震を想定していなかったのは怠慢だ」「これは天災でなく人災だ」という声がよく聞かれる。こういった東電非難の意見が、私にはよく分からない。

もし国や地方自治体東電以外の企業などがすべて1000年に1度の大地震を想定していたのならば、今回の原発事故は人災と言ってよい。だが、そんなものを想定していた団体はどこにも見当たらない。東電だけを非難するのは全く不公平だろう。

仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生アパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。

仙台への大津波を警告していた郷土史家もいたが、その本人のアパートでさえ津波で甚大な被害を受けるほどの、つまり想定以上の大津波だった。

WSJ:東電は甘かった?

米倉氏:甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電全然、甘くはない。

GB: 原発は、すべて、ある程度のリスクはこえられるように設計されてます。ここで留意しておきたいのは、福島原発は、設計段階で考えられていた最大の災害よりも何段階も上を行く大災害にみまわれたにもかかわらず、一応は、破壊されずに、まだ残っているわけです

今回の震災では、2万数千人が大津波の犠牲になった。筆舌に尽し難い被害だ。しかしこの被害について、「国や地方自治体が1000年に1度の大津波を想定し、沿岸から数km圏内の住民に立ち退きを命じていれば2万数千人は死なずに済んだ。だからこれは天災でなく人災だ」と非難する人は誰もいない。沿岸に原発は造っちゃいけないが人間は住まわせてもよい、などということにはならないだろう。

しかも今回の原発事故では、将来を悲観して自殺した農家を除いて、まだ誰も死んでいない。これは事実だ。まだ誰も死なせていない原発事故は2万数千人の津波被害と比べて軽微だ、などと言うつもりは毛頭ない。原発事故によって多くの福島県民の生活が破壊されたことも、また事実だ。しかし、東電のみを非難して国や地方自治体を非難しないのはどう考えても不公平だ。

「津波が想定を大きく超えた」という。早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。天災が暴いた人災である

東電に「地球や自然への畏敬(いけい)が足り」なかったのであれば、庁舎ごと津波に飲み込まれた南三陸町なども同然なのではないか

ここぞとばかりに反原発を唱えてる人へ

警鐘を鳴らしていた(キリッとか知った事言ってるけど

今回の津波は日本最高新記録なんだけど予想できたの?

あ、予想してた?

こんな津波来るって予想できたなら

先に堤防が無い町に警鐘を鳴らしてやってくれ

放射能汚染は元に戻るまで長い年月が掛かるから次元が違う、という意見もあるかも知れない。しかしそれだったら、犠牲者の埋葬は1年も掛からないから大したことはない、ということにならないか。死者はもう二度と元には戻らない。

そして、妻は自分にいい聞かせるように、こういった。「これは天災だからね。天災に勝てる者はいないよ」

ただし、「私は東電を許します」という発言は記事に見られないので、そこは印象操作かも知れない。

東電への迫害

上記のような東電非難を口にする人は、そもそも原発が嫌いな人が少なくない。また原発いでなくとも、こういった大災害では誰もが怒りや悲しみの捌け口を求める。東電は格好の悪玉候補だった。しか理不尽不公平な非難は決してよい結果を生まない。

原発事故処理最前線は如何に苛酷な環境かが報道されても、聞かれるのは「やっぱり東電は酷い企業だ」「国はちゃんと東電監督しろ」といった非難ばかり。「現場作業員のために、みんなで食料や寝袋を送ろう」なんて応援活動は全く聞こえてこない。

激励慰問の手紙を送ったアメリカ小学生の方が、人としてよほど真っ当だと思うのは私だけだろうか。

危険な状態が続く東京電力福島第一原子力発電所国民不安といらだちが募る中、東電社員への苦情や脅迫嫌がらせが目立ち始めた。東電社員の安全を守るため、社員寮の表札から社名を消した警視庁も警戒を強める。

護憲反核薬害問題に対する活動をしている女性・星アカリさんが、インターネットコミュニケーションサイトTwitterで「東京電力社員子供を全員がボイコットしなさい」などの発言をし、インターネット上で炎上状態となっている。

社員やその家族が身の危険を感じるほどの東電叩き。なのに流石は糞っ垂れのガジェット通信

果たして現在国民政府東電を正しく冷静に評価することが出来ているだろうか。

今、国民がすべきこと

冷酷な減点法からの脱却

こうした政府対応について、災害時の心理に詳しい広瀬弘忠東京女子大教授災害リスク心理学)は、「パニックを恐れて、余計な情報は出さないという心理が透けてみえる」と話した避難指示の範囲が拡大された理由の説明も遅れた。広瀬氏は「わかること、わからないことをはっきりさせて、説明するのが危機管理の基本だ。大変なことが起きているのは、すでに皆がわかっている。私たちのリスク観はもっと成熟しているのにバカにしている」と批判した

週刊現代も同様のバカ記事を書いている。

政府東電対応情報公開に問題があることは事実だ。これらの記事は、不適切な対応情報公開はすべて故意や怠慢によるものだと決め付けている。だが、このような冷酷な減点法こそが不適切だろう。

1000年に1度の大震災が発生した時点で、すでに満点の対応を期待することは出来なくなった。譬えるなら、100点満点のテストマイナス数十点のハンデ付きで受験するようなものだ。政府東電さえしっかりしていれば何も問題は起こらなかった、などという仮定は成立しない。

しかも、政府東電もまた被災者だ。負傷者がより深刻な負傷者を手当てしているようなものなのだから、対応に不備があったからと言って叱責するのは余りに冷酷で不当だ。

原発内にいる人達は、みんな命懸けです。きっと、報道されてること以上にやってることもあると思うし、報道されてほしいことが報道されてなくてってこともあると思う。私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない。誰も悪くないんだよって思う。色々な批判や、文句がある。でも今も寝ずに国民の安全の為に、一生懸命原発内で戦ってる東電作業員がいることを忘れないでほしいと思います

WSJ:当局への不信が国民にみられる。東電責任問題情報公開問題はどうか?

米倉氏:一生懸命やっている。考えられていないが、東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている。

これらを関係者による身内贔屓などと切り捨てるべきでない。

GB: 〔…〕あと、付け足しておきたいのは、今の状況は、計測するにしても、かなり難しい状態だ、ということです。日本側の行っている計測やサンプリングいちゃもんつけるのは簡単なことですし、まあ、そうやって、批判的に事態を見つめていくことも、大切だと思います。でも、特に震災の直後は、計測用の計器もままならなかったし、交通網もやられて、原発の周辺へ近づくことも、簡単ではなかったんです

政府東電とも一つに

震災以前において、菅政権を信頼することは明らかに狂気の沙汰だった。それは同意しよう。私も数年前から一貫して、民主党などに投票するのは狂気の沙汰だと考えてきた。しか震災以後、政府はかなりよくやっている。完璧ではないが、それでも国民から糾弾されるべきほどには酷くはない。

サッカー試合で観客がすべきことは、「ドリブルで繋げ」「ディフェンスを上げろ」などと指示を飛ばすことでない。そんなことをしても大歓声で掻き消されてしまい、監督選手たちの耳には届かない。たとえ届いたとしても、観客一人ひとりの指示に従っていたら試合を戦うことは出来なくなる。また、味方の監督選手たちにブーイングを飛ばすことはもっと間違っている。もし味方のチームに勝って欲しいなら、観客は声援を送るべきだ。それが選手たちの士気を高め、勝利を引き寄せることになる。

現在の日本には、政権交代どころか、与野党国会で議論している余裕すらない。国民はもっと政府を信頼すべきだ。政府東電を信頼し、激励し、慰藉すべきだ。それが問題解決の何よりの手助けとなるだろう。

また、マスメディアは徒に政府への不信や不満を煽ってはならない。政府東電の説明に不十分なところがあれば、その意を酌んで誤解のないよう報道しなければならない。政府東電を叩いて足れりとするような報道は厳に慎むべきだ。

政府は日本の政府であり、東電は日本の電力企業だ。日本が一つになって頑張るために、今は政府東電とも一つになって頑張ることが求められている。文句があるなら試合が終わってから伝えればいい。

2011-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20110407204540

支払いボイコットとか、計画停電に対する集団訴訟とか、本当にやろうと思えばいろいろやり方はあるわな

2011-03-20

被災者の心の傷忘れずに

 読売巨人軍など主催セ・リーグが、29日に開かれる。NPB加藤良三コミッショナーは「今年の公式戦は全試合被災地被災者へのチャリティー試合とする。」と表明したしかし、東日本巨大地震犠牲者の全体数さえまだわからないこの時期に、セ・リーグを開幕しければならない理由はあるのか、疑問だ。

 コミッショナーは「『野球』を通して被災地被災者はもちろん、日本に、世界に元気を与えることが仕事であり、責務であり、使命でもあると考え、『前に進む』決断をいたしました」と説明する。

 試合収入を少しでも多く集め、カネを儲けたいとの気持ちはわかる。しかし、興業が主眼で、エンターテイメント要素があるプロ野球は、今開くべきかどうか。

 スポーツ界では、Jリーグが公式戦全試合の月内中止を決め、同じ20日開催予定の板橋Cityマラソン東京都)と全日本実業団ハーフマラソン山口県)も中止された。予定通りの開催を決めた大会もあるが、一般のイベントにも自粛が広がっている。

 フジテレビが行ったアンケートではセ・リーグの開幕延期を求める意見が93%。選手会ではボイコットストライキを求める声が、相次いでいるという。

 いつからなら開催OKという答えはない。しかし、少なくとも29日ではないと思う。義援金集めが目的なら、もっと効果的な方法があるはずだ。被災者の心の傷は、遠く離れた東京に住む私たち都民想像をはるかに超えているだろう。主催者や参加する選手にはそれを忘れてほしくない。

2011-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20110307212946

そんなに攻撃的なものでもない、せいぜい名誉毀損の証拠保全だろ。

2ちゃんねらーのスニーキングたいに言うのは失礼じゃないか

マックス名誉毀損が認められて謝罪が命じられる程度のものだ。

絶望しなきゃいけないほどひどい仕打ちでもないだろ。

むしろ訴えてもらって名誉毀損の話を終わらせた方がマシな状況になってる。

PV集める手法とかをネタ投稿執拗に攻撃されてることのほうが彼等的には余程痛そうだが

ボイコットがどうとかはともかく、電凸とかやりそうな奴がたくさんいるからな。

2011-02-11

東大生になったら受けたい、たったひとつ講義

東京大学ご入学、おめでとう。

これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフエンジョイしよう。

それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。

どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから

それでも、大学人になるにあたって、大学空気に慣れることも必要なように感じる。

その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官講義おすすめする。

東大先生はないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である

ひたすら高圧的で、何をやっているのかわからないメディアミックスな授業

まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である

彼の専門領域である臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。

でも、授業内容ははっきりいって意味不明である

高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。

帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。

かと思ったら、突然ハイデガーとか哲学者の話をし始める。

最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。

それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。

そしてこれらは、基本的に教官意図強要される。教官意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である

自分意見をぶつけることができる自由さ

しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。

「授業のボイコット」と「期末テストである

教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなかった人用』の2種類を用意する」と。

つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである

その代わり、「受講者のターン」である期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である

テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである

大学という組織の成り立ちを垣間見る

授業に出なくてもよいという教官スタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いま大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。

大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。

大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。

しかしそうではない。大学の授業(講義ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。

楽しい大学生活を。

東大生になったら受けたい、たったひとつ講義

東京大学ご入学、おめでとう。

これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフエンジョイしよう。

それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。

どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから

それでも、大学人になるにあたって、大学空気に慣れなけれないけないように感じる。

その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官講義おすすめする。

東大先生はないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である

まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である

彼の専門領域である臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。

でも、授業内容ははっきりいって意味不明である

高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。

帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。

かと思ったら、突然ハイデガーとか哲学者の話をし始める。

最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。

それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。

そしてこれらは、基本的に教官意図強要される。教官意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である

しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。

「授業のボイコット」と「期末テストである

教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなった人用』の2種類を用意する」と。

つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである

その代わり、「受講者のターン」である期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である

テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである

授業に出なくてもよいという教官スタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いま大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。

大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。

大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。

しかしそうではない。大学の授業(講義ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。

楽しい大学生活を。

2010-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20101214172128

直前になって大手がボイコットすれば

そういう事にもなろうけれど、

こう早々とボイコットしたら、

大手のついでに中小見ようってのが多いのに

煽りを食うのは目に見えているじゃないか

大手よりも中小のほうがアピールしたいのは当然だが

中小だけじゃアピール力が足りないから、

あいう大きなイベントに仕立てているんだぞ。

日本の大手ばかりがアニメをやってるわけじゃない

だとしても、出版社ボイコットどころか

自分の所の作品出すな、って圧力かけてるんだから

中小は嫌でも煽りを食うじゃん。

そこを忘れてない?

勿論、横増田海外出展枠の振興を中心に考えているなら何だけど

まあ、ぶっちゃけ大手がこんな無責任な事しでかすなら(都知事レベルに合わせたとしても、だ)

アニメ産業海外に移したほうがいいって事かもしんないな

まあ、大手は大騒ぎした挙句なぁなぁで参加するよ。

間違いない。

大手がボイコットしても東京国際アニメフェアには問題ないだろう

菅総理が国際アニメフェアが東京で開催できない事態にならないよう、関係者努力して欲しいと発言しているけど、

俺は大手出版社ボイコットしても開催には支障は出ないと思う。

 

だって日本の大手ばかりがアニメをやってるわけじゃないんだぜ!?

当然、中小や海外の(俺たちから見れば)マイナーな所がアピールする格好の機会となる。

逆にそういったところにとってはチャンスになるんじゃないのかな。

 

モスクワオリンピックの時に、西側諸国がボイコットして東側諸国がメダルを独占したことからも分かるだろ。

ソ連ダントツなのはともかく、次が東ドイツ、大きく離れてブルガリアキューバと続いたんだ。

 

ちなみに、ロサンゼルスオリンピックの時は1位はダントツアメリカ、次が東側でボイコットせずに参加したルーマニア西ドイツと続く。

 

まあ、アメリカ旧ソ連も国の規模が大きいかメダルの数が多いのは当たり前だが東西ドイツメダル獲得数が多い国だし。

 

いずれにせよ、大手が出展を取りやめるなら、残るマイナーなところが一層引き立つだろう。

そういったところにとっては、災い転じて福となすというわけだ。

何か腑に落ちないけど、そうなるだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20101214000350

少なくとも、TAFボイコットなどは

4:「石原むかつく」

に関連しているので、反対理由のひとつとしてあげるに相応しいかと。

別の言い方でも構いませんので、あれば追記します。

(「話し合いに応じない=反対」ですかね?)

東京都青少年の健全な育成に関する条例は、強化され続ける

なぜか。

仕事でやってるのと愚痴ってるのの差だからだ。

端的に言って、このツイートが全てを物語っている。

当たり前の話が当たり前に受け入れられない社会。/東なんとかがゴチャゴチャ言ってたが、感情的じゃない規制はとんとお目にかかったことがない。理由があってやるんじゃなく、やるから理由を作ってる。

http://twitter.com/mikemaneki/status/13114449837694977

とりたててこのツイートそのものに思うところがあるわけではない。ピックアップしたのは判りやすかったからだけだ。

規制反対派のつぶやきの大部分がこんな感じだからだ。

「東なんとか」

文脈から見て東 浩紀の事に間違いないだろう。

もうほとんどの規制反対派がこういうものいいをする。

通常、どんなに攻撃的に相手を批判するときでも、言い方ってモノがある。

いかにして性的な虚構表現が溢れる社会コントロールするのかを検討する事が重要だと言う意見もあるが(東 浩紀:http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385)、それは前提が誤っているし、その誤った前提に立ったとしても結論としては飛躍がある』

こういう言い方にお目にかかれない。

http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385で東なんとかがごちゃごちゃ言ってるが、そもそもコントロールする必要が無い。根拠がないんだし』

たいな言い方しか出来ていない。

正気か?

全否定するにもやり方があるし、モノの言い方がある。どこのどなた様なのですか。

すさまじく上からマジョリティを愚かだ、オマエラの懸念は杞憂だ、自由を圧殺する地獄へは善意で踏み固められるとか言い放って良いのは、夢見る中学生までだろう。

また、相手の懸念点が判った上で、提案をするのと、無視して言い放つのにはやはり差がある。

漫画であってもこれは子供に見せたくないから陳列制限して欲しいと言っているのを踏まえた上でも」という展開をすることが異様に少ない。

漫画表現が悪影響を与えるという根拠もなく、感情的に』とか『この条例を元に販売規制流通規制の強化に』とかそういうのばっかり。

おまえらマイノリティの自覚はないのか。

世の中が間違ってるんじゃない。マジョリティ意見が世の中を作るんだ。

生きにくい世の中なんじゃない。マイノリティ生き方が否定されてんだ。

ブッダの隣に田中圭一が置いてある状況をどうにかせい」

アフタヌーンの隣にチャンピオンREDいちごが置いてあるのはマズくないのか?」

そういった意見を華麗に無視して、自分の言いたいこと言っても誰も聞いてはくれなかろう。

マジョリティ意見が世の中を作ってるんだから、彼らに変わってもらわなければ何も進まない。

そういった意味で「エロ漫画規制してやる!」という信念のボスに従い、(お金をもらって)条例を納得してもらえる形に変更してなんども提出する都庁の職員と、

「世の中が間違っている!馬鹿だオマエラは!表現の自由規制される!」とか言ってる有象無象では、はじめから勝負になっていない。

ガキがエロ本読める状況でしか糊口をしのげない漫画家は、本来駄目なのに生き残ってるだけだとなぜ考えられないのか。

条例の何が問題で、どう穴があって、推進派の規制は単なる杞憂に過ぎない理由はこれこれだとアピールする機会をボイコットする出版社に快哉を叫ぶとか、

本当に正気なのか?

表現し続けて裁判にしようとか、条例の穴を見つけてエロ描いてやろうとか、冗談にしても質が悪すぎる。

どう考えても逆だろう。

明らかに抵触するが、子供に良い影響を与えるような感動的な漫画を描いて後悔させてやる!とかなぜ言えないのか。

子供エロ漫画を販売させない・触れさせない為に、大きな犠牲を払うことになるのだ、それは良くないことなのだとなぜ説得できないのか。

犯罪行為を漫画に描いて、それを賛美することでしか表現できないことがあるのだと、なぜ主張できないのか。

子供の為には大人が我慢するのが当然だ、区分陳列だから売ろうと思えば売れるだろうと言い放った相手に

何が問題で、どう問題で、どう変更すれば区分陳列として妥当なのか対案が出せないのであれば、

(もしくは、その区分陳列は実質的表現規制なので表現の自由を侵すと主張するならば)

相手の懸念が杞憂に過ぎないと説得するか

相手の懸念を払拭しつつも販売できる方法を提案するか

相手の懸念を解消するために犠牲となる代償が余りにも大きいと納得させるか、いずれかが必須だろう。

だって少数派なのだから。(多数派なら何もしなくても勝手に否決され続ける)

相手の意見を無視して老害と吐き捨てるのも、そうやって自由が亡くなるのに喜ぶとは幸せだなと皮肉るのも、まともな大人のすることじゃないだろう。

そう思える大人が反対派に増えない限り、仕事として大人な対応をし続ける規制派が勝利を収め続けるだろう。

今回は始まりに過ぎない。

子供っぽい反抗を続ければ、さらに自らの首を絞め続けることになる。

ピーター・パンがなぜネバーランドしか生活できないのか、今一度よく考えるべきだ。

2010-12-13

条例の件

行き過ぎた描写のものが誰でも手に取れるような環境が、まともかまともじゃないかと言えばまともだとは言えない。

(販売規制っていったって厳密には行えないのが現実だろ)

から、ある程度の規制をかけることはしかたのないことだと思う。

ただ、

今の政治家有識者にその視点があるかどうかで考えると、、、

無いよなw

利権と思い込みだけで動いてる。

そこが問題。

如何様にも規制できるもんな。

自分に都合のいいように。

大手出版社来年春のアニメフェアに参加ボイコットするようだが、これが本当に行われるかどうかが鍵か?

都議会民主党馬鹿だよな、ここで反対に回っておけば来年統一地方選挙勝てるのによ。

民主党本部からの圧力なのかな?

いずれにせよ、表現規制よりも『販売規制強化』『情報判断能力を身につけさせる教育』の方がプライオリティが高いと思うけどな。

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