はてなキーワード: 入門書とは
この法案を覚えている人、いらっしゃるだろうか? 10年程前、日本で人権委員を設立し、ヘイトスピーチを取り締まろうとした法案だ。
この法案が出た当時、表現の自由の観点からさまざまな批判が行われた。選抜基準が不透明であり、実質的な言論弾圧になりうる。そうした批判が主だったように思える。
当然……と、言うか、なんというか、2ちゃんねるでも、当時山ほどあった個人サイトでも人権擁護法案に反対する運動が起こった。
人権擁護法案反対の同盟(あぁ、「同盟」って単語も懐かしい)も作られた。
そして、その反対運動は、最近の言葉で言えば「カジュアルな差別」とともに行われた。
「実質的な言論弾圧になりうる」という、その一点をきりとれば、至極尤もな主張は「在日や利権を持っているマイノリティだけが得をして、普通の日本人は損をすることになる。それどころか、実質的に、やつらに日本の言論を支配されることになる」という、明らかに間違った被害者意識、と言うか差別的な主張とセットで行われた。
当時、世界各地で、人権委員の設立が行われていた。具体的な事例は、当時は法務省のHPに掲載されていた。現在ならば、師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)やエリック・ブライシュ「ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか」(明石書店)などで、当時の流れをつかむことができる。
だが、そうした観点から、実際の外国人での人権委員の活動や議論を調べ、紹介するような者はいなかった。
結局、振り返ってみれば、当時の人権擁護法案の反対運動とは、「『他人の自由や尊厳を侵害しない限りは』何を言ってもかまわない」と言う本来の表現の自由ではなく「カジュアルな差別をしたい」と言う欲望を守るための言論だったのだろう。
別段、驚くべきことでは無い。
YAHOOでホロコーストについて検索すると、悪名高き世界史コンテンツが真っ先に出てきた。
中国人は王朝の変わり目に数千万、あるいは億単位で人口が増減し、現在の漢民族は漢民族でもなんでもない得体の知れない雑種と言う、どこから突っ込めば良いのかわからない発言をすることが、「中国史通」の条件だった。
当然、教科書に書かれている、日中戦争ならびに太平洋戦争当時の日本軍の問題行為はすべて中国と朝鮮のでっちあげと主張する連中が、面白い人、そして、「一方の情報を鵜呑みにしない人」の条件だった。
保障された権利を行使する連中を冷笑し、「プロ市民」とあざけり、スイスの民間防衛を引用しながら中国のスパイ呼ばわりすることが、「良識的で政治に関心がある人」の条件だった。人権の保障などあきらめ、あるいは現状で満足し、お国の迷惑にならないことを第一に考え、軍事増強を唱える。それこそが、「知的」な人間と呼ばれるための条件だった。
現在、そうした妄言を垂れ流していた個人HPのほとんどは消滅している。
だが、うっかり信じてしまった連中は残った。おそらく、掲示板に書き込みをしていたヘビーユーザーは氷山の一角で、その何倍ものROM専の人間が、上記、カジュアルな差別で塗れたデマを信じ、「新しい知見」と考えたであろう事は想像に難くない。
やっかいな事に、そうした連中のほとんどは、当時自分が疑問に思った事について、情報の更新を行っていない。ヘイトスピーチ、そして、その規制法案について語るとき、上であげた該当問題の入門書を読むこともせずに、人権擁護法案反対のコピペを唱え続けている連中のなんと多いことか。
挙句、何の根拠も無く「日本は外国と違う。日本においてヘイトスピーチと呼ばれているものは、虐げられた日本人の正義の怒りであり、理由の無い差別ではない」などと恥ずかしげも無く言ってみせる。言っていることとやっている事はネオナチとほとんど変わらないのだが、彼らに言わせれば違うらしい。
ホロコースト否定論は相変わらず上位に出てくるし、トンデモ中国史は倉山満によって、よりおぞましい物に進化を果たした。
そして現在、twitter、togetterには、それらトンデモを真に受けた馬鹿共が今日も元気に、それも大量に発言を投稿し続けている。
だが、忘れてはならない。
彼らを作り上げたのは、10年前のわれわれだ。中公文庫や講談社学術文庫の中国の歴史を読むこともせず、
あるいは、出版されている本を読み、自分が攻撃する相手が具体的にどんな主張をしているのか調べることもせず、
そのくせ、井沢元彦「逆説の日本史」や小林よしのり「戦争論」を読み、新たな知見に目覚めたとか大それた事を考え、検証の手間を惜しんで、自分のHPで全世界に発信してきた私たちだ。
入門書一冊読まないくせに、そのくせ上記の本を読んだだけで満足し、自分は知識欲旺盛な人間だとのぼせ上がり、そのうぬぼれをwebで全世界に公開した、厚顔無恥な私たちだ。
私たちの馬鹿を信じた結果、今の、肥溜めのようなweb界隈がある。それを作ったのは、間違いなく、私たちだ。
かつて、ネットは誰でもメディアと呼ばれた。その文句のとおり、私たちは多くの情報を発信した。
だが、振り返ってみて、10年前の私たちは、後世に胸を張れるような情報を発信してきただろうか。
実際ツクールでゲーム完成させたことないんだけど、発売日が待ち遠しくてワクワクしてる。
小学生のころ、あるゲームの発売日が楽しみでゲーム雑誌を買って、新情報を文章を暗記するぐらい読み込んだり、ゲーム発売日までカレンダーに「あと○日」と書いたり、発売日前日の夜はドキドキ眠れなかったりした時と同じ気分だ。
どんなゲームができるだろう、どんなプログラインがあるんだろうと海外のサイトを巡ったり、人がつくったマップを見たり、キャラのドット絵みたり
あまりに楽しみすぎてJavaScriptの入門書まで買ってしまった。
さて、こんな話がある。
1998年。ニューヨークタイムズで次のような記事が載る。
「“ANIME”とは、日本製アダルトアニメーション“ポルノアニメーション”を指す言葉である」
ひどい言いがかりだが、そう書かれるにはそれなりの事情がある。実際、アメリカではエロアニメが売れに売れていた。宇宙戦艦ヤマトや超時空要塞マクロスといった作品もあったが、かなり改変されていたし、市場を席巻していたのは日本から輸入されていたエロアニメだった。アメリカのキッズがヤマトに興味を持つ切っ掛けも、セックスシーンがあるとか、そういうところだったし。
1993年、CPMが『うろつき童子』の英語版を発売して以降、エロアニメは次々に売り出された。90年代の終わり頃には、エロアニメの市場は3~4000万ドルにも達していた。アメリカのバイヤーは日本のアニメ以上に、日本のエロアニメを求めたし、ニューヨークタイムズが勘違いして上のような記事を書くにはそれなりの経緯があった。
話は変わるが、私は以前、日本人より外国人の多い職場で働いていた。そこで、アニメの話題を投げてみると、「Oh, HENTAI!」という返事が返ってきた。3人ほどに話題を振ってみたが、みんな一緒だった。「日本のアニメ=HENTAI」という図式は、私達が思っている以上に世界的普遍的な認知として刷り込まれているようだ。外国のマスコミも、自分たちの認識の間違いを積極的に訂正しようとは思わない。ごく普通の外国人にとって、アニメと言えば、まっさきに思い付くのがHENTAI。その次にNARUTOだ。宮崎駿は、彼らにとって、歴史の浅い新参者でしかない。
ニューヨークタイムズは、2006年にもまたまたやらかす。再び『日本製アニメ=HENTAI』という論調の記事を書き、『ポケモン』や『遊戯王』といった作品も取り上げるが、「幼い子供におもちゃやビデオゲームやトレーディングカードを売りつけるために作られたもの」と断じる。
マスコミがクソなのは、万国共通。そのクソなマスコミによって、世論は作れ、それは歴史となっていき……。
ふと思ったけど、欧米はよく「日本は児童ポルノ大国」と批判し続けているが、ひょっとしてマスコミが原因の一つなのではないだろうか。児童への強姦発生率を比較してみても、日本は欧米より圧倒的に少ない。規制があるので、日本はすでに“あまり”児童ポルノを生産していない。いったいどんな根拠に基づいての批判だろう、と思っていたが、あちらのマスコミが喧伝した結果かも知れない。
スーザン・J・ネイピアの『現代日本のアニメ』という本がある。スーザン女史は、アメリカではかなり有名な日本文化研究の先生である。日本のアニメ研究、という分野では、第1人者とも言われている。
その著書である『現代日本のアニメ』という本を日本人が読むと「????????」となる。なにしろ、『AKIRA』と『千と千尋の神隠し』と『淫獣学園』が並列に語られているのだ。時代がまるっきり違うし、制作者も関連がないし、作品の系統もまるっきり違う。というか、何一つかすらない。日本では、間違っても『AKIRA』と『淫獣学園』を一緒くたに語る人はいないだろう。ピンクパイナップルとジブリを同列に上げて評論する人はまずいない(TMAと京都アニメを一緒くたにして語る人ならいそうだが)。読んでいると、「なんだこれは??」と奇妙な感覚に囚われてしまう。しかし、この本が、アメリカでは一番アカデミックなアニメ入門書となっているのだ。
おそらく、アメリカ社会に大きな話題として浮かび上がってきた作品を順番にピックアップしていったら、結果そうなったのだろう。実際、『淫獣学園』はアメリカでスマッシュヒットを飛ばしたアニメだ。『千と千尋の神隠し』と同列に扱われるくらい。それくらいに、アメリカではエロアニメが大きな存在感を持っているのだ。
と、いうようにアメリカ市場ではエロアニメの需要は非常に大きい。日本人が考えている以上に、アメリカ人は直線的なエロと暴力を求める。日本人がドン引きしそうな過激なものでも、アメリカ人は平気というか、むしろ好んで見ようとする。その一方で、アメリカ人達を悩ませているのが「萌え」。これが理解できず、アメリカのアニメユーザーは頭を抱えている。そういうわけで、エロチックコメディーが存在感を持つのは、ごくごく自然な話ともいえるだろう。
http://blog.livedoor.jp/toratugumitwitter/archives/45618114.html
だってさ
基本情報とかだけじゃなくて、JavaとかPHPとか、各DBあたりのベンダー試験なんかも。
むしろJavaの試験に受かってないとコーディングできないとか、ナントカ試験もってないとSE業務できないとか、徹底してほしいわ。
あんなもんじゃ実力がわからないって言うけど、ソフトウエア開発の現場って、どう見ても水準に達してないのに経歴が長いってだけで技術力があるってことになってる連中が多すぎ。
こいつJavaの入門書レベルも読んだことないだろって感じのやつがコーディングルールを決めてたり、VB6の時代で知識止まってるオッサンがC#やらVB.NETのコードレビューやってたり。
認定試験受かってたら、最低限、そういう連中はフィルターに掛けられるしな。
単純にダメな奴には開発をやらせなければいいんだけど、そのダメかどうかを判定する立場に経歴が長いってだけのダメな連中がついてるから、まともな選別とか無理だわ。
「プレイヤーのレベルあがりすぎて全然勝てずむしろカモられるばかりだから、弱い俺にも稼げるようにしてくれ」
とまで読んだ。
よく言われる話だが、金稼ぎたいならもっといい方法があるからそっちいけって話。
性質的には投資が近いから、株なり為替なりやればいいんじゃないか。
ゲームとしては上級者や入門書が出てくるのはよい話。ど下手プレイヤーばかりでは誰も得しない。
問題はゲームに触れる機会が全然ないこと。麻雀は大体大学か会社に入って知り合いに引き込まれるパターンが多いでしょ。ポーカーにはそういうのがない。
あと、投資的な性質がほとんどの日本人には馴染みが薄く、ルール教えるのが非常に難しいのよね。五分でルール説明できるなんて嘘。
どんな無能な人でも比較優位性のある仕事をすれば会社全体の生産性を上げることができる、という言説をときおり耳にする。私自身は無能な人間で、こういう耳ざわりの良い話は大好きなのだけど、一方で鵜呑みにしてしまっていいのだろうか?と思う。
ウィキペディアと経済学の入門書から読みかじった程度の知識なんだけど、そもそもリカードの比較優位の話って二国間貿易での話なんだよね?大抵の会社での業務は2人よりもはるかに多い人との分業で成り立っているはずだから、比較優位でもって安易に生産性について語ることはできるのだろうか?
もう一つの疑問として、比較優位性のある能力を活かす部署に配属されている場合はどうすればいいのか、というのがある。企業の貿易とか自由業者の話であれば、経済主体の意思で比較優位を活かした経済活動ができるだろうけれども、人事に業務を制約される会社員が比較優位性を活かすのは、実は結構難しいことなのではないだろうか。
他にも、業務知識をうまく共有できてない職場では、分業を進めすぎるとかえって的確な判断ができなくなるということもあるのではないかと思う。そういう状況下で各々が比較優位を重視して仕事しても、全体の生産性向上にはあまりつながらない気がする。
なんだかまとまりのない、もやっとした疑問になってしまったが、要するに自分の置かれている環境の制約について考慮せずに比較優位の原理でもって仕事の話をするのは、無能な自分を諌めるアヘンにしかならないのではなかろうか、というのが私の疑問。
そういうことを考え始めると、やっぱり無能な自分は会社を辞めて隠遁生活を送ったほうがいいんじゃないかと思いはじめて眠れない。
なんか無駄に知的っぽい形式を使った表現でお返事されているけど、
あなたはその引用したところだけに自分なりの意味を感じて、他の所は切り捨てていいと思ったんですね。
元の表現に対する内容に踏み込んだ具体的言及が欠けていますが?
あなた自身が「流行遅れ」「迷信の類と大同小異」という程よく知っているはずの精神分析や、他に出てきている現代思想や文学などに関する知識をたっぷりと使った言及を見てみたいんですが。
でもできないんでしょ?
どうせ「精神分析に別れを告げよう」とか「フロイト先生のウソ」とか「「知」の欺瞞」とか心理学の入門書の類を読んだだけで
「このプロジェクトは、この試験とこの試験に合格してないと参加できません」くらいに。
試験と能力は関係ないって人がいるけど、実務能力があるけど試験は合格できませんってことはないわけでしょ。
採用条件でよくある「Java歴3年以上」より「Javaのブロンズに合格してる人」のほうが能力判定の確実性はよっぽど上だと思うよ。
一番いいのは「わかってる人」が直接質問することだけど、この業界は「わかってる人」の数が少ない。
たとえばPHPの入門書さえも読んだことがないであろうレベルの人がPHPのコードレビューをやってるとか、そんなのザラ。
でも、レビューをやってる方は自分は10年選手だからって理由だけで、上級者だと思い込んでる。
そんな感じだから「PHP歴3年以上」みたいな基準とか、根拠ない自信で自分は上級者だと思ってる技術者の変な基準で実力判定して採用して、そういう環境で育った人間が同じことを繰り返すという負のスパイラル状態になってる。
Javaの入門書を1冊読んだだけの初心者はまずjarファイルが作れないと思うのだけれど、それに負けてるって一体何ができるのだろうか
一日中2chやはてブやtwitterて遊んで、片手間に仕事をやってるような感じだったから「あいつ仕事が遅い」「勤務態度が悪い」みたいな評価になって4月で派遣先を切られることになった。
楽な職場だったから、もうちょっと真面目にやればよかったと後悔したけどしかたない。
5月からの派遣先は、普通の会社でネットでダラダラできる雰因気でない。
仕方ないからまじめに仕事をやってたら「もう終わったの?」「こんなことできるの?」みたいな反応をされることがたびたびあって、どうやら「仕事が速い」「いろいろ知ってる」みたいな評価をされてるっぽい。
普通にやってるだけなんだけどね。
仕事で難しいことをやりたいとは思わないけど、こんな簡単でいいのかって感じ。
昼休みに技術書を読んでたり、趣味でスマホアプリを作ってるって言って見せるとすごくびっくりされる。
自腹でやプライベートな時間を使って、自ら技術に触れるってことがありえないらしい。
Javaの入門書一冊を読んだだけの初心者にも負けてるレベルの人が、飲み会の席で「Javaに関しては任せられる若手が育ってなくて(俺が面倒みなきゃな)」みたいな発言していて、この人、主観ではエキスパートなんだってちょっとおもしろかった。
会計やら科学やらはそこそこ話題にいっちょかみしてくる人がおおいとか、ネタにされやすいんだけどその実際の理論とかオマエわかってんの?プロから言わせたらさみたいなことでしょ。
次に料理やら趣味やらのセクタがあって、おれこの道のプロなんだけどとりあえず入門書読んどけよみたいな感じ?みたいな。
SFといえば物理学や科学ほんとにわかってんのってくらい頓珍漢な表現がでてきたりするわけだけどそれは理論を知ったうえでというわけではなく知らなかったり適当だったりあからさまに間違ってたりするわけじゃん。
法律で解決していく闇金漫画とかまじ法律しりつくしてんじゃんこれ最強じゃんとか思わないでしょ。むしろ法律しってたら闇金やってる意味わかんないとか、むしろ闇金は合法なのかって話じゃん。
親しみやすくて話題にしやすいネタで、実際に学んだら奥が深いとかってことはだいたい皆わかってる話で、それはそれなりに楽しんでいればいいじゃない。
プロならプロらしく、そういう言葉遊びで楽しんでる庶民を真顔で説教したりするようなまねしなくてもいいんじゃないかなと思うけど。
子供がヒーローごっこしてるところに、実際には空なんてとべないとか人間は構造としてそんな力はでないとか、そこにきて人生語ったりする必要なんてないみたいにさ。
説教ってほど感情的ではないってことはわかってるよ。あくまで表現として埋められる言葉に適したのがみつからなかったんだ。念のため。
だいたいさ、会計わかってる人ならわかるとおもうんだけど、無知や無自覚が浪費の元で、大きく分けてそういう日常行動の消費者が経済まわしてるようなものじゃん?
かしこく堅実な人がふえても生きづらいんじゃない?全員がスーパーヒーローで科学を超越した力をもった人ばっかりだったり基礎学力が高杉な人たちばかりになったら、ただでさえ生きづらいこの世の中、さらにつらくなる気がするよ。
なんというかさ、その、おススメ本がビブリオバトルで勝てるようになったら、きっと君の出番だと思うんだ。うまれてくるのがはやすぎたんだよきっと。
中小企業勤務のど素人です。平均年齢40歳くらいの昭和からある非IT企業です。
前任者が退職して、他に出来る人がいないという理由で、自社HPのインフラを担当することになりました
個人でレンタルサーバーのVPS契約してLAMP環境構築して、ごく単純なWEBサービスを公開していますが、
ググってでてきた手順を見よう見まねでやったので、基本を理解できてないので、怖いです。
WEBサーバーもDBサーバーもファイルサーバーも一緒の1つのサーバーです。
会社のサービスは、今までは会社にサーバーを置いてやってました。
リプレースが大変なのと、AWSはWEBサービスの業界標準のようなので、迷うことなくAWSにしていきたいです。
一人でやるのは怖いので、無理ですといったのですが、押しつけられました。
中小企業勤務のど素人です。平均年齢40歳くらいの昭和からある非IT企業です。
前任者が退職して、他に出来る人がいないという理由で、自社HPのインフラを担当することになりました
個人でレンタルサーバーのVPS契約してLAMP環境構築して、ごく単純なWEBサービスを公開していますが、
ググってでてきた手順を見よう見まねでやったので、基本を理解できてないので、怖いです。
WEBサーバーもDBサーバーもファイルサーバーも一緒の1つのサーバーです。
会社のサービスは、今までは会社にサーバーを置いてやってました。
リプレースが大変なのと、AWSはWEBサービスの業界標準のようなので、迷うことなくAWSにしていきたいです。
一人でやるのは怖いので、無理ですといったのですが、押しつけられました。
情報処理だけじゃなくて、JavaとかPHPとかオブジェクト指向とかWebプログラミングとか細かく細分化して、このプロジェクトはC#認定試験とWindows認定試験をもってるプログラマしか採用しませんとか。
ペーパーテストで分かるのかって言われるかもしれんけど、今の経験年数で測るやり方に比べたら格段にマシになると思うわ。
経験年数10年だから技術力があるってことになっているけど、実際は初心者レベルだとかゴロゴロいるし。
Javaの入門書さえまとに読んだことないだろってレベルの人が飲み会で「Javaに関しては任せられる新人が育ってなくてね」とかドヤ顔で語っていて、サラリーマンだから形だけ顔を立てられるって認識でなくて本人もマジで技術力あるつもりなのかってビックリしたことあるわ。
で、そういう人がプロジェクトの技術的な方針を決めてるから、本当にぐちゃぐちゃで効率悪い。
プロジェクトに応じた各種認定試験に通ってないと、コーディングさせないとか設計させないとかっていうのが常識になったら、最低でも水準に達してないような人がプロジェクトにかかわることは避けられるからね。
まあこれやると、日本のプログラマやSEの60万人のうち、3割とかへたすると半分くらいは仕事できなくなっちゃうんじゃないかって気がするから、実行は無理だろうけど。
このまえJavascriptをコピペだけで10年やっていて初めてまともに勉強したってエントリが何百もブクマを集めてるのをみて、モヤモヤっと思ったから書いた。
逆に入門書の一冊もまともに読んだことないんだろうなって水準の人が、自分はすごいレベル高いって思い込んでるケース多いね。
SIerとか、建前上、技術力は経験年数に比例するってことになってるけど、建前じゃなくて「自分は10年選手だからエキスパートだぜ」って思い込んでるの。
ネットとか本とかで勉強しないから、自分がどの程度のレベルか客観的に評価できない。
このまえもJavaのStreamの記事に「こんなの趣味でしか使うな」「可読性が下がる」みたいな否定的なコメントがついていて、技術的な勉強はなるべる避けたい感じの人達ならともかくはてなのテクノロジーのカテゴリーをチェックしてるような人でもこんな感じなんだってがっかりしたわ。
たまに関数型の言語の記事に何十何百もブックマークついてることがあるけど、ああいうのもせっかくハテブ使ってるのに興味なくてぜんぜん読まないんだろうね。
ネットに対する否定的な意見で「自分の興味のある情報しか見なくなって視野が狭くなる」みたいのがあるけど、はてなみたいな雑多な情報が集まるサイトを利用していても、そうなるんだって思った。
あとオブジェクト指向とか開発プロセスとか、コードの書き方みたいなやつも。本を1, 2冊読めば合格できるレベルの試験でいいから。
試験に合格してないと開発にはかかわらせないようにして欲しい。
「試験は合格して当たり前だろ」とか言う人いるけど、職業プログラマには合格できないレベルがゴロゴロいるから。
PHPの入門書の一冊も読んだことないだろってレベルの人間がPHPのコードレビューしてるとかギャグのような状況が日常。
で、そういう客観的に見たらどう考えても水準に達してない人に限って自分のレベルの低さを自覚してない。
自覚してないどころか「おれ10年選手だから」みたいに経験年数の長さだけを根拠に、むしろレベル高いと思ってる。
いや、普段の言動をみてると自分のレベルの低さはうすうす感じてるのかもしれない。
「学生時代にかじってた新人は変なクセがついてだめだ。なにも知らないやつのほうが素直で教えやすい」みたいなことをいいがちだけど、これって新人にも自分は負けるって自覚があるからその防衛反応だろうし。