はてなキーワード: 麻布とは
wakatte.TVというYoutubeチャンネルがある。 おれがもっとも好きなチャンネルだ。 Youtubeチャンネルはどれも面白くないが、 wakatte.TVだけは面白い。
wakatte.TVとはどんなチャンネルかというと、 街中で学歴を聞いて、それをバカにするチャンネルだ。 正確にいうと、 見知らぬ人に出身大学の偏差値を聞いて、 それを元にした企画をするチャンネルだ。
学歴ブラックジャック: 偏差値の10の桁を使ってブラックジャックをする
学歴ボーリング: ボーリングがよくわからないのでよくわからないが、偏差値でボーリングをする
学歴ゴルフ: 箱から質問を引いて、それにより学歴を当てる。3打でパー
天国と地獄ゲーム: 高校と大学の偏差値の落差の大きい方を引いた方が勝ち
学歴エンジェルフォール: 男と女の学歴差が出来るだけ大きいカップルを引いた方が勝ち
キャンパス調査: 地方大学に行ってその大学の人を低学歴やなーとバカにする。これは面白いので、もっと色々な大学に行ってほしい。灘と開成に行ったのだから麻布にも行ってくれ
説検証: 高学歴ほど童貞が多いとか、法政の人に第一志望はいないとか、ありそうな説を検証する
街中で学歴を聞いて、 京大中退の狂人高田ふーみんが「そんなFラン大学によう行けるな。恥ずかしくないのか」とバカにして、 早稲田出身のポンコツびーやまが「ヤメロオマエ」と突っ込むのがパターンだ。 このヤメロオマエはなかなか癖になるツッコミで、視聴者であるはずのおれも、 ヤメロオマエと突っ込むようになってきた。偏差値の高いツッコミだ。 中国でリンチされてた時に生まれていたら面白かった。
正直にいって趣味の悪い番組だと思う。 誰しもが自分が誇れる大学に行ってるわけではないのに、 なんや知らんメガネの曇ったデブにFランだ高卒だとバカにされ、 自分だけならばまだ良いかも知れないが、自分の彼氏や彼女の学歴をバカにされることもある。 ふーみんが今のいままで五体満足なのが信じられない番組だ。 ふつうは、手が出るところだろう。 しかし逆にいうと、学歴をバカにされて一緒にはははと笑っていられるような芯のない人間だから しょうもない大学に行ってるんだと言うことは出来るから、 もしかしてそういうことも見越して、意外に安全な企画になってるのかも知れない。
wakatte.TVのすごいところは何かというと、 偏差値という数値に対して、新しい見方を与えたという点だとおれは思う。 偏差値を他人と比較したことは誰でもあると思うが、まさか 10の桁を使って加算する人間が現れるとは思わなかった。 これを許すと、この汎用的なただの数値を利用して無限に企画を作ることが出来てしまう。 waktte.TVのコンセプトを考えた人間は天才的だ。
しかしおれは、偏差値に対して別の解釈を与えた人間をもう一人知っている。 ルシファーだ。 ルシファーは、偏差値を足し算するほど奇抜ではないが、 偏差値や学歴という概念を学校以外のものにも応用した偉人だ。 さきほどおれは、偏差値の高いツッコミだと言ったが、これもルシファーの手法を真似たにすぎない。 彼は他にも、料理に対して学歴を聞いたりすることもある。 共感覚というのがあるが、彼の場合は、あらゆるものが学歴に見えているのだろう。
もし、wakatte.TVとこのルシファーが共演することがあったら、相当面白いはずだ。 共演によって、偏差値に対して新しい解釈が生まれるかも知れない。ヤメロオマエ!
おれは今、こどおじをしている。 反ワク活動の結果社会から排斥されてしまい、 もう自活して生きることが経済的に不可能になったからだ。 しかしおれは反ワクを辞めない。 それがおれの生き方だからだ。
麻布高校の同級生が、40歳になったということで集まってパーティをするらしい。 食堂を貸し切って。 麻布高校の卒業生には強い母校愛がある。 みんなで思い出の校舎に集まって、今の状況を語り合うのはきっと素晴らしい日になるだろうと思うが、 おれは不参加に投票した。 第一に、おれは底辺の者でありこどおじであり、他のエリート同級生たちに合わせる顔がないから。 第二に、おれの反ワク活動をいじられる可能性があるから。また逆に、気を使わせたくもない。 第三に、ワクチニストが多すぎるから。
しかし、ふと考えると、もしかしたら今回会っておかないと もう一生会えなくなるやつもいるんじゃないかという気がしている。 一番大きなファクターはワクチンによるファだが、 仮にそれを抜きにして議論しても、 めちゃくちゃざっくりいうと、300人の同級生は統計的にいえばこれから1年に1人弱くらいの 勢いで死んでいく。
そもそも、統計的にいえばそもそも40歳になるまで生きられる確率すらたったの98%しかなく、 2%は死んでいる。300人の同級生でいえば6人は死んでいることになる。 とりわけ、麻布高校の出身者は知能が高い人間が多いから、おれのように社会に順応出来ず、 シャカハメされた結果自殺というパティーンや、 エリートサラリーマンになった結果ストレスで体を壊すとかも少なくないのではなかろうか。 おれが知らないだけで、死んだやつはいるかもしれない。
ワクチンに関しては、意外なことに打ってるやつが大半なのだが、 海外出張や海外での活動があるから打ったというケースがかなりある。 この点については、底辺の者で救われたと思う。 日本に戻ってくるためには3回接種が必要だったから、 駐在エリートになんかになってたらワクチンして IgG4がハネて確定で免ファされてた。 ワクチンのことも考えると今後、麻布の同級生はこれからかなりの率で死んでいくのではないかと思い、 やはり参加しておくべきかとも思ったが、 頭の弱いやつに反ワクをいじられたら喧嘩になってしまうのでやっぱやめた。 おれは今日、ベンチプレス102.5kgを5回した。
ところで、最近は自殺のことをよく考えるようになった。 理由は、もうこの世界に興味がないからだ。 この世界のことはもうよくわかってしまった。 この世界で大事なことは2つある。 1つは、お金持ちの家に生まれることだ。 経済的な成功に限っていえば99パーセントは生まれで決まっていると思う。 日本は、その他大勢の人間にとっては共産主義に等しい。 もう1つは、IQ100に生まれることだ。 社会においては、大部分であることが正義になる。 そのことはワクチンでよくわかった。 ワクチンの正しさや誤りなど、誰も気にしていないのだ。 ワクチンをみんなで打つことがもっとも大事なのであって、 ワクチンの危険性を見抜いてしまうような賢い人間は 社会不適合と見なされてしまう。 とてもおかしなことだが、これは事実だ。
あまりに馬鹿馬鹿しく、生きる気がうせた。 おれがテレビを見たくない理由は、知的障害者を見たくないからだ。 醜くて頭が悪そうな顔を見ると、吐きそうになる。
子供でもいれば、子供が育つまでは泥水をすすってでも生きようとでも思うのかも知れないが、 おれには子供はいないし、今すぐに近くの森に行って首を吊ったとて、 親が悲しむくらいで、それ以上のことは何も起きない。
しかし、あと2年くらいは様子を見てみようかと思っている。 ワクチン薬害がゴリゴリにハネてきたからだ。 今日も村島未悠という若い女が、体調不良で当面休養というニュースがあった。 ワクチンだろう。スパイクタンパクはエストロゲン受容体を結合することがわかっている。 だから乳癌、子宮癌、白血病が増えているのだ。 女ホルがかなり高い女だから、きっとスパタンにファックされたのだろう。
こんなのもあった。よしよし。
間違いなくワクチン薬害は若年化してきており、今後数年で国民のかなりの数がファされる可能性は十分にある。 おれは、6000万人死亡を予想しているが、確度としては5割以上はある。 そうならないためには、免ファされた場合でも時間が経つと回復するという楽観的な仮説が成り立つことが必要なのだが、 今起こってることは明らかにそれを示していない。 むしろ、免ファは確実に進行している。
IQが80-120しかない知的障害者はワクチンの毒性を見抜けないから打つ。 裕福な家にたまたま生まれた人間やたまたま事業がハネて金持ちになっただけの人間は 自分のポジションを守るために必ず打つ。 だから、ワクチン薬害がハネれば、この国はおれにとってパラダイスみたいな国になる。 ワクチン頼むぞ!!!差せ!!!!!差せ!!!!!!
おれは、知的障害病の患者だ。高2の時に発症し、 それから今まで約20年間、ずっと苦しみ続けてきた。
知的障害病の主な症状は、その名のとおり、知能の低下だ。 またそれに付随して、精神状態の悪化、健康の悪化も引き起こす。 恐ろしい病気だ。 真の病名や治療法については、いつか話すことがあるかも知れないが、 約束は出来ない。
知能の低下についていうと、 まずIQを推定で50ほど下げる。 主に障害される能力は、ワーキングメモリーと単純記憶であり、 これは受験的な能力に直結する。 これがおれが大学受験と競技プログラミングで失敗した理由だ。 もちろん、精神と健康の悪化による影響も大きかった。
この病気になった時点で、東大受験は諦めざるを得なかった。 記憶力と計算力がなくなったからだ。 今思うと、 中学から好きでやってた英語は強かったので そこまで悲観することもなかったかも知れないが、 国語で明らかに不利になることを考えると、 断念せざるを得なかった。
おれにはもともと膨大なワーキングメモリがある。 最近では、これが算数のトレーニング法として認知されているようだが、 おれが中学受験の時にやっていたのは、問題を頭の中で解く遊びだ。 なぜこんなことをしていたかというと、囲碁や将棋では頭の中で考えるのに、 算数だけは紙に書いて考えるというのでは、 考えるの意味が矛盾すると考えていたからだ。 最後まで解法を読み切り、それから答案に着手する。 自分でどう考えたかもわからないほどに 一瞬で読み切った時には脳の中に電撃が走るような感覚があり、これが快感であったことを覚えている。
この状況で、 とにかく出来るだけ勉強せずに行ける大学といえば、 東工大か、あるいは京大くらいしかなかった。 それより下の大学に行くくらいならば、死んだ方がましだという考えだった。 韓国にはSKY or dieという考えがあるらしいが、 これを日本に言い換えると東京一工 or dieとなるだろう。 そういえば最近、アジアンドキュメンタリーというところが出してる 「SKYに届け!韓国受験戦争」という映画を見たが、かなり面白かった。 行ったことはないが、韓国は面白い国だと聞く。
ところで、人はなぜ、自身の不幸を感じるのだろう? 残念ながら、知的障害病のおれよりも頭が悪い人間は死ぬほどたくさんいるのだが、 なぜ、彼らは幸せそうなのだろうか? 思うに、人は自身の望まぬ人生を生きなければならないと感じた時、不幸になる。 彼らは生まれてからずっと馬鹿なので、今が馬鹿であっても不幸にならない。 一方でおれは、天才だったものが病気によって馬鹿になったので、不幸になる。 こういう理屈だろう。 この意味で、病気は確実に人を不幸にする。
絶望の中、人生を呪い、親を恨み、何度死のうと思ったことか。 しかし、将来的に治療法が見つかることを信じて、なんとか耐えてきた。 容姿が良い方のため、女性関係を持つこともいくらかはあった。 これには精神的に支えられたと思う。 女にはどうやら、男を支える効果がある。 逆も真なのだろうか。 うまく出来たものだ。
まぁなんとか命からがら京大に入ることは出来て、 その頃には、あるいは京都の気候が少し合ってたのかも知れないが、 多少は自身の病をコントロールする術を覚えた。
わかったことは、どうやらこの病には波があり、良い時もあれば悪い時もある。 自身のスケジュールを柔軟に管理し、 調子が良い時に集中して成果を出せば、 平均的には人並みにすることは出来る。 こういう考えで、今まで生きてきた。 独身や仕事のスタイル含め、おれが完全な自由を好むのは、 そもそもおれが麻布京大スーパーフリーダムガンダムであることも関係するが、 そうでないと自身の生活が破綻してしまうからというのも大きい。
こうした自分の考えもあり、 また相手側の考えもあっただろう。 結婚を逃してきた。
おれは、おれの人生をめちゃくちゃにしたこの病を治す必要がある。 もちろん、外科的手術には何度もトライした。 しかし、すべて失敗した。
明日、おれは最後の戦いに望む。 これで最後にしたいという思いがある。
自信はある。 医学のタイムスパンの中では 比較的新しめの理論に基づく手術であり、 2010年頃から臨床研究報告がいくつか出されているが、 これらのうちめぼしいものは大体目を通し、理屈に関しては大体理解した。 おそらく、ベクトルとしては正しいだろう。
外科手術というのは本当に恐ろしいものだ。 今回は相当な侵襲ダメージが見込まれ、動けない時期がしばらく続くはずだ。 筋トレなども、いつ再開出来るか見込みすら立たない。 手術自体も、事故は常に起こりうる。 静脈穿刺で神経を傷つけて手が麻痺したという事例もあったようだ。 また、全身麻酔中に死ぬこともある。 途中覚醒というのも起こり得る。 もちろん、手技自体にミスがあって後遺症が残ることもある。 ノーリスクの手術はあり得ない。 ブラックジャックですら、手術は賭けだと言っているのだ。
怖いが、やるしかない。やるか、死ぬか。 マックスか、死か。 この考えを持つことが重要だ。
手術は成功する。 おれは知的障害病を克服する。 そしたらやってみたいことがたくさんある。 自身の抑圧されていた頭脳を解放してチャレンジしたいこともある。
もちろん、結婚もしてみたい。 出来るだろうか。 とりあえず、今夜は子供の名前を考えながら 明日に備えてぐっすり眠ろうと思う。
大学生のインターンを騙してイベント運営して荒稼ぎしてる反社のフロント企業に籍をおいてたことあるけど
反社も当時はとにかく羽振りがよくて
給料は30万程度だったが取引先に打ち合わせに行くたびに上司がランチ代として10万くれたから手取りは80超えてて、一個千円の凝ったいなり寿司をおやつにパクパク食ってた
幹部が月イチくらいでガールズバーの女子大生を金で集めて乱交パーティー開いてた
近所のバーで芸能人が暴れたらしいって噂が流れたことがあったけど、ニュースみたら海老蔵で笑った
潰れそうな私大にうちの母体が金貸してたから、無理矢理ホームページリニューアルの案件をとりつけて
もともと俺の知らん言語で書かれてた大規模システムを適当にワードプレスで作り変えて学生を困らせた上に3000万ぼったくった
イベント会場で半グレと抗争になって、デカいハンマー持った半グレの構成員を上司がランドローバーで轢き飛ばした
土日もずっと仕事してて睡眠時間4時間くらいだったけど満足だったし楽しかった
今思うと感性ぶっ壊れてたな
普通のエンタメではまったく心が動かなくなって友達との付き合いも全部なくなった
その会社が解散したのと、結婚することになったので普通の企業に転職したが
それから3年くらいは久しぶりに異世界から帰ってきたみたいで日本社会に馴染めなかった
毎日ただ頼まれた仕事をこなして、効率の悪い業務も慣習だからと受け入れて
すごく少ないお金ですごくつまらないものを買って死なないように生きるだけの生活があまりにくだらないと感じた
でもアドレナリン漬けだった脳が回復して刺激を求めなくなるとこれでいいんだと思うようになった
金にならない趣味も本気で楽しめるようになった
少しずつ感性が周りの人間と合うようになって少ないながら友人も出来た
小池百合子知事が麻布十番駅を核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19
実は都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅は防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。
地下鉄の線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間が備蓄倉庫となっている。
更に鳥居坂のシンガポール大使館下に地下駐車場の入口があるのだが、
https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7
この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。
大江戸線は2000年に開通したが、90年代の麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたからなのだね。
土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。
シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルやツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールドが前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。
このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械が自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。
http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html
が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である。
沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターでグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。
それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事や下水管(雨水管)工事の現場でこういうデカいタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?
https://www.futamoto.com/product/ftu-d/
これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。
建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。
一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。
水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。
また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。
また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。
そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである。
この為に残土のトロッコやベルコンベアも必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。
しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから。
そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。
ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所が必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所がシールド基地となる事が多い。
因みに雨水管シールド工事での基地の役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである。
で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。
この辺の構造はみなとみらい線の元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネルの天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。
都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体は交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだが鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場と備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。
また、石原都知事は地下鉄開業後に自衛隊部隊を市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷へ防衛省が移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営の防災倉庫落成のデモの意味もあったのだ。
このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたものを核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。
更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃんと継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ。山手線2階建はどうなった?
就任当初に小池知事は廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校に転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事の独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物を秘書としていて音喜多ら都民ファ議員をパシリにしていて、その影響もあると思われる。
だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題が炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。
市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しかも結構な狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。
車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町駅から急坂を登らねばならない。
都市計画法と建築基準法に用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地に工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境や教育を保護するための規制だ。
だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者、工場労働者が居たら自動的に必須となるのである。
こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。
矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園が必要な場所ではない。
ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象で廃校されてしまった。
故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。
その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用の可能性は検討さえされていない。
こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ。
更に現知事の問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。
コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリにクラリオンの高額なアンプ、スピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。
大江戸線清澄白河駅も麻布十番と同じくコンコース上の空間が防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合はホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。
あと、東京都の防災倉庫に指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである。中央公園の新宿方広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工事基地となっていた。
その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。
だからこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…
江戸時代の古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。
エネオスのスタンドの斜向かいにマンシーズトウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルなディスコのマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこt
一の橋の交差点の五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。
これは、江戸時代の古川の改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり、一の橋からずーっと遡り、広尾の天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。
後にややこしいので川沿い広尾は近傍の地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。
六本木交差点のアマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電の線路だった。廃止されて道路になったもの。
で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止の六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線は新宿駅東口~東京タワー。
で、都バスは昭和40年(1965年)に車掌乗務から、ワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆どの車掌は退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。
この人達が最後まで残っていたのが新宿~東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである。
因みにこの路線は整理されて今では残っていない。
鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。
元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町+オサレな地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い。
都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番に南北線と大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番に鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。
先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから、麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのである。しかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である。
六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である。
ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビルも廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである。
実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQの財閥解体で解散させられたが六本木の不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである。港区にいる限り森ビルのブルドーザーから逃れられる者は居ないのである。核シェルターもいずれ森ビルのブルドーザーが…。
だからと言うわけでもないが
結果辞めてしまった
何ヶ所行ったかな、6箇所くらい?
酒は美味かったし雰囲気も良かった
ただそれだけだ
それらに対して数千円から1万円くらい出すかといえば微妙だったというだけ
どうにも引きが弱かった
おしゃれなカフェを巡るという趣味が自分に定着しなかったのと同様に、おしゃれなBARを巡る趣味は自分に定着しなかった
どちらも適してない
バーテンダーと話すのもいいけど、そもそもガルバもコンカフェも定着しなかった俺がバーテンダーとのトークにハマるわけはないんだ
久しぶりに食事でも行かないか。そう提案してきたのは向こうからだった。
あまり乗り気ではなかったが、なんでもご馳走してくれるそうだ。
こちらとしても久しぶりに会って昔話に花を咲かせるのも悪くない。
そう思い、提案に乗ることにした。場所は麻布の高級レストラン。
入り口にはボーイが立ち、俺が話しかけるとギョッとした表情を見せたものの、増田のことを告げると笑みを戻して頷いた。
中へと通されると式場のようなテーブルが並び、蠟燭の柔らかい光が薄暗くぼんやりと輝いていた。
席まで案内される最中、数多の目が俺の方に向いているのを感じた。それでも出来るだけ気にしないようにした。
席に着くと既に増田は居て「よお、久しぶり」と声をかけてくる。
思わず俺も相好を崩して笑い、「ぼちぼちだよ」と答えながら席に着いた。
増田とは学生時代からの親友で、しかしこうして会うのは数年ぶりだった。
増田は今では家庭を築き、やり手のビジネスマンとしてそれなりの社会的地位があると人伝えに聞いていた。
彼はブランド物らしき紺のスーツに身を包み、縁の太い黒枠の眼鏡をかけていた。
昔はずっとコンタクトだったはずだ。
ボーイが俺に声をかけ、言われるがままにコートを脱ぐと乱雑に畳み、色褪せ玉虫色となったコートを手渡した。ボーイは終始、笑顔だった。
再び増田に目を向けると卓上で手を組み、重々しく口を開いた。
「お前、彼女は居るのか?」
いない、と俺は言った。
増田は深い嘆息を吐き、それから顔を上げると俺のことをじっと見つめてくる。
「俺たちもう四十だぞ?そろそろ落ち着いたっていい頃だろ?仕事だって、定職についてないっていうじゃないか」
「…そういうお前はどうなんだ」
「俺か?俺は今、妻も子供もいて、仕事だって順調で、身に余るくらいに幸せだよ」
「ああ。それで十分幸せだ」
学生の頃、共に理想を追い求めていたあの志の高い姿は何だったのか?
俺は文学で、増田は芸術で食って行こうと、そう約束したじゃないか。
そうした思いを、気付けば口にしていた。
増田は寂しそうな表情を見せた。目を逸らし、暗闇を眺めていた。
「いい加減大人になれよ」
声はエコーがかって聞こえた。
ああ、終わったんだ…そう思うと悲しみが…いや、怒りが勝っていた。
これは裏切りだ。憤慨して立ち上がる俺を増田は止めず、財布から札を取り出すと俺に差し出してくる。
見ると一万円だった。
馬鹿にするのも大概にしろよ。一万円をふんだくるとくしゃくしゃに握り潰し、投げ返した。
周りがざわつきはじめる。ボーイが寄って来る。落ち着けよ、と増田が声をかけてくる。
居た堪れなくなり、トイレへと向かった。
高級レストランはトイレも高級で、汚れ一つなく真っ白いタイルに囲まれCubeの世界観のようだった。
よく見るとシミが辺りにあり、頬は弛みかけ、ほうれい線が目立ち始めていた。
テーブルに戻ると席に着くことはなく、ボーイを呼びつけコートを返してもらった。
着ながら増田に「じゃあな、お幸せに」と声をかけると増田はじっとうつむき、何も言わなかった。
ただ最後に「おまえは馬鹿だよ」と小声でつぶやくのが聞こえた。
それから店を出て少し歩くと夜風が身に沁み、凍えてポケットに手を入れると違和感があった。
何だ?と違和感の正体を掴んで見ると、くしゃくしゃになった一万円だった。
あのときの一万だ。増田がコートのポケットにねじ込んだのだろう。
あいつは昔から優しい奴だった。だがその憐憫は、俺をより哀れにした。
こんなもの…!と俺は丸まった一万円を投げ捨てようとして、直前で留まった。
くしゃくしゃの一万円を広げ、皺だらけになった一万円を目にして、自然と涙が溜まった。
俺は間違っていないはずだ。それなのにこの気持ちは何だ?
増田の経歴と研究分野はしらんけど、万が一増田に失礼なことを言ってたらごめんよ。
理系だとあまりお金のない家に生まれても国公立医学部や旧帝大に学部から進学してる野生の天才もいるから、実家の太くないアカデミシャンも多い。
あくまで私が見てきた限りだと、理系は頭のよさ一本で生きていきやすいから実家が貧乏でも上に行きやすい。
理系の才能があるならあまり教育課金しなくても公立高校から国公立に進学することも可能。
(余談だが、男尊女卑から女に機械を触らせない地域の貧乏な家庭に生まれたけど理系の才能がある女子もいる。
東工大女子枠は東京の男並みに教育課金された凡才女子ではなく、地方に取り残された英才女子を吸い上げるべき。)
実家は学問に興味がないし太くもないが、学問の才能を見抜いた先生からの応援を受けて、旧帝大の理系学部や実学系文系学部に進学した地方民は案外いる。
農家のように実学系の学部にしか進学させる気のない親でも、理系学部だと進学させてくれる。
ただ、本当に親が貧乏なら研究能力が高くてもせいぜい修士で普通に就職するケースも多い。
文系のアカデミシャンなら実家が普通以上にお金を持ってる率も高い。
あくまで私が見てきた限りだと、有名大学の法学部(法経)の学生は親から多額の教育課金を受けてきた確率、私立中学に行ってた確率が高い。
好きや得意を追及するハイ・ソサエティであっても、サラリーマン家庭の受験勉強漬け人間であっても。
(余談だが、同じ教育課金を受けてきた人間でも受験以外の課金をほぼしていない場合、見た目やコミュ力、消費活動含むステータスにしか興味がなく、社会競争とはあまり関係ない知的文化の素養がほぼない人間になりやすい。
麻布競馬場自身からは文化的素養と教養を感じるが、作品からはこの手の文系私大生への蔑視を時々感じる。)
なお、文一だけはシンプルに頭のよい人が集結している印象で、教育課金の額などどうでもよくなってくる。別格。
実家の太さと研究といえば、遊んで暮らせる資産家のご子息ご令嬢がなんとなく博士課程に進学するケースもまあまあ見かける。特に旧帝大。
ふわふわした気持ちで博士課程に進学して思ったより研究成果がないならあっさり3年で中退して、しっかり就活もせず実家に引っ込むケースは文理ともにある。
ちゃんとバリバリ研究して博士号をとって研究者になる資産家のご子息ご令嬢もいるけどね。
ふわふわ資産家は一見地味で資産家であることを言わないが、よーく話を聞いたり行動を見てると、とんでもなく経済的に恵まれた家庭だとわかる。
25歳を超えてふわふわしてるし、バリバリ研究する訳でないのに進学するから、一般的な感性の学生から異常者扱いされている。
当然浮いてる上、研究もできるわけでないならラボ内いじめに会うこともしばしば。
あと、長男教か親からの特別扱いゆえ他の兄弟より多額のお金をつぎ込んでもらってるケースも複数見てる。
例えば他の兄弟は家から通える大学にしか行かせてもらえず就活して家にお金をいれてるのに、長男だけ下宿してポスドクになっても仕送りしてもらってるとかね。
いつもなら最低でも40分は掛かるところ、元旦の澄んだ道をスイスイ進み、20分ちょいのドライブで到着。
8時から配布される予定だった整理券は配られておらず、Xを確認してみると、SSD福袋ですら始発で並んでいないとダメらしかった。
あまりにも道が空いているので早々に秋葉原を去り、東京駅、皇居、青山霊園、明治神宮、赤坂迎賓館へドライブ。
初めこそ、流れる都心の景色と新年を迎えた人々の様子を見ながら、日中でこれほどまでに車の少ないことなど恐らく元旦の今の時間限りだろうと思い、通り名の付いていない道へ道へ、なるべく片側1車線以下のより静かな道へと進んでいくことが楽しかった。
しかし、次第に「関係無いなー」という感情で満たされてしまった。
外車や国産高級車の停まる戸建て住宅、小ぶりなくせに家賃だけは高そうなアパートともマンションとも呼べそうな集合住宅、表参道メインストリートの、たぶん、西側の今日は異常なまでに人気がないのであろう細いブティック通り、明治神宮へ初詣する人、迎賓館の高い壁、それら東京の構成物を見る度に、俺には関係無いなぁという想いがわずかな寂しさと共に湧きあがる。
どうも財力の無さからくる卑屈さだけではないらしく、もし、とんでもない財力があったとしても、東京に家賃を納め、麻布や六本木で楽しく遊び、明治神宮へ参拝していないのではないだろうかと思ってしまう。
東京と俺の関係がないことに、何ともいえない寂しい気持ちを膨らませつつ、春日部ナンバーの車を北へ向ける。
自分は郊外(国分寺国立あたり)に住んでいるのだが、銀座や渋谷、新宿の友人に「ここのお店美味しいよ~」と連れてこられて、満足して帰った試しがない。
なんならニューヨークなど行った時も、満足して帰った試しがない。
なぜならコスパが悪いからだ。例えて言うなら、ワイヤレスイヤホンを買った時の感想に近い。同じ価格帯なら有線の方が高品質なように、
「同じ価格を払えば郊外ならもっと美味しく食べられたのになあ」と思ってしまうのだ。
たとえば串焼き屋。恵比寿あたりが人気だが、国分寺の串とらに比べると「中途半端感」が際立ってしまう。
ちょっとおしゃれな場所ともなると、冷え冷えの串が出てきた瞬間冷める。
渋谷や銀座の人気店に行くとどうだろうか。若者向けの、濃い味付けで古い野菜と肉の香りを誤魔化している不味さ。
結論、美味しい店を探したいなら都心じゃなくて郊外の方が質が高い店と巡り合える。
日本食だとやはり近藤や野田岩に劣るが、しかし店の質としては郊外の方が満足度が高いのだ。
銀座や渋谷、恵比寿や麻布で舌つづみを打っているのは、上京したてて腐った肉や野菜を都会の味だと勘違いしている田舎者だけだ。