はてなキーワード: 有効とは
[追記]
なんの反応もなくて辛い
2. かつ各セールの対象商品も1ページ内で見られるようにしたい
自分で作ってみることにした。
https://openbook4.me/projects/92
神情報
http://chalow.net/2016-01-18-3.html
わからないことググったらだいたいここに行き着く
1週目
・とりあえず『https://openbook4.me/projects/92』をみてイメージを膨らませる
2週目
・amazon-apiを叩いてセール情報が返ってきた時は嬉しくて泣いた
(終了済のセール/全然安くないセール/アクセサリ等のセール情報が大量に含まれている)
3週目
・ある程度ましなデータが取れるようになったので見た目(view)を作り出す
4週目
・ドメイン取る
・とりあえず公開する
2ヶ月目
・アクセスがなさすぎて泣きたくなる
・アクセスがなさすぎて泣きたくなる
3ヶ月目
・アクセスがなさすぎて泣きたくなる
(キャッシュとか)
・見た目も改善する
イマ
・アクセスがなさすぎて泣きたくなる
- 有効なセールを弾いてしまうことがある/無効なセールを弾けないことがある
http://b.hatena.ne.jp/entry/hakata.ed.jp/highschool/_common/pdf/20171002.pdf
について。校長の文章に不可解さを覚えている人が多数いるようなので解説してみたい。結論から言えば、「SNSにアップした生徒を更に強く指導する必要がある」という見解は十分ありうる。というか、教育現場の判断としては十分正しい。
今回の件、講師が新任だということで納得したが、一般人として見るなら大変気の毒な先生に見えるとは思うが、教員として見るならあの対応は未熟の誹りを免れない。動画を見る限り、クレームをつけている生徒を無視して授業を継続しようとしているようだが、実際に店舗などでクレーム対応に従事した経験のある人なら分かるとおり、この「黙殺」という対応は悪手だ。相手が社会的経験を積み忍耐力が十分以上にあることを期待できるかあるいは力関係で圧倒的に弱い相手に対してなら有効かもしれないが、いきり立って席を立ち教壇までやってくる生徒には、明らかにそのどちらも期待できない。ここは、少なくとも授業を止めて相手と向き合い、一対一で目を見て、相手に椅子に座るよう指示し、その上で話すなどの対応が必要だった。にも関わらず、相手を黙殺した上に、背中まで向けるとは!!
…そこから見るに、今回の件は、おそらく普段の人間関係などからくる油断もあったのだろう。生徒も、怒りに我を忘れて暴力をふるうというよりは、ただ駄々っ子が親に手を挙げるような甘えたつっかかり方に見える。このことから、普段から冗談に任せるように背中を叩いたりパンチの真似をしたり(そういうことをさせては絶対にいけないが)するようなコミュニケーションがこの二人の間にあったのではないかと想像する。講師の側では生徒とコミュニケーションをとっていたつもりだったかもしれないが、それは実はマウンティングである。生徒の中には、「相互に信頼や敬意を持ち合う」といった人間関係を形成できず、ただ身分の上下や力の強弱といった人間関係しか理解できない生徒もいる。新任(身分が低そう)や気の弱そう(力が弱そう)な「センセイ」に、からかうようにマウンティングをしかけてくるのは、大体そういう生徒だ。そして、それは今回のようにエスカレートしたとき「暴力事象」として大事になってしまう。が、本人としては普段のマウンティングが少し行きすぎたという程度のつもりなので、改めて「暴力をふるった」と言われても十分指導が行き届かない。想像でものを言うことにはなるが、こういう場合も、実は指導者の側の未熟のためにこういう事態に立ち至っているのである。
ここまで述べたことは、この講師の先生を責めたいという趣旨ではない。本来責任を負うべき立場にはない講師の先生がこういう生徒に対応しなければならないほど大変な現場なのだろうし、それだけに教諭と管理職の方々は、いっそう忸怩たる思いでこの事件を受け止めているのではないかということを言いたいのだ。
今回の動画を見て、大半の方は「修羅の国の暴力教室」みたいなイメージを受けたのだろうか? 警察沙汰にしろ、とか、厳しく現実を教えるべき、みたいな意見を見るに、多分そうなのだろう。だが、個人的にはこれは「やや指導規律の甘い学校で、かつ講師が若いため生徒をコントロールし切れていない教室の状況」であり、極論すれば「ごくありふれた」日本の高校の一風景に過ぎないように感じる。全国どこでも、学校の指導規律が数年間甘くなり、そこに生徒をコントロールし切れない(個人の資質能力だけでなく「講師」や「新任」という肩書きも含め)教員が配置されれば、簡単にこの風景は現出する。おそらく生徒指導のプロフェッショナルな先生なら、このビデオを見て「そりゃそうなるだろうよ」と思ったことだろう。
要するに、これは「起こりうる/よくあること」なのだ。この生徒は持って行きようによってはまだ「なんとかなった」生徒だし、教員も「もう少しなんとかしないといけない」、その意味で忸怩たる思いを抱える、それが教育関係者の実感ではないだろうか。これは「教育の悲惨な現状」などではなく、いわば「ケアレスミス」に近い、教育現場によくある失敗の一事例なのだ。自分自身のちょっとした認識の甘さ、生徒把握の甘さ、指導規律の緩み、態度や言葉の綾のせいで、大丈夫だと思って対応していた生徒が突然牙を剥いてきて、あわや大事になりかけて慌てる……それなりに経験のある教育関係者なら、一度や二度は目にし経験しもしてきた風景なのではないだろうか。
そう考えるなら、教育関係者の目線が、暴力を振るった生徒と講師の方にではなく、今度は周囲でこれを笑っている生徒たち、そしてビデオを撮影しネットにアップした生徒、そちらにある大きな問題に向かっていく、ということも理解できるのではないか。なぜか。まず笑っている生徒たちは、激昂している彼が「次に何かしたら退学」と言われていることくらい知っていただろう(そういう話を内にとどめておくことの出来る子はああいう荒れ方をしない)。多少荒れた学校であっても、そういう生徒が教員につっかかっていったら、普通は何人かの生徒がそれを止めに入らなくてはいけない。なのに、止めるどころか「笑って放置」されている。つまり、彼はクラスメイトに完全に見放されているということだし、クラスメイトはそんな彼が高校をやめることになるだろう状況を見て無視ならまだしも冷笑し、(こう言ってよければ)自分たちの気晴らしネタとして消費している。クラスがこのような状況にあるというのは、率直に言って担任によるクラス運営の失敗だ。あのクラスの担任は今頃泣きたい気持ちでいると思う。「あの教室の生徒全員を指導しなくてはいけない」と喝破したブコメもあったが、おそらく教育関係者と推察するその意見、真にもっともである。少なくとも、あの場に自分の子どもが座っていると想像したら、誰しも自分の子育ての失敗を真剣に疑うのではないだろうか。
そうして、件のSNSに投稿した生徒である。彼のことを「内部告発者」扱いしている人が多いが、これは失礼ながらただ事件を外部から眺めているだけの立場からの意見と感じる。この生徒は、上に上げたようなクラスの一員であって部外者ではない。彼はこの状況を、他のクラスメイトのように無視し冷笑するにとどまらず、積極的にネタとしてインターネットに放流したのである。ネタとしてそれが炎上するであろうことは想像に難くない。単純にその場でネタとして消費する以上にやっていることは悪質である。それだけではない。彼はその行為によって、暴力を振るった生徒の退学を世間に宣伝し、振るわれている教員を晒し者にし、それらをネタとして消費しているクラスとクラスメイトの退廃を笑いものにしているのである(しかも自分は姿を見せずに)。彼が善意の人であることは期待できない。なぜなら、彼もまた、使うはずのない授業中にiPadか自分のスマホを取り出して撮影しているのであるから。自分のやっていることは件の生徒と同じ行為だということを、彼が認識していないはずがないからである。その意味で、この生徒はそもそも件の生徒を馬鹿にしたり批判したりする立場には全くない。にも関わらず、暴力をふるった生徒、教員、クラスメイトを嘲り傷つけるような行為を行っていることになるのだ。
このことを彼が自覚しているかどうか分からない。だが、自覚していようがしていまいが、彼のやったことはそういう行為だということに「なる」。彼はこの後も学校生活を普通に送るはずだが、それだけに、自分がどのような行為をしたことに「なる」のか、厳しく彼には自覚を求める必要がある。でないと、クラスメイト、退学になった生徒、そして件の教員が彼をどういう目で見るか、理解できないことになってしまう。
我慢の効かない子どもが保護者にかんしゃくをぶつける行為と、一時のかんしゃくを世間に永遠にさらして笑いものにする行為と、どちらが罪深いか? 人によって感じる罪の軽重には差があるかもしれないが、「より自覚が少ない」という意味で、後者をより「厳しく指導」することは、教育的判断としては十分ありうることである。でないと、この生徒のこの後の学校生活は真に悲惨なものになりかねない。
以上を踏まえて、考えてみるとどうなるだろうか。校長が的外れだとか、更には「馬鹿」だとか気楽に罵っている方々には、こういう教育現場の緊迫感は遠い世界の話なのだろうとは思うが、今回の件に関する学校のこの声明から、事件の正確な分析、原因への理解とともに、今後行うべき対応をしっかりと考えていることが伝わってくるのではないだろうか。更に言えば、上で上げたような事件発生への「無念さ」も。それと共に、このようにモノがよく分かっている人がいてもこういう事件が起こってしまうほど、学校が大変な状況にあることについて、どうしていけばいいのか少しだけでも考える人が出てくれれば、この文章を書いた意義があったことになる。
今回の件は、大事にするような話ではないし、できれば速やかに消え去ってくれればよい。暴力を振るった生徒、振るわれた先生だけでなく、あのクラスの生徒、ネットにアップした生徒のためにも、それを祈っている。
長々と拙文におつきあいいただいたことに感謝したい。筆の走った部分も多々ある。また、こうして文章を書くこと自体が晒し上げの一種というご意見、これもごもっともである。
それらを含め、ご批判は甘受したい。
(追記)
福岡県内の中学校で、男子生徒(14)が、男性教員(46)の顔を拳で数回殴る暴行を加え、顔面打撲の傷害を負わせた
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171003-00010010-nishinpc-soci
設定全部説明されても頭に入ってこないし読みづらいなあ
とりあえず3話までの展開なら、
・ミユキさんは一匹狼だったが最近タッグを組んだ
・モンスターには魂の入ってるのと入っていないのがいて、入ってるやつはヤバい
この辺だけ分かれば、ストーリーを追うのに支障ないと思う
モンスターの生まれ方とか細かい生態とかは本筋に関係ない感じがする
その生態ゆえにこの対策が有効…とかじゃなく、単にヘッドロック決めて毒を飲ませる?んでしょ
(ここもちょっと唐突に感じた。モンスターの生身度合いの描写がないから、ヘッドロックや毒が効きそうなもんかピンとこない)
もちろんこの先の話によっては「これどうなってるの?」って気になる部分が出てくるかもしれないけど、
そこはむしろ読者の興味を引くフックになるんじゃないだろうか
追記:
保毛尾田保毛男の復活でフジテレビに抗議が殺到しているという。だが、あのテレビキャラクターの存在があったからこそ、「ホモ」(現在では適切な言葉とはいえないが、あえて書く)やLGBTが市民権を得られたという側面も無視してはいけない。
例えばネイティブ・アメリカンを「発見」し、ヨーロッパに伝えたのはコロンブスである。同様に保毛尾田は、まったく理想的ではなく、乱暴な形ではあるがホモをテレビで取り上げることにより大衆にその存在を知らしめたのである。
確かに保毛尾田が演じたキャラクターはホモを嗤うものであり、ネイティブ・アメリカンがコロンブスを嫌うように、当事者にとっては全く笑えない話である。しかし教科書に載っていなかったLGBTという存在が、まったく理想的ではなく、乱暴な形ではあるが世の中に認知され、たった数年で市民権を得たのである。
市民権を得るとは、つまり「一般」枠で扱えるようになるという意味だ。今日でも、LGBTの素人をどう扱うかは慎重さを要する。街頭インタビューなら「新宿二丁目の声」といった枠を用意すべきだろう。だがタレントならば「オネエ」キャラが確立されており、「お笑い」や「スポーツ選手」などと同じ「一般」枠で扱うことができる。
保毛尾田が市民権を与えたとはいえ、まったく理想的ではなく、乱暴な形だったので保毛尾田さえいなければ世界はもっと平和だったと言う人もいるだろう。逆にLGBTはもっとアンタッチャブルな存在になった可能性もある。たとえば「障害者」は広く社会に認知され活躍もしているが、「一般」枠ではない。
同様に市民権を得たのが「オタク」である。イメージが最悪だった「宮崎勤」の頃からどういう経緯でここまで来たのかは識者の解説を待ちたいが、「電車男」のようなドラマの影響もあったのだろう。今では「ガンダム芸人」「家電芸人」のようにキャラが確立され、テレビで出るオタクの話題に眉をひそめる人はいない。
我々がより深く考えるべきは、なぜ保毛尾田保毛男などというキャラクターが生まれたのかという背景だ。ネット上ではテレビの人間を小馬鹿にする風潮があるが、これは大きな間違いで、キー局の人間は極めて優秀だ。確実にヒットを飛ばせるような神通力はないが、およそ視聴者が思いつく程度の批判は予見している。
また、スポンサーへの抗議はテーマによっては有効だが、バラエティの場合はそうではない。スポンサーは、決して世間からそう思われないよう気を付けているが、低俗な番組を求めている。スポンサーが求めているというのは、つまり消費者が求めているという意味だ。
一方で芸能界や芸能関係者の中にLGBTは多い。石橋貴明というタレントの交友範囲を考えれば、LGBTをネタにすることに相当な躊躇いがあったものと想像できる。ネタの中でも保毛尾田は、「ホモというのは、あくまで噂」とブレーキを踏んでいる。LGBTと日々接する中で、テレビにおけるLGBTの地位、つまり世間におけるLGBTの地位を向上させようと、石橋なりに取り組んだ結果なのかもしれない。
もっともこうしてネットが普及したことで、テレビでの地位と世間での地位が必ずしも一致しなくなった結果、「復活」に抗議が殺到しているのは時代の変化だろう。
生きてる石、死んでいる石とは?
「石」っていうけど実際は地(陣地)の話だよね。ていうか有効とされる地を形成する石の連なりかな。
どういう石を「生き」というかというと、地が2眼持っている状態のものを言う。
眼、というのは地の中に開いた空間(石のない点)の事。これが地の中に最低二つあれば良い。
例えばこういう事
↓
●●●●●
● ● ●
●●●●●
次の様な石はまだ2眼持っているとはいえない。
↓
●●●●●
● ●
●●●●●
なので、白は黒が2眼持つのを防ぐ為に
●●●●●
● ○ ●
●●●●●
□の真ん中に石を打ち込む事で、この黒の石を「殺す」事が出来る。
どういう事か体感して覚えたい人は、cosumiの石埋め碁をやると良いよ。
https://www.cosumi.net/jungo.html
追記
あ、なんか記事にしたら行間が開いてしまって図が解りづらくなってしまったw コピーしてメモ帳などに貼って行間0で見てみてね。
つかcosumiのこのページ
https://www.cosumi.net/learn.html 見た方が早いって。
ほどなくしてトイレに駆け込んだと思うと、ゲーゲーと…。
水飲んで早く寝なさいと言っても、なぜか全裸になってベッドに飛び込む。
流石に腹が立って、もうしらんぞ!といっても、迷惑掛けてごめんよぉ〜と叫びながら足をバタバタさせる。
吐き気がすごいらしく、それをやり過ごすためなのか、ゴロンゴロンとベッドを転がったり。
もしかしてこれ急性アルコール中毒とかいうやつちゃうか…。と一瞬不安になったので、とりあえずググる。
しかしインターネットでいろいろ調べても書いてることがバラバラ。
吐いてるときは水分はとらせるなとか水分とれ、とか。
と、いっそ救急外来につれていくかと悶々としていたら、隣からいびきが。
そのあと、私もすぐ寝た。
とある方がAmazonのレビューでまとめていて、とても助かったのでメモ。
Amazonプライム会員だと毎月一冊だけ電子書籍が無料で読めます。
ただし
・翌月に新しい本を読むには先月の本を返却する必要があります。
・対象書籍がAmazonプライム対象商品に決まっています。
しかし最後の欠点は、ちょっとした工夫で検索がやりやすくなるのでご紹介します。
・PCでAmazonトップ左上から「カテゴリー→Kindleストア」で検索
・検索窓の下あたりに「kindle本」というのがあるのでクリック
・すると「検索結果 35,286件中 1-16件 Kindleストア : Kindle本 : Amazonプライム対象商品 :"プライム対象"」というのが真ん中に出ます。
・その「プライム対象」にマウスを置くと×がでるのでそれをクリック。
という話。
===追記===
やり方がちょくちょく変わるので今は出来ないかもしれませんがお試しください。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
これが所謂『読みづらい』と思われる原因は、おそらく1つの文章内に要素が複数あるからだと思う。
先に例示すると、以下のような書き換えになる。
具体的に意識しているのは、以下のこと。
他にも意識してることは多分あるだろうけど、とりあえずパッと思いついたことだけ。
小説とか表現が必要なジャンルは別だけど、基本的に意図したことが伝わらなきゃ意味がない。
どこまで難読化すると読めないかという調査だから一番意味不明な文は日本語として有効でも不正解者が出ることは設計上目的上当然だと思うんだけどなんで日本語を解する人全てが例の調査において全ての問題に全問正解しなければならないような前提でものを考えてるの?
不正解は出るよ。どこまでを「望ましくないが、日本語として許容される程度の理解しづらさ」と定義し、どこまでを「多くの人が読めないと想定すべき」と置くかという議論が当然あるでしょ。その上で「許容される程度」を読ませてみて理解度をチェックすることができるわけでしょ。それをやってみた結果が予想より悪かったというのが例の調査じゃないの?
百歩譲って風俗ならまだ理解できるが、キャバクラに数十万とか数百万とかつぎ込む人なんなの?ソシャゲみたいに射幸心を煽られてんの?金持ちだったらもっと有効な金の使い方に長けているはずなのに、どういう人が何のためにキャバクラ行くの?キャバ嬢が儲かる仕事みたいな扱いで紹介されるたびに、そこに金落としている信じられない人種の方が気になる。
男の写真にバナナ画像を添えてツイートすると、差別的だと騒がれて警察に被害届が出される世の中になった。
同じように、女の写真にバナナ画像を添えてツイートすると、今度はセクハラとか性的差別とか騒がれる。
だから、差別を減らすためには、バナナを規制するのが一番なのでは?
例えば野球のメジャーリーグは昔は黒人差別が酷く、2000年代に入ってもなかなか改善されなかったが、2010年代から黒人選手を少しずつ減らすという「差別要素を減らす」施策を打った結果、黒人差別が激減した。
差別対象の黒人選手が減ったのだから、差別的行為も当然減ったのだ。
たまたま今年とある球団でファンが差別的ヤジを飛ばす事案が起きたが、その球団以外では黒人差別問題はここ数年起きてない。
同じように、バナナという差別要素を物理的に減らすことが、差別減少には一番有効ではないか?一般人の持つ差別意識はどうにもできないのだから、差別要素を減らすしか手がないはずだ。
「残業を減らせば業務効率が上がる」という言葉をよく聞くので実践してみた。
「定時に帰る」ということが頭にあるので、
今からやると中途半端になる仕事に手を出さなくなった。(結局残業になるから)
結局、翌日にガッツリやれば想定より短い時間で終わることが多かった。
今月、明らかに任される仕事が減っている。
「定時に帰るから大きい仕事を任せづらい」と思われている気がする。
(チームで対応する案件の場合、定時後に問題が発生した場合に対応できないから。)
そういえば、定時で帰ってる人で仕事のできる人はいない気がする。
まだ、社会人2年目だけど、
いや、だからこそ、周りからの信頼を得ることに心血を注いだほうが懸命な気がする。
久々に定時で帰って、そんなことを考えた。
https://anond.hatelabo.jp/20170919140313
選挙を棄権するだなんてバカなことを言っているあの人は、いい歳して選挙に一回も行ったことがないか、選挙の意味すらもわかっていないバカ。
あの人は、今回の「選挙を棄権」発言によって、政治・経済・社会その他あらゆる問題について、一切の発言権を失ったこと、すなわち言論人としての自殺、ひいては人間をやめる宣言を意味するんだが、本人はそのことにさえ気がついてないくらいにバカ。自ら家畜宣言をするくらいのバカだからそういう発言をしちゃうのも仕方ないのか。この先の人生、一生哲学畑でカスミでも食って寝てろ。お仲間と妄想世界で永遠にオナニーしてろ。妄想世界ではヒーロー気取りでも、現実世界ではただの家畜だな。
投票に行ったことがあれば、最初に「投票者の確認をして投票用紙の受領」、次に「投票先を記入して投票」を行う二段階制なことがわかる。つまり、選挙における投票行動は「誰が投票したか」「どの党or誰に投票したか」に明確に分かれており、この2つの各々独立した行為によって成り立っているのである。投票先が見当たらないということは、後者の「どの党or誰に投票するか」を表明しがたいということでしかなく、前者の「誰が投票した」かは表明できるのである。それにもかかわらず、あえて放棄しようというのだから、バカとしかいいようがない。
投票先が見当たらなければ自分が立候補するのが民主主義の理想なのだろうが、それは現実的には相当に難しいので、白票なり無効票を入れるのが人として最低限の行動である。白票や無効票は、有効な投票よりは意味がだいぶ少ないが、棄権よりは遥かに意味がある。投票が100で、白票が1なら、棄権は0。投票の棄権は、政治への完全な不参加、民主主義の否定、独裁主義の肯定だし、為政者の家畜として生きることの表明である。ヒトラースターリン毛沢東フセインその他数多くの独裁者を賛美信奉し、支持し、独裁国家におけるもの言えぬ国民へと自ら積極的に落ちていこうとする行為である。