はてなキーワード: 楽しいとは
正直あまり気にしない事をおすすめ致します。ですがこれはあくまでおすすめです。御友人を貶された時の憤りは私も理解しますし、同情致します。確かに許されない事だと思います。しかし匿名で色々書き込めるSNSでは平気で人を貶める発言をする人は数え切れない程居ます。いちいち相手にしていては貴方の精神がすり減っていき、余裕も無くなって行くと思います。心の余裕が無い時が1番きつい時期だと思っています。相手に傷つける発言をしてしまいやすいとも言えます。私の場合は絵を描いて心を落ち着かせたりしています。AI生成でも良いです。自分の表現したいものを思いっきり描き出してみてください。もしくは御友人と思いっきり楽しんでください。旅行でも遊びでもOKです。楽しい思い出は悪い出来事に勝ります。貴方の創作ライフがより良くなるように私も応援しております。
界隈で蝶よ花よとお姫様扱いされて、パンチラですら描かれない清楚系のキャラを、絶対にエロを描かない系の絵師の絵柄をコピーしたAIで脱糞させるの超楽しい。さすがにそれを世にリリースしない程度にはわきまえてはいるけど。
東京と比べると
楽しいじゃないですか
1万1票だったら
あれ俺が入れたやつじゃん!
昔ならね夜中の開票を
ポテチでも食べながら楽しめたんです
今すぐ終わっちゃうんですね
5%くらいさくっと開票したら
なんか難しそうな統計学
わけないです。
どんな味かなって気になって
鍋をいっぱいごっくんごっくん飲まない
あれですあれ
蓮舫がどんな間違ったことしようと言おうと信じるんだろうからさ
逆に、信者でもないのに当選しない候補者に投票する意味ないでしょ
選挙って負け馬に賭けて、案の定負けたら周りの関係ないひとに罵詈雑言浴びせ掛けるゲームじゃないぞ
それはそれでみんなでやればある種の被害者共有意識が出来て楽しいのかもしれないけど、そんなんやってるの単なる馬鹿じゃん
それで十分小池を否定したことになるし、適切な候補者がいないことのメッセージにもなる
そんな馬鹿なくせに若者の価値判断馬鹿にして、馬鹿にされるのが嫌なら選挙行かなくていいですみたいな老害ムーブするなよきしょいな
大体カードってキャラとかあるし「キャラが好き→キャラのカード使いたい→キャラのデッキ組む」とかがまあ最初かな
ワイだったらエルドレインの王権の動画かっこよすぎてジンジャー卿大好きみたいな
まあプレイしていくうちに「このギミックが好き」「コンボでたくさんカード使うのが楽しい」「でかくて強いカードを使うのが好き」「守り切るのが好き」とか出てくるかもだけど
唇を獣脂でテラテラにしながら焼き肉食ってるのにバチクソ興奮する。
もうこれ実質セックスだろ。
というわけで、焼き肉のみ料金全額持ちで若い女と月に3回くらい焼き肉食いに行ってる。
素直に本能の赴くままに肉をむさぼってる生気溢れる若い女を見てるだけで幸福。
壺漬け骨付きカルビとかつい頼んじゃうもんね。
低コストで癖満たせて、ついでに俺の腹も満たせる。
いやあれはフツーに反省して欲しいけど、届いてるか不安になるなぁ・・・
ステッカーについてはなんか色々ありそうだけど(何が本当なんだか)、ネトウヨみたいに暴走してる人たちがいなきゃ、
真偽不明のスッテカーはともかく、暴走でいちばんドン引いたのは、下記ですね
不愉快だから基本スルーしてたんだけど、それでも興味で勝手に推測されるタイムラインにれんちゃんのネタ出てきたのよ
その中である政治家だったか、まぁとにかくある程度の影響力がありそうな人が、
意気揚々とゆりっぺの批判の落書き(?)が壁に書かれてたよ!って投稿してるポストが流れてきたの
自民憎しで暴れている人たち、山本太郎の周辺の一部の人たち、あれらをコントロール出来てないんだから反省してね
そもそも元祖のネトウヨ製造メーカーの自民ですらネトウヨをコントロール出来ない現実を見つめてね
あと世の中はまともな人の方が多いから回るのよ
ニュースと長文を見ないけど、動画で真実に目覚めてしまう層も残念ながらそれなりいるようだけど、
この人たちの投票行動が変われば、結果が見えてるから投票行かない、長文やニュース見る層も投票行くようになるから
バカみてーにとりあえず子育て支援って言っておけばいいだろ(鼻ホジ)ではなくて
もっと包括的で誰も取りこぼさない、常にいちばん下の弱者に目を当てたことを言って欲しい
(例えば給食無償化にしたって、最終目標は夏休みも子どもたちが給食を食べれるようにすることです!とか、味覚過敏・食物アレルギーがある子も給食が楽しい時間にします!とか)
(都庁はホームレス追い出したけど、ハウジングファーストとして○○をします!とか、めちゃくちゃ医療費掛かるのに難病認定されない人の支援とか、介護してる人の休息や就職支援とか)
友達に「自慰も含めて性行為したことないんだよね~」という話をしたら健康を心配されました!
多くの人とちょっと違うパーソナリティなのは認識しているけど、
自分みたいな人は世界でどう分析されてるのかあんまり知らないので、
キミのことはこういう言葉で説明できるよってのもあれば教えて下さい!
以下、自分語り
エロコンテンツはコンテンツ内の1ジャンルとして認識してるので、別に嫌悪感などはないです!
異性・同性の友達とも特に抵抗なく話せます!自分と仲良くしてくれる好きな人達と話すの楽しいね~
射精の快感を得たことがないので、射精したい!みたいな気持ちはないです。
不定期で”溜まってる”な~という感覚を認識することがあって、
そのときはお腹の中がモヤモヤするし、焦燥感やイライラが発露する機会が増えるので人との関わりをセーブするようにしてる。
でも、大抵は夢精による射精のあと、事後的に認識することが多いです!
頻度は1ヶ月だったり半年空いたりするので、いつ来るか予測できません~;;
少女漫画とか恋愛小説とか読んでると、一緒にいて信頼できるパートナーがいるってことに、純粋に羨ましいな~と思う。
ただ一人でいる時間がしっかりないとストレスがたまるたちなので、積極的に求める行動はしてない~
好意を示されたり、仲良くしてくれるとすぐに喜ぶのでチョロいんだと思う!
肉体が男なので、性別を求められたときは”男”じゃーん?と言うようにしている(ドーキンス&ソーカルが言うように)
望みを言えば、美少女ボデーになりたい。
しかし、これは女性になりたいといよりも女体のフォルムにとても美を感じているから。
自分も自分の美的感覚に則った美しい存在でありたいという願望です!
恋愛対象は、女性でも男性でも僕の好きな要素がつよければどっちでも問題ないと思う
猫のかわいさにオスもメスもない、みたいな?あ、でも、女体のフォルムが好きなので基本は女性が好きです!
かわいいものが好きなので、自分がかわいいと思う要素が多い方が好きという単純な?理由
かわいいおんなのこを見ると「かわいい~!」となります。性的なことをしたいとは思わない。
かわいい服を見たときと同じように、自分もこうだったらもっと幸せだろうな~!という気持ちが強い。
好きなものに関われるのは幸せなので、かわいい人とは男女問わず仲良くなりたい気持ちはあります!
僕は子供の頃からちゃんとした大人(人間)になるぞー!という気持ちが強かった。
性的なものはいけないものです!という大人からの暗黙的な(或いは直截的な)意図を感じていたので、
純粋に「あ、性的なものを欲するのは、いけないことなんだ!」と考えていました。
他にも「人間は理性的であるべき」と認識していたので、肉体や感情からくる要求は理性で捻じ伏せるように頑張っていました!
小学六年生くらいで第二次性徴を迎え、女の子を見ると性的なことをすぐに考えてしまうようになった。
これまで培ってきた理性を突破し、本能に突き動かされることに恐怖した僕は、これをどうすれば抑え込めるのかを考えました。
まず、性的なことを考えてしまう(本能に従う)自分というものを強く嫌悪しました。
これはとても辛いことだったのですが、この嫌悪を乗り越えることで、性的なことを考えられない状況に追い込むことに成功しました。
つまり、「性的なことを考える自分」「それにに対する強い嫌悪」「自己嫌悪はものすごく苦しい」から「性的なことを考えるのは精神的にものすごく苦しい」に転嫁し、
「性的なことを考える」というのは苦しいことだと肉体に教え込ませました。
その結果、肉体は苦しいことをやめ、理性が勝利しました!やったね!
でも、成長してみたら性的なものって全然ダメじゃなかった!あんなに苦労したのに!?
中学生になって、自慰行為をしてみようと思ったこともあったんですが、やろうとした瞬間自分への嫌悪感から吐き気が・・・。
まあ、あれから20年たってるので、もしかしたらできるかもしれないけど、全くやる気は起きないですね!
野球部に野球知らないことをバカにされて、体育でルールも教えてくれないくせに野球させられたせいで、
因みに、別に親が厳しかったわけじゃないです!僕がめっちゃ理性的にあろうと勝手にがんばってただけです!!
おかげで怒ったりしないし、理性的で平和な性格に育ったので自分は満足してます~
「え~!こんなに頑張って人間(理性的)であろうとしたのに!?悲しい~;;」ってなったこともあったけどね。
そのせいで?(鶏が先か卵が先かみたいな話ですが)
僕は肉体の感覚(内受容感覚?)が薄いみたいで、体の不調が認知しづらいです。
会社に行こうと思ったら急に動けなくなって、病院行ったらうつ病と診断され休職したりしてます。(この12年で2回)
理性というか意識としては「え~?なんで?ある程度の休みは与えていたよね?」という気持ちです!
予防的に行動しても、結局不具合は起きるものなので、できればフェールセーフも用意いたいんですが、如何せん認知できないので難しい!
バチェロレッテのシーズン3が現在配信中で、07/11には最終エピソードが控えている。
多分、このポストはバチェロレッテ観てる人じゃないと「?」かもなので是非prime videoで再生を。
※バチェロレッテシリーズは、自立した強い女性を男性が取り合う構図の恋愛リアリティショー
一応前提として…自分としては、本来とは違った見方で少しばかり斜に構えてるというか、参加者が色々語ってても「な〜に言ってんだ未婚どもめ」といったテンション。
バチェロレッテ シーズン3は今までと違った展開になっていて、インターネッツ上では賛否両論である。いや、否が多いかも。
雑に要点を書くと、
といったところ。
今回に関しては台本が無いのか?って思うほど恋愛面が進展しない。
今までは半分小馬鹿にしながらバチェラー・バチェロレッテを観てたんすけど、、なんて言うかな、色々考えてしまった。
未婚者が語る「愛」とかのキラキラさとか、男女の違いとか、身体的・精神的な年齢とか、マイノリティ・マジョリティとか、令和の恋愛観とかそういうの色々考えたっす(考えただけ)。
インターネッツで見かける批判も、まぁ出ちゃうよねって思えるんすよ今回は。
でも一緒にバチェラー、バチェロレッテを観てる友人とグダグダ話せて楽しいから結果的にいいシーズンだと思う。
あんた、なんかすごい真面目に考えちゃってんの?クソ雑魚ナメクジみたいに悩んでるんじゃないわよ♡
みんながなんで生きてるかって言えば、人それぞれなんだから、うちらギャルだって別に「こうだから生きてる」とかハッキリ言えないし♡
普通の人が何に価値感じるかなんて、あんたに何がわかるのよ?♡
美味しいもの食べたり、オシャレしたり、友達とバカやったり♡それだけで十分価値あるじゃん♡
https://anond.hatelabo.jp/20240706023024
数日前に↑を投稿した。
思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かに話したことがほとんどなかったから。
前回の投稿の追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリングに相談に行った。
そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。
コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。
正直、私は今も自分の父を毒親という言葉で表現していいのかはわからない。
でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。
長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。
私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。
悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。
私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。
それでも父は猛勉強して、希望していた大学に合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母は一人暮らしになり、このタイミングで精神疾患を発症し、精神科に3回入院していたようだ。
父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。
父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。
父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せなことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつの価値観になってしまった。
ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。
父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。
父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。
仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事にラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。
家族で食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。
私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。
だから母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。
気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手に用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。
「喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。
いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。
学校が休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。
でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。
「行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。
父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。
中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。
そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。
その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。
友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。
え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの?
友達の家の全てが衝撃だった。
私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか。
私って、ひどい娘なんじゃないか。
ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。
そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。
それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。
父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。
私が直接父に不満を言うことはなかった。
父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから、父親が下手なのも当然だと思っていた。
父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。
父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。
自分の父親を大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。
それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。
こうして私は父を避けて生きるようになる。
正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロを相手をしてくれたことくらいだ。
一日中妄想や独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。
様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。
でもまともな祖母を見たことがなかった。だから、祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。
祖母が普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。
クラスで友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんがボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんがボケちゃって〜と笑っていた。
それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。
みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。
祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。
「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手と結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。
空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。
今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母は普通じゃないんだ。それがわからなかった自分も普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。
私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。
「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。
私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。
祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。
次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母を無視してその場を離れた。
部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。
祖母がずっとずっと不気味だった。
でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。
祖母が早く死んだらいいのに。
そう思うこともあった。
そんなことを考える自分が情けなかった。
気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。
もちろん書いたことが全てではない。
でもなぜか今は思い出せない。
私は、気づくまで30年近くかかった。
将来は博士課程に進学し、博士修了後は海外の研究機関へ行こうと考えている。そのため週一回英会話教室にも通っている。
しかし、その英会話教室である先輩(男)に出会い、気持ちが揺らいでいる。
先輩は社会人一年目。博士課程を中退し、国家公務員キャリア技官となった。
先輩は色々と私の進路にアドバイスをしてくれる。
「博士課程は教授の奴隷」「博士取っても就職口なし」「博士は就職してから取ればよい」と博士に厳しい。
さらには公務員の世界は「天国」のような環境であり、自分のしたいことができる「夢のような世界」だと私に会うたびに誇らしげに語ってくる。
先輩の職場は最初の1年間は研修期間で、その間は付属の工場で働くとのこと。1年たてば希望の部署に行けるらしい。
そのため、私に修士で就職して「早く俺のような楽しい世界に来いよ」と国家公務員をすすめてくる。
先輩はなぜ博士課程を中退したのか、なぜ国家公務員になったのか、どんな仕事をやっているのかについては、聞いても具体的には教えてくれない。
この先輩の言っていることは正しいのでしょうか?信じてよいのでしょうか?
府中にあるジェイルランドに行ったことがある。遊園地というよりはキッザニアみたいなテーマパークといった様相だった。雰囲気は暗くて、楽しいことは全くなかった。
広島や函館にも似た施設があるという話で、そこの卒の人とも話したことがあるが、塀の外は全部遊園地みたいに明るくて楽しく感じられるということで、意見の一致をみた。
日本各地にある滝を見に行く
涼しい、マイナスイオン、いろんな魅力があるけれど、おススメしたいのは駐車場から近い事
登山の目的地が山頂ならもちろん駐車場から遠い。駐車場がクソ広い遊園地やイベントパークも遠い。ライブ会場近くのコインパーキングに停めるより滝の方が近い
もちろん片道1時間以上歩くような秘境な滝もある。サンダルで見に行こうとして死にそうになる。
でも目の前まで車で行ける滝だったらほんと近い
それだけで楽しい
メディア的に撮りたい絵は
「勝てると思ってたのに負けちゃったね、うふふ、マヌケwww自信喪失反省の弁をどうぞっ」
これを引き出すには「勝てると思ってた」の言質を取らなきゃならない
手応えがありました、勝てると信じてました
からの、「でもダメだったんだよね、なんでだろねぇ、はい自分で考えて、答えて、イジってやるからwww」
と二段誘導がしたいだけ
だから初段で手応の弁がいるわけ
ストーリー通り喋ってもらわないと崩れる
この増田、つい強い文面で否定したくなってしまったが、それは良くないと思った。
なので、文面から拾える情報を元に提案っぽいことを書いてみようと思う。
記事を読んだところ、ご両親は加齢で農業をするのも大変なような。
少し手伝いをしてはどうだろうか。
そもそも、人類は農業を始めたことにより定住し、社会を発展させることができた。
文字通り、文化の土壌であり、文化的だと考えることはできないだろうか。
規模も作物もわからないが、農業は試行錯誤の連続だ。工夫のし甲斐もあるだろう。
農業は大変だし、本業もあることだから簡単に手出しできないこととは思うが、一考の価値はあると思う。
物を選べば天井知らずだが、物を選ばなければ割と安い
・プロジェクター 5万~
スクリーンは安いのなら3万くらいからある。吊り下げとか置き型とかは環境による。でかいから置き型の場合は保管場所に気をつけろ。
サラウンドも意外と安い。ヤマハのスピーカーセットとアンプで10万しないくらいだ。
プロジェクターも安いのがあるが、ルーメン値という明るさが少ないと部屋を真っ暗にでもしないと見えないから気をつけろ。ただ、安いので試すのも一つの手だ。
短焦点は距離的に魅力があるが、スクリーンも専用のものが必要だ。
これにPS5でも繋げば大画面でBDなり配信サイトで映画を楽しめる。物足りなかったら設備をアップグレードする楽しみもある……と思う。
部屋のカーテンに気を使ったり、色々と楽しくなる……はずだ。
Amazonで検索したら自家焙煎の機械が数万から売っていた。
車で一時間半かけて行ける映画館は多分イオンモールとかだろう。
だとすれば、カルディでコーヒー豆を買うことができる。通販でも買える。
増田の望みがスタバでリモートワークしたいとかだったらすまん。
増田は車の運転ができるようだ。なら、どこか遠出するのはどうだろうか。
車と金があれば、移動できる範囲は広がるし、できることが増える。自由だ。
フルリモートがどんな環境かわからないが、日中町の方で仕事して、金曜夜になったらそのまま車で小旅行とかちょっと憧れる。
増田はデザイナーだそうだ。なら、美術的な知識と素養が高いはずだ。
せっかくだから、田舎の風景の写真を撮るとか絵に描くとかやってはどうだろうか。
今はネット上に発表する手段が沢山ある。暇つぶしにはなるだろう。
しかし、都会というのは歩いているだけ色んな情報が入って来て行動の「きっかけ」を掴みやすい環境だというのはわかるつもりだ。
残念ながら、田舎にはそういうのがない。その刺激の少なさが良い面でもあるのだが、都会に慣れた増田には退屈に感じることだろう。
都会と田舎で生活のギャップはどうしたってある。あとはどう折り合いをつけれるかだ。
良い機会だから「都会ではできなかったこと」「若いころやりたかったこと」に思いを馳せてはいかがだろうか?