はてなキーワード: 利用者とは
とっくに学級会会場になってるでしょ
増田内で伸びなくてもtwitter腐女子界隈で炎上するエントリ多いし
twitterじゃ長文書けないから長文投下所として利用されてるというか
短文で感想言えれば気が済むだけの層ははてな内でもブクマ使うわけだし
水出しホットコーヒーを飲み終わり、家路に着いて、飯を食って、出すもん出して、ベッドに突っ伏しても、俺の言い知れぬ違和感は払拭されることがなかった。
むしろ、あのブックカフェに通うたび、それは徐々に顕在化していく。
「アイスで」
数週間ほど経った頃、店では緩やかな変化が起きていた。
店内にいる客は平均2~3人だったのが、ここ最近は10人近くまで及んでいたんだ。
「ここも随分と賑やかになったな……」
マスターいわく、最近の繁盛っぷりは栞サービスのおかげらしい。
特に好評だったのが、栞に本の感想を書くという独自の文化だった。
当初は一部の客だけがやっていた行為だったが、それが他の利用者の目にも留まった。
すると本を読む常連客の間で慣習化し、それを聞きつけて新規客も増えているんだとか。
「感想書くんなら、あんな小さい紙切れより、もっといいものがいくらでもあるだろうに」
「まあ、あれくらいコンパクトなものの方が、彼らにとっては丁度いいのかもしれませんね」
タケモトさんの隣席には、同じく常連のセンセイが座っていた。
理解に苦しんでいるタケモトさんに対し、センセイは違う視点から分析を試みているようだ。
「丁度いいって何だよ。ああいうのを他人の目に入るところで書く奴ってのは、自己顕示欲とか承認欲求の強いタイプだろ。短い文章でそれを満たせんのか?」
「うーん、もしかしたら“そこまでのものじゃない”のかもしれませんね」
「あん? どういうこったよ」
Twitterで特定の趣味界隈のフォロー・フォロワーのクラスタの輪にすこし入って入るものの、「質問に答えます!」とかのキャッキャウフフ交流の流れが生じたときに、自分から質問に行けば答えてはくれるが、自分が「質問に答えます!」とかの「ツッコミが来る前提でのボケ」をしても何も来なくてスベってしまう。mixiのコピペになる。コミュニケーションが成立しない。
人との距離を縮めようと一歩踏み出して、会話のボールを投げても、投げ返してくれる人がいつもいなくて、みじめになって引き返すんだ。
「欲しいと願って行動に出ても、手に入らないので、やがて欲しがるのをやめた」なんだよな。学習性無力感。
普通の人はいったいどうやってコミュニケーションを成立させているのか、まるでエスパーにしか見えない。自分には見えない「何か」を使って、アイコンタクトのようなものをして通じ合っているようにしか見えない。単に自分が嫌われているだけなのか。日頃の行いが悪くてハブられているのか?
そのへんが発達障害(ASD傾向)なんだろうなあ。と。でも、同じく傾向のあるにゃるらさんはインターネット人気者なの、その差は何なんだろうな。わからない。
いや努力が足りない、「行動に出た」とは言えない、ただねだってるだけであって「勝ち取る」レベルまで行動に出てないのだ。と言われればそうかも知れない。その捻出するだけの気力が果たして自分に残されているのだろうか。
現状の距離の把握がうまくできていないのか、距離を縮めるためのボールの投げ方がヘタクソなのか。その両方だと思うが。
逆に言えば、「投げられたボールを適切に投げ返していないだろ?」と言われればそうかも知れない。シェアハウスのチャラい人に「ゲームとかやるんすか?」って軽く聞かれたとき、ギャルゲー!とか答えられない相手だし、ギコチなく無難にswitchのスプラトゥーンをやりたくて買ったんすよね~って硬く答えたけども、嫌そうに答え過ぎたのかな。なんか、それ以降あまり話しかけられなくなった。いや話しかけて貰えたこと自体は嬉しいけど、オタク・プロトコルが通用しなさそうな人間との雑談って難しいじゃん・・。っていう問題だと思う。オタク以外と何の話すればいいんですか?
たぶん「話しかけやすい雰囲気づくり」に失敗してるんかなあ。リアルでも、ネットでも。
なんか自分はよく知らないけど、「会社の上司とFacebookでフレンドになっていると、上司が日記を書いたら必ず巡回していいねしないと怒られるから仕方なくやってる」みたいなバッドなカルチャーがあるのを聞いたことあるけど、そんなの今もあるのだろうか。自分はその上司と同じ心理になってしまっていないだろうか。
もうさ、まどろっこしい、伝わっているかよくわからない、誰かに読まれているのかよくわからない(誰も読んでない)テキストを書くよりは、面と向かってボイスチャットすりゃいいじゃん。やっぱ対面で話すの大事だわ。「聞いてない」が発生しないから。かならずキャッチボールになる。
電話が発明されたとき、人は会わなくなるだろうと予測したが、実際には会う約束に使われた。という逸話と同じで。
べつにテキストチャットが悪者ってワケではなくて。Twitterがシャドウバンや検索漏れなどで意思疎通を不可能にしてるから疑心暗鬼なだけで。iMessageでもLINEでもDiscordでも、ふつう「テキストが届かないことがある」なんてことはあり得ないからね・・・。Twitterだけは「このテキストメッセージは伝わってるんだか、伝わってないのかよくわからない」ので、よくわからなくなる。ぶっちゃけありえない。
どういった心づもりで居たらよいのかが、よくわからない。期待していいのか、期待するほうがバカなのか、しかし欲求と期待をなにも発揮せずに人生過ごせとかいうの無理じゃん。Twitterに期待するのがバカなのか。あなたを信じたわたしがバカなのか。
検索漏れとシャドウバンはTwitter特有の疲れを発生させるんですよ。ほかのSNS疲れとは性質が異なる疲れ方なんですよね。ハッシュタグの中にほぼ同じ動画の切り抜きを上げてるのに、なぜかいつも自分は反応されず、他の人のほうが反応されているのは、自分が「多くの人のハッシュタグ検索から見えづらくされている」としか考えられないんですよね、陰謀論ですか?
↓この神経逆なで公式ツイートにぶら下がる怒りのリプライをご覧ください
Twitterがシャドウバンを行っていると指摘されますが、現在も過去にも行ったこともありません。ただ、利用者の皆さんがより快適に利用できるように、ツイートのランク付けを行っています(トップツイート表示の場合)。なお、皆さんがフォローしているアカウントのツイートは常に表示されます。— Twitter Japan (@TwitterJP) June 15, 2020
「知り合いとの1vs1のチャット」
「知り合いのとの1vs多のグループチャット」
それぞれ、やっぱ心づもりって変わってきますよね。
例えばTwitter。
『いいね』と『リツイート』が存在するが『わるいね』は存在しない。まあ、悪ければ押さなきゃいい話なんだけど。
『いいね』には『楽しい』『嬉しい』などの喜びがまとめて表現できるから『いいね』自体はこれで良いのかもしれない。
だけど『悲しい』『辛い』などの選択肢は設けられていない。これは『わるいね』として考えてはいけないので『わるいね』というボタンは必要なく。
それぞれ単体で存在しても良いものではないかなと思う。まぁ、これも『つらいね』で済む話だとも思うけど。
例えば、誰かが不幸にあってこの世を去ったとして、これは『悲しい』『辛い』であって『いいね』では決して無い話。
だけどTwitterではこの世を去った人の件でツイートがあると『いいね』が大量に押されてしまう。
え?死んで『いいね』なの?と良くないよね?いいの?と思う。
と、なるので『つらいね』のような選択肢はあっても良いと感じた。
じゃあ『わるいね』もあっていいだろう!!と意見する人もいるだろう。自身も本当はあっていいものだと思ってる。
なんで不要扱いになるかは増田が一番知っている話でしょ。悪意しかぶつけようとしない人が多すぎるんだよね。
本当に駄目だって事に『わるいね』を押さないで悪意がある時にしか押さないし、これは増田が増田に『悪意の言及とブクマ』をする行為と同じ。本来なら増田日記にすら言及もブクマもいらんと思っている。
悪意がなく、一般常識的に判断して良し悪しの理解が出来る人しか居ないのであれば合って良いものだと考えるけど、実際の所は増田に毎日のように生息する悪意だらけの増田を見ていれば『わるいね』があったら良い事も悪い事にしかならないのが目に見える。
『わるいね』が存在しているサイトで、まあそれなりに機能している?と思うのはYou Tubeくらい?あそこも微妙か。ヤフーニュースに至っては悪意の塊しか存在していないレベル。まともなことをコメントしている人でさえボロボロに叩かれる。
で、考えるとそもそも『いいね』自体も不要なのではないかなと思わなくもない。
他者の評価が公平なものであれば存在していいと思うのだけど、評価システム自体をまともに使えている人は利用者の半数も居ないと感じる。Amazonレビューなんかのああいう商品レビューもそう。
結局は『自分にとって都合の悪いもの・気に入らないもの』は全て悪意で評価するし、最悪な人だと『自分のミス』すら悪意で評価やイチャモンをつける。
だから、こんなもんはチラシの裏でやればいい話じゃないかな?という結論に至りそう。
公式サイトなんかで評価システムを付けるから、毎日のように不要な諍いが起こるんじゃないかなって。
それがいつのまにかネットからリアルへ(本来はリアルからネットだったのに)進出してきてしまって、政治家なんかがネットでの批判をリアルの議会で話題に出したりするようになったりして醜いやりとりを見る羽目になってる。
まあ、なんかまとまらなくなって面倒くさくなったんだけど、評価するシステムいらなくない?って話。
一行で終わる話じゃねーか!!
うちの会社の3階フロアはコピー用紙などを置く倉庫として利用されている
そのせいで3階のトイレは利用者がほぼ居ないので、個室の便器に腰掛けて休憩しながら増田を見るのが私の日課だ
昨日もいつものようにトイレでサボったあと移動していたら、両手で大量の書類を運んでいる女子社員とすれ違ったのだが
「ちょうどよかった 増田さん倉庫の鍵が胸のポケットに入ってるんで取ってもらえませんか」と言われ私はフリーズしてしまった
女性の胸のポッケに手つっこんじゃ駄目だろ… おっぱいに手があたっちゃうじゃんしかも巨乳だし…
ひょっとして既婚者だからそういうの気にしないのかな… いやでもこれでセクハラって言われたら俺の人生終わるよな…
いやいや向こうからお願いしてきたわけだし… もしかしてこれ誘われてるのか…
そんな感じで10秒くらい固まっていたら「じゃ鍵はいいからこれ持ってて下さい」と書類を渡してこられたので私は黙って受け取った
女子社員は自分で鍵を取り出してドアを開けながら「もしかしてポケットに手を入れるのが恥ずかしかったんですか」と言ってきたので
私は顔を真っ赤にしながら「そんなわけないじゃないですか ははは」と適当に誤魔化しそしてまたトイレの個室に戻った
普通の人だったら躊躇なく女子社員の胸ポッケに手を突っ込むのだろう
チャラいイケメンだったら「鍵はこれかな」とか言いながらおっぱい触ったり乳首を摘まんだりするのかもしれない
私の人生で金銭の授受も無く相手の合意も得られた状態で女性の胸のポッケに手を突っ込むことが出来る最初で最後の機会だったのかもしれない いやそうに違いない
なーんか裏切られた気分。
緊急事態宣言も解除され、平日昼過ぎといえど利用者が増えてきた電車にいてもたってもいられず飛び乗った。
会社から在宅勤務を言い渡されてから4ヶ月間、定期の解約を忘れていたので無駄に定期代を払っていたことを今更後悔。
ホコリを被っていたパンプスは4ヶ月たっても履きやすさは元のままで少し安心。
定期区間を過ぎてもまだ降りたくなくて、このまま終点まで行ってやろうと思った。
あ、ピーナッツじゃんこれ。
また思い出しちゃったけど、なぜだかそんなに裏切られた気分はしなかった。
周りを見渡してみると私以外の乗客は3人だけ。
マスクで顔が見えないけど服装で大体年齢って予想がつくものなんだね。
この人たちも知ってるのかな。
短い時間この空間を共有してる仲間に教えてあげたくなったけど、私は終点に着こうかとする電車の扉の前にたったまま家の鍵を締めたか気にしていたのでした。
「ここが良かったです」というのを褒めまくっていれば、褒められなかった点は悪いんだなって気づくわけですよ
気になる点とかはその褒めのあとにさらっと付け加えればいい
漫画だったら「キャラクターの性格がめっちゃ性癖に刺さってよかったです。もっとかわいい顔も見てみたいです。」とか言えば、
アプリだったら「アプリをリリースしてくれてありがとうございます!かなり助かっているので毎日使ってます。(オプションがどこにあるのかわからなかったので、わかりやすい所にあると嬉しいです)」みたいなさ
医療デバイス向けとか医療デバイスのプログラム需要ってのは ある程度は増えるだろうな
いままで、一部の人間がやっていましたが
まぁ ドリンク剤がコンビニで買える程度のものは 一般開放したほうが 結果論としていいから
いちぶ医療用デバイスが 民間に降りてきたときに 薬剤師のようなプログラマーが民間に必要というのは
そのとおりだろう
医療デバイスのプログラムがバグばっかとか、一般レベルにたまにおちるとかはないだろうからな。
あってちょっとしたカスタマイズを薬剤師といっしょに調剤薬局でぐらいだろう。
逆にパソコンを体に合わせる作業を 調剤薬局にお願いする必要性というのは なくはない。
そのあとはまぁ パソコン屋とはなるが 調剤薬局が対応してくれるなら そっちのほうがいい。
キーボードが病気の原因で 1日8時間 ほぼ毎日 1年タイプしているは そりゃ医者の調整したキーボード 普段は 薬局 というのは そりゃそうだろう
だが、その程度 ちょっとしたお小遣いにはなっても 新型のIntelが売れるほどではない。従来の技術のほうがノウハウも蓄積されているし 安定している
OSSってのは「フリーソフトウェア」が無料ソフトと混同されがちだからっていうので作られた言葉で
利用者がソースコードにアクセスできるっていう要件が満たされてればOSSだよ
「ソースがオープンであること」と「OSSであること」を混同してる人が多すぎない?
発注者がいてそれを引き受けたコミュニティ・チームがあって、緩いながらも納期が設定されていたわけでしょ?
シビックテックか知らんけどかっこいいことしたい偉い人と自意識過剰なエンジニアが運悪くマッチしたプロジェクトでしょ。
そもそも「とりあえずリリースして素早く直す」みたいなのはユーザがサービスを選んで使ってれてるから通用する話であって
ITリテラシーのない数百万人が適切なインストラクションもないのにバグだらけのソフトウェア掴まされて文句が出ないはずないでしょ。
もう一回良く考えて欲しいんだけど
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いやいやいや、当然でしょう。OSSコミュニティの開発ではない。
発注者がいて納期があったからチームはリリースを拒否できずにバグだらけのソフトウェアをリリースしたんでしょ?
それともチームは自分たちで今の状態のソフトウェアをリリースする意志決定をしたってこと?それならバグの責任を持つのはチームでしょ。
ここ最近の COVID19Radar https://github.com/Covid-19Radar/Covid19Radar 上でのゴタゴタにより、開発者の @kazumihirose さんが https://twitter.com/kazumihirose/status/1274616019420471296 疲弊してしまいっているのを見て、(今回の揉め事の根本的な原因はソフトウェアがOSSとして公開されているのが原因ではないと思うが)いたたたまれない気持ちになったので書く。書いてみた結果ただのとりとめもないOSSへの愚痴になってしまった。
いくつかのOSSプロジェクトのメインコントリビュータとして関わっています。
私の周囲のソフトウェアエンジニアがOSSに対して以下のような意見を述べているのをよく聞く。
確かに、OSSは特定の企業に所属していないので特定企業の方針で運営が捻じ曲げられる心配がなく民主的で、細かい実装が気になったらソースコードを読むことが出来、顔も合わせたこともない優秀なエンジニアと議論を交わし共通のゴールに向かってともに開発を進められる。OSSは楽しい。
しかし一方、OSSメンテナのバーンアウトが近年問題になってきている(なんとなくここ数年で目につく数がなんとなく増えてきている)気がする。
というのも、OSSを運用していく上では楽しく優秀なエンジニアと開発をすすめるだけではなく、ドキュメントを読めば分かるようなことを質問してくる人、PR に対して changes required を下すと怒ってくる人、Twitter でこのライブラリは使いにくくて最悪だと罵ってくる人、こういった普通の会社ならカスタマーサポートさんがワンクッション挟んでくれる人たちに対しても開発者が直接対応しなければならない。
元々楽しくて始めた/関わり始めたはずのサイドプロジェクトだったのに、いつの間にか日々やってくる頓珍漢で再現環境のないバグレポートや、Issueも立てずに突然提出される意味不明なPRに対して、義務感で、就業後や土日の時間を削って、根気よくコメントを続けていると、何で貴重な自由時間をこんな訳のわからない連中のために使っているんだ?という気持ちになってくる。
実際、私の関わっていた一つのプロジェクトでは、もともと6人ほどいたアクティブなコントリビュータが徐々にプロジェクトを離れていき、(私を含めて)2人はメンテナンスに疲れてしまったのでしばらく距離を置くと宣言し休みを取っている(あまりに精神が回復したので戻れるのかは不明...)。
こういう現場を見ていると、手放しにオープンソース万歳!透明性最高!と言いながら自分自身は大してOSSに貢献してない人たちに対して苦い気持ちを覚える。
一方、私の関わっているもう片方のプロジェクトは非常に円滑に運用が回っていた。もうひとつのプロジェクトと何が違ったかというと、そちらのプロジェクトはいくつかの企業がソフトウェアエンジニアの業務時間の半分/全部をそのプロジェクトのメンテナンスに費やしていたのである。(何人かのメインコントリビュータが企業から出向する(?)する形で運用している)。
issueへの一次対応などの日々のつまらないタスクは業務でメンテナンスしてくれているエンジニアがやってくれるおかげで、他のメンテナが対応する必要のあるissueやPRは減り、みんなが開発やバグ対応に集中できている。業務でOSSに取り組んでいるエンジニアにストレスはないのかと聞いたところ、多少大変ではあるけれどお金をもらいながら自分の仕事をオープンにできるし、仕事だと思えば多少のストレスは我慢できる。とのことだった。
このプロジェクトに限らず、なんとなく長期間運用がうまくいっている大規模なOSSプロジェクトはだいたいどこかの企業が支援しているような印象を受ける(Facebook とか MS とか Google とか(大企業ばっかだな...))。もちろん全てのソフトウェア企業に大してOSSに大して大金をつぎ込めというのは現実的ではないが、open collective や github sponcers なんかに企業として少しずつでも寄付してくれたら、OSSコミュニティはもう少し良くなるんじゃなかろうか。
結局何が言いたかったかというと、エンドユーザー(OSS利用者)がめちゃくちゃ増えてきた昨今、個人レベルでそれなりの規模のプロジェクトをメンテナンスしていくのは最早厳しくなってきており、結局企業によるバックアップなんかがないと持続的な開発は難しいんじゃないかと思っている。
今日になって思ったより多くの方に読んでいただいて驚いています。あまりオープンインターネットで話しにくい話題だけど皆がどう思っているのか気になっていたので嬉しい。増田がブクマされても通知は来ないんですね(そりゃそうか)。
@bouzuya
まず焦点を当てている持続可能性が見出しから思い浮かべるものより狭いんだと思う。「最悪フォークすれば持続可能」みたいなのがぼくだと最初に思い浮かぶ
確かに、OSSの持続可能性という少し主語の大きいタイトルにしてしまったが、この文章はソフトウェアの持続性というよりかはOSSに携わる人のバーンアウトに対する憂いをつらつらと綴っているもので、ソフトウェアの持続性という意味では他にも色々やりようがある気はする。
また、私が目にしたうまく回っているのが企業による支援を受けたプロジェクトだったので、バーンアウト対策として企業による支援について述べたが、企業による支援がなくともうまく回っているプロジェクトは世の中にはいろいろあるだろうし、今後OSSは企業による支援がないとやってけないと決めつけるのは早合点ではあった。反省。(とはいえ問題意識は変わらないし、その一つの解決策が企業による支援だと思っているのも変わりない)。
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自分の記事を読み直してみて、一番問題に感じているのはユーザーサポートの工数なんだなと分かったが、@mathane さんがその問題への一つの解答をつぶやいていた。
@methane
雑な質問やバグレポート(99%レポート者のミス)をする場所は、とにかくメンテナ以外の人が回答しやすい場所でしてもらう事が重要だと思う。
これは確かに。私はまだOSSコミュニティど初心者なので、こういうOSSをメンテナンスする上で重要なことをどんどん知りたい。