はてなキーワード: エッセイとは
※ネタバレ注意
ナラクノアドゥ:前回、黒幕っぽい存在がちょっと姿を現して事の成行きに干渉したら消え、主人公も「ちょっと眠りにつく」とか言って姿を消し、「数年後」なんて年代ジャンプまでしたから打ちきりかと思ってヒヤヒヤしてた。無事これからも続くようでなにより。疑似○○とか今後どうなるのか楽しみ。
メイドインアビス:物語が大きく動く。人が踏み込めない領域なのにやたらと人間社会っぽい街の様子の描写にいい加減辟易してたところに、いろんな要素が一気に出てきた。住民の要求に対して決断する主人公にそれを押しとどめる別住民、住民が互いの意思を持って動いているところがただの不思議ワールドじゃなくて、生き生きと感じられていい。主人公の観察眼。そして住民の新たな形態。次回が気になる。
王様ランキング:ここで主人公が生きていると宣言する理由は?というかどうやってその事実を知った?この作品、登場人物の一人一人に意思があって、最近は転生者(?)と鏡の人間(?)が何を思って行動しているのか、気になる。説明が下手な作品は、登場人物の行動に対して「は?意味不明。訳分からん。付いていけない。もう読むの止める」となってしまうが、この作品は「おお、なんでこうなるんだ?」と思わせてくれる、引き込まれる魅力がある。
某エッセイ漫画:本筋とは全然関係ないが、カブに手足を付けて擬人化したキャラクターのデザインが・・・その突起は元々はカブの根であることは分かってる。分かっているけど、足を付けたせいで、足の間に突起があるというデザインになったわけで・・・どう見てもアレ・・・編集は指摘しなかったのか、それとも自分の心が汚れているのだろうか。
https://srdk.rakuten.jp/entry/2018/05/16/110000
に触発されて。
幼少期の読書体験って、まあまあその後の人生に影響与えると思うんですよ。おかげさまでまあまあ本も読むし、公式な趣味は読書、と言っていい感じ(増田やら提督業やらとはいいにくいからね)です。SFもつまみ食い程度には読みます。
あとはファミコン&マンガ禁止ってのはでかかったと思うが、後者はなし崩しになりました。ジャンプ黄金期に追走できなかった嫌いはありますが。しかし、いまだにこの方針をぶち上げた我が母が、何だってこんなもん買い与えた謎な本がある。たぶんこれ以外もあるだろうけど、まあパッと思いつける範囲で3冊。
これで人生が変わったような、変わらなかったような。
初っ端からこれだよ。このタイトルで絵本というのが意味が解らない。読み聞かせなんてぇ物があったかは覚えていないが、これはそういう絵本じゃないだろう。買ってもらった記憶は当然ないが、いつの間にかあった。ミイラの呪いか。
更に言えば、内容はリアルガチだ。古代エジプト人の死生観・宗教観に始まって、話はミイラづくりに至る。死んだファラオの鼻の穴にカギを突っ込んで脳みそを引きずり出す、なんてぇ描写もちゃんとある。絵のおかげでそうグロくはない。むしろ「墓をちょっと良くしたら死体が腐って困るようになった」という逸話のダメになった白骨さんが怖かった。あと脳みそ引きずり出し職人も怖いっちゃ怖い。もっとも、こいつらのせいで、長らく脳みそはしわのところからほどけてうどん的なヒモ状になると信じていたのであるが、それはまた別の話だ。
エジプト旅行に行く時の入門書にぴったり。後年、本当にわが母とエジプト旅行(父は流石に第三世界に女一人で出すのは気が引けたらしく荷物持ち)に行くことになるのだが、それは10年近く後の話なのである。当時から行きたかったのかな・・・??
正確には「与え給いし」ではなく、その辺に置いてあっただけなのだが・・・。家にあった子供読み物が終わった後に、その辺に転がってるからと言って読みだしたのがこれ。高学年とはいえ消防にゃ早すぎるんではあるが、止めもしなかった。いいエッセイですよええ。このほかにもシリーズが何冊かあって、いずれも好きだったけど、なぜか巻が飛び飛びにしかなかった。これとこれもなぜか転がっていた「のらくろ少尉」「のらくろ決死隊長」のおかげで旧字体アレルギーが付かなかったのは幸運か。しかし、我が母、なぜ全巻頭から揃えようとしないのか謎。のらくろは何であったのかも謎で、カバーもないのでページをめくらない限り何の本かわからないという代物だった。どの版だったかも判然としない。今調べりゃいいんだけど。
まあとにかく、こっちの方から昭和戦後エッセイ方面(マンボウ・狐狸庵等あだ名つけるシリーズ。村上朝日堂あたりまでがその範疇とにらんでいる)の攻略に乗り出すのである。ただしこれは血のなせる業か、マンボウ読んでも狐狸庵未読、みたいなずさんな揃え方をするのである。
ある年の誕生日プレゼントの一冊。中学生入ったかも。ちょっと記憶があいまいで、「わしらは怪しい探検隊」(外で焚火をするのも好きなんです、今もって)を読んでいたので、それで適当に作者買いしたのかもしれないが、こっちが先だったのかもしれない。後者ならなんでこんなもんを、との思いが強くなるし、前者だとしてもあんまりだ。内容はというと、やや病的(当時椎名は鬱病だったはずである)な男が新宿から帰宅する間に抱える妄想を含めてダダ流ししてある、という代物である。文体は後の椎名SFを読むときの抵抗を減らしたような気もする。これとお約束の星新一、さらに小学校にあった謎の子供用SFシリーズ(零戦の亡霊が復活して子供の教育を始めたり、ソ連!の科学者一家が火星に移住する話を憶えている)によって、SFつまみ食い癖が付いたようだ。
恋人は何人かいたことがあるが、性の良さを感じることがいまだに出来ていない。初めて性行為をしたのは18歳の時で、今や20代後半になったが、ずっと変わらない。
少なくともそこに、気持ちいい、繰り返し行いたいというのは一切ない。自慰行為を試してみても恋人との性行為をしてみても、あー触られてんな―という感覚や、くすぐったい、異物感以上のものを感じない。会うたびに体を求められるのが億劫で、嫌がっていたりはぐらかしていたりするうちに関係が悪くなってしまい、別れてしまうというパターンは、何度も繰り返した。
今となっては嫌な点は薄まってはいるけど、良い点が見いだせないので、自分から性について積極的になる動機はない。はじめのうちは胸や性器を見られる・触られることに嫌悪感があったが、回数を重ねていくうちにこれは薄れた。応じると彼氏が喜んでくれて嬉しい、恋人同士ならば普通はするのだからそれができないのは申し訳ない、などの思いはあるが、自分自身が精神的・肉体的な良さを感じたことは一度もない。
もし明日から一生性行為ができませんとなったとしても、子供はいつかほしいという思いがある点を除けば、自分の気持ち的には何も困らない。カテゴリー的には校長先生の長話のような感覚で、どうやら謎の理由で必要とされている行為のようだが、私としては興味関心が見いだせないし、退屈だし、できれば私を巻き込まずに可及的速やかにことを済まして欲しい。
そしてこれらが、女性の性に対する一般的な感覚なのだと思っていた。AV女優という言葉についている「女優」は、性行為で快感を得ている女性という男性向けの実在しないファンタジーを演じているからこその「女優」なのだと解釈していた。エロ漫画とかもそうで、とにかく誇張されているのだと思っていた。だが、どうやら違うらしい。
性行為に良さを感じている女性というのは、どうも実在するようだ。思い出してみればたしかにHして気持ちよかったという話は知人友人から何度も聞いていたし、雑誌なんかでも見ていたが、自分の体感からするとあまりにも理解が及ばないために情報として脳に定着していなかったのだと思う。
さらに聞くところによると、にわかには信じがたいが男性より女性の方が性行為の快感は大きいらしい。意味がわからない。いよいよ本格的に不思議になってきたので少し調べてみたが、二つの可能性に思い当たっている。
一つ目は、自分がノンセクシャルまたはAセクシャルの人間であるということだ。他人に対して恋愛感情はあるが性的欲求は抱かないのが前者で、どちらも抱かないのが後者だそうだ。恋愛感情があるのかと言われたら、実際のところこれについてもよくわかっていないので、どちらかとは言えない。
二つ目は、単純にやり込みが足りないのではないかということだ。その情報は、https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000035/ 性転換から知る保健体育 ~元男が男女の違いについて語る件~ という漫画にあった。
これは男性から女性に性転換した著者によるエッセイで、男性と女性両方の身体を体験したからこその視点がかなり興味深い。その8話では「では前置きはこれぐらいにして… 男と女のオーガズムどっちが気持ちいいかって…?そんなの圧倒的に女性の方が気持ちいいよ!!あれはダメだマジでヤバイ!!」と語られている。マジでヤバイことに、圧倒的に女性の方が気持ちいいらしい。しかも著者が著者だけに説得力がある。そしたら私は一体どういうことなんだということになるが、これについても納得のいく記述があった。
「(略)ドライオーガズムっていう前立腺を刺激する方法なんだけど 誰でも簡単にできるもんじゃないんだよねー 慣れが必要というか 神経の開発が必要なんですよ でもそれって女性も同じなんですよね 最初から誰でも膣で快感を得られる訳じゃないんだって思い知りました(女性の皆様すみませんでしたーー!!)」
とある。性行為で快感を得るためには、神経の開発が必要らしい。具体的にどのような訓練を積めば神経が開発されるのかまでは詳述されていなかったが、たぶんこういうことなのだろう。私は訓練をして神経を開発していないから快感を得られない、練習すればおそらく快感を得られる、快感が得られるのであれば自然と性行為に対するモチベーションも生まれる。
以上二つの可能性に思い当たっているが、特に何かが変わったわけではない。生活のなかに性を組み込みたいとはどうしても思えず、ことさらに自慰行為をしてみたわけでもないので当然だ。少なくとも以前よりは性に対する関心が増したというのはあるが、だからと言って、アプリやSNSで募集すれば、性の喜びを教えてくれる人が現れるものなのだろうか。ただやりたいだけの人と的確に神経を開発してくれる人とを見分ける手段もわからない。性の喜びを知れたらいいなとは思うようにはなったが、これは五千兆円欲しいなというのと同じぐらいの願いでしかない。実現に向けて具体的な道筋と行動を打ち出そうという気にはなっていない。結婚や出産を考えると、性をなるべく忌避していくよりは、前向きに対峙できた方が良いというのはもちろんわかっている。でもやっぱり、やろうと思う気にはなれない。私は、性の良さを感じられないアラサーのままだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180410-00000509-san-bus_all
車の話(どんな車欲しいの?みたいに前提が「車持ってないならこれから買うんだろ」みたいなやつ)を振られて
「いやーペーパーゴールドですよー」「車は全然わからなくて」って言っただけで
驚いたあとしつこく食い下がってきてしまいには不機嫌になるの。
問い詰められて「親もペーパーで車持ってなかったですよ」って言ったら
なんかすごい貧乏な家だったんだなみたいなことまで言い始めるのね。
「休日とかどうするんだ」って聞かれて「電車でどこでもいきましたよ」って言ったらまた「えーっ??」って。
それでまた押し問答になって、要するに「買えるけど別に買わない」っていう価値観を絶対に認めないの彼等。
砂漠の遊牧民と仲良くなったら「ところでお前はラクダは何頭持ってるんだ?」って探られて
「持ってないよ」って言ったらなんか凄く面倒なことになったと。
砂漠の遊牧民にとってラクダは必需品で、ライフラインで、ステータスやプライドの象徴でもあるわけ。
だから無いっていうと馬鹿にするかびっくりするかって反応になって、
話をしていくうちに「相手がマジでラクダに何の価値も認めてない」と気付いてきたら
それは自分の世界観やプライドそのものを否定することだみたいになってものすごくムキになると。
そんな感じのやりとり。
車の話で「持ってない奴は馬鹿」とか「買えないだけだろ」とか言う地方民てつまりこれでしょ。
車が必需品で、ライフラインで、挙句ステータスやプライドになってて。
持たないって価値観を認められずに驚いてしつこく絡むし、
他にも飲酒とかギャンブルとか女遊びで同じような感じに絡むおっさん居るけどさ。
そういうおっさんははてなでもちゃんと非難してたのに、車になるとまるっきり遊牧民化・老害おじさん化するのね。
なんかちょっと意外だった。
動物のお医者さんとかみかん絵日記とか須藤真澄作品とか、たかぎなおことか益田ミリとかのエッセイ漫画とか
こういうのばっかりまとめた漫画雑誌ないんだろうか
一般的な女性向け漫画は恋愛結婚関連が多すぎてそれに興味ない女にとれば面白くないし、男性誌は女性キャラの心理描写にズレを感じる事が多い
これ現代だからすごく悪人みたいに思えるだけで、日本でも明治~戦前とか閉鎖的な田舎じゃ貧困ゆえの殺人(子供の間引き)とか普通にあったし、実行者の多くも平然と世の中に溶け込んで生活してた。
坂口安吾のエッセイには自分の子供を殺した話を平然と書いてきた農民作家の話があるし、宮本常一編著の『日本残酷物語』じゃ人命尊重ヒューマニズム何それ系の実話(農村の水争いで死者多数、農村の落ち武者狩り、明治期のブラック企業の詐欺雇用実例集etcetc)が山ほどあるからな。
重要なのは、そういうことやってた奴も友人や家族の前じゃ普通に過ごせることだ。そら未開地域の首狩り族だって普通は身内は殺さん、戦争時もそう。
大学入学後、すぐに中島らもにハマった。本はほとんど読んだ。リーマン時代の話は何度読んでも面白い。
今はほとんど処分してしまったけど、最も心に残っているのは「労働とは人生のうちの3分の1を売って金をもらうこと」(大意)という考え方だった。
なるほど、売りたくないなと思って大学を辞め、芸術系の大学で2度目の入学式、はじめての卒業式を終えた。
文系大学院生という地獄の道を歩むことを自ら選択し、もう就職への道はほとんど消えてしまった。
社会不適合者としてはいい道を歩んでいると思う。もし研究者になれなければ野垂れ死ぬだけだ。
もともと真面目な性格ではなく、研究が楽しいという理由だけで大学院進学を決めたので、破綻の予感はある。
それでも、毎日のように死にたいと思う人生にはならなさそうだから、仮にダメでも納得はできる。
中島らもには感謝している。辛くなったらまたエッセイを読むよ。
■追記
ここのところ、書店で本や漫画を買っても、がっかりすることが多い。
ジュンク堂とか紀伊国屋とかにふらっと行って雑誌とか本とか漫画とかザーッて買ってくるのが好きなんだけど、最近「これは!この金額の価値アリ!!!」って本にあんまり出会ってない。
なんかさ、本高くない?
昔からこんな値段だったっけ?
紙が高くなったとか印刷代が、とか分かるんだけどさ、その値段の高まりに内容ついていってなくない?
選べば面白い本がある?
たしかに、それはそうだと思う
古典を読め?
ほんとにそうかな?
私がお小遣い月1000円の子どもや学生だったら、この何処かで見たものの焼増しのような漫画を500円も出して買うかな?
あと、最近装丁凝ってて800円とか1200円とかするやつ多くない?お金かけてほしいのはそこではないんだけど……。
私が一食500円で昼を済ますサラリーマンやOLだったら、この中身のない実録本買うかな?このググればいくらでも見つかりそうな内容が詰まった教養書買うかな?
私は別に裕福な人間ではないけど、年間20万円は本や漫画や雑誌に使う。でも、元が取れたなぁって思うものが本当に少ない。
ブログで有名な人。
この人たちの本を手に取る価値が本当にある?既にふぁぼやリツイやブクマを稼いでる内容を紙に印刷してどうするの?
もちろんネット使う人たちばかりではないから、紙になったものを読みたい人たちもいるよね。私も紙の方が好きだから分かるんだけども。でも多すぎない?玉石混交すぎる。
既に著名な人の新刊。
でも、つまらない、印刷したものを買う価値もないような、走り書きの内容も多い。
ていうかこの前の対談で/ブログで/テレビのインタビューでその話あった気がする。
同じ内容を何度も何度も使い回し繰り返し……。
最近わたしが本を買って、これはこの金額の方価値があった!!って感動したのは、同人誌と海外の写真集と、とある雑誌。
「こなくそ〜!好きなものが好きなの!」とか「これがマジでカッコいいんだよ!そうなの!」って主張が溢れてて、その好きなものを作るのに対して妥協してないものだったから、喜んでお金を払いたい、払ってよかった。私の家に置いておきたい!って思った。
全部が全部そのテンションで良いわけでもない。
でも、ねぇ、ちょっと。
つまらない本が多すぎませんか?
紙の本が大好きで衰退して欲しくないからあんまり下げたくないけど、
でもだからこそ、つまらない本が多すぎてガッカリしてる人・お金をかける価値を見出せず離れちゃう人も多いんじゃないかって思うんだよ。
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思いのほか反応をもらっていて驚きました。
自分がつけたタイトルと反しますが、本おもしろいじゃん!って意見も多くて嬉しくなりました。
おすすめの本とかありがとうございます!
いろいろな話が出ていましたが、私が読んでるのは漫画・小説・実録本(エッセイとかノンフィクション)・新書・実用書・雑誌・小説雑誌とかです。教養書はもう買わん。偏ってると言えば偏っているかもしれない。
あと、ブクマでもどなたかが言及してくださってて大感謝なんですが、ちゃんと言っておきます。池袋ジュンク堂さんには大変お世話になっているし、ここのレコメンド本はめちゃくちゃアタリが多いです。大学の時から通ってて、たくさんの良作にめぐり合わせていただいています。書店員さんの力を感じる商品内容と陳列です。大好きです。長い時は4時間くらいうろつくよ。
日本の秀才たちは、大学に進学して自分よりも優秀な人間に出会って、自信なくすっていうのをよく言ってる気がする。
でもそうじゃないだろと言いたい。
自分よりも優秀に見える人間は、自分よりも訓練を積んだ人間だ。訓練次第で人間は強くなれるはずなんだ。
MIT(だったはず)の卒業生がそんな内容のエッセイを書いていたはずで、それを紹介したいのだけど探しても見つけることができないので、誰か知ってる人がいたらリンク張ってくれませんか。
内容は、MITの寮で一緒になったやつがめちゃめちゃ頭よくて自分に絶望したけど、その彼に勉強を教えてもらって卒業できるようになった、卒業する頃には寮の仲間に勉強を教えるようになっていた、というような内容だったはず。
専攻は数学だったような気がする。
よろしくお願いします。
エッセイ漫画を趣味で書いてたある漫画家の連載が決まったのが数か月前。
漫画家が一番面白くないと思っていた作品が、編集や周りからも一番良いと評判だった。(と、エッセイ漫画に書いてあった)
そんなことがあってから、その漫画と漫画家のことをすっかり忘れて数カ月。
ブックマークの整理をしていたら、その漫画家と漫画のことを思い出した。
読んでみた。
正直、微妙。
エッセイ漫画の頃の過激な表現やギャグはすっかり鳴りをひそめ、
もしこれが3作品のサンプルとして出されていたら、自分は間違いなく最下位の判定をしていただろう。
でもこれで連載を続けられているということは、編集や読者に受け入れられているということ。
自分が面白くないと感じているものを世間が面白いと言っている。
自分が分からないのに、世間の評価に合わせなければならないという仕事。
考えただけで辛そうだ。
アイドルグループ「BiSH」所属のモモコグミカンパニー著の『目を合わせるということ』を読了した。以下簡潔に感想を。
文章レベルは「素人にしてはよく書けている」程度。だからこそ逆に驚いた。この文章はゴーストライターの手によるものじゃない。文章の特徴を箇条書きにしてみると、以下のようになる。
・時折入るら抜き言葉
・文末の表現が全体的にこなれていない(「ことだ」の繰り返しは避けたほうがいい)
著者は読書家を自称しているらしいが、そうとは思えない。しかし、編集と校正の手が入ってるとはいえ、読んでいて詰まる部分はない。読み進める内に文体がこなれていくのは流石だ。作者の知性の高さを感じさせる。この本は著者がアイドルデビューしてからの3年間を綴ったエッセイだが、本人の性格が文章内に如実に現れていて、とても面白く読めた。
自分が恵まれた環境で育ったことに自覚がない。同じような境遇に育った人間の間では自己をごまかしながら生きていくことができるが、近くにいればいるほど嫌われるタイプ。特に卑しい身分に生まれ育った人には蛇蝎のごとく嫌われる。著者に対して「お前のことは嫌いだった」とハッキリ言うメンバー氏は凄い。
本人にも自分の性格の欠点について自覚がある。人を遠ざけたり、自己嫌悪に陥ったりする。著者の母君も著者の将来に危惧を持つ。このタイプは嫌われる人には徹底的に嫌われるので、本人の高い能力は社会で(特に会社員として)活かすことはできないだろう。
だからこそオーディションで見出された。メンバー唯一のずぶの素人としてひな壇に立つことができた。
著者のパーソナリティは「アイドルらしさ」とはかけ離れている。著者の存在はBiSHというグループに刺激を与え続けている。本人に自覚はないかもしれないが、BiSHの飛躍の一因は著者にあるのは間違いないだろう。